国宝のレビュー・感想・評価
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文句なしの今年のベスト1
陳腐なタイトルになってしまいましたが、
他に言葉が見つからないほど画面に引き込まれました。
冒頭の長崎のシーンから圧巻の展開で、時を追うスピードは速いものの、
それが運命に翻弄される喜久雄と俊介の生き様と重なり、瞬きするのも勿体なく感じます。
歌舞伎だけでなく、この世の「芸」の世界では血筋が最も重要視されてきました。
実力がなくても、血筋だけで生き残っている人も少なくありません。
それだけに、喜久雄の「俊介の血をコップで飲みたい」は胸に響きます。
どんなに芸があっても、最後は血筋には敵わないという喜久雄の叫びは当然でしょう。
歌舞伎の舞台は、数回観たことがあるだけの初心者ですが、喜久雄と俊介の少年時代含め、その立ち回りや所作の素晴らしさには震えが止まりませんでした。
さすがに本職の方には及ばないのかもしれません。
ですが、映画の嘘を感じさせないレベルまで昇華させた努力には素直に頭を垂れます。
残念だったところを強いて言うならば、春江や彰子、幸子の心の動きや葛藤があまり感じられなかったところでしょう。彼女たちの行動の背景が今一つ飲みこめず、置いてきぼりにされた感じでした。特に喜久雄と再会した綾乃は、その登場と台詞の変遷が唐突すぎて、もっと他に観せ方がなかったのかなと思いました。
それから、綾乃と再会した喜久雄の老けメイクですが、目に力がありすぎたのではないでしょうか。歳を重ねると目はしょぼつくし、垂れてきます。目に若さが感じられて残念でした。
その点、墓参りの際の渡辺謙さんは、姿形やメイクを含め素晴らしい老け方で説得力がありすぎました。素晴らしかったです。
原作は未読ですが、これから読んでみようと思っています。
舞台の演目だけなら星5つ
1人間国宝にまでなった歌舞伎役者の半生を描く。
2任侠だった父の死後、遺児、吉澤亮は父と興行上の縁があった大阪歌舞伎の名跡、渡辺のもと歌舞伎の世界に入る。同世代であった渡辺の息子、横浜流星とともに厳しい修業をしながら二人は女形として頭角を現す。そうした中、渡辺が事故に遭い、代役が立つこととなった。本来なら血筋のある横浜となるところ、芸の力やなりの美しさで吉澤が選ばれた。そして・・・。
3 本作は、一般社会と異なる歌舞伎の特異な事柄の中でドラマが展開していく。一つ目 は、歌舞伎の閉鎖的な世襲制度。親から子に芸や名跡が引き継がれる。吉澤は流れに棹さしハレーションを起こす。二つ目は歌舞伎役者を巡る女性関係。10代からお茶屋に通い、女遊びは芸の肥やしと割り切る。そして隠し子。三つ目は歌舞伎の源流にある蔑まされる立場。劇場では役者の看板が掲げられ誉めそやされるが、元を辿ればどさ回りで糊口をしのぐ。劇中、吉澤が歌舞伎から一時期離れ、女性とともに車で地方を巡る旅は、泥水を啜るような現代の道行き、河原乞食の姿であった。四つ目は女形の存在。男社会の歌舞伎で女形は、なりや仕種、声音で女に化ける。老骨の万菊は化物と思われながら手と目線の演技には女が宿った。女形の芸に対する不作法な客の反応に吉澤の心が荒ぶ。
4 長尺な映画であるがドラマの合間に挿入される吉澤と横浜の舞台の演目や楽屋で化粧する場面が素晴らしく、最後まで引き込まれた。音曲や囃子の臨場感や演者の完成度が高く、演目の神髄に魅了された。特に横浜が女形を演じた曽根崎心中は鬼気迫るものがあり、ラストの鷺娘の吉澤は神業であった。鷺娘では、雪の中に倒れた吉澤の目にはあの日の父と同じ景色が写り、心で対話した。一方、ドラマではシレッと省略されてしまったところがあるのは残念。親の仇討ちで襲撃した後始末や舞台の代役を決めるときの渡辺の煩悶、女形の頂点になった万菊、田中が成れの果てになるまで。これらはどうだったんだろうか?
