国宝のレビュー・感想・評価
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喪失の物語
レビューで意外と批判もあるんだなと思いましたが、素晴らしい作品だと思います。
同じ映画を2回観たのは初めてです。
レビューも初めてですが語りたくなりました。
キャストはみんなすごかったですが、個人的に撃ち抜かれたシーンをあげると、
①白虎襲名披露で渡辺謙が血を吐いて倒れる場面、俊ぼんを呼ぶとこばかり言われていますが、周りが騒ぐ中で「何で幕引くんや、わしの舞台やないかい、幕開けてえな、幕開けてえな」って叫ぶ演技が凄かった。舞台人の執念を感じました。
その執念を喜久雄も感じて、何とかしようと思っていたと思うのに「俊ぼん…」って呼んだ瞬間に動きを止めてしまったのは、血筋がどうこういうより舞台の上でただの父親になってしまった白虎への絶望感だったのかなと。
原作にはないので脚本を読まないとわからないけど、喜久雄が小さく「死んじまえ…」って呟いたように聞こえました。すぐにハッとなって「すんません、すんません…」って言うのを万菊だけが見て聞いていた、あの瞬間に万菊は喜久雄こそが芸のために全て犠牲にできる、国宝になり得る者と思ったのではないかと思いました。でもまだ足りないので、落ちぶれたときにもすぐには手を貸さなかった…のかなと。
②義足になった俊介と2人で曽根崎心中のお稽古終わって、舞台で話す場面、俊介が「あっこからいつも何かが見てんな」って言ったとき、喜久雄は今まで自分しか見えていないと思っていた「何か」が俊介にも見えていると知った…この世で唯一、俊介だけが自分と同じ景色を見る者、同じ境地に辿り着く者だと悟ったのではないかと思いました。それなのに、舞台で差し出された素足にも壊死が始まっていると知り、本気で縋り付いて泣いた、俊介も一瞬それを悟ったハッとした表情だったと。
理解し合えた喜びと、迫った別れの予感があったと思います。
この2つのシーン、私の勝手な解釈ですが、特に凄いと思ったところです。
あと、後半の展開が速すぎるというコメント多かったですが、俊介亡き後の喜久雄には、もう大切なものは全て喪って、ただ芸の道しか残らなかったので、語るべきことがなかった、ただ静かに生きてきた、だからあれでいいと思ってます。
人間国宝になったインタビューに答えてるとき、若い頃に俊介に「へえ、へえ、みなさんのおかげです、ばっかりでおもんないわ!」って言われたのを思い出したのかなってちょっとグッときました。同じ答え方してるし。
脇を固める女性たちも良かった。特に、喜久雄の才能を認めながら俊介が可愛い幸子、寺島しのぶの、出ていく喜久雄に何か言おうとして何も言えない演技が素晴らしかったです。
自分にも芸があるだけに、血筋よりも才能を選んだ夫の選択をきっとどこかで認めてる。俊介の居場所がなくなるというのは本音だろうけど、そんなことを言わなければならない自分に嫌悪感があったのではないかなと。ここにこの人をキャスティングした人が天才。
軽そうなJKから着物を着こなす大人になった彰子、喜久雄の芸の道に自分は必要ないと悟って泣く春江、最初から何も求めない藤駒も良かった。しがみつく人、諦める人、求めない人の対比かな。それぞれの末路も対照的。
でも脇で一番好きなのは源さんです。長年2人を見守ってきためっちゃいい人の役なのに写真・役名付きでクレジットされない芹澤興人さん…もっと注目してあげて…。
万菊が復帰した俊介に稽古を付けるシーンで横に控えてて、覗き見ていた喜久雄が立ち去るとき、それまで喜久雄の方を見てなかったのに、喜久雄の方にカメラが向いてピントがズレた瞬間に喜久雄の方を見たように見えました。合ってたら素敵。
