国宝のレビュー・感想・評価
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よく撮れたな
キャスト、ロケーション、撮影技術、歌舞伎指導。よくこんな作品が撮れたなと。日本映画史に名を残す作品じゃないでしょうか。見て感じてください。
古今、主なキャストに歌舞伎役者がいなくて、ここまで歌舞伎界を、演技も含めてリアルに(知らないけどリアルだと思わされる)描いた作品は、あったんでしょうか。歌舞伎界の人たちがどう見るか。それが一番気になります。知りたい。
田中泯の女形が見られるというのが、本作の最大の見所と感じました。初登場シーンの笑わない目の恐ろしさといったら。
芸という、データで計れないものを受け継ぐ苦しさ、恐ろしさ、業の深さ。本作のテーマかと勝手に思いました。いろいろあるけど、書くと陳腐になってしまうので書きません。ヤクザと芸道、得体のしれない闇の部分まで似た匂いを、終演後に感じました。
生と死の美しさとは
レビューが二分していてオモロそうだったので観てみた
友情物語としてそこそこ面白かったかな
喜久雄少年を演じてた黒川さんの表情よかった
父親の死に際をかぶりつきで見ようとしてる様から、喜久雄は死と美しさに魅了されてるのかと思ったけど、そこまで狂気的な人物ではなさそうでした
ただ、最後まで舞台の美しさを体感する表現が散らつく雪のような煌めきだったので、あの日の事は喜久雄の脳裏に刻まれているのだと思う。
「雨宿りや」ってセリフが現実としての雨宿りと、精神的に助けを求めているような心情が混ざり合ってるようで良かった。
「血ぃガブガブ飲みたいわ」って言ってたシーンが良かったなあ
直前の喧嘩で悔しさと妬みを滲ませた半弥が、東一郎の苦悩と恐怖にキチンと向き合った瞬間だと思う。
しかし、長い
襲名披露くらいまででよかったかなと、個人的には感じちゃう
三代目半二郎の凋落も、半弥の復活劇からの病魔との闘いもドラマチックではあるけど過激かなと感じちゃった。
後半の曽根崎心中は映画としては盛り上がり部分だろうけど、いち舞台として観た時に成立しているかはよく分からない……半分役から降りてるような芝居を見せられても不安になりそう
カメラマンの件もドラマチックねえと思う。
彼女の苦悩と悲しみは「他にはなんにも要らん」と悪魔はんに父親が願った時点で充分表現されてると思う。
エンドロールで流れる井口理さんの美しい高音の歌声は、女形の生き様を描いたこの映画にマッチしてて心地良い余韻を感じられました。
3時間!見ごたえあり!
おトイレの準備は万全に
くれぐれもドリンクサイズは小さめに
流星さんも亮さんもいい役者だぁ
全身全霊で歌舞伎役者を演じているのが伝わってくる
3時間の上映時間中、歌舞伎演目も実にふんだんに魅せてくれる
若き二人が厳しい修行の中で芸を磨いていく過程は
秘めた野心に自分自身が押しつぶされそうになりながら
没落し、どさ廻りし、それでもチャンスと運を自身で引き込みながら
頂点に上り詰めるエンターテインメントになっている
鳥肌が立ったシーンがある
主役の二人は、厳しい指導の中で渡辺謙演じる師匠から、「曽根崎心中」の中の
象徴的セリフを指導、ダメ出しをされる
ダメ出しの後に発せられるそのセリフは、明らかに素人の私が聞いていても
感情の籠った、死を予感する主人公の情景の浮かぶ心震えるセリフに変わった
やがて、本番のシーンでも亮さん演じる主人公は、さらに情感を込めたセルフとして
昇華させてくるのだ
ここだけで感動していた私だったが、物語が進み、流星さんが同じ役を演じる場面が
出てくるのだが、この時のセリフは、なんと亮さんのそれと全く同じか、それ以上を
感じさせるほどビンビンと胸に響くのだった
歌舞伎ってすごい、と真剣に感じた 本物を見てみたい、と本気で感じた
私が泣いたシーンは、皆歌舞伎の舞台上のシーンだった
この映画、高く評価されるんじゃないかな
なんとなく、理解したつもりで入るのだが、本当のところはわかっていない
と思うシーン
亮さんの舞台を眺め、流星さんは劇場を去るシーン その流星さんを追って
亮さんの彼女(高畑充希さん)も劇場を出る
