憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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ヨルゴス・ランティモス・サーカス団・・世にも珍奇な演目を3つ
恐怖の悲鳴では無い。ただただ不愉快なのだ、笑っちゃう位。 ギャーギャー心の中で悲鳴をあげていた。 無茶振りに【従う側】にも、とても問題があると言う理論を 164分の嫌コメディで表現した映画である。 不思議と退屈はせず、あっという間の鑑賞でした。 癖がかなり強い映画で決してオススメはしませんが、 観て損はないが、この笑いのセンスを面白がれるかは、 あなたとわたし次第!! ギャーっと悲鳴を挙げそうになるシーンが6回位はある。 (声は出すのは必死で堪えたけれど・・・) 原題は【KIND of KINDNESS】 韻を踏んでいて・・・ある種の親切さ、と言う意味らしい。 確かに3章に分かれています。 独立した3つの話しだが、演じる役者が同じで、 違う役をそれぞれが演じているアンソロジーです。 3章目がいちばん意味不明というか、分かりづらかった。 主要キャストはエマ・ストーン、ウィレム・デフォーと ジェシー・プレモンス、足す、若くてスリムなモデル体型の ハンター・シェイファーにマーガレット・クリアー。 【第1章】 暴君な社長(ウィレム・デフォー)に生活全般何からかにまで コントロールされている部下のジェシー・プレモンスは、 ある日遂に「殺人」を命ぜられる。 流石に躊躇していると、「それなら、もう知らない、勝手にやれば」 と、梯子を外されるが、愛妻が消えたり不穏なことが次々起こり、 遂には従ってしまう話し。 【第2章】 海洋学者の妻(エマ・ストーン)が遭難する。 何週間後に生きて帰ってきた妻を警官の夫 ジェシー・プレモンスは別人と疑い、 精神的にも錯乱して、更に食欲をなくす。 必死で料理を作り食べさせようとする妻に警官の夫は、 とんでもない要求を突き付ける。 この2章が一番グロかった。 食欲が失せますので、ご注意を!! 【大3章】 カルト教団に取り憑かれた妻(エマ・ストーン)は、夫と娘に心を 残しているが、教祖(ウィレム・デフォー)の言い付けで、 家庭を捨てている。 夫が薬を酒に混ぜて、エマを犯す。 すると信者に「汚(けが)れている」と見抜かれて、 教祖の信頼を失ったために エマはとんでもない事を始める。 特別な能力(死体安置所の死人を生き返らせる能力)の 霊能者を探し出す・・・そして・・・悲劇が? ヨルゴス・ランティモス監督の原点回帰とも言えそうです。 監督はカミュの戯曲化「カリギュラ」を読んでいて、 この映画のプロットを思い付いたそうです。 ローマの皇帝「カリギュラ」はとんでもない暴君でした、 ネロ以上の。 支配するもの、支配される者。 を、描いている。 ジェシー・プレモンス、エマ・ストーン・ウィレム・デフォー。 ヨルゴス監督の指揮で踊る、狂う、はしゃぐ、演じる・・・ どんな命令も即決で完璧きに応答する。 息の合った俳優たちの、珍味を味合う満艦飾のご馳走。 お口に合うかは、あなた次第(笑)
ほとんどラースフォントリアー
初日、新宿ピカデリーで鑑賞 夜回だったので空いてました ヨルゴスランティモス節全開 ものすごーーく変な話 が好きな人にはぜひ見てもらいたい 考察なんて不要 165分あっという間でした
さっぱり分かりません
本日の封切日に朝一で観ました(観客は私含め二人)。さっぱり分かりません。面白くないわけではないですが、何を描いているのか、私にはよく分かりませんでした。同じキャストのオムニバス形式ですが、関連性があるようでないような。ストーリー自体は分かるのですが、最後まで意味不明な内容で感想も何もわかないという珍しい映画でした。
