八犬伝のレビュー・感想・評価
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馬琴と北斎トークがたまらない
曲亭馬琴伝
『南総里見八犬伝』などで知られる江戸時代の戯作者 曲亭馬琴(滝沢馬琴)を描いた映画。
八犬士の活躍を描いた里見八犬伝の物語パートと
戯作者曲亭馬琴の半生を描いた伝記パートで構成されている。
CGを使った八犬士と彼らの敵玉梓の妖術の対決はなかなか見応えあり。
そして曲亭馬琴のパートでは友人の挿絵師葛飾北斎や他の同時代の文化人との交流の中で
自らの創作する物語の在り方や方向性に思い悩み、
また良好とは言えない家族関係への苦悩も描かれる。
自分の見た印象としてはメインは曲亭馬琴という作家の半生であり、
その作品の内容を説明する上での八犬伝パートだと感じた。
これらが交互に流れるため「里見八犬伝」として見る場合はややテンポが悪く、
里見八犬伝の物語を見たい場合は他の映像作品を見た方が集中して楽しめるかもしれない。
他方曲亭馬琴伝としては彼の眼の病や家族の問題についてかなり細かく描かれており、
役所広司さんの真に迫る演技ともあいまって彼の人物像をよく描き出していると思う。
里見八犬伝の娯楽作品というよりは作者の伝記といった趣の映画でした。
技ありと技ありの合わせ技で一本
ジョンオバニオンの曲が頭の中でまわる
八犬伝といえば子供の頃に観た、薬師丸ひろ子の「里見八犬伝」が思い出される。当時、日本映画の枠を超えたファンタジックな内容とジョンオバニオンのあの曲がとても印象的でした。それもあって楽しみにしていた作品でした。
滝沢馬琴がどのようにして、あの虚の世界を書いて行ったのか。
滝沢馬琴の執筆生活と、パラレルで展開する八犬伝の虚の世界。そこに葛飾北斎も登場してくる豪華さ。
あの長編の物語がどれだけの長い年月をかけて創作されたか、困難な状況の中でどのように完成させたのかがわかりとても見応えがありました。
エンディングは「里見八犬伝」とは違いますが、見終わったら、ジョンオバニオンが歌っていたあの曲が頭の中でぐるぐるまわってました…
虚の世界の正義と現実の世界
曲亭馬琴は原稿料のみで生計を立てることができた最初の作家といわれている。
葛飾北斎、渡辺崋山らとの交流、同時代の作家鶴屋南北の作品との違い、そして馬琴の家族生活、これらは映画では現実の世界として描かれている。
それと並行してファンタジーの虚の世界、南総里見八犬伝が進行していく。
馬琴が28年もかけてわが国最長ともいえるこの戯作を描いたのは何故なのだろう。
期待していた一人息子の早世、理解してくれない妻、老いによる衰えと失明、理想とはかけ離れた現実、それだからこそ正義の虚の世界を描き続けたのだろう。そして亡くなった息子の嫁の献身によって奇跡的にも作品は完成する感動的な場面で終わる。
山田風太郎の原作を読みたくなった。
役所さんの上手さばかりが印象に残る
絵作りが良い
虚も、実も、すべてはファンタジー。
虚としては八犬伝の物語が進行し、実としては馬琴と北斎の掛け合いが描かれる。
ただ、北斎の生涯もそれほどはわかっていないと思うので、すべてはファンタジーと言えるかもしれない。
ハリウッドのヒーローものであれば、正義と悪が闘って、地球を救う、多くの人達を助けるなど、わかりやすい図式があるが、この物語の場合、個人的な恨みと言えなくもなく、里見家が畜生道に落ちず守られたという結論にしかならない部分がある。
その図式なら、それはそれでいいのだが、伏線の部分で大きな犬が出てきて、その犬をかばい、姫は鉄砲て撃たれて死んでしまう。
飼い犬まで、たたったのだろうか。犬は飼い主に忠実なイメージがあるので、玉梓という女の呪いとの闘いにストーリーを絞った方がわかりやすかったのではないかと思う。
犬にとりついたということかもしれないが、犬はやはり飼い主のために闘うのではないだろうか。
CGもきれいで、演技や衣装も悪くないのだと思うが、最後まで感情移入できず、全編を通じて歌舞伎のような演技に、途中から疲れて、もういいかなと思ってしまった。
足や手の汚れなど、細かな部分まで隙がなかっただけに、ちょっとストーリーの中核が足りない気がしてしまう。
まあ、私見になるので、このあたりで…。
戦国ヒーロー戦隊ハチレンジャー!