「逃げるわけじゃない」と言うセリフと供に充希さんは流星さんの手を引き
劇場を出ていく・・・
この充希さんの心理、考え方はどう解釈するのが正しいのだろうか
のちに流星さんとは夫婦にまでなるのだが、亮さんと共に背中に入れ墨を
入れるほどの恋路から、亮さんからの「結婚しよう」の言葉に「一番の贔屓さんになる」と
言って結婚をはぐらかした時点から、彼女の心理変化はどんな感じだったんだろう
流星さんにどんな思いを持っていたんだろう
二度にわたる「曽根崎心中」
あれこれ賛辞したいことは、多々ありますが、二度にわたる「曽根崎心中」について感想を綴りたいと思います。
映画の中盤、半二郎が怪我をして、代役に息子の俊介では無く、喜久雄(東一郎)を指名し、喜久雄が「曽根崎心中」のお初を演じることになります。半次郎から厳しい稽古をつけられ、舞台への不安から、俊介の血を渇望する喜久雄。「喜久ちゃんには芸があるやないか」と励ます俊介。
そして、いざ舞台が始まるや圧巻の演技を見せる喜久雄。とりわけ、縁の下に匿った徳兵衛に、お初が足を踏み鳴らしつつ、「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は鬼気迫るものがあり、足を踏み鳴らす音がだん、だんと腹に響きました。
圧巻の演技を見せつけられた俊介は、いたたまれなくなり席を立ち、それに気づいた晴江も俊介を追いかけます。はじめは、何で俊介に、と解せなかったですが、喜久雄のためにうんと稼いで劇場を建ててやる、と夢を語らいでいた晴江にとって、目の前で完璧にお初を演じる喜久雄を見て、喜久雄は遥か遠くに行ってしまい、もはや自分がしてあげることは何も無いのだと悟ってしまったのかと、思い直しました。
その後、喜久雄、俊介は、それぞれ絶望に近い経験の後、また、二人揃って舞台に立つことが叶います。が、それも束の間、視力を失い吐血して亡くなった実父半次郎と同じ糖尿病を俊介も患い片足切断を余儀なくされます。これまで自分を守ってくれ、喜久雄から飲みたいと渇望された、歌舞伎の名門の血によって皮肉にも苦境に立たされることになります。
義足となった俊介は、「曽根崎心中」のお初を演りたいと喜久雄に(心中相手の)徳兵衛を演じてほしいと頼みます。
私が、劇中、最も心に刻まれたのは、この喜久雄、俊介による「曽根崎心中」でした。
俊介演じるお初が、義足をだん、だんと踏み鳴らし、縁の下に匿った徳兵衛に「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は、あたかも俊介が自分自身に問うているかのように聞こえました。歌舞伎の解説では、徳兵衛はお初の足を刃物のように喉に当て(死ぬる覚悟に)同意を示すとのことですが、義足でない方の既に壊死して真黒になった俊介の生足を目の当たりにし、その腐臭漂う(であろう)足先に頬を寄せる徳兵衛(吉沢)の姿は、もう二度と舞台に立てないであろう俊介の片足を慈しんでいるとしか見えず、この一幕は映画史に残る名シ―ンだと思いました。
映画を鑑賞したこの日の午後は、時折、このシ―ンが蘇り、その度に涙が溢れてきて参りました。
他の方のレビューによると、原作ではこの二度目の「曽根崎心中」は、別の演目とのことで、脚本家奥寺さんなのか李監督の発想なのか、この2度にわたる「曽根崎心中」の舞台を取り入れたことは、彼らの実人生と相まって映画の中で見事に結実していたと思いました。
その後、映画は一気に、喜久雄が人間国宝になった後の話しになりますが、俊介の死後、看板役者として花井一門を担い、俊介と晴江の息子を跡継ぎとして仕立て上げていく喜久雄の人生は、語らずとも理解でき、ラストの人間国宝喜久雄による「鷺娘」に結実していました。その客席に俊介の母幸子は居らず、舞台を見つめる晴江の顔は、いまは熱心なファンのひとりとして喜久雄の芸を見守る穏やかな顔に見えました。
なお、ラストの「鷺娘」の音楽ついて、長唄と鳴物による伴奏だけでよく、踊り終盤の劇伴に否定的なコメントも目に止まりましたが、私はあの急峻にして圧倒的なボリュームの劇伴に痺れましたし、映画でしか成し得ない感動の高みに連れていってもらいました。グッジョブ!
