八犬伝のレビュー・感想・評価
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虚構と実話パートのパワーバランスが悪すぎる
虚構パートとして『八犬伝』
実話パートして『滝沢馬琴の人生』
この虚構パートと実話パートを交互に行き来しながら、馬琴が人生をかけて虚構の話を書き続ける葛藤や信念を表してる構成は良い。
しかし、実話パートに役所広司と内野聖陽、磯村勇斗に寺島しのぶ、トドメに黒木華と演技派が固まりすぎてしまって、虚構パートとのパワーバランスが悪すぎる。おまけに虚構パートのVFXが弱すぎて…。
最近時代劇アクションを見る機会が多かったこともあって、こんなに退屈なアクションと興醒めするVFXに驚いてしまった。途中私は日曜朝の戦隊モノでも見ているんだろうか?という気持ちになってしまった。
八犬伝はあくまでもオマケ、こういうお話ですよーという紹介ぐらいの考えで見れば良いのかもしれないが、それにしては半分ぐらい時間を取られるからすごく中途半端。
滝沢馬琴と葛飾北斎のやりとりや、最後のお路とのやりとりなど、実話パートはそそられるシーンは多かっただけに勿体無い。
実話パートのみにしか評価をあげられない作品だった。
虚と実、CGとリアルの相乗効果が言い知れぬ深みをもたらす
曽利監督といえば、これまでCGをいかにストーリーと馴染ませるかに腐心してきた人だ。そのアプローチの果てに、登場人物が所狭しと駆け巡る”絢爛豪華なフィクション”と”今まさに物語が湧きいづるリアル”という本作の二重構造にたどり着いたことは感慨深い。冒頭のかなり駆け足な”虚”のあらすじ描写に、”実”のパートがある種の理由づけを与える趣向も面白い。また、虚と実はまるで呼応する振り子のようだ。勇士たちが不思議な玉を探し求める旅と同じく、馬琴もまた一つの輝ける物語を磨き続け、それは彼一人の孤独な旅かと思いきや、そこにはやはり仲間がいる。北斎や南北といった天才らが刺激し合うのはもちろんだが、病弱な息子、夫を罵ってばかりいる妻、そして息子の嫁、その全てが馬琴を支える掛け替えのない宇宙なのだろう。いつも以上に役所広司の素晴らしさに舌を巻いた。彼の存在感こそが虚と実、双方に魂を吹き込んでいることは間違いない。
虚と実が渦巻く歴史に引き込まれる眩暈にも似た感覚
今から2500年以上前の中国の思想家・孔子を始祖とする儒教が日本に伝来したのは5世紀頃。時を経て江戸時代後期の19世紀前半、滝沢馬琴は儒教における「八種の徳」に基づく勧善懲悪を主題に「南総里見八犬伝」を28年がかりで書き上げた。それから約1世紀半後の1982年、山田風太郎は小説「八犬傳」を連載開始。「南総里見八犬伝」の物語を再構成した“虚の世界”と、馬琴の創作過程や友人の絵師・葛飾北斎との交流を描く“実の世界”を並走させる内容だった。これを原作とし、VFXの使い手として知られる曽利文彦監督が脚本も自ら手がけて実写化したのが2024年公開作「八犬伝」だ。
悪事がまかり通る現実の世界で正義など絵空事だと斜に構える北斎(内野聖陽)に対し、だからこそ虚構の世界で勧善懲悪を説くのだと主張する馬琴(役所広司)の対話は、興味深い創作論であると同時に、人はいかに生きるべきかという哲学的な問いかけにもなっている。さらには、実世界を生きる人々の想像力と思考から創作物や思想・宗教が生まれ、そうした虚の世界が後世の人々の精神に影響を及ぼし新たな現実を形作るという、虚と実が互いに影響し合いながら歴史が発展していく、そんな創作と現実が織りなす歴史の大渦に巻き込まれるような眩暈(めまい)にも似た感覚を、本作の両パートを行き来しながら味わった。
大長編の伝奇活劇である「南総里見八犬伝」のパートを、本編149分のさらに半分程度に押し込めたので、当然ながら筋を大幅に端折っており、アクション場面やVFXスペクタクルの質・量ともに物足りなく感じるのも正直なところ。もっとチャンバラを見たい、お金をかけたスペクタクルを見たいという向きには、1983年公開作「里見八犬伝」がおすすめだ。角川春樹事務所の最盛期に製作され、潤沢な資金を後ろ盾に深作欣二監督がやりたい放題の娯楽大作で、真田広之、千葉真一、志穂美悦子といったジャパンアクションクラブ(JAC)の看板俳優や目黒祐樹らが大暴れするし、薬師丸ひろ子には珍しく濃密なラブシーンもあるわ、お金をかけまくった闇の軍団の本拠地セットでは生き血の風呂で夏木マリがヌードになるわで、笑っちゃうほどの見所満載ぶり。ただし同作では物語の発端である里見家の城主と娘の伏姫、忠犬の八房、斬首された玉梓などのくだりが絵巻物と台詞で説明されるのみなので、その辺を丁寧に実写で描いた今作の「八犬伝」とうまい具合に補完し合っている。その意味でも、この機会に2作を見比べてみてはいかがだろうか。
