「素顔のゾーイ・サルダナの活躍に目を奪われる」エミリア・ペレス tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
素顔のゾーイ・サルダナの活躍に目を奪われる
タイトルロールを演じるカルラ・ソフィア・ガスコンの、荒々しい男性から淑やかな女性への変身ぶりもさることながら、オープニングからエンディングまで、歌に、踊りに、獅子奮迅の活躍を見せるゾーイ・サルダナの存在感に圧倒される。出演俳優の最初にクレジットされているのは彼女だし、「助演」ではなく「主演」という位置付けで良かったのではないかと思ってしまった。
映画としては、性転換する麻薬王という題材自体がユニークなのだが、普通の話し言葉が歌に変わっていったり、役者の台詞がBGMとシンクロしていたり、銃器を扱う音がBGMの一部になっていたりと、一風変わったミュージカルとしても楽しめる。
その一方で、誰にも知られず、ひっそりと生きるはずだった性転換後のエミリアが、国外に移住もせず、行方不明者を捜索するNPOを堂々と立ち上げた挙げ句に、資金集めのパーティーを開くなど、わざわざ注目を浴びるようなことをしている様子には、違和感を覚えざるを得なかった。確かに、誰がどう見ても、過去と現在のエミリアは別人だし、いくら、自らの「罪滅ぼし」をしたかったのだとしても、もう少し人目を忍んだ方がよいのではないかと心配してしまった。
彼女の第二の人生が破綻するきっかけとなった「息子たちと一緒に暮らしたい」という願望にしても、どうしても、エミリアの「わがまま」のように思えてしまう。確かに、実の子供たちと別れるのは辛いだろうが、過去を捨て去り、「自分らしく生きたい」と決意したのであれば、そうした犠牲は許容しなければならないだろうし、逆に、あれもこれも叶えたいと望むのは、欲張りすぎのように思えてならない。
それでも、この物語がハッピーエンドであったならば、まだ、スッキリできたのかもしれないが、結局、家族の内輪揉めのようなゴタゴタの末に、主人公が死亡するという結末には、釈然としないものを感じざるを得なかった。
何よりも、オープニングや資金集めのパーティーで、あれだけ金持ちの有力者たちの汚職や悪徳を糾弾していたのに、そうした連中に対して、最後まで「鉄槌」が下されることがなかったのは、物足りないとしか言いようがない。