惜しい…
吉田修一さんの上下二巻の小説「国宝」を映画化。任侠の家に生まれながら、歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男の激動の人生を描いた人間ドラマ。原作は800頁に及ぶ大作なので、上映時間も約3時間近い邦画としては珍しい大作であった。
みなさんの評価はすこぶる高い。映画館も月曜日の昼間というのに8割方埋まっていた。近頃なかなか無い人気ぶりである。映画コムでも4.3という高い評価。
でも私はそんなに高得点とは思わない。確かに大作だし、主演の吉沢亮くんも横浜流星くんも頑張っているのだが、ねえ。
ネタバレになるが、話は上方歌舞伎が舞台。吉沢くんは東京の出身、横浜くんは神奈川の出身。二人の関西弁はやはり関西人としては違和感が否めず、演技が臭くなった感じを覚えて、嘘くさく、そこも惜しかった。私の評価は★3.8。
願わくば関西出身の男前を使って、原作通りの筋立てで、Netflixかどこかで配信ドラマを作ってほしいね。
すごいものを見てしまった
すごいものを見てしまいました。
歌舞伎を見たことが一度もなくそもそも興味もなかったのでどうなんだろうと鑑賞前は思ったけれど、それはあまり関係なかった。
楽しい場面はほぼなくて全編を通じた重厚な空気にヤラれました。
一言でまとめれば吉沢亮演じる歌舞伎役者の半生を描いたもの。
血筋がモノを言う世界において彼は完全な外様で、それでも歌舞伎に魅せられて持ち前の才能プラス日々芸を磨くけれど、磨けども磨けども。
親代わりの渡辺謙がいなくなれば、どれほど芸で抜きんでようとも血は芸より強し。
そもそも渡辺謙だって内心はね、尽くしたところで結局はわが子の方が愛しいと死の際になって分かり。(あの時の吉沢亮の絶望の表情がよかった)
なにかで読んだのですが、歌舞伎の世襲は魅力の1つなんだとか。
あのお父さんの名前を息子が襲名して、そのまた息子が育って、ああ目元がお父さんそっくりね~立ち振る舞いも似てきたね~と、一門の成長を応援するのが楽しいんだそう。
個人的には、この少子化の時代に皇族の方々以外で世襲にこだわるってどうなのよという気もするけど。
継ぐものもない身軽な庶民の自分が言うのも余計なお世話ですが。
この映画を「すごいもの」にしている1つはなんといっても俳優陣の演技。
吉沢亮、よくこの役を引き受けたよ笑
もし他の作品とギャラが一緒だとしたら割に合わないわ。ギャラ、はずんであげて!笑
こういう「一芸に秀でた」役は難しいと思う。
上手な素人レベルでは失格でプロとしてその芸が染みついてるでも足りず観客がうなる域に仕上げなきゃならない。
歌舞伎のシーンは少なめにしてお茶を濁す手もあったろうに真っ向勝負してるし!
