ドマーニ! 愛のことづてのレビュー・感想・評価
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今さら女尊男卑とは、言わずもがな
ドマーニ! 愛のことづて
出てくる子供も若者も大人も老人もバカ男ばかり。
それに引き換え、主婦は働き者。
でも、若い女の子は何となく頼りない。
戦後、靴下と女性が強くなったそうだ。
80年も前の話をなぜ今頃取り上げたのか?
コメディ仕立てで、
思いっきり女性を叱咤している様だ。
暴力的な男などに頼らず、
学校に行け、
自活できる仕事をもて、
そして、
女性が主流となって明日の社会を変えよう。
そのためには、
夫に怒られても選挙に行こう!
こうして、
イタリアに初の女性首相が誕生したとさ。
コメディなのだろうけど、男子としては肩身が狭いと言うこと。
しかし、余りに古い話をなぜ蒸し返す?
それにしても、古き懐かしいイタリア、ローマ辺りの再現は見事で、庶民のそれぞれが助けてって協同生活していたのが、まるで日本の長屋生活の様で楽しげだった。
それが、イタリアでは、
近年もジェンダーに基づく暴力が深刻な問題として取り上げられており、2023年にはフェミサイド(女性に対する殺人)が社会的な議論を呼んでいそうです。
EUも案外新しく古い証左の様です。
(^ν^)
ドマーニ! 愛のことづて
戦後ローマでたくましく生きる市井の人々と権利を渇望する女性たちの姿を描き、2023年のイタリア国内興行収入第1位を記録したドラマ。
「ジョルダーニ家の人々」などで知られるイタリアのコメディアンで俳優のパオラ・コルテッレージが初メガホンをとり、自ら主演を務めた。
1946年5月。
ローマにある半地下の家で家族と暮らすデリアは、夫イヴァーノの暴力に悩まされながらも意地悪な義父の介護や家事をこなし、さらに複数の仕事を掛け持ちして家計を助けている。
過酷な毎日を送る彼女にとって、市場で青果店を営む友人マリーザや自動車工のニーノと過ごす時間だけが心休まるときだった。
母の生き方に不満を感じている長女マルチェッラは、裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を自宅に招いて昼食会を開くことに。
そんなある日、デリアのもとに1通の謎めいた手紙が届く。
夫イヴァーノ役に「おとなの事情」のバレリ・オマスタンドレア。
「イタリア映画祭2024」では「まだ明日がある」のタイトルで上映。
ドマーニ! 愛のことづて
劇場公開日:2025年3月14日 118分
コメディ出身・女性初監督主演作品
『ドマーニ! 愛のことづて』は、一見するとイタリア・ネオリアリズム風の人情ドラマに見えるが、実は非常に現代的な視点で戦後のイタリア女性の自立を描いた作品。
監督・主演を務めた新人女性監督はコメディアンヌ出身らしく、コミカルな演出を巧みに織り交ぜながら、したたかで力強いイタリア女性の姿を浮かび上がらせる。そのバランス感覚が見事で、笑いの中にもリアリティがしっかり息づいていた。見終わった後の爽快感に、思わず拍手を送りたくなった。
上映中、座席後方の高齢の女性が、両手で顔を半分隠しながら、ひと場面ごとに大きなリアクションをしていて少し気になったが、それだけこの映画に引き込む力があったのだと思うと、納得せざるを得なかった。
まだ明日がある
比較的「小粒」なイメージの今週公開作品たち。今週(の劇場鑑賞)は金曜に観た『Flow』だけでもよいかと思っていたのですが、念のために確認し直してみると本作『There's Still Tomorrow(英題)』の米国映画レビューサイトの評価がかなり高いことに気づき、予定を組みなおして参戦決定。サービスデイのル・シネマ渋谷宮下10時50分からの回はまあまあの客入りです。なお、解説にある通り、昨年のイタリア映画祭2024(有楽町)では英題同様に原題『C'e ancora domani』の直訳『まだ明日がある』だったのを改題していますが、配給会社さん(スモモ)、これは変えなかった方が良いような気がします。
第二次世界大戦での敗戦からまだ間もない1946年。ローマに暮らすデリア(パオラ・コルテッレージ)は戦後の貧しさに負けぬよう、複数の職を掛け持ちながらたくましく生活しています。ただこの時代は女性の地位が非常に低く扱われていた時代。経済的なことを理由に進学を許されなかったり、教育を任された新入社員が「男」だと言うだけで自分より高給だったり、政治の議論に口を挟もうものなら怒鳴られたりと、女性はどこでも概ね「無能力者」扱いされています。
