国宝のレビュー・感想・評価
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流されて観に行くな!(行ってもいいけど…)
日本映画最高傑作とか安易に言うことなかれ!
三時間は長い、兎に角長い
途中で尿意を感じやむなくトイレへ…
幸い40分遅れの上映が有ったので紛れ込んだ
長い映画は 休憩 を入れた方がいい
何より吉沢、横浜に感情移入できない…
歌舞伎のシーンが長すぎ、ストーリーがぶつ切れだ
映画で歌舞伎を見せたいのか? それは無理だ
歌舞伎を映画で表現できるのなら生でやる意味はない
他の方のレビューで「私は良く分からなかった。と言ったら『何言ってるの? 綺麗な男の子が踊ってる姿を堪能すればそれでいいのよ』
と友人に言われた、私は納得できなかった」との言葉に共感!
興行収入40億超え…
侍タイムスリッパー が一年ががりで稼いだ10億を2ヶ月で超えてしまった…
この映画を観てないと オシャレじゃない、分かってない 的な雰囲気が漂う
歌舞伎は血の世界、お茶もお花もそう…
その辺りの批判も入れながら、日系三世である監督に徹底的に批判でも称賛でもいい
描いて欲しかった
中途半端な濡れ場シーンは必要だった?
やるなら不自然な撮し方をせず、堂々と魅せて欲しかったな…
誰も幸せになれない映画
美を追求するためなら命も惜しまない?
そんな人が 歌舞伎の世界に存在する?
海老蔵(現團十郎)の悲劇、猿之助の悲劇…
お金を国から貰い延命している世界
物珍しいから守る価値がある? 外国人が喜ぶ?
様式美の世界… 観客の拍手のシーンは実写だそうだけどCGに見えた
もっと門戸を開き、血の世界を断ち切ってこそ税金を注ぐ価値がある
そして悲劇を繰り返さないで欲しい
吉沢と流星は◎◎なのに…脚本が雑すぎて歌舞伎シーン以外は👎
本当は☆5付けたいほど主役2人は圧巻でした💯なのに脚本が台無しにしてます😔以下は気になった点①歌舞伎の描写が上っ面すぎる、稽古シーンこそ多少あるが実話なら松竹や黒衣、鳴り物たちとの人間ドラマがない②各ターニングポイントも手抜きすぎで◯吉沢を代役にする渡辺の葛藤無い◯流星が戻る克服の心理描写も無い◯万菊→なぜ人間国宝が場末宿?もあるが、そこから一気に一線復帰ってタイムリープですか👊③何で突然人間国宝ですか?成田屋が怒りますよ😆
以外にもドサ回りでの絡まれ方、流星の息子を正式跡取りとして嬉々としてる母の描写は陳腐すぎるし、ラス前都合よく登場した娘の許せぬ父でも役者として惹かれるくだり、あのキモをあんな場面でセリフとして喋られて一気に人間国宝のありがたみが失せる
これが2時間なら文句言いませんが3時間😱
でもラストの曽根崎心中はすごいです✨
主舞台の南座、花街の何れかの歌舞練場など背景もとても良いので行ったことない方は行くことオススメ、特に南座の緞帳はホンモノ作ったのかなぁ→すごい金かかる😆それとも合成かな
映画でなく、主役二人を見に行くのがオススメです😁
田中泯だけでも⭐︎倍増
原作既読、歌舞伎は20年以上観ております、マニアの入り口程度にはいると自負しております。
原作者がこの作品のために歌舞伎の裏方に三年入ったというだけあって、舞台の上がる前の行き詰まる緊張感や演者たちの微妙な距離感、血縁主義の強さなどが遜色なく著されております。
文庫でも上下2巻の内容を映画にするには流石にそのままとはいかないのは当然のことでした。
正直なところ、女形のお家芸であるならば吉沢亮と横浜流星ではゴツい。観る前からそれはわかっていたので、人気のためにはしかたないかとあまり期待しておりませんでしたが、吉沢亮の声が予想外に板の上にはハマっており嬉しい収穫。