正直、歌舞伎を見たことのない私には上手なのかどうなのかもわからないのが本音だけど、見たことがないからこそ圧倒された。
みなさん演技達者な役者さんばかりで、安心して没頭できました。
ひとつ☆ー1なのは、横浜流星が死んじゃったこと。
渡辺謙が死ぬことは想定していたけれど、親子2代でかぁ。
これは好みの問題だけど、死ぬことで物語を展開させるのは私はあまり好きじゃない。
簡単な方法に逃げたな、と萎えてしまうので。
そしてそこから場面が変わって吉沢亮人間国宝!の流れはいささか唐突だったかな。
上映時間のシバリでしょうがなかったんでしょうけれど。
ともあれ、真摯に歌舞伎に精進して、それが報われてよかった。
芸者との間に当然のように隠し子がいて、そのへんもなんだかリアルでした。
3時間の長丁場、気持ちがダレたことはほぼなくくいいるように見入ったまま終わりました。
前日にはフロントラインを見て余韻に浸って、なかなかこの余韻は超えないだろうと思ったけれど、どちらがどちらを超える超えないではなくて、まったく違う味わいを持った作品で、連日良い映画が見られました。
ただ、もう一度見たいかと考えると、フロントラインは見たい!と即答できます。
国宝は自分に余裕のある時にまた見たい。向き合うのに体力のいる作品だと思いました。
タイトルなし(ネタバレ)
ものすごい業を見た
でもわかってしまう、共感してしまう
一度魅入られたら切望してしまう気持ち、痛いくらい伝わった
ラストの一言が、本当に全てなんだと思った
"どうしてそこまでしてやるんだ?"と問われても、ただ、あの景色が見たい
それだけなんだと思う
歌舞伎は1ミリもわからなくても、演技に美しい舞に何度も涙がでた
「血をがぶがぶ飲みたいくらいだ」って言葉あたりからみるみる引き込まれて、涙が止まらなくて、そこからずっっと心を捕まれつづけてしまった
血は抗えない、でも才能にも抗えない
ラストが本当に本当に美しくて、2度の曽根崎心中もどちらも本当に心にくるものがあって、あの瞬間を味わえたこと、この体験がまた自分も奮い立たせる一つの火花になるんだと思う
やっとレビュー書きます
これは観るべき映画でした。。。
映画で滅多に泣かないわたしですが、吉沢亮の演技で泣いた。しかも号泣。
ストーリーで泣くのはよくあることですが、演技で泣いた。こんなことは初めての体験で自分でも驚いている(わたしは横浜流星ファンである)
ヤクザの組長の息子の喜久雄。抗争で父を亡くし、歌舞伎役者の当主である渡辺謙に拾われて、歌舞伎の世界に飛び込むとこから始まる。渡辺謙の息子である横浜流星演じる俊介。将来を約束されている歌舞伎界のプリンス。俊介と喜久雄は同じ家で、同じ学校で、同じように稽古をして、良きライバルとして歌舞伎の芸を磨いていく。その姿がバチバチのライバル関係ではなく、お互いを認め合い、時には必要として、一緒になって成長するんです。おもってたのと違った。。。ここが私的、一番よかった、好きな点なんです。
歌舞伎が好きで、稽古はきついがそんなの全然苦じゃない、そんな2人の姿が眩しかった。
青春を捧げて歌舞伎に打ち込む。
そして、父渡辺謙の代役として選ばれた喜久雄。舞台に上がる直前に、震える手で化粧するシーン、ここはほんとに2人の演技に震えた。
そこから歯車が狂い出す。だけども、2人の関係性はそのまま。そして、お互いが苦しみながら時が立ち、最後の曽根崎心中。
俳優2人のとんでもない演技を観せられて、、、、、。
流星くんファンではあるものの、この映画は完全に吉沢亮だった。。。。
そしてエンディングがまた最高。
とんでもない映画を観てしまい、鑑賞から一週間。やっとの思いでここに記録を残すことにします。
歌舞伎がわからなくても大丈夫!
藤娘や鷺娘の早着替えのシーンや、有名処の連獅子・曽根崎心中のシーンは歌舞伎がわからない人でも楽しめると思います!
特に藤娘や鷺娘の早着替えは、ただでさえおーー!!っとなるのに、この映画は視点がとても良いですよね!
役を演じている人側から見る舞台が見れて、とても面白かったです。
可憐でかわいらしい女形と、艶やかであやうい女形なら貴方はどちらが良いですか?!
どちらも良いですね!!