5 主人公以外では、家を守ろうとする寺島の存在感は渡辺以上に大きく、横浜と吉澤を支えた女性達の一途さに感心し、二人の子役のキャスティングに拍手した。
時間を忘れていた
人間国宝に巣食うミミズク。
吉沢亮が美し過ぎる。もう終始それに尽きる。あの横浜流星が霞んでしまうほどに圧倒的な存在感だった。年代毎の演じ分けも本当に見事でちょっとこれは衝撃でした。
世襲によって代々受け継がれてゆく歌舞伎というある意味閉ざされた伝統文化。私は詳しくないので今作のクオリティ、再現度に関しては分からないですが、めちゃくちゃ大変だっただろうなというのは十分伝わってきました。足先から指先まで所作も美しかった。
内容は数十年のゴタゴタがめちゃくちゃ詰めこまれていて、とにかく目まぐるしい。多少の事は置き去りでどんどん進んでゆきます。歌舞伎のシーンはとても興味深く、キャストも豪華で3時間もそこまで長いとは感じなかったです。強いて言えばエンディング曲がちょっと合ってなかったかな。あれだけの世界観なので無音でも良かった。
原作未読者には辛いかも
立花喜久雄を演じる吉沢亮と、大垣俊介演じる横浜流星は役作りのためにいったいどれくらいの労力と時間を割いたのだろうかと思わせる渾身な演技でした。
この2人の渾身な演技がなければ「国宝」はコケた作品になったに違いありません。
春江演じる高畑充希、彰子演じる森七菜、藤駒演じる見上愛のヒロインと喜久雄の関係がこの作品のキモとなるのに、その描き方がテキトー過ぎです。
特にいい加減過ぎたのが大垣俊介と春江との関係が『えっ?それだけ?』と思わず目が点になったほどです。
上映時間の175分の半分以上は濃密かつ美麗な歌舞伎の世界を描き、最も重要な人間ドラマが希薄でテキトー。
なんともモヤモヤ感が残る作品でした。
吉田修一原作、李相日監督 の「悪人」、「怒り」は『あぁ、邦画はまだまだ捨てたもんじゃないんだ!』と思わせる素晴らしい作品だっただけに少し残念でした。
順風満帆
脚本、撮影、美術、照明などそれぞれの完成度が高く圧巻の大作に仕上がっている。中でも際立って魅せられたのは、吉沢亮さんや横浜流星さんを始めとする俳優の皆さんの演技力だ。配役と向き合い演じきるために相当な努力をされたことがビリビリと伝わってくる。
異例の年齢で人間国宝になったときのインタビューで順風満帆の人生と評されていた。でも本人にとってはそんなことはまったくない。山あり谷あり、血に翻弄され自分ではどうにもできないことに苦しみながら人生の答えを探し求めていた。自分と近しい人にしかわからない真実。
最後の舞台では、舞台裏を歩いているときにこれまでの演目の小道具大道具が置かれていた。人生を振り返っているようだった。
歌舞伎の美しさ
映画を見てから原作を読んだ者です。
原作は主人公を中心とした人々の群像劇、映画は原作で表現できない歌舞伎シーンを中心とした美術的な映画かと思いました。この映画では、サブの重要なキャラも極力排除されており、そういう方々のビジュアル化を望んできた原作ファンの方々には不完全燃焼だと思います。しかし、3時間の尺で、これを全て表現することは難しいでしょう。主人公の美しい心情風景と歌舞伎の美しさが融合したラストはまさに圧巻で、映画化の素晴らしさを感じました。役者さんたちも本当に大変だったと思いますが、心から拍手を送りたいです。また、田中 泯さんの迫力には圧倒されました。
才能と血、男女関係の危うさ
実際の歌舞伎を観たことはない。だから公式サイトで紹介している演目と用語の簡単な解説を事前に読んでおいてよかった。この事前情報だけでも結構違ってくる。
