国宝のレビュー・感想・評価
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歌舞伎の「道」で生きると決めた主人公2人の覚悟や葛藤、そして「道」を極めること過酷さが際立った素晴らしい作品でした。
『国宝』は、周りの友人からも「絶対に映画館で見るべき!」「映画を観たら、歌舞伎をに観行きたくなるよ!」と、めちゃくちゃオススメされていたため、「絶対に上映期間中に映画館で観よう」と思っていました。
舞台シーンは以前テレビで見た、歌舞伎の舞台と同じような目線で撮られており、本当の歌舞伎の舞台を観ているようでした。
主演の二人の演技やカメラワーク・カット割りなども含めて、舞台の迫力やカッコよさが際立っているようにも感じられて感動しました。
『国宝』を観た後に、歌舞伎を実際に観に行きたくなる人が多いのも納得でした。
こうした、迫力やリアルさがある舞台のシーンで感動が生まれるからこそ、それ以外のシーン(主人公たちの葛藤や練習の過酷さ、境遇の違いによる理不尽さ等)がより際立って感じられました。
本当にあっという間の3時間でした。
多少のネタバレを含みますが、この映画から以下のような発見がありました。
①「道」を極める人には覚悟の強さがあること
観る人を魅了するには、想像以上に強い努力と覚悟を持ちつづけることが大切。
舞台上だけではなく、日頃の稽古・鍛錬から続けて、体に染み込むくらいやり抜くことも。
②どんなに最初が好調でも、どこかで必ず自分の実力を試される時がくる
たとえ周りの環境や人に恵まれていたとしても、スタートしやすいだけで、真に実力が伴うわけではない。
道を究めたり、目覚ましい成果を作りつづけるためには、今がどんな立場でも、決して奢らずに、自分を磨きつづけるべきだということ。
③健康に、長く続けられることの大切さ
糖尿病で道半ばで歌舞伎の舞台に立てなくなった俊介。
それでも壮絶な覚悟を持って取り組み続ける姿がとても印象的でした。
糖尿病の原因(遺伝的要因なのか、生活習慣なのか)については映画の中では判断できませんし、その是非については発言は難しいと思うのですが。
生涯現役で自分のやりたいことをやり続けるためにも、検診を受けたり生活を整えたりして、自分自身の健康も大事にしようと思いました。
④運命を受け入れて貫く強さと厳しさ、その美しさ
生まれながらに歌舞伎の道を行く運命の俊介。
次第に歌舞伎に魅入られていくが、おそらく最初はその道以外の選択肢が残されておらず歌舞伎の道を進むと決めた喜久雄。
私は、初めから選択肢が決まっている世界の中で、主人公2人のようにあそこまでの覚悟を持って努力し続けられたかと思うと、きっと難しいなと思いました。
運命をすんなりと受け入れられないかもしれないし、そのとき私がしたいことを選びたくなるはず。
そして、自分で進みたい道を選んで、挑戦できていることがとても恵まれていることなんだとも思いました。
運命のような力強い動機ではなかったかもしれないけれど、私自身で決めた仕事・事業に前向きに取り組めていることに。
最後に、全体的な感想を書きます。
この映画は、歌舞伎や主演の二人が好きな人はもちろんのことですが。
歌舞伎の世界を知らない人、今まさに新しい世界に飛び込もうと悩んでいる人にぜひ見てほしい作品です。
また、この国に過酷だけど美しい芸術(世界)が残り続けていることを誇らしく思い、もっと日本の文化や芸術を知りたいなと感じさせてくれる映画でもありました。
吉沢亮出てきた時のォレ『キタキタキタァ』
演技と映像に引き込まれる!
Show must go ooooooooon♪
ようやくバンクーバーでも観れました!今週末から始まったVancouver International Film Festival (VIFF)で、ちょっとしたオーケストラ演奏会を開催してる大きいキャパに満杯の日本人w
…いや、もちろんローカルのカナダ人もいっぱいいましたー。
海外サイトでの評価は7.9/10、世界総興行収入1億ドルを突破してました!!!いよっ、日本の誇り!
