「コードギアスじゃなくても良い終わり方」コードギアス 奪還のロゼ 最終幕 あずまさんの映画レビュー(感想・評価)
コードギアスじゃなくても良い終わり方
長文酷評失礼します。理由は、私はコードギアスシリーズを心から愛しているし、これからも愛し続けるからです。
3幕までのあのドキドキワクワク感、
「絶対遵守の王の力」に対する「そんなもの必要なかった」という哲学的描写、
ギアスに通う「人の生きる力、想い」というものに踊った心を返して欲しい。
「流石だ!流石コードギアスだ!」とあれだけ唸らせてくれたのに…
最終的には「チートな野郎を倒す」ことに奮闘する姿って、そんなシナリオなら別にコードギアスである必要性が感じられない。
なんか上手いこと戦闘で盛り上げて終われるようにシャルルを都合よく使ったような印象。
そもそもシャルルがクローンを作る必要性は何だったんだ?
もし「歳だから若い体に移って生き続ける」とかならば、そもそもアーカーシャの剣って「みんながひとつになって時の歩みを止める」ものだから、若い体なんか必要ないだろうし。
少なくとも人類の幸福を目的としていたシャルルのクローンとしては合点がいかない存在だったし(別人格ではあるが)、
「人類の幸福を願い、大切な存在を自分から遠ざけた」シャルルという、やり方はさておき思想は美しかったシャルルに泥と侮蔑を塗られたようでとても悲しかった。
クローン…マリアンヌはともかく、シャルルがそんなことするかな…。
ロキの存在にコードギアスらしさを感じられなかった、それどころか「らしさ」をぶち壊されたようで「これはコードギアスではないのかもしれない…」という気さえした。
シリーズとして、銃で撃つ、戦争、などの流血表現はあるものの、ここまで残酷なチート兵器は今まで出なかった。
というのも、シリーズとして
「確かに人はたくさん死んでいるんだけれども、そこから生まれる、残された者の感情、歩み、選択などの生きる力を必要最低限の流血描写で美しく魅せていた」というのが、個人的にコードギアスシリーズに対して崇拝する部分であった。
それを、あのようなチートで下劣な殺戮兵器で「ただただ人がゴミのように死んでいく描写(しかもめちゃグロい)」を「もういいよ」と思わせるほど散々見せつけられたのは、甚だ陳腐であった。
反逆、亡国、共に命の重みや価値を大切に描写していたので、今回の流血表現に関しては甚だ遺憾。こんなに命を粗末にするコードギアスは見たことがない(最も「らしくなさ」を感じた)。そんなとこ時代に媚びないでよ…。
それに対して「復興が忙しい」とのセリフがあったコーネリアがめちゃくちゃ面倒くさそうだったのが「え?」だった。
無意味に人が殺され、復興といっても最初は街中血だらけ、血の空気、血の匂いで確かにとても大変だと思う(ぶっちゃけ想像もできない。恐らくすげぇ吐き気の中どうやって清掃したんだ?)。
でもユフィの死を経験した彼女があのように面倒くさそうな態度なのは納得がいかなかった。
アポロが爆発した後のサクヤの泣きの描写テキトーすぎやしないか?ここの雑さにもコードギアスらしい描写がなく残念極まりなかった(一気に現実に戻された)。
なに?描くの力尽きたの?って感じ。
アーノルドもあんなに中途半端に出てくるならもう第3幕で退場で良かったのでは…物語の流れとして、あそこでまた現れて戦いを挑む必要性も感じられない。
あの剣を登場させたかったのだとしても相手がアーノルドである必要性は特になかったのではと思う。
スタンリーも結局何だったのかわからなかったし。「あの人なんだったの?」。
また、ノーランドがギアスを欲しがっていた理由について全く言及されずに終わったのが謎すぎる。
アポロの爆発に関しては泣きそうになりながらも「え?ナイトメアって脱出装置あるやん」が頭の片隅にあった。
「泣かせる良い演出のために脱出装置なんてアポロにはありませんでした」というご都合にも感じた。
でもきっと名前がフェニックスだし期待しても良いのではと思う。
生きて、ラズベリーの身を案じるアッシュに「実は…」となった方が自分が守るべき人間がその人だったとなるし、なんかラズベリーの存在ももっと上手く使えたのではと感じた。
オマージュを強くしたいのはわかるが、「なぁ、ルルーシュ?」を匂わせる「ね、アッシュ?」にする為に無駄に彼を殺してしまったのではと感じる。
【作品を良くする為のオマージュ】であって【オマージュを見せる為に作品を使う】のでは本末転倒である。その結果作品の評価や受け取り手に疑問を持たせては尚更である。
あと、あんなにナナリーがすげぇ脅威に晒されているのにL.L.何もしない?と本筋と関係ないことまで考えなぞした。
あんなのナナリーいつ死んでもおかしくないやん。そんな状況でルルーシュが何もしないコードギアスって何だ?いくら世の理から外れているからといって……
正直、ラスボスの目的が「人類の殲滅」って、いつの時代のアニメ?
