教皇選挙のレビュー・感想・評価
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選挙強行
ローマ法王描く映画別に特別好きな訳ではないのですが、結構見ている
現教皇様が一時容態が悪かったので現実とシンクロするかとひやひやしました(現在は容態安定)
次の教皇選挙なのにまるでポリティカル、スパイミステリーのようでした そしてとても大変な手続きなのですね、きっと大昔から変わって無いのでしょう
レイフ・ファインズの苦悶の表情と音楽が更にスリラー風味助長
黒人やらアフガニスタンやらえらく最近のポリコレ満載だなと思っていたらやっぱり...とはいえ多様性が一番そぐわなそうな所で意外な結末中々面白かったです まさかの亡くなった教皇の思惑通りだったのかな?
現実はベリーニ 結果はどうあれ予見となった
ぷはーっ!!やっぱシャバの空気はうめぇ~なぁ!
もうね。観ているこっちが胃がキリキリしてくるわ。
いくらフィクションとはいえドアの向こうは知り得ない世界。
だけど生々しい欲望と執念が渦巻いてドロドロな世界。
ある意味見えないものは見えないのが幸せな事もあるもんさ。人の心も物事も。
専門的な用語も出てきますがスクリーンの前であなたも根競べをしてみませんか?
保守vs多様性
こんなことを書くと「またかよ」と叱られそうなのだが、2024年に公開された○○賞狙いの映画の多くが、いかにトランプvsハリスのアメリカ大統領選挙に注目していたかがよくわかる。くしくも現在病状悪化で危篤状態が続いている、バリバリのグローバリスト=フランシスコ現ローマ教皇をモデルにしているようにも思えるが、本作は間違いなく“コンクラーベ”の姿を借りた、(マスゴミがなぜか極右と形容する)保守とグローバリズム(多様性)こそ正義と“確信”しているリベラルの争いを描いている1本だ。
聞けばこのフランシスコ教皇、DSべったりのグローバリストであり、2020年のアメリカ大統領選挙でもめた際も文句タラタラのトランプに対し、コロナ禍を理由に早急に(バイデン勝利の)結果を受け入れるべきとのコメントを残しており、どちら側なのかは火を見るより明らかだ。本作においてそんなリベラル派代表の枢機卿を演じているのがフランス人枢機卿ベリーニ(スタンリー・トゥッチ)であり、そのベリーニおしの主人公ローレンス主席枢機卿(レイフ・ファインズ)なのだ。
序盤はアフリカ系の枢機卿がトップ得票率を稼いでいたが、性犯罪スキャンダルが発覚してリタイヤ。それを画策したことがバレた野心家のトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)も教皇レースから脱落する。ベリーニはどうも政治家から買収されたようで教皇になる気などまったくなく、コンクラーベをしきっているローレンス主席枢機卿とイタリア人保守派枢機卿テデスコの一騎打ちになりそうな展開へ。そこに現れた意外な人物....