一部、退屈だったとの英語の書き込みがあり、カナダ人に理解できるか心配しましたが、誰一人途中退場することなく、最後は拍手喝采が起きました。
それにしても、脚本も演出も役者のキャスティングも、最高過ぎませんか?ケン・ワタナビがいる時点で世界中の映画賞を始めから意識してたのではないかと勘ぐるほどです。
吉沢亮と横浜流星の配役が逆でもダメで、高畑充希と森七奈の役が逆でもダメな、言葉にできない絶妙な感じをよくぞ体現してくれた!と思いながら観てました。
開始から信じられないドラマが次々に起こり、チャラ男設定だと思ってたシュンスケじゃなくて、まさかのキクオが実はガチのクズ男とかw、スキャンダルで一瞬で転落し、立場が逆転するなど、平成に流行ったようなジェットコースタードラマw、見応えのある場面があり過ぎました。
世界のケン・ワタナビの糖尿病の演技も素晴らしかった。目が白濁して、本当に目が見えてない、それでも幕を下ろしたくない鬼気迫るような、そんな役者魂が伝わるシーンでした。
人間だもの、生きてたら色々あるかー、そう言えば先日多くの国民を喜ばせた高市早苗新総裁誕生も、世襲でなく、コツコツ努力して、ようやく総理にまで上り詰めたからこそ、国民の期待が高まっているわけだし、キクオが3代目を継いだのも、何となく風の時代を感じたストーリーでした。
父の気持ちもわかる、母の気持ちはもっとわかる、はるちゃんの気持ちもわかる、あきこの想いも、あきこのお父さんの気持ちも、そして捨てられたあやのの気持ちも…みんなわかりすぎるくらいわかる、だからこそ切なくて、これほどまでに観客の心を揺さぶる作品になったのだと思いました。
それにしても吉沢亮と横浜流星の女形は素晴らしかった。化粧している横顔も、彼らの骨格の美しさを感じたし、鍛えてるだろうにゴツくなくて、立ち姿もまるで女、指先まで神経が行き届いた、羽生結弦のスケートを見ているような色っぽさ、動きのシンクロっぷり、着物捌き…、彼らは本当に歌舞伎役者じゃなかったの?と思えるくらい、素晴らしい演技でした。
来年のアカデミー賞の楽しみが、また一つ増えました。
結局人生ってどこに生まれるかが鍵なのか
3時間なんてあっという間。
みたあと1週間は頭にひらひらと舞う関西弁が。映像が美しく儚く、この世はまさに夢物語って思わせてくれます。
金持ち、才能ありの親のもと産まれて、人生イージーモードかっていうと、そうでもなかったり。
産まれながらに重圧を抱えるのもまた、辛いだろうし。
反骨精神でのし上がるのが「すごい!」って美談になるってことは、やっぱり少数派なのかな。
現実は鳶が鷹を産むパターンもあるけど基本みえないカースト制度みたく、大体親くらいの地位につくなあ。と思ったり。
帰り道、大きな私立の学園のまわりを歩いたけど、豪華な邸宅ばかりでなんていうか、身分の差と敗北感を浴びて、メイクと服を崩してくるくる舞いたくなりました。
国宝? いやちゃうちゃう、星宝やろ!!
これはエコノミー症候群乱発するであろう、危険な映画だ。最初っから最後まで、身じろぎもできなかった… ストーリー、演技、演出、音楽、ぐぅの音も出ない。3時間も座りっ放しだったのに、しびれる感動に浸ったまま覚めたくなくて、エンドロールの最後の最後まで席を立てなかった。周りの方たちも同じだったみたいだ。
私は外国人だが、歌舞伎という伝統芸能を継承してる日本がとても羨ましい。歌舞伎を含む日本の伝統芸能は、一国を超えてこの星の宝だ。でもこれは、ここまで芸に打ち込む芸術家たちだけじゃなく、それを支える観客がいるおかげだ。
外国人の目から歌舞伎の価値が余計に分かる李監督だからこそ、このテーマへの想い入れが強かったんではなかろうか。
李監督、素晴らしい俳優の皆様、そしてこの映画に関わったすべての方々に心から感謝したい。
間違いなくアカデミー賞級
是非映画館で観よう!