何だか無性にシネマ歌舞伎が見たくなってきました…纏めて上映してくれないかしら。
血統書付きコーギーと保護された野良狐
コーギーは王国でも愛された由緒ある犬種というイメージがありますが、遺伝的に椎間板ヘルニアなどになりやすいと聞いたことがあります
また特徴としてしっぽがないことが挙げられますが
もともとは牧羊犬であり、衛生面や安全面、そして「狩猟の際に狐と間違えて撃たれないように」という理由でしっぽを切ってしまうんですよね
そんな狐
とくに保護された人に懐いた狐、みたことありますか?
そりゃもうベリーキュート、キュウキュウ鳴いてしっぽふるふる
コーギーと見間違うか、それ以上の愛くるしさ
ところが欧米でのfoxは”狡猾さ”を意味する言葉だったり、日本でも虎の威を借る狐なんていいますよね
余談はさておき
本映画の印象的なシーンとして
喜久雄が願うことなら俊介の血をガブガブ飲みたいわと涙ながら訴える場面があります
(吉沢亮がババンババンバンバンパイアで吸血鬼役をやるので若干ノイズが走りますがBLでは全くないです笑)
そんな血を求め、芸を極める話。
そういえば
寺島しのぶと吉沢亮は映画さくらで親子役をされていて、本作も親子ではないが近い関係での再共演
さくらでも感じたが
寺島しのぶの演じる母親はしみじみと良いなあ
俊介へのありのままの愛情とか、喜久雄への同情と冷酷さをリアルに演じていて、二人の境遇のコントラストをグッと深める効果があると思った
とても面白い映画でした
すべての出演者の演技が素晴らしい
予告を見て気になって見に行きました
美しさを強調した予告映像でしたが、本編の人間模様と主人公の人生観がとても素晴らしかったです
主演のお二人の演技に感動しました
歌舞伎をよく知らない私ですがそんな人にもわかるように構成されていたし
あの美しい世界の裏側を少し覗けた気もしたし
演目を演じる部分の手の美しさに魅了されました
スクリーンでみるのをお勧めしたい映画だと思います
滝内公美さんのシーンがとても心に残っています
あのシーンの喜久雄の眼には何が映っていたのか
あの時彼女が撮った写真に彼がどう映っていたのか
後からそんなことを考えたりしました
歌舞伎の演目にも興味が持てたし、私にとても良い影響をくれた映画になりました
圧倒的な作品
とにかく素晴らしかった。キャストの方すべて良かった。なにしろ吉沢亮の圧巻の演技、とんでもないところまで行っちゃったなー。
横浜流星も今回は受けるお芝居が素晴らしい。白虎の代役の舞台前のシーン、涙が止まらなかった。
3時間があっという間。
原作も素晴らしい。
スケール等々今年の圧倒的な1番な作品。
何回も観るよ。
本当にありがとう!!
余韻
久々に余韻が残る映画でした。
2回観に行きました。2回目は1回目で気づけなかった細かい演出に色々気づくことが出来、より深くストーリーを楽しめました。
視線や視線の先に意味合いを持たせているシーンが印象的。重視するもの、軽視するものを視線で表現するシーンなど。あぁ、このシーンはそういうことを暗示していたのかと。役者の目力、涙も凄かった。
また、その時々の主人公がおかれた状況を誰かに喋らすわけでも、説明する訳でもなく、状況証拠から視聴者に察してもらうという表現の仕方が良い。
またカメラのフォーカスを敢えてずらしておき、少し時間が経ってからフォーカスを合わせるという手法。たったこれだけで凄く物悲しさを演出出来るのだなと感じたりもした。
タイトルなし(ネタバレ)
まー、凄い作品でした。脚本、演出、カット、照明、俳優のお芝居全てがほぼ完璧だったのではないかと思います。
人間国宝になってからが少し残念で、
吉沢さんがおじいちゃんになるところから違和感が出てきて、
そのまま最後までだったので、そこさえクリアできればもう4.5だったとおもいます。でも、3時間飽きずに観させるこの組はすごいの一言!
歌舞伎のことはよくわからないけどすごかった!
