憐れみの3章のレビュー・感想・評価
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自分の自由意志を守るためには人は孤独である必要があるのかも。
映画監督は巨匠になると自分の見た夢を映画にしたくなるようです。 本作は巨匠ヨルゴス・ランティモス監督の「こんな悪夢を見た…」3部作です。
第1幕 "The Death of R.M.F." 勝手なサブタイトル「自由意志のない男」
若い男は上司にすべてをコントロールされている。 家も結婚相手も妊娠も飯もセックスも読む本も。 放り出されると、自分では何も選べない。 自ら望んで支配下に戻っていく。 男に自由意志はない。
これはまるで映画監督と役者の隠喩のように見えます。 役者は監督の言うがままに演じるだけで、選択権は持ちません。 リアルの世界の創造主を神と呼ぶなら、映画というフィクションの創造主は監督です。 全ては監督の思うがまま。 そんな全能の存在である監督はもちろん観客の理解など求めてはおりません。あるいは、観客のために作った映画ではなく、批評家のために作った映画です。
第2幕 "R.M.F. Is Flying" 勝手なサブタイトル「あべこべの世界」
若い男は警官であり、愛する妻は海洋生物学者。 妻の乗った船が遭難したらしく、男は気が気でない様子。 無事に救出された妻はなんだか様子がおかしい。 どうやら本物ではないようだ。 女は男に言われるままに自分の身体を差し出す。 女は死に、妻が戻って来る。 夫婦は交換され、犬と人は立場が入れ替わる。
夫と妻のどちらが正気なのか、そもそも正気とはなんなのか、まさに悪夢の世界です。
第3幕 "R.M.F. Eats a Sandwich" 勝手なサブタイトル「汚染された体液」
邪悪な夫も幼い娘も捨ててセックス教団に入信した若い女。彼女は内側に激しい暴力衝動を抱えながら、それを抑えつけているように見えます。その教団では体液を汚染から守るために教祖夫妻以外とのセックスは禁止。 それと、教祖夫妻の涙を混ぜた水を飲み続けること。 女の使命は死者を蘇らせる能力者を見つけること。 女は元夫にレイプされ、教団を破門に。 女は能力者を見つけ出し、教団に戻りたいが…。
本作には自由意志を持ち生活する登場人物は出てきません。みんななにかに操られているように、生気のない顔で空虚な生活を送っています。他人との関係性の中で自らの自由意志を失っていく登場人物たち。現代社会の中で生きているわれわれみんなが多かれ少なかれそうなのかも知れません。自分の自由意志を守るためには人は孤独である必要があるのかも。孤独を避けようとすれば自由意志を差し出さないといけないのかも。そんなことを考えさせられましたが、いずれにしろランティモス監督の悪夢は空疎で暗くて退屈でした。
なんだか見てしまう
滑稽で痛々しい
奇妙なルールに縛られる人々の様子がコミカルにグロテスクに描かれ、主人公たちはどうなるのかと気になるシュールなストーリー展開もあり、最後まで目が離せませんでした。
最後、酷い……、完全にギャグな扱いですし……
奇妙なルールに従うのも、愛する人?神?からの承認を得たいがために従っているようで、滑稽感がありつつも痛々しいですし、残酷で理不尽ですし、悲劇と喜劇の表裏一体感がなんとも。
編集のテンポや音楽の入り方なども良く、唐突なダンスシーンもやはり面白い。
俳優陣もそれぞれのエピソードで様々な迫力ある演技を魅せてくれました。
奇妙に誇張されているものの、現実でも多かれ少なかれ、承認を得たいがために何かしらルールに縛られる構図はあるように思いました。
1話目など、食事管理とか見た目とか異性へのアプローチとか、普通にSNSとか自己啓発本とかの言説に従っているような感じを連想しましたが。
ヨルゴスの自傷癖炸裂。
邦題変じゃないですか?
「哀れなるものたち」からの「憐れみの3章」って何でも哀れ繋がりすぎでしょ。同じ監督の作品だからって安直では?
