ドマーニ! 愛のことづてのレビュー・感想・評価
全37件中、1~20件目を表示
イタリア男性も昔は男尊女卑だったんだ
1946年5月、ローマにある半地下の家で家族と暮らすデリアは、夫イヴァーノからDVを受け、意地悪な義父の介護や家事を押しつけられ、さらに注射、縫い物、洗濯と複数の仕事を掛け持ちして家計を助けていた。過酷な毎日を送る彼女にとって、青果店を営む友人マリーザや自動車工のニーノとの時間だけが心休まるときだった。そんな母の生き方に不満を感じている長女マルチェッラは、裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を自宅に招いて昼食会を開くことになった。そんなある日、デリアのもとに1通の手紙が届いた。さてどうなる、という話。
戦後、日本と同様敗戦国イタリアでの生活がこんなだったのかなぁ、と思える作品。
当時はあのイタリアでも男尊女卑だったみたい。そして、女性に優しいというイメージのイタリア男性がDVとは、イメージ変わった。
日本とほぼ同じ頃イタリアでも女性参政権が付与されこれから変わっていくんだという黎明期を感じる事が出来た。
パオラ・コルテッレージが主演かつ監督で、なかなか良かった。DV夫イヴァーノ役のバレリ・オマスタンドレアは憎らしかった。
あっぱれ
巧妙な脚本。最後そこに行き着くかと驚く。
第二次世界大戦終了後の1946年のローマが舞台。モノクロでもカラーでもそんなのはどちらでも良いと思うが古い時代の話であることには変わりはない。
クズでDV野郎の夫、それに輪をかけてクズな舅、結婚間近で舞い上がっている長女、ケダモノ並みにけたたましいオスガキ2人の家族で、パート仕事に家事にと追い回されるデリアの日常が割と淡々と描かれる。長女の婚約者の両親を昼食会に招くエピソードがあり、アメリカ軍MPウィリアムとの交流があり、そして昔、ワケアリだった自動車修理工ニーノの姿がちらほら見え隠れする進展で、いやそこそこ面白いのだが、なんで今になってこれが映画になるのと思っていたら終盤、一気に話の流れが変わります。
一応、伏線があって。日本語タイトルに入っている「愛のことづて」って何のことですかということや、初めの方でデリアが注射を打つために訪問しているお屋敷で夫と子供が政治談義をする、そこでその家の奥様が意見を言うと「女は黙っていろ」と言われてしまう、これも伏線だったのですね。
「人間は政治的動物である」といったのはアリストテレスですが、人は一人では生きられない。社会と関わり、社会に参画することを認められることによって初めて人は人足り得ますよっていうようなことを言っていると思うのです。つまりイタリアでいえば1946年の共和国第一回普通選挙で選挙権を得ることによって、イタリアの女性は初めて、人格権を得た。
そんなの関係ないじゃん、個々の家族の問題を描いていたストーリーが、どうしていきなり公の政治史の話に移ってしまうのさ?って言っているそこの貴方。束縛から放たれて自由になる解放感。多分、デリアにとって自分の家庭で人として扱われること、娘も人としてこれから生きていけること、それと選挙権を得ることはイコールだったと思うのです。そこって民主主義の根っこにある感覚で、こんな時代だからこそ、そこを思い出す意味合いは強いと思うのですがね。
65点ぐらい。イタリアで600万人が喝采!空前の大ヒット!
