国宝のレビュー・感想・評価
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血筋と才能、挫折と再起、友情と嫉妬の物語
「世襲か?実力か?」というテーマには、特に目新しさを感じないが、「芸」と「血」によって、それぞれに挫折を味わう2人の男の物語が丹念に描かれていて、見応えがある。
度々挿入される歌舞伎のシーンも圧巻で、吉沢亮と横浜流星の歌舞伎役者ぶりには目を奪われるし、特に、女形としての発声や台詞回しは見事だと思えてならない。
当初は、極道のせがれを演じる吉沢亮と、当主の跡取り息子を演じる横浜流星とでは、配役が逆の方が良かったのではないかと感じたが、悪魔と契約し、芸者との間に隠し子を設け、役を得るために実力者の娘をたぶらかし、挙げ句の果てに歌舞伎界から追放される主人公は、吉沢亮が醸し出すダークなイメージに合っていると思えるようになった。
ただし、共感を覚えるのは横浜流星か演じる御曹司の方で、父の代役に指名された兄弟弟子を妬むどころか、開演前に緊張する彼を励まし、自分の才能のなさを自覚して歌舞伎の世界から逃げ出すものの、地方のドサ回りで地道に芸を磨き続けた生き様を見ると、思わず応援したくなってしまった。
さらに、彼が、糖尿病で片足を失っても、執念で「曽根崎心中」の舞台に立つシーンは、2人の男の因縁と友情が帰結するクライマックスになっており、確かに、吉沢亮の主役としての存在感は素晴らしいものの、美味しいところを持っていったのは、横浜流星の方だと思えてならない。
吉沢亮が演じる喜久雄が、「国宝」となって美しい「景色」を見るラストは感動的ではあるのだが、もし、横浜流星演じる俊介が早逝しなかったら、喜久雄は「国宝」になれたのだろうかという疑問が残るし、喜久雄が見ることができた「景色」を、俊介にも見てもらいたかったと思ってしまうのである。
その点、喜久雄が「国宝」になれたのは、血筋がないことによって挫折を味わったり、親友の俊介を失ったりといった人生経験が、芸の肥やしとなったからに違いないのだが、そこのところは、もう少し分かりやすく描いてもらいたかったとも思う。
さらに言えば、森七菜が演じる喜久雄の恋人が、喜久雄の歌舞伎界への復帰と共に姿を消してしまったことには違和感を感じるし、高畑充希が演じる春江を巡る喜久雄と俊介の三角関係が、まったくと言っていいほど描かれなかったことにも、物足りなさを感じざるを得ない。
ただし、長尺の割には、ほとんど無駄に感じられる描写が無かっただけに、そうした場面を追加したら、上映時間が優に4時間を超えてしまうのだろうが・・・
圧巻の歌舞伎シーン
あなうつくしや、あなおそろしや
吉田修一原作、李相日監督とくればそれだけで「観たい!」と思えるというのに、主演は吉沢亮。これで期待するなと言う方が無理だ。
期待しすぎるとむしろ物足りなく思えてしまうことも多いのだが、「国宝」は期待を超えて余りある最高の映画だった。
まず、歌舞伎のシーン全てが良い。
「国宝」を成立させるために、絶対に歌舞伎のシーンは外せないのだが、その全てで想像を超える演技を見せてもらった。
まだ役者になる前である喜久雄の「関の扉」。
歌舞伎役者の家に生まれた運命を内包する「連獅子」。
喜久雄と俊介が二人切磋琢磨して踊る「二人藤娘」「二人道成寺」。
芸の道に生きる覚悟と重なる「曽根崎心中」。
ともに人間国宝である万菊と喜久雄の「鷺娘」。
特に序盤、万菊の「鷺娘」で圧倒的存在感に打ちのめされた。楽屋のシーンが万菊の初登場シーンなのだが、後々まで田中泯だと気づかなかったくらい、所作からして徹底的に「小野川万菊」という稀代の女形として存在しているのである。
手まねき一つで「女」を感じさせる柔らかさ。作中で三浦貴大演じる竹本のセリフに「あの婆さん、いや爺さんか」というのがあるが、本当に性別を超越して存在しているように思われた。
次に、映画の圧が凄い。
李相日監督の映画は、人物にどんどん寄っていってその人生に深く切り込んでいく。それがカメラワークにも出ていて、今回アップのショットがとても多かった。
