「虚の虚と実の虚の融合」八犬伝 Ericさんの映画レビュー(感想・評価)
虚の虚と実の虚の融合
会ったことはないのに馬琴(役所広司)と北斎(内野聖陽)はこんな感じだったのだろうと思えた。かなり喧嘩をしたらしいが。北斎の馬琴評が面白い。「よくぞこんなかちんこちんの頭からこんな物語が書ける」と。隣人にはしたくない性格の馬琴の雰囲気も、家族もいい。馬琴の目となり自分が八犬伝を書くと言うお路(黒木華)は勿論、鶴屋南北(立川談春)や渡辺崋山(大貫勇輔)の言葉に考えさせられる。
原作の山田風太郎先生の『八犬伝』は『南総里見八犬伝』からするとかなり手を入れている。犬江親兵衛の馬、青海波を早々に登場させたり、子供の頃の信乃と大角が知り合いだったり。虚の世界を更に虚としている。映画ではそこにまたまた手を入れて『南総』にもなかった八犬士vs玉梓(栗山千明)を作り、伏姫(土屋太鳳)が最後の戦いの後三犬士を蘇らせる。
何でもやっていいとは思わないがここでの虚の八犬伝はまだ想像の段階だ。『南総』の玉梓は里見家に呪いをかけ斬られて以降未登場だし、七犬士の仇撃ちで盛り上がる前半に比べ治世や犬江親兵衛の少しやり過ぎな「仁」が目立つ後半は関東決戦になりながら華が弱い。山田先生も最後の辺りは八犬伝の進行を状況の説明にしている。映画という娯楽作品であればこのような展開もありと思う。
そして実の世界と言いながら、やはりそこは山田先生が書いた実際の人物達を動かした虚の世界だ。実もまた虚でできている。
ただ馬琴が信条とした虚の世界は正義だ。実の、現実の世界がそうでないから虚の世界に正義を求めた。そして多くの人を惹きつけた。やはり映画の八犬士が揃って敵に向かう姿にはワクワクする。ラストで馬琴は八犬士に迎えられる。崋山が言ったように正義を書き続けた馬琴が八犬士と共に実となった。そのように感じた。現実に疲れている分、正義に生きる彼らに憧れさせてもらおう。
共感ありがとうございます。
尺は虚パートにも影響が出てしまってますね。あさけ野の相手とか、大角や親兵衛の唐突な登場とか・・まぁきっちり原典と同じにするとテンポが悪くなる、痛し痒しですかね。
原作で、自分が最も感動したのが豪速球投手馬琴と受けるキャッチャーお路の例えでした。諦めかける馬琴を制する台詞はまんまだったと思いましたが、この絵になる関係をもう少し濃密に描いてほしかったです。竹の子を掘る黒木華良かったですね~。