「優しさの種類」とか「3章の親切心」とかで良いような気がします。
映画はかなり評価が割れると思います。自分はかなり満足しました。全ての3章のつながりはほとんど無く、それぞれの表題には最終的に納得してニンマリ笑ってしまいました。
かなりエログロ満載で刺激が欲しい方はおすすめです。
個人的に3章全て同じキャストは斬新な試みで、良いとは思いますが、あえてそうしなくても良かった気もします。
それぞれのストーリーが全く別物なだけに登場人物とキャストの関係性がちょっとこんがらがるので注意が必要です。
それでも出演者の演技力で違和感なく別物のストーリーとして受け入れられるのはさすがです。
それぞれの章での考察はみなさんそれぞれ書いているので特には触れません。
カップルで行くのはお勧めできませんが、こういうタイプの映画大好きです。
ふーん…なーんも残らんかったぁ…
パンフレットも未購入だし、
解説も読む気すら失せたので、
監督さんの意図は知らんけど…
愛を描いたコメディなのかな…
でも、なんか鼻で笑っちゃう感じで、
見終わった後、冷め切ってる自分がいた。
なんか監督のドヤ顔が浮かんでしまうんだよなー。
車かっ飛ばすのウザイしさっ。
そういう小技いらんのよ。
もっと理解できないとこまで、
ぶっ飛んだ脚本の作品かと思ってたから…
あぁ、今この感想書いてて、
そっか、自分の期待値が高すぎたんだな、ということに気づいた。
(感想書くのって、整理整頓できるのね。)
比べるとこではないのだろうけど、
ラース・フォン・トリアーとか
テリー・ギリアムとか
ルシール・アザリロヴィックとか、
たまに世に送り出してくる
0か100か解らんような、
この人の頭の中どうなってんの?!
っていうような面白さがなくて、
ただの50みたいな…
真面な人が頑張って撮ったように感じちゃった。
個人的ジャンル分けとして、
これが好きって言ってる自分イケてるっしょ!
を認識するための作品部類かな。
サブカルどっぷり浸かってた
イキッてた頃の自分なら良い点つけてたかもね。
まっ、人を選ぶ作品ですわな。
でも、こちらの監督の作品は、これからも観るかな。
当たり外れがあるのも、
また人間味があって良いですしー。
愛すべき歪な人々
支配関係
ヨルゴス・ランティモス監督の作品に共通するテーマは「支配関係」である。
過去作では、「籠の中の乙女」(2009)は、子供たちが自宅軟禁状態で育てられる両親による徹底した支配、「ロブスター」(2015)は、恋人のいない独身者が施設に拘束されて相手を見つけないと動物に変えられてしまうという支配、「聖なる鹿殺し」(2017)は、裕福な家庭をほしいままにする謎の青年による支配、「女王陛下のお気に入り」(2019)は、三人の女性たちがバトルを繰り広げる王室支配、「哀れなるものたち」は、主人公が体感していく社会における男性支配が描かれている。
今作では、1章は、レイモンドがロバートの生活すべてを支配、2章は、妻が偽物だと疑うダニエルがリズの生殺与奪を支配、3章は、オミ率いるカルト教団がエミリーたちを支配という関係になっている。非常に興味深いのは、被支配者が支配者の要求にことごとく応えていることだ。関係性を維持するために、もしくは相手に愛情を伝えるために、支配を受け入れる。客観的にみれば虐待にも見える倒錯的な愛を通して、人間の本質をあぶりだしている。
この世に生きる人々は程度の差こそあれ、みんな何かに縛られ、何かに支配されて生きているが、ランティモス監督が描いているのは支配される側の人間たちだ。映画では、支配される側は支配する側から脱走を試みるが、それは、「哀れなるものたち」以外は、いつも拙劣なものに終始し、成功することはないという結論があらかじめ用意されている。
この映画のテーマ曲であるユーリズミックスの「Sweet Dream」(甘い夢)では、
「あなたを利用したい人もいれば あなたに利用されたい者もいる
あなたを虐待したい者もいる 虐待されたい人もいる」
という歌詞があるが、これは、人間にある支配と被支配という欲望を言い当てているといえるだろう。
突然得体の知れない狂気に放り込まれる緊張感、ぶっ飛んだ感性でこの世界を揶揄する独創的なセンス、ランティモス監督の世界は一度観たら忘れられない。