優れた映画の原点は尺に無駄がない事に尽きる。無駄がなくしてこの長さ。圧巻である。
この映画の醍醐味はカメラにある。構成は3つ。舞台、日常、そして映画である。私たちはこの監督にまず映画として切り取られた画面を見せられることになる。即ち非日常である。さらにその先にはそこで描かれた日常と、さらにその奥にはそれを超えた天上の舞台が描かれる。その天上の舞台の景色が恐ろしい迄にエロティックである。この画面の切り取りに胸がときめかぬ者がいたら教えて欲しい位である。ほとんど何も見せない切り取りの連続、時にインサートされるズームアウトのショットに一瞬気を取られるもすぐさま演者の目の前に引き戻される。汗が飛び息遣いが目の前で聞こえる・・・さながら猫じゃらしで弄ばれる猫よろしく、李監督のカメラワークに興奮のるつぼの中その視線は引きずり回される。この監督の凄さは日常がキチンと日常として描ける点にある。それが故に今回の作品のように天上の世界へいざなわれた時のトリップ感が半端ない。俳優陣の凄みのある演技は勿論であるが、それだけではどんな俳優を使おうともあの天上感は生まれない。何しろ描かれているものは国宝への道である。「国宝」とは何か?彼岸と此岸の架け橋である。神々が御住まう世界との身体の接点である。登場人物の二人は高校一年の時に醜くバケモノの住むこの世のものとは思えぬ美しい世界に触れるのである。触れたが最後血筋と芸に彩られた国宝への箱舟は歌舞伎と大衆演芸のふたつの道程を、魂を悪魔に売り渡してでも歩むものと、血筋の圧力と才の欠落に追い込まれながらも、病に果てる死に際に見た鬼畜の演技で袋小路を抜けるもの・・・この二つの対立軸に前者にゲーテの📖ファウストを、後者にダンテの📖神曲を見る思いがしたのは私だけであろうか?血筋に保証さえされていたならば見る事が出来たであろう神の恩寵の世界・・それを持たぬ者は全てをなげうちありとあらゆる醜悪な世界を渡り切ったその先に初めて目にする事の出来る世界、またそれを共に見るものをいざないスクリーンと言う世界で追体験する天上世界・・・これこそが「国宝」であると言わんばかりの演技と映像美・・・これはもはや病み付きの世界、この世のものとは思えぬ世界、これこそが多くのリピーターを生み出す原動力なのであろう。
映像の美しさを表現する為の切り取られ捨て去られたカメラアングルの他にもう一つの仕掛けの躍動に身も心も持って行かれるのもこの作品の魅力のひとつである。普段歌舞伎の舞台では見る事の出来ぬ二人演者のお題目の数々、そこで繰り広げられるユニゾンの妙。本作品ではこの若い二人のユニゾン演技を芸道の『共鳴・対立・融合の象徴』として使われている。そう、いわゆる芸事の成長プロセスの原理「序・破・離」である。そしてユニゾンとジョハリ(もしくはジョハキュウ)と来たら思い出されるものこそ🎦エヴァンゲリオンである。庵野は🎦シン・ゴジラにも狂言の立ち回りを取り入れるなど、数々の日本的精神要素をその作品に盛り込み、やもすると海外のファンからは難解すぎるとの評も多くあるが、フィヒテの「正・反・合」の概念もその作品には多く盛り込まれており、あらかじめ用意された真実への道しるべとまだ見ぬ世界の新たなる創造への道、この二つが見事に盛り込まれた庵野作品にも通じる所があるのではないだろうか?いずれも見たい世界、見ようとする世界、まだ見ぬ真実と歓喜の世界へ少年と少女、人間とクローンなどの対立の浄化をテーマとして誘う物語。それぞれの到達点こそ違うとはいえ、その最後の描写に人間の持つ身体性への到達・・それこそが究極の答えとして提示された点で高い共通性を見出す事が出来るのである。天上の世界に到達した人間の持つ身体性、現実を突き抜けた先にある天上界での象徴性。本作品の「国宝」というタイトルに込められた真の解釈こそがこの作品を唯一無二物へと押し上げている。
光と闇
ほんの少しだけ不満
期待しすぎた
前評判がすごかった。友達からみたほうがいいよと言われて、遅ればせながら見に行ってみた。
期待しすぎて評価が下がってたらごめんなさい。
前半、子役のときはドキドキした。演技もストーリーも、ああきっと素晴らしい3時間になると思った。いや、大人になっても演技はうまかった。映像も美しかった。
それはそう。それはそうなんだけど…
