国宝のレビュー・感想・評価
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原作も読みたくなった
歌舞伎の世界の裏側を覗けそうだと予告編の時から期待していた作品。
少年の時から共に修行に明け暮れた二人の人生を描いているという点で覇王別姫を思い出したが、喜久雄と俊介が自分に無い物を持つ相手への複雑な思いを抱えつつ、芸の高みへの渇望と執念を見せる様は、覇王別姫より更に凄まじかった。
期待していた歌舞伎の世界の裏側…については、稽古の場面はもとより、喜久雄や俊介が舞台に立つ場面では、舞台袖から、後ろから、上から、と、普通に観客として歌舞伎を見に行っても絶対に見られないアングルから踊りや芝居を見られたのも楽しかったし、後見を無くした役者の厳しさもシビアに分かりやすく描かれていた。
また、公演の場面では、あれやこれやの有名な演目の一番の見所をダイジェストのように見られるのも楽しい。
特に曽根崎心中は非常に効果的に使われていた。
一方で、二人を取り巻く人物が大勢出てくるが、三時間の映画にまとめるためだろうか、その人達との人間関係や心の機微については充分に描かれていたとはいえないのが残念。これについては原作を読んで補完したいと思った。
私、最後の一時間はほぼ泣いていましたが、なんだろう?感動…というのともちょっと違うな。あそこまで、狂気になれるほどの何かを持てる人への羨ましさ?みたいな?感じかな。
ところで内容とは関係ないけど気になった点。
とても話題になっているせいか、普段あまり映画館に慣れていない様子の人も大勢いました。本編が始まってからも座席を探して無遠慮に通路をウロウロする人が多くて辟易しました。
期待が大きすぎた
人生を捧げること
心が震える。期待を超えてきた
鋭い眼光が射る才能、しなやかに手招かれたただならぬ運命
血筋と実力が交差する世界で
魂を削り挑み続けること、
その孤高の陰で揺れ惑う思いの数々
舞台の真正面で眩い光を浴びた選ばれし者は、その時はじめてそこに映り込む心模様と変容を受け止めるのかも知れない
儚さや切なさを携えるからこそ美しい雪の舞の尊さのように脚光のなかで昇華される変遷
そこで去来する敬意と感謝が喜久雄の人としての心に湧きあがったのを目撃したとき、それまでの出来事が心を駆け巡る
なかでも喜久雄の迷いに多大なる影響与えることになった万菊との関係だ
それは感動と言う言葉では何か違う、もっと重苦しいもので掴み今もなお余韻をもたらす
俊介に稽古をつけるのをそっと見ていた喜久雄に気付きあえて放った言葉
質素な部屋の寝床に伏す消え入りそうな肉体を晒して伝えようとした姿
でもそれでいいの
それでもやるの
あの言葉に、孤独な道を生きる喜久雄の心情を察した万菊の人生の深さが重なる
そこには先をいく者の厳しさ、ありがたいほどの優しさがこもっているのだ
渡された扇子を受けて舞う喜久雄は悟り、それを感じ確かに継ながれゆく伝統を見届けようやくひとりの人間に戻らんとする万菊
安堵が包むその時、万菊の心の奥に煌びやかな緞帳が下ろされていったのだろう
二人だけに通ずるこの時間の貴重さ
これがなかったなら喜久雄は先の見えない暗闇に潰されていただろう
そして冒頭の長崎の夜の衝撃
そのシーンを除いては考えられない喜久雄の人生のそばで春江の愛情の在り方はとても印象的だった
芸に没頭し秀でた才能が認められていくほどに引き割かれてれていく無情
喜久雄の夢が素質の上に特異な生い立ちによって固く結ばれたものだと知り尽くす彼女ならではの思いの境地が、募る葛藤や孤独を徐々に慈しみにと変えていく
それが、喜久雄への愛を貫く唯一の術でもあったように思うのは喜久雄の舞台を観にきた俊介が、その輝きにいたたまれず席を離れていくのを追いかけるシーンだ
春江は、俊介の気持ちを和らげることがすなわち喜久雄の夢を守ることになる、今それができるのは自分しかないと本能で感じ動く
〝わかっとるよ〟
こらえてきた自分自身をもなだめながら心の奥からこぼれ落ちてきた言葉が繰り返される
あのとき姿をかえていく永く静かな愛をみた気がしたのだ
また、目を奪われるような美しいシーンが点在している今作において、青白い屋上でのいまにも散り果てそうな喜久雄の精神の危うさは怖いほどだった
