教皇選挙のレビュー・感想・評価
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単純明快なミステリー
もう少し重厚なミステリーだと思ったのですが、予想に反して単純明快なエンタメ作品でした。
わかりやすくてよろしい。なかなか楽しめました。結末も好みです。
最後はきっちり感動しました。
色づかい(赤と黒や、白と黒)や、息づかいの音が印象的。特に息づかいはいい音のシアターで観たのでより臨場感がありました。
画がとても美しく、ヴァチカンを訪れたくなりました。
映画は現実を描く
昨秋の全米公開時から気になっていた。
時期ローマ教皇を選ぶ選挙“コンクラーベ”。
『天使と悪魔』などでも描かれた事あるが、ここまでがっつりメイン題材になる事はそうそう無い。
そこに、陰謀や思惑交錯するサスペンス・ミステリーとしてエンタメ性もプラス。
同じく宗教題材のダン・ブラウンの一連のシリーズを彷彿。まああちらは映画の出来映えは…だったけど。
アカデミー賞にもノミネートされ(脚色賞受賞)、品質は保証付き。
しかしこういう作品って、なかなかにヒットに結び付き難い。殊に宗教に馴染み薄い日本に於いては。
“コンクラーベ”を“根比べ”と大喜利みたいな語呂合わせでしか覚えて貰えず、どういうものか関心持たれぬまま、一部の映画ファンや通好みの間だけの話題で終わり、興行収入も数億程度だった事だろう。
現実世界でタイムリーな事が起きた。事態に対して不謹慎な言い方かもしれないが、奇跡的な事が起きた。
俄然、話題と注目の的に。映画は時に現実を描く。
じわじわロングランヒット。興行収入もこの手のジャンルにしては大健闘の10億円を間もなく越え。
公開前、本作がまさか実写版『白雪姫』よりヒットするなんて誰が思っただろう…?
現実世界でも全く同じ事が起きたので、あらすじは割愛。
あらすじをいちいち説明しなくてもいい事が現実でタイムリーに起きるなんて、本当に驚きとしか言いようがない。
『天使と悪魔』などを見て少しは知っていた事も。
コンクラーベが始まると、集まった司教たちや新教皇候補者たちはバチカンの礼拝堂の地下に籠る。
外部とのコンタクトは一切遮断。新教皇が選出されるまで、選挙は繰り返し行われる。
遂に新教皇が決まった時、礼拝堂の煙突から投票用紙を燃やした煙が…。
それが合図で、世界14億人以上と言われるカトリック教徒歓喜の瞬間。
今回ニュースでも速報され、TVなどを通じて、映画の公開と話題もあって、リアルと感慨深さを感じた人も少なからずいただろう。
現実世界では厳かに、格調高く。
映画ではリアルさを追求しつつも、映画ならではの面白味も。
首席枢機卿のローレンスはコンクラーベの仕切りを任される。
自分は教皇の器じゃない。仕切り役に徹し、旧知のベリーニ枢機卿を推す。
集まった新教皇候補者たち。神に全てを捧ぐ人格者たち…と思いきや、一人また一人に黒い噂や欲が発覚する。
前教皇の死が免れぬと知るや、方々に賄賂を渡して根回し。
ある者は性的スキャンダル。聖職者ともあろう者が…!
リストに名前が無い飛び入り参加の者。
波乱の選挙が始まる…。
派手なシーンは一切無い。唯一、静寂を突き破るようなある爆破シーンはびっくりしたが…。
重厚な映像、厳かな美術や衣装、編集も音楽も緊迫感を終始孕む。
映画は全編ほぼ“コンクラーベ”。見る我々も一緒になって礼拝堂に籠ったかのようで、息詰まるシークエンスは先日見た『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』の原潜内シーンとは桁違い。
『西部戦線異常なし』とは全く異なるジャンルながら、エドワード・ベルガー監督が連続ホームランの名手腕。2作連続でアカデミー作品賞ノミネートなのに、自身は連続で監督賞ノミネート落選なんて嘘でしょ!?
ハリウッドではVFXを多用した大作が、日本では若者向けのアニメーションやTVドラマ映画化やコミック実写化が人気の昨今。これぞ大人の鑑賞に耐えうる“映画”。
それには名優たちの名演が必須。
レイフ・ファインズの醸し出すオーラ、歳を重ねた渋さ、枢機卿姿もばっちり、風格に存在感に演技力と、何もかも申し分ナシ!
