ドマーニ! 愛のことづてのレビュー・感想・評価
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イタリアへの親近感
タイトルなし(ネタバレ)
第二次大戦後のイタリア・ローマ。
主婦のデリア(パオラ・コルテッレージ)は、傘の修理、カバンなどの繕い物、洗濯女などと複数の仕事を掛け持ちして家計を支えている。
が、男尊女卑の世の中。
夫イヴァーノ(ヴァレリア・マスタアンドレア)は、何か気に食わないことがあるとデリアを殴って気を紛らわせている。
そんな様子を常日ごろから見ている長女マルチェッラ(ロマーナ・マジョーラ・ヴェルガーノ)は母のようにはなりたくないと思っている。
そんなある日、デリアは幼馴染の自動車修理工から駆け落ちしないかと誘われ、マルチェッラは交際している成金息子からプロポーズを受ける・・・
という物語を、モノクロで描いています。
とにかく男尊女卑が凄まじい世の中で、まともに撮ると気が滅入りそうになる内容。
なので、息抜き的ユーモアを交えてみせる。
特に、夫の暴力シーンはミュージカル仕立て。
まぁ、ユーモラスといえばユーモラスだが、やりすぎと言えなくもない。
半ば過ぎにデリアのもとに届く「謎めいた封書」がミソだが、「愛のことづて」かというと、そうでないあたりが興味深い。
ということで、副題「愛のことづて」はちょっとミスリード的。
ただし、映画もちょっとミスリード的なストーリーテリング、演出なんだけれど。
なお、モノクロ映像で戦後の雰囲気を醸し出そうとしているが、室内描写はまだしも、屋外描写が戦後にみえず現代的なのは、少々マイナス。
「NO」を叩きつける作品
イタリアにおいて現代にまで続く、女性に対する差別と暴力に、毅然と「NO」を叩きつけた映画でした。
今現在もイタリアは、元夫婦・元恋人の「男性側による女性の殺人事件」が非常に多く、女性蔑視が根強い国ってイメージ。
第二次世界大戦直後、敗戦とイタリア男たちがバカなせいで貧民にあふれ、ファシスト政権の名残が色濃く、女性に結婚や離婚の権利などの人権も認められず、女性は「存在しない」レベルに虐げられ、男尊女卑が「当たり前」だった時代を描くことで、いかに男性が根拠なく愚かに暴力を振るってきたかを浮き彫りにする。
「ダメなイタリア人男性とその社会」のカリカチュア(誇張)。
コメディタッチだから残虐なシーンには仕上がっていないが、想像力で補えば、どれだけひどい状況かがわかる。
女性監督だから撮れた作品だったと思います。
ただ、今の投票率が非常に低く、参政権や男女平等がどれだけ価値があるかを理解していなさそうな日本(および日本人)では、主人公の行動に関し、観客をミスリードさせるラストの意味・価値は理解しがたいように思えました。
ナチュラルにセクハラ・パワハラしちゃう人たちも当然、この作品に物足りなさと嫌悪感を抱きそうな気がします。
過酷な環境の中、力強く生きる、美しい女性を描いた秀作
年に数本、想定していた以上に、あぁ良い物語だったなぁ、本当にシミジミ思える佳作に出会える😚
だから映画って好きです❤️
男尊女卑の描写が露骨、酷い台詞が飛び交い、モノクロの画面が汚い世界を強調してるのに…、あら不思議…、観終わったら全然暗い気持ちにならなず、寧ろ爽やかな気分になれる‼️
1946年終戦直後のイタリア、過酷な環境の中でも、自分の考えを確り持って力強く生きる、容姿も心も美しい、素晴らしい女性を描いた秀作でしたっ😆
でも邦題はイマイチかなぁ😂
監督が若い人たちに伝えたかったこと
舞台は、終戦後、米軍が進駐し木戸番をしている1946年のローマ。
労働者階級で、アパートの半地下の部屋に住んでいるデリアは、夫と寝たきりの義父の圧迫に苦しみ、口よりも手が早く出てきて、しかも口を開けば、罵る言葉が出てくる貧しい環境で、幾つもの仕事を掛け持ちしながら、3人の子供を精一杯育てている。モノクロ・スダンダード画面で、まるでネオレアリズモを思わせるが、実はそうではない。音楽は時代を超越していて、アキ・カウリマスキみたいだし、深刻な場面になると、ダンスが入って、アメリカのミュージカルのような味付けになり、飽きさせない。
ネタバレとしなければいけないことが残念。
二つ大事な要素あり。