ぶっ飛んでいるようでリアリティに溢れている
奇妙な人間模様を描いたぶっ飛んだ3つの中篇映画。と思いきや、どのストーリーもリアリティがある。実際に人間が生きていく中であり得ることを見事に表現している作品だった。 根っこにリアリティがあるからこそ、良い意味で居心地の悪い作品に仕上がっていると感じた。 何を観ているだろう?という気持ちに何度もなる一方でこれは、私が生きている社会の人間模様と何も変わらないのではとも思え、ハッとさせられ釘付けにされる。そんな作品だった。
奇妙で奇抜なユーモア
ちょっとコレは…(汗;)。色々なシーンに絶句!「一体、何を見せられているんだろう?」と戸惑いながらも、スクリーンに目が釘付けになってしまいました。同じ役者が複数の役を演じる面白さは「大河への道」(22)にもありましたが、今作はもっと捻りが利いていて、何とも妙な感じがしました。「一体何が言いたいんだろう?」と観客を煙に巻いてプツンと終わってしまう作品とはひと味違っていて、得体の知れない何かが脳内を刺激して、理解不能ながら共鳴してしまっているような不思議な感覚でした。それは、唐突にはじまるエマ・ストーンのくねくねダンスが象徴的です。あのダンスにどんな意味があるのか全く理解も説明も私にはできませんが、作品の世界観にはとてもしっくりくる感じがしました。あまりに理解不能だったのでパンフレットを買ってみたら、とても充実した内容だったので、ポイントが上がりました(笑)。普段はあまり直視することのない人間の奇妙で奇抜なところを見せつけられてビックリ、という感じでそれなりに楽しめました。
解釈に時間が必要。
ポスター通り、脳をかき乱す3時間! 3構成からなるストーリーでキャストがそれぞれ異なる役柄を演じ、狂気な愛と支配力に満ちていました。 R.M.Fが共通してラストもまとめ上げている起承転結な作品。バラバラのようでどこか繋がっているような…。 ピアノの不協和音がとても印象的でした。
"R"eal "M"other "F"u⚪︎ker (本物の馬鹿)が1番幸せ
前二作がわかりやすすぎたのか、原点回帰ともいうべきヨルゴス・ランティモス監督のやりたい放題の1品。 三章仕立てで、それぞれ第一章:仕事と家族、第二章:友人と家族、第三章:宗教と家族といった人間社会の関係性をヨルゴス・ランティモス監督風にみるとこんなにも皮肉の効いた奇妙な世界観になってしまう。 そんな世界の中で最後に1番得した奴は誰か。 R.M.F (Real Mother Fuc⚪︎er)である。冒頭でB.M.Fと間違えられるのはB.M.FがBaddest Mother Fucker(最高にイカれた奴)というプロレス UFCの非公式タイトルをオマージュしていることからR.M.Fの意味が推測できる。 今現在で"最高にイカれた監督"であるヨルゴス・ランティモスによる最高にイカれた映画。 ウィリアム・デフォーのフルチン解禁と、ジェシー・プレモンスとランティモス監督作の相性の良さに悶絶しました。
変な登場人物のすごく変な話
「憐れみの3章」 ヨルゴス・ランティモス監督 現代を舞台になにか変わったものが出てこないのにすごーく変な登場人物ばかりだった、前作「哀れなるものたち」 や「女王陛下のお気に入り」も変わってだけど、まだエンタメしていたかも 「鹿殺し」や「ロブスター」っぽい、どの登場人物にも感情移入できない 3本のオムニバスで独立した話なんだけど、キャストが同じだとバグる
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 原題が『様々な親切さ・優しさ』の意味なら内容に何ともピッタリ。第三話のラストに“世の中そんなものよ”と思い、鑑賞後は何故か愉快な気分になった私って変(かな)?