スタンリー・トゥッチの巧助演、ジョン・リスゴーのクセ者感。出演時間は僅かながらイザベラ・ロッセリーニのインパクト。
これぞ“映画”であり、名アンサンブル。
新教皇はなかなか決まらず。
各候補者たちの裏の顔やスキャンダル。
教皇に相応しい者は…?
こうなってくると、“野心”というものが芽生えてくる。
あくまで表面には出さず。変わらず仕切り役に徹して。
が、虎視眈々と。何度目かの選挙で、投票用紙に書いた名前は…。
厳粛なコンクラーベ。その腹の底で、各々がこんな思惑や野心を秘めているかと思うと…。
途端にどんよりしてくる。
が、遂に選出された新教皇は意外な人物であった…。
それまでほとんど目立たず。
唯一と言えば、飛び入り参加のイレギュラー。
しかしちゃんと、前教皇から認められて。
終盤、皆が激しい口論。お互いを責め合い、罵り合い、野心や欲が飛び交う。
司教も人間。人の子とは言え、これが崇高たる司教の姿か…。
そんな中、司教という職、在り方を真摯に問う。
それは皆を動かした。
異論も少なからず出たが、選ばれた新教皇。最も相応しいとローレンスも認める。
ところが…。選ばれた直後に発覚。
驚きの秘密。前例は無い。前代未聞。
日本の天皇がそうであるように、神聖にして不可侵な伝統に反する。
いやそれは、変わるべき事なのかもしれない。新しく受け入れるべき事なのかもしれない。
新教皇は、心は男でも、身体は…。
静かながらも熾烈なコンクラーベの末に、選ばれるのは主演レイフ・ファインズだろうと思っていた。
意外性を付いた。
脚本の妙。映画ならではの展開。
本当にただそれだけか…?
遠い未来か、近い将来か。絶対に起きないフィクションとは言い難い。
今回の映画そのものがそうであったように、映画は現実を描く。
より人間的
教会とは?信仰とは?
カトリック教会の内部を覗き見てる様な緊迫感を感じられる。
そこで行われる教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)。
今後も続くであろう閉ざされた空間で決めるコンクラーベの独特とも言える実態。
そこで行われる(教会を訪れ人々を説く)人たちの人間模様はより人間的で、刺激的な感覚を与えてくれた。
また結果の選択に関しても彼の信念を感じとれ、心地よい気持ちにさせてくれた。
極上の政治サスペンス
上半期ベスト1かも…
8手先を読む教皇とその継承者たちにより仕組まれた静かな変革
2024年製作/120分/G/アメリカ・イギリス合作、原題または英題:Conclave、配給:キノフィルムズ、劇場公開日:2025年3月20日。
実際にバチカンで長年にわたり、リベラル vs 保守派の争いがあるらしく、虚構と現実との交差をとても興味深く感じた。そして現実においても映画と同じく、先日教皇がリベラル派からリベラル派に継承された。原作者の想いが成就したということなのだろうか。
映画で印象的だったのは、亡くなった先代教皇(8手先を読むチェスの名手と言われていた)が全てを見越していたという設定。選挙の展開すら事前に読んで手を打っていた。主人公ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)の選挙遂行上の生真面目さ、自分への投票、不正者の糾弾も全て読みの範囲だったというストーリー展開は、実に凝っていて面白かった。
年配男性ばかりの中、全教皇の意思を貫徹するためシスター(イングリッド・バーグマンの娘イザベラ・ロッセリーニ)が大きな仕事をするのも、意外性が有って面白かった。加えて、新教皇(カルロス・ディエス)は前任者の指示に反し子宮摘出手術を受けないことに決めるというのも、現代的で“とてもいけてる”と感じた。
一方で全体的に、ローマ教皇の神格性や権威性を下げてるようなところがあり、プロテスタント国の米英がこうした映画を作ることは随分チャレンジングとは感じた。実際カトリック界から批判もあると聞くが、カトリック信者たちは実際にこの映画をどう感じているのだろうか?、しっかりと知りたいところだ。
終盤、ローレンス枢機卿による礼拝堂内にいた亀を水場へ運ぶシーンは、最初意味不明であった。ただ前教皇がとても可愛がっていた亀ということなので、「前教皇、貴方のほぼ思う様になりましたよ。ご活躍、お疲れ様でしたと」の趣旨なのであろう。
そして最後、シスター3人のカットで終わるのは、映画館外に出た時「アレは謎だった」との声も聞こえてきたが、これからのカトリック教会を動かすのは、彼女たち女性というメッセージに感じた。声高に言わない、未来への予感と。
