「相反する心 グアダルーペの聖母」エミリア・ペレス レントさんの映画レビュー(感想・評価)
相反する心 グアダルーペの聖母
国民の八割近くがカトリック信者だというメキシコではキリストよりも崇拝の対象とされるのがグアダルーペの聖母と言われる褐色のマリア様だという。
スペインによる植民地支配の下、カトリック教会はアステカ文明で崇拝されていた女神トナンツィンの姿を聖母マリアに重ね合わせることで布教に役立てた。そのために土着宗教とキリスト教の混じり合ったメキシコ独特のキリスト教になったという。
麻薬カルテルのボスであるマニタスは長年性同一性障害に悩まされ、有能な弁護士であるリタに依頼して性転換手術を受ける。
マニタスは見事女性として生まれ変わり、報酬を得たリタも弁護士として独立しロンドンで活躍していた。そのロンドンのレストランで声をかけてくる一人の女性、同じメキシカンとして意気投合した二人だったが、そのエミリアこそマニタスの生まれ変わった姿だった。
彼女は再びリタに依頼する。離れ離れの家族とメキシコで暮らしたいと。そしてリタとエミリアはメキシコで行方不明者の遺体を探すNGOを創設する。
マニタスはかつて部下さえも恐れる冷酷非情な男だった。しかし彼はこの貧富の格差が大きいメキシコで生まれ育ち、生きてゆくには犯罪に手を染めるしか道がない中でめきめきとその頭角を現し組織のボスにまで上り詰める。
手下たちも同じように犯罪に手を染めてきた油断ならない人間たちだけにそれを統率するためには彼ら以上の非情さが求められた。だが彼の真の心はそうではなかった。本当の自分は人を殺めたり痛めつけたりしたくはなかった。これは本当の自分ではない偽りの自分だと。幼い頃から自分の内面と外面とのギャップに苦しみ続けてきた。しかし彼の育った環境が本当の彼を許さなかった。
そんな彼が子供を持ち人生も半ば過ぎたころに一大決心をする。このまま偽りの自分のままで人生を終えたくない。残された人生を本当の自分として生きていきたい。彼は生まれ変わる決意をしてエミリアとなったのだった。
そして彼の心の奥底に押し込められていた善の心がふつふつと甦り、今まで彼が犯してきた悪行への償いのためにも犯罪により犠牲となった人々や家族のためにその活動に心血を注ぐのだった。
自分の犯してきた罪を償い生まれ変わったその姿は人々の罪を一身に背負って十字架につけられそして復活したキリストの姿を思わせた。
しかし、エミリアはマニタスに戻ってしまう瞬間が訪れる。妻のジェシーが子供たちを連れて再婚するのだという。彼女に怒ったエミリアの声はマニタスの野太い声に戻っていた。
怒鳴り声で彼女を恫喝するその姿は元の狂気に満ちたマニタスの姿そのものであった。
どんなに善行を行おうとも彼女の体に長年染みついた力で人を抑えつけようとするマニタスの影を追い払うことは出来なかった。
エミリアはジェシーの一味に誘拐され車もろとも崖から落下炎上し帰らぬ人となる。マニタスの犯してきた罪はエミリアになってもいまだ償いきれていなかったのかもしれない。
しかしエミリアが亡くなり彼女を悼む人々はその姿を模した聖母像を頭上高く掲げて彼女の功績を称えるのであった。
マニタスは今度こそ生まれ変わったのかもしれない。それはキリストではなく、グアダルーペの聖母として。
カトリック信者が多くを占める国民性ながらもいまだ植民地時代から根強く残る貧富の格差に苦しめられ治安が一向に改善されないメキシコ。
アステカ文明と西洋文明が入り混じった結果生まれた褐色の肌を持つ聖母マリアことグアダルーペの聖母、相反する心と体を持つその姿はマ二タスとエミリアの姿そのものなのかもしれない。
堕ちていく、あの空へ、昇っていく、あの暗い淵へ。冒頭のこの曲の歌詞をはじめとして劇中では逆説的な言葉が多用されている。父であり、叔母。麻薬組織のボスから慈善団体の代表者へ。男から女へ。優しい心を持ちながら劣悪な環境で生まれ育ったがために、悪人とならざるを得なかった一人の男の姿を通して、人間の心の中に潜む善と悪の葛藤を見事に描き出しエンターテイメント作品に仕上げた。
街中を走る廃品回収車のアナウンス音声から、レンジ、テレビ、何でも買います。でも買えない、私の人生と魂は売り渡すことはできない。などなど劇中で流れる歌の歌詞がすべてが素晴らしくて個人的にはミュージカル映画としても革命的な作品だった。
今年の粒ぞろいのアカデミー賞ノミネート作品の中で本作が個人的にはダントツだった。アノーラも好きだけど本作のすごさの前に少々かすんでしまった。ノミネート作品で最後に回した本作がマイベストだった。
知らないことばかりです。若いときに映画館通い不良になっとけばよかった。でも映画を仕事にしないで趣味にできてよかった、映画の世界は深すぎる!たまに懲りすぎて疲れるけれど、スクリーン前にするといつもワクワクします。
こんばんは。
いつもながらに素晴らしいレビューですね。
本当に舞台がメキシコだからこそのリアリティがありましたよね。
私もアノーラ、結構好きでしたが、こちらの方が喰らいました!
斬新なミュージカルの手法にも驚かされました。
色々考えちゃう作品でした。