シサムのレビュー・感想・評価
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後世に残すべき重要な作品だと思います
何となくは知っているけど、深くは知らない日本人とアイヌ人、そして北海道開発の歴史
こういった重要な内容を万人がとっつき易い映画というかたちで残し後世に伝承していく事がとても重要だと思います
本作で描かれたのはほんの断片、今後もっといろんな作品が制作され続けていくことを期待します
『ダンス・ウィズ・ウルブズ(1991)』や『ラストサムライ(2003)』が好きなので、本作もとても好きです、無力なアイヌの人民が傲慢な日本人の侵略を受け追い詰められてく様が痛々しく、歴史の流れには抗えない切ないストーリー展開が心に染みました
眉目秀麗だが、誰より殺気で負けてる孝二郎。 戦おうとするたび、弱!...
今の世の中こそ、「生かされていることに感謝し」、「謙虚に必要なもの...
今の世の中こそ、「生かされていることに感謝し」、「謙虚に必要なものを必要な分だけいただく」「過度に他者のテリトリーを犯さない」というアイヌのような生き方が必要なのかもしれないな・・と思いながら鑑賞しました。
主演の寛一郎は演技に魂が無いというか、兄を殺された時の怒りや、アイヌと松前の板挟みになった時の苦悩などが一切伝わってきませんでした。なので、いい映画なのにあまり感情移入できずに冷静に見終わったという感じです。エンディング局はNICE。中島みゆきを聞きながら、やっぱり主題歌って大切だなと痛感しました。
アイヌ、和人を問わず大切なこと
【”恩讐の彼方に見えたモノ。そして”アイヌとは人間という言葉です。”と若き松前藩士は言った。”今作は北海道の先住民族アイヌへの和人の支配と差別の中で、アイヌの文化を残した若き武士の成長物語である。】
ー 劇中でもアイヌの若者が苦々し気に言った通り、シサムとはアイヌ語で”隣人”を表している。そして、400年前の当時(もしかしたら、アイヌ民族が和人と同化しつつある現代でも。)その”隣人”である和人(日本人)は、”悪しき隣人”であった。-
■粗筋
松前藩士である考二郎(寛一郎)は、兄(三浦貴大)と、交易のために蝦夷地に向かうが、兄は荷物を検めていた使用人の善助(和田正人)に殺されてしまう。
善助は、実は幕府の密偵であり、松前藩が交易の際に鮭と引き換えに渡す米を不正に減らしていた事を調査していたのであった。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・最近、アイヌの映画が増えている。
「アイヌモシリ」「カムイのうた」そして、エンターテインメント映画として大ヒットした「ゴールデンカムイ」。どれも、とても面白く、且つ自身のアイヌ民族への知識の無さに愕然としたものである。
イザベラ・バード女史の「日本紀行」を読んで、分かった積りでいたのだが・・。
・今作が面白く、琴線に響くのは、兄を殺された考二郎が兄の仇を撃つために使用人の善助を追う中で負傷し、心優しきアイヌ民族に助けられ、その姿を見て感化され、アイヌ民族に対しての考えが変わって行く様を丁寧に描いている所であろう。
特に驚いたのは、アイヌ語をキチンと織り込んだ脚本と、サヘル・ローズさんを始めとしたアイヌ人役の役者さん達がアイヌ語を話す姿である。
あれは、相当に練習をしたと思うのだが、故に今作は見応えがあるのである。
・考二郎はアイヌの民と、夜に産卵後の鮭を一匹ずつ取り、徐々に自然に対し畏敬の念を持って接するアイヌの民に惹かれて行く。
そして、アイヌは”蝦夷”(アイヌの蔑称)ではなく、”アイヌとは人間という言葉”という事を学び、彼らの生活習慣に感銘を受けて行くのである。
考二郎は、そんなアイヌの民族と和人が共に生きる道を考えて行くのである。
・アイヌと松前藩士との闘いのシーン。弓矢と鉄砲である。圧倒的に不利な状況下、アイヌの民は追い詰められていく。且つて、夫と子を和人に殺されたリキアンノ(サヘル・ローズ)と、善助が考二郎の眼前で殺されるシーン。
そして、善助は息絶える前に細い声で言うのである。”母は、アイヌだった・・。”善助が命懸けで松前藩の不正を幕府に報告しようとした理由が、この言葉で氷解するのである。