お二人ともそれこそ血の滲むような努力をされたのだろうと察しました。しかし悲しいかな、どうしてもずっと日舞をされてきた本場の人たちとは違う。本場の人たちは扇子が体の一部のように動く。どうしても手首の固さはその域まで達していなかった。
師匠に渡辺謙はあまりにもイメージが違う。立役だろう…荒事だろうよ…。師匠連中には梨園が良かったのではと思いましたが、万菊役の田中泯が素晴らしすぎて脱帽。語り口も驚きましたが、何よりも所作が何十年も女形として生きてきた人のそれであり、演じることの究極はここなのではないかと感嘆いたしました。
この作品につけた星全て田中泯といっても過言ではありません。
もはや田中泯を観に3時間使ってくださいと宣伝したいほどです。見応えありました。
でも鷺娘は玉三郎を観てほしいな…。
名作、そして役者魂を感じた。※2回目鑑賞追加あり
2回目鑑賞。1回目は公開初日に観て、とにかく圧倒されて終わってしまったのですが、2回目は少し落ち着いて観ることができました。そのためか、ところどころで涙が。そして今回もあっという間の3時間でした。改めてこの作品は後世にも残すべき作品だと感じました。
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1回目の感想↓
息をする間もないくらいずっと圧倒され、終わった後は6時間くらい観ていたような疲労感でした。
いつもは映画を観ながら他のことを考えてしまうこともあるのですが、そんなこともできないほどの映画でした。
とにかくすごいものを観た、映画ってこういうものだよねというのが率直な感想。
予告で観たときは、歌舞伎も簡単にサラッと形だけやるだけだろうなと思っていたのですが、そんなことはなくかなり本格的に様々な演目があり驚きました。
最近は毎週映画館に足を運んでいますが、久しぶりにこのような名作を観ました。吉沢亮と横浜流星の役者魂も感じ、役者ってすごいなと感動しました。伝統芸能である歌舞伎を本格的に演じるのは、並大抵なことではなかったと思います。恐らくアカデミー賞、最優秀も獲るのではと。
学生時代の役者もめちゃくちゃ魅力的で良かったですが(怪物に出ていた黒川くんとか)、この役を市川染五郎と市川團子で観たかった。さすがに本物の歌舞伎役者では難しいのかな。
いや、本物の歌舞伎者じゃないかよかったのかも。
でも、寺島しのぶが出ていたのはよかった。
井口理のエンディングの曲もとてもよかった。
薄っぺらく感じない映画を久しぶりに観たので、本当に良かった。とにかく圧巻。
ここ数年稀にみる傑作だと思う。
悪魔と取り引き
参りました。とんでもない大傑作
凄い作品でした。素晴らしい出来栄えでした。私は最初この映画を敬遠してました。やっぱり歌舞伎を題材としているので自分としてはなかなか見に行く気にはなれませんでした。
でも、鑑賞した方達から絶賛のコメントが相次いで、しかも観客動員が前週を上回って行くというボヘミアンラプソディ現象になるという離れ業を起こしました。
しかも、興行収入100億円突破という偉業。誰も予想した人いないと思います。正直何故ここまでメガヒットしているのか誰も上手く説明出来ないんじゃないかと思ってしまいます。歴代1位の踊る大捜査線2にどこまで迫れるのか楽しみです。
映画の内容より役者さん達の熱演が素晴らしい出来栄えでした。
吉沢亮さん、横浜流星さん、渡辺謙さん、寺島しのぶさん、の演技はほんと感動しました。
高畑充希さん、三浦貴大さんもはまり役だと思います。