《愉快、痛快、奇々怪々》 ①世の中、自覚的にせよ無自覚であるにせよ「救われたい」と思っている人がいっぱいいるんだろうな、と思わせてくれる📽️。 本作の三つのエピソードに登場する中心人物たちは殆ど皆かなりおかしい人達ばかりだけれども、その「救われたい」という気持ちがエスカレートし過ぎていて自分や周りが見えなくなっているだけと捉えると、もしかすると自分の周りで理解できなかったり、変だよな、と思う振る舞い・行動(本作の登場人物ほど極端でないにせよ)をしている人がいれば、そういうことか、と府に落ちたり、いやいや、そういう自分も自覚していないだけで実は他人から少し変わっているなと密かに思われていたりするかも、とも勘繰ってしまいそう。 まあ、この歳になれば人にどう思われてたっていいや、と開き直ってしまうけど… ②大傑作『哀れなるものたち』で一皮剥けた(と思う)ヨルゴス・ランティモス監督が、今年初めに公開された『哀れなるものたち』から一年も経たない間に公開された本作。どんだけ作んの早いねん、と思ったけれども、観る日を楽しみにしておりましたん。内容としては『聖なる鹿殺し』『ロブスター』の世界観に近いものに戻ったが(同じ共同脚本家との合作だし、『哀れなるものたち』は原作ありきだし)、『ロブスター』『聖なる鹿殺し』『女王陛下のお気に入り』が鑑賞後に不穏さと共に後味の悪さが残ったのと違い、本作は不穏さはあるが、愉快は気分になったのでやはり一皮剥けたのかな。 ④開幕を告げるユーズリミックスの『Sweet dreams are made of this』。 ランティスモス監督作品が醸し出す不穏さにぴったりのオープニングだし、歌詞も見終わった後に本作の内容をそれとなく語っていたとわかるし、何より1980年代の海外ポップスをリアルタイムで聴いていた世代としてはか0この選曲が嬉しい。 第一話のラストでヴィヴィアンが歌う(ヘタっぴ 笑!)ビージーズの『How deep is your love』も話の内容に余りにピッタリ過ぎる選曲で可笑しい。 ーここからは各エピソードの具体的な内容に触れますー 第一話:現代社会を生きる私たちも結局何かに依存して生きていることをかなりカリカチュアライズした話。 変人だが大金持ちで権力のある男に衣食住(愛すら)を依存していた男がささやかな反抗を試みるが、結局彼なしには普通の社会生活が送れないことを悟り許しを乞い彼の命令を嬉々としてこなす男の話。 ヘルメットの黄色から目玉焼き(サニーサイド)の黄身にパンする映像。出来た目玉焼きの黄身の部分だけ切り取って捨てた(と私には見えたんですが)映像の意味するもの。 可笑しかったのは、途方にくれた男が偶々バーで見かけた女に惹かれて近づくが、実はその女も同じ境遇にあると知り(しかも男に託されたのと同じミッションを託されて殆ど成功仕掛けていた)、同じ境遇同士で結び付くのかとおもいきや、先を越されてなるものかと重傷者を無理矢理病室から連れ出すと二度も車で引き殺すという非道さ。なのにボスのもとに駆けつけると嬉々として自分のやったことを報告する。本当に人間て哀しいものですね♫ ラストシーンは『哀れなるものたち』の自己パロディかと思いました。 ただ、男が病院の介護士を襲ってユニフォームとパスを盗む時介護士を殺したのかな?そこがハッキリ描写されなかった(或いは編集でカットしたか)のが少し物足りない。 第二話:第一話では殆どエログロ描写は無かったが(R.M.F.