監督エドワード・ベルガー、製作テッサ・ロス 、ジュリエット・ハウエル 、マイケル・A・ジャックマン 、アリス・ドーソン 、ロバート・ハリス、製作総指揮スティーブン・レイルズ グレン・バスナー 、アリソン・コーエン 、ミラン・ポペルカ 、ベン・ブラウニング、 レン・ブラバトニック 、ダニー・コーエン 、マリオ・ジャナーニ 、ロレンツォ・ガンガロッサ 、エドワード・ベルガー 、レイフ・ファインズ 、ロビン・スロボ 、ピーター・ストローハン 、トーマス・アルフレッドソン、原作ロバート・ハリス、脚本ピーター・ストローハン、撮影ステファーヌ・フォンテーヌ、美術スージー・デイビス、衣装リジー・クリストル、編集ニック・エマーソン、音楽フォルカー・ベルテルマン、キャスティングニーナ・ゴードン マーティン・ウエア。
出演
ローレンス枢機卿レイフ・ファインズ、ベリーニ枢機卿スタンリー・トゥッチ、トランブレ枢機卿ジョン・リスゴー、ベニテス枢機卿カルロス・ディエス、アデイエミ枢機卿ルシアン・ムサマティ、オマリーブライアン・F・オバーン、サバディンメラーブ・ニニッゼ、テデスコ枢機卿セルジオ・カステリット、シスター・アグネスイザベラ・ロッセリーニ。
難解かなと思っていたらそうでもなかった。
面白いと噂程度に聞いていたので、そろそろ上映も終わりかなという頃合いで観てきました。
なんと、200人くらいは入りそうな客席は私たった一人(笑)
平日の午前中とは言え、たった一人は初めての経験でした。
「登場人物が多いので覚えるのは大変かもしれない」
という話もちらっと聞いていて、私はその登場人物名を覚えるのが大の苦手なので、登場人物の多かった『オッペンハイマー』では遂に誰が誰だかわからず話が全然頭に入ってこないという失敗を犯しました(クリストファー・ノーラン映画はそもそもがいつも難解だけど)が、この『教皇選挙』は、登場人物がほとんどキャラがはっきりしていて、そういうことはありませんでした。話も実にわかりやすい。
なんたって、世界14億人?くらいの信者を束ねるカトリック教会の頂点に立つ教皇を選ぶコンクラーベ。近年は、キリスト教会の偉い人が性的スキャンダルに塗れることも珍しくないご時世、しかも選挙中はバチカンの中の狭い敷地で、徹底的に外部と遮断されて、極めて秘密裡に実施されるというその選挙。そこにスキャンダルを含ませたら面白くならないわけがない――。
派手なシーンはそんなにありません。ですが、演じてる俳優陣は年季の入った年寄りばかり、っていうか実際、何本も映画やドラマに作品に出てきた名優ばっかりで、ですから、ちょっとした会話シーンでもみなさん演技が上手なんですよ。燻銀の演技というかなんというか、ああいう味みたいなのは、失礼ながら若い俳優さんには出せないでしょうね、きっと。
ともかく、話は単純明快、「最終的に教皇に選ばれるのは誰か?」ってだけです。これ以上は黙っておきましょう。極上のミステリー映画でした。
ラストを「まさか」と思うことの偏見を噛み締める
ようやく拝見してきました。
よく行くシネコンでは上映しておらず、職場から行きやすい映画館だと夕方の回はいつも満員。仕事の終わり時間が読めないので、前売りも買いにくい、という状態。
計画的に仕事を早めに終わらせる状況を作り、ようやく拝見できました。
実際にローマ教皇がお亡くなりになられた直後ということもあり、満席でした。
映画の舞台は、世界中でももっとも伝統を重んじる組織のトップを決める選挙で、改革派と守旧派、新興勢力が争うという構図。世俗とは隔離された環境下で、ひたすら投票を繰り返す中、いくつかの事件に翻弄される主人公。
話としては聞いたことのあるコンクラーベですが、実際にどのように行われているのか、それが映像として見られるだけでも興味津々(もちろん脚色や演出はあるでしょうが)。古いしきたりや規範に則って淡々と儀式は進んでいくわけですが、その一方で電波妨害装置を設置したり、スマホを取り上げられたり、といった現代的な側面も描かれる面白さもあります。
密室で行われるなんとも格式ばった儀式かと思いきや、部下を使って外の情報を集めたり、シスターのPCを覗き見するような自由さもあることがわかります。
そのような世界観を美しい美術や印象的な劇判、実力ある俳優たちと確かな演出手腕で見事に映像化されています。
物語はある程度予想がつく展開で幕を閉じようとしますが、そこで一つのサプライズが起きます。起きますが、それをサプライズとして受け止める心こそが多様性を損なった社会の一端であることも事実。
どれくらいの時間が必要なのか、わかりませんが、後年本作を見た人が「この話のオチがわからないんだけど」というくらい、多くの人が平等で住みやすい社会になることを願います。
メッセージ(勝手に)受け取りました!