描かれる"虚と実"が観客の想像力を刺激する
江戸時代の人気作家、滝沢(曲亭)馬琴が構想する8人の剣士の物語『八犬伝』を、友人の絵師、葛飾北斎に語り聞かせている。映画は『八犬伝』の物語世界から始まり、すぐにそれが虚構だと分からせた上で、一転、資料が山積みになった人気作家の仕事部屋へと場面は転換。以降は、馬琴のもとを予告なしで度々訪れる北斎が、物語に刺激されて挿絵を描いていくという現実パーツと、『八犬伝』の虚構パーツとのカットバックで映画は進んでいく。誰もが知っている実在のアーティストをモデルにしているので、観客の頭の中も別次元の"虚と実"が入り乱れて楽しいと言ったらない。
物語の世界は若干仰々しい演出になっているが、一方で、馬琴と北斎それぞれの"虚と実"に対する考え方の違いが浮き彫りになっていくプロセスが示唆に富み、興味をそそる。馬琴役の役所広司はいつも通り入魂を感じさせる熱演だが、馬琴とは対照的に奔放な自由人として画面に現れては消えていく北斎役の内野聖陽が、今回は役所のパワーを逆手にとって生き生きとしている。
人気小説の裏にドラマあり。作家が作品に込めた思いと、江戸の町民文化の心意気を感じさせる1作だ。
虚と実の世界、俳優が豪華【85点】
どっち付かず
八犬伝
ちきしょう…はどう言う意味だったのか?
曲亭馬琴が紡ぎ出す物語を聞かされて挿絵を書く葛飾北斎、その2人にジジイと悪態を突く馬琴の妻お百、生真面目に父の言う事を聞き従い続けた息子鎮五郎、息子の妻お路達のドラマを実とし、馬琴が語る八犬伝のシーンを虚として八犬伝の進行を語らせつつ、馬琴達の想いを見せる。
虚と実の捉え方、感じ方、思い方がそれぞれにあって、南北先生が現実の社会の見方だ…と思うが曲亭馬琴の正しいものが報われる在り方を説く意味も必要。本当に悪くズルいモノだけが勝利を得続けるとしたら、世界は修羅で溢れかえり、他人を出し抜こうとする者だけが残るはず。そんな世界には疲弊しか残らない。優しい事が報われる社会が良い。
ラストの出来の良い息子の妻お路を睨んで吐き捨てられた言葉がお百の馬琴への執着とお路への嫉妬、自身がお路の様に理解者になれなかった事への後悔を含めている寺島しのぶの名演に見入った。
短い棒にするには無理あり
人形劇「新八犬伝」を別にしたら、八犬伝の映像化最高傑作は常に、「まだ作られてない新作」という蜃気楼を追ってるようなものだな、と思います。
持って回った言い方になってしまいましたが、今作は、虚実どちらのパートもわるくはないけど、なんか色々勿体なくて、あらためて八犬伝映像化は難しいのだな、と思いました。
本当に八犬伝をガッツリ映像化するなら、何しろ原典が長ーーいので、連続ドラマシリーズのほうが向いてると、ずっと思っているのですが〜。
ゲーム・オブ・スローンズ並に時間と予算と手間暇かけたら、間違いなく世界に売り出せるコンテンツになるはずです。
巨匠萩尾望都先生が作劇術を語った言葉に、「長編は長い棒で、短編はその棒の切り口を見せるもの」というのがあるのですが、映画はなんだかんだ言って、棒よりも切り口を見せるものではないかと思うのです。いくら約めても、切り口がはっきりしないと「短い棒」になるだけではないかと。
今作は、切り口としたらもしかして、代筆者となったお路の視点から見た実の話が一番ドラマチックだったかもしれません。お路視点の話が観てみたいです。
付記
昭和のオタクが集まって人形劇や八犬伝の話題が出ると必ず、「新八犬伝のビデオ(録画)をちゃんと残さなかったNHKを、ワシは一生許さん」という話になります。5年に一度は必ず言ってる。これからも言い続けます。
馬琴と北斎のやり取りと里見八犬伝ができるまでのお話。映画の中に映画...
