教皇選挙のレビュー・感想・評価
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これは神の御心か 権謀術数の結実か
13世紀中期に確立されたといわれるローマ・カトリック教会の教皇を選出する選挙(コンクラーベ)。およそ750年間ベールに包まれてきた教皇選挙を舞台に展開されるローバート・ハリスの同名小説を映画化したスサスペンスに満ちた教会政治ドラマ。
神の御心を祈り求める言葉を唱える教皇選挙で、人間のエゴや権力への執着に人間の弱さが露呈する展開。信仰者に「信仰とは何か」との問いかけているようで動揺させられる。そして予想を超える結末は、現代への神の御心の現れとして作品が提示するクリスチャンへの本質的な問いなのか。真摯な問い掛けとして受け止めるべき作品といえる。
監督:エドワード・ベルガー 2024年/120分/アメリカ=イギリス/英語・ラテン語・イタリア語/映倫:G/原題:CONCLAVE 配給:キノフィルムズ 2025年3月20日[木・祝]よりTOHOシネマズ シャンテほか全国ロードショー。
第一級のミステリー映画であり、しっかり今日性も感じさせる人間ドラマ
本作鑑賞にあたり、タイトルにもなっている「教皇選挙(コンクラーベ)」のことは知らなくても全く問題ない。というより、むしろ知らない方が話の展開にグイグイと引き込まれるだろう。これは、選りすぐりの名優たちの演技とともに堪能する「第一級のミステリー」なのだ。
たとえば、ここでポアロの探偵もの——そう、シドニー・ルメット監督の『オリエント急行殺人事件』などを引き合いに出しても、あながち外れてはいないだろう(ちなみに同作でアカデミー助演女優賞を受賞したイングリッド・バーグマンの役どころは、やや強引だが『教皇選挙』におけるイザベラ・ロッセリーニの立ち位置を連想させないでもない)。
ただし本作に「殺人事件」はない。また「謎」を解くカギ(?!)は「ダイバーシティ」と「寛容性」というのがユニークだ。旧態依然としたヴァチカン内部を舞台に、古典的なミステリー映画の体裁をとりながら、しっかり今日性も感じさせてくれて共感を覚える。
もうひとつ、本作ではヴァチカンという“特異な”社会環境の中で展開する人間関係が圧倒的リアリティをもって描かれるのだが、そこに浮かび上がってくるのは人間の“普遍的な”欲望の一つである「権力欲」というのもまた面白い。
映画の幕開けは、主人公が、急逝した教皇の枕元へ駆けつけるところから始まる。その「現場」に一緒に放り込まれた私たち観客は、おごそかな気分を打ち破るように聞こえてくる不穏な「音」の数々——教皇の印章を取り外すために指輪の台座を叩き壊す音/遺体収納袋のジッパーをジジジと引き上げる音/ストレッチャーへ遺体をドスンと移し替える音/ストレッチャーの車輪が軋む音——によって、暗雲立ちこめるこの先の展開を自ずと予見することになる…。じつに見事な導入部だ。
そんな本作の語り口自体はオーソドックスで、野心的な試みこそないが、作品のあちこちに過去の映画への敬愛も感じさせてくれる仕上がりとなっている。
たとえば——枢機卿たちが宿舎とするカーサ・サンタ・マルタの廊下に並ぶ各室のドアは、どこかルノワール監督作『ゲームの規則』のようだ。また投票会場となったシスティーナ礼拝堂の天窓を破壊する爆発は、フェリーニ監督の『オーケストラ・リハーサル』終盤で突如、轟音とともに聖堂の壁を突き破ってあらわれる巨大な鉄球を思い出させる。さらに最後、主人公が窓から見下ろす中庭の眺めは、シドニー・ルメット監督作『十二人の怒れる男』のラストシーンに描かれた雨上がりの戸外のように、希望と余韻を残すものだ。
そもそも本作の舞台である「システィーナ礼拝堂」と「カーサ・サンタ・マルタ」が、名門チネチッタ撮影所内に再現されたセットだと聞いただけでも、映画ファンの心をくすぐるに充分だろう。
キャストに目をやると、レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、セルジオ・カステリット、ルシアン・ムサマティといった名優、ベテラン勢が繰り広げる演技合戦から片時も眼が離せない。彼らはいずれも人を諭す立場にある枢機卿の役だからやり過ぎは禁物なのだが、ふとした素振りの中にバチバチ火花散らすような気配を漂わせたり、慇懃無礼や逡巡を覗かせて絶妙のひとこと。また、思わぬ伏兵となるイザベラ・ロッセリーニ、カルロス・ディエスの2人にはしてやられた(笑)。これまたお見事。