「教皇選挙」は、議会や大会社の会議のようで、「枢機卿」は社長や政治家、そのやりとりは狐と狸の化かし合いのようでした。
このタイミングですし、勉強の為に観ましたが、枢機卿の巧みな心理戦や根回しの方法は実に興味深く楽しめました。
製作時に、近々行われるであろうコンクラーベを念頭に置いていたのか分かりませんが、本物の枢機卿たちが、本番前に勉強の目的で本作を鑑賞したとのこと、ほほえましいエピソードです。現代社会において、戦争やDEIについての内容を盛り込むのは難しかったことでしょう。
選挙の過程で色々な考えが出てきましたが、わたしは「カトリックは他の宗教を受け入れる」というのを信じたいです。
ロシア正教、コプト正教などの各正教、プロテスタントの各宗派のみならず、われわれ仏教徒にも親しみのある教皇ですから、カトリック側も皆を受け入れてくれるはずです。
雨の中、到着する枢機卿のコートと傘の色が全て黒なのと、投票が困窮する中、中庭を歩き回る枢機卿の方位と傘の色が全て白など、映像の色彩も美しかったです。
セットのシスティーナ礼拝堂も、バチカン市国内の建物も趣がありました。
枢機卿の重厚で歴史のある衣装と、スマホやたばこ、電子タバコなどの対比もビジュアル的に面白かったです。
無駄な画がない
登場人物わからなくなりがち
ジョン・リスゴー健在!
地味に面白い、ミステリー色強めかと思ったらちょっと味付けが違う。なんとも人間臭くて「このままじゃ決まらねーよ」「なんやかんや欲あるやん」選挙、派閥の駆引き人間ドラマが面白かった。個人的には、いつぶりのジョン・リスゴーだろう?!何が最後だったかなぁ…つーか、お変わりなくキャラも健在で嬉しかったなぁ。まだまだ活躍して欲しい。
西のアウトレレイジ、人間を描いたものは芸術である
人は幾つになっても悩み、涙し、愚かな行いをし、悔やみ、悔い改め、そして微笑むのである
とても良質な映画で、画も音楽もテーマ性もとても良い
アウトレイジは闇社会を描いた物語で、その中で人間性が輝く瞬間がグッとくるのに対し
今回はキリスト教の総本山の物語、光の世界での闇を見せる人間たちの中で、
やはり人間らしさがほの見える、グッとくる展開があります
本当に観て良かったと思いますし、とても面白い反面、これは観客を選ぶ映画で
もう少し、宗教や宗教界絵画に知識があるともっと楽しめる作品なのだろうと感じました
先教皇の封印を破り、禁断の私室へ踏み込む件と
主人公ローレンスが自分の名前を記入し、投票した瞬間に爆撃される展開が秀逸で
これにより、主人公は天罰を受け、おそらく踏み越えてては行けない一線を超えてしまった
正義に彩られた偽善を神に天に見透かされた罪の意識
そしてこれ以降は聖職者全員が灰を被り、小傷を負い、誰もが聖性を担保できない状況で
あの演説、まるでトランプを連想させる彼に対したあの異種族枢機卿の糾弾に
思わず涙しました
その後はありきたりな展開で終幕なのですが、あの暴力による灰により炙り出された、
聖衣である赤を身に纏った聖職者たちが白い傘を差し
選挙の場に戻る場面は、とても美しく、秀逸で、物語のメソッドとしても、雨にて洗い流された精神性
誰もが戸惑い、エゴのため見失っていた、神聖な価値観を取り戻す瞬間は鳥肌ものです
テロリストの爆撃により空いた窓、内なる密室を破った外的要因により、新たな予感を示す「風が吹く」のも、作劇のメソッドとして正しいもので
それにより、ようやく正しき人選が行われます
彼が実は…という件は、実は予測できてしまっておりましたが
結局は先教皇の思し召しに従い、彼は亀を救うところで白い煙を目にし(これも赤→白ですね)