あと少年時代の徳ちゃん。やんちゃでイキがってて可愛い。原作では一緒に大阪行くのに映画では消えてしまって残念ですが、長さ的には仕方がない。
代わりに喜久雄を支えるのは竹野…いい感じに屈折してていい人…。
田中泯さんはもう凄すぎてコメントできない。
少年時代の仲良し俊介と喜久雄について、俊介が反発して喜久雄を認めるまで何やかんやあるのかと思ったら、原作もあっさりしてたので、俊介は本当に気の良いええとこのぼんぼんなんやなと。(あるいは本筋に関係ないので端折ったか…。)本当に育ちの良い子はイジメなんて思いつきもしませんもんね。
そこで俊介の暗さを出したら喜久雄との対比がボヤけるので、なくて良かったです。
対比といえば、2人で踊るとき、無表情の喜久雄に対して口元がいつも微笑んでいるような俊介の表情の差がまた良かった。目配せするのもいつも俊介で。演出なら本当にすごい。
短く楽しい時代があって、高め合って、失って、失って、ただ一人、自分だけが残った。誰も辿り着けない静かなところにただ一人だけで立った、音もなく雪が降るのは美と孤独と死を象徴している、喪失の物語なんだなと思いました。
映像もテーマも衣装も役者も美しい映画だと思います。
泣かせに来ないところもよい。
何ならエンディングで泣けます。
「ああ、ここは痛みも恐れもない」
そういう場所に、喜久雄はただ一人たどり着いたんだなって。坂本美雨さんの作詞が秀逸。
映画で観てほしいし、あまり難しく考えずに美しさに没頭してほしいです。歌舞伎の知識とか、あらすじだけちょっとネットで調べておけば充分かなって…歌舞伎ファンの人すみません。だって半二郎が稽古で解説してくれるし…。
俗なことを言うと邦画の興行収入一位になってほしいなあ。いつまでもあの作品でなくてもね…。
やっと観た
なんとも言えない感情。
心が苦しくなる物語
歌舞伎役者の生涯を描いた作品
結構大人向けの作品だと感じました。
レイティングPG12は低いのでは?と個人的に思いました
時代背景が昭和な事もあり、未成年飲酒や未成年喫煙等が含まれます
父親や銃殺されるシーンや、チャカやドスを未成年が持ち出して報復に行くシーンもありますし
今では許されない、道路交通法違反の自転車の二人乗り(自分の時代はうるさくない時代だったので青春の1ページを見た感じで懐かしく思いました)
今じゃあまり許されない体罰の表現もあります(時代背景、厳しい役者の世界を理解できるのが大前提)
濡れ場もありますし、なにより話が難しい。
大人は理解ができるかもしれ無いですが、中学生未満の方に昭和の時代背景が理解できるのか?
知識の無い子供にはなかなかに難しい話で、この作品の良さが伝わらないのかなと思うと、少し残念に思います。
なんなら大人でも人によっては難しい表現があったりして、人を選ぶ作品なのかなと思います。
自分は、生きている間に歌舞伎を生で拝見したいと思っている人間ですが、そんな夢を持ちつつも、歌舞伎の知識はほぼゼロ。
歌舞伎の演目が何本か出てきますが、コレは事前に知識を入れて行って方がより楽しめたのでは?と思います(実際歌舞伎好きな方の意見聞きたいですね)
これから、国宝に出てきた演目を何かしらで拝見したいと思っています。
とは言え、演者さんが全員上手いので、歌舞伎の演目がわからずとも、演技にとても引き込まれました。
芸能の世界の厳しさをリアルに表見していて心が潰れそうでした
自分は、芸能界の道を少しでも経験した人間です