さて、最後のどんでん返しは、教会組織の内実に鑑みるとあまりに現実離れしており(※決して「教会組織内の現実」が正しいわけではないが)、しかも名探偵みずから事実隠蔽に加担するのであろう展開に一瞬戸惑いを覚えた。が、それに続く、修練女たちの喋り声のこだまする中庭とゆっくり自閉するドアの描写によって、アレは、やがてくる時の趨勢を見据えた映画ならではの「決着」なのだ、とストンと腑に落ちた。
以上、試写会にて鑑賞。上映後の晴佐久昌英神父のトークは実に示唆に富み、「ナルホド!」と何度も頷いた。大感謝。
コンクラーベ×ミステリー
25-037
おっさんだらけの総選挙。
マスターピース
TOHOシネマズの試写会にて。
いや、たいへんな傑作でしょ!アカデミー協会なにやってんだよ!これが作品賞!アノーラも良いけど、アカデミー賞ってのはこういうことでしょ。
主演男優賞もレイフ・ファインズだよ!年食ってきてはじめて出来る最高の芝居じゃん!
コンクラーベという我々から一番縁遠く、社会から隔絶されていると思われるイベントを題材に、これほど生々しく切実な物語が作れるとは!本当に驚いた…
今まさに世界を覆う憎悪の連鎖。宗教が殺人の、虐殺の、動機になってはならないのだという強い思い。ジェンダーも同様。事前には想像できなかったほど射程が長く広い作品だった…
英語・スペイン語・イタリア語に加えラテン語も解説なく飛び交うが、それこそがカソリック教会の広がりを感じさせるし、そこが案外ポイントだったり…
イザベラ・ロッセリーニも良かったし、撮影も美術も良かったが、個人的には劇伴が最高!チェロの響きが最初から不穏だった。
これは間違いなく、マスターピースです…
確信は罪…悩めるローレンス!
それは進化を止め、退化させる。祈っても祈っても祈りは届かない、教会(組織)の腐敗。そんな絶対的男性社会の中で、(未だに!!)何者でもない女性という存在。従来の体制や社会通念にも、疑念に目を向けて改革することの大切さ。でなければ、神が創り給うた人間が人間である意味がない。自分の内側に目を向けて、絶えずこれでいいのか?現実に敗れて妥協していないか?と自問しながら、よりよい自分になるために歩みを止めず進むべきだ。黄は金や富。赤といえば血、そして生命そのものを想起させる色。血液を循環させて、凝り固まった組織の新陳代謝を上げる。
この思惑や陰謀渦巻く知略戦が展開される密室劇(※厳密には違う)ミステリーで、主人公ローレンスは苦悩し葛藤する。同じ展開が繰り返されては(一人目の罪が決して許せない!!)、疲れた顔のレイフ・ファインズが、益々疲れて果てていくコントみたい…という冗談はさておき、子供の頃に観たラングドン教授シリーズ『天使と悪魔』で存在を知って、興味をそそられたコンクラーベというニッチな題材を描きながら、現代社会・世界を映し出すような力作になっていて、見応え十分だった。
女性、多様性。今年は『ノー・アザー・ランド』に『ブルータリスト』の人種間や終わることのない宗教対立・戦争、『エミリア・ペレス』の性転換、そしてアカデミー賞を圧勝した『ANORA』のセックスワーカーという女性性と、今の社会を映し出すテーマや要素を含んだ作品が並んだラインナップだったと思う。そのいずれも米大統領選挙を待たずに製作され、本国や映画賞では公開された作品ばかりだろうが、トランプ大統領誕生によって、予見していたかのように一種の必然性をもってこの暗い時代と共鳴するようだ。
「私は教皇を選出する」― 監督エドワード・ベルガー ✕ 脚本ピーター・ストローハン ✕ 原作ロバート・ハリス = 恐ろしいほど手際よく、どこか緊張の糸が張り詰めるように美しい撮影によるバチボコにキマった画と編集、素晴らしい音楽によって語られる本作は、今の時代に間違いなく必要だ!! キャストもスタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、そしてイザベラ・ロッセリーニと錚々たる重鎮が顔を揃えて、スリリングな共演・演技対決を披露してくれる。
勝手に関連作品『2人のローマ教皇』『ダウト』
まさに密室サスペンス
ずっと選挙してた
脚本が良くできてて面白かったです。まるでサスペンスを見ているようでした。
いやあ、脚本が良くできてて面白かったです。まるでサスペンスを見ているようでした。
カトリックの総本山ローマ教皇が亡くなる。次の教皇を選ぶ為世界中から100人の候補者がやってくる。選挙を取り仕切るのは自分は教皇には向かないと自認する枢機卿。有力なのは4人の候補。そして亡くなった教皇が指名したメキシコの候補者。彼は自らの危険も顧みず紛争地帯で布教を続けた人物だ。果たして皆が納得出来て過半数の指示を得る教皇は誰なのか?
