「何故今「踊る」?しかも「室井慎次・・・」?その疑問への答えは無かったが、松下洸平演ずる桜章太郎の発言の意味とは?」室井慎次 敗れざる者 菊千代さんの映画レビュー(感想・評価)
何故今「踊る」?しかも「室井慎次・・・」?その疑問への答えは無かったが、松下洸平演ずる桜章太郎の発言の意味とは?
今、何故「踊る大捜査線」?しかも「室井慎次・・・」なの?と思った方は多いのでは無いかと思う。
かくいう私もその疑問の答えを知りたくて映画館に足を運んだが、本作にその答えは無かった。
二部作の前編、何故今「踊る・・・」なのかの疑問は全くわからないまま、伏線残しまくって前編終了・・・か?
「踊るプロジェクト再始動」「あなたはまだ、室井慎次の全てを知らない」「踊るの時間は止まっていなかった」「”約束”と”家族”そ守れるのか」「そして、君たちを、信じる。」
キャッチコピーの盛り上げ方は相当期待度が高い。
伏線かわからないが気になるシーンがあった。松下洸平が少しだけ登場し、しかも不自然なほどこの前編で活躍しているという訳では無いにも関わらず、登場と共に「すぐに熱くなりますよ」「捜査に協力してください」「これは室井さんの事件でもある」など後編に続く意味深な発言が飛び交う。
TBSドラマではあるが「最愛」で刑事役を好演した松下、織田裕二演ずる青島が登場する事がない「踊る大捜査線シリーズ・続編」を製作するとしたら面白いキャスティングかと思うのだが・・・そんなどんでん返し・・・無いか・・・。
踊る大捜査線シリーズと言えば、日本エンタメ界に不滅の金字塔を打ち立てた作品と言っても過言では無い。ドラマ初回視聴率は飛び抜けた数字では無いものの、その後じわじわと伸びて最終回は20%超え、その勢いで作られた映画も、当時(アニメ以外)邦画は無くなるのではないかと危惧されるほど観客動員も収入も落ち込んでいる中での大ヒット、2作目では実写邦画歴代興行収入第1位を未だ抜かれて無いという異例の大ヒットを記録した作品である。
スピンオフ作品も公開当時の流れの中で公開されてるなら違和感も無い。しかしシリーズ前作「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」から12年も経っての公開に、何かしら”今公開する事”の意味が示されるかと思ったが、前編からは全くその意味は感じ取れなかった。
とりあえず、その答えがあると期待して後編も観に行くだろうが、今のところ評価はできない。
『踊る・』シリーズはそれまでの、またそれ以降の刑事物ドラマとは一線を画していた。
刑事物というよりは、「本庁の官僚主義 vs 所轄の現場主義」といった構図がキモで、組織の縦割りとその弊害が話の本筋。悪者は犯人というより縦割り警察組織におけるキャリア官僚そのもの。そして一般の公務員である現場”刑事”達が”警察”という巨大な組織に抗うさまが痛快で面白かった(室井管理官は、そんな”悪者”官僚に風穴を開けるべく密かに立ち向かう役どころだ)。
この構図はシン・ゴジラも全く同じで、巨大不明生物出現という国家の非常事態に対し、組織の手順を踏まないと何もできない役立たずなエリート達(政治家・官僚、有識者と言われる学者達)と、「出世に無縁な霞が関のはぐれもの、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」というさまざまな肩書き・個性をもつ「くせ者」たちが縦割りをぶち抜いて”怪獣”を倒す、という設定だ。
キャッチコピーは「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」
怪獣映画でありながら、『“日本”という“組織”において、“ゴジラ”という想定外の現実に何も対処できない政治家や官庁に対する皮肉が込められた社会派作品』という本質が、多くの観客の心を掴んだ。
それは「踊る・・・」シリーズの本質とも共通している。
ただ本作には、そんな踊るシリーズの本質は影を潜めている。
後編を見れば、答えが見つかるのかもしれないが、相当意味深な伏線の張り方をしているので果たして回収できのだろうか?よほどのどんでん返しが無いと回収しきれないのではと余計なお世話かもしれないが心配だ・・・。
踊るファンにはただ続編が公開されただけでも良いのかもしれないが、スピンオフとは言え継続した話の流れで作られた続編ではあるので、作品が持っている本質・方向性は失わないでもらいたい。
前編で良かったのは、福本莉子演ずる日向杏の演技かもしれない。決して多くを語ってるわけでは無いにも関わらず視線だけでこの作品を支配していると言っても良いほど脳裏に残った。だてに東宝シンデレラグランプリを取った訳では無い、これからの活躍が楽しみな女優だ。