化粧や衣装の下に隠された「役者」を撮る、という強烈な意志がショットに表れていたのだと思う。
目の潤み、息遣い、唇の震え。そういうものに、喜久雄や俊介の生き様を感じさせる。
それもまた演技のはずなのに、ギリギリを攻めて剥ぎ取り過ぎない絶妙な塩梅で表現されている。
約3時間、長丁場の映画であるのに、全く長さを感じさせず、むしろ矢継ぎ早に展開していって喜久雄の人生が芸事に圧縮され、何もかもを犠牲に昇り詰めた先に、誰も見たことのないものを求める美しさと恐ろしさ、恍惚と孤独に胸を打たれた。
とにかく、演技陣の力がこの作品を名作足らしめていたと思う。
主演の吉沢亮は言うに及ばず、俊介を演じた横浜流星は血の残酷さを様々な面で見せてくれた。俊介のお初が、俊介自身と重なる。歌舞伎と、役者と添い遂げるには「死ぬしかない」と。言わば俊介の心中相手は歌舞伎だったのかもしれない、と思わせるに充分だったと思う。
歌舞伎監修としても参加されている中村鴈治郎さんのインタビューで、「歌舞伎に興味を持って頂けたら」というのがあったが、観終わって一番最初に思ったのが「歌舞伎観に行きて〜!」であったことを考えると、鴈治郎さんの思いは確実に届いている。
少なくとも私には。
役者魂を間近で感じられる大画面で堪能したい、美しくも物悲しい最高の一本だ。
3時間の歌舞伎大河ドラマ
歌舞伎は母を連れ年一回観に行く程度のにわかですが、歌舞伎というのは世襲制の家業のため、その分甘さを指摘されないよう芸を徹底して磨くことにこだわり続けていく伝統芸能だと思っている。
一方で歌舞伎を支えている古くからのお客さんの中には、芸そのものよりも、3才で初舞台を踏んだあの◯◯屋の可愛い男の子が何度か世襲し名跡を継ぎ立派な役者になり、その子供がまた成長していくというのを親戚のおばさんさながら見守ることに生きがいを感じているという人もたくさんいる。(昔の人気コンテンツだった「五つ子ちゃん」とか「ビッグダディ」とか最近のオーディション番組みたいに)
歌舞伎役者が子供が小さいうちからメディアに出すのは、重要な役割としてそう言う効果を狙っているためだと思う。
そう言うことも含め、もし部屋子さんが主役を演じたり家を継いだりすることがあれは、関係者だけでなく、お客さんからも批判されることが考えられるため、事前に養子縁組して伝統だけでなく体裁を守るのかなと思ってる。
本作は長崎の極道の家に生まれた喜久雄が歌舞伎役者に引き取られ、跡取りの俊介と切磋琢磨し女方として(人間)国宝になるまでの成長譚だが、養子・女方・人間国宝とくれば坂東玉三郎がモデルなんだろうと思うが、ドラマティックで波瀾万丈のストーリーは完全なるフィクション。
背中にミミズクの和彫を背負った天性の才能をもつ女方を当て書きしたかのように役者バカと評判の吉沢亮が鬼気迫る迫力で熱演し、ライバルの俊介を横浜流星が憂いと弱さで人間臭く演じており、2人の美しい役者が見えない絆や縁のようなものをうまく感じさせながら魅せる演技は感動を誘う。
田中泯の白粉と女喋りはあまりに似合わなさすぎて少しおかしかったw。
珍しく初日に鑑賞したのであまり多く書き込むことは控えるが、3時間の長尺を感じさせないほど没頭して観ることができるオススメの映画です。
現実と映像が溶け合う世界
僕が生きてるふたつの世界で個人的にめちゃ注目する俳優になった吉沢亮が主演だったというなんとも単純な理由で観に行った。故にヒットしていることもほとんど知らず。いつも閑散とした映画館がなんとほぼ満員。驚愕。
ちなみに歌舞伎に関しては生で鑑賞したこともなければ、知識もほとんど0であることを付け加えておきます。
見始めて…関西が舞台なのか💦これは関西弁大丈夫かしら…私が邦画を観ない理由の一つはけったいな関西弁を聞きたくないというのもある。これに関しては割と自然。ところどころやっぱり変やけど気になるほどではない。
