「Three dreams are made of this」憐れみの3章 セッキーかもめさんの映画レビュー(感想・評価)
Three dreams are made of this
10/3@ユナイテッドシネマ新座、11/6@渋谷シネクイントにて計2回鑑賞。
ヨルゴスランティモス監督の映画は今回が初鑑賞。
鑑賞後は不気味なものを長時間集中して見続けたせいか、気分が悪くなってしまった。
しかし、つまらなかったという感覚ではなく、ところどころのシーンが断片的に思い出されて、あれって結局なんだったの?が頭の中をめぐっている状態が続いた。
この映画はYoutubeチャンネル「映画の伏線回収」で細かい解説動画があり、それを視聴してなんとかもやもやを解消できた気がする。
本作は、題名通り3つの物語で構成される。すべて全く関連のない物語であるが、俳優が別のキャラとして物語を飛び越えて登場し、RMFという人物のみすべての物語に同じ名前で登場するという特徴がある。
まず、本作は監督が戯曲アルベールカミュ「Caligula(カリギュラ)」に着想を得たものと言っている。(カリギュラとは、ローマ帝国第3代皇帝であり、有名な暴君ネロの叔父にあたる。性的倒錯(兄妹との近親相姦)や支配的な政策をしたことで有名。)カリギュラのような支配的なことが行われる状況でなぜひとはそこから逃げ出さないのか、という点に疑問を持ったことから本作は展開されていく。
オープニング曲のEurythmics「Sweet Dreams are Made of This」。この曲の歌詞がまさに本作を理解するうえで最も重要な内容となっている。以下一部抜粋。
Some of them want to use you (あなたを利用したい人がいる)
Some of them want to get used by you (あなたに利用されたい人がいる)
Some of them want to abuse you (あなたを苦しめたい人がいる)
Some of them want to be abused (あなたに苦しめられたい人がいる)
これが本作で出てくる人物たちの構図になっている。
1. THE DEATH OF RMF(RMFの死)
すべての予定を管理される男の物語。主人公(ロバート)は上司(レイモンド)にすべての予定を管理されている。予定といっても、ふつうはその日のおおまかな仕事内容や時間だと思うが、ここで出てくるものはそれとは別次元であり、分刻みのスケジュールから、妻との性生活、読む本、さらには住む家、生活のすべてを管理されている。レイモンドが交通事故を起こすように指示を出したところで、ロバートはそれだけはできないと言い、クビにされてしまう。ここからストーリーは動いていく。ロバートは転職活動や妻に今までの経緯を説明するが、何をしてもうまくいかない。10年もの間すべてレイモンドからの指示で動いていたため、自分で判断してうまく動くことができない。観客からすると、イカれた上司から離れることができてよかったな、ここから頑張って自力で頑張ってほしいなと思うが、ストーリーは真逆に進む。ロバートはレイモンドの元に戻るため、指示された交通事故の相手(RMF)を車で轢き殺してしまう。その後、レイモンドに抱擁され、この物語は幕を閉じる。
この物語はわかりやすく支配するものとされる者が登場する。そこでこの支配的な状況から逃げ出さず、また逃れるチャンスがあったにも関わらず、その状況に自ら戻ってしまう。まさに、カリギュラの独裁的状況から逃げ出さない市民の構図と全く同じである。たしかに、この物語は極端すぎる例を示しているが、例えば、一般企業に勤めるサラリーマンも同じような構図ではないだろうか。支配することができる雇用者と指示を受けていれば生活が保障される労働者。労働者は大きな変化をおそれ、自身で判断することをやめる。この物語は非常に極端ではあるが、ごく身近な労働者の延長線上にあるものを表しているように感じた。
2.RMF IS FLYING(RMFは飛んでいる)