出演者が目当てで鑑賞しました
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、運命の歯車を大きく狂わせてゆく...。
誰も見たことのない禁断の「歌舞伎」の世界。
血筋と才能、歓喜と絶望、信頼と裏切り。
もがき苦しむ壮絶な人生の先にある“感涙”と“熱狂”。
何のために芸の世界にしがみつき、激動の時代を生きながら、世界でただ一人の存在“国宝”へと駆けあがるのか?
圧巻のクライマックスが、観る者全ての魂を震わせる―― 。
というのがあらすじ!
出演者が目当てで鑑賞しました!笑
吉沢亮さんと横浜流星さんの2人のコンビでしたので笑
2人の役は最初は仲悪くなるのかなと思ったら意外とお互いが高め合っていく関係性でしたね
でも血によって人生が狂いましたね
俊介は姿を消すけど戻ってきたらメインになれるし血筋ってそんなに大事なのかって思いましたね
半次郎が亡くなってからは喜久雄はメインをすることはな なかったみたいで…
血筋の前では芸はかなわなかったですね
芸のために全てを差し出したのにこの時ばかりはだめでしたね
それに人としてかなり酷いことをいろいろしてた気がします
あと屋上でのシーンはほんとにそのまま落ちてしまうじゃないかってぐらいに思えてひやひやしました…
一つ気になったのは彰子はこのシーンでのことでいなくなったのかな?
その後全く出なくなりましたよね
そしていろんなことがあったけど憎みきれなくて歌舞伎で再び一緒の舞台に立ってましたね
最後には人間国宝になり娘にも再会して鷺姫を踊ってる姿は美しかったです…
歌舞伎のことはよくわからないですけどすごかったです!
うまく言葉にできないですけどほんとにすごくて見入ってしまいました…
約3時間あるとは思えないぐらいあっという間に終わった印象です
想像できないほどかなりの練習をしてきたのだろうと思います…
それが伝わるほど特に舞台のシーンでは緊張や緊迫が感じられて息も忘れるほど釘付けになりました!
素晴らしい映画をありがとうございました😊
アイデンティティの発露を見る紛れもない傑作
序盤、タルい映画かなぁと見ていたが、高畑充希と横浜流星の駆け落ちに「うん?」となる。原作は読んでいないが、映画シナリオ的にはさすがに無理があるかなと思ったが、横浜(家元)=日本と置き換えると俄然面白くなる。
実情はどうかはしらないが、昨今SNSではクルド人などの問題もあり、日本人による日本の存在が問われている。
外様に名前を奪われた横浜は紆余曲折を経て帰っては来るが、壊死により片足を失い、最終的には死んでしまう(明確に描写はされない)。
で、吉沢亮。
彼が襲名する事が、日本の凋落といえば言い過ぎかもしれないが、失われていく様とリンクしていく。途中、お互い出たり戻ったり仲直りもするが、結果的には日本の血を家元から排除する。それでいて最後、カメラマンの娘から自身のある種の否定に対して見つめることしかできない。なぜか?田中泯からも言及があったように嫌々ではあるが、逃げることも出来ず、自ら悪魔に魂を売った事実は否定も肯定もできないから。歴史の中でドサクサに紛れながら、意思を持って日本を侵食していった何か。それを描く李相日。言わずもがなだが、彼のルーツは在日である。彼らが日本に血として入っていく歴史を描いている映画なんだと気付かされたとき、この映画が持つ意味の重さを感じることができる。
大手配給で観客を呼べる若手の俳優を使いながら、シネコンでちゃんと集客した上で、自身のアイデンティティを描くというのはなかなかできるものじゃない。それを見事にやってのけた監督に脱帽。
そういえば、ファーストカットでも首筋に色を塗るという暗示的なスタートになっていたようにも思う。
話変わって、映画にでてくる女性たちは血というものを大事にしているように感じる。唯一吉沢側になびいた森七菜ですらも「もう止めよう」のセリフ以降全く出てこなくなる。恨みつらみを語った前述のカメラマンを始め、監督は女性に対してどのような想いがあるのか是非聞いてみたい。