肝心のストーリー。これぞ完璧な余白とでもいうんやろうか。沈黙全てに意味があるし、無駄がない。3時間という長時間の作品であったが時間の長さを感じさせない。それだけ引き込まれる演出、そして俳優たちの名演。どういう感情だか自分でも形容し難いが、曽根崎心中のシーンは自然と胸がいっぱいになり涙が溢れる。あと、予告でも流れてた手が震えて描けないんやというシーン。こちらまでプレッシャーで押し潰されそうになる。芸は血を超越するのか?その後の展開もドラマがある。それぞれの生き様をみて深く共感し、時に涙し、やりきれない思いになり…感情がまさにジェットコースターなみに乱高下🎢なぜ自分が泣いているのか頭と感情が追いつかない。久々の経験やった。(インターステラーで経験済み)吉沢亮、横浜流星の女形は本当に美しく魅入ってしまう。まさに映像と現実の境界線が曖昧になり、息をすることすら緊張する。
歌舞伎を知らなくても十分に満足できる内容。むしろ歌舞伎の知識がないからこそ先入観なくみられたのかもしれない。
映画を早送りで観る人たちという本を最近読んでいるが、倍速でサクッと観たいよ!という人にはこの映画は全く向かない。「間」が命の作品なので。現に上映終了後、なげーよと呟いている人もいた。でも、普段、配信とかで映画を倍速で観てる方もぜひ劇場で観てほしいです。早送りする人たちが増えている中で、観客にシーンの意味を自ら考えさせる構成にあえてしたこの作品はほんまに意欲作やと思う。そういう意味でも高く評価したいです。ぜひ、映画の醍醐味である観客が一体化する瞬間を味わってほしいです。
吉沢亮の間違いなく代表作‼️と言っても過言では無いのでは‼️
任侠の一門に生まれた、吉沢(喜久男)は、抗争で父親を亡くし、天涯孤独になってしまい、歌舞伎の名門、半次郎(渡辺 謙)に見出され、部屋子として引きとられ歌舞伎の世界へ
そこで半次郎の息子、俊介(横浜流星)と兄弟同様に歌舞伎を教わりながら育てられスターダムにのしあがる物語‼️
いやぁ‼️凄い‼️映画🎞️でした✨自分は歌舞伎は知らないけど。。。歌舞伎がいかに、繊細で難解なお芝居なのか?が伝わり、その歌舞伎の舞台の空気感が、すさまじく緊迫してるのがわかりましたΣ('◉⌓◉’)
そこに、跡取り問題や、二人の切磋琢磨して歌舞伎道を極める姿が、歌舞伎を通して実に情緒豊かに描かれています。
吉沢亮さんの演技が半端ないです‼️凄い‼️驚愕‼️Σ('◉⌓◉’)‼️名演ですね👑
横浜流星さんも凄い演技‼️渡辺謙さんも貫禄抜群の演技‼️サスガ👑
寺島しのぶさん、永瀬正敏さんの助演も、素晴らしい✨
歌舞伎の事、知らない人でも、見れば楽しめる映画🎞️だと思います。是非‼️みなさん、大きなスクリーンで「国宝」の世界へLets go✨
とにかく出演俳優、特に女優陣が皆素晴らしく、今が旬の俳優を集結させたキャスティングの選択眼の適切さに唸らされる
吉沢亮、横浜流星、この主演二人の歌舞伎を通じての演技が素晴らしい。
歌舞伎自体については歌舞伎役者に叶う訳はないが、歌舞伎を演じながら、そこから伝わってくる感情表現は、映画俳優でないとできないということを、改めて感じさせてくれた。
支える渡辺謙もいいが、それよりも田中泯が凄い。
最初の登場シーンから、本当の歌舞伎役者と思うほどの説得力。
晩年、それまでの人生でのすべての「美」の重圧感からの解放を語る。
俳優陣が皆素晴らしく、個人的には女優陣のキャスティングの選択眼の適切さに唸らされる。
寺島しのぶの上手さ、はまり具合は何も言うことはない。
高畑充希というよりも、喜久雄と揃って入れ墨を入れて彼を追って出て来た当時の春江を演じた女優が良かった。(名前がわからない)
見上愛、宮澤エマ、森七菜、パンフレットに写真すらなく1シーンのみの瀧内公美など。
寺島しのぶ以外、皆、出演シーンが短いのが本当にもったいない。
しかし、その誰もが短い時間で印象に残り、その個性が映画で描かれていない部分をも感じさせてくれた。
今後も、皆さんの他作品での活躍を楽しみにしています。
歌舞伎の演目が劇中劇のように入ってくる素晴らしさ
そういう家系なのかなあ?