<今作のラストでは、絶望と微かな希望が描かれる。
続々と”蝦夷”の海岸に押し寄せる幕府の大型船。
アイヌ民族を力で押さえつけようとする、江戸幕府の姿があのシーンから見て取れる。
それは、近代において民族の自由を奪われたアメリカの先住民族であるネイティブ・アメリカンの姿をも容易に想像させる。
彼らの多くは現代でも隔離されたネイティブ・アメリカン特別保留地で暮らしている。政府から多額の助成金が出る為に多くは働かずに、アルコール中毒になる人が多いとも聞く。
だが、考二郎はアイヌの文化を残すために、金を取り、産卵前の鮭を捕獲する和人の姿を書き留めながら、アイヌの部落を草鞋で歩き回り、記録に残して行くのである。
今作は、アイヌの民の苦難の歴史を正しく残そうとした、良き作品であると私は思います。>
サヘルの濃さがええわ
先住民族であるアイヌとの交易や歴史上の戦いは教科書では教わらない。
北海道はアイヌの土地。それを侵略して取り上げたのは幕末から明治に渡る日本人。もっと物語の中に歴史的な深い考察が欲しかった。サヘルさんの演技は見どころ多し、主演の寛一郎は襲撃間近で漸く芝居が噛み合った。
父や祖父にどこまで追い行けるかなあ。
アイヌの文化、歴史は日本人として学ぶべきだと思います
蝦夷松前藩はアイヌとの交易で潤っていた。しかし、実際には詐取、搾取とも言える不平等な関係で、それを暴こうとする津軽藩の密偵に兄を殺された松前藩の藩士がアイヌとの交流でアイヌを理解しよう、共存しようとするストーリー。
寛一郎が身体を張って松前藩の鉄砲隊を阻止するシーンはグッときました。
2年前に北海道白老のウポポイに行きアイヌの歴史や文化を垣間見る機会があり興味を持ちました。
配役も良かったけど流石にサヘル・ローズの顔立ちはアイヌの女性に無理がありますね。
主役の寛一郎、アイヌの村長藤本隆宏はハマり役かと。お気に入りの古川琴音も出てて嬉しかった。
遅くはない 仕方なくもない
「ゴールデンカムイ」を観た方で、この映画を観ようと思った方が何人いるのか、甚だ疑問ですが、少なくとも私は、この映画を併せ観ることは、私の役割のような気がしたので、映画館へ。
例えば、今の私達が、今のイスラエルを非難することは容易です。しかし、今のイスラエルを改めさせることは、ほぼ不可能。それは、過去の私達が……。…この先は、余りにもデリケートな話題なので、私から述べることはありません。
「…染まったな…。」
そうですね。確かに、今の私、何かに染まっています。ただそれが何なのか、知りたくもないし、知ったところで、今の私がどうなるものでもない。ただ、染まった私が此処にいる。それを自覚できるかどうかで、次の私が見えてくる。次の私が唱えます。
「遅くはない、仕方なくもない…。」
ところで、孝二郎さん、不死身のボディでもなければ、腕っぷしも強くない。機転が効くキャラでもない。お陰で、周りの方々の思いが、主人公目線のフィルター無しでダイレクトに刺さります。そんな孝二郎さんが遺そうとしたものですが、あれ、誰に、何の目的で遺そうとしたんですかね。そして、私が孝二郎さんと同じ立場になった時、私は孝二郎さんと同じことができるの?。
劇中、シャクシャインの名が出ましたね。シャクシャインがその後、どうなったのかご存知の方なら、この後、北の大地で何が起きたか分かりますよね。このお話、楽しくもなければ、面白くもありません。では、何故、この映画は創られたのでしょうか。誰のための映画なのでしょうか?。
いつか、後世のヒトは、多様性とか、グローバリズムとか言いながら、分断と不寛容な世界を築いた私達を非難するでしょう。確かに褒められたものではない歴史を造りました。それでも後世に、何か遺すものがあるのなら、何か伝えたいものがあるのなら…。
本作がその一欠片になってくれることを、切に願います。
孝二郎さんの思いが託されたこの映画、皆様はどう受けとめますか?。
追記
繰り返しになりますが、やはり「セディック・バレ」を、お勧めします。ちなみにセディック・バレとは、「真の人」と云う意味らしいです。併せご覧下さい。
松浦武四郎
良き隣人ならば平和な関係が持続するが