そこに向き合う彰子の眼差しが悪魔に魂を売った男の限界を物語る
立場を捨てて喜久雄に尽くしてきた彼女が翻る時、そこにのこしたあの強さ、それこそ彼女にしかできない喜久雄への最後のメッセージだったのだろう
「国宝」その神がかった領域のすばらしさ、潜む苦しみの特殊さを、生きながらじりじりと焼かれるようみせた演者の皆さんの精神力、表現を最大限にいかす技術の力に脱帽しながら、やはりどんなときも深く爪痕をつけていくのは、ひとの思いの行き来がそこにみえるからなのだと改めて思った
芸を極めし者の物語。
数奇な運命
大スクリーンで観て欲しい
歌舞伎のことを知らなくても、ストーリーがテンポよく進み分かりやすいので
長丁場に感じないほど楽しめると思います。
良きライバルでもある二人が、血筋に苦しみ、時に光と影、陽と陰になりながらも
切磋琢磨しあっていく姿は、観てて苦しくなりました。
どんな状況になっても歌舞伎しかやらない、できないと腹をくくっているからこそ
魂がこもるのだと思いました。
また指の先まで女形の美しさを体現すべく、大変な稽古をつまれたであろう
役者陣に拍手を送りたいです。映画館で音楽を含め圧倒的な美しさを堪能できました!
それでも女性に対する倫理観についてはいかがなものかと思いました。
あくまで映画の中の話で、現実の歌舞伎役者全員がそうだと言いませんが、
そういうの学ばないのかな?と。芸で魅せられれば関係ない!世界なのでしょうか。
「二度見」の畳み掛けでのめり込ませてくれる仕掛け。 三時間の幕の凄み。 そして李相日。
曽根崎心中「天満屋の段」。
縁の下の徳兵衛とお初、
恥ずかしいけれど泣いてしまった。
糖尿病での下肢の壊死だ。
苦楽を共にしてきた俊坊の「こんなになってしまった右足」。
もうじき切断しなくてはならない俊坊のその足を掻き抱き、喜久雄が宿敵の足に、万感を込めて頰ずりするあの場面・・
もうダメだった。もう鼻水で、
前の席の背もたれにしがみついて泣いた。
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【“生体間移植”の引き起こすもの】
◆チェニジア系フランス人が伝統芸能の舞台に鮮やかなカメラを繰り、
◆男が女を演じる異光景だ。
◆さらに歌舞伎役者ではない門外漢の彼らがその役を請けて立つのだが、
◆その二人は同年でありながら「孤児の部屋子」と「梨園の御曹司」という関係。
― それら、十重二十重に、「異る性別」と「異民族・異文化」と「異業種」が入り乱れての、この檜舞台への挑戦だ。
才能ゆえの喜久雄の抜擢が、名門の血の名跡に打ち負かされてしまう残酷さが、紛れもない吉田修一。
この沢山の歪みとイレギュラーさがあってこそ、
明らかにされて成し得る世界が有るのだ。
◆加えてもう一つ特筆すべき一大事があると僕は見る、
女形が=つまり「男が女を演じてはるかに女を際立たせる」ように
朝鮮人の監督がこれを撮ってはるかに日本を際立たせる事件がここには起こった事だ。
つまり
日本の「国宝」を撮ったのが在日朝鮮人であるがゆえの、光の当たり方が本当に大きい。
李相日が監督である事。
4世5世の時代を異国=日本で生きる彼らである現在。
自らの「名前」と「言葉」と「家」をつなぐ たゆまぬ努力は
物心ついてからの、ずっと彼らの一日たりとも忘れられない闘いだ。
日々、文化の継承と、文化が廃れていく土壇場の双方を自分で意識して見ざるを得ない寄留の民。そこをこそ立て直して生きなくてはならない在日であるがゆえに
「滅び廃れゆく危機にある日本の歌舞伎の世界」をば、「がっつりとサポートし得る特殊な立場に」彼は在る。
「血」によって差別され、
「血」が分断(ワ)かつ喜久雄と俊介の無惨を李相日は体験している。
しかし日本人吉田修一がつけたこの難儀な原題を、監督は改題せずにそのまま使った。何故だろう。
「君らの国宝をたいせつにしなよ」と監督から突きつけられた挑戦状であり
また、中垣を越えての圧倒的恋文でもあったと思うのだ。
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近松の「曽根崎心中」が2回、
「娘道成寺」が2回、