翌朝、若いシスターたちの平和な日常のワンカットにてこの物語は襲撃します
本来教皇のあるべき理由、根拠、本質としては平和な特筆すべきことのない日常を保証することなのですね
とても美しいテーマであり、光に近いところに人間は影が色濃く出、
逆にダースベイダーではないですが、闇に近いところに人間の光が浮かびあがるという意味では
この映画は、とても普遍的な人間を描いたテーマに終始し、集約されます
亀は聖性をもった生き物であり、それを救う事で、彼は神の御心に触れることが、ようやくできたのですね
両性を具有した教皇が誕生することで、それを民衆は拒絶するのでしょうか、いや、神の御心と世界の在り方は
本来そういう世界のはずなのですね
彼が手術による身繕いを拒否したことにより証明された
本来、神はそれを許すはずであり、人はそれぞれ、その人のままで良く、過ちを犯してもまた
悔い、反省することで許されるべきという、本来のキリスト教が目指したものが浮かび上がってくるのだと思いました
人間社会はどこも同じですね、世界じゅう、国だろうが村だろうが会社だろうが組織だろうが
同じように悩み、同じように腐り、また同じように救われる
それもまた人間だからという普遍性があるからなのですね
ヨハネ◯世
「イングリッシュ・ペイシェント」のレイフ・ファインズが、こんなおじいちゃんな役かぁ。ちょっとばかり物悲しい。しかし、衣装はとっても似合ってる〜。赤い帽子がかわいい(実用的じゃないけど)。ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズ)は、コンクラーベを仕切るのにすごく忙しいはずなのに、決して走らないし、動作もゆったり。話し方も丁寧で落ちついていて、トラブルには平静に対処する。全方位に配慮できる人格者。
カトリックの教皇を志す人は、まさに人格者というイメージだが、コンクラーベに集まった枢機卿達は、一癖も二癖もある。そして、野心家や策略家などが、バチバチである。それが、選挙中にいろいろバレて、一人落ち、二人落ち、本命が目まぐるしく入れ替わっていく。一度は選挙で勝つことも考えたローレンス枢機卿は、教皇として名乗る名前をジョンにすると言った。英語ならその発音だが、これすなわちヨハネだね? ヨハネまたはヨハネスを名乗った教皇は、何人いるのか、つい調べてしまった。20世紀に23代めがいらしたそうである。ローレンス枢機卿、24代めになれず、残念。
そして、誰からも候補とされてない、まったく無名の新人が、まさかの新教皇となる。この方の秘密は、公開されることはないのだろうか。それとも、神の作り給うたままに、境界を超えた存在として発表するのだろうか。フィクションとわかっていても、こんなにボーダーレスな教皇がいたら、世の中が柔らかくなりそうで期待してしまう。
選挙用紙が厚みがあるいい紙で、燃やしちゃうのにもったいないと思った。権威があるから、こんなところにもお金かけるのかもしれないけど…。あと、画面いっぱいの枢機卿の群れは、豪華だった。衣装も素晴らしい。セット作ったんだろうが、システィーナ礼拝堂の再現も力が入っていた。現実ではないにせよ、礼拝堂に爆弾とは! 許せん!!
驚異的な現実とのシンクロ! 法廷サスペンス×『薔薇の名前』の手法でコンクラーベを描く。
やっぱり時節柄、これだけはさすがに観ておかないとね!!
いやあ、まさかマジで公開の真っ最中に、現実のコンクラーベとかち合うなんて!!
こんなこと、ホントにあるんだなあ。
てか、マーケティング部門、もしかして狙ってた??
