教皇選挙のレビュー・感想・評価
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興味本位で鑑賞
「誰」と戦うのか
教皇選挙(Conclave)
世界人口の17%
14億の信徒がいるカトリック教会の
最高位聖職者・教皇を決める選挙
バチカン市国の元首も兼任するため
まさしく「選挙」
世界各国の生前教皇から任命された
枢機卿を集め外界からシャットダウンし
2/3の票を得て決まるまで延々投票が
続けられる「根比べ」である
投票を行うシスティーナ礼拝堂の
煙突から決まらなければ黒
決まれば白の煙を出すのが
有名な風習となっている
・・をテーマにした今作
さすがに観る機会を逃したかと
まだやってるかなと思って
探したらあったので観賞
どうだったか
非常に面白かった
レイフ・ファインズの怪演は折り紙付き
とはいえ公開期間中にまさかの
リアル教皇の逝去でリアルコンクラーベが
始まってしまったのは驚きだったが
(なんでも本職の枢機卿もこの映画を
予習で観たとか)
世相と絡め閉鎖空間で起こる策謀の嵐
映画の題材に十分なものでした
心臓発作で急逝した教皇
死に目に会えなかった主席枢機卿
ローレンスは悲しみに暮れるも
教皇選挙を取り仕切ることになる
ローレンスは重責のプレッシャー
のほか日々洗練した教えを説くはずの
教会への疑念が晴れずこの役を終えたら
全ての任を降りるつもりでいた
次期教皇候補には様々な思想の者
①テデスコ(イタリア)
イタリア出身でローマ法王は
地元民が相応しいと主張
イスラムらとも戦うべきというタカ派
(庵野秀明にしか見えない)
②トランブレ(カナダ)
教皇の最期の言葉を聞き
自分が教皇にふさわしいと言われた
と主張するが別からは
選挙の買収工作疑惑の
報告書をもみ消したとの噂も
③アデイエミ(ナイジェリア)
アフリカ系教皇を目指すが
かつて自身の子を身ごもった
シスターが現れスキャンダルに
④ベリーニ(アメリカ)
ローレンスとも親しい
アメリカの今っぽい
コテコテのリベラル派で
当然庵野は大嫌いだが
人気はイマイチでやる気もない
⑤ベニテス(カブール)
戦地で人道支援の場に立ち
実は教皇から枢機卿の任命を
受けていたメキシコ系の人物
滑りこみで選挙に立候補
といった候補が挙がる
ローレンスは策謀渦巻く
選挙開始の冒頭にアドリブで
「あらかじめ"決まっている事"などない」
というニュアンスの演説で
公平な投票が行うよう
釘を刺しに行くがこれが
ローレンスも教皇の座を狙っている
と受け取られてしまう・・
面白いのは間髪入れず
毎日毎日決まるまで選挙をすること
その間にスキャンダルの暴露
裏情報の錯綜
外界ではイスラム系の爆弾テロ
真実か捏造かはわからないが
全ては淡々と繰り返される
投票の票数で流動的に変わっていく
とこの「こういうものだ」という
画面の説得力
混迷する世の中をどう導くのか
そんな教会のあるべき役割を
わきまえず枢機卿達は言いたい放題
この映画は枢機卿といえど人間
タバコもやるし酒も飲む
という部分を描写します
葉巻吸う庵野はなんか笑ってしまいます
(誇張はだいぶあるでしょうけどね映画だし)
ただまあなんだかんだ密室内の
淡々とした展開で終わっていくのかと