妻が入れ替わってしまう物語。主人公(ダニエル)の妻(リズ)は海洋調査の途中で事故にあってしまうが、なんとか一命を取り留める。リズはRMFが操縦するヘリで無事家に戻るが、ダニエルはこのリズは本物のリズではない、と思い拒絶してしまう。それを表現するシーンが何度も登場する。例えば、飼い猫がはじめて会ったかのように威嚇をする、嫌いだったはずのチョコレートケーキをバクバク食べてしまう、靴のサイズが合わない、好きな音楽のセンスが変わっているなど。どれも別人と判断できる微妙なラインであり、観客からすると、別人疑惑のリズとそれを拒絶するダニエルのどっちが正しいの?という疑問を抱いたまま話は進んでいく。物語序盤では、別人のリズがなにかを企んでいるんだなという雰囲気であるが、後半になるにつれて、ダニエルのリズに対する異常な行動や言動が目立つようになってくる。最終的にダニエルがリズに、君の肝臓が食べたいと言い出し、リズがそれに従ったことでリズは死亡してしまう。リズの死亡直後、もう一人の容姿のまったく同じリズが登場し、ダニエルと抱擁し、この物語は幕を閉じる。
この物語は、支配者がダニエル、被支配者がリズだろう。1では雇用者と労働者、この物語では、夫と妻でその構図は出来上がっている。ただ、1と異なる点として、この物語の支配には愛がなく、本物のリズに対する愛の裏返しとして帰還したリズがその嫌がらせのような支配を受けている。別人と思わせるシーンについては、例えばリズが妊娠をしていて、食事の好みが変わったり、足が浮腫んでしまって靴が入らなかった、など可能性としては考えられる。些細な変化を恐れる人間は、愛のない支配によって妄信する妻を殺してしまったのである。
3.RMF EATS A SANDWITCH(RMFはサンドイッチを食べる)
蘇生能力を持つ人間を探す物語。ある宗教団体からの依頼により、主人公(エミリー)は同僚(アンドリュー)と協力し、いくつかの手がかりをもとに蘇生能力を持つ人間を探す。2人が所属するその宗教団体では、教祖(オミとアカ)としか性行為を許されていない。ところが、エミリーは元夫に睡眠薬を盛られ、性行為をしてしまい、宗教団体から強制的に脱退させられてしまう。そこからエミリーはその宗教団体に戻るため、単独でその人物を探し出す。最終的にその人物がRMFを復活させたことにより、特定に成功するが、エミリーが運転する車の交通事故によってその人物は亡くなってしまうという物語。エンドクレジットでRMFがひとりでテラスのような場所でサンドイッチを食べるところが描写される。
この物語では、支配者は宗教団体、被支配者は信者だろう。1から3ですべて異なる関係でこの主従関係になっていることがわかる。ここでの支配は、1に近い形であり、支配から抜け出せたものが、もう一度その支配下の置かれたいために努力する形になっている。この宗教団体では「水」に関するものが随所に登場する。例えば、飲料水を非常に重要視する、性行為をしてしまったものの汗で穢れを判断する、涙を池のようなところで貯めている、船の名前はH2Oであることなど。蘇生能力を持つ人物はプールで双子の妹を亡くしたことで人間を復活させられるようになったのも、水に関係があるように思える。作品中でこれに関する詳しい説明は出てこないが、生命の起源=水という解釈が自然な気がする。また、1ではRMF、ここでは蘇生能力をもつ人物が犠牲になっている。この物語のみ、犠牲者が出たことによるバットエンドを迎えている。1の題名RMFの死に対応する形で、この物語でRMFは復活するが、サンドイッチを食べるということが復活を表しているのだろう。
3章を通して…
すべての章で支配するものとされるものが明確に描かれている。また、共通して支配されるものはその状況に固執し続ける。まさに監督が着想を得たカリギュラの世界、オープニング曲の内容そのままといった印象を受けた。正直内容自体はすべて異常性があり、倫理観は存在していない。しかし、165分という長い上映時間が苦にならず見れたことは、ストーリーに無駄がなく、示したいことを描くには必要最小限のシーンとセリフにまとめているからだろう。
今でも本作のオープニング曲が頭から離れない。ヨルゴスランティモス監督の作品は初鑑賞であったが、安易には観られないなと痛感した。
本作品には考察できる部分がまだまだある。時間があるひとには、ぜひオススメである。