動物界のレビュー・感想・評価
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不思議な映画
近未来・・・と言ってもほとんど現在、
人の中に、動物に変化する者が現れて、
保護するか?
共存するか?
人間たちも迷っているような世界。
料理人のフランソワは妻が動物化して、
意思の疎通が難しい中、
転地療養を勧められて、
南仏へ息子のエミールと共に引っ越しをする。
ところが妻の乗ったバスが事故で湖に落ちて
妻は行方不明になってしまう。
そんな中、
息子のエミールにも動物化の兆候が現れてくる。
「猿の惑星」とも違う。
「ゾンビ化」とも違う。
「奇形や突然変異」がやや近い気もする。
それは「進化」ではない。
「異端」に近いのだろう。
(と、いうより疫病なのかも?)
森、林、そして沼、
新生物(と、呼ばれている)は水辺を好むようだ。
エミールも夜の彷徨や、
そしてオオカミのように大きく遠吠えをする。
鳥化した青年フィクスと知り合ったエミールは、
言葉を失っていくフィクスをじっと抱きしめる。
動物界の集団と組織化は難しいようだ。
リーダーもいない。
アイデアが新鮮。
ホラーというよりファンタジーか?
息子のエミールを演じたポール・キルシュの繊細な眼差しと
演技が光る。
動物化する自分に戸惑い、恐怖し、
どうすることも出来ず野生化してしまう自分。
爪が伸び、背骨が突起してくる。
その息子を守ろうとする父親役のロマン・デュラスも
愛情深く力強い。
CGが最小限なのも不思議なリアルを感じさせる。
羽の生えた鳥人間も、
翼が椰子の木の葉っぱみたいで、とてもユニークだ。
木に登るシーンや、
空を飛ぶシーンはVFXだが、手作り感があり
素朴で微笑ましい。
暗い密林や熱帯雨林のような《闇》
獣たちの《遠吠え》
父親フランソワの決断は如何に?
アイデアが新鮮だった。
オドロオドロしい映画かと思っていたけれどイメージと違う
観るか観ないか迷っていたのだけれど、上映終了前に観ることが出来て良かったです。
お父さんのフランソワが主役の位置付けだけれど、息子のエミールが実質的な主役です。
もっと特殊技術を多用したオドロオドロしい映画かと思っていたけれど、イメージと違いました。
SFXやVFXは、こういう映画で生かすことこそ王道だと思いました。
差別と分断を縦軸に、感染症の現代的危機を横軸のテーマにしていると思われるけれど、全体的に絶望感が漂う。
時間の進行とともに、主人公達を取り巻く生活や世界の破綻の足音が聴こえてくるようで怖くなります。
この映画は、音の効果が凄く重要だと感じたので、音響の良い映画館で観ることが出来たことはラッキーでした。
フランス版デビルマン
これは新たなる進化の幕開けなのか。人と獣との境界線が失われるときそこにもたらされるのは黙示録に記された最終戦争なのか。
まさに本作の世界観は永井豪原作のデビルマンを彷彿とさせる。かの作品について永井氏は悪魔と人類との戦いを描いたこの物語は当時冷戦下のソ連とアメリカという二大大国による最終戦争により人類滅亡がもたらされるというまさに黙示録を描いた作品であると自身で評している。
本作はそのデビルマンを現代版にアップデートさせた作品と言える。ソ連が崩壊し冷戦は終結したが、いま世界はテロの脅威におびえる。西側諸国による抑圧により過激化した者たちによるテロ。テロリストは国内のどこに潜んでるかもわからない。
どこで突然自爆テロが起きるかもしれない恐怖。コロナ禍のパンデミックのように誰が感染者かもしれず知らぬ間に感染拡大するような恐怖に対して人々は互いに疑心暗鬼に陥る。
二大大国による全面戦争への不安はなくなったが新たなる戦いであるテロとの戦いはいわば人間の心の中に潜む偏見や憎悪との戦いともいえる。デビルマンが人間の中の悪魔を描いたように本作は人間の中に潜む他者への偏見や憎悪を描く。
人間の中に潜むデーモンをさながら魔女狩りのように探し出しては虐殺した人類はやがて互いを殺し合いそして滅んでいく。そんなデビルマン同様本作は黙示録を暗示させる。
突然変異により獣人化する新生物は人類の中に潜在的に存在するため人々は誰が突然新生物になるか予測がつかない。身近な人や愛する家族がいつそうなってもおかしくはない。
これは国内で宗教的思想の影響を受けて過激化してしまうホームグロウン・テロリストやコロナ感染者にも似ている。
