「1番相応しくない、と勝手に思っていた人物」教皇選挙 つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
1番相応しくない、と勝手に思っていた人物
「相応しくない」なんてぬるい表現じゃない、「あり得ない」と表現した方が正しい。
事前に「ラストに驚く」との情報を得ていたので、ある程度「驚く」パターンを予想したりして観に行ったのだが、それすらも手玉に取られたような気分だ。
女性では枢機卿にもなれない「閉じた男社会」の教会という組織で、染色体的に女性と見做される教皇が誕生するなど、あり得ないと「確信」していたから。
しかし確信ほど危ういものはない。確信とは思い込みであり、思い込みは可能性の芽を潰す。認識を曇らせる。本質から遠ざかり、隘路へと追い込まれていく。
常に疑念とともにある教皇を求め、これ以上ない適任者を戴いたラストは天晴としか言いようがない。
オープニング、レイフ・ファインズ演じるローレンス枢機卿が歩いていく姿のバックショットが続くのだが、歩くローレンスの荒い息遣いが推測を掻き立てる。不安か、怒りか、恐れか。
否応なく高まる緊張感が心地良い。この時点でサスペンスとして最高、という予感が湧き上がってくるのがまた良い。
コンクラーベを取り仕切る、という立場である首席枢機卿のローレンスが探偵のような役回りとなっている。もちろん事件が起こるわけではないのだが、協会の頂点である教皇に相応しい人物が選出されるよう、慎重に不穏な要素を調査していくローレンス枢機卿の苦労がしのばれる。
一方で、キリスト教徒裏技「告解」を利用し、情報を集めるしたたかな一面もあり、組織を仕切る手腕に関して言えばローレンスは抜群に秀でているだろうことも伺える。
ローレンスが表の目立ったコンクラーベを取り仕切るのと同様、裏方としてこの一大事を仕切っているのがシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)である。
同じ神に仕える身でありながら、シスターたちは決して表舞台に立つことはない。描かれないが、枢機卿たちが広場に捨てた煙草の吸い殻を片付けたり、ベッドメイキングをしたり、コンクラーベだけではなく日々の教会運営に必要な「再生産労働」を常に引き受けている彼女たちをまとめている。
教会だけじゃなく、日本の一般企業なんかでもよく見る光景だなぁと思ったのは、アデイエミ枢機卿とのトラブルで泣きじゃくるシスターを慰めるアグネスの姿だ。
「女のことは女同士で」みたいな丸投げを、アグネスはずっと引き受けてきたんだろうなと思う。選挙にとって大事なことだから、という理由こそあれ、ローレンスがシスターの話を聞きたい、と申し出たこと自体、結構珍しい出来事なんじゃない?
このコンクラーベは女性を「過去の過ち」という形で排除した者が退場し、女性からの告発という形で排除された者が退場し、最後に「女性の部分を切り離すことを思い留まった」者が教皇に選ばれた。
思えば、すぐ側にいるのにまるで存在していないかのように扱われるシスターたちに、感謝の祈りを捧げたのはベニテス枢機卿だけだった。
ベニテス枢機卿の食前の祈りにハッとさせられたのはきっと私だけでなく、あの場にいた枢機卿の中にも「教皇に相応しいのはベニテス枢機卿だ」と感じた者がいたのだろう。最初の得票はそう感じた何名かの枢機卿によるものなのだと思う。
「神が私をそう創られたのだから、それを受け入れなくては」
ベニテスはそう言って微笑んだが、それは世界も同じた。私は一神教徒ではないが、神がこの世界を創られたのだから、言語の違いも、身体の差異も、ありとあらゆる多様性が神の御心であり、御業であるというベニテスの言葉に雷に打たれたような衝撃と納得を感じた。
私が枢機卿なら間違いなくベニテスに投票する。それはベニテスの言葉の奥深さと、ベニテス自身が困難を乗り越え苦しみの中にある人々に手を差し伸べ続けた純粋さを否が応にも感じさせられたからだ。
ここまでストーリーにばかり触れてきたが、映像表現も見事。特にローレンスが自身の名前を書いて投票した時、天井近くの壁が外のテロによって落ちてくる構図は絵画のような荘厳さを感じた。
同時に神からの「違う、そうじゃなーい!」という叱咤のようでもあり、神ツッコミ激しいな、と感じたものである。
紛糾する枢機卿たちの言い争いに終止符を打った上段の席に座るベニテスと、最下段からベニテスを見上げるローレンスの姿も宗教画として残しておきたい素晴らしいショットだ。題するなら「新教皇誕生を目の当たりにするローレンス」だろうか。
美しい映像と、重厚なサスペンス。そしてレイフ・ファインズの静かな演技。見応えしかない傑作であった。