さてこの度米国アカデミー賞の日本代表に選ばれましたね。喜ばしい限りですが、余り海外のことは意識せず自然体でいて欲しいなと思っています。
ようやく観ました
『さらば、わが愛』には及ばない
あんまり観る気は無かったんだが、李相日監督が京劇を題材にした中国映画『さらば、わが愛 覇王別姫』を1990年代に観て、いつかああいう映画を作りたいと思っていたと言っていたという記事を読んで、監督同様に『さらば、わが愛』に感動した1人として、じゃあまあ観てみるかと思い観た。吉田修一の原作は未読。
うーん、それでハードルを上げすぎたかなぁ。悪くない映画だとは思うが、さすがに『さらば、わが愛』には遠く及ばない。確かに超豪華キャストで全員が好演してるし、歌舞伎も素人なんでよくわからないが素人目には素晴らしいものだったと思う。セットや美術などの時代考証もとにかくかなり金を掛けていることがうかがえ、映画としての出来は間違いなく良い。ただ……。僕が90年代に『さらば、わが愛』を観に行った理由は、京劇に興味があったわけでは全くなく、1つには女優のコン・リーが主演の1人だったからということがあり、もう1つは時代背景である中国近現代史と濃密に絡み合ったストーリーだったからというものだった。北洋軍閥時代から満州事変、日中戦争、国共内戦、反右派闘争、文化大革命と続く激動の中国近現代史の中で、移り変わる権力に人生を翻弄されていく2人の男と1人の女の姿をどこまでも残酷に映し出していたのが素晴らしかったのだ。一方、『国宝』では1960年代から2010年代が舞台となっているものの時代背景や社会状況などはほとんど描かれず、もっぱら主人公2人の人生のみに焦点を当てている。権力者の交代と歴史の激動という外的要因で主人公たちの人生が動いていく『さらば、わが愛』と違って、主人公2人の内的要因で物語が動いていくため、2人の人生がちょっと不自然なほど波乱万丈に描かれすぎているきらいがある。おそらく原作がそうだったから映画もそうならざるを得ないんだろうが、僕の求めるところとはちょっと違っていた。まあ1920年代から70年代の中国に比べると、60年代から10年代の日本はそもそもそれほど激動の時代ではないからと言ってしまえばそれまでなんだが。
またコン・リー的なヒロインは存在せず、高畑充希・見上愛・森七菜がリレー的に登場するものの彼女たちのキャラクターはあまり掘り下げられてなくて、やや型通りの人物像に収まってしまっている。さらに吉沢亮が一時落ちぶれるあたりで見上愛と森七菜は相次いで舞台から退場してしまい、その後登場しないのも不満なところ。見上愛のほうの話は最終的に回収されるが、森七菜のその後には全く触れられないというのはやっぱりちょっとどうかと思う。なお映画の最後のほうに瀧内公美が登場するが、最初はロングの後ろ姿でモブのように映しており、途中からちょっと寄って斜め後ろのショットになった時に僕はもう、あれ?瀧内公美じゃね?と気づいた。瀧内さんが無意味なちょい役なわけないから、これはひょっとして……と思ったらやっぱり予想通りの役でした。女優陣で実は1番おいしい役だったんじゃなかろうか。
結論としてはもちろんよく出来た映画だが、やっぱり『さらば、わが愛』と比べちゃうとなあ、という感じ。もちろんそもそも比べること自体がどうかとも思うのも確かではあるが。
「っぽい」作品
基本的には面白い作品だと思った。迫真の演技とカメラワークの賜物なのか、普通に3時間鑑賞していて特に退屈に感じることもなく最後まで楽しめた。
ただ、世間的な評判とのギャップは大きく感じる。