思っていたので
終盤のまさかの展開は( ゚д゚)
となってしまいました
映画的で実にうまい
やりすぎるくらいがいい
印象的だったのはベニテスの演説
「イスラムと戦うって誰と戦うんですか?」
世の中の争いごと大体そうじゃないですか
リベラルとタカ派
キリスト教とイスラム
きのこの山とたけのこの里
思想に駆られて人間が争う
思想ったってその人間の根源的なもんじゃなく
だいたいがただのバイアスをあたかも
今自分は目覚めたかのように錯覚し
必死に争いをさせられている
だけではないでしょうか
だから他人の誹謗中傷とか平気でやる
非難されると皆やってることだと開き直る
信教以前の問題ですね
映画館で観るべき作品
そもそもローマ法王という存在にとても興味がなく知識もゼロ。そんな私があらすじも読まずにアカデミー賞ノミネート、脚色受賞ということだけで興味半分で観に行ってきた。
遅刻してしまったため私が鑑賞し始めたところはちょうどタイトルが浮き上がったところから。
タイトルは私の好きなレタリング。
そしてガヤの音がめちゃくちゃいい。
タイトルのConclaveもお恥ずかしながら初めて聞いたし、知った。ラテン語でCum(一緒に) clavis(鍵)を組み合わせて鍵と一緒に(意訳:秘密の部屋、密室)という意味だそう。
この作品は映画館で観る作品だった。
音響がとにかくいいし、単色の色合い、フィルターをかけたであろう映像。
弦楽器を主としたオーケストラがとにかくかっこよすぎたし、映画を引き立てていた。
カメラワークもとてもよく、個人的に引の映像がそのシーン独自の雰囲気を表現している様で好きでした。
正直ストーリーはほぼ会話で眠たくなる。なんならおじさん達の醜い争いもういいですと思うぐらい会話。
私自身、権力や地位に全く興味がないからその辺りは共感できずでしたが、自分じゃなくて今の日本…いや世界の政治はどうだろうと当てはめた瞬間、これって物凄く大事な選挙じゃない?と思い始めた。
むしろやっていることが日本の政治家やこの前のアメリカ大統領選と変わらないのではと。
有権者って本当に大事で、この映画こそ7月に選挙を控えている我々が観る映画なのではと思った。
また醜い争いだけでなく、最後の展開にはびっくりさせられた。
なんなら客席からも「え、○○...?」と声が漏れてる人がいた。
オチの持っていき方はノミネート作品の中では1番良かったかも。
前情報としては名前だけ覚えておくといいかもしれない。いろんな名前が出てくるのと、下の名前で読んだり苗字で呼んだりするから、えっとどなたでしたっけってなりました。
"確信"に執着せずに、疑問を持ち続けること
先日、コンクラーベが有ったので、この映画を観る良いタイミングだと思い、本作を観ました。
事前予習は不要で。サスペンス映画だと思って鑑賞すれば、楽しめます。
前半は退屈に進みますが、少しずつ伏線が張られながら、最後のどんでん返しに向けて、
中盤から展開が強まり、とても良いテンポで話が進みました。
枢機卿が集まると、どうしても同じ文化・言語同士がまとまるようですが、
最初ラテン語を話していた コンクラーベの取りまとめ役である主人公は、言語を米語に換えます。
これは、米国人枢機卿への支持を、みんなに訴えているのですが、この演出はニクイ!
