「魅力的な表情を見ることができる映画」ANORA アノーラ souさんの映画レビュー(感想・評価)
魅力的な表情を見ることができる映画
ニューヨークで娼婦をしているストリップダンサーのアノーラは、来店したロシアの大金持ちのバカ息子と2週間足らずで結婚。
バカ息子の両親は結婚に大反対で、何としてでも結婚を解消させようとするドタバタコメディ。これが公開前に知っていた情報。めでたくアカデミー賞を受賞したとのことで映画館へ足を運びました。
アノーラというキャラクターは、妙に魅力的だった。気が強く、屈強な男にも怯まないし、口汚く罵ることを決してやめない。男にサービスをするプロの娼婦としての姿勢を見せつける。物怖じしないで、バカ息子を追うどこか情けない男たちの中でもズカズカとバカ息子探しに回る姿はパワフルに見える。だけれど、シンデレラをどこかで夢見る女の子でもある表情をふっと見せたりもする。そして、何より物語後半の悲哀の表情は、僕の胸を掴んだ。この悲哀には、何が含まれているんだろう。こんなに頑張っているのに、という悔しさ、生活の苦しさ、社会の不平等さ、さまざまな感情を呼び起こす、印象的な表情だった。
本作の冒頭は、気の強いアノーラにとって大金持ちと出会うことがいかにラッキーなのかがわかるようなシーンで構成されている。刺激的で官能的で、疲弊するストリップショーで働くアノーラの日常を感じる世界が映される。そして、バカ息子と出会い、バカ息子の家に出張サービスをするようになる。やがて、アノーラ自身も訝しんでいるけれど、バカ息子との契約彼女になり、ベガス旅行を楽しむ。馬鹿騒ぎな旅行の終わりに、からかいでないことを念押ししながら、でもどこか信じられない気持ちも見え隠れしながら、24時間開いているファストサービスな結婚式場で結婚。
たぶん本作の大事なところなんだけど、ここが長くて、やや冗長に感じた。狂乱の中の結婚であることは、予告からおおよそ見当がついていたので、もっと違うものを描く時間に費やしてもいいのではないか、と思った。アノーラが強かであって欲しかったのかもしれない。
ただ、本作の大事なところ、と僕が思う理由はラストショットの結末が映画が示したいことが物語の捻りでないことを示していたからだ。
アノーラはどこかでそれが現実なんじゃなく、夢物語だとわかっているんじゃないかと思った。わかっているけれど、手を伸ばさずにはいられないし、現実はバカ息子を探す使いっ走りの誠実な男に愛情のようなものが沸いてしまいそうになる(他の人の感想を読むと、これは愛情ではなくセックスでしかコミュニケーションをとれない、という状況という解釈の方があってそう)。でもそれが嫌で、そこが憎たらしくてどうしようなくて、セックスサービスをやめて泣き出してしまう現実。そこに情感があり、心が揺れ動いてしまう。
まとめると、印象的な表情を見ることができる貴重な映画だった。でも、僕は映画にどこか超人的なものを求めてしまう。アノーラがもっと賢く、バカ息子もバカ息子の両親ももっと痛快に打ち倒してくれたら、と思ってしまう。ドタバタコメディではあるけど、それよりももっと苦いエスプレッソにフォーカスしてた、そんな映画でした。男女とお金のドタバタ劇はビリー・ワイルダーの映画のようでもあり、でもワイルダーの映画よりももっと現実にうちのめされる哀しみがあって、打ちのめされているキャラクターと一緒に苦味を噛み締めるような映画だったとも言えるかも。コメディだと思うとちょっと期待外れ、だけど、その苦味がいかにも映画らしく、楽しむこともできた作品です。