私が芸術性の高い映画に求めるものは主に人間の深掘りである。
その人間性・価値観がどういった事象や心象風景を引き起こすのかを描いてくれて初めて芸術たるメッセージを受け取れる。起きた事がベタでしかなく、そのベタな結末に向かったストーリーに面白さの肝が置かれた作品を、私は娯楽作品と定義している。別にそれが悪いとかではなく、そう定義した上で楽しんでいる。
この映画は、主人公の人間性は特に予想外の何かを起こしたりはしない。ただ意外性の無いラストに向かうまでの「要因」「ストーリー」が面白い、テレビドラマと同じような構成に感じた。
そういう作品を否定するつもりは毛頭ない。
ただ、私はどうも芸術「っぽい」雰囲気を醸す娯楽作品には構えてしまう。
「っぽい」作品というのは、「これを否定してる奴は、分かってない奴だ」みたいな空気を醸していて、必ずこういう時にエセ評論家は「上級者向け」というような表現を使ったり、あるいは言わずともそう思っていたりする。
本来クオリティをもっと素直に評価したい部分も多々あったのだが、こういう個人的な嫌悪の方程式にガッッッツリ当てはまってしまったことでどうもそういう気分になれなかった。
元ネタの「覇王別姫」と比べたら過大評価が過ぎる
決して悪い映画ではないです。
美術や俳優陣の演技に関しては文句なしだと思います。演技派という印象はありませんでしたが、お二人とも素晴らしかったです。
ただね、皆さん大絶賛されてますけど、元ネタの覇王別姫と比べれば過大評価が過ぎるなぁと。あっちは映画史に残る傑作映画ですが、こっちは邦画界で1年に何作かお目にかかるクラスです。
皆さん元ネタの映画観てきてください。まじで。
特に気になったのは登場人物の心情を説明しすぎなところ。特に竹野という登場人物の演技の臭さが目立ちました。
とある登場人物の死の場面にて、彼がポロリと漏らした一言。正直言わんでええやろと思いました。そんなん言わなくても映像で十分伝わります。
かと思えば、女性陣の描写があまりにも簡素だったりして。
余白を大切にしたいのか???観る人みんなが楽しめる分かりやすい映画にしたいのか???
考えれば考えるほどストーリーのチグハグっぷりが目立ちます。
賛否両論あると思うけど、今回はシナリオが巧み。
李相日監督作品は、なぜか相性が悪い。前作の「流浪の月」は気持ち悪かった。「フラガール」はなんで評価が高いか分からない。「悪人」もちょっと演出が上手すぎると思った(本質から外れて)。「許されざる者」は、娯楽作品としての面白さはあったが、流石に本家と比較して見劣りした。
今回は、とてもよく出来ている。素晴らしい。
細かい点で気になる部分はあるけど、多分、今まで見た李相日作品の中では一番よく出来ている。
今回は、シナリオが巧み。それに応えるように演出、役者が良かった。
長編小説を3時間弱に入れ込むには無理があったが、省略がとても映画的。
ドラマのように何話か分けてやるやり方もあるが、映画化にこだわるなら、今回の手法が最適解だったと思う。
で、それがとても上手くいった。まるで、映画としてのエッセンスを凝縮したような映画になった。それで省略した部分が最終的には、見る側に答えを委ねるような深みまで獲得している。
賛否両論あると思うが、今回のシナリオの作劇方法は、結果として何を見せたいかが明確になった。
(「オッペンハイマー」のように)
悪い意味ではないけど、チェン・カイコーの傑作「さらば、わが愛/覇王別姫」の影響を感じる。
(「国宝」も好きだし、「さらば、わが愛/覇王別姫」も好き。どちらも甲乙つけ難い傑作!)