さんを二回轢いた場面くらい)、第二話はランティスモス監督ならではのエログロ描写満開である。 三話の中でも最も不穏な内容でもあるが何故か既知感のある話でもある。 最も直接“愛”について語ったエピソードとも言うべきか。 “あの”ビデオシーンには、お約束みたいに思えてしまって笑ってしまった。 日本のヤクザ映画さながらに(こちらは大概小指ですが)、エマ・ストーンが親指を切り落とすシーン。失神する直前のエマ・ストーンの表情が忘れ難い。肝臓を取り出した後の死に顔も。 自分の中にあるので自分では見られない人間の肝臓もレバーと同じ色なんだ、と当たり前のことに気づかされたシーンでもありました。 精神科医の(若い)先生“何も分かってないやん”と突っ込みたくなるエピソードでもありました。 第三話:“水”を扱う新興宗教(モドキも含め)は日本だけでなく世界中にあるんだな、と変なところに感心。 劇中でエマ・ストーンが娘に語る通りに(娘のエマ・ストーンを見る目がすっかり冷めているのも印象的)、人間の体の大部分は水なんだから“水”を売りものにするのは確かに納得できるというか誰でも術中にはまりやすいというかクレバーだな、とまた気付かされてしまった。 家族を捨ててまで活動している狂信的なママを仕事が出来るチャキチャキとしたキャリアウーマンの如くシリアスに演じているエマ・ストーンが何故か可笑しく絶妙なコメディアンぶりを見せる。 双子の妹を自殺させてまで手に入れた「捜していた女性」を“水”のせいで死なせてしまう皮肉。 フロントガラスから飛び出して死んだルースの死に顔(確か眼から涙がこぼれていた筈、余計なことをしてくれて、と言ってるような気もしたが)を見て、思わず「世の中ってこんなもんだよな」と心のなかで言っておりました。 ○でも、R.M.F.って何の略だったんでしょうね。 ○第一話で無惨に殺されたR.M.F.さんを、第三話で生き返らせてあげる、という kind な📽️でもあります。 出演者:エマ・ストーンとウィリアム・デフォーはともかく、他の出演者は初めて見る顔ばかりだな、と思っていたら結構色んな映画で前から見てました。名前は忘れても顔は忘れない人間だったんですけどね、情けない😢 ①エマ・ストーン;大ファンなので殆どの出演作は見てますが、王道のハリウッドスター女優街道をいく人かと思っていたけれども(でも今でも『小悪魔はなぜもてる』の彼女が一番好きです)、『女王陛下のお気に入り』くらいから独自路線を進み始めて(ハル・ベリーの、オスカーを獲った後(!)にボンドガールになった時も前代未聞で時代は変わったなぁ、と思ったけれど、エマ・ストーンの『哀れなるものたち』の演技も、かってならオスカー女優があんな役をするなんて、と云われるような衝撃度、でもそれで二度目のオスカーを獲ったのだから、ハリウッドもそれなりに進歩してるんだなと思った次第)、本作でもさすがに年齢を感じさせるようになった顔そのままで、第一話はごく普通の女の子役だが、第二話では究極のマゾヒストと断じれないし、行方不明中に見たという「人間と犬とが立場が逆転した世界」で過ごしたという夢から来る妄想に囚われてご主人様の言いつけには従わないといけないと思ったのかどうかも判然としないが、それこそ「死が二人を別つまで」を実践する女性を怪演。他の女優ならもっと怖いか不気味な女になったかも知れないけれども、そこはエマ・ストーンの個性が上手く緩和している。
RETRO、MODERN、FUTURE