イタリアは、もともとカトリックが極めて強い上に、戦争前からファシストが支配していたため、男性中心社会が長く残った。特に日本と違うのは、財布も男性が握っていたこと。お隣のフランスでも、長い間、女性は夫の了承なしに、銀行口座を開くこともできなかった。ただ、この映画の主人公、デリアは、娘のために、ちゃっかりタンス預金している。彼らにとって、最も大事なことは、日曜日、できるだけ正装して、礼拝に出ること。
このような社会を打破する最も有効な方法は、女性が参政権を持つことだけど、この映画でも、それがポイントになる。女性が漸く参政権を持ったこの年、デリアは、困難を乗り越え、投票所に駆けつける。
一番、印象的だったこと。美しく育った娘のマルチェッラは、成り上がりの息子ジュリオからプロポーズされるが、表面だけをみて、母親を非難している。デリアは、マルチェッラが目の前の幸せをつかむことよりも、自分とは違って、チヤホヤしてくる男に騙されず、男を見抜く力を蓄えてくれることを、何よりも望んでいた。
肩のこらない、しかし見終わって、爽やかなものが残る、良い映画だった。
ミスリードなタイトル
与えられたカードで変わるのは、自分自身のアイデンティティなんだと思った
2025.3.24 字幕 イオンシネマ京都桂川
2023年のイタリア映画(118分、G)
戦後イタリアの女性投票運動を描いたヒューマンドラマ
監督はパオラ・コルッテレージ
脚本はパオラ・コルッテレージ&フリオ・アンドレオッティ&ジュリア・カレンダ
原題は『C'è ancora domani』、英題は『There’s Still Tomorrow』で「明日はまだとある」という意味
邦題の副題は劇中で引用される「Anna Garofalo(イタリアのジャーナリスト、アンナ・ガラファロー)」の言葉「Stringiamo Le Schede come biglietti d'amore」の邦訳「投票用紙は、私たちの愛の言づて」からきていると思われる
物語の舞台は、1946年のイタリア・ローマ
戦後まもないこの街には在留米軍が駐留し、人々は普通の暮らしに戻っていた
サントゥッチ家の母デリア(パオラ・コルテッレージ)は、献身的に夫イヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)を支えていたが、彼は戦争体験がトラウマとなっていて、短気で粗暴な性格も相まって、何かあるごとにデリアに暴力を振るっていた
デリアの娘マルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ)は、そんな母を心配しながらも、父に服従する姿に嫌気を差していた
家にはセルジオ(Mattia Baldo)とフランチーノ(Gianmarco Dilippini)という幼い二人の息子がいたが、二人は父の真似をして悪態をついていた
さらに、イヴァーノの父オットリーノ(ジョルジュ・コランジェリ)は不随で動けず、デリアと近隣の世話人アルヴァーロ(Raffaele Vannoli)が交代で面倒を見ていた
また、デリアには30年前に相思相愛関係だったニーノ(ヴィニーチオ・マルキオーニ)がいたが、デリアはイヴァーノの求婚を受けて結婚していて、ニーノは毎朝彼女を見かけるたびに後悔していると告げていた
映画は、マルチェッラとジュリオ(フランチェスコ・チェントラーメ)との結婚が決まり、両家がデリアたちの家に来るところから動き出す
マルチェッラは家族のことを恥じていて、それが原因で破談になるのではと恐れていた
ジュリオの父マリオ(Federico Tocchi)は戦時に飲食店を経営して成功した人物で、妻のオリエッタ(Alessia Barela)はマルチェッラの家柄を気にしていた
だが、マリオは当人同士の意思を尊重し、結婚後に息子がちゃんと躾けるだろうと考えていた
ジュリオも結婚したら彼女が専業主婦になることを望んでいて、しかも自分以外の男に綺麗な姿を見せないようにと、人前での化粧も禁じ始めていた
デリアはジュリオが結婚相手として相応しいのかを心配していたが、マルチェッラは聞く耳を持っていなかった
物語は、イタリアの女性参政権前日を舞台にしていて、デリアが姉のアーダ(Barbara Cheisa)から「ある手紙」を受け取る様子が描かれている