北海道の原住民アイヌ民族を知るうえで貴重な映画、アイヌの彼等は自然、その土地に生かされてる意識を持った民族で我々人間が欲深くなると自分さえ良ければという意識のもと行動するようになるが、アイヌの人々は決してそうはならず我々が持ちたい意識の持ちつ持たれつお互い様、困ってる人には手を差し伸べると言った人間として真っ当な民族。
欲をかいた松前藩はじめ本土の人間は次第にやりたい放題、不平等貿易に、アイヌの人々にも苛立ち不満、怒りが満ちてくるのは当然。世界各地で紛争、戦争、睨み合いがある世の中で人間としてどうあるべきかを伝える映画だったと観終わったあとの感想です。
日本国内でもいまだにアイヌ差別があると聞きます。北海道に行けばアイヌを知るための施設や伝承者が居ます。
世界的にも大航海時代から始まった原住民と開拓移民、侵略者の関係性での差別も有ります。
お互いが思いやりと手を差し伸べる気持ちこそが対等で良き隣人への近道なのではないだろうか。
シサム=良き隣人、とはなかなかの映画タイトルだと思う。
結局、アイヌの人たちはどうなっちゃたの
矢が画面に向かって飛んできた
ダンス・ウィズ・ウルブズかと思いきや
良作だが、明治以降の歴史についても少し触れて欲しかった(補足入れてます)
今年334本目(合計1,426本目/今月(2024年9月度)20本目)。
※ (前期)今年237本目(合計1,329本目/今月(2024年6月度)37本目)。
日本では中学以降の歴史で多少扱うことがある、松前藩とアイヌとの戦いを描いたものですが、史実に基づくとするもののフィクションの扱いのようです。ただ大筋において主要な登場人物は共通なので、この映画の主テーマでもあろう「シャクシャインの戦い」や、それに先立つ「コシャマインの戦い」、あるいはそれよりもっと前の定着後の文化についても理解があればよいかなといったところです。
映画の本筋としてはフィクションという事情もあってどこまでが正しいかはわからないものの、一つの解釈としてはあるだろうというところです。また、この手の映画(方言関係。アイヌ民族を扱う映画のほか、場合によっては戦中戦後の沖縄を扱う映画等も)では「当事者不在」の作品がまま見られますが、関係者の後援もあり(エンディングロール参照)、きわめて質の高い作品となっており、ほぼほぼ無条件に推せるところです。
この映画を見れば、日本が単一民族の国であるとか、あるいは単一言語の国であるなどという(一部の主張で見られる)ことはありえず、それは現在、2023~2024年においても同様です。日本ではアイヌ・沖縄に関しての教育は最低限といったところですが、最低限の知識以上は身に着けておかなければならないし、(単一民族だの単一言語だと言い張る方も根強くいる中で)日本にはこうした弾圧の歴史があったということは忘れてはならないところです。
表題にも書いた通り、この作品は現在につながる部分について触れていないのがちょっと惜しいといったところです。もちろん過去について知ることは重要ですが、私たちが生きるのは今(2023~2024)だからです。この点については知る限り後述します。
採点に関しては以下まで考慮しています。
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(減点0.2/明治時代以降についても多少触れて欲しかった)
アイヌ民族に対する偏見や差別は当時のものではなく、今にいたるまで程度の差はあっても存在しており、そうであるからこそ、明治時代以降の歩んだ歴史についても簡素であっても良かったので触れて欲しかったです。
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(減点なし/参考/北海道旧土人保護法と旧民法(帝国民法)の矛盾)
・ 明治時代になると、映画内で扱われるような無茶苦茶な扱いは少なくなったものの、間接的差別は存在しました。「北海道旧土人保護法」という法律名それ自体もそうでしたが、間接的差別を目的としたのか内容が無茶苦茶な状況になっていた事情があります。同法は、建前上はアイヌ民族に対する差別意識、差別的政策を解消しようという名目のもとで、土地を無償供与する趣旨の法律ですが、当時与えられた土地はとても住めるようなところではなく、経済的に詰まる当事者が続出した事情があります(明治32年成立)。