この辺りで逝きそうだって、逆算して公開してたんならエラい。
本当は連休あたりのガチで「ドンピシャ」だった時期に観たかったんだけど、帰省したり、明けてすぐ仕事の詰めがあったりで、なかなか足を運べず今に至る。
(ちなみに部下は5月の連休に新婚旅行でイタリアに行ったけど、マジでサン・ピエトロ広場やシスティナ礼拝堂が封鎖されていて入れなかったらしいwww これぞ旅の忘れがたき思い出ですな。余談ですが、僕は25年前のやはり5月の連休に新婚旅行でヴァチカンを訪れ、システィナ礼拝堂の内部はツアーでしっかり実見している。代わりにミラノでメーデーにぶつかり、寺まで休んでしまって『最後の晩餐』が観られなかったw しょうがないので嫁を置いてひとりでエッチな映画館に行ったのは内緒。)
実は、『サブスタンス』を観る前日には既にレイトショーで観ていたのだが、あまりに『サブスタンス』が面白かったので、ついそちらの感想を先に書いちゃいました。
とはいえ、『教皇選挙』も、とても面白かった。
今年のアカデミー賞候補は、ほんと粒ぞろいだったんだね。
最近のアカデミー賞でオスカーを獲得する裏要件の一つとして、「人種問題」もしくは「ジェンダー問題」を扱っていることが必須条件であるような気がしているわけだが、あからさまにユダヤとアメリカの関係を問う『ブルータリズム』や、ロシアとアメリカの関係、および女性の性労働の問題を扱う『アノーラ』、バリバリのフェミニズム映画でもある『サブスタンス』と比べて、『教皇選挙』はそういった要素は若干薄いかな、と内心思ったりもしていた。
おじいちゃんしか出てこないし。
でも、いざ観てみたらびっくり。
中盤戦では、思った以上に「人種」と平等性の問題、あるいは聖職者の性搾取の問題を真正面から扱っているし、終盤戦では……以下、自粛。ああ、なるほど、そういうこともあって、きちんとこの映画もアカデミー賞候補に「ど真ん中から」あがってきたのね、とおおいに感心した次第。
あと、『サブスタンス』はフランス映画だけど、ハリウッドが舞台。
『教皇選挙』は英米合作の映画だけど、イタリアのヴァチカンが舞台。
そういや『ブルータリスト』はアメリカが舞台だけど、ハンガリーでロケしたらしい。
最近は、だんだん映画のプロダクションにおける国の境目が薄くなってきていて、結果としてアカデミー賞も、いろいろな国の映画が本賞を競い合うことが多くなってきている。
結局は、脚色賞しか獲れなかったようだけど、十分にアカデミー賞にふさわしい映画だったのではないでしょうか。
― ― ― ―
『教皇選挙』は、扱っているテーマこそ珍しい感じもするが、基本的には由緒正しい「法廷もの」のフォーマットを援用して作られている。
完全に隔離されたメンバーが、
投票によって合意を得られるまで
ひたすら投票し続ける。
これは、まさに「陪審員」制度の延長上に置かれうる「ルール」だ。
要するに『教皇選挙』は、投票の目的が「有罪/無罪の認定」か「次期教皇が誰か」と違うだけで、本質的には、シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』やクリント・イーストウッドの『陪審員12番』と同種のプロットを持つ映画なのだ。
監督本人は、アラン・J・パクラの70年代のポリティカル・スリラーが霊感源と述べている。その言葉が正しいなら、おそらくは『大統領の陰謀』(76)を意識して言っているはずで、たしかに「選挙の候補者の裏の顔を暴いて引きずり落とす」という意味では、両作品は似た構造を持っている。なお、アラン・J・パクラは、その後、法廷劇スリラーの佳作、『推定無罪』(91)を撮っている点にも留意したい。
なんにせよ、リーガル・サスペンスとしての枠組みを持つ以上、『教皇選挙』はリーガルもの特有の「弱み」をも併せ持つことになる。
ここで言う「弱み」とは、法廷劇で頻発する「後出し」の問題だ。
「密室」下で「すでに得ている情報を元に判断を下すこと」が、もともとの裁判もののキモであるはずなのに、実際には後から後から「新情報」が出てきて、「法廷(投票所)」に持ち込まれてくる。つまり、最初の評決の段階では「判断のための情報がもとより出そろっておらず」、後から提示される情報でどんどん評決の根拠も揺らいでいく、ということになる。これ(新証拠・新証人の登場)は、実際の裁判ではほとんどないシチュエーションであり、娯楽としての法廷ものならではの「ズル」と呼ぶべき仕掛けである。
本作でも、最初の投票で多数派が形成されなかったあと、教皇戦を左右する「マイナス情報」は、後からどんどん都合よく投入されてくる。
結局、物語構造としては、「過去の過ち」や「教皇に相応しくない行動」が露見して、バレた者から順番に落ちていくだけのお話になってしまっている点は否めない。
だんだん観ているうちに「単にろくなやつがいない」消去法の教皇戦にしか思えなくなってくるのは、さてどうなんでしょうか(笑)。
あと、主人公のローレンス枢機卿が、教皇選挙自体を仕切りながらも、自身にも被投票権があって、しかもどんどん当選確率が上がっていくのは、そんな制度でホントに大丈夫なのかと思わざるを得ない。