人々は新生物が未知の存在であり原因もわからないためその姿にただ恐れを抱く。無知や無理解からの恐怖、憎悪が排外を生むのはまさに今の世界の姿そのものと言える。
コロナ禍での不安や恐怖がアジアンヘイトを引き起こしたり、テロへの恐怖からムスリムや中東にルーツを持つ者たちへのヘイトクライムに結びついたり、性的マイノリティへの差別など。他者への憎悪が新たな憎悪を生み出しそれがテロの脅威へとつながってゆく。
主人公のエミールはまさに悪魔の力を手に入れた不動明、その恋人ニナは美樹。エミールが獣人化により苦悩する姿はまさに人間とデーモンとのはざまで葛藤する不動明の姿そのものだ。
自分の母の存在を奪った新生物、その忌み嫌うはずだった新生物に自身もなりつつある。その絶望感や恐怖、どうすることもできない状況を受け入れざるを得ない彼の心情を繊細な演技で見せたポール・キルシェが素晴らしい。
彼は隔離施設から脱走してきた鳥獣人のフィックスと出会い交流を重ねて彼らへの理解を深めてゆく。そして次第に自分自身の運命を受け入れてゆく。
また父親役のロマン・デュリスも獣人化した妻を最後まで愛し続け、また息子さえも獣人化してしまうというつらい宿命に立ち向かう頼もしい役どころを演じた。息子の獣人化を知り共に乗り越えようとするその姿は自分の子からLGBTの告白をされ苦悩しながらも息子を受け入れようとする父親像とも被る。
ラスト、支配に対する反抗を表すかのようにポテトチップスを思い切り頬張り、息子に「生きろ」とだけ告げて追われる息子を森に逃がす父の姿に心を打たれた。
本作は是非ともシリーズ化して欲しい。人類により追いやられた新生物たちが己の生存をかけて人類と対峙してゆく、そしてその新生物と人類とのはざまで揺れ動くエミールの姿を通して人間の存在を問う作品に仕上がると思う。
他者への無理解、偏見や憎悪から常に争いが絶えない人類の姿を本作を通して見事なエンターテイメントに仕上げられると期待する。
ちなみに新生物になるとしたらどんな動物がいいかな、やはり鳥かな、蛸は嫌だな。深海にひっそりと暮らす貝もいいな、そうだ、貝だ、私は貝になりたい。
奇妙な病が蔓延した世界
認知症や、ALSなどの病を想像した。
自分が失われていく、または未知のものになっていく恐怖はいかばかりか。
気がついたら体に剛毛が生え、鉤爪が生え、無意識に野生動物の本能が目覚めていくのを黙ってみているしかないのだ。嘘だと言って、と叫びたくなると思う。
身内が病に罹っても悲劇。
家庭内で何とかしろ、でないだけマシなのか。
原因不明なので治療も手探り。ウィルス由来らしいことだけは分かる。
凶暴化してしまうこともあり、国の政策では新生物は施設に隔離ということになる。
その昔の、ハンセン病の患者のようでもある。
最近のパンデミックでも、初期は似たようなものだった。
現実的には、凶暴な新生物が事故で大量に野に放たれたら怖い
共存はできるタイプとできないタイプがあるだろう、ひとまとめで同じ対応はできないと思う。
原因不明の突然変異により、人間の身体が徐々に動物と化していく奇病が蔓延した社会が描かれ面白かったが、ヨーロッパ映画らしく長い。丁寧というか。
鳥人間フィクスがなんだかひょうきんで、フランス映画っぽい存在。
気の毒なヒトなんだが笑ってしまった。
エミールとのひとときの友情に温かいものを感じたが、エミールを庇ったんでしょうか、哀しかった。
ラストは、あれしかないと思えど父の気持ちに泣けてしまう。妻を奪われ、唯一の家族である愛する息子を、たった一人で野に放つ。身体に悪いポテチ貪り食って、これでいいんだ、これしかないんだ、と嗚咽に耐えていたよう。
日本人だったら周囲へのメイワクとか色々慮って施設に入れちゃうかも。
もし自分がこの病に罹ったら、鳥がいいなとちょっと思った。
空飛んでみたいです。
共生・共存
人間がさまざまな動物に変異する奇病が発生している近未来SF。
変異した人間(新生物)は隔離され施設に入れられ、
逃げ出した新生物は迫害され、しまいには殺されたりする。
未知の病気にかかると、このように対応する現代人間への警告なのかなとも思う。
この作品では新生物がいる世界としてSFストーリーとしているが、
本質的なことは、人間同士でも共生・共存が困難な昨今、
新生物を人間の敵としたときに、人は結束する。そこにそうではない人がいるのが救い。
ゆえに、人間同士なんだったら、政治思想や宗教が違えども共生・共存できるはずでしょ?