父は失明、息子は足切断と2人とも糖尿病とは、、、でも父が吐血は糖尿ではない気がするけどね。
わかるけど、わからないのは、
幼馴染がボンボンと逃げた理由
確かにその方がストーリー展開には良いと思うけどね。でもあれだと、幼い時に「ずっとついていく」って言葉が嘘になる。嘘になる程の「なにか」があったのかな?そんな感じには見えなかったけど。総じて主人公を取り巻く女性陣が物語に強くコミットしてない気がしたなあ。ラスト、カメラマンが娘なのは想像通りだけど「1度も父親と思ったことない」とか言って祭りの時は「父ちゃん」って懐いてたじゃん。
ドサ周りの時の宴会客とのトラブルも要らなかったし、国宝のじいちゃんの絡みも上手く言ってない感じ。
というと、まるで★3〜3.5くらいな物言いなんだけど、あの、歌舞伎の演技は相当努力しただろうし、「迫真の演技」と言ってよいからさ。渡辺謙も含めて「凄み」があったんで、4にしようかな、と。
観る前は「え!3時間!」って思ったけど、時間の長さを感じさせない仕上がりだったのも好評価だったしね。
2025年度劇場鑑賞31作品目(32回鑑賞)
いろいろスベった凡作。
まず良いところ。女優陣はみんな立派ですね。少年喜久雄役の子役もすごい。あと異様な存在感を発散する田中泯そして渡辺謙。中村鴈治郎のイヤーな大物役者っぷりもさすが。この人はそれこそ血筋のせいで徳兵衛しかやらせてもらえないけど、九平次をやってもハマると思う。
が、カメラと編集と照明がとことん凡庸なのです。それは要するに監督の感覚が俗で凡だってことで、『流浪の月』で観客を感嘆させたあの見事なショットは要するに監督の手腕ではなくカメラマンの力量だったことを本作は証明してしまいました。
まず冒頭の料亭へのカチコミシーン、永瀬正敏はざらりとした印象を残して見事だったけど、画角のセンスと編集のスピード感が鈍くて緊張感も緊迫感も欠いている。寄りが甘いし引きがぬるい。以後、万事がこの調子で、いちいち隔靴掻痒感がのこります。
舞台上での歌舞伎役者の所作などを俳優ががんばって稽古したところでサマにならないのは、まあ仕方がない(田中泯の鷺娘ですら微妙にハズしているのに、現代の若手俳優にできるはずがない)。それでも、曽根崎心中の口説きを吉沢亮がはじめて見せるシーンは、なかなか迫力のあるショットになりかかっている…のに、そこにキセルのUPやら鈍いクロスカッティングやらを混ぜてスポイルしてしまっている。
男優二人は、おそらく才能ゆたかで意欲十分なのですね。だから稽古場での所作は、おおっと思うようなショットがいくつもあります。それを活かせていないのは監督と脚本の責任。
脚本は、とくに中盤以降が御都合主義なバタバタ展開で、中途半端なショットがそれをさらに助長していて、白々と見ていました。その頂点として現れる「人間国宝」であるはずの女形による鷺娘シーン。これを呆れずに見ていられる(それどころか賞賛する)映画評論家は、歌舞伎も文楽も能もちゃんと見てこなかっただけです。
そんなわけで、別に失敗作ではなくがんばって撮っているし俳優もそれなりに演じているのですが、監督の凡庸すぎる力量のせいで、締めるべきネジをことごとく締め損なった凡作、という結果に終わりました。
A300 本当によくできた物語
2025年公開
3時間弱全く退屈しませんでした。
普段歌舞伎は縁遠いのですが
見入ってしまいました。
監督の演出も隙がないし
美術は当然、光の当て方すら数ミリのくるいもない。
ともかく主演二人の演技に圧倒されました。
本物の方から見れば、ん-?だったかもしれませんが
ワタシのような素人からすれば
こんだけ歌舞伎の世界の技を
よく身につけたなあ、と感心する。
吉沢亮と横浜流星の距離感
ケンワタナベと寺島しのぶの葛藤
突如現れた映画史に残る作品。
そんな感じがします。
(流れが出来すぎなのでちょっとマイナス点)
人間国宝が坊やあんたちょっとこっち来なさい
と誘われたとき善からぬ予想をしてしまった。
ケンワタナベに誘われているのに紋々入れるのは
どやねん?
襲名披露に血吐いたら周りはどう収集つけるねん?