いくら、努力して才能があっても、血筋や後ろ盾がないとこの世界で上り詰めるのは本当に難しいのですが、それを赤裸々に表現していて本当に切なかったです
主人公の喜久雄は、歌舞伎の道なんて縁の無いその筋の跡取り息子
ある日突然、父親が他の組に奇襲をくらい、眼の前で自分の父親が殺されてしまい
孤児となった喜久雄は、歌舞伎役者の半二郎に見初められ、引き取られます。
望んでなったわけでもない厳しい歌舞伎の世界。引き取ってくれた恩を返す為にも稽古を一日も休まず、歌舞伎の楽しさを見出していく喜久雄。
最初こそいい顔をしなかった実の息子の俊介(俊坊)ですが、やがてお互いを切磋琢磨する兄弟弟子として仲良く稽古に励む思春期を過ごす
時は流れ、二人共成長し立派な青年になり、ますます歌舞伎に箔が付いてきます
喜久雄は相変わらず努力をしメキメキ役者の腕を上げていきます
一方、半二郎の実の息子で御曹司の俊坊は、御曹司と言う立場にあぐらをかき、酒気を帯びたまま舞台に立つ始末
そんな中、贔屓にしている会社の社長が若き二人に目を止め、二人が主演の舞台を設けようと持ちかけます
当たれば若きビックスターの誕生、外れたら大コケ
楽しそうに賭けに出ますが、結果は大当たり、晴れて若き二人はスター街道真っしぐら
喜久雄はますます稽古に熱が入り、逆に俊坊はますます御曹司の座にあぐらをかきます
時が経ち、努力が報われて半二郎に認められた喜久雄。半次郎が事故で動けない事で代役の主役の座を、喜久雄に任せるのだと言います
実の息子は実力で負けてしまいます。約束された地位が奪われてしまった絶望。自業自得な部分があるとは言え、見ていて切なかったです。なにより、実の息子ではない喜久雄に対して、負けを認め、プレッシャーに押しつぶされそうになっている喜久雄を支えるといった優しさを持っていたところが辛かった。(めちゃいいヤツ)喜久雄の晴れの舞台を観客席で観ていた俊坊は、演技の実力差を目の当たりにして、実の息子である俊坊は、プライドがぶちのめされ、居ても立っても居られず席を立つ。席をたったのを目撃し、俊坊を追いかけたのは、喜久雄と両思いだった幼馴染のハルエ。しかしハルエは、歌舞伎役者としての喜久雄の邪魔になりたくないと感じたのか、喜久雄の求婚を断っていました。追いかけた先の俊坊は、ハルエに今までの苦悩を吐露します。歌舞伎役者としての一番に慣れなかった俊坊、そして喜久雄の一番に慣れなかったハルエ。そんな二人は歌舞伎の世界から、そして喜久雄から半ば駆け落ち同然のように逃げてしまいます。
時は経ち、喜久雄は正式に先代から名跡を譲り受けます。
先代は先々代の名跡を継ぎ、喜久雄は空いた先代の名跡を継ぐと言う状況。
その状況に腹を立てたのは、先代の奥方である幸子。
何故実の息子の事を考えてやらない!と旦那に怒り
よくも跡取りの座を奪ったな!と喜久雄に怒り
負けを認めて逃げ出した実の息子に怒りを表します
(全員に平等に怒るところがいいところだと思いましたし、こーゆー時ってホント男って!って女性は思うところかもしれないです。大なり小なりこんな感じの時あるよなってカンジで)
名跡を受け継ぐ儀の始まり、舞台に並びお客様に挨拶をする面々。
その舞台の最中、先代の様子がおかしくなり、倒れてしまいます。
意識朦朧とする中で、先代は俊介(俊坊)の名前を連呼します
俊坊が出ていってからと言うのも、これまで以上に稽古に励み、先代と一緒に歩んできた喜久雄にとって、何をどう頑張っても抗えない血筋と言うものが重くのしかかりった瞬間でした
先代はそなまま亡くなり、やがて喜久雄は家どころか歌舞伎からも逃げた俊坊を見つけ出す