なにやろ、すごく長いところと、突然話が切れてよくわからない所、歌舞伎の演技シーンはとても大切にしてるけど、恋愛系とか、3つともどこでどうなったかさっぱりわからないとか。
その割には、ドサ回りのところとか、そこそんなに時間割く?と感じたりとか。
他の人の評価にもあったけど、歌舞伎シーンがやたら長くて、頑張ってるけど本物でもないのになと少し冷めた気分になることも。
私だけ感性がバグってるの?て思ったけど、一緒に行った友達も同じ評価で。
実話ならちょっとのタラタラは仕方ないなと調べたら、実話でもなかったし。
いや、演技も映像も良かったんだけど
私にはこのあまりにもすごい評判が、ちょっと謎です。
美と狂気の狭間で、芝居の本質を問う
歌舞伎の美しさに魅了されながらも、その裏側に潜む「芝居というものの本質」に触れたとき、観客はただ美に酔うだけではいられなくなる。『映画国宝』は、伝統芸能の荘厳さと、その背後にある人間の業をあぶり出す、極めて挑戦的な作品だ。
本作は、国宝という称号を持つ芸術の価値を、ただ讃えるのではなく、「それは本当に価値あるものなのか?」という根源的な問いを突きつけてくる。観客は、舞台の華やかさに目を奪われながらも、次第にその奥に潜むおどろおどろしい世界に引き込まれていく。
芝居とは何か。演じるとは何か。美とは、狂気と紙一重なのか。
この映画は、そうした問いを観る者に突きつける。そして、答えを提示するのではなく、「あなたはどう思うか?」と静かに問いかけてくる。
歌舞伎の美しさは確かにある。だが、その裏側にある人間の欲望、執念、そして孤独に触れたとき、私はただ怖かった。
この「怖さ」は、単なるホラー的な恐怖ではない。人間の深層に触れてしまったときの、言葉にならない震えである。芝居の世界に生きる者たちの、演技と現実の境界が曖昧になる瞬間。そこにこそ、芸術の本質があるのかもしれない。
『映画国宝』は、芸術を讃える映画ではなく、芸術を問い直す映画だ。美しさに酔いしれるだけではなく、その裏にある「人間の闇」に向き合う覚悟が、観客に求められる。
血筋と才能に翻弄される歌舞伎役者の生き様
鑑賞中、思わず腕組みをしてしまった。高評価とは異なる印象に違和感を覚え、“どんな作品にも良いところがある”という視点に戻って鑑賞を続けた。
本作は、歌舞伎役者の波乱万丈の半生を描いた話題作である。淡々として静かな大人味の作風を貫いている。歌舞伎のシーンが絢爛豪華であり監督の歌舞伎に対する畏敬の念が伝わってくる。
本作の主人公は裏社会に関わる父を持つ立花喜久雄(吉沢亮)。父が亡くなって、喜久雄の歌舞伎役者としての才能を見抜いた上方歌舞伎役者・花井半次郎(渡辺謙)に引き取られ、息子の俊介(横浜流星)と親友、ライバルとして厳しい歌舞伎修行に励んでいく。ある日、けがをした半次郎が代役に喜久雄を抜擢したことで、彼の人生は大きく動き出す。
喜久雄と俊介は半次郎の後継者争いで険悪な関係になりそうだがそうはならない。俊介は血筋重視、喜久雄は才能重視。二人の価値観の違いが対立ではなく相互補完関係を生み、互いの修行の糧になったと推察できる。喜久雄の抜擢に俊介の母親も反対するが、迫力不足だったのは彼女も舞台で喜久雄の才能を見抜いていたからだろう。喜久雄の抜擢で、既に後継者は決まった。半次郎は血筋ではなく才能の継承を取った。半次郎という名跡、更には歌舞伎界の今後の発展のために。
歌舞伎シーンのカメラアングルが出色。舞台裏、役者の背後から撮ることで、観客がその場にいるかのような臨場感に圧倒される。喜久雄と俊介の出番は、最初は踊りだけだが、次第に台詞が多いシーンが増え二人の表情が美しくなっていく。歌舞伎役者の世界には演技美という言葉が相応しい。型のなかに情熱を宿し観客の心を揺さぶる美しさがある。
映画俳優の世界も同様。吉沢亮、横浜流星は完璧に歌舞伎役者に成り切っていた。二人には映画俳優の天賦の才があると感じた。二人が更に精進し唯一無二の存在になった時、映画界は新たな“国宝”を創り出すだろう。
一回観てスッキリ分かる作品も良いが本作の様に何回か観て新しい発見がある作品には観客との対話がある。
全1776件中、141~160件目を表示
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