俺な、一番欲しいのんは、俊ぼんの血やわ
上映初日に観た。この日6/6は芸事初めの日、なんて粋なんだと思ったら初日に見逃してはならない気分になってたまらなかった。
ストーリーはタイトルの通り、1人の歌舞伎役者がのちに国宝になるという話。その男の一筋縄でいかぬ人生を追いかける3時間。たった3時間に詰め込んでいるのに見事に昇華している。そのため、原作にあったエピソードとかは大胆に変更したりカットしたりしているし、急展開しているので乗り遅れそうになりはするのだけど、しっかりと脳内補完すれば問題なし。
生家はヤクザ、同年齢の御曹司、芸者の2号さん、、、まだまだあるひとつひとつの一癖二癖ある設定が現れるたびにその先の展開を心配してしまう。そこに歌舞伎にたいする情熱があるのだが、それは憧れや愛情ではないように思えた。むしろ、歌舞伎に囚われ、歌舞伎でしか生きられない性のように思えた。そのパッションがひしひしと画面からほとばしっていた。なにより、吉沢亮と横浜流星ふたりの質の高さよ。半端な歌舞伎役者の真似事で済ますなんて許せないと言わんばかりの迫真の演技合戦。脇を固める役者陣も錚々たる陣容なのだが、ぜんぜん見劣りなどしない二人の所作。この二人の行く末はいかにとハラハラしているところに、あの舞台だ。徳兵衛がお初の足に縋りつくシーンと見事にリンクさせる演出の妙。痺れた。意地汚いと自覚し、悪魔とも取引し、血が欲しいとまで白状しながらも、認め合った二人の友情。白粉がいくら剝げようが、舞台の上の二人はとても美しかった。
(追記)
原作読了につきメモ。
人間国宝まで上り詰めた、歌舞伎役者三代目花井半二郎(本名立花喜久雄)の一代記。そして彼を取り巻く人々の物語。映画が、映像に重きを置き喜久雄と俊介の美しさを表現したものだとすれば、小説の世界は幾重にも織りなすヒューマンドラマ。show must go on.が芸道の世界、映画は「曽根崎心中」の場が出色だったとすれば小説は「隅田川」こそが鬼気迫る舞台。後半の展開は映画とは趣を異とし、歌舞伎を家業としている家族を浮かび上がらせている。ラスト、喜久雄の描写はまるで神かと見紛うばかりだった。あと、映画では冒頭のみの徳次もしっかりと活躍してるのがうれしい。
(さらに追記)
二度目鑑賞時、気付いたこと。たぶんネタバレのうちに入らないと思うのでメモしておくが、二代目半次郎となった喜久雄の楽屋に"早川徳次"の花が届いていた。原作の筋書きだと違和感はあるが、映画の筋書きならむしろムネアツ。やっぱ徳次、いいヤツだよ。
あっという間に過ぎた三時間
めちゃくちゃ良かった…
何もかも良かったぞ…
しいていうなら隣の客が最悪だったくらい…?
マジででっけー画面と響く音、それに集中出来る映画館という場所で見れて良かった…
歌舞伎に限らず日本芸能ってどうしてもハードルが高く感じるけれど、観に行きたくもなったよ…すごかった…
感想らしい感想がないというよりは、満足してしまって何かをアウトプットする必要がないんだよな…
マジで「うーん…」となった場所が無い…困った…すげえ良かった…
気になってる人は絶対見に行ってくれ…
芸能と狂気に喰われた人生を見ようぜ。
才能と血、男女関係の危うさ
実際の歌舞伎を観たことはない。だから公式サイトで紹介している演目と用語の簡単な解説を事前に読んでおいてよかった。この事前情報だけでも結構違ってくる。
天涯孤独となったヤクザの息子喜久雄と、歌舞伎の名門の御曹司俊介を描いた物語。歌舞伎役者としての才能と、歌舞伎役者の一門の血縁。この2人の描かれ方が対照的だ。現代社会に「血」が重要視される世界ってどれだけ残っているのだろうと考える。もちろん才能のある者の子どもはその才能を遺伝子で、そして家庭環境で引き継がれる可能性は高い。芸能やスポーツの世界では2世の活躍も珍しくない。一方、経営や政治の世界では世襲を嫌う傾向にある。こうした分野では才能を引き継ぐことが難しいという理由もあるかもしれないが、それよりも血縁以外の人間にも門戸を開くべきという考えが強いからだと思う。歌舞伎の世界は未だに世襲のイメージが強い。それを批判するつもりはないが、本作を観るとそこに一定の危険性をはらんでいる気がしてしまう。