派手なアクションもないけれど、120分飽きずにみせるドイツ人監督エドワード・ベルガーの実力は本物だろう。私は前々作の『ぼくらの家路』を拝見しているのだが、ワン・シチュエーションながら濃密に見せる技術に長けた監督さんのような気がする。本作のすべてのショットが、バチカンのシスティーナ礼拝堂(多分セット)とそれに隣接した宿泊施設のみで撮られており、無駄な製作費をかけていないDOGEも納得の緊縮予算作品なのである。
バチカンの近くで起きたテロ事件を引き合いに出して、「お前ら(リベラル)があんな奴ら(移民)を国内に大勢いれたりするからこうなるんだ!」と吠えるテデスコはまるでトランプやヴァンスを見ているかのようで、そのテデスコに「恥を知れ!」と逆ギレするベリーニなのだがどうも迫力に欠けている。現実世界の選挙が保守優勢に傾いていることを既に知っている我々が観ると、ベリーニやローレンス、そしてダークホース○○○○の演説はやはり綺麗事を並べ立てているようにしか見えないからである。
保守もリベラルもお互いやり過ぎるとウクライナやガザのような戦争になるわけで、ほどよいバランスを保っているのがおそらく“平和”という、人間が最も心地よいと思う状況なのだろう。しかし、インフレやデフレの際の金利や国債発行の適正値同様、どこが“ほどよいバランス”なのか正確なところは誰にもわからない。マスゴミが自陣に有利な統計値を捏造しても何のおとがめもない現代社会において、我々はただ“神の見えざる手”にすがるしかないのだろう。
※ラストシーンの意味がよくわからなかったのですが、監督インタビューによるとどうもこういうことらしいのです。
①移民の起こしたテロによって、女性を排除した家父長制的コンクラーベ会場の“ガラスの天井”に亀裂が入る。
②その亀裂を、イザベラ・ロッセリーニ扮する女性給仕長がさらに大きく広げる。
③多様性の象徴ともいえる新教皇の誕生で、亀裂から光がさしこむ。
④その光に導かれるように、半開きの扉から肌の色の異なる女性修道女たちが解放される。
なるほど、男ばかりのフェミニズム映画だったんですね。
今回は邦題の方が良かった。
亀
アカデミー作品賞を逃した理由
【アカデミー賞作品賞を逃し、脚色賞受賞の理由】
端的に言うと、
出世争いと聖なる世界、
両立していたら歴史的名作になっていた。
理解はできる、聖職者も人間、
それが狙い。
でも、もったいない。
以下蛇足。
宗教的テーマを扱いながらも、
そのアプローチが非常にユニークであり、
これまでにない視点で聖職者たちの物語を描いている。
この映画で思い出されるのは、『薔薇の名前』だ。
あちらもまた宗教的な背景を持ち、
聖職者がスクリーンいっぱいに埋め尽くされ、
荘厳な美術と厳粛な雰囲気を活かしてエンターテインメント性を保っていた。
14世紀の宗教的世界観ベースのキリスト教世界と、
21世紀の科学的世界観ベース(現実はテロやメディア、SNS対応)のキリスト教世界の矛盾を作品全体で背負えるのか。
しかし本作はその逆を行っている。
宗教的象徴や儀式を意図的に排除し、
聖職者たちを身近で人間味溢れる存在として描いている。
それが本作の狙いの一つであり、
聖職者という人物たちが聖なる存在である前に一人の人間であることを強調している点が、物語に新たな奥行きを与えている。
物語の舞台がコンクラベ(教皇選挙)の閉ざされた空間であるため、
伝統的な聖なる壮大な建物や荘厳な儀式が描かれることはなく、
代わりに日常的なシーンが強調される。
例えば、
スマホを操作する枢機卿、
没収されるiPad、
さらにはエスプレッソマシンの音までもが重要な要素として強調される。
これらの世俗的な要素が映画にリアルさを与え、
聖職者たちがどれだけ世俗的であるか、
またその生活の中でどれほどの人間的矛盾を抱えているかを浮き彫りにしている。
このように世俗性が強調されることで、
主人公であるレイフ・ファインズ演じる枢機卿の〈祈り〉に対する不信感が一層深まる。
その内面的な葛藤は、彼の精神的迷いをより強く感じさせる。