ランティモス節全開の快作
ランティモスのやさしさ
前回の「哀れなるものたち」の壮大な冒険譚も良かったけど、やっぱ、ランティモスは神話的アイロニー&悪趣味ブラックコメディが良い!今後もこの路線でお願いしたい。
本作の神は、無力な人間が謙虚に神に頼って従い、その上で「神のお入用なのだ」と勇気を持って日々歩むことを望む。そんな神の狡猾な方法にすっかり取り込まれているようなジェシー・プレモンスが見せる、エマ・ストーンへの様々なKINDNESS。
1章。ジェシー・プレモンスは自分と同じ境遇のエマ・ストーンを殺人の罪から救いたい。一度断った自分が代わりに罪を負う。
RMSが死んだのは、弱い人間を利用した神の計画、目的、意図の結果のように描かれているが、実は人間の無意識にある自由意志、根底にあるKINDNESSだったというお話。
これから始まる世界へ誘う完璧なストーリー。
2章。タブーなものを食べて生き延びて帰って来たエマ・ストーンに、自分の食事のために残酷な依頼をするジェシー・プレモンス。
人間の肉欲の力は、神の前になんの価値もない、神の心を満足させられるのは、エマ・ストーンが喜んで悔い改めること。ジェシー・プレモンスは神のように振る舞いながら、タブーを犯した妻(肉欲のカラス)を昇天させ、素直な妻(鳩)に帰って来させた。
宗教は人間が倫理を守るために寓話的に利用するもの。
3章。悪魔的クソ旦那と愛する娘への葛藤からカルト集団に依存しているエマ・ストーン。「愛されたい」「受け入れられたい」「支配されたい」と願いながら、無駄にドリフトを決めて駐車する癖は、「自由でありたい」「自己管理したい」という気持ちの現れ。そんな危ういバランスの彼女をジェシー・プレモンスは家族のように見守っている。
救世主を探し、ついに不思議な力を持つ女を見つけたエマ・ストーンは自由に喜びのダンスを踊り、その後の乱暴な運転で教団の愛を失うことになる。
無意識に「愛されたい」より「自立したい」が上回ったようだ。
で、ラスト。キリストの血は全人類の罪に赦しをもたらすために流されたと言うけれど、復活したRMSの胸を染めたのはまさかのケチャップ。大爆笑した。
登場人物たちが理不尽な目に遭うことで、人間の生はそもそも不条理であること、人は理由なく人を殺し、殺されること、神がいざという時になんの助けにもならないこと、そもそも神は介在しないことを問答無用に理解させる。今の世界に痛烈なメッセージだと思った。
以前のランティモスは少々自虐的だったが、本作のランティモスは意地悪さがない。人間の自由意志、倫理、自立という三柱を軸に、私たちの根底のKINDNESSに希望を与えてくれた。
愚かさは人間味?
思っていたよりずっとダーク
Qアノン、陰謀論、カルト集団……
それぞれの顛末を描いた3章。
もうね、豪華俳優陣がそれらを演じているので、
それを観れる贅沢さはあるんですけれども、
本当に居心地は悪いですね、ええ。
ランティモス、以前は自虐的なものばかりだった印象だけど、
最近はだいぶ社会を俯瞰で見た中に自分のフェチズム差し込んでる感じ。
それはそれでスケールでかくて見ごたえあるんだけど、
まだまだ子供の私は、昔のようなやつも観たい。
いやー、3章目のエマ・ストーンがとんでもなかったな。
もうさ、あのスタスタ歩く感じと濃いめの化粧でさ、
あの車ドリフトさせる感じも堪らなく切なかったですな。
もう、あの夫の事実を知ってからは冷静に観られないのよ。
そこを感傷的にしなかったのがいい事なのか、悪い事なのか
今でも掴み切れてはいない。
でもやっぱノリノリで演じてるから観てても最高に気分上がるし、
もう結局はあの主人公に身を寄せてしまうのよね。
ホウ・チャンも素晴らしかったし。
あのキャラ、モデルが色々浮かんでくるよ…。
そしてジェシー・プレモンスよ。
あの3章のキャラクターって今まであんまり無くなかったですか?
優しいとか、勘違い野郎とか、寡黙なやつとか色々ありましたけど、
なにあの風貌、仕草。エマとの相性も最高だった。
どういう顔して見ていいか分からないのが、
やっぱりヨルゴス・ランティモス。ずっと期待を裏切られる。
理解が追いつかない
”アワレ”シリーズ第2弾の正解は見つかるか?