なにやってんだよ、と怒るかと思いきや、生きててくれて良かったと俊坊に告げ、歌舞伎の道に連れ戻す
そこには俊坊とハルエとその間に産まれた息子の姿もあった
歌舞伎の世界に帰って来た俊坊は、メディアにひっぱりダコ
一方、ちやほやされていた筈だった喜久雄はカタギでは無い時の過去がメディアにさらされ、更には隠し子のスキャンダルまで出てしまい、名跡を奪った悪者として世間から非難の目で見られるようになってしまいます
(築いてきた地位がメディアによって一気にどん底に落とされる描写は、今で言うところのSNSで大炎上と言ったところでしょうか。今も昔も変わらないのが非情だなと思いました。隠し子に関しては、隠し子の母親は、二号さんでもいいと、最初から正妻になる事を諦めていたのでお互い了承して子供(隠し子)を産んだのだと思われます。)
時が経てば経つほどどんどん落とされていく自分に焦る喜久雄。
ある日、お世話になっている師匠の控室に出向き、役をくれないかと交渉に行く
しかし、スキャンダルはまだまだ鎮火を見せる事なく騒がれている状態
「今は静かにしておくべきだ」と取り合ってくれない
そっと控室を後にしたその時、師匠の娘である彰子が親しげに声をかけてきた
立ち話もそこそこに、娘は「お父ちゃん!」と元気よく師匠の控室に入っていった
そこで喜久雄の怪しい目が光る(ハイこの男、この娘利用するなと察し)
後日、俊坊が主役を務める舞台の稽古場に、彰子の父である師匠が怒鳴り込んできたのである
「彰子に手を出したのは俺の後ろ盾が欲しいからだ!」と怒鳴り喜久雄に手を挙げる
それを必死に庇う彰子
喜久雄に惚れていた彰子は親と勘当同然で喜久雄と二入で出家する事を決意する
お世話になった家を出る際に、女将さんに「泥を塗ってしまってすいません」と謝る喜久雄
(彰子に手を出したのは違ったかもしれないけど、それ以外はそこまで悪い事してないと思う)
出ていこうとする喜久雄を俊坊が追いかけるのだが「結局は血筋じゃねぇか」と怒鳴る喜久雄
芸の道を極め、努力してきても、結局血筋と後ろ盾で返り咲く事も安易な俊坊に怒りを露わにする
(今の芸能界もこのような感じなので、結局ド素人の天才が居たとしてもなかなかお表に出られないのが現状なので見ていて辛かったです)
全て無くしてしまった彰子と喜久雄は、宴会場の余興的なもので歌舞伎をしながら日銭を稼いで暮らしていた
歌舞伎が好きで舞台を見に来る人達には、喜久雄の芝居は最上級のものだったが、宴会場の客は、得に歌舞伎に興味もなく、舞台と呼べるにはお粗末な小さな舞台に目をくれる事すらなく、極められた喜久雄の芝居はまるで背景と化していた。
(頂点にまで上り詰めたものが地の底まで落ちた姿がとても痛々しかったです)
それでも尚、自分には歌舞伎しかないんだと、巡業を続ける毎日。
そんな中、自分の事ではなく歌舞伎の事しか見ていないと言う事実に、遂に彰子は気づいてしまい、喜久雄の元を去る
彰子も離れ、一人ホテルのベッドで寝ていると、喜久雄と俊介の演技を贔屓にしてくれていた会社の役員が喜久雄を迎えに来た
なんと、人間国宝である歌舞伎役者である万菊が90歳すぎた今、喜久雄に会いたいと言うのだ
万菊の後ろ盾もあり、喜久雄と俊介はまた若き日のように一緒の舞台に立てるようになった
そんな喜びもつかの間、俊介は足が壊死してしまい片足を無くしてしまう
片足になった俊介は、両足がダメになってしまう前にもう一度舞台に立ちたいと願う
片足と言うハンデを背負いながらも、二人は同じ舞台で最後まで最高の演技を見せるのだが、舞台が終わった後、俊介を息を引きとってしまうのだった