それは6月2日、3日に行われる選挙の投票権で、デリアは当初はそれに参加する気はなかった
だが、ニーノが去り、義父も他界して状況が変わってくると、デリアは「娘のために」と投票に行く事を考え始める
友人のマリーザ(エマヌエラ・ファネリ)とも口裏を合わせるように仕向け、ようやくイヴァーノからの解放を考え始めるのである
ラストでは、投票に行く行かないでハプニングが起きて、そこである人物がデリアの落とし物に気づくという流れがある
それを手渡すシーンはとても感動的で、投票行動そのものが女性に勇気を与える様子が描かれていく
これによって時代の変化が生まれ、ほとんどの女性が参加した投票によって、時代は大きく移ろいゆくことが示されて映画は終幕となっていた
いずれにせよ、1946年6月にイタリアで何が起きたかを知っているとグッとくる内容になっていて、ラストのアンナ・ガラファローの引用も小気味の良いアクセントになっている
彼女はイタリアのジャーナリストで、女性参政権の運動家だった人物で、最後の言葉は彼女の言葉の引用となっている
「投票用紙(カード)をラブレターだと思っている」という趣旨の言葉で、映画では「愛の言づて」という風に翻訳されていた
それがマッチするのかは何とも言えないのだが、原題の一部を切り取って「ドマーニ」だけを抽出するのもナンセンスだと思うので、そこは「私たちの明日は手のひらの中に」みたいなニュアンスの方が映画の内容がわかりやすく伝わったと思う
邦題の印象だと戦後イタリアのメロドラマみたいに思われてしまうので、その趣旨がないとは言わないが、明日を勝ち取ることになった女性の勇気を示すには足りない部分があったのではないかと感じた
副題は完全にミスリード。洒落を狙っているなら捻りすぎ
劇映画としては、とても面白かったのだけれど、クライマックスが。。。
このクライマックスに、物語的な重要な意味があるのはとても良く分かるのだけれど、物語の展開的には、かなりシラケてしまったかな。
投票啓発映画ですか。
原題はイタリア語で「C'e ancora domani」。直訳すれば「まだ明日がある」。
直訳を、そのまま邦題として使えると思う。
意味ありげにイタリア語の「ドマーニ」をそのまま使うのは良くない。
副題の「愛のことづて」は更に良くない。完全にミスリードしているし、洒落を狙っているなら捻りすぎだと思いました。
母は強し
イタリアの80年前は日本の80年前と同じだった
まるで萎れた向日葵が咲きなおすが如く
第二次世界大戦後のローマ、女性への地位権利が低かった時代に生きる市井の人々の姿を描いた2023年イタリアでヒットしたドラマ。
まずお伝えしたいのは、お涙頂戴の女性人権映画やヨーロッパ古典映画のようでもない、一言で”下町母ちゃん奮闘記”だ。主人公デリアは、娘に”ママの生き方は絶対嫌だ”と強烈な一言を浴びせられるような日々だ。彼女の人生は正しいのか、彼女が求めているものは何なのか観客に問いかける。
既視感があった。私の母は戦中、祖母は大正生まれ、その時代を生きた女性達の事を考えてしまった。今が良いとか悪いとかではない、時代と共に変わる価値観の問題だ。この映画はそれを、ユーモラスにエンタメ性高く再現している。これは監督主演のパオラ・コルテッレージのセンスだ。彼女と同世代で、下町育ちの私にも共感するものがあった。
クライマックスに期待してほしい。デリアは、まるで萎れた向日葵が再び太陽に向かって咲き直すが如く、輝く。映画史に残るといってもよい。鑑賞後の清涼感も高い。
語り口の気持ち良いエンタメ映画なのでご安心ください。もし、お近く劇場で上映があれば、是非劇場でデリアをご覧ください。
女性の強さ、たくましさ。
DV夫からの突然のビンタ攻撃で幕開け。
デリアが派手に反応しないことから
日常茶飯事だと悟る。
夫はとりあえず謝るも言い訳はいつも同じ。
『苛立っていて』
『戦争に2度も行ったから』
暴力を振るうシーンは、
ミュージカル風のダンスと歌で
包んでいるため重すぎません。
登場人物たちの言葉ひとつひとつにも
面白さがあり、コメディアンである
パオラ・コルテッレージ監督の色が
でている仕上がりになっていました。
ひねりとミスリードもさすが!
“明日がある”という力強い言葉は
そういう意味だったのですね。
走るシーンにラップの曲がかかるのが
最高にかっこよかったです!