やがて4人其々に問題があることが枢機卿により次々と暴かれていく。 まるでショーン・コネリーの『薔薇の名前』を彷彿とさせるような珠玉のサスペンスでドキドキはらはら目が離せない。凄く面白かったです。
枢機卿を演じたレイフ・ファインズがこれまた凄く良かったです。教皇を決めなければならないという重責に悩む男を上手く演じていました。流石の演技で主演男優賞ノミネートも納得です。ラストの枢機卿の言葉に唸りました。考えさせられます。本当に良くできた脚本。面白かったです。
人間ドラマとして見応えあった、ローレンスの悩む顔がたまらん
無信心者な私、組織には怪しさを覚えるがどんな宗教でもマジメに信仰している人は尊敬する。そんな組織と信仰(信念)のせめぎ合いを垣間見ることが出来た。キリスト教、とても一口で言い表せない世界なのだろう、その最高峰の教皇をめぐる思惑を少し引いた視点での描写に惹かれた。リスペクトベースの作品と思うのでラストは新鮮だったがいま風かな、あれ以上ドロドロにすると普通の政争や権力争いになってしまうギリギリのところなのかも。
もっと伺いしれない最深部への踏み込みや巨大組織の持つ権力と影響力、猊下たちの暮らしも見てみたかった、TVドラマなら少なくても前後編出来たのになぁと残念。
機内鑑賞ですが1.5回見ました😅各枢機卿は年齢からしても名優なのかな、ローレンスは惹きつけられたが、前半から光る脇(教皇の死を発見した人とか)もたくさんいて久々にドラマで見入りました。また映画館で見たい。
煙に巻く神の儀式
①【観賞前の雑感】
日本未公開。
カナダ在住の「ゆ〜きちさん」のレビューで本作の存在を知りました。
未鑑賞ですが、前売り券を買っておきたいくらい興味津々です。
宗教の神聖性を守るためには
コーディネーターが要るのです。
ちゃんと“マニュアル”があるのです。
「外界とは遮断して、部外者には秘匿すべし」。これですね。
世界中どこの宗教も一緒ですね。
隠せば隠すほどに おごそかで、ありがたみが増えるのですから。
日本でも皇居で深夜に執り行われるあの大嘗祭とか、同様ですし。
「絶対に見てはいけない」神の儀式の常道。
でもその中を覗いてみたくなるのが人情というもので、
野次馬たちの好奇心を掻き立てるから、こんな地味な映画でありながら欧米では爆発的ヒットなんだとか。
「煙の色のおはなし」は黒澤明の「天国と地獄」のあの煙を思い出します。
煙=温暖化や有害物質ダイオキシンの大気圏内放出だって?
大丈夫。バチカンは孤高です。
国連にもCOP25のパリ協定にも加盟していません。
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②【観賞を終えてのレビューです】2025.3.23.