この法は土地の無償給与などを定めた法ですが、一方で当事者がそれを売ったり賃貸したりという「利益をあげる行為」を防ぐため、民法の物権の大半を除外する特別法の位置づけで「留置権、先取特権の目的となることなし」(原文のまま、現在の漢字表記に修正)といった記述があった法です。
しかし留置権、先取特権は「法定担保物権」といって条件を満たせば当事者の意思と関係なく成立するものです(この意味で質権や抵当権と異なる)。つまり、日本が導入した民法と真っ向から矛盾するような規定が数多く存在した特別法の扱いです。今ではインターネットやSNS等で新規施行された法律も知ることができますが、当時はそのような情報を得る方法がまるで存在せず、一定のトラブルはありました(この場合でも立場の弱いアイヌ側が譲歩することが多かった)。
※ このようなマニアックな法律など当時の誰も知るはずが期待できないためで、実際に争うなら錯誤無効(当時。現在では取消し。95条)で争ったり、あるいは上記の事情から譲受人の保護はどうするのか(当時の333条。今も同じ(←先取特権と第三取得者))といった問題が山積していた(主に絶対的構成説と相対的構成説との対立がある)とんでもない欠陥法であり、これが平成9年、つまり、約25年前という「ごく最近」まで存在していたというのもまた隠せない事実です。
(減点なし/過剰なアファーマティブアクションと当事者)
日本には、雇用保険法という法律があり(失業保険でおなじみですね)、この中に、いわゆる弱者を雇用した雇用主に補助金を助成する制度があります(特定就職困難者雇用開発助成金)。主な対象者としてあげられるのは重度身障者や母子・父子家庭等ですが、「今現在においても」(2024年時点)、「北海道に居住している者で45歳以上の者であり、かつハローワークの紹介による場合に限る、アイヌの人々」というカテゴリが存在します(ほかは、「北朝鮮拉致被害者の帰国当事者」や「中国残留邦人等永住帰国者」といったカテゴリがあります)。
一方で、この「特定就職困難者~」の申請件数(厚労省のサイトで確認可能)は、身障者関係で(ほか、知的・精神)、ついで母子父子家庭がつぐもので、現在2024年において「アイヌの人々」というカテゴリの申請はほぼ見当たらない状況です。
そうであれば、そのような実績もなければ申請のないものを意味もなく制度化して優遇すること「それ自体」が「過剰な」アファーマティブアクションであり、またそれがさらなる差別を生みかねないということは指摘可能です(制度の存在「それ自体」が差別を助長する、ということ)。
和人とアイヌの物語
子供の頃北海道に住んでいたので、アイヌはちょっと身近。ゴールデンカムイも好き。
今年の夏、念願のウポポイにも行けたし。
アイヌの映画の中でもとても観やすいと思います。ストーリーも面白く、どつなっていくのか分からなくて最後まで楽しめた。
寛一郎さんも良かった。情けない少年から、立派な大人まで見事でした。
北海道の映像も良かったし、その他の映像も緊迫感があって良かった。
アイヌ語の字幕はあった方が観やすいかな。出会いのシーンは言葉が通じないのは分かりますが、後半に字幕出すなら始めから出して欲しい。
アイヌを取り扱うと、差別と迫害があったことは避けられないテーマです。
同時に、アイヌ文化やアイヌの伝統も素晴らしい。この映画ではアイヌの魅力は出ていない。もっといろいろも魅力を見せて欲しかった。
あのトランス状態になりそうな不思議な魅力は皆無。
これは和人とアイヌの物語であって、アイヌと和人の物語では無い。あくまで目線は和人側ですね。
和人から見て、可哀想なことをしたという目線。
エンドロールもアイヌの音楽で浸っていたら、中島みゆきで、私には台無し。
ただ、アイヌについて知ったり、興味を持ってもらえる良い映画だと思います。
ピヨーンぽよ~ん、ピヨーンぽよ~ん😅
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