ランティモス曰く、元々1本の映画だったシナリオをわざわざ3分割してオムニバス形式にした作品だそうだ。不条理ブラックコメディというのは、見ていてなんとなく伝わってくるのだが、その不条理な中にも一応の筋を持たせるのが映画監督の腕の見せ所であって、RMFと名付けられたサブキャラ以外、ほとんど共通項のないストーリーをわざわざ3つ並べた意味がよくわからない。高市と石破の一騎討ちに、門外漢の小泉Jr.が途中で割り込んでくるような違和感をどうしてもおぼえてしまう作品なのだ。 その元凶は、一章と三章の間に挟まれた二章が作品のもつ独特の雰囲気を壊してしまっているのである。その余計な二章さえなければ164分の長尺も100分ちょっとの尺で程よくおさまっただろうし、なぜか私生活の細かい部分まで指示を与えてくるグルの存在、そのグルが見知らぬ男を殺すよう指示した理由や荒っぽい運転がキーワードとなる伏線についても、(配役チェンジはあるものの)一章と三章の間ではちゃんと回収が成立しているのである。何よりも、もしその余計な第二章さえなければ、前半後半でどんでん返しを観客に喰らわす構成があの出世作『ロブスター』に激似なのだ。 大方、エマ・ストーンのファ◯ク・シーンを、興行のために是が非でも望んだ出資者に、むりやり突っ込まされた?“第二章”だったのではないだろうか。あんな感傷的なラスト・シーンなど、監督ヨルゴス・ランティモスと脚本家エフティミス・フィリップの名コンビにはまったく似つかわしくない。コーエン兄弟の後を継げるのはこのギリシャ人コンビ以外に考えられない私にとっては、おそらくあったにちがいない出資者からの横槍には、許しがたい怒りを覚えるのである。(『籠の中の少女』を彷彿とさせる)第三章のエマによるへんてこりんダンスだけで我慢しておけばよかったのである。 エマ・ストーンが演じるキャラクターは、(聖水?以外に)不純物を体内に入れたくないわけで、自ら他の男たちとのSEXを望むというのは、物語上どうしたって矛盾が生じてしまうのだ。そこでランティモスが捻り出した裏技が、3話オムニバス&一人三役というアクロバットだったのではないだろうか。結果、(不条理ながらも)筋が一応通っていたストーリーを見事に破壊してしまったに違いない。 ところでみなさんは、エンドロールの途中でわざわざ登場させてきたあの影がウッス~い髭づらはげおやじが着ていたYシャツロゴ“RMF”がやけに気になったりしませんでしたか?もしかしたら、第1章で死んだ後、第3章で復活する髭面の地味なオッサンは、救世主キリストのアレゴリーではないだうか。“RMF”とはつまり、“RETRO”、“MODERN”、“FUTURE”のイニシャルだったのではないだろうか。 破綻しかけた物語の救世主たるRMFオジサンを狂言回しにして、むりやり繋げた本作のシナリオの元ネタは、おそらく男(アダム)と女(イブ)の創世記。第1章はアダムを真似て作られたイブの誕生、第2章はチョコレート(知恵の実)を食べ羞恥心を身につけたアダムとイブを、第3章は生命の実(双子の姉)を手にいれ損なったイブの楽園追放という具合に。某在日評論家によると、ランティモスが“(キリスト教の)三連祭壇画”モチーフの作品だと語ったのだとか。いずれにしても失敗作スレスレの映画であることに変わりはないだろう。
困惑