そして
「鷺娘」が2回だ。
同じ演目を2回ずつ繰り返して見せてくれるこの映画の構造は、歌舞伎初心者への絶弾の配慮。
「もはや知っている演目」で、鑑賞者たちは1度目が伏線の契機であり、後半の2度目が伏線回収の、涙の大山場になる姿を目撃出来るからだ。
実は原作では「曽根崎心中」は1回のみ。二人の最期の共演は別演目になっている。
そこを監督は敢えてもう一度「曽根崎心中」を持ってくる改変によって原作を超えた。
ヒットにはちゃんと理由がある。
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吉沢亮は剣道を、
横浜流星は空手をやっていたそうだ。
素地あっての本作。
この撮影のために「一年半」の血反吐を吐くような稽古を経てきたのだと。
ああ、そうだったか、
そうだろう。
僕は「その時」「その同じ一年半」を、どんなふうに過ごしていたのだったか・・
自省と激しい悔悟まで起こる
迫真の「国宝」だった。
役者頼りのダイジェスト版
芸能の世界に落ちる
良かった〜!!!とても没入して観ることができました。
歌舞伎に魅せられ一心不乱に突き進んでいった喜久雄が、転がり落ちていく場面は苦しくて仕方ありませんでした。
見向きもされない余興で踊った後に、観客に暴行を加えられた喜久雄が、酒を飲み屋上で朦朧と踊った時はそのまま飛び降りてしまうのではないかと思いました。というか、感情移入して飛び降りたくなりました。
何度も絶望を味わっても舞台に立ち続ける精神力がすごい。並大抵の人ならどこかで自死してしまうのでは?とさえ思います。
喜久雄が光の当たる場所に戻ってこれて良かったですが、結局は芸の力ではなくて権威のある人物の力で戻ってきたことにモヤモヤしました。
どれだけの芸や技量があっても、最終的に血筋や人脈があって初めて評価されるんかい。と…
喜久雄に力があったからこそ、万菊さんの目に留まったとも捉えられますが…。
俊介は最初から最後まで素直でまっすぐで、とてもいい奴でした。守ってくれる血筋があって、愛してくれる両親がいて、味方になってくれる妻がいて、、喜久雄とは正反対でしたね。
春江も半次郎も幸子もみんな俊介の味方で、喜久雄の周りには誰1人いませんでした。
傷ついて、挫折して、孤独になって、最後には歌舞伎だけが残っていたことが印象的でした。
役作りのために演者は歌舞伎を身につけたのでしょうか…。歌舞伎の世界はわからないので、凄いのかどうかも判断できませんが、舞台のシーンはすっかり見入ってしまいました。役者魂恐るべし
全体を通して、とてもとてもおもしろかったです。映画館で観てよかった!
本物より面白いであろう歌舞伎作品を見た。李相日監督、恐るべし。 主...
本物より面白いであろう歌舞伎作品を見た。李相日監督、恐るべし。
主演の吉沢亮も良かったが中盤まで引っ張ったさすがの渡辺謙、他の役者さんにも拍手👏
横浜流星の女形が微妙に気持ち悪い(笑)このご時世、歌舞伎に女性が入ることは許されないのか?絶対本物の方が綺麗にきまってますやん(笑)
そう、本作の弱点は美女が少ないこと(笑)
そんな数少ない美女の中、森七菜は衝撃だったねぇ。で、彼女はどうなったの?頑張った彼女にもっとスポットライトを(笑)
芸は世襲を超えられるか?残念ながら現実は厳しいよね。政治家、医者、そして芸能、おいしい世襲をそうは簡単に手離しはしませんからね。
スクリーン8、19:50〜座席F-12会員ポイントで無料鑑賞。楽しかった。
原作の壮大なドラマは何処へ
原作は長編だけど一気に読めた久しぶりの作品、上映を心待ちにしていました。評判通りの映像美、役者の方々の心血を注いだ演技は突き抜けていて圧倒されるばかり。暫くは大阪弁や歌舞伎の言い回しが口から出る始末、心酔しました。ただ、原作の壮大な人情ドラマについては省かざるを得なかったのか、想像では伝わらないストーリーが多くて、果たして原作を読まずに鑑賞したら俳優さんが表現したかったことが理解出来たであろうかと感じてしまいました。それにしても鑑賞して良かったが、もう一度観るのは正直覚悟がいるかな。
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