ラストの母の行動と娘のアシストに感動しました。
全ての女性に幸あれ!
《個人的なお気に入り》
・介護が必要な意地悪な鼠(義理父)を
オジィと訳されていたのが可愛かった👴🏻🐭
・チョコレートでお歯黒になる2人だけの世界観も
ユーモアセンス抜群。
・「神に誓って殺す」3連チャン。
・お葬式に身内が知らないお婆さん参列。
今さら女尊男卑とは、言わずもがな
ドマーニ! 愛のことづて
出てくる子供も若者も大人も老人もバカ男ばかり。
それに引き換え、主婦は働き者。
でも、若い女の子は何となく頼りない。
戦後、靴下と女性が強くなったそうだ。
80年も前の話をなぜ今頃取り上げたのか?
コメディ仕立てで、
思いっきり女性を叱咤している様だ。
暴力的な男などに頼らず、
学校に行け、
自活できる仕事をもて、
そして、
女性が主流となって明日の社会を変えよう。
そのためには、
夫に怒られても選挙に行こう!
こうして、
イタリアに初の女性首相が誕生したとさ。
コメディなのだろうけど、男子としては肩身が狭いと言うこと。
しかし、余りに古い話をなぜ蒸し返す?
それにしても、古き懐かしいイタリア、ローマ辺りの再現は見事で、庶民のそれぞれが助けてって協同生活していたのが、まるで日本の長屋生活の様で楽しげだった。
それが、イタリアでは、
近年もジェンダーに基づく暴力が深刻な問題として取り上げられており、2023年にはフェミサイド(女性に対する殺人)が社会的な議論を呼んでいそうです。
EUも案外新しく古い証左の様です。
(^ν^)
ドマーニ! 愛のことづて
戦後ローマでたくましく生きる市井の人々と権利を渇望する女性たちの姿を描き、2023年のイタリア国内興行収入第1位を記録したドラマ。
「ジョルダーニ家の人々」などで知られるイタリアのコメディアンで俳優のパオラ・コルテッレージが初メガホンをとり、自ら主演を務めた。
1946年5月。
ローマにある半地下の家で家族と暮らすデリアは、夫イヴァーノの暴力に悩まされながらも意地悪な義父の介護や家事をこなし、さらに複数の仕事を掛け持ちして家計を助けている。
過酷な毎日を送る彼女にとって、市場で青果店を営む友人マリーザや自動車工のニーノと過ごす時間だけが心休まるときだった。
母の生き方に不満を感じている長女マルチェッラは、裕福な家の息子ジュリオからプロポーズされ、彼の家族を自宅に招いて昼食会を開くことに。
そんなある日、デリアのもとに1通の謎めいた手紙が届く。
夫イヴァーノ役に「おとなの事情」のバレリ・オマスタンドレア。
「イタリア映画祭2024」では「まだ明日がある」のタイトルで上映。
ドマーニ! 愛のことづて
劇場公開日:2025年3月14日 118分
オープニングクレジットと音楽が素敵!!
昔のモノクロ映画を観ているようで、音楽の使い方が今時で、好みでした。
ストーリーは完全にミスリードされちゃいました。娘が書類を持ってきたところとか、涙溢れてしまいました。母親の愛の逃避行を見守るのか、と思いつつ、あー、選挙かー!そうだ、そうゆう映画だったと思い出した次第。女性の家庭や社会での地位など、シビアな社会背景を、描きつつ、基本はコメディで、うまく演出された映画だと思いました。館内でも結構くすくす笑い声が起こってました。
コメディ出身・女性初監督主演作品
『ドマーニ! 愛のことづて』は、一見するとイタリア・ネオリアリズム風の人情ドラマに見えるが、実は非常に現代的な視点で戦後のイタリア女性の自立を描いた作品。
監督・主演を務めた新人女性監督はコメディアンヌ出身らしく、コミカルな演出を巧みに織り交ぜながら、したたかで力強いイタリア女性の姿を浮かび上がらせる。そのバランス感覚が見事で、笑いの中にもリアリティがしっかり息づいていた。見終わった後の爽快感に、思わず拍手を送りたくなった。
上映中、座席後方の高齢の女性が、両手で顔を半分隠しながら、ひと場面ごとに大きなリアクションをしていて少し気になったが、それだけこの映画に引き込む力があったのだと思うと、納得せざるを得なかった。
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