そもそも、これって延々とただ同じ投票行為を繰り返すだけの原始的なシステムで、足切りも決戦投票もない不思議な制度。これでよく今まで750年近く、無事に教皇を決められてきたもんだと素直に感心する。そんだけ枢機卿たちはみんなで、なんとなく空気を読み合ってきたってことか。自分が「少数派」だと判明したら、より多数派の教皇候補で信条的に乗り換え可能な勢力に、さっさと気を利かせて移っていくようにできている、ということなんだろうな。
なんにせよ、「固い」と思われた評決が、意外な事実の露見によってどんどんと覆っていく面白さは、まさに法廷サスペンスの読み味であり、その辺のクリシェをうまく「援用」していると思う。
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「法廷サスペンス」要素と並んで、『教皇選挙』のミステリ性を支えているのは、「教会の探偵」としてのローレンス首席枢機卿の存在である。
彼は、いわば「苦悩する名探偵」として本作に君臨する。
役どころとしては、教会内の隠された内情を調査するという意味で、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に出てくるウィリアム修道士や、エリス・ピーターズの創造した修道士カドフェルのような立ち位置にある。
必ずしも推理を働かせて真相に迫るというわけではないが、新たに得た情報を分析し、必要な尋問を推し進め、何より「選挙の展開を調整して落としどころを付ける」役割を担っていて、これはまさに推理小説における「名探偵」の機能に他ならない。
『教皇選挙』の場合、少なくとも最初の二人の有力者は、疑惑を突きつけられただけで比較的簡単に白状&降参するので、ちょっと拍子抜けする部分もあるが、かといって三人目の有力者のように最後まで抵抗しても、疑惑を認めようが認めまいが「投票者の支持を喪って票が入らなくなる」ともうおしまいである。
「名探偵」としてのローレンス枢機卿の決断が、自らの内なる正義に問うというよりも、「亡くなった教皇が生前どう判断していたか」に常に依拠しているのはちょっと新鮮な感覚があるが、彼は「使命」に従って仕切っている立場である以上、そこはわからないでもない。
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以上のように、本書はまずもって「法廷もの」と「名探偵もの」の要素を掛け合わせた「ミステリー」としての足場をしっかり保持している。
だがそれと同時に、「内幕もの」(バックヤードもの)として抜群に面白い点もまた強調されるべきだろう。
カトリックにおいて、「儀式」の秘儀性は重要だ。それこそがカトリックをプロテスタントと分ける最大のアイデンティティであるとすらいえる。
教皇選挙もまた、厚い秘密のヴェールに隠されたとびきりに「謎めいた」儀式であり、その中身を垣間見られるというだけでドキドキさせられるものがある。
儀式の手順や所作、ガチで使用されるラテン語、本物のミケランジェロ『最後の審判』の前での宣言、有名な「煙」を用いた外部への連絡。いやあ、面白い。
ふだんは普通の恰好をしている老人たちが、真っ赤なおべべを着て「権威」を身にまとい、発するラテン語の台詞まで決められた究極の「ロールプレイ」に挑んでいく姿は、どこか地域の祭事に臨むおじいちゃんたちにも似て、ほほえましい。
しょせん現代の俗世しか知らない老人たちが、必死で750年の歴史を背負って「それらしくやろう」とやっきになってあたふたしているのを、外から観察する面白さというか。
それにこいつら、カトリック界の頂点に君臨する者たちの最高位の選挙といいながら、過去の過ちがどうしたとか、相手を陥れるためにどうしたとか、やっていることがやけに世俗じみているうえに、あまりにしょぼくて、みみっちい。
だいたい、パンフには「メディアさえ立ち入りを禁じられ、外部からの介入や圧力を徹底的に遮断する選挙」と書いてあるけど、選挙期間中に外からもたらされた情報に右往左往してるし、思いっきりテロの影響受けてるし、正式の投票の場では結局何も決まらず、夜の秘密の追及劇や急遽開かれた野良会議でほぼ全てが左右されてるんだもん。ぶっちゃけ最後とか、明らかに「なりゆき」と「ノリ」だけで、超大事なこと(教皇)が決まっちゃってる気がするんだけど……大丈夫か?(笑)
― ― ― ―
以下、寸感。
●鳥瞰カメラで枢機卿たちの日傘が動いていくショットは、『シェルブールの雨傘』みたい。このあと『サブスタンス』でもシェルブール・オマージュと思しきオープニングに出くわし、あの映画の不思議な影響力を感じる。
●英米合作の映画でありながら、ヴィスコンティやベルトルッチを観ているような「イタリア」的な映像感覚が顕著で、イタリア映画好きの僕としては胸が躍った。枢機卿たちを象徴するカーマインレッドのインパクトと美観も、忘れがたい。チネチッタ・マジックか。
●レイフ・ファインズ以外、誰も知らない俳優ばっかりだなあと思っていたら、トランブレ枢機卿ってジョン・リスゴーだったのか!! 『レイジング・ケイン』以来の邂逅(笑)。あと、野中広務みたいな顔の修道女が意外に重大な役回りで出てるなと思ったら、なんとびっくりイザベラ・ロッセリーニだった!!
