「最高→最高?(追記しました)」ANORA アノーラ 味彩さんの映画レビュー(感想・評価)
最高→最高?(追記しました)
【一回目鑑賞後】2025/3/14
最高に好きです
搾取される側への寄り添いを感じられる。
感覚的に大好きな作品です
物語全体がどうとか、ここのシーンが気になるとか、結末がどうとか
そういった細かいことはされておいて、
映像を見ている間に感じる想いに、私がエンタメに求めているものに限りなく近いものがありました。
観終わってからパンフレットを読んだり、YouTubeなどの考察を拝見していると、観ているときに感じたこと以上に考えられる余白があり、それがまた良い。
私が好む映画は好き嫌いが大きく別れるものが多いです。
考えたい人、考えることに前向きな人にはいい映画なのではないでしょうか。
もっと言語化するためにもう一度観てきます
【二回目鑑賞後】2025/3/18
二回目観てきました
一回目ほど、手放しに最高!とは言えなくなりました
アノーラの置かれている状況や、受けた扱いを考えると、相応の報い(善悪どちらも)があったのだろうか、という観点で考えると……。
最後のシーン、一回目鑑賞時は「やっと泣くことができたんだ」と、どちらかというと良い方向の感情を抱いたんです。
家に帰れば妹がいて、アノーラには一人で泣ける空間が用意されていない。
昨夜豪邸のベッドで一人、見ようによっては泣ける環境は整っていた。けれど、きっとアノーラは泣いていない。
ヴァーニャがいなくなってから、きっとアノーラは一度も涙を流していない。
一人では泣けなくて、イゴールの前だったから泣けたんだと思いました。
また、イゴールにキスされそうになると明確に避けていたのが良い意味でとても気になったシーンでした。
二回目鑑賞時は上記を踏まえて観ていて、最後のシーン
急にビンタをして、泣き崩れるアノーラは、優しく抱きしめるイゴールの腕を受け入れて涙を流します。
アノーラが望まずとも涙を流す行為に至るためには、その直前にセラピーのような時間があったのではないかと思います。
車中の行為の中のどこかに。
少し遡ると、瞬間的だとしても、ほんの一瞬でも、想い合った人と結婚してパートナーになる。なった。
パートナーになって得た、当たり前にあるべき権利を奪われたことへの抵抗、混乱、怒り、落胆を経て、最後に悲哀にたどり着いたのかなと。
抵抗:夫婦生活を手離したくない
混乱:ヴァーニャの逃亡が理解できない
怒り:指輪、権利を奪われようとしてる
落胆:ヴァーニャにはもう自分への想いがない
悲哀:私は酷く傷付いていた
悲哀において、今回の結婚の件のみではなく、今までの自分の人生において受けてきた傷、気付いていなかった傷にも気付いてしまったのかなと感じられ、
一度目よりも、観ていてハッピーな感情が薄く感じられたのかもしれません。
鑑賞一度目は泣くことができて良かったね、という想いが強くありました。
鑑賞二度目はこの後も続くアノーラの人生を考えてしまいました。
イゴールとアノーラについても、鑑賞一度目はアノーラのサポートをしたいと言うイゴールに好感を抱きました。
二人が恋人になることはないとしても、アノーラが頼れる存在としてイゴールの存在が増えたことはきっと良いことなのだろうと思いました。
鑑賞二度目は、アノーラにとってイゴールは本当に必要なのか否か、わからなくなりました。
少なくとも、アノーラが車の中で泣くために、イゴールはアノーラにとって必要だった。
ラストシーンの車中に、イゴールがいる必要はあった。
けれど、その先また、二人が会う必要は果たしてあるのかどうか。
男友達のような存在がアノーラには必要なのだろうか。
一度目鑑賞時はイゴールとくっついたら良いのになぁと終盤まで安直に思って観ていましたが、ラストシーンを観て、そんな単純なことではないのだと思い直しました。
アノーラとイゴールの関係について。
二人はやはり、搾取される側の人間で、だから、イゴールは(恐らく無償で)アノーラをサポートしたいと言ったし、アノーラはイゴールの前で泣くことができた。
今はそれだけしかわかりません。
アノーラとヴァーニャについても。
一見ヴァーニャは搾取する側に見えますが、ヴァーニャも母親に搾取されている側の人間として間違いはないのではないかと思います。人として当たり前に持てる権利を奪われている。搾取する側でありされる側でもある。
だからどこか、憎みきれないのかもしれません。
出てくる人物の多くが搾取される側の側面を持っていて、しかしその逆でもある。
人が一面的でないことを描いている作品が大好きなので、やはり好きな作品であることは間違いないです。
二回観て、感じたことの量も、わからないことも増えたように思います。
もう一度観たらもっと苦しくなりそうですが、また観たいです。