馬琴と北斎のイチャコラでほっこり
すごい
何がすごいって馬琴とお百の崩壊した夫婦関係が
最後の最後まで全く歩み寄りや和解のないまま
終わっちゃう
最初は口の悪いババアみたいな感じに出てきて
その実ものすごい孤独な人物だったなあと
明確には描かれてないけど中盤自分の糞っぷりを指摘された馬琴は
そのまま自室(仕事)に逃げちゃって事態の収拾しなかったんだろうな
物語は馬琴と北斎の楽し気なひと時の合間合間に
八犬伝の物語が紡がれる
虚実入り混じる構成だ
その虚と実もたんに作家と物語という二面性だけでは無いのが面白い
芝居小屋のエピソードは物語をぎゅっと引き締め
観てる方もドキッとさせられて印象深い
期待したよりもずっとのめりこめ楽しめる作品なのだけど
ラストシーンは蛇足だったなあ正直…
柱集結。水の呼吸?
「虚」と「実」
役所広司演じる滝沢馬琴の日常が「実」、滝沢が書く戯作「八犬伝」のストーリーが「虚」。それらが混乱することなく構成されていて極上のエンターテイメントに仕上がってます。
滝沢は言う「戯作は『虚』。家族『実』」。
しかし、家族の死や戯作に没頭するせいで生じる家族の亀裂。「実」である家族が虚ろになっていく。ますます没頭していく戯作執筆こそが「実」なのか。家族の為に書いていた戯作のはずが、戯作のために家族が苦しんでいく。重ねる年齢。何のための人生だったのか?何が「虚」で、何が「実」だったのか?
「虚」ばかりの世の中だから、戯作の中に「実」を見出すことに価値がある。そう信じていた滝沢を揺るがす、天才が現る。
「八犬伝」のストーリーパートではVFXを駆使した斬新な演出が施されている。実生活パートでは、伝統的な時代劇として楽しめる。
何より、この映画そのものに人情本の戯作文学の味わいが通底している。
役所広司と寺島しのぶの演技は圧巻ですぞ。
全てのクリエイターに刺さる。江戸のルックバック
創作とは呪いであり祝福である。
何故書くのか?に対する一つの答えがある。
2020年代の邦画の中でベスト1
アニメ映画のルックバックが好きな人は
間違いなく観たら感動すると思う。
また役所広司の演技も素晴らしく間違いなく
彼の代表作の一つになるだろう。
立川談春との創作に関する問答も見事な名シーン。
人生とは思い通りに行かず辛い事の方が多い、だからこそ虚の中から実を見つけたい…
あと江戸時代の物や景色などはかなり時代考証をしっかりして作っていると思う。
ハッキリ言ってNHKの大河ドラマよりも本格的。劇中劇の「八犬伝」をcgバリバリに華やかにしてるから虚と実の対比が上手く出ている。
曽利監督はピンポンで鮮烈な監督デビューを
果たして以降、他の作品がイマイチパッとしなかったが、20年の時を経てピンポンに匹敵する作品が生まれた。
いやーしかし馬琴先生は何百年も前によくあんなアベンジャーズみたいな話を思いついたよなと感心する。
狂言廻しの「八犬伝」
改めて曲亭馬琴に興味が湧く作品
「曲亭(滝沢)馬琴の執筆活動である実」と「八犬伝という虚の物語」を交互に描いた作品。
私としては、それが非常に良かった。
もし馬琴の八犬伝の制作様子のみだったら、恐らく寝ただろう(笑)
もし八犬伝のファンタジーのみだったら、そもそも観に行ったかも微妙。
実と虚の切り替えの時に、時代背景が似ているので、え?今どっち!?とならなくも無いが、それがワクワクを生み、飽きることなくエンディングを迎えた。
いやそこは赤じゃなくて黒やろ、とか
そんなアイディアの時代じゃないやろ、とか
最期がファンタジー過ぎやろ(笑)、とか
まぁ少しツッコミどころはあるけれど、
馬琴と北斎の仲が素晴らしく描かれていたし、
何と言っても役所広司さんは大正解だし、
歌舞伎は本役者だったし、
桜の絵に墨を落としたようなという表現が非常に気に入っているので、やっぱり観て良かった作品。
南房総に経済効果を!