との問いにも思えた。
本作で最も心揺さぶられたのは、車の中のフランソワとエミール親子の会話シーン。
前半は新生物となった母との想い出の曲を大音量で鳴らし、窓を開けて大声で母親の名前を呼ぶ。
後半は親子でスキーへ行った際の想い出話をし、フランソワがエミールを逃すシーン。
ここは胸熱だった。
人間が動物に変異する、新生物に注目しがちではあるが、
観てみると本質は上述のようなことにあったと思う。
実に鑑賞後感が良い作品だった。
寓話と教訓
大きな盛り上がりはないけど
設定がとても面白い。
新生物に変化してしまう理由や
なぜその動物になるのかも
判明していない世界観なので
たこ?!とか
それは昆虫なのでは?と言った
「動物」に転換してしまうのは
それこそ世界観が狂うのでは?と
思ってみたりしたけれど
それでも美しい森と
息子エミールに惹き込まれます。
妻を失い(新生物に転換した)
残された息子までも失いかけた時
父親が取った決断に
それまで分かり合えなかった父子が
深く繋がれた。
「狼は時速40~50kmで走ることが出来る」
人間が動物に変異する
変わらない人々は、大きく膨らんでゆく彼等を殺戮しようとする
変異した妻を探し求める夫の情愛も凄いが、息子も動物へ変わり始める
息子が素敵な青年だけに憐れにも感じるが、彼と共に鳥人間の羽ばたきに感動する
父は息子を森に放つ
何処までも走って行け!
新鮮で鮮烈
フランス語で字幕というのは物心ついてから一回もない。恐らく初めての体験だ。
いきなり、ドキュメントのように近未来が始まる。
ついていけない人も多いのではないか。まぁ、そんな人ははなから見ないとは思うが。
でも、違和感あるよね。
慣れるまで少し時間がかかった。
父親役と子役と母親役、三人のドキュメンタリーだ。
父親の愛はぶれない。
例え、母親や子が動物に変わろうとも。
なんという深い愛情だろう。
子と鳥になった人との交流も見ていて清々しかった。
タイトルが動物界なのだから、人間と動物が共存することになるのであろう。
終わり方はこれしかないような気がした。
果たして動物たちは生き延びられただろうか。
前途多難な子供に幸せあれ。
父親の決断に涙
シビル・ウォー、ジョーカー~としんどい良作が続き、「動物界」こちらもずっしりくる良作(バイオホラーではない)。
動物に変異する奇病が流行るが、その時人は…、というもので、隔離や偏見、それによる分断を描く。
だんだん獣に変化する息子を持つ、父親フランソワの決断は涙なしには見ることはできない。
「生きろ」という台詞はもののけ姫以降、邦画では使い捨てのように唱えられてきて半ば陳腐になった感があるのですが、今回は久々に琴線に触れました。
それまで、フランソワが執拗に妻を捜していたのは生存確認でもあるけれど、いわば自分が寂しいからでもあるんですよね。家族が変化して、自分の元にいるよりありのままの姿で生きいてもらうことが、家族にとって幸せなんだとようやく決断する。
たとえその先に、野生において厳しい適者生存のサバイバル生活が待っていようと、自分で選択することの自由を考えると、無理矢理姿をねじ曲げられ、囲われて生活するよりいいわけです。
しかしフランソワが今後、身をもがれるような孤独に耐えることを考えると、やはり同情してしまうわけです。鑑賞後に自分だったら、どうするだろうか?と自問自答させられます。
それにしても人間はなぜ、つかずはなれず共存する、という手段をとれないのだろうか?理解できない存在を憎む必要はない、はず。
平たくいえば愛の物語なのですが、添加物の危険性や改造された森林の脆弱さなど、フランソワの台詞をかいつまんでいくと、愛のレイヤーの下に、人間への天罰という黙示録のようなレイヤーが隠されていると受け取れなくもない。
立ちこめる黒雲や大雨などはメタファーなのかも。
シンプルな展開と高い描写技術
半獣半人の描写は絶妙で、適度に怖く、適度に可愛く見える。ストーリーはシンプルではあるものの、そのお陰で描写のインパクトをよりストレートに感じることができる。
友達作りが上手い主人公とやや押し付けがましいものの家族を愛する父親、理由なく人を襲わず食料をくれた主人公に礼を言う鳥人をはじめ、世紀末的な設定ではあるものの、主要キャラクターには好人物が多い。
奇病の流行による対立やパニック系のストーリーを期待して観に行くと期待外れとなるかもしれないが、個人的には楽しめた。
毒も喰らう、栄養も喰らう。
人生初、ポテチをむさぼる父親の姿で泣く。
宣伝映像もポスターもまるでパニックホラーかの様に煽るが、何のことはない「人間界」を描いた映画。
