#スージー・サーチ : 映画評論・批評
2024年8月13日更新
2024年8月9日より新宿シネマカリテ、 ヒューマントラストシネマ渋谷、池袋HUMAXシネマズほかにてロードショー
我々も抱えている日常の疲れとシンクロしてじわじわと効いてくる
「SNS時代の闇を暴く!」みたいなテーマを含んだ映画は近年山のように作られている。俳優、脚本家でもあるソフィー・カーグマンの長編監督デビューとなった本作も、同じ系譜に入れられるのは間違いないだろう。
主人公のスージー(カーシー・クレモンズ)は苦学生のヤングケアラー。幼い頃から培ってきた推理小説や未解決事件への関心と膨大な知識を活かして、犯罪系ポッドキャストでサクセスしようと思い立つ。しかし簡単にフォロワーが増えるはずもない。スージーは同じ大学に通う人気インフルエンサーの失踪事件に目をつける。現実の事件を解決すれば、注目されてフォロワーも急増するはず!
スージーは首尾よく何者かに監禁されていたインフルエンサーを救出し、思惑どおり人気者になるのだが、それは物語の序盤に過ぎない。そこから先は、展開が二転三転し続けるジェットコースターミステリーと化すだけでなく、成功と失敗、両方の落とし穴の縁に立たされるスージーの心理スリラーの様相も呈してくる。ネタバレは避けるが、本作の主軸は秘密やどんでん返しよりもスージー本人の危うさにフォーカスしたブラックコメディにあり、コーエン兄弟の皮肉に満ちたユーモアと近いものを感じる。
有能だけど不器用で、健気だけど自己中なスージーの大いなる“やらかし”には、明らかにSNS時代の狂騒を批判するメッセージが込められている。しかしむしろ映画を魅力的にしているのは、カーグマン監督が作り出した、倦怠と疲弊感に包まれた田舎町のしょんぼりとした世界観ではないか。
スージーを取り巻く人たち、アレックス・ウルフ演じる一見快活なインフルエンサーを筆頭に、大学の先生、バイト先の店員、地元の保安官事務所の職員にいたるまで、この映画の登場人物はそろいもそろって現実や社会にフィットできていない居心地の悪さを身にまとっている。ある意味で戯画化され誇張されてはいるのだが、彼らの顔や表情、発言から佇まいまでのすべてに宿っているウンザリした風情が(すべてのキャスティングが秀逸!)、我々も抱えている日常の疲れとシンクロしてじわじわと効いてくるのだ。
スージーが何かから逃れようと必死でもがくのは、今われわれが生きている“普通の日常”が、もう苦笑するしかないくらいに色褪せて緩慢な地獄だからではないか。スージーの暴走やほかのキャラの珍妙さに呆れたり笑ったりするのは簡単だが、もっと大きくて普遍的な“イヤさ”をドライに切り取った監督のセンスこそが、本作を唯一無二の怪作にしているように思う。
(村山章)