肩透かしを食らわさせた。
てっきり家を出ていくかと思ったら、こういう結末だったのか早とちりしてしまった。
イタリア人なら大笑いしているだろう。ユーモア満載の映画。但し、真面目な日本人には大受けしないなぁと感じさせた。DV夫には呆れるが、映画向けの演出だと思えば良い。そんな事を考えながら観ていた。湿っぽくならないところが、イタリアらしい。それと元祖カンタービレの国。音楽が楽しい。
娘役の女優さんが誰かかに似ていると感じたが、名前が出てこない。
「うわっ、こんな物語だったのか」と勇気づけられる
第二次世界大戦終結から間もないイタリア。女は男の言う事を聞いていればよいとばかりに、夫は妻や娘をぶん殴り怒鳴り散らし、舅はわがまま放題です。メリハリが効いてテンポも良く展開する家父長制物語に観ている方も怒りが募って来て、「もうそんな男どもは捨てて出て行けばいいんだ」を後押ししたくなるのですが、そうも行きません。一緒に観た我が家の妻が鑑賞後に、「あんな男ども、映画の中でみんな殺してしまえばいいんだ」と憤ったほどに観客の心を掻き立てます。
でも、「結局は女性は辛抱するしかないのか」と観客も諦めかけます。ところが、そんな彼女がずっと手許に秘めていた手紙の中身が分かった時、「うわっ、こんな物語だったのか」と驚くと共に大いに勇気づけられました。これは若い人にこそ観て欲しい力強い映画だわぁ。
最高のミスリード
イタリアへの親近感
「NO」を叩きつける作品
イタリアにおいて現代にまで続く、女性に対する差別と暴力に、毅然と「NO」を叩きつけた映画でした。
今現在もイタリアは、元夫婦・元恋人の「男性側による女性の殺人事件」が非常に多く、女性蔑視が根強い国ってイメージ。
第二次世界大戦直後、敗戦とイタリア男たちがバカなせいで貧民にあふれ、ファシスト政権の名残が色濃く、女性に結婚や離婚の権利などの人権も認められず、女性は「存在しない」レベルに虐げられ、男尊女卑が「当たり前」だった時代を描くことで、いかに男性が根拠なく愚かに暴力を振るってきたかを浮き彫りにする。
「ダメなイタリア人男性とその社会」のカリカチュア(誇張)。
コメディタッチだから残虐なシーンには仕上がっていないが、想像力で補えば、どれだけひどい状況かがわかる。
女性監督だから撮れた作品だったと思います。
ただ、今の投票率が非常に低く、参政権や男女平等がどれだけ価値があるかを理解していなさそうな日本(および日本人)では、主人公の行動に関し、観客をミスリードさせるラストの意味・価値は理解しがたいように思えました。
ナチュラルにセクハラ・パワハラしちゃう人たちも当然、この作品に物足りなさと嫌悪感を抱きそうな気がします。
過酷な環境の中、力強く生きる、美しい女性を描いた秀作
年に数本、想定していた以上に、あぁ良い物語だったなぁ、本当にシミジミ思える佳作に出会える😚
だから映画って好きです❤️
男尊女卑の描写が露骨、酷い台詞が飛び交い、モノクロの画面が汚い世界を強調してるのに…、あら不思議…、観終わったら全然暗い気持ちにならなず、寧ろ爽やかな気分になれる‼️
1946年終戦直後のイタリア、過酷な環境の中でも、自分の考えを確り持って力強く生きる、容姿も心も美しい、素晴らしい女性を描いた秀作でしたっ😆
でも邦題はイマイチかなぁ😂
ミスリードなタイトル
母は強し
イタリアの80年前は日本の80年前と同じだった
まるで萎れた向日葵が咲きなおすが如く
第二次世界大戦後のローマ、女性への地位権利が低かった時代に生きる市井の人々の姿を描いた2023年イタリアでヒットしたドラマ。
まずお伝えしたいのは、お涙頂戴の女性人権映画やヨーロッパ古典映画のようでもない、一言で”下町母ちゃん奮闘記”だ。主人公デリアは、娘に”ママの生き方は絶対嫌だ”と強烈な一言を浴びせられるような日々だ。彼女の人生は正しいのか、彼女が求めているものは何なのか観客に問いかける。
既視感があった。私の母は戦中、祖母は大正生まれ、その時代を生きた女性達の事を考えてしまった。今が良いとか悪いとかではない、時代と共に変わる価値観の問題だ。この映画はそれを、ユーモラスにエンタメ性高く再現している。これは監督主演のパオラ・コルテッレージのセンスだ。彼女と同世代で、下町育ちの私にも共感するものがあった。
クライマックスに期待してほしい。デリアは、まるで萎れた向日葵が再び太陽に向かって咲き直すが如く、輝く。映画史に残るといってもよい。鑑賞後の清涼感も高い。
語り口の気持ち良いエンタメ映画なのでご安心ください。もし、お近く劇場で上映があれば、是非劇場でデリアをご覧ください。
女性の強さ、たくましさ。
DV夫からの突然のビンタ攻撃で幕開け。
デリアが派手に反応しないことから
日常茶飯事だと悟る。
夫はとりあえず謝るも言い訳はいつも同じ。
『苛立っていて』
『戦争に2度も行ったから』
暴力を振るうシーンは、
ミュージカル風のダンスと歌で
包んでいるため重すぎません。
登場人物たちの言葉ひとつひとつにも
面白さがあり、コメディアンである
パオラ・コルテッレージ監督の色が
でている仕上がりになっていました。
ひねりとミスリードもさすが!
“明日がある”という力強い言葉は
そういう意味だったのですね。
走るシーンにラップの曲がかかるのが
最高にかっこよかったです!
ラストの母の行動と娘のアシストに感動しました。
全ての女性に幸あれ!
《個人的なお気に入り》
・介護が必要な意地悪な鼠(義理父)を
オジィと訳されていたのが可愛かった👴🏻🐭
・チョコレートでお歯黒になる2人だけの世界観も
ユーモアセンス抜群。
・「神に誓って殺す」3連チャン。
・お葬式に身内が知らないお婆さん参列。
全37件中、1~20件目を表示