(先代(俊介の父)が事故で舞台に立てず代役を喜久雄に抜擢した演目だったのがエモかった。俊介は父と同じで舞台で息を引き取ったのだ)
時は立ち、喜久雄は貫禄のある歌舞伎役者で人間国宝になった
雑誌のインタビューを受ける中、カメラマンの女性が喜久雄に問う「昔出会った、藤駒と言う芸者を覚えているか」と
その問に「忘れた事は無い」とその女性のカメラマンの名前を呼ぶ
そのカメラマンの女性は紛れもなく、喜久雄が昔スキャンダルに出た隠し子本人であった
隠し子である綾乃は「父親と一度も思った事がない、どれだけの犠牲の上に今の貴方がいるのかわかっているか」と罵声を浴びせるが、
歌舞伎役者としての喜久雄に、母子共々心酔していたと評価する
「日本一の役者になったねお父ちゃん」
と笑顔を見せるのだった
(隠し子として、母子共に苦労もして憎い時もあっただろうに、父の一生懸命な姿に救われた時もあったのだろうなと、泣ける場面でした。喜久雄がちゃんと考えていたであろう発言もグッときました)
人間国宝となった喜久雄は、先代人間国宝である万菊が努めていた舞台で見事主役を勤め上げます
立派に演目を終え、膜が降りた時、そこには誰もいませんでした
育ててくれた両親も、お世話になった先代も、良きライバルであり兄弟弟子だった俊介も
誰もいなくなり一人ぼっちでスポットライトを浴びる
その光景はとてもキレイで、喜久雄の探し求めていた景色でした
若き日に「何もいらないから、最高の歌舞伎役者にしてください」と言う夢が叶った時だったのです
(なんにでも言える事ですが、なにかを頑張る時になにかの犠牲無くして成果は出せないものだと言う無情が可視化されて、とても切ない最後でした
難しい話ではありますが、高校生や大学生ほど見て欲しいものなのかなと思いました)
劇場版の朝ドラを見せられた気分
期待はずれ
すごい
可もなく不可もなく
神は細部に宿る
なんだろうな
こんなふうには生きれねぇよな…
本当にそう思った
ただひたすらにがむしゃらに歌舞伎に向き合い続けるその姿に胸を打たれたし、だからこそ待ち受ける苦難の連続には胸が苦しくなった。
歌舞伎のシーンやBGM、美しく儚く魅入られたのですが、ただ何だろう、ストーリーは所々断片的な感じもしてうまく背景が掴みかねる部分もあった。
原作を読んでみたいと思った作品。
すごいものを観た、、!
あれほど性根入れて突き詰める覚悟があると、予知的な景色に向かって未来を引き寄せるものなのか。
何より、役柄と自身の現実が重なる切実な底力を振り絞った迫真の演技をする役を憑依させる俳優たちの凄みのある表現力に感服。
入門する頃の紫シャツ、お上品なのだけれど、茶レザージャケットと合わせると、彼の境遇もあって二重に“アウトロー”感が増幅されるのよ。
そして華美な着物と厚化粧は崩れると途端に化け物になるのもたぶん演出にもってこいの重要な特徴で、屋上で身なりを崩し酒に溺れて踊り狂う姿は、社会的弱者の己を嘆き荒ぶるジョーカーのようですらあった。
華麗で優美な役柄の出で立ちと舞台を降りた憂鬱さの対比が、国の伝統芸能を代表する“宝”に成り上がる公的な光の部分と、血筋を持たず血の滲む努力で這い上がってきた執念が静かに燃えたぎる私的な影の部分との2面性に視覚的コントラストを与えている。
一貫して、怒りの矛先が不必要にライバルに集中することが無く、また不条理な敵と言えば冒頭のヤクザと歌舞伎の世襲くらいで全登場人物の行動と言動に筋が通っていたので、最後まで気持ち良く観られた。
欲を言えば、一緒に敵討ちに行ったかつての相棒にもう一回くらい出てきて欲しかった。
私が変?