3章の異なる物語で構成され、キャストは同じでも全く別の役を演じている、愛と支配をめぐる「憐れみの3章」。 観賞直後の今、さっぱり理解できておりません…! ランティモス監督作品は、個性的で、抽象的で、不明瞭で、痛々しく狂っている。でもどこか美しく、可笑しみと愛を感じる。個人的にそんな印象をもっていますが、本作はひたすら狂気と歪んだ愛…というよりも執着のようなものを見せつけられた感覚が強い。 自分が求める愛を追い求めるが故に愛に支配され、身を滅ぼす人たち…ということなのか?深掘りしがいのある作品なので、これから咀嚼していこうと思います。 ちなみにワンちゃんが傷つけられるシーンがあり、とてもショックでした…。愛犬家の皆様、ご注意ください。
【"様々な支配の形"ヨルゴス・ランティモス監督が、その極北の唯一無二な作家性を出し過ぎた三つの物語。この三つの作品の一つ一つの内容の意味と、関連性をどう見るかは、観る側次第である作品だと思います。】
ー 三つの物語は独立している様で、観ていると微妙に関連性を持っている気がする。そして、どの物語も同じキャストが、それぞれ違う役を演じていてその設定は、興味深い。 更に、各物語ともブラックな笑いと、先読みが難しい展開が繰り広げられる不条理コメディーであり、可なり際どいエロティックシーンもそこそこにある。 正に、鬼才ヨルゴス・ランティモス監督、遣りたい放題の作品である。- ◆感想 ・私が、ヨルゴス・ランティモス監督作品と最初に出会ったのは「聖なる鹿殺し キリング・オブ・セイクリッド・ディア」であるが、その独特な世界観に一気に引き込まれたモノである。 監督自身が、ギリシャ出身の方なので、ギリシャ神話に触発された如き、残酷で、不気味で、何処か可笑しい世界観は、類を見ないモノであった。 ・その後の、ヨルゴス・ランティモス監督の大躍進はご存じの通りであるが、今作はその中でも比較的、監督の遊び心が炸裂した作品ではないだろうか。 ・今や監督作品の常連のエマ・ストーンは、あの大きな目で自由自在に様々な役をこなしている。が、今作では矢張りジェシー・プレモンスの存在が面白かったなあ。 一つ目の物語での、圧倒的で理不尽な男(ウィレム・ディフォー)に人生を支配されて来た男(ジェシー・プレモンス)が、初めて自分の人生を取り戻そうと反抗するが、結局は圧倒的で理不尽な男に、再び気に入られるためにトンデモナイ行為をする様が、実にブラックに描かれている。 <では、今作が万民に受け入れられる作品かと言うと、私は若干疑問を持つのである。 ヨルゴス・ランティモス監督ならではの、難解なシーンもテンコ盛りであるし、初めて監督作を観る方は少し戸惑うのではないかな、と思ったからである。 だが、個人的には矢張りヨルゴス・ランティモス監督の、極北の唯一無二な作家性溢れるこの三つの物語は面白かったのである。>
不快極まる快感
『女王陛下のお気に入り』『哀れなる者』と2作続けてアカデミー賞を受賞し、絶好調のギリシャ人監督ユルゴス・ランティモスですが、実は僕が一番好きなのは、その前作である『聖なる鹿殺し』です。ぶっ飛んでいるのに悪意に満ちているとも思える物語は、訳分からないけど中毒性があります。しかし、ハリウッドに進出するには、その悪意や毒を或る程度丸めなくては仕方ないのかなと思っていました。しかし、遂に本作でそのランティモスが帰って来ました。 3章の物語のストーリーを説明する事には殆ど意味がないほど訳が分からず、黒板に爪を立てた音の様に心の裏側がゾワゾワするのに、スクリーンから目が離せなくなってしまいます。「この奇妙奇天烈な話は一体どこに向かっているのだ」と気持ち悪い映像にウップとなりながら手に汗握ります。 一体何なんだ、この不快極まる快感は?!