ハリソンフォード似の主人公は議長の様なまとめ役なのだが、
その本人が教皇候補者のひとりであり、投票する側でもある状態は、いかがなものか?! と思うが、
これは、実ルールなので、文句は言えない。
5回目の選挙の結果が、提示されなかった。
投票後に、紙を燃やす過程を 映画の中で、見れて良かったが、紙を燃やすだけならば。。。
せいぜい 中世後半位 からの短い伝統でもある事も想像がついた。
教皇名”インノケンティウス (Innocentius)”は「無害」と言う意味だが、
過去にはインノケンティウス3世が、フランス、英国、神聖ローマ帝国国王を破門にするほど強硬な"原理主義指導者"だった。
ヨハネは。イエスの12弟子の中で最も愛された人で、"普通の保守派"のクリスチャンネーム
クリスチャンネームこそが、それぞれが目指す姿勢を示しています。
男が女よりも優れているのではなく
男女には秘密の関係が存在し、それは過去にもさかのぼる ということがあるから、重要なポジションには、1つの性に厳正している という1面もあると思います。
この映画を観たら、同じようなノリの邦画「12人のやさしい日本人(1990年)」を??見る事を勧めます。
カリカルチュア化はされているが問題点は挙げられている
いつも、宗教問題では一神教は排他的、多神教は寛容という主張がある。しかし、インドにおけるヒンドゥー原理派による他宗教排斥、日本の国家神道による他の神道系団体、仏教をによる弾圧で多数の殉教者を出した事実を知らないのか、知らないふりをしているのか疑問に思う。
この映画のテーマは世界最大宗教であるカトリックの指導者、教皇を選ぶドラマである。一か所で外に出ない閉鎖的な空間での劇となっている。日本ではくじ引きが神意を占うものとされたが、欧米では選挙が神意を表すとされていることが良く分かる。
ドラマは教皇の死から始まる。教皇が死の直前にトランプレ枢機卿を馘首にして、新たに戦時下のコンゴ、イラク、アフガンで困難な仕事をしていたベニテスを枢機卿に選任していたことが分かる。
保守派デテスコは100年くらい前の教会制度を理想としている。映画ではテデスコはいかにも傲慢、尊大、俗悪な人物として描いている。
主人公ローレンスはテデスコに反発して、リベラル派のベリーニを推すが票は集まらない。ベリーニ自身は「野心はない」と言いながら、ローレンスに票が入ったのを知ると、「お前が野心家だったとは思わなかった」と詰る。
進むに連れ、第二候補のトランプレ枢機卿が教会財産を流用して他の枢機卿を買収。有力候補であるアフリカ出身のアディエミを過去の醜聞を暴いて失脚させる陰謀をしていたことを突き止める。
自分が立ち上がるしかないと決意して自身の名前を書いて投票した途端に自爆テロが起こり教会のシャッターが壊れる。まるで、天罰の様に。
テロに対して憤るテデスコ。イスラム教徒を野放しにしていたからだと革新派を非難。これは宗教戦争だ。戦わなければならないと主張。これに同意する枢機卿と反発する枢機卿たち。
そこに立ち上がるベニテス。私は初めて参加した。これを最後にしたい。あなたは戦争を知っているのか、私は数多くの死を見てきた。キリスト教徒もイスラム教徒も。戦うとは何と戦うのか。妄信者と戦うのか。違う、戦う相手はここにいる。胸を指していう。自身の信仰の揺らぎと戦うべきだと主張。ここは神の家たる教会ではない。皆、自分のことしか考えていないという。
最後の投票でシャッターが壊れた窓から入る日差し。これが象徴的だった。私はベニテスは女性なのかもと思っていた。コンゴでは性暴力を受けた女性を救うために病院を作ったという報告からの推測だった。
カトリックでは保守派と革新派の対立がある。前教皇フランチェスコは保守派だった。しかし、ミサをラテン語にしろとか主張したことはない。その前のヨハネ・パウロ二世は革新派だった。二人は対立する派の代表だが、カトリック教会の方針は大きくは変わっていない。また、欧州では退潮でアフリカでは上げ潮に乗っている。また、排斥されている女性への役割を増やそうとする試みもある。教会が抱えている問題は挙げてあるが、全て誇大に描かれいる。この映画は、あくまでも虚構の物語である。
最初から全て前教皇の思惑通りにことが進んだと最後に理解した主人公の晴れやかな顔が良かった。
映像的にも素晴らしい。全世界から枢機卿が集まるが、その一方で修道女たちも集まる。カージナルレッドと言われる赤い枢機卿に対して真っ青な服の修道女。雨の日に白い傘をさして移動する枢機卿たち。映像芸術たる映画の本領発揮といえる。これはテレビで見ても面白くない作品だと思う。
ボスへの道。。
政治、会社、病院、
おじさんが集まると、どこも、構図は権力闘争
当然
聖職者も
男だ
だからこそ
結末は皮肉
男には弱点があって
それは女
結局
実際には
男への影響を通じて
女のほうが物事を動かしているのではないか?
