「多分、男視点が弱いところが説得力を今ひとつ欠く原因になっているのでは。」エミリア・ペレス あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
多分、男視点が弱いところが説得力を今ひとつ欠く原因になっているのでは。
最近の作品はみんなそうなんだけどどうにも尺が長過ぎるのですね。今年のアカデミー賞絡みでいうと「アノーラ」も「ブルータリスト」もそうだった(「教皇選挙」にはそれを感じなかった。やはりあれは傑作なのです)
この作品は、なんといっても麻薬王マニタスが弁護士リタの力を借りて、性転換と、自分の過去を消すことに完全に成功するところまでが面白い。その後、エミリアが息子たちと妻をメキシコに連れ戻すため、リタに再度、依頼をするところから物語は転調しはじめ、そしてエミリアが麻薬組織が殺したり誘拐した人々、多くは男たち、をその家族のために捜索する活動を開始するところでクライマックスに入っていく。ここが、男たち(金やメンツにより人を平気で殺す)と女たち(男たちによって家族をうばわれる)という対立構造になっており、トランスジェンダーとして女側にたったエミリアとリタをはじめとする女たちとの連帯が描かれる。
よく分かる、よく分かるのですが、トランスジェンダーだからといって人はそんなに変わることができるのか、それも「赦す」という言葉に表れているように、やや聖母的にエミリアが位置づけられているところが気になるのです。(最後のお葬式のシーンが象徴的)
でも男は殺す、女は嘆きながら赦す、といった形のままでは何も変わらない、結果として補完的な関係が永続的に続くだけなのではないか。逆説的になるかもしれないがエミリアの「元男性」としての視点でも良い、他の男視点でも良い、殺さなければ生きられない男たちの視点なり、実感が表現できたらもっと説得力は出たのではないかと思います。その意味からでは、ジェシーの浮気相手グスタボがただのクズ男としてしか描かれていないのが惜しい。彼も最後に一世一代の大勝負に出たんですからもう少し話を膨らませてほしかったな。
共感します。
マニタスは人生をすべて清算して女性として生きる事を選択したと思っていたので、数年後に家族に執着し始めたのは意外な展開でした。後半は去ろうとするジェシーに形相をあらわにするなど、心の中で男と女が混在していたようにも見えました。
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