というような、
この映画が伝えたかったメッセージは理解できるものの、
物語の全体像、
特に「宗教」というテーマをより深く掘り下げるためには、
もう少しロングショットや象徴的な引きの絵が必要だったのではないかとも思える。
聖職者たちの権力闘争や内面の矛盾を描くために、
もっとシンボリックな場面があれば、物語の深みが増し、
視覚的なインパクト、
セカイ系的な示唆も強化されたであろう。
システィーナ礼拝堂に全てを押し込んでいる功罪でもある。
ラストの展開が予測可能であるという点も否めない。
しかし、その予測可能性にも関わらず、
物語の本質はラストの展開だけではなく、
登場人物たちが繰り広げる細かいセリフの積み重ねにある。
この小さなセリフの積み重ねが、
物語の中にある微妙な人間関係や内面的な葛藤を浮き彫りにし、
視覚的な演出よりも、むしろ心に深く残る。
登場人物のセリフが何気ない瞬間に意外な意味を持ち、
観客に感情的なインパクトを与える。
そして、最終的にあの枢機卿が教皇に選ばれる展開には、
物語としてのカタルシスが感じられる。
枢機卿が教皇にふさわしい人物であることを納得させるに足る、
内面の描写もなされており、
ただの消去法的な選択ではなく、
名実ともに教皇にふさわしい人物、
教皇の在り方への問題提起であることが示される。
その過程こそが、この物語の核心であり、
聖職者としての人間らしさを強調することで、
テーマの深さがより際立っている・・・
であれば、という所だ。
本作の狙いとして、
聖職者の人間性を描くことは理解できる。
しかし、その中で教皇選挙という大きなテーマをより象徴的に描く方法、
あるいは映画全体のトーンをもっと引き締めるための視覚的な手法があれば、
物語の深みがさらに増したことは間違いない。
もちろんそれは検討したうえで選択しなかったのだろう、
その辺りが作品賞を逃した理由なのかもしれない、
あるいは、
撮影はしたが編集で落としたのかもしれない、
全方位的に忖度をするとやむを得ない判断かもしれない、
その辺りが作品賞を逃した理由なのかもしれない。
それでも、
小さなセリフの積み重ねやキャラクターの微細な描写が、
最終的にこの映画の力強さを生み出しているのは、
脚色賞受賞の理由のひとつだろう。
イザベラ・ロッセリーニをキャスティングするという事は、
グッジョブをさせるという事・・・は納得。
赤と白、の中は黒
今年度のアカデミー賞関連では一番注目していた作品。
あらすじもだけどポスターなどのビジュアルが、ただならぬ事が起きそうなくらいに赤くて圧倒的に好き。
エドワード・ベルガー監督の過去作『ぼくらの家路』も、なんだかやんごとなき映画だった。
作中でも、枢機卿たちの衣装をはじめタブレットの縁だったり、壁の腰見切り(初めて知った名称)だったり、細かいところにまで赤が使われている。
爆発後の額の傷にまで血の赤を差し色にするとは気が利いてる。
目を引く色使いや緊迫感のあるアングルがちょっとデパルマっぽいかなと感じた。
聖職者とはいえ人間だし、以前には児童性虐待のニュースもあったから特段に驚くこともなく、むしろ教皇になるための蹴落とし合いがなかなか底意地が悪くて、もっとやり合えと楽しめたし、不穏な空気を煽るような弦楽器の音楽も良かった。
仕切り役に徹していたローレンスが、一瞬だけ野心を見せたところもなかなか良いアクセントになってる。
クリスチャンではないから、結果が教皇庁的にOKなのか分からないし、しれっとポリコレねじ込んだような素性にモヤっとしてしまったのが少し残念で−0.5。
イザベラ・ロッセリーニは年取っても綺麗だし、ジョン・リスゴーは年取っても顔面の圧がすごい。
結末に驚きを隠せない
manage. 割と冒頭でローレンス枢機卿が呟く言葉 妙に印象に残...
manage.
割と冒頭でローレンス枢機卿が呟く言葉
妙に印象に残っていた
管理する、以外にもニュアンスはあるわけだけど、
後半に向かう中で、本当にmanage.だな、これは
と思わされる
あらゆる意味でのmanage.