シスターアグネスの事も
ラストが修道女たちが歩いていくシーンだったのも
それを暗示していると思う
そして人間には弱点があって
それは情愛
ローレンツも前教皇を愛していた
「我々は理想に仕える存在であり
理想そのものではない」
このような展開となった真相の
核心部分は言葉で語られず
前教皇の愛したチェスボードと亀の表象で静かに暗示されている
この映画では
大事なことは「説明」されずに
演出で暗示される
現実的な話になるが
根本的に、男性には、「仲裁」というものが出来ないと思っている
自分が肩入れしなかった側を攻撃して叩き潰すのみ
両者の言い分をバランスよく聞き、公正な配慮ができやすいのは
女性のほうだと思う
だからある組織のボスに
男の弱点(沽券、プライド、権力欲、支配欲、縄張りとその巡回欲、子分を引き連れたい欲、格下を言いくるめたい欲、強い者には弱く弱い者には強い)が一つもなければ
その人は
女
なのだ
そんなことが
現実にもあったので
興味深く見た
観てよかった
バチカンの隔離された密室で展開する極上の政治サスペンス劇。
ゴールデンウィーク直前、平日の昼間だというのに劇場は満員だった。つい3〜4日前に教皇フランシスコの訃報が届いたことが影響しているのだろうか。
現実世界でも2013年以来のコンクラーベが行われることになるのだ。
教皇の急死の報を受け、世界中から枢機卿たちが「聖マルタの家」にやってくる。
首席枢機卿のローレンス(レイフ・ファインズ)は教皇の死に目に会えず、最後に教皇と言葉を交わしたのはトランブレ枢機卿(ジョン・リスゴー)だった。
ローレンスは次期教皇を選出するための選挙の準備に取り掛かるのだが、トランブレに対してある疑念を抱いていた…。
枢機卿は、教皇が任命した教皇に次ぐ権威の聖職者で、世界中で100人を超える枢機卿たちがそれぞれ担当教区を受け持って任務に就いているようだ。
次期教皇はこの枢機卿たちの互選によって決められる。
この映画では次期教皇の有力候補が数名存在するが、どうやら立候補や推薦はないらしい。選挙は枢機卿たちの自由投票で行われ、2/3以上の票を得た者が教皇となる。
2/3以上の得票者が出るまで投票が繰り返されるのだが、得票数上位者での決選投票という方式ではないから、場合によっては長くなる。
投票は午前と午後の2回しか行われないので次回投票までにそれなりに時間が空くから、その間に投票権者同士の会話もあれば、期間中は外界から隔離されているとはいえ職員との接触はあるので、何らかの情報がもたらされることもあり得る。そうなると、何度目かの投票で潮目が大きく変わったり、予想外のダークホースが現れることも起こり得るのではないか…というところに着目した(と、思われる)物語。
トランブレを初めとする次期教皇候補たちにはそれぞれに秘密があり、それらが次々に暴かれていくというサスペンスが密室選挙を背景に展開していく。
各人各様の秘密はカトリックへのアンチテーゼと読めなくもないが、あくまでフィクションのエンターテイメントを楽しみたい。
主人公のローレンスがいわゆる探偵役なのだが、そのローレンス自身は教皇になりたいとは思っていない素振りで、この選挙を滞りなく終わらせることに注力する姿勢を示す。
たがその実、彼こそが教皇の座を虎視眈々と狙っているのではないかと私には感じられた。そこがこのサスペンスの巧妙なところかもしれない。
ローレンスが探るでもなく見つけていく各種の証拠は、前教皇が計算ずくで仕掛けておいたようにも思える。それに操られるようにローレンスは捜査させられていたのかもしれない。ローレンスをこの選挙を主導する立場の首席枢機卿に指名したのも前教皇なのだから。
そして、本当は自分が次期教皇にふさわしいと心の底では思っていた(だろう)ローレンスのその道を閉ざしたのも、前教皇の計算だったと考えると面白い。
ローレンスはインターセックスを罪だと考えていたように保守的な面を持っており、前教皇は彼を人物として評価しつつも自身の革新的な思想との隔たりを感じていたのではないだろうか。
