「現在を深さで捉え直す傑作だと思われました。」教皇選挙 komagire23さんの映画レビュー(感想・評価)
現在を深さで捉え直す傑作だと思われました。
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと、今作の映画『教皇選挙』を大変深く面白く観ました。
私が観た範囲の今年のアカデミー賞の関連作品で、個人的には、1番アカデミー賞に相応しい深さある傑作に感じました。
今作は、亡くなったローマ教皇を継ぐ、新しいローマ教皇を選ぶ選挙(コンクラーベ)の話です。
主人公・ローレンス枢機卿(レイフ・ファインズさん)は、教皇選挙(コンクラーベ)を執り仕切る役割でしたが、選挙に先立って行われた彼の「確信は団結の最大の敵であり、寛容の致命的な敵です。」という趣旨のスピーチは、映画の序盤で既に感銘を感じさせていたと思われます。
ところが、この主人公・ローレンス枢機卿の、観客にも感銘あった序盤のスピーチは、すぐに伝統保守派のテデスコ枢機卿(セルジオ・カステリットさん)への投票を弱め、主人公・ローレンス枢機卿も支持するリベラル派のベリーニ枢機卿(スタンリー・トゥッチさん)への投票を増やす意図があったことが明らかになります。
つまり、主人公・ローレンス枢機卿が行った感銘ある序盤のスピーチは、スピーチ内容とは別に、ある種の党派的な意図が背後に隠されていたとその後に分かるのです。
このことにより観客は、(伝統保守派の「確信」を半ば否定している)感銘を感じた主人公・ローレンス枢機卿の序盤のスピーチの背後に疑念を持ち、主人公・ローレンス枢機卿を含めたリベラル派にも疑いを感じることになります。
しかし今作の凄さは、このリベラル派にも向けられた観客の疑念に、制作者側も全く自覚的だった所にあると思われました。
問題あった候補者が脱落して行く中、リベラル派のベリーニ枢機卿を含めて誰もローマ教皇の選出のための投票の2/3を超えない中、多くの紛争地域を渡って来たベニテス枢機卿(カルロス・ディエスさん)は、選挙前に行われた主人公・ローレンス枢機卿のスピーチによって、主人公・ローレンス枢機卿こそ教皇に相応しいと彼自身に伝えます。
ただ、主人公・ローレンス枢機卿は、自分は教皇の器ではないと、このベニテス枢機卿の申し出を断り、リベラル派が勝つためにベリーニ枢機卿に投票しようとしないベニテス枢機卿に怒りすら覚えます。
しかし、リベラル派のベリーニ枢機卿から、”自分の教皇名を考えてないのか、誰しも教皇になろうとする野心があるはずだ”、などの話もされながら、ついに主人公・ローレンス枢機卿は、リベラル派の代表として自身の名前を投票する決意をします。
ところが次の投票時、主人公・ローレンス枢機卿が自身の名前を投票した直後に、テロの爆弾が投票場所のシスティーナ礼拝堂で爆発し、選挙は中止になります。
その後に枢機卿たちが集まった中で、伝統保守派のテデスコ枢機卿が、テロ犯と伝えられたイスラム過激派を非難、彼らと戦うべきだと主張します。
しかし、紛争地を回り実際の戦争を経験して来たベニテス枢機卿は、伝統保守派のテデスコ枢機卿のテロを起こしたイスラム過激派との戦いの考えを否定し、教会の教えを周縁まで伝える重要性を訴えます。
この時の、本来のカトリックの教えに通じるベニテス枢機卿の訴えは、静かに枢機卿たちの心に届き、そして再開された選挙で、ついに紛争地を数多く回って来たベニテス枢機卿が新しいローマ教皇に選ばれるのです。
ところで、予想外でもあったベニテス枢機卿が新しいローマ教皇に選ばれた直後に、ベニテス枢機卿は、即座に自身の教皇名「インノケンティウス」を示します。
このことは、ベニテス枢機卿にも教皇になるという野心があった(前もって自身の教皇名を考えていた)ことが、暗に、主人公・ローレンス枢機卿や観客に伝わった瞬間だとも思われました。
つまり、ベニテス枢機卿に対しても、最後に皆が持った彼への全面的な正しさの「確信」に、ここで作品として疑念を差し挟んでいると思われるのです。
今作は最後に、ベニテス枢機卿に関する驚きの深層が明かされます。
そしてこのことは亡くなった前ローマ教皇も知っていたことが、主人公・ローレンス枢機卿に伝えられます。
主人公・ローレンス枢機卿が、ベニテス枢機卿の深層を知った時に、”さすがに新しいローマ教皇としては問題がるのでは”、と、ローレンス枢機卿も思っただろうと、彼の表情などから観客にも伝わります。
しかし同時に、主人公・ローレンス枢機卿が、新しくローマ教皇に選ばれたベニテス枢機卿の深層に抱いた”新しいローマ教皇には問題あるのでは”との疑念の想いは、彼が大切にして来たリベラル的な考えとは異なる、伝統保守的な考えから出ていると伝わるのです。
そして主人公・ローレンス枢機卿も、いかに自分も保守的な「確信」から逃れられていないかを、この時認識したと思われるのです。
今作の映画『教皇選挙』は、「確信」を疑い、人々への寛容を取り戻すことが、根底に流れた作品だと思われました。
そして、その過程で遭遇する人間の矛盾と、寛容を取り戻すことの困難さを描いた作品にも思われました。
この今作の根幹の眼差しには、個人的にも深い感銘と同時に共感し、エドワード・ベルガー 監督や脚本のピーター・ストローハンさん、原作者のロバート・ハリスさん、などに対して、称賛と心からの同意の握手を求めたいと、僭越思われました。
今作は、描かれている舞台は狭い範囲ですが、そこからの内容の広がりと深さは、現在に必要な最重要な作品になっていると、深い感銘を感じながら今作を観終えました。
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