これらを3時間ちゃんと見せてくれて最後国宝という文字が縦字で出るが、縦に線を引いて半分に割ったとき変な異物(玉の中の、)のせいで綺麗なシンメトリーにならないのかぁとか思ってみたり。
久しぶりに良い映画を観た充実感はあるものの、自分に歌舞伎の素養がないのが残念。曽根崎心中くらいはなんとなくわかるが、役者の演技の上手い下手が観ていてわからなかった。もう少し勉強してからもう一度見れば、もう少し深みにはまれるかもしれない。
『エンターテインメント』
一度の鑑賞での私見。文中すべて敬称略。
歌舞伎への理解はそれほど深くはなく、念のための予習(原作読破)もかけ足なので、文学としての『国宝』をさほど噛み砕いた思いも持てないまま劇場へ向かった。
田舎町では上映されなかったので近場の町まで車で一時間半のドライブをしての鑑賞。往路は眠気との戦いで、このままでは3時間の長尺上演中もしかしたら居眠りするかもとの杞憂もあった。だが睡魔に襲われた瞬間は一秒たりともなかった。画面から全く目をそらすことができなかった。
原作上下巻のボリュームはけっこうなもので、これを映像化するとなるとかけ足もしくはつまみ食いになるのは必定で、レビューの中にも(特に女性の描き方が)深掘りできていないという意見が散見される。
しかし私は寺島しのぶを除いて「女性の存在は不要」とも感じた。二度の濡れ場などは全くもって不快でしかなく、絢爛な映像の中にポタリと落とされた泥水のように思えてしかたがない。むしろ長崎の養母である宮澤エマを再登場させて欲しかった。
原作は文学であっても映像は『エンターテインメント』を謳っている。芸事に精進する二人の青年の葛藤を描くのに恋愛はもはや不要とさえ言えようが、エンタメには色事が必須なのであろうか。しかし3時間で描ききれないのなら、真っ先に削るのは女の存在ではないか。
喜久雄と俊介の間にある才能と血縁への計り知れない渇望に、男女の恋愛など挟み込む必要はない。吉沢亮、横浜流星ふたりの若い役者が短い期間で鍛錬を重ね、観る者を楽しませ、あるいは息苦しさを誘う舞台を披露する姿をただただ堪能すればいいのだと感じた。
蛇足の最たるものは最後の最後で登場した綾乃である。「なぜここにこんな形で……?」の戸惑いしかなかった。「悪魔と契約を交わした喜久雄」が捨てたものの象徴としての隠し札だったのかもしれないが、そもそも「悪魔と契約を交わした」描写と結果がこの作品ではあまり活かされていないので、せっかくの瀧内久美の無駄遣いとしか思えなかった。
もしかしたら『エンターテインメント』という煽り文句は興行上での建前で、李監督は吉田文学の再現をしようと試みたのかもしれない。そうだとすれば試みは失敗に終わったのだろうが、歌舞伎という若い世代にはあまり馴染みのない題材をテーマにある程度の集客に成功しているからには、物語の映像再構成は成功したと言える。
序盤は二人の若く見目麗しい女形の舞踊主体の演目が多く取り入れられ、観客の目を楽しませてくれる。互いの不遇の時間を経て復活を果たした後にはあの「曽根崎心中」。二度目の曽根崎心中にはさすがに心震えた。希代の名女形である三代目澤村田之助を思い浮かべる観客も多かっただろう。
物語は喜久雄の父が命を落とした1964年から始まり、シーンが変わる毎に数年後を描くという形になっている。同列に語るにはテーマが違い過ぎるが、同じ尺の映画で取り上げさせてもらうならもう何度鑑賞したか分からないほどの「ゴッドファーザー」である。あれも一人の人間の一代記とも言える作品だが、主人公のマイケル・コルレオーネが時を経るごとに本質から変化しているのがよく描かれている。
本作がダイジェストでしかないと言われる所以は、○年後と時代が飛んでも喜久雄の根っこに変化がないせいではないか。芸道一本道をただひたすらがむしゃらに進む姿を描くためには必要な時間経過とは言え、描写にもう一工夫あれば、と悔やまずにはいられない。