ロキが出てきた時点で歴代のコードギアスシリーズの持つ美しさは失われたと感じた。
……あまりこう穿った見方をしたかったわけではないし、最初からそんなつもりもなかった。正直マジでワクワクドキドキ、楽しみな気持ちで客席に座った。
しかし3幕までは最高だ!素晴らしい!と楽しませてくれただけにこの再終幕だけはなんとも…。
惨い殺戮表現も「でも!あのコードギアスの美しさを見せてくれるなら!我慢する!」と思ってたのにそうでもない終わり方をされて余計に遺憾。
ただ、良かったと思ったのはアッシュに再度ギアスをかけるシーン(生きろ!に通ずると思う)。
自分が立てた誓いを相手の声で再び体に焼き付けるようなやり取りがとても素敵だった。
代償として声を失うサクヤも良かった。
反逆でシャーリーを失ったルルーシュが嚮団を「ギアスの源を絶つ」と殲滅したシーンを思い出した。
失った代償として。今後も過ちが起こらないように。
そしてナイトメアのポージングがめちゃくちゃ綺麗だった。
それだけにもう少し蛍雪を活躍させてあげて欲しかった。
キャサリンとの戦闘でも結局手玉に取られたままで、その後強くなったよ!という姿も見られず、結局ハルカの戦闘の実力が見られなかったのが残念。
キャサリンというキャラクターは私の目にはもても魅力的に写った。強さを求める動機、サクラとの出会いによって別の考え方も知り、認め、自らに疑問を投げかけ行動を起こす。
こういった「人が生きる姿」がコードギアスの魅力だと思っているから。私の、コードギアスシリーズの好きな所だから。
だから、こういうキャラクターの深堀がそれぞれもう少しあればなぁ…まぁ、尺かなぁ……。
ロキのシーンが過多なので存在を提示はすれど少しでも減らせばその尺でやらなきゃいけない事ができたはず。
おそらく尺もないから、視覚的に手っ取り早くノーランドの目的を提示するための存在に感じそこにも粗さが伺えた。
それでもこの作品を嫌いになりきれないのは、やはり3幕まではとても良かったのと、ロゼやアッシュというキャラクターがとても魅力的で好きだからです。
そこは本当に評価してる。評価してるんだよ…
みなさんのレビューは他サイトも含め読める限り読んでます。何度も周回しているディープ層ほど裏切りを感じ低評価をつけているような印象があります。
この作品の最後を「コードギアスらしい」と言うのは、オマージュに騙されている気がして、
「この物語で何を伝えたいのか」「この二人で何を表現したいのか」という本質部分から目を逸らされてしまっている結果だと思う。(つまりその部分の欠落がこの物語のラストのチープさに繋がってしまっていると感じる。)
今後もコードギアスシリーズが出るならば観たいが、できれば「霧京のアーサー」のように、ルルーシュやシャルル達とは関係の無い話にしてほしい。
でなければ、今後も矛盾部分やご都合部分が増やされ、新作が出る度に批判を受けてしまう未来しか見えない。
アーサーは「コードギアス」であったためファン層からの支持、高評価を獲得できた。もう一度原点に立ち返って「その物語をコードギアスで語る必要性」とは何かを考えて欲しい。
最後に。私はコードギアスシリーズを心から愛しているし、これからも愛し続けます。
今後も期待し、ついて行きます。