やっと劇場で観賞。
蓋を開けて見れば
システィーナも、我々の生きるこの社会も、まったく一緒だった、という事なのですね。
そもそもですが、
「初代=第1代目の教皇」ペテロという男が、どんなエピソードを有する人物であったのか・・
それを知っていれば、本作に描かれた教皇制度の成り立ちも、次代へのバトンタッチの内情も、すべて驚くことでもないのです。
福音書でイエスは述べている
「”第1代教皇“とカトリック教会によって後日認定された12弟子の筆頭=シモン・ペテロ」に対して、イエスは何と告げていたか ―
「あなたが立ち直ったときには〜兄弟弟子たちを励ましてやりなさい」
(ルカによる福音書22章32節〜34節)
「先生、先生、お願いします、自分だけを弟子のトップに据えて下さいよ」とイエスにこっそり頼んでいた弟子のシモン・ペテロその人が、
実はニワトリが鶏鳴したその晩に( =十字架の瀬戸際に)、最もみっともない姿で裏切り行為をなしており、彼は官吏に捕まれた途端に上着を脱ぎ捨ててまで、裸で逃亡していったという有様が
聖書本文には赤裸々に明かされているのです。
すなわちその第1代教皇は目立ちたがり屋であり、かつ棄教者であり、抜け駆けを働いたにも関わらず嘘をついて逃げた「弱き男」であったのだと福音書自体が暴露している。
⇒教会のリーダーの恥の歴史。そこを包み隠さずに晒すところが、聖書の面白さなのですねぇ。
また、この「コンクラーヴェ」が「投票」(くじ)によって成り立つ歴史的根拠としては
◆旧約聖書では、箴言16章33節「人はくじをひく、しかし事を定めるのは全く主のことである」。
◆新約聖書では、使徒行伝 1章23節〜
[23 ]そこで彼らは、バルサバと呼ばれ、またの名をユストというヨセフと、マッテヤの二人を推薦した。
[26] そして、彼らのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たった.そこで彼は、十一人の使徒と共に数えられた。
― このあたりが始まりかと思われます。
イスカリオのユダの自殺のあと、人員の補充のために「コンクラーヴェ」が行われているのです。
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折しも
266代フランシスコが危篤状態にあり、
「自発呼吸が戻った」と報じられたりしている最中での劇場観賞となりました。
(ググればわかりますが、このご本人については脛に傷持つ御仁として、黒い疑惑もかけられているんですね。あのペテロと同類なのです)。
その現 266代フランシスコ教皇は、
カトリック教会の組織の中では、最大派閥フランシスコ会からの登用ではなく、初のイエズス会出身の教皇なのだ、とのこと。
「派閥の会長を選ぶ選挙」は、どこかの国の党総裁を選ぶ根回しとか、思惑のゴタゴタとか、密室での裏取引とか、10万円の商品券とか・・
これは古今、どこも変わらないのだなと云うのが僕の感想でした (苦笑)。
“幹事長”として選挙を取り仕切る首席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ) の苦悩には、共感しきりでした。素晴らしい演技です。
けれどもドラマの結末として
《群れの中で一番弱くて、代表(=教皇)としては最もふさわしくない人間をば、イエスは敢えて選んで指名して、リーダーとして立てたのだ》という事実。
108人の枢機卿たちの人となりのすべてが《そこ》に当てはまる。
どこにも聖人など居やぁしない。
― 《この故事》があのコンクラーヴェの原点なのだと理解すれば、2025年のバチカンの“すったもんだ”も、そして2000年前のあの12弟子の わちゃわちゃも、愛らしきもめ事として見えてくるから、楽しいし、何だか身近に思えてくるから、
僕たちもちょっと安心もするというものです。
(ただしシモン・ペテロの名誉のために付け加えておきますと、猪突猛進な彼は、後にローマで捕縛されて、処刑されるに当たっては「私はキリストと同じ形では畏れ多い」と自ら申し出て、逆さ十字架で殉教したのだと伝説で伝えられています。絵はミケランジェロ他)。
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③【そして、もう一度、煙について】
やはりあの煙は印象的ですね。
僕は今月、とても若い従兄弟を二人、一週間違いで立て続けに亡くしました。悲しみに暮れていた月の始めでした。
故に、あの「煙」は人の終わりの光景なのだと、煙突を見あげながら僕は思っていたりもしたものです。
「バチカンの煙」は、白だろうと黒だろうと、「新しい教皇の誕生のサイン」ではあるけれど、しかし紛れもなく「先日誰かの命が終わった事のしるし」。
新教皇の誕生よりも、誰かの死去について、気がつくと、スクリーンを観ながら思いを馳せていた映画の時間でした。
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