「哀れなるものたち」に続くヨルゴス・ランティモス監督、エマ・ストーン主演作品でした。ウィレム・デフォーも両方とも出演してるし、「アワレなるものたち」に続いて「アワレみの3章」と、邦題的には「アワレ」シリーズ第2弾とも言えるのかなと。ただ「哀れなるものたち」は幻想的な世界のお話でしたが、本作は現実社会が舞台になっていて、内容的には全く繋がりはありませんでした。ただ不気味さ、不可解さは相変わらずのヨルゴス・ランティモス風味であり、一見したところの「なんだこりゃ」感は共通していたと言って良いかと思います。
さて本作の内容ですが、邦題の通り3つの章だてのオムニバスで、「アワレ」シリーズ第1弾と第2弾同様に、3つの章それぞれの話に直接関連はなかったものの、エマ・ストーンやジェシー・プレモンスらの出演者は同じ。それぞれの話にどんな共通項があるのだろう、何のメタファーになっているんだろうなど、そんなことを考えながら観ましたが、第1弾同様正直正解を掴むのは中々難しいと感じたところでした。
私なりの稚拙な解釈としては、1章目は支配者に不満を抱きながらも支配者を欲する現代の大衆がロバート(ジェシー・プレモンス)であり、”パンとサーカス”を与えながら大衆を弄ぶ支配者がレイモンド(ウィレム・デフォー)のメタファーなんだろうと感じました。これは結構正解に近いと自負(笑)
ただ2章目は難しい。ダニエル(ジェシー・プレモンス)の”被害妄想”とリズ(エマ・ストーン)の”純粋な愛情”のすれ違いを描いていましたが、はてこれは何を意味するんだろう?極度の緊張状態が続く日常の末に”言葉”が無力化していき、コミュニケーション不全に陥り、分断が進む世界を描いているのかしら?
そして3章目は、オミ(ジェシー・プレモンス)を教祖とする新興宗教っぽい団体の過度な純粋さの追求と言うか、処女崇拝と言うか、ピューリタニズムと言ったものと、その反転としての純粋でないものの排除を描いており、これには現実逃避することでしか精神の安定を得られない現実世界へのペシミスティックな視点が感じられたところでした。
以上稚拙な感想が頭に浮かんだところで「Kinds of Kindness」という原題に注目。”Kindness”には”親切”、”優しさ”、”いたわり”、”慈愛”なんていう意味がありますが、ここでは”優しさ”とか”慈愛”とするのが妥当なのかしら。とすると、原題を直訳すれば「優しさの種類」となる訳で、それを素直に解釈すれば、3章の共通項は”優しさ”ということなんでしょう。
1章目では、自立できない大衆に生きる意味を与えてくれる支配者の”優しさ”を、2章目では夫に与えて貰った恩に対する恩返しをするためなら、自らの命も顧みない妻の”優しさ”を、そして3章目では”純粋さ”に帰依する教義を守れる者の間だけの”優しさ”をそれぞれ描いているのかなと思ったところでした。そしてそんな”優しさ”は、当事者にとっては至高の存在でありながら、第三者的には全く意味がなさそうと感じた訳ですが、果たして正解は何処にあるのでしょう?
あと、全然本作とは関係ないところですが、日常生活が舞台なのに、最終的には破滅的な結末が待っていた本作。鑑賞後感としては夏目漱石の「夢十夜」と似たところがありました。オムニバス形式ってところも共通しているし。
そんな訳で、いろんな解釈を考えることで鑑賞後も楽しめた本作の評価は★4.5とします。
きっついっっっ
♪Sweet dreams are made of this
Who am I to disagree?
I travel the world and the seven seas♪
ユーリズミックスのスィートドリームスじゃん
♪Everybody's looking for something♪を一緒に歌おうとしたらいきなり止まった。
あっぶねー。ご用心。
途中までマットデイモンだと思ってた。
♪Some of them want to use you
Some of them want to get used by you
Some of them want to abuse you
Some of them want to be abused♪
他者の力を利用しようとする者もいれば
他者に利用されることを望む者もいる
他者を虐待しようとする者もいれば
他者に虐待されたいと望む者もいる
あああああ・・・
疲れたぁ
完成度の高い完璧な悪趣味
不条理な世界を描かせたらピカイチのランティモス。今回も期待を裏切らない、完成度の高い完璧な悪趣味な世界が繰り広げられています。
この見終わった後に感じる、独特な後味の悪さとクセになるこの感じ…。
特に今回は『籠の中の乙女』や『ロブスター』のランティモス風味満載でとても良かった。
3本のオムニバス形式で、出演者が変わらないものの、それぞれのストーリーで立場が変わり、繋がっているようで繋がっていない、不条理な世界で物語が進んでいく。
特に説明もなく、謎のようなタイトルと、その世界がさも当たり前のように展開され、気が付いたらストーリーは終わり、そしてまた次の世界が展開される…
ランティモスの世界を堪能するには充分な作品。
完成度が高い故(インテリアが素敵とか、車がかっこいいとか、、、)、完成度の高い悪趣味さが際立って見えます。そこが好き嫌いの分かれ目なんだろうな。
『哀れなるものたち』みたいな壮大さはいらないので、いつまでも心の奥底に澱のように溜まってしまい消すことのできない、良い意味で後味の悪い作品を、ランティモスには撮り続けてもらいたいです。
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