●イタリアが舞台なのに、この映画も『ハウス・オブ・グッチ』みたいにみんな英語でしゃべるんだな、と思っていたら、ローレンスは英国人、ベリーニは米国人、トランブレはカナダ人だから英語で話してるのね! あとから出てくる連中は自分の国の言葉をしゃべるし、選挙中は公用語のラテン語を話す。なるほど、これは考えられてるなあ。
●ほかのアカデミー賞候補作同様、映画の背後には「トランプ対リベラル」「キリスト教世界対異教」といった要素がほの見え、製作者のスタンスがうかがわれる。このあたり、パンフのコラムがとても示唆的だった。
●個人的には、つい自分の名前を投票用紙に書いちゃったとたんに、天罰覿面のごとくテロの被害に遭って、心身ともにダメージを負って悄然としているレイフ・ファインズにいちばん萌えた(笑)。
●ラストのひねりについては、ネタ自体たしかに面白いは面白いけど、結局は「何者としてどう生きてきたか」が重要なのであって、「そのこと」については本人すら知らなかったくらいなのだから、あんまり気にする必要はない、むしろ問題視すること自体がナンセンスなのでは、くらいにしか思わなかった(笑)。
そりゃ、家父長制の権化みたいなカトリックの根底を揺るがす事態ではあるんだろうけどね。
●ロバート・ハリスの原作はなぜか未訳(まあ地味な話だしね)。読んでみたいのでどこかの出版社でぜひお願いします。
さすがに良作
正直、難しい。
期待していたようなドキドキ感や緊張感のある展開はあまりなく、全体的に淡々と物語が進んでいきます。派手な演出や大きな山場よりも、人間の内面や感情の機微に重きを置いた作品であり、静かに心を揺さぶられるような印象を受けました。
一度観ただけでは全てを理解しきれず、登場人物の言動や背景に込められた意味を読み解くには、何度か観返す必要があるかもしれません。その分、繊細に張り巡らされたテーマや心理描写に気づけたときの深い納得感があります。
前提知識があるとより深く楽しめる作品でもあるため、鑑賞前に簡単な予習をしておくことをおすすめします。決して分かりやすい映画ではありませんが、じっくり向き合えば向き合うほど味わいが増す、そんなタイプの作品だと感じました。
予習
最近コンクラーベ関連を2作品観て「予習」してた。
大体の流れは知っていたが、飽きずに観られた。
最初に指輪をハンマーで叩く?のが開始の合図?
厳かな儀式だが、何となくコミカルな面も。
さすがにバレーボールはやらなかったが。笑
今時スマホも当たり前なんだろうけど、あの衣装だと違和感あり。笑
音の強弱がすごい。
あの爆音にはびっくりさせられた。
そしてラストも…2度びっくり。
実際どうなんだろう。
あり得るの?
今時の脚本とその矛盾点
現実に教皇が亡くなったことで人々は実際の教皇選挙というイベントそのものにも関心を持つことになったわけだが、恐らく制作側の意図としては教皇選挙の派閥争いを通して、バチカン内部への関心を持たせつつ、そこに現代の欧米の政治や思想の問題をメタファーとして織り込んでいる作品であり、そういった時代の変化がテーマになっている作品であると思う。
コントラストのあるしっかりとした撮影とドラマチックな音楽、確かな演技力のある役者をそろえた見ごたえある作品であるが、何よりも複雑な人間関係を見事に整理した脚本力が大きい作品だと思う。
ただ、そのポリティカルコレクトネスを、ふりかけのようにちりばめた「今時な」脚本の好き嫌いは人によって別れるところがあるのではないだろうか。
自由、平等の精神を伝えたいのはわかるのだが、「あの」人物は果たして本当に無私の野心を持たない聖人だったと言えるのだろうか?彼はずっと嘘をついていたわけだ。そして他のものと違い、なぜ彼のついた嘘は許容されてしまうのだろうか?
つまりこれでは理想主義側の正義は紛うこと無き正義なのだという潔癖で、都合の良い物語にしかなっておらず、とても現代の複雑さを内包出来ている作品とは言えないのである(特にこの作品がアメリカで公開された時と違い、アメリカが変容してしまった2025年現在では)。
そのような先進的で理想主義の側が常に正しく、遅れている相手の話は聞く必要がない、という閉じた態度が現代の社会の分断をもたらしているわけである。だからこそ「あの」人物の矛盾や偽善にまで言及出来ていれば、この作品は更に複雑で深い作品になりえていたのではないだろうか。
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