脚本の面白さは特筆もの。「哀れなるものたち」ほどの構えの大きさはないけれど十分楽しめます。
ヨルゴス・ランティモス(以下Y・L)のインタビューによると共同脚本のエフティミス・フィリップとはしばらく前からこの作品の脚本を書き溜めていた。「哀れなるものたち」が編集段階に入り少し手が空いたため本作に取り掛かったのこと。「哀れなるものたち」スケールの作品と並行して別作品を進行させるというのは尋常なことではない。Y・Lはじめ制作者たちの映画製作能力の高さを物語っている。 本作についてはまず筋が面白い。ユニークであり、荒唐無稽とは言い切れない説得力がある。原題の「Kindness」を邦題では「憐れみ」と翻訳しているが、支配する側からの「好意」「好感」であると読み取れる。すなわち圧倒的な暴力や権力で人を支配している組織や人が、支配されている側にかけてやる「お情け」といったイメージ。ただしそれは被支配者が従順でかつ成果を出している限りにおいてであって、ひとたび過ちを犯した場合は容赦なく切り捨てられる。そのため被支配者は再びお情けを頂戴できるよう、猪突猛進しありとあらゆる手練手管をつくす。 本作においては第1章「R.M.Fの死」と第3章「R.M.F サンドイッチを食べる」がどんぴしゃりその構造。第2章「R.M.Fは飛ぶ」は男女間の支配と服従を描いており2人の関係の軸がだんだん変化していくのでもう少し複雑ではある。 ところでY・Lの作品では、映画の中で何者かの視線を感じることがある。例えば、「哀れなるものたち」でたびたび現れる魚眼レンズで撮影したかのようなシーン。映画の中で起こったことをなぞっているが筋の進行には寄与せず、また登場人物の誰の視点でもない不思議な位置づけのシーン群である。私はあれは神の視座だと思っている。 意識的か無意識的かは分からないが、Y・Lは神が見ていることを前提として人間世界の営み〜それは大体において奇妙に歪んでいるが〜を描いている。つまり、神に見られること、神の臨場のもとにあることで、映画の主題の柄の大きさ、リアル感が高まっているのである。そのようにして「女王陛下のお気に入り」では背徳が、「ロブスター」では赦しが、そして「哀れなるものたち」では輝かしいまでの愛が大きな主題として表現された。 「憐れみの3章」では先行する作品群ほどの高いテーマ性はみられないような気はする。神との接点は従来の作品と同様にきちんとあって、それがR.M.Fなのである。R.M.Fは要所要所に君臨するが、ずーっと視ているという感じでもない。だからこの映画はやや構えが小さくなったのかしら。サンドイッチを食べたりしてサボってるから?それにしても奇想以外の何物でもないが。 ちなみにタイトルバックのかっこよしの曲は、 EURYTHMICSの「Sweet Dreams」。 3章でエマが踊り狂うシーンの曲はCOBRAHの「Brand New Bitch」。 クールだよね。
自分もスクリーンに映されている側の世界にいるのかもと思ってしまう恐ろしさ
あの衝撃的だった「哀れなるものたち」と同じランティモス監督、エマ・ストーンさん主演ということで、今回も、ヤバいものを見せられるかも???という、大きな不安と期待を持って鑑賞に行きました。 「哀れなるものたち」は、ちょっと時空を超えたような感じで、時代設定も謎でしたが、今回は、今、この時代に、まさに起こっているのかも?というリアルさあって、さらにヤバい作品になっていました。 3つの物語のうち、2つ目は、ちょっとした疑念から、不信感が高まり、ついには、現実と妄想の区別もわからなくなるみたいな、まあまあ、ありがちかな感じ?とも思いましたが、1つ目と3つ目は、何の説明もなく、いきなりぶっとんだ世界に連れ込まれます。 最初は、なんだこれ?と思いますが、でも、それって、極めて、現実にもありそうな、ぶっとびかたなので、観ているうちに、自分も、そのヤバい側の世界の住人であるかのような感覚に、どんどん陥っていきます。これはクセになりそうです。 3話共、同じ役者さんが、演じているのも面白かったです。別々の話で、異なる役なのに、イメージが重なっていくので、なんといっていいのか、すごく、しっくりとくる感じでした。
悪趣味なコメディー映画
