「イマドキの若者の恋愛事情っぽさが滲み出る、自己愛と承認欲求のせめぎ合い」傲慢と善良 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
イマドキの若者の恋愛事情っぽさが滲み出る、自己愛と承認欲求のせめぎ合い
2024.9.27 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(119分、G)
原作は辻村深月の同名小説(朝日新聞出版)
婚活アプリで知り合ったカップルに訪れる試練を描いた恋愛映画
監督は萩原健太郎
脚本は清水友佳子
物語の舞台は、都内某所
ちいさなビール工場を営んでいる西澤架(藤ヶ谷太輔)は、元カノと別れて以来、婚活にのめり込むようになっていた
だが、誰と会っても形式的な会話しか成り立たず、空虚に思えていた
そんな折、婚活アプリを通じて坂庭真実(奈緒)という女性と会うことになった架は、そこでこれまでにない何かを感じてしまう
友人たちに揶揄されながらも、架は真実との時間を育み、そしてお互いの家に行き来するほどになっていた
真実は群馬の前橋から東京に出て英会話教室の事務員をしていたが、彼女の両親は口うるさい人で、架の職業に対しても何かと言ってくるような人たちだった
ある日、架が友人たちとバーで飲んでいると、悲痛な声で真実から電話がかかってきた
それは自分の部屋に人影が見えたというもので、架は慌てて彼女の元に駆け寄った
何事もなかったものの、真実を守りたいと思った架は、「アパートを引き払って、一緒に住まないか」と提案する
やがて二人は結婚に対して前向きになって、婚約をするまでになっていた
映画は、真実が退職することになって、その送別会に向かう夜から動き出す
先に帰宅した架は疲れて眠り、そして、翌朝目覚めると真実の姿はなかった
電話も通じず、誰に聞いても行方がわからない
ストーカー被害に遭っていたことを知っていた架は「誘拐されたのでは?」と警察に連絡を入れても、事件性はないと言われてしまう
そこで架は、彼女の父(阿南健治)、母(宮崎美子)、姉・希実(菊池亜希子)らから話を聞くことになった
そして架は、彼らから「真実の知らない姿」を聞かされることになったのである
物語は、架は真実の家族3人、かつてのお見合い相手の金居智之(嶺豪一)、花垣学(吉岡陸雄)、そして彼らを引き合わせた結婚相談所の小野里(前田美波里)の6人の「証言」を追う架が描かれ、架の友人の美奈子(桜庭ななみ)から「その夜の出来事」を聞くという過程を経ていく
真実に何が生きてそうなったのか、を追っていくミステリーになっているが、物語全体の印象は「紆余曲折を経たラブロマンス」というものだった
タイトルはジェーン・オースティンの「傲慢と偏見」をなぞらえたもので、「自分の好みを譲らないけど、他人(親)には従順な部分を見せる」という意味の言葉となっている
この二つの言葉が同居しているのが現代の若者であり、それが結婚における障害の一つであると訴えている
また、恋愛に対して鈍感で、他人に指摘されないとわからないという部分があり、自分の状態に対する盲目性というものも露見している
そう言ったものを保ちながらも、自己主張が激しく、さらにそれを見ないようにしているという意味もあるように思えた
映画は、婚約者の上辺だけを見てきた架が描かれ、意図せずに点数化されてしまう現実を浮き彫りにする
今のあなたにとって何%=何点という心理テストのようなものは、否定しつつも本質を表しているとも言える
あの時点で100%と言えない理由は何か?
それが恋愛を覆い尽くしている自己愛であるとも言えるのではないだろうか
いずれにせよ、婚活という相手を数値化してから会うというプロセスと、会って感じる感覚の乖離が見える作品で、ピンとくるという言葉をうまく解説していると思う
男女の結婚適齢期の感覚の差も顕著で、「お? 結婚指輪?」と思わせてのネックレスからの落胆は、客観的視点で見ていると「それはダメだろう」とわかってしまうところも切ない
群馬の逃避行中のエピソードも面白くて、どちらも「過去の恋愛を思い出にできていない」というのがあって、その区切りというものは「直接会って話して、相手の気持ちを全身で受け止めてからこそ」前に進むものなのだなと思わされる
ラストシーンでは、言葉を遮ってハグをしようとする架が描かれているのだが、その感覚のズレというものは、いずれ二人に試練を与えるのではないか、と感じた
どこか男は言葉じゃないんだよと刷り込まれてるのかもしれませんね、イヌにわしゃわしゃする様に。女性は必死に言語化しようとする男性に惹かれるのかもしれません(前田美波里先生談 嘘)