そうなると、シスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)もその協力者だったに違いない。
映画の冒頭から、カメラはしばしばローレンスの後ろ姿(背中・後頭部)を追う。
そして、台詞がない場面でローレンスの鼻の呼吸音と、赤基調の大仰な祭服の衣擦れ音を必要以上に拾っている。
苦悩するローレンス、思考を巡らすローレンス、行動するローレンスを密着して見せるこの手法が意味深長で、彼の怪しさを示しているように私は感じた。
システィーナ礼拝堂とマルタの家はチネチッタに建てたセットだとのこと。
教皇の居室があり、バチカンに滞在する枢機卿たちの宿泊所にもなるマルタの家の内部は、実際はどうなのか知らないが、現代の技術でセキュリティが施されている様子。教皇の死後にその居室が封印されるのは事実らしい。
映画の結末はある種どんでん返しだと言える。
そもそもローレンスは信仰に迷いを感じていた。そんな彼に、前教皇は強烈なメッセージを送ったともとれる。
どうやら、枢機卿たちが「教皇になりたい」と口にすることはないらしく、誰を次期教皇に推すかという話を互いにするだけだとか。そんな枢機卿たちの話題の中で有力候補が浮かび上がってくるのだろう。
でも、ちゃんと自分の教皇名は決めているという。だから、選ばれれば直ぐに教皇名が決まるのだ。
以下、2025/5/10追記**********
2025年のコククラーベは、2日目(4回目の投票)でレオ14世を新教皇に選出した。初のアメリカ出身の教皇だそうだ。
選挙前のバチカンで、枢機卿たちがアイドルのように市民から握手を求められたり、写真に納まったりしていたのには、驚いた。
この選挙に際しても、映画のように有力候補者の名前が挙がっていて、なるほどこうなるのかと感心した次第。
勉強になった
最初は見分けのつかなかったおじさまたち、最後は見分けしかつかない。
次代のローマ教皇の選挙。
だなんて、スポーツに疎い私が友人に取り敢えずでついていく、野球観戦みたいなものだと思ってました。推しチームもなし、ルールもよくわかんない。選手名も知らない。
「正直、誰が勝ってもイイですよ」という気持ち。
しかも、困ったことにこの作品、無数のおじさまが出てくる。
レイフ・ファインズが演じる主人公ローレンスは、その苦悩が表れたかのような額の皺が見事で(ペーパーをクリップしたくなる)まだ見分けがつくものの、聞き慣れない長い名前のおじさまたちが無数に出てくる。というか冒頭10分、おじさましか出てこない。
そして開幕後15分も過ぎたらどうなるか。このおじさまたちがそろいもそろって、赤い上等のローブを羽織り、同じ格好をしだすのである。
ヤバイ、わかんないかも。
と、思いかけていたはずが、ローレンスが壇上で「ふぅむ、どうもつまらんな」と呟き、それまで読みあげていただけのスピーチ原稿を閉じるように。ふとした弾みで引き込まれていく。
映画が上手いのです。
特に日本人にとってはどこか遠い信仰、そして教皇という存在を視聴者がわかり、うなづけるような説き方が上手い。また何より秩序に習い一律にみえる枢機卿のおじさまたちそれぞれにも野心があり、欲があり、希望や葛藤もある。同じ赤いローブをまとっていても、その色とりどりなこと!
どこか無意識に線を引いていた存在が自分とそう変わらず、同じくであると感じさせる共感の作りが上手いなと感じました。
そして亡き前教皇に「自分は農場管理者」とローレンスが示されたように、鳥観図、俯瞰図の荘厳な建物を見下ろす引きの構図もとても美しい。
しかも、ストーリーの構成も巧みで、全く選挙に興味がなかった私でさえ、気づけば誰が選ばれるのか固唾を飲んで見守ってしまいました。タイムリーであり、時代を汲んだ解釈や仕掛けも面白かった。
印象に残ったのは
「信仰は、疑念と手を取り共に歩むべき」というローレンスの台詞。
信仰を、なにかへの確信と置いたとき、多くのことに当てはまることだなとも思ったのです。
信仰・信仰心とは…
衝撃的なラスト
見応えしかない、レッツコンクラーベ!