コミニケーションは取れているが、何かが変わっていく歳頃の息子に、親の平常運転が通じなくなっていく様は一般的な訳あり親子の姿そのものに見えたし、
疫病患者差別にも、人種差別にも、いじめ問題にも見えた。無駄にホッコリするフィクスの成長物語が挟まるのも良かった。
近い人の変化にこそ気づき辛いもの。「その時」に抱きしめてあげられる人になりたい。
悪くない。十分楽しめた。ただ…、ちょっと惜しい感じの映画。
基本観ると決めた映画については、なるべく予備情報を入れないようにするので、今回はボディスナッチャー的に人間がどんどん動物に変わっていくようなドロドロ近未来SFを想像していた。そこは予想が外れたけれど、それはそれでよし。
夫婦、親子の愛情を軸にしつつも「愛は地球を救う」的なベタなアメリカ映画みたいな押しつけがましいくどさは無く、自然に感情移入できるちゃんとしたシナリオです。
動物化した人間たちのCGも中々だし、上記家族愛の他にも、太古より耐えることなく続いてきた人間様の動物虐殺、また同じ人間である障碍者や宗教的異端者に対する迫害の黒歴史に対するクリティカルなメッセージがしっかりとあって、被迫害者に対する理解を示そうとする人間もバランスよく登場させるなど、娯楽作品とはいえやっぱりヨーロッパの映画はちゃんと人間が描けている。
色んな意味で、何と言うか、「いい映画」だと思った。
ただ、母国セザール賞で多くのノミネーションを得ながらも、主要部門では受賞できなかったのが、この映画の出来を正しく評価していると言っていいのかな。
「惜しい!」と言ったところか。
ただ、十分元は取れました。
映画とは関係ないけれど、少ない観客の中で、上映開始から終わりまでずっと袋の音やらガサガサ音を立てて飲み食いしている輩がすぐ後方に居て参った…。
あいつは何の動物に変化しつつあるんだろう。
フランスから現れたクローネンバーグの継承者!!濃密なフレンチ臭漂う掘り出し物の快作。
おおお、面白いじゃないか!
SF要素、CG要素、SFX要素は最小限に抑えて、
ちゃんと「フランス家庭映画」してるし、
ちゃんと「フランス思春期映画」してる。
しかも、テーマはデイヴィッド・クローネンバーグを継承している!
「異形へと肉体的に変容していく人間の社会的疎外と孤独、アウトサイダーの苦悩を描く哀しみ色のホラー/サスペンス」。
これはまさにクローネンバーグが、『シーバース』『ラビッド』『ザ・ブルード』『ヴィデオドローム』『デッドゾーン』『ザ・フライ』『裸のランチ』などの、俗に「ボディ・ホラー」と呼ばれる諸作品を通じて、繰り返し思索してきたテーマに他ならない。
うーむ、こんなところにクローネンバーグの正統なる後継者がいたなんて。
観に来てよかった!
人間が動物化する世界を描いたフランス映画というから、やっすいCGを多用した劣化版の『アバター』とか『ジュマンジ』みたいな、アメリカ映画のチープな模倣(たとえば日本でいえば映画版『進撃の巨人』のような)になっていたらどうしよう、と危惧しながら足を運んだのだが、しっかり「フランス映画の得意なジャンルと描写」を踏まえた上で、「動物化」のモチーフから引き出し得るテーマを網羅した佳品に仕上がっていて感心した。
①フランス映画としての『動物界』
とにかく、SF要素を除けば、驚くほどに「ふだんよく観るフランスの家族映画/青春映画」のテイストをまっすぐ引き継いでるんだよね、この映画。そこがすごく良い。
ちょっとがさつだけど漢気のあるお父さんと、
内気だけど思春期性の高い少年の組み合わせ。
両親の間に、何らかの難しい問題がある設定。
(通例は離婚の危機があったり、愛人がいたりする場合が多いが、今回はべた惚れしてる恋女房が病で人格を喪いつつあるというパターン)
やたらと暑苦しいボディタッチと親愛の表現。
親の季節労働と田舎への転出、少年の転校。
うーん、めっちゃフランス映画だ。
あと、フランス家族映画の半分くらいは、親の運転する車に子供が乗っているオープニングで、そのあと、子供がさっそうと自転車で学校に行くシーンが出てくるものなのだが、『動物界』もそこはちゃんと外さない。フランスでは、トリュフォーの『あこがれ』以来、自転車は少年少女の思春期性を示す重要なアイコンなのだ。
学校でのカーストの在り方や、親の労働の様子、子供のバイト、森での水遊び、キャンプ生活、性の目覚め、犯罪への加担、逃亡と解放……本当に、フランス映画が「得意」としている生活感や思春期性の描写を、期待通りに丹念にこなしていく。