さて本作の内容だが、喜久雄と俊介が互いに持っていないものに焦がれ嫉妬し合う姿がとても人間らしくてよかった。原作は未読だが、吉田修一らしさを感じる。あれだけいがみ合い嫉妬にかられても、親友としての関係を維持するのはもはや家族の関係に近い。
晩年の喜久雄はとても孤独に思えて仕方ない。でも、そんな凡人の感覚とは違うところに彼はいるのだろう。最後のセリフは心から出てきた一言に思えるし、それがまた凡人の私達にも訴えかけるものがあった。
歌舞伎のシーンは、素人目で見るとどれもこれもなかなか凄かったが、歌舞伎を観慣れている人にはどう映ったのだろう。気になるところだ。
本流となるテーマとは別に感じてしまったのが、男女関係の危うさみたいなもの。あれだけ覚悟を持って喜久雄を追いかけてきた春江や彰子の行動に衝撃を受ける。いや、世の中本当にあんなことがありそうだ。弱っている男を守ろうとするし、自分勝手な行動ばかりでは愛想もつかす。とてつもなく切なく感じてしまった。
原作をかなり省略しているような部分も感じられたが大きな問題ではない。3時間が長く感じないくらいに濃密な鑑賞体験だった。いい映画だ。
長さを感じさせない李相日監督の力量に脱帽
2時間55分に及ぶ長編でしたが、テンポが非常に良く、冗長に感じる部分が一切なかったため、長さをまったく感じさせない作品でした。吉沢亮、横浜流星、渡辺謙といった錚々たる役者陣の演技も素晴らしく、もちろん原作である吉田修一先生の力も大きかったと思います。しかし、それらすべてを見事に統合し、一本の壮大な映画作品として完成させた李相日監督には、最大限の賛辞を送りたいと思います。
本作の舞台は、家柄や血縁が重視される歌舞伎界。物語は、主人公・喜久雄(吉沢亮/少年期は黒川想矢)が、長崎の極道一家の親分(永瀬正敏)の息子として生まれながら、父を抗争で亡くす場面から始まります。ここで印象的だったのが、父が命を落とす抗争のシーンに降りしきる雪。この雪が作品全体の“隠し味”として効いており、非常に象徴的でした。
その後、上方歌舞伎の大御所・花井半二郎(渡辺謙)に才能を見出され、喜久雄は歌舞伎の世界に足を踏み入れます。入門に至るまでの経緯は比較的あっさり描かれているものの、観客にしっかりと伝わるように工夫されており、構成の巧みさに感心させられました。
歌舞伎界に入った喜久雄は、半二郎の息子であり、すでに歌舞伎役者として活動していた同い年の半弥(横浜流星/少年期は越山敬達)とともに稽古を重ねます。親友でありライバルであり、ある意味で家族とも言えるこの二人の関係こそが、本作の核心となるテーマでした。
特に心を打たれたのは、2人の関係性と歌舞伎の演目「曾根崎心中」を重ね合わせた演出です。それぞれのパートナーとの“道行”の物語を経た後、ラストで2人が「お初」と「徳兵衛」を演じて再び“道行”をするという展開には、思わず胸が熱くなりました。原作の力は言うまでもありませんが、吉沢亮と横浜流星という歌舞伎役者ならぬ俳優が見事に舞台を演じ切ったことから、衣装や舞台美術と言った演出など、細部に至るまで徹底的に作り込まれていたことが、作品全体の質の高さを支えていたと感じます。
役者陣では、主役の2人の熱演はもちろん、世界的俳優である渡辺謙の安定感ある演技も印象的でした。しかし、個人的に最も注目したのは田中泯の存在です。彼が演じた人間国宝の歌舞伎役者・小野川万菊は、表情は勿論、手の所作や台詞回しに至るまで、まさに女形そのもの。一瞬のカメラワークも相まって、田中泯の演技には目を奪われました。
そんな訳で、本作には文句の付けようがないため、評価は★5.0とします。
期待していたほどの感動が無かった
全体的な印象として、とにかく長い。ストーリーの展開もイマイチ分かりにくく、見せ場が多すぎて頭がごちゃごちゃになる。結局人生と命を懸けで歌舞伎役者をやりましたというストーリーなんだろうけど泣けるところがなかった。期待値上がりすぎてがっかり。映画賞総なめを狙ってるのが見え見えで、逆に残念な印象になってしまう。