あまりに評判がいいので、遅ればせながら劇場へ。
いやびっくり、噂に違わぬ面白さでした。見逃さなくてほんとによかった。
地味に淡々と進むけど、まさかの屋台崩し(?)もあり、大どんでん返しもあり…
エンドクレジット出てから音立てないように拍手しちゃいました。
地方のシネコンの平日昼間にしてはけっこうな客入りで、なるほどヒットしてるんだなと。
全世界的にはどうなんでしょう?評価は高かろうけど、宗教的な理由で客入りには違いがありそう(宗教には緩い日本人が一番楽しめるかもしれない)。
主人公トマスは、面倒な会合の幹事(頑張れ)というか、ヤヤコシイ葬式の喪主(頑張れ。いや葬儀屋の責任者かな)というか…
通夜の日にじいさんの隠し子が現れてどうしよう、みたいな展開もあり、登場人物たちはあんま笑ってないけどブラックな喜劇だなーと。
脚本が「裏切りのサーカス」の人だそうで、主人公のタイプは、裏切り〜のゲイリーの役柄と似てるっちゃ似てる、とも思いました。
キャストも見応えある人ばかり、ハズレなしの男スタンリートウィッチ、まさかのイザベラロッセリーニとジョンリスゴー!
で、これでもかと陰謀術数のまま終わるかと思いきや、なんか爽やかな後味…そのへんもヒットの理由かもしれません。
(不在の前教皇のお人柄がジワジワとしみてくる演出も素晴らしい)
あと、シスターアグネスの尋常でない有能さと聡明さに痺れました。完全なる男社会の中で地味ながらすごい存在感、と思ったらそのへんもラストへの伏線といや伏線になってて、うまいリード。感服。
こないだ本物のコンクラーベもありましたが、ちゃんと現実を上回るフィクションになっている。そうこなくちゃ、映画だもの。
こんなどんでん返しらしいどんでん返しを見たのは久々、という意味では紛れもないミステリ映画(それもかなり上等の)でもありました。
余談
・邦題を漢字四文字にしたのはすごく良かったと思う。
・コンクラーベの部屋閉鎖前に「閉所恐怖症の枢機卿は…」とか言ってるのみて「そうか、面堂終太郎は枢機卿になれないな」と思った。
・閉じられた教皇ルーム前の、ロウソクだらけ の眺めがキャリーの家みたいだった。
・あと、トランプは観てないんだろうな、みても理解しないだろうなーなんて考えてました。
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
映画『教皇選挙』に映る信仰の輪郭
――確信と疑念、腐敗と名の行方
映画『教皇選挙』は、一見すると静謐な宗教ドラマに見える。だがその奥には、現代の宗教組織にとって避けては通れない、いくつもの問いが伏流している。
物語は、教皇の死去に伴って開かれるコンクラーベ――すなわち教皇選挙の五日間を描いている。枢機卿たちが繰り広げる駆け引きと葛藤、そして最終的に予想外の人物が新教皇に選出されるという展開は、観る者の関心を引く。しかし、この映画の最も核心にあるのは、冒頭に登場する首席枢機卿ローレンスの説教に込められたテーマである。
「確信は信仰の敵である」
「疑念を捨ててはならない。信仰とは疑念と共にあるものだ」
ローレンスのこの言葉は、確かに深遠な意味を含んでいるように聞こえる。だが、観る者にその真意が届いただろうか。問題は、ここで語られる「確信」や「疑念」の定義が曖昧なまま提示されていることにある。
キリスト教神学において、「信仰(fides)」は確信を含む概念である。神の啓示に対する理性的な同意と、神に対する信頼が一体となって信仰は成り立つ。疑念は信仰の深化を促す契機にはなり得るが、それが本質とされることはない。「疑念の肯定」が行き過ぎれば、それはやがて信仰の相対化となり、無化にもつながる。
仏法においても「無疑曰信」と説いている。「疑い無きを信と曰う」と読む。これは「疑い」を否定しているのではなく、疑念を積み重ねた先に、全く「疑い無き信」に到達するという意味であると拝する。