かなりぶっとんだネタのSF映画なのに、しっかりと地に足のついたフランスらしい家庭映画を観ている充実感がある。ジャック・ドワイヨンとか、クロード・ミレールみたいな監督が、SF撮ってみたらこんなふうになりそうな(笑)。
そもそも、鳥人間が空を飛べて「自由だ!!!」とか、ラストの解放感(ただし濃厚に破滅の香りが漂っている)とか、結局、トリュフォーの『大人は判ってくれない』で主人公が少年院を脱走して海に至るラストと、やってることはまあまあ一緒だものね。あるいは、とってもアメリカン・ニュー・シネマ的ともいえるのか。
②クローネンバーグの後継者として
クローネンバーグにとって、精神の変容は肉体の変容を意味し、肉体の変容は社会からの逸脱を意味した。彼の映画における主人公は、内的変化の結果、だれしもが一目見てわかる身体的な異形化を起こし、社会から疎外され、ひとり孤独のなかで滅びの道を歩んでいく。
「動物化」という意味では、まさに『ザ・フライ』(『蝿男の恐怖』のリメイク)が同じモチーフだが、腋に生えた吸血触手で相手の血を吸わずにはいられなくなる『ラビッド』や、相手への怒りがそのまま受胎につながって、マザーエイリアンのようにぼこぼこ怒りの侏儒を産み落とし続ける『ザ・ブルード』など、「身体変容」の恐怖は他作でも顕著なクローネンバーグの特徴である。
本作の監督であるトマ・カイエは、まさにこのテーマを引き継ぎ、自作にて展開しているわけだ。
本作における「身体変容」は、世界同時多発的な「病」として設定されており、当然ながらコロナを彷彿させるところがある(ちょうどコロナの時期に脚本の執筆と撮影準備が進められたという)。中高年で発症しているお母さんのラナ(冒頭ではナマケモノだと思い込んでいたが、終盤で巨大化して登場して、なんだこの動物?ってなったが、パンフによれば熊らしい)や、同じくオッサンである鳥人間のフィクスのような人間もいれば、子供なのに発症しているカメレオン娘のようなケースもある。
ただ、主人公の少年エミールの物語としては、身体変容は思春期特有の性の目覚めであったり、性徴の発現であったりの「性的成熟」とパラレルな現象として象徴的に描かれているように思う。
あと、「動物界」というタイトルと、一斉動物化というSF的設定で見えづらくなっているが、ことエミール少年だけに限定していえば、本作は至極まっとうで王道を往く、典型的な「狼男」映画でもある。
一方で、お母さんの動物化や、しゃべれなくなっていく鳥人間の様子からは、われわれが日常生活のなかで直面する、家族の「老い」や「病による変化」「介護」といった問題も同時に語られていることがわかる。
「相手が相手でなくなっていく」恐怖。
それは、「自分が自分でなくなっていく」恐怖と同じくらい、切実で悲痛なものだ。
本作では、その「異形化」のプロセスと家族の心の揺れを、「動物化」というキャッチーでシンボリックなネタに「読み替える」形で表現しようとしているといっていい。
さらには、動物化現象の結果生まれた「新生物」が阻害・迫害される流れを見ると、「新生物差別」は、身体障碍者や発達障碍者、異人種への差別のメタファーとしても機能しているように思われる(実際、ADHDを自称する少女ニナが、少年と関係をもつ重要な役回りで登場し、動物化による周囲との違和と、発達障碍特有の「生きづらさ」がパラレルな要素として語られている。また、作中ではロマに言及される瞬間も出てくる)。
異形化した存在は、正常な社会から「脅威」として疎まれ、恐れられ、捕獲され、隔離され、抵抗すれば問答無用で射殺される。
相手を制圧し、抹殺しようとする「排除の意思」のおおもとにあるのは、じつは民衆の「自衛」の意識――とくに「家族を守りたい」という当たり前の想いだったりもする。
そういう「正しい」自衛衝動が、集団化するなかでやがて「排他」となり、「掃討」となり、苛烈な「浄化」思想へとつながっていく。それはまさにかつてのユダヤに対するナチスや、現在のハマスに対するイスラエルの在り方に通ずるものである。
ただし本作では、そういった新生物たちへの「虐待」「抑圧」について、必ずしも声高に否定することなく、あくまで「突然始まった対処しがたい状況に対して人間が示してしまう過剰反応」として、フラットに描こうとする姿勢が顕著だ。
価値判断抜きで、「現象」として動物化をとらえ、そこから引き出しうる要素をなるべく見逃さずに「拾う」ことを何よりも重視する感覚。人間にも新生物にも肩入れせずに、共感をもって物事を語ろうとするスタンス。
それは「分断」の時代に生きる表現者の、新しい「道徳」であり「流儀」であるのかもしれない。
