「江戸爛熟期の文化の香りを感じる話」八犬伝 Moiさんの映画レビュー(感想・評価)
江戸爛熟期の文化の香りを感じる話
感想
江戸文化文政(1804〜1830)期の町人文化華やかかりし頃、活躍した著名な戯作者で日本最初の職業作家であった曲亭(滝沢)馬琴の全盛期の活躍から晩年までの姿と、また1814年(48歳)から28年間に渡り著作された自身最長且つ最高の作品であった南総里見八犬伝を映像化した作品である。原作は山田風太郎。
馬琴自身の生涯を全て描いている訳ではない。話は八犬伝のストーリーを着想した話を挿絵の依頼をしていた後に浮世絵の大家となる葛飾北斎に語り出すシーンから始まる。(馬琴の若き日の身の上の説明がもう少し詳しくあるとこの作品は俄然面白くなるのだが歴史としての記録を含め本作の内容を以下に簡単に記した)
本作は馬琴が虚なる戯作を創作し続ける意義や流行り物の歌舞伎演目に於ける作者達の各作品としての虚と実の解釈と表現方法、四代目鶴屋南北との対話から人の虚実の捉え方の違いを意識して以降、八犬伝の作風に影響を与えたのか否かという話等、江戸文化爛熟期の世俗の中で昔から普遍的に思われていた虚と実の解釈が時代の変遷により変化し続けている事、さらに馬琴自身の実人生において虚と実とはどのようなものであったのかを克明に描いている。
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馬琴(滝澤興邦)の家系は元々は松平姓を名乗る旗本上士の家老職を務める家柄であったが馬琴の祖父興也に男子が無く中間家より養子を迎え興吉と名のらせ4人の子をも受ける。その三男として生まれた。
少年期に父興吉病にて他界。養子家系なので家禄を減らされた上、兄より家督を譲られる。主君の孫に支えるも折り合い悪く10代で浪人となる。その後戯作者山東京伝の弟子となる。さらに出版元を営む蔦屋重三郎宅に手代として住み込む。そこで読書と著述を学ぶ。
しかし生活には困窮し、24歳の時に下駄屋が本業の貸家の大家の娘である会田百と年収20両という生計を優先させる考えで半ば政略的に結婚をする。お百も半ば状況を理解していた為、興邦は生涯お百には頭が上がらなかったという。戯作創作の為にあらゆる分野の書物を読込み理解していた馬琴(興邦)と比べてお百は読み書きは全く出来なかったという。
馬琴の長男の興継は長じて宗伯という画号用い絵等も描く文人となる。土岐村路(みち)と結婚。路の父親で紀州藩家老の御典医だった土岐村元立の紹介で医師の道へ進みその傍ら父馬琴の八犬伝の文章校正を担当する。しかし流行り病で興継は早逝する。その死に顔を座像として最後に描いた渡辺崋山との出会い、自身の視力喪失、さらに興継の妻みち(路)の馬琴口伝による八犬伝代筆。さらに妻のお百の死。八犬伝という虚である話を創作する内に多くの偽らざる実が馬琴に降りかかっていく。
南総里見八犬伝が完結するまでの28年間、事ある毎に馬琴の精神的支柱を担っていた葛飾北斎の姿にも感銘を受ける。馬琴との時々の話の掛け合いは江戸っ子ならではの笑いを誘う。
馬琴の八犬伝で実の世界で滝澤家再興を待望するその熱い想いが里見家を再興させる八つの玉(仁義礼智忠信考悌)を持つ伏姫と八房の絆に繋がる八人の剣士を中心に展開する怨霊玉梓に誑かされた者達との不可思議かつ壮大な一大戦記の戯作を完成させる事に繋がっていく。
この物語を読んだ者は確かに物語は虚であるが、その話の中で主人公達が命を賭して護っていく重要な八つの理念は実(現実)の世界で生きていく時にも人として最も重要な判断をする時に護るべき大切な精神である事を切々と訴えている事を感じとった。この頃に生きていたこの戯作を読んだ多くの日本人が、これこそがこの国の精神の真髄であると結論付けたのだ。たからこそ大評判となり現代では江戸期日本文学の傑作と評される所以だと感じた。
脚本・演出
江戸期の町人文化の香りを深く感じられる内容であった。八犬伝本編を本作の配役でもっと観てみたい気がした。馬琴の出自等の身の上に関しての割愛は構成上致し方ないと感じる。全体的に二つの話を視点を変えて観たというお得感があり満足した。
VFX
どこかで観た事がある雰囲気ではなく、オリジナリティ溢れるファンタジックな映像であった。
配役
役所さん、内野さん、寺島さん、他豪華俳優陣の皆様。大変素晴らしい演技であった。
当時の三代目尾上菊五郎の公演と見受けたが歌舞伎役者としての中村獅童さん、尾上右近さんの四代目鶴屋南北版忠臣蔵と四谷怪談も素晴らしい演技で興味深く観た。更に奈落での人力の舞台回転装置の中での南北と馬琴の虚と実の解釈会話など当時の歌舞伎興行の雰囲気を大いに感じた。
⭐️4.0