ローレンスの言葉もまた、信仰における内省と謙虚さを説こうとしたのだろう。だが、説明なき断言は、確信そのものを否定し、信仰対象への疑念すら肯定するような誤解を与えかねない。これは、信仰を持つ者にとっては本末転倒であり、カトリックの教義とも乖離している。
一方で、映画はもうひとつの大きなテーマを静かに語る――腐敗の必然である。
教会とはそもそも、神の理想を地上に体現しようとした存在である。しかし、カトリック教会はその誕生とほぼ同時に、国家権力との結びつきによって制度化され、政治的権威としての顔を持つようになった。コンスタンティヌス帝による公認以降、教会は「信仰の共同体」から「地上の制度」へと変貌を遂げる。その中で生まれたものが、十字軍であり、異端審問であり、免罪符の乱用である。
この映画が描くコンクラーベもまた、祈りよりも計算が支配する舞台だ。枢機卿たちの多くは、神の声よりも人の意向に耳を傾ける。そこに見えるのは、理想を失い、形式だけを守る宗教組織の姿である。
だが、すべてが絶望ではない。映画の終盤、誰もが予想しなかった新任枢機卿が教皇に選出される。そして、彼が選んだ教皇名は「インノケンティウス(Innocentius)」。この名は、「潔白」「純粋」を意味するラテン語に由来する。
これは、二重の意味を持つ名前である。
ひとつには、教会がもう一度、純粋な信仰の原点に立ち返るべきだという願い。
もうひとつには、歴代「インノケンティウス」と名乗った教皇たちの中に、専制的で物議を醸した人物もいたことへの皮肉――「潔白」という名の裏に潜む、制度の宿命的な堕落の予兆。
映画は最後までこの名の真意を明かさない。だが、それがむしろよい。
なぜなら、問いを残すことこそが、信仰と組織のこれからに対する沈黙のメッセージになるからだ。
『教皇選挙』は、単なる宗教映画ではない。
それは、信仰と制度、理想と権力のはざまで、私たちが何を守り、何を問うべきかを突きつける鏡である。
さすが全員、枢機卿
欲に飲まれて不正行為をしたとしても、地位や影響力には飲まれずにどんな人の話でも聞く耳を持っていることがそのへんの一般人とは違う、さすが枢機卿の立場まで上り詰めた人たちだと感じた。
だって急に1名増えたって時、どうせ毒にも薬にもならないから入れとこうという感じだったし、みんなの前での祈りも「君が本当に枢機卿なら出来るよね?」という感じで、それくらい同じ立場とは見てなかったくせに祈りの定型文プラスで祈りを続けた時には全員がハッとするような空気感があった。
そして女を対等と見ないというスタンスのくせにシスターの話もちゃんと聞いた。
まさかのタイミングで窓が割れたり、その割れた窓から風が吹き込んで鳥の囀りまで聞こえて、映画だと感じなかったけど、きっと枢機卿としてあの場にいたら何かの気配を感じたと思う。
字幕で見たけどイノセンティウスはカッコで和訳を入れても良いと思った。イノセントならいらないけど、大事なシーンかと思うから。
噛めば噛むほど的な感じで面白かった!
期待以上におもしろかった
面白かったけど…
流れがわかり、人間模様が面白い
レイフ・ファインズ見なきゃ!と思ったらまさに時勢に合ってしまった今作。
題材に対して思いの外人がいてびっくりしました。
コンクラーベって何という人からしたら流れがよくわかり、
アピールと自分の思想をいかに自己開示できるかがポイントなのはまさに選挙。
煙の色にも意味がある、などとても面白かったです。
候補者たちにも様々な過去がありタバコ吸ってたり携帯イジったりと人間臭いところが安心しました。
冒頭からのレイフ・ファインズの荒い息遣いが緊張感を感じ、途中も葛藤と息遣いがリンクしている感じがしましたが、最後はおだやかになって明るい未来を感じさせてくれるラストが良かったです
全736件中、41~60件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。