時代のズレのようなものが拭えていない
役者さんの演技には鬼気迫るものがあり、引き込まれる箇所が多くある。だが、なぜか現代で撮影してまーす!というものが映っているように感じる。
カメラの動きも気にあるところが多く、引き込まれてすぐに醒めるという繰り返しがあり残念。冒頭の乱闘シーンでちゃぶ台を振り回して投げつける場面や永瀬さん演ずる親分さんが打たれるシーンも安い刑事ドラマのように映ってしまっている。
歌舞伎というものに支配されて映画というものの見せ方が疎かになっているように見えてしまった。
渡辺謙の存在感がスゴイ!
最後の娘のセリフに違和感
再会した綾乃のセリフが腑に落ちず、最後の鷺娘の舞に集中できなかった。
「あんたを父親だと思ったことはない」と言い放った後に、「お父ちゃん」と言う綾乃のセリフが引っかかった。数十年ぶりに現れ、恨みつらつらであるように思われた娘が、急に態度を変えて和解する流れになった点が腑に落ちなかった。これは、このセリフが現在形であるからわかりにくかったのだと思う。「父親だと思ったことはなかった」と完了形っぽくすれば、色々不満はあるけど喜久雄の演技に感動した、という方向に繋がりやすかったかも。表面的な部分ではここが引っかかった。
それから、「どれだけ周りを不幸にして」というセリフも納得いかなかった。なんとなく、芸を極めるため周囲の人間を顧みない喜久雄の人生を言葉にまとめようという制作側の意図を感じたのだが、数十年間直接的な関わりがなく、喜久雄に振り回された俊介や彰子などの事情を知る由もない綾乃に、総括させる形で言わせているようなセリフに違和感があった。自分ら母子の不幸を直接訴えるセリフならまだ納得できたと思う。
また、私は喜久雄を「芸のために他の全てを捨てた人間」として解釈していたのだが、このラストシーンによって、作品の主題が芸の極致から最後の最後で父娘の感動物語にすげ替えられたような衝撃があった。喜久雄はずっと娘や周囲との和解を求めていたのか?鷺娘を舞いながら娘の言葉を回想する場面からは、喜久雄が娘の言葉に救われているかのような印象を受けたが、最後にあの「景色」に至ったのは和解して救われたからではなく、芸を極めたからではないのか?鷺娘の場面に綾乃のセリフを重ねる必要があったのか、つくづく解釈違いだと思った。結末に和解を持ってくるのであれば、せめて作中に喜久雄の演技を見る綾乃の描写ぐらいは入れてくれないと、急に出てきて何⁉︎となる。原作は読んでいないが、映画オリジナルの結末と知り、まあそうだろうなと。和解を丁寧に描く余裕がなかったのなら、娘は不満をぶちまけて和解せず立ち去り、心の中で父を赦す、くらいの方が良かったとすら思う。
他に気になった点としては、子役の方の喜久雄が人間国宝の演技を見て「怪物だ」と口に出す場面があったが、あそこは口に出さない方がいいと思った。はしゃいでる学生みたいだったし、せめてもっと独り言っぽく言えば違和感なかったかも。このときの人間国宝についても、もっと格の違いを強調して描けないものかと思った。エフェクトはかかっていたようだが。
また、襲名を果たした喜久雄が花井の借金も引き継いだことが示されていたが、にしては女将さんたち冷たすぎないか。正直要らない情報だと思う。
歌舞伎の場面に関しては拙者のようなド素人にもわかるようにエッセンスだけ抽出していていいと思った。こぶしの効いた独特な話し方や専門知識など、素人にはとっつきにくいジャンルの芸能なので。
いろいろ言いたい点はありつつも吉沢亮の演技は本当にすごかったし、情感に訴えてくるすばらしい作品だと思った。だからこそラストシーンに納得いかなかったことが本当に残念だった。あれははっきりいって陳腐だと思った。これを吐き出すために映画.comに登録した。それでも劇場で見る価値は間違いなくあるし、なんならまた見たいと思う。
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