③「動物化」というモチーフについて
日本の創作文化だけで見ると、「獣化」ないしは「動物化」という題材は意外になじみがないかもしれない。
かつては水谷豊の『バンパイヤ』のような「狼男」ものもあったし、最近のプリキュアみたいに、鳥やら犬やら猫やらが人化・プリキュア化するケースもあるが、あれらはどちらかというと「獣化」「動物化」というより「変身」の領域に属するものだろう。内なる獣衝動にさいなまれながら、さまざまな動物たちが共生する『ビースターズ』あたりが世界観としてはむしろ近い存在かとも思うが、現代日本のエンタメにおいて「動物もの」が主流を成すとはとてもいいがたい。
一方、欧米では、狼男伝説をベースにしたと思しき「獣化する人々」が出てくる「アーバン・ファンタジー」と呼ばれるジャンルが巨大な規模で存在し、なかでも、超能力者やヴァンパイアや獣人族が種族間で恋愛したり事を成したりする「パラノーマル・ロマンス」と呼ばれるカテゴリー・ロマンス群が、何百冊と書かれて広く人口に膾炙している(よくわからないが『レディホーク』あたりが源流なのだろうか?)。一般に爆発的に売れた例としては『トワイライト』なんかもそうで、あれのサブ主人公は人狼である。
よって、豹族の女と狼族の男が愛し合ったり、ホークマンと人間の女が恋に落ちたり、という展開は、ロマンス・ジャンルではしょっちゅう出くわすパラノーマルの類型であり、フランス人にとっても「獣化」自体はそう珍しい題材ではないのではないかと思う。
このように、欧米のエンタメ・カルチャーでは獣人化ネタがじゅうぶん成熟している。このことと、本作において「動物化」というモチーフがうまく活用されていることは、もちろん無縁ではない。
若干、テイストが一貫しない部分もあるし(特に鳥人間と友情を交わすシーンは、エピソード自体は面白いけど、全体のカラーのなかでは浮いているし、流れを壊していると思う。女性憲兵隊員とのうざ絡みも、果たしてどれくらい必要だったか)、引っ越してからの展開には、ちょっとこれでいいのかな?と思わされるところも結構あったけど、展開を先読みしづらい内容でどうなるか終始ドキドキしたし、何よりあっという間の2時間だったので、総じて言えばとても良い映画だったのではないかと思う。
以下、寸感を箇条書きにて。
●お父さん、どこかで観たことあるなと思ったら『パパは奮闘中!』の人か。今回もまさに奮闘しっぱなしで、宛書きみたいな感じでしっくりきてました。
●息子役のちょっと米津玄師みたいな子は、顔立ちからしてロバかアルパカに変身するのかと思ったら、狼だった。というかいきなり動物になる病気だとはいっても、母親が熊で息子が狼とか不可思議すぎる。遺伝子関係ないんだ……。
●個人的にとても愛らしかったのが、ものを必死で投げつけてくるタコ人間。タコとかカマキリみたいな下等生物にまで動物化しちゃうんだ(笑)。 非知性的なクリーチャーを引き当てちゃったら、運命ルーレットとしては最悪だよね。
●飼ってるわんこ(アルベールだっけ?)が最高にかわゆい。毛の生え始めた肩のところぺろぺろぺろぺろ舐めまくったり、一緒にお風呂に飛び込んできたり。飼い主が狼に変容しつつあることで同族意識が高まってるのか、相手の哀しみを分かち合おうとしてくれてるのか。うちの実家で飼っていた犬も、母親が体調を崩してうなってるときに、必死でぺろぺろ舐めてやってたなあ。
あと、バキュンで倒れるのもかわゆすぎる。
●終盤に出てくるお祭りは、実際に南仏であるお祭りなんだろうね。竹馬乗ったり、甲冑着てバトったりなかなか楽しそう。
●出だしの病院で、座椅子の奥にアリクイの新生物が座ってて舌をちょろちょろしてるシーン(最後までピントを合わせない粋な演出)があって、すげえデジャヴを感じていたのだが、脳内を検索したら『プリンセスチュチュ』のアリクイ美だった(笑)。
考えてみると、あのアニメは「おはなし」に汚染されてしまった金冠町で一部の人間に変容が起きて、アリクイになったり猫になったり(猫先生!)する、まさに「動物化」の物語だった。そして、もとはアヒルだった少女が、プリンセスチュチュに変身して王子様に恋をしてしまうという、「人間化」の物語でもあった。
●ポテトチップスで出だしと終わりを締める演出、エミールの動物化の予兆として「自転車に乗れなくなる」「ペンでサインが書けなくなる」シーンが出てくるなど、さりげに「小道具」の使い方がうまいのは印象に残った。
これって、たしかに狼に自転車は乗れなさそうだけど、熊のお母さんならまだ乗れるんだろうか(笑)。
「守ってなんかいない!」