この映画、意外と評判が良くて少々驚いている。
確かに、役所広司と内野聖陽は二人の特性がうまく役に溶け込んでいて素晴らしいし、画的に見応えある場面もいくつかあって力作だとは思う。
だが、「南総里見八犬伝」のダイジェストなのか、曲亭馬琴の裏話なのか、どちらも中途半端で表面的だと私には感じられた。
VFXももう少しなんとかならなかったのかという印象。特に冒頭に出てくる妖犬・八房のCGはかなり浮いていた。
監督・脚本の曽利文彦は私より2歳下の同世代。つまり、あのNHK人形劇「新八犬伝」がすり込まれた世代だ。あの一大活劇を今のVFX技術で実写化したいと考えたことは理解できる。
しかし、彼はCGクリエイター出身でVFXの専門家だったはず。あれでよいのだろうか…。
キャスティングに資金が費やされた事情があるのかもしれないが。
そして、またかと思うのだが、宣伝に「実話」という言葉が使われている。あまりにも無責任なキャッチコピーに閉口するばかりだ。「実話」の意味を知っているのだろうか…。
山田風太郎の小説「八犬伝(傳)」は、「南総(總)里見八犬伝(傳)」を要約・再構成した〝虚〟と、葛飾北斎を絡ませながら曲亭馬琴の創作風景を描写した〝実〟が並行して交互に展開する。(〝実〟といっても決して「実話」ではない)
それを構成もそのままに字面をなぞって映像化していて、工夫がない。小説の筋を追うのが精一杯なのだ。
あの構成のまま映画化するなど土台無理な話だろう。
まず、「南総里見八犬伝」の長大さが説明できていない。この物語に精通している山田風太郎だから効果的な文章で要約しているが、その文章を映像化したのでは八犬士の列伝が省かれてしまうから、当然といえば当然の結果だ。
ならば、この戯作を生み出す馬琴の執筆活動をエキサイティングに描けばよかったのにと、私は思う。
しかし、そっちは馬琴の家庭の事情ばかりを見せて、創作の苦悩が見られない。「南総里見八犬伝」がどれほどの大長編であるかが示せていないうえに、28年もの歳月がかかった産みの苦しみがないのだ。
視力を失った晩年の馬琴がこの大長編を書き上げるクライマックスでは、単に文字を書くことの苦労しかなかったかのようだ。しかも、完成させることに執念を燃やしたのは馬琴自身ではなく嫁のお路の方だったように見えた。なのに、そのお路の背景はほとんど見せられていない。
鶴屋南北との問答も単に一つのエピソードに過ぎない扱いで、南北の言葉が馬琴の中でリフレインはするが、勧善懲悪の物語を書くことに迷いが生じるとか、逆に奮い立つなどの影響はない(あったかもしれないが印象に残らない)のだ。
北斎が馬琴の話を聞いて絵を描く。
だが、その絵のシーンは先に映像で見せられている。
例えば、役所広司と内野聖陽の演技力に頼って、馬琴があらすじを言葉で語り、同時に北斎が絵を描く、そしてアクションの場面で北斎の絵からVFXを駆使した映像に遷移する…みたいな方法で、「南総里見八犬伝」の部分は芳流閣の決闘などのアクションシーンに絞り込んではどうだったか。
北斎の絵によって馬琴が更にイメージを広げて筆が走る…みたいな。
…あ、これでは旬の俳優たちに八犬士を演じさせるコンセプトが成り立たないか。
ツラツラと文句を重ねたが、若い世代には活きのいい人気俳優たちによる八犬士は魅力的だろうし、八犬伝に興味を持ってもらうには上々の作品だといえる。
八犬士の配役はみな違和感がなく、明るい剣士なのが今風で良い。犬坂毛野の板垣李光人には驚いた。
玉梓の栗山千明が一番の力演だったと思う。
網乾左母二郎の忍成修吾は、さもしさが滲み出たベストキャスティングで、あっけない最期がもったいない。
さて、なぜ「南総里見八犬伝」ではなく山田風太郎の「八犬伝」を映画化したのか解らないのだが、うがった見方をすると山田風太郎が短く再構成してくれていたから…か。
なんなら、同じ山田風太郎の「忍法八犬伝」を映画化した方が、手垢もついていないし、アクションに特化できて面白かったのではないか…と、思ったりして。
また、館山市が活気づいている効果も千葉県民としては喜ばしい。南房総市から鋸南町まで一緒に盛り上がってくれれば、なお嬉しい。
不思議だけど楽しめた。
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