天涯孤独となったヤクザの息子喜久雄と、歌舞伎の名門の御曹司俊介を描いた物語。歌舞伎役者としての才能と、歌舞伎役者の一門の血縁。この2人の描かれ方が対照的だ。現代社会に「血」が重要視される世界ってどれだけ残っているのだろうと考える。もちろん才能のある者の子どもはその才能を遺伝子で、そして家庭環境で引き継がれる可能性は高い。芸能やスポーツの世界では2世の活躍も珍しくない。一方、経営や政治の世界では世襲を嫌う傾向にある。こうした分野では才能を引き継ぐことが難しいという理由もあるかもしれないが、それよりも血縁以外の人間にも門戸を開くべきという考えが強いからだと思う。歌舞伎の世界は未だに世襲のイメージが強い。それを批判するつもりはないが、本作を観るとそこに一定の危険性をはらんでいる気がしてしまう。
さて本作の内容だが、喜久雄と俊介が互いに持っていないものに焦がれ嫉妬し合う姿がとても人間らしくてよかった。原作は未読だが、吉田修一らしさを感じる。あれだけいがみ合い嫉妬にかられても、親友としての関係を維持するのはもはや家族の関係に近い。
晩年の喜久雄はとても孤独に思えて仕方ない。でも、そんな凡人の感覚とは違うところに彼はいるのだろう。最後のセリフは心から出てきた一言に思えるし、それがまた凡人の私達にも訴えかけるものがあった。
歌舞伎のシーンは、素人目で見るとどれもこれもなかなか凄かったが、歌舞伎を観慣れている人にはどう映ったのだろう。気になるところだ。
本流となるテーマとは別に感じてしまったのが、男女関係の危うさみたいなもの。あれだけ覚悟を持って喜久雄を追いかけてきた春江や彰子の行動に衝撃を受ける。いや、世の中本当にあんなことがありそうだ。弱っている男を守ろうとするし、自分勝手な行動ばかりでは愛想もつかす。とてつもなく切なく感じてしまった。
原作をかなり省略しているような部分も感じられたが大きな問題ではない。3時間が長く感じないくらいに濃密な鑑賞体験だった。いい映画だ。
期待以上
歌舞伎の世界…
原作も読んで無く、歌舞伎への知識もほとんどありません。
でも、舞台で演じることは凄いことなんだと言うことは良くわかりました。
喜久雄を演じた吉沢亮君が、代役で主役を演じる出番前の震えは、役なの本当なのかわからないくらい凄かった。そこに来て化粧してあげる峻介の優しさ。
2人の関係性は、もっとギスギスするのかと思いましたが、そこはお互い優しさがあり良かったのかもしれません。
高畑充希さんが演じた春江は、喜久雄の芝居を観て、
手の届かない存在と思い知ったのでしょうか?
だから、峻介の慰め役を自ら選んだのか…
結果、男の子を産んだことで、背中に入れ墨を入れた場末のホステスが、立派な梨園の奥様にのし上がったな〜と、邪推な心でみてしまいました。
邪推ついでに…
もし、森七菜ちゃん演じる彰子が喜久雄の子ども(男児)を産んでいたら、
喜久雄の血が歌舞伎界に残り、その息子は押しも押されもしない立派な跡継ぎになったことでしょうね。
(藤駒が女の子しか産んでなかったことは、良かったのか悪かったのか…)
男社会の歌舞伎界で、実際に生活している寺島しのぶさんが、出演していたことは重みがあると思いました。
実生活では、10代前半の息子さんを歌舞伎界に入れてますから、
やはり歌舞伎界に魅力があるのか、取り憑かれてるのか…私たちにはわからない、感情があるのだと思います。
全体的な感想としては、
役者さん、美しい映像、舞台セット、音楽、その他いろいろな皆様の努力で出来上がった映画が、知らない世界を見せてくれたことに「映画ってやっぱり凄いな〜」と、思いました。
ストーリーがイマイチ
制限があるが故の美に、なぜこんなにも人は惹かれるのか。
予告編を観て、あまりにもエモーショナルで、本編を早く観たいと思いました。
歌舞伎は一度も鑑賞したことがありませんが、直感が面白い!と告げていました。
期待にたがわず、3時間、夢の中にいるような美しい世界でした。
まず、少年時代の喜久雄を演じた黒川くんが素晴らしい。
そして、寺島しのぶさん!