そしてデリアの場合、そういう状況に輪をかけて悩ましい夫・イヴァーノ(バレリ・オマスタンドレア)による度重なる暴力。そもそも、この家族の男性陣は舅(イヴァーノの父)、そして二人の息子も含めて皆、普通の会話にカジュアル且つ全部盛で罵倒語がトッピングされていて、ナチュラルにパワハラ&モラハラ。そんな父親から「毎回殴ればいいってもんじゃない」と(見当違いな)助言を受けるほどイヴァーノの暴力は度を越していて、「あ、始まる」と言う雰囲気を察すると家族は勿論のこと、近所の人たちもやりきれない様子。娘・マルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ベルガーノ)はされるがままの母にやるせない気持ちをぶつけますが、デリアはデリアで常に「愛娘に自分と同じ轍を踏ませまい」と思っているのですが…。
俳優、声優、脚本家、コメディアン、歌手など、多彩な才能の持ち主であるパオラ。今作では監督、脚本、主演を務めていますが、普通に観ているととても辛くなりそうなストーリーを、バランスよく散りばめられた可笑しみと、時よりミュージカル風に入り込む音楽使いに救われます。特に中盤以降の展開はダイナミックで、「まさかこのタイミングで!?」と驚きの事件も起こります。からの、いよいよ「ゲームオーバー」を予想させる終盤、デリアが言う一言「まだ明日がある」。そして、娘が母親の気持ちをようやく理解しての決定的なシーンは涙腺が熱くなります。
今を憂いているだけでは何も変わらない。明日という未来のために自分の意志を示すことは人間の権利。エンドクレジットで解説される「数字」が示す根拠に、全てあって当然の現代の自分たちも改めて、この時代の女性たちの「渇望」に刺激を受ける作品。観るべき一本です。
家族ドラマと思ってたら意外なラスト
「敗戦」は大きなターニングポイント
決戦は日曜日
すべての女性と母親へのエール
本国イタリアで大ヒットして喝采を得たというのが納得できる。
映画ってまだまだいろんな表現ができる、可能性があるんだなぁ。見るに堪えないシーンをちょっとコミカルに、かつ訴えたいことはより強く伝わる。
白黒で終戦後の話だけれど、全然古くさく感じない。斬新かつ当時の雰囲気は損なってはいない。
最後はネタバレになるから書きたくても書けないけど、なるほどそうきたか。
音楽と演出にセンスがあるというか、才気が感じられる。
初監督作、この主演女優さんの作品をもっと観てみたい。
最近の日本の映画やドラマでは、男はみんな優しく、暴力を振るう男なんかはもの凄く悪い奴みたいに描かれるけど、男ってみんなあんなんだったんだろうな。
あの時代を生きてきた母親のことを思ったら泣けてきた。
すべての女性と母親に感謝。
女性の自立が、失われた想像力を取り戻す
体力差からくる役割(例えば、狩猟採集の時代に狩りをして食糧を確保するとか、戦争で領土や資源や財産を掠奪するとか)などから一定規模の集団の中で男の方が戦力的に重宝されたり、リーダーとして祭り上げられてきたのはそれなりに理解はできる。
だけど、どこをどう勘違いすれば、男は支配し罰を与え、女は服従し耐えるだけの存在なのだと思い込めるのだろう。
優しくない人というのは、他者への想像力のない人。
こんなことをしたら(言ったら)相手はどう感じるだろう。この人の家族はどう思うだろう。
そんなことを少しでも想像できる人なら、絶対にしないこと。
戦争というのは、他者への想像力を失わせ(そうでなければ相手を攻撃できない)、自己保身(自分の命だけでなく、自己中心的な立場や名誉を守る)ばかりが優先される世の中にしてしまう。
だから、戦争に向かう時代は、言論や自由がどんどん統制されていき、世の中から想像力や優しさが奪われていくのだと思います。
戦後間も無い時期の〝女性参政権〟は、戦前から戦時まで社会全体が失っていた想像力(=優しさ)を取り戻すきっかけにもなったのだと思います。
あの特別な1日がオチとは出来過ぎか
彼女の名前はデヴォアンナ!(=私、行かなくちゃ)
すごく面白かった!センスのいい選曲。あっと言わせる「手紙」の役割。夫のDVをダンスと歌で表す可笑しさと皮肉、女達のお喋りと助け合いと意地悪、女には偉そうに振る舞い男同士ではマウントする男達。戦後イタリアのモノクロ映像の中、ルティーン化している夫の難癖暴力が日常になっていても逃げることもせず、でも思考停止状態にはまだなってない妻。そして愛する娘の将来のための凄い決断!強さと明るさを太陽のように浴びた。
この映画が昨年、イタリアで並みいるハリウッド映画をぶっ飛ばして興行収入ナンバーワンの大ヒットになった理由がよくわかる。戦後イタリアを舞台にしながら現在にも未だ繋がる状況を本当にうまく織り込んでいる。台詞も衣装もセットも素晴らしい。
この映画は日本でも一般公開して欲しい。
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