ポスターのビジュアルに惹かれて観に行った。
奇病による"新生物"というテーマだけど、
根底にあるのは「愛とは?」みたいな話かもと感じた。
緊迫感が常に漂う中で端々から感じる温かさは、
きっとそれが理由なのかもしれない。
歪であり素敵とも感じる父子の関係が印象的だった。
小言のなかに矛盾が多いのは親あるあるかも笑
お父さんは「守りたい」「一緒に暮らしたい」、
エミールは「真の理解」を求めてたと思う。
父に"ケダモノ"と呼ばれたフィクスを助けることで自分でも変異していく自分を受け入れられたのかもしれない。
最後は、お父さんも「本人の幸せ」を最優先して、お互い幸せそうな顔だったなぁ
でもこれって割と親子であるかも。
安全な道を歩ませたい親と、それによってありのままの自分を出せない子ども。
本人を信じて解き放つ勇気って大変だろうけど、きっと必要なことなんだろうな。
はたから見たら獣だし、
身内にとっては家族だし、
被害が出ればケダモノだし。
自分がなったら?とか色々考えた。
終わってから、
・新生物同士捕食関係になったりするのかな?
・日本だとニホンザルとかその地域特有の変異があるのかな?(もし北国で南国の動物に変異したら大変…)
・体が完全に動物寄りになったらオリジナルの同種と共存できるのかな?
とか、その後の世界がどうなっていくのかシンプルに気になった。
Nature
様々な動物へと変化していく奇病が流行っている世界で生きる親子の話で、思っていた方向よりかはドラマ性重視の作品でしたがそちらのテイストでもしっかり楽しむことができました。
テーマ的にはコロナ禍をモチーフにしているらしく、感染者の隔離と非感染者との距離の取り方だったりを少しオーバーに描きつつ、それでいて身近な人が感染していたらというのも描いているので、動物人間パニックムービーかと思って観に行きましたが、テーマが奥深いのもあってしっかりのめり込めました。
エミールが動物の症状がチラホラ出てくる感じが微々たる変化の積み重ねだったというのもうまい演出だなと思いました。
小さな牙や鋭い爪が生えたり、背中が尖ってきたり、自転車がうまいこと漕げなくなったりなどなど、当人ですら気づかないものから周りが怪しむレベルまでの変化をゆったりと描いていて、病気に感染する残酷さをしっかり表現しているなと感心しっぱなしでした。
ADHDのヒロインはそこまで出てくるわけでは無かったのが惜しかったです。もっと絡ませて生存本能を刺激するシーンがあればなぁってなりました。
動物人間のデザインが仰々しいものでありながら、半分人間半分動物なのもあって美しいとも取れるデザインになっていたのがとても良かったです。
鳥人間にタコ人間、ライオン人間に犬人間etc…それぞれの特徴と能力を組み合わせた感じなので、実際にいてもおかしくないなという塩梅なのも今作に良いスパイスを与えているなと思いました。
どんな動物になるかとかは全く分からずなランダム性は病気にかかるのですら怖いのに、下手したらとんでもない動物になるのかと思うとゾッとするところもあります。
序盤で街中で暴れていた鳥人間のフィクスが後半ガッツリ物語に絡んできて、エミールと仲良くなったり、一緒に飛べるように練習したり、窮地に追い詰められた時には羽を差し伸ばしてくれたりと人間と動物の間を彷徨う登場人物として最高な活躍をしてくれました。
母との再会だったり、同じ感染者たちとの出会いだったりは少ないながらも自然の美しさ込みで壮大なものになっていたのが印象的でした。
エミールが自然に戻っていくラストは好み分かれそうなところですが、家族を大事に思っているフランソワが下した決断はかなりのものだったと思いますし、永遠に会えないかもしれない別れなのに前向きな表情だったのと、エミールが爽やかに走り出すもんですから眩しささえ感じてしまいました。
2人で最後の会話を交わしながら、塩分の塊だったポテチをムシャムシャと食べるフランソワの姿が美しく見えてカッコよかったです。
自分は親元から旅立った側の人間なので、見送る側の立場になったらそれはそれは辛いけど前向きに送り出すんだろうなと思いました。
改めて両親に感謝をしながら劇場をあとにしました。
鑑賞日 11/12
鑑賞時間 17:45〜20:05
座席 I-3
石川賢の野獣戦線
を思わせる鳥人間が街中で大暴れするシーンから始まる。このまま、獣人達と人間との大決戦が始まるのかとワクワクしていたら、そんな事は無く、
主人公の男の子が獣人化するも背中に毛が生えて、獣人の爪が伸びるけど、爪切って背中の毛は剃ればいいくらいの変身しか遂げない。何だそりゃ?