ランティモス・・・、きっと彼は変な映画を作りたいのでしょう。しかし、いささか、調子に乗る傾向がある様で、どの作品も後半に崩壊しやすい気がします。 つまり、リンチやクローネンバーグに憧れた映画監督が、センスがそこまで追いついていなかった為、乱暴な力技を通してしまい、せっかくの作品が崩壊してしまった、あまり面白くないコメディー映画なのが残念。作品毎に壊されていくエマの演技と、元々壊れているデフォーの存在感に助けられている。とはいえ、次作も観ると思いますが、いっそのこと、方向転換されたほうがよいのでは・・・。女王陛下のお気に入りの世界観のほうがあってる気がします。
滑稽で可笑しいけど愛おしい
今年のベストワン候補に一番乗りした「哀れなるものたち」に続くヨルゴス・ランティモスの新作。これもまた今年のベストの一本となる傑作。 今作は3つの物語からなるアンソロジー。共通のキャストが3つの物語の中で異なる役を演じた。 前作から続投のエマ・ストーンは言わずもがな、「パワー・オブ・ザ・ドッグ」で強烈な印象を残したジェシー・プレモンスが圧倒的だった。 支配と依存。自分のように社畜に堕ちた記憶がある者にとってかなり辛口な第一章。 海難事故から生還した妻が別人ではと疑う夫。結婚当初の妻、あるいは夫を見失い恐れる多くの人々にとって激辛な疑心暗鬼の第二章。 ここまではプレモンス、そして最後を飾るのはやはりエマ様。 カルト集団の教祖を信奉し認められたいと願うエマ様。盲信と承認欲求の第三章。 そう、グランドフィナーレにかけてエマ様がかっちょ悪く無様に駆け抜けた。大好きだ。 ちなみにマーガレット・クアリーの圧倒的な美貌とスタイルもしっかりと記憶に刻みたい。
愛と支配は紙一重
先に言っておくと、この映画は猛烈に不快感を掻き立てられる映画だ。じゃあ面白くないのか?と問われれば「いや、めっちゃ面白いよ?」となる。興味深い。 気持ちいいと面白いはイコールではなく、気持ち悪さが面白いに繋がっていく作品もあるのが映画の醍醐味なのだ。 エログロだから不快だ、みたいな単純な話じゃないよ?支配と被支配の関係性の中で、支配される側の人間がとる行動の一つ一つが、不安と不愉快さを煽り続けるのだ。 それでいて滑稽さも持ち合わせていて、予想もつかない行動に思わず笑ってしまう部分もある。 3本のストーリーの中で、どの物語が一番不快に感じるかは人によると思うが、私自身は2章目「R.M.F は飛ぶ」が一番不快だった。 ざっくり言うと「遭難した妻が帰ってきたが、帰ってきた妻は別人なんじゃないかと疑う夫」の話なのだが、妻・リズの置かれる状況は「遭難からの帰還」という特殊なケースを取り除いても成立する。 夫に何とかして受け入れてもらおうと、自分への愛など存在しないことを否定しようと、そう考えていることが突き刺さるほど理解出来た。 巧妙に支配され、それは自分が自由意志で選択したことのように思わされ、ジワジワと追い詰められる様子が、他人事とは思えなかった。 最も皮肉なことは、遭難以前の夫・ダニエルがリズの自由を尊重する「良い夫」であったことだ。海洋研究という仕事柄、リズがダニエルの元を離れて活動するのは遭難以前から度々あった事だと思われる。彼女を心配しつつも、その活動に理解を示し、彼女を送り出してきた理解ある夫。 二人のお互いを愛する気持ちが深すぎるが故に、二人の迎える結末が恐ろしすぎる。 愛ゆえに支配を受け、愛ゆえにおぞましい行為に手を染める。1章も3章もそこは変わらない。支配される側は何とかして自分の愛や誠実さを示そうと行動し、支配する側の信頼を得ようとする。 それは時に滑稽さを露呈し、観客をブラック・ユーモアの世界へ誘っていくのだ。 1章から3章は全て独立した物語だが、鮭料理や病院、R.M.Fなどによってどことなく関連性が持たされていて、その曖昧な関連性がさらに見ている側が属する現実世界へのやんわりとした地続き感へと繋がっていく効果を果たしているように思う。 また、3章全てが強い結びつきのある物語だとしたら?と考えるのも面白い。 面白かった人も面白くなかった人も同意見だと思うが、完全に「観る人を選ぶ」系の映画だ。だが、この映画の極端とも思える登場人物の中で、自分は誰に最も近いのかを考えてみると良いだろう。 愛と支配は紙一重、という世界に生きているという部分では、映画の中と私たちの間にさほど変わりは無いのだから。
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