ともあれ、ここ数年の鑑賞作の中では出色の出来であることに異論はないし、演者の熱演とキャスティングの妙(特に田中泯!)には唸らされることしきり。これで喜久雄の阿古屋が観られたらすべての文句が引っ込んでいただろう。
そもそも原作からして養子にも入っていない部屋子が名跡を継ぐあたり、現実ではありえない設定であるからには、映像化された本作は四の五の言わずただ美しさを楽しめ! と目の前のテーブルに載せられた満漢全席なのだと言えなくもなく、そうでも考えないと最後の演目『鷺娘』の大仰・大音量のOSTには納得できない(非常に残念な演出だった)。
余談だが、丹波屋に引き取られるくだり。「徳ちゃんどこいったんかいな」という疑問が涌いたのだが、「仇討ちでヘマをした」という喜久雄の返事で私の中では徳ちゃんはその際に権五郎の元に行ったのかと思い込んでいた。しかし本作を心から愛している皆さまのレビューによってどうやら裏設定では事業で成功していて、喜久雄を応援し続けているということがわかり、ホッとしたやら見逃した自分が悔しいやら。
余談2
NHKの『100カメ』をいう番組をご存じだろうか。先月、べらぼう収録の裏側が放送されたのだが、横浜流星が他の出演者が何日も苦労して会得した俄祭りの踊りの振り付けを、収録現場であっという間に覚えてしまったという場面があったが、その時の振りがなんとなく女形の方だなあと感じられた。本当に余談。
歌舞伎通ではないと楽しめないのかな
みなさんの、特に評価の高い方の書かれていることが、残念ながら実感できなかった。確かに両主役の演技は目を見張るものがある。最初の国宝(田中)の演技もCGを1回つかっているが、優美な感じがすごく出ている。それでも3つ指摘したい。春江は俊介と出ていくが、何故、春江が出て行ったのか、そこがしっかりと書かれていない。また、半次郎(渡辺)が逝去したとしても急に落ちぶれるのは何か、丁寧ではない。さらには、喜久雄が復活するのも他力(国宝の力?)となり、見ている人の喜びが少ない。
これは、本を読んでないものの感想なのかもしれないが、主人公が芸のみに生きていくところの研ぎすまれ方(悪の模様だが、カッコ良さ)が見たかった。私にとっては、もう少し丁寧にわかりやすくしてほしかった。時間が短かったのかな。ただ、あっと言う間の3時間だった。正直、映画館でなかったら、ギブアップしていた。
才能か、血か(世襲か)、遺伝か
約3時間と上映時間は長いですが、ちょっと展開が早すぎて、見てる側に多少の補正が必要になります。
ただ、原作小説がなかなかの長編であるらしいので、そこは致し方ないとは思います。
「オレにしかできないお初をやる」
俊坊のこの台詞・覚悟は個人的に刺さりました。
糖尿病で倒れる2代目半次郎
同じく糖尿病で倒れる半弥
世襲か?遺伝か?
世襲が慣習だとしたら、遺伝は逃れられない運命。
慣習は逃れられるけど、運命からは逃げられない。
俊坊は一度、歌舞伎から逃げたけど、遺伝の糖尿病からは逃げられなかった。
すごく切なかった。
一方で、才能を開花させるにも、本人にはどうしようもできない運命のようなものがあります。
よく言われるのが「縁」というものです。
運命は受動的ですが、縁は能動的な要素を含んでいるような感覚です。
喜久男は干されてる間も演じることを止めませんでした。止めなかったことが再起の縁を引き寄せました。
記者から、「史上最年少で人間国宝になり、順風満帆な軌跡でしたがどうでしょう?」みたいなことを聞かれますが、
喜久男はひと言「関わってきた皆様のおかげです」と答えます。(北島康介の「なんも言えねぇ。。。」を思い出しました笑)
上映時間の3時間はこのひと言に集約されているようで重さを感じます。
「オレにしかできないお初をやる」
「関わってきた皆様のおかげです」
そんな人生を歩んでみたい。
全329件中、181~200件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。