馬琴と北斎のやり取りと里見八犬伝ができるまでのお話。映画の中に映画(馬琴の頭の中の八犬伝)がある感じ。
里見八犬伝部分のCGがもう少し自然だとよかった。場面の繋がりもブツブツだった。八犬伝の登場人物の髪型がコスプレというか2次元舞台かというクオリティが気になった。
CGやビジュアルが少し残念だったが、江戸の平和な時代の馬琴と北斎(+馬琴の妻)のやり取りはすごく良かった。
全体的にストーリーはよくまとまっていたし、馬琴、北斎、里見八犬伝について知れたし、八犬伝の土屋太鳳が凄く良かったので見て損はなかった。
滝沢馬琴の「里見八犬伝」の映画化、ではなかった。
タイトルからいって、「里見八犬伝」の映画化かと思ってたら、
そうではなかった。「里見八犬伝」のストーリーを追うパートと、
それを創作する滝沢馬琴さんの姿を描く実話パートが交互に出てくる
という構成の作品。最初は、八犬伝のストーリーが実話パートへの
チェンジでぶつ切りにされるというのが気になって、
イライラしてたのですが、
そのうち気にならなくなりました。それは、実話に重きを置いた
作品だと気づいたからです。
そこからは、馬琴さんのセリフや北斎とのやりとりを楽しみながら
鑑賞しました。
しかし、ちょっと長いなあ。こういう構成だから
しょうがないんだろうけど。
八犬伝としてのストーリーを楽しみたいと思った人は
がっかりだったでしょうね。
実話パートのキャスティングはすごくいいのに、
八犬伝パートのキャスティングは、
まるで「戦隊モノ」。ちょっと残念ですね。
二兎を追うもの
どちらも薄々になってしまいましたね。里見八犬伝パートは薬師丸ひろ子バージョン見たほうがよっぽどいい。まあそこに勝とうとしてないとは思うけど、にしては馬琴パートもみるべきものがない。寺島しのぶ先生のみごとなコメディ演技は邪魔でしかないし、それを蛇蝎のごとく嫌う実の息子、もうちょっと根底に愛がある形で描けないものかね?そしてこの映画のハイライトクソ場面の鶴屋南北との口喧嘩?なのか?南北先生が一方的にまぁ口上をのべるのべる、これさ映画なんだよ、文字情報じゃなくうまい表現しなさいよ、ギリギリ考えたのが奈落から顔を出す鶴屋南北。これで面白いと、場面が締まるとでも思ったのかなー、あわれな人々だな。もうもにかく現代の日本映画はお金がもったいなすぎるから、新たに作らなくていいよ。
曲亭馬琴vs鶴屋南北
原作は山田風太郎の小説とのこと。長期にわたって里見八犬伝に取り組むうちに馬琴は目が見えなくなり、口述筆記で仕上げられたことは知っていたが、北斎との交友を含めて、馬琴が歩んだ人生と、どんな思いで馬琴が作品に向かっていたかが手に取るように描かれていて感動した。
八犬伝部分もよく分かるようにできていて面白かった。(今度、薬師丸ひろ子バージョンも観ようかなと思った。)
山田風太郎の原作を読まねば…。
ネットの評判がもう一つだったので、劇場での鑑賞は控えた。アマプラにお勧めに何度もでてくるので鑑賞した。
面白いではないか。傑作ではないだろうか。劇場で見逃したのが残念でならない。山田風太郎の原作は絶対に読みたいと思う。
有名すぎる八犬伝だが、信儀礼悌孝忠仁智の八つの玉が飛び散って、どーとかなる話程度しか知らない。南総里見八犬伝の南総が地名で、里見が家の名前と初めて知った。つまり、何も知らないということ。日本人として少し恥ずかしい気がした。
虚と実を交互に描くが、どちらも興味深く鑑賞した。
虚の部分は、八犬伝の話を映像化したものだが、そもそも滝沢馬琴の八犬伝が面白すぎる。もちろん映画だから、話しを端折る部分があるとは思うから、映像を見て、原作を読めば、8人の因果を物語をより深く楽しむことができると思う。
FXがしょぼいという批判を見かけたけど、それでこの映画の評価が下がるほど、ひどいとは思わなかった。進撃の巨人や鬼滅の刃が作画かひどいから面白くないといっているようなもの。ストーリがしっかりしていれば、それだけで及第点をつけるべきだと思う。馬琴先生に失礼だと思う。
実の部分は、これまた興味深い。滝沢馬琴と葛飾北斎の丁々発止の掛け合いが面白くないわけがない。また、二人を演じる役者が、役所広司と内野聖陽だからなおさらである。おそらく原作もしっかりしているのだろうと思う。寺島しのぶ演じる、馬琴の妻の悪態のスパイスが効果的。また奈落での鶴屋南北との虚と実についての考察は見入って、聴き入ってしまった。南北が上から覗き見、馬琴がしたから見上げる構図の演出は本当にすばらしいと思った。
かえすがえす劇場で鑑賞しなかったことが、残念でならない。
日本初の作家が貫いた信念
と言ったのは、馬琴先生がほぼ著作の原稿料のみで生活した日本で初めての著述家らしいからです
八犬伝といえば、オタクの身からすると小中学生程度で手に取った懐かしの作品
大抵あらすじを知っており、テンプレート通りの展開や大袈裟な表現に少し恥ずかしくなった思い出もありました
そんな馬琴先生の人生と八犬伝の物語とを交互に表現するという今作の演出はとても面白かったです
オタクな私として特に楽しかったのは、当時の名だたる作家の皆様が当然のように次々登場するところ!
そりゃあ馬琴先生の周囲には自然とそういった方が集まって来たのでしょうが、鶴屋南北先生に渡辺崋山先生まで出てきたらテンションが上がってしまいました
やりすぎだろうと未来の子供に笑われてしまう表現を、すなわち現在の作品達の基礎を作り上げた馬琴先生の生涯
そのほんの一部を垣間見えた今作、とても輝いていました
なんとなく乗り切れない感じが
滝川馬琴の生涯がみれる
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