ドサまわりも大変やな―
あんまり悪魔と取引した感はなかったんですがね。
ジジイになった吉沢亮が一番キレイだった気がするし
それに絡むカメラマン瀧内公美ちゃん
出演は少ないものの存在感あるー
と雑感。
80点
鑑賞日 2025年6月22日 イオンシネマ草津
配給 東宝
虚構の中にある一瞬の煌めきを彩る者たちの儚さと美しさ。
歌舞伎界の想定内アルアルの羅列。退屈。
圧巻! 好き嫌いとか関係なく評価せざるを得ない一作
すごい作品だろうな、と予想し、期待度をかなり高めで拝見しましたが、想像以上に物凄いものを見せてもらいました。
まあ、私ごときが何か語るより、ぜひ映画館でご覧いただきたいです。
邦画としては圧倒的なクオリティと映画的な質量を備えた作品で、満足できること間違いなしです。
ハイカロリーにヤられる
映画そのものから受けた印象は★4つ。
ただ、約3時間観客をスクリーンに釘付けにしたその熱量に★0.5をオマケした。
役者が役者を演じ、カメラは彼らの半生を追いつつ、我々は劇中劇の観客として観劇する。
映画館の客席と歌舞伎座の舞台はシームレスに繋がっているのだ。
物語の軸は、歌舞伎の名家に身寄りもなく引き取られた若き才能を主人公に、その師匠の御曹司という、地位の約束されたライバルとの争い。
ありふれたスポ根の様に見えて、描かれる人生はそんなに簡単なものではない。
歌舞伎という「血脈」が絶対的な価値を持つ世界で、他者が名前を継ぐということの意味。
「血」による栄光と呪い。
その「血」を持たぬが故の主人公喜久雄の苦しみと孤独。
師匠半次郎は、名前に「一」の文字をもらった喜久雄を羨ましがる息子半也に言う。
「半次郎と半也で『一つ』やないか」
この時点では、喜久雄の才能を見込んだ半次郎の思いの様に見えるが、血縁のない喜久雄は、ここでは自分一人で生きていくしかないということを暗示していた。
それでもお互いに「役者として生きていく」ことしかできないライバル二人が、共に学び、遊び、助け合い、奪い合い、舞台に上がり続ける姿を、吉沢亮と横浜流星が熱演している。
本編スタート前に「ババンババンバンバンパイア」の予告が流れた。
私の中では吉沢亮って「そういう役者」というカテゴリーだったが、本作に登場する、まさに命を削って舞台に立つ彼の姿は私の知っている彼とはまったく違った。
(もちろんそもそも私の偏見なんだけど)
とにかく綺麗だし。
また、その師匠半次郎演ずる渡辺謙の、舞台に未練を残しながら、それでも枯れていく演技、そして慣習に反して喜久雄に名を継がせることへの複雑な胸中もまた、真に迫るものだった。
歌舞伎なんて私にはよく分からない芸能だと思っていたが、ここでは決して小難しいモノではないことが分かるし、全編通して、その熱量に圧倒される。
彼らの経験する栄華と凋落、ステージの上と舞台裏、とにかくものすごい熱量がスクリーンから溢れ出してくる。
上映時間は長い。決して「あっという間」とは思わない。しかし、スクリーンからのメッセージをたっぷり浴び続ける濃密な約3時間。
歌舞伎の演目もしっかり見せてくれる。その中身もちゃんと登場人物たちの境遇と重ねられている分、退屈もしない。ただ、疲れることは間違いない。
最後の「鷺姫」も素晴らしかった。
若い人が観たらどんな感想になるんだろう。
吉沢亮と横浜流星という若手トップの人気俳優が演じることで、若い観客もたくさんおられるはず。
今もなお続く、血縁絶対主義や女性は歌舞伎役者になれないという独自の文化などには、現代社会のモラルの中では違和感を感じる方もいるだろう。
その「良い」「悪い」はともかく、だからこそそこにしか生まれ得ないドラマを堪能して頂きたい。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 良く出来た小説の映画化は本当に難しいと改めて思う。だが映画という媒体の力を駆使して“「映画」の中で見事に歌舞伎の世界が構築されている”と思う。
《原作既読》
①映画を観る前に原作を読んで、喜久雄と俊介の役はいっそ若手歌舞伎役者にやらせれば良いのに、と思った。
たとえ映画(TV)俳優が撮影前の練習でどれだけ頑張ったとしても、長い修行・稽古を積んできた役者には叶いっこないと思ったから。
でも其れは映画好きにも関わらず映画の力を信じていなかった己の不明を知らされることになった。
②吉沢亮も横浜流星もよくやっていると思う(横浜流星は正直どこが良いのかと思っていたが『べらぼう』を観て少し私の中で評価が上がってます)。
決して歌舞伎通ではないけれども、歌舞伎通の目から見れば、二人の芸自体は 本物に