宗教の世界とはいえ、やはり政治色は消せない
ましてや、教皇ともなれば
私利私欲などとは、離れた場所にいる存在、と思いたいところだが、私利私欲しかない、むしろ
そりゃ生きて社会に属する人間だから仕方ないわけだが
そんな私利私欲、様々な人々の思惑が渦巻く中、次期教皇を決めるコンクラーベが進行していく
シスターたちの立ち位置、見えない存在
だが、絶妙なタイミングで、神がお与えになった目と耳が発揮される
よく考えてみれば、これでもかという男社会
その中にいる彼女たち
そして、思いがけない、予想もしてないラストだった、私にとっては
え?そうなるんだ…
ええ??そのエピソードいる???
だけど、そのエピソード、いるんだな
こうして感想を書いてみれば、そう思える
ただ、コンクラーベの投票用紙を燃やす意味と、煙の意味を知らないと、少しばかり伝わらないかもしれない、と思うシーンもあった
そもそもがっていう─
想像の上を行く結末に驚く
自分的には物凄く面白かったのですが、原作があるのでしょうか?
何となくウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を思い出しました。
カトリック教会に詳しくなくても全然楽しめる密室?ミステリーですが、ヴァチカンが現在抱えている問題や現教皇のリベラル改革の内容くらいは知っておくとより楽しめるのではないかと思いました。
当たり前ですが、リベラルと伝統の維持は相反するため、あまりに革新的であってもそのバランスを崩すことになり塩梅が非常に難しいのですが、あってはならない事の徹底排除、過去のあやまちの清算、多様性の受け入れ辺りは世界中に信者を抱え、世界に影響力を持つ大規模なカトリック教会であるがこその課題なのかなと思いました。
ただ本作ではリベラル派であっても受け入れるには相当の覚悟が必要と思われる結末であり、それを知った時の驚きはローレンスと同じくらい衝撃を受けw、つい声が出そうになってしまいました。
レイフ・ファインズ演じる主席枢機卿ローレンスは自身も候補の一人であるにもかかわらず管理人としてコンクレイヴ中は中立でいなければならず、一方で尊敬する前教皇のリベラル改革は引き継ぐべきと考える難しい役どころでしたが、意外や意外、妙なリアリティを感じる事ができ、役者の演技力と脚本の巧さが光りました。
あまり事前情報があると面白く無くなるので控えますが、観て損はない映画だと思いますのでおすすめです。
頭ぶん殴られたような衝撃的な結末。これだけはゼッタイネタバラししちゃ駄目。
念のため、書いておきますが、おそらく演出効果を狙ってわざとカットされているようだけど、コンクラーベの結果、教皇が決まると、システィーナ礼拝堂の煙突から白い煙が出ることになっている。だから最後のひとつ手前のシーンでローレンスが空を見上げるショットがあるけどあの時彼の目には白い煙が映っているはずです。
そう、新教皇は決まります。
作品としては、前教皇が亡くなったあとの教皇選挙で、候補者たちの権謀術数の限りが展開されるというか、選挙管理者であるローレンスの身辺確認との争いが描かれている感じ。でも候補者たちが皆、小物というか、あまり魅力的でないのですね。だから映画が進むにつれて、だったらあの人じゃないか、みたいな予測ができて、結果、そのwhoっていうとこは予想通りになるんだけど。
最後の最後に驚天動地の仕掛けが用意されてました。(伏線はある)
ともかく観て!ビックリはするけど後味もそんなに悪くないです。
なかなかでした。(少なくとも主要な候補者の顔と名前は確認してから見た方がいいですよ)
最後の予想はついたつもりで見ていたら、ビックリ!