圧巻の存在感です。
俊介に対する母としての想いも、すごく共感しました。
きっと、ご本人も含め周囲の方々の胸に、一度はよぎったのではないでしょうか。
「しのぶさんが男だったなら、きっと稀代の女形になっていたはず」と。
天皇家の問題しかり、いつのタイミングでこれらの縛りが外れるのかなと思います。
青年期の喜久雄の短気さ、後先考えなさは、人格形成期まで極道の家で過ごしていたから。
父の代役を務めた喜久雄の演技を見て、劇場から逃げ出す俊介と好対照です。
俊介の遺伝子の半分は母親からで、必ず父親の才能を受け継ぐわけではありません。
歌舞伎の家に生まれ、幼少期から鍛錬することで、芸事は引き継がれていきます。
しかし、芸術の世界では、努力は才能を上回ることができないのかもしれません。
俊介が、父親から受け継いだであろう糖尿病で、舞台を降りるのは、皮肉です。
喜久雄の舞台を観ている時に、何度か涙が出ました。
ストーリーや吉沢亮さんの演技に感動したわけではなく、ただ、喜久雄の姿に、心が震えました。
舞台の上で生きて死ぬことを繰り返せば、いずれ妖怪のようになっていくよなと納得です。
もっと晩年の喜久雄も観てみたかったです。
題名に惹かれ、「罪名、一万年愛す」を読んで、作家・吉田修一さんにはまっています。
今読んでいる「パーク・ライフ」の後に、「国宝」を読みます。
そしてもうひとり、「正体」で横浜流星さんの演技に沼りました。
「べらぼう」の蔦谷重三郎もいいけど、「国宝」の俊介の方がささりました。
追いつめられる彼が好きなんて、我ながらサドだと思いますが、今後も応援していきます♪
芸に溺れる
耽美であるが物語ではない。
良くも悪くも歌舞伎に耽溺した作りとなっており、監督もまた歌舞伎の芸の中に身を沈めており、映画はほぼ役者の芸事の描写の強靭さに支えられていました。そこに物語はほぼなかった。それ故、歌舞伎の見せ場は極めて情感高く眼も眩む光景に。
一方、芸事の描写以外のできごとや物語はというと、やはりちぐはぐといった感じもする。半弥と半二郎の曽根崎心中のがらみのエピソードも所詮半径5mの出来事だったりする。
自分のベスト10映画の一つ「さらば、わが愛/覇王別姫」も非常に似たような題材構成である。しかし、その物語は、社会の中に時代の中に布置され、運命に翻弄されながらも抗う愛と友情を京劇の題材に描いている。「国宝」には、そういった映画的地平とか余韻というのものが乏しい。例えば、「覇王別姫」は、抗日戦争中の進駐日本軍とのエピソード、文革でのエピソードなど、いずれも壮絶であり、製作国が返還前の'93香港とはいえ相当の覚悟を持って作り上げたであろうことは想像にかたくない。
とはいえ、役者部の演技合戦は見事に尽きる。
歌舞伎といえば、松竹でしょう、と思いきや配給は東宝だったり、製作幹事はソニー配下のアニプレックスのミリアゴンスタジオ(ロールモデルはインド映画らしい)で、一つの目標が本作のカンヌ出品だったらしい。で、見事に監督週間に選出されたとのこと。
ただ、おそらくは、上記のようなスタンスの違いで、覇王別姫はコンペティション部門出品でパルム・ドール受賞('93でピアノレッスンとダブル受賞)という違いなのだとも感じた。
辛口ですみません。
これらのわたしが感じた少々の不満は、プロデューサーの定めたパースペクティブと資金のマージナルであり、その中で想いを醸成し舞台装置を作り上げた監督に由来するものであって、舞台にあがった俳優部の方々は考えうる限り最上級の演技をなしたため、観た皆さんは心を動かしているのではないか。そう思う。
誰も、勤まりゃしない
天上天下唯我独尊と云う言葉があります。直訳すると、世界で私が、いちばん尊い、と、なります。我を崇めよ的な意味で、使われますが、あのお釈迦様が、そんなこと言いますかね?。
「サブスタンス」もそうですが、美を追求するヒトの思いは、狂気と紙一重なのか、と。
…本物より綺麗に描こうとするなんて、あんた、まともじゃない。
かわぐちかいじの「心」のセリフです。「ヴィーナスの誕生」で有名なボッティチェッリが、酒場の女主人に言われています。
そう、まともではない。でも、綺麗なものを求めてしまう私がいます。綺麗と引き換えに、何かを売り渡してしまうヒトも、います。
季節に合わせ、花は咲きます。綺麗なものです。でもその綺麗を造花にすると、埃だらけの花となります。ヒトの追い求める綺麗とは、造花に積もった埃程度のものなのかも。それでも私は、美を否定しません。世界は移ろいゆくもの、私の思い通りにならない。空虚なものです。ただその刹那に、美を求めるヒトの思いを否定する程、私は達観する気はありません。