スクリーンに展開される美に圧倒された
二人の歌舞伎役者の半生を追った物語。
始まりは高度成長期が終わろうとする1960年代後半。
それから50年間。
2014年までの日本社会の変遷を背景に
歌舞伎役者の子と、その父の目にとまり部屋子として引き取られた少年。この二人の友情と葛藤を軸に物語は進行します。
興行主の気まぐれや、不慮の事故に伴う代役として大抜擢され
失敗するかもしれないという究極の恐怖と戦いながら着実に実績を重ねてゆく二人。
お互いの存在が心の支えだった若き日を過ぎて
大人として芸の道を歩み始めたとき、二人の前に立ちはだかる壁。それは血統と才能でした。
文字通り芸に命を賭けているからこそ
それぞれが自分が持たないものに対して血を吐くほどの苦しみを味わいます。
挫折や葛藤を繰り返し、二人の立場や評価は二転三転して入れ替わり、どん底の境遇で辛酸を舐める経験もします。
けれど、それでも歌舞伎以外の道を選ぶことがなかった二人。
そして梨園の頂点、人間国宝にまで上り詰めたときその目に写ったものは…
鷺娘、娘道成寺、曽根崎心中など素人でも粗筋だけは知っている演目に助けられて
予想よりもはるかに長い劇中劇ともいえる歌舞伎の舞台を楽しむことができました。
そして、通の目から観たら色々とあるのでしょうが、歌舞伎ド素人のわたしの目には主役二人の歌舞伎の舞台は輝くばかりの艶やかさで、改めて役者さんて凄いなぁ~という感嘆の念を抱きました。
3時間という長さを全く感じさせない、スクリーンに展開される美に圧倒された時間を過ごしました。
美しく残酷で脆い芸事の世界で生きるということ
見応えのある圧巻の映画だった
3時間の長い映画ではあるが、最後まで見応えのある映画だった。原作は読んでいないけれど、吉田修一と主演のイケメン2人につられて鑑賞。歌舞伎の女形を演じるのに吉沢亮は適役だ。綺麗な顔立ちが際立った。
まずはかなりの尺を歌舞伎の実際の演技に費やしている。それが歌舞伎には素人の私のレベルには、充分な見応えで、彼らがどれだけ修練したかが伺えた。
そして,テーマである血と才。梨園は血筋が全てと誰もが理解してるし、それゆえに、才能がない息子が産まれたらどうするのかなどと一般人は思ってしまう。とはいえ物心ついた時からずっと修行しているその年月と背負ってきた伝統の重みは簡単には裏切らない。ただ,圧倒的な才能の前には負けを認めざるを得なかった。映画は長い年月の2人の浮き沈みを描いていく。ヨメない展開に引き込まれる。全てを捨てて歌舞伎に向き合った男が手にするラストに涙が出た。
そして,この映画を1番支えたのは、田中泯の演技だったと思う。素晴らしかった。
吉沢亮が神懸かっている…否、悪魔懸かっている
血筋か才能かという王道テーマを歌舞伎の世界から真正面に描いた作品。
実写邦画でこのレベルの作品って近年何かあったっけ?と思うほど、ここ数年の邦画の中では抜きんでた存在。
歌舞伎のことはよくわからないけど、作品にかける熱量が半端ないことが演技、演出、劇伴あらゆるところからビンビン伝わってくる。
主演の吉沢亮とライバルである横浜流星の二人の演技だけでも3回は観る価値あり。
歌舞伎を演じながら、それぞれ喜久雄、俊介をオーバーラップさせて演じている。
2回ある曽根崎心中、二人の立ち位置、舞台に懸ける思いの種類が違うけど、それぞれ素晴らしい。
そういった心情を効果的に表す構成にした脚本も、カメラアングルも見事。
人間国宝万菊さんの存在感も圧巻。
万菊さんとのやりとりはもっと観たかった。
俊介の葛藤や女性陣の心の機微ももっと観たかった。
そういったところは映画として最小限に抑えていて、演者の演技と観客を信じて余白を残している。
3時間近くあるけど、カットされたであろうエピソードをもっと観たいと思わせる。
日本映画史に残る大傑作。
全1619件中、141~160件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
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