途中まで、顔と名前が一致せず、退屈でした。
日本人なら「根比べ」と聞こえてしまいますよね。でも、全然「根比べ」な話ではありませんでした。強いて言えば「眠気との根比べ」。
追記(ある記事を読んで)
「私に息を飲むような驚きを感じさせた結末は、もしかするとある人々を傷つけているのかもしれない」ということに全く気づいていなかった。ある記事によってその視点を得ることができ、自分の思慮のなさを痛感した。
追記の追記(追記の「ある記事」について)
映画『教皇選挙』レビュー世界最古の家父長社会を舞台に「民主主義」を問う2025.3.20 の「編集者注記」の部分
さらに追記
2回目の鑑賞。人物関係もわかった状態でみたら、理解や感動が深まるかなあと思って見たのだが、そうでもなし。自分としては、この映画で得られたこと以上に「追記の追記」で紹介した文章の方が自分を深めた気がした。ぜひ、あの文章を、自分と同じようにこの映画の結末に驚き感動した人に読んで欲しい。
凄い権力なんでしょうね〜
どんな恥ずべき手段を取っても、男でも女でも手に入れたい・・知らんけど。
映画としては、序盤から思わせぶりな音楽を使い過ぎで最後の衝撃が薄れてしまった。あと選挙のシステムをアニメか図解で説明してほしかった。
教皇にふさわしいのは誰だ!?
たくさんの仕掛けがある作品で、色抜き文字の解釈で論争が起きそうな気配がありますね
2025.3.26 字幕 TOHOシネマズ二条
2024年のアメリカ&イギリス合作の映画(120分、G)
教皇の死によって選挙が行われるシスティーナ礼拝堂内部の内紛を描いたミステリー映画
原作はロバート・ハリスの著作『Con clave(2016年)』
監督はエドワード・ベルガー
脚本はピーター・ストローハン
原題の『Conclave』は「教皇選挙」のこと
物語は、バチカンにて教皇(ブルーノ・ノヴェリ)が亡くなるところから紡がれる
第一発見者のヤヌシュことウォズニアック大司教(Jacek Koman)が部屋を訪れた時にはすでに亡くなっていたが、そのことはトレンブレ枢機卿(ジョン・リズゴー)によって口止めされていた
トレンブレは教皇が亡くなった当日のスケジュールを洗い出し、不審な動きがなかったかを調べていく
主席枢機卿のトマス・ローレンス(レイフ・ファインズ)は遅れてそれを知らされることになり、悲しむ間もないままに、教皇選挙の管理人として動き出さなければならなくなった
彼には右腕的存在のレイことオマリー大司教(Brían F. O’Byrne)がいて、彼はトランブレに関する何かを握っていた
教皇が亡くなった3日後にコンクラーベが行われることになり、108人もの枢機卿がシスティーナ礼拝堂にやってくる様子が描かれていく
彼らは近くにあるマルタの家にて寝泊まりすることになっていて、そこの管理はシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)が任されていた
有力とされているのは、ローレンスの親友でもあるリベラル派のアルド・ベリーニ(スタンリー・トゥッチ)で、彼は保守派のテデスコ(セルジオ・カルテリット)を敵視していた
他には穏健保守派のトレンブレと、アフリカ系初の教皇となるアディエミ(ルシアン・ムサマティ)も有力視されていた
物語は1回目の投票を終え、レイがトランブレの疑惑についてローレンスに話すところから動き出す
レイは、「トランブレが教皇に会った最後の人物だったが、そこで解任を言い渡されていた」と言う
事の真相を確かめるべくローレンスはトランブレに問いただすものの、彼は強く否定し、会話の内容はプライベートなものだったと言い張る
その後、2回目の選挙後の食事にて、アディエミ派たちが座っていたあたりで騒然とした一悶着が起こってしまう
ローレンスはシスター・アグネスに尋ねるものの、修道女の問題はこちらで解決すると突っぱねられる
だが、選挙に必要な情報だと確信するローレンスは、アディエミとの間に何かが会った修道女シャヌーミ(Balkissa Souley Maiga)から話と聞くことになった
そして、ローレンスは事態を重く受け止め、アディエミに候補から外れるように言い渡した