美は醜悪であり、醜悪もまた、美なり。
…どんなに世界が広くとも、あなたは、世界で唯一無二。他に代わりはいない。それは、素敵なことだと、思いませんか?。
先ほどの、天上天下唯我独尊を、こう訳した方がいます。私は、喜久さんにも、俊さんにもなれません。そんな存在に、憧れるけど、国宝級の生き方はしてません。先日、数年前の母の日に、私が贈った紫陽花に、小さな花が咲きました。母が地味に管理していたようです。母に感謝ですね。綺麗ですよ。地味だけど。そう思える今の私に、国宝級の賛辞を捧げたくなります。
私が喜久さんや、俊さんになれないように、喜久さんも、俊さんも、私にならない。私の代わりなんぞ、誰も勤まりゃしない。そう、私達、ひとりひとりが、唯我独尊なのだから…。
国宝とは、何のことだと思います?。
「さらば、わが愛」
変わらない京劇の舞台から、変わりゆく中国を描いた、稀に見る傑作。「国宝」に、通ずる何かがあります。併せご覧下さい。
「ビューティー」
小さな村の、小さな奉納歌舞伎が舞台です。どんなに格好悪くても、どんなに笑われても、舞台を降りない。その思いに、共感できたら、ラストは号泣一直線です。独立系の映画なので、視聴困難やも知れませんが、オススメします。
追記)
皆様のレビュー、大いに参考になりました。役者が役者の役をする覚悟について、コメントされた方がおられました。そこで…。
100点満点じゃ 食っていけねぇぞ
最低でも101点採ってこい
食っていくって
きっと そういうことだと思うぜ
竹原ピストル 「どーんとやってこいダイスケ」
歌舞伎、落語、クラシック…、繰り返し上演された演目は、演者の技量が試されます。筋金入りの御見物は、先代との差を見抜きにかかります。先代を完全コピーしても評価されません。代が代わる程、ハードルは上がり続けます。かつて、家元クラスのビックネームは、血筋より、優れた技量の一門衆が、養子縁組で踏襲したそうですが、何時の間にか梨園と血縁は不可分となり、血の宿命から、誰も逃れられないようです。そんな役者の苦悩を描いた原作を、役者さんが演じるわけです。
御見物の皆様も、お覚悟を…。
影の主役は糖尿病
歌舞伎については海老蔵ぐらいしか知識がない歌舞伎初心者だが、この映画の歌舞伎シーンの完成度には驚いた。
本物と見紛うばかりの迫力で、特に吉沢亮と横浜流星の歌舞伎の演技は圧巻の一言。
まるで『ミッション:インポッシブル』シリーズでトム・クルーズのアクションを目当てに観るように、この映画は二人の歌舞伎シーンを堪能するためにあると言っても過言ではない。
吉沢亮ファン、横浜流星ファン、歌舞伎ファンなら大絶賛間違いなし。
個人的には、渡辺謙の老いた演技も非常に印象的だった。
一方で、歌舞伎シーン以外のドラマ部分には物足りなさを感じた。
物語をドラマチックになるように繋げているだけ。
話に深みがなく、やや陳腐に映った。
ドラマが収拾しそうになると糖尿病が暗躍し始め、物語が大きく動き始めるという構造。
糖尿病の恐ろしさは十分伝わった。
吉沢亮演じる喜久雄が「歌舞伎が上手くなるなら他は何もいらない」と語る場面があったが、恋人からのプロポーズを断ったのならまだしも、実際は逆で、さらに別の女性と子供をもうけていて、彼の言葉に説得力を感じられなかった。
才能があっても成功しない歌舞伎の世界って酷いと感じたが、夢が思い通りにならないことの方が普通なわけで、例え地味な活動になったとしても、献身的に支えてくれる女性がいるだけで十分幸せなのではないか、と感じてしまった。
波瀾万丈な物語の末にたどり着いた状況を見た時、「最初からそうすれば良かったのでは?」という思いが頭をよぎった。
クライマックスの歌舞伎シーンは、『侍タイムスリッパー』を彷彿。
この場面は序盤の「ドスで親の敵討ち」の場面との関連性を示唆しているようにも思えたが、「だから何?」と感じてしまった。
李相日監督の作品には毎回濡れ場が登場する印象があるが、本作の濡れ場には必然性を感じられなかった。
まるで女優のエロいシーンを撮りたいだけのように見えてしまい、残念だった。
ラストで滝内公美が「国宝」についてディスり始めた時は、「国宝が題材の映画でこれは斬新」と驚いたが、家族を捨てた人物をあっさりと許してしまう展開には、思わず「はあ?」となってしまった。
「天才は何をしても許される」という考えが嫌いなので。
さすが李監督
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