この映画では、人間が突如、獣人化して獣人した人間は隔離されるが普通にお見舞いに行けるくらいのセキュリティの弱さ。
これが、アメリカ映画なら、獣人化した人間が研究所に隔離されて、非道な実験でモルモットにされた獣人達が、
「 ニンゲン...、許さない...!」
と、叫び研究所から脱走し、人間達に復讐する展開になるのだが、
脚本を書いた、おフランス野郎にはエンタメ魂が無いので、獣人化した主人公は普通に学校に通って、キャンプに行って日常生活を満喫する。
このチンタラした日常に尺を取りすぎていて、何の映画を見ているのか分からなくなる。
ようやく、終盤で獣人狩りが始まるが、あっさり終わる。
ラストはどうなるかは内緒にしておくが、10人中、10人が思いつく陳腐なラストシーンとなる。こんな陳腐なオチだったら、日常部分を削って90分にしとけよ。
これで、2023年のセザール賞をいくつか、受賞されているが、意味が分からない。他にも良い作品があっただろうよ?
難解な映画を理解できる俺スゲー野郎のプライドをくすぐる雰囲気映画。でも、これはエンタメじゃねーよ?
配信になったら、見てもいいかも?
獣人の悲劇を見たかったら、手塚治虫の「 きりひと讃歌」 と、石川賢の「 野獣戦線」 がお勧めです。
わたしはタコになりたい
北欧映画かとおもったらフランス映画。予告編でヨン・アイブィデ・リンドクビスト原作·脚本の「ボーダー 二つの世界」と同じような匂いがした。
やはり、現代の寓話だった。
母親はなんの動物とのキメラだったのか?アザラシみたいな顔だったが、千と千尋の神隠しのカオナシみたいなからだつきだった。監督はもののけ姫に強く影響を受けたらしい。
ADHDだと自分から名乗るクラスメイトの彼女。エミールがオオカミに変わりつつあるのを分かったうえでのあの行動。単に好奇心が強いからだとは思いたくない。異端同志のSYMPATHYに裏打ちされた愛だと思う。とても印象に残る素敵なキャラだった。
憲兵隊の女性曹長役はアデル ブルーは熱い色のアデル。新生物に対する軍隊の対応に疑問を抱き、フランソワに同情し情報を流す。フランソワも熱い男だったよ。ポテチをめぐる息子との確執のシーンで彼が反体制側の人間であることがなにげなく描かれる。そしてラストにつながる。
ワシになってゆく青年の苦悩は何者かになることを運命付けられた青年の苦悩そのものだ。翔べるようにならなきゃバカにされるだけだ。それを応援するエミールの友情にも大いに泣けた。
予告編にも出てきたが昆虫のナナフシになった人間が夜の街を彷徨する。これは何かに擬態しながらひっそりと生きてゆく人間の象徴か?
特異な状況設定に最初は違和感を覚えたが、それが氷解する親子のラストシーンがまた素晴らしい。
セザール賞で落下の解剖学にノミネート数で上まった今作。VFXの質には低予算の悲哀を感じたが、ただ胸糞悪いサスペンスもどきの落下の解剖学と比べ、意欲的で、格段にチャレンジングな良作。
スーパーマーケットのタコ人間のシーンは素晴らしかった!タコはチンパンジーと同じくらいの知能を持つ高等動物。身体能力も高いので、どうせ変身してしまうならタコ人間になりたい。魚好きだし。ウツボ人間との死闘に備えて、カウチポテトはやめて、明日からトレーニングしなければいけないね。
追記
マダコは男親が巣の中で外敵の侵入を防ぎながら、飲まず食わずで卵に酸素を送りつづけ、赤ちゃんが孵化して大海に泳いでゆくのを見届けて一生を終えます。
パンデミック後の世界。
人間が徐々に動物になる奇病がパンデミック化した世界。母親が奇病に罹り隔離施設に残された父と息子の日常を描く。
タイトルで?ホラー映画とばかり思ったらグロテスクなシーンはなく、淡々と様々な事象を丁寧に描写。
バードマンを始め奇病で動物化した人間にも監督は優しい目線。
カタルシスの炸裂にまさかラストに泣いてしまうとは!
移民に寛容なフランスだからか動物化した人間にも厳罰化していない様子。
ノルウェーだと共存まで。
日本だと排除する。
岡本喜八監督、ブルークリスマスや漫画版デビルマンみたいな狂った世界を思わせる。
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