物語は、誰が時期教皇に相応しいのかを選んでいくものだが、大きく分けて3つのグループが派閥争いをしていた
ベリーニを担ぐリベラル派、ムスリムとの衝突も辞さない保守派のテデスコ派、そして、何としても教皇になりたいトレンブレは裏工作をして、複数の枢機卿を金で買収していた
さらに、シャヌーミをバチカンに来させた張本人であることがバレて、トレンブレは失脚してしまう
そして、ベリーニは周りが思うほどに自分には人気がないことを悟り、ローレンスに対して教皇になるように働きかける
だが、ローレンスが投票用紙に自分の名前を書いて投票しようとしたその時、事件が起きてしまった
それは、近くの広場にて自爆テロがあり、その影響で、システィーナ礼拝堂の天窓が割れて、辺りはガラス片とチリに塗れてしまったのである
この事件によって、保守派のテデスコは宗教戦争を高らかに宣言するものの、戦地での布教経験のあるベニテス(カルロス・ディコス)は、一連の選挙騒動にて、教会は自分のことしか考えていないと断罪するのである
映画は、劇中の呼び名とエンドクレジットの名前が違うと言うキャラが複数いて、人物相関がかなり難解なものになっていた
ローレンスはトマス、猊下と呼ばれ、ベリーニはアルドと呼ばれている
さらに第一発見者はヤヌシュと呼ばれているが、役名はウォズニアックだし、ローレンスの右腕のレイは役名はオマリーだったりする
このあたりをさっと理解できる人は、相関図に悩むことはないと思う
映画のラストは、新教皇にまつわる秘密のお話だが、さすがにネタバレレビューでも書きづらい内容だと思う
それは冒頭のローレンスの説教のアンサーになっていて、多様性とは何かをもう少し掘り下げていく必要がある、と言うメッセージがあった
ローレンスの中では、多様性を受け入れる覚悟を持っていたが、それ以上の多様性というものが登場し、狼狽する様子が描かれていく
さらに、その事実は前教皇も承知の上で聖職者として認めている部分があるのだが、前教皇の進言を誤りだと考えて、ありのままを選択することになっていた
「これも私」というのは言い得て妙というもので、生まれながらにして生まれる多様性と、後天的に派生する多様性の違いというものを色濃く対比する構造になっていたのだと思う
宗教、肌の色、思想信条などのあらゆる多様性受容の中にありつつ、それを超えてしまうもの
それを新教皇は神から与えられていた、というのである
いずれにせよ、なぜかお客さんがたくさん来る映画で、ほとんどの席が埋まっている状態で2回観ることになった
日本人受けするとは思えない内容とテーマだが、それでも口コミやメディアの宣伝で拡大上映が起こっている
また、冒頭とラストのスタッフ&キャストロールにて、「文字の色抜き」というものがあって、それが新たな考察を生んでいた
ググっても正解らしきものは出ないのだが、冒頭のスタッフロールでは「I(私)が5回」登場し、これは「次期教皇候補5人(ベリーニ、トランブレ、テデスコ、アディエミ、ローレンス)」のことを指していると思う
エンドクレジットでは合計27文字「INOUAXINXOIN IOTíDTNaIVMAIN&」が登場するのだが、枢機卿の役柄で「色抜きにならないのはベニテス役のカルロス・ディエゴだけ」だった
CARLOS DIEHZはレイ役のBRÍAN F. O’BYRNEと併記になっているが、ここで使われる「I」は「Í」となっていて、このあたりにも意味があるのだろう
それが何なのかは色々と解釈があると思うが、個人的にはレイの持つ情報が選挙を左右し、彼にアキュートアクセントの「Í」があることからも、それを強調しているように思える
カルロスの中にある「I」をあえて色抜きにしていないのは、彼自身は「I」の人ではないということの表れだと思うし、冒頭では先頭のIを色抜きにしつつ、エンドクレジットでは先頭の文字は一つも色抜きになっていない
このあたりに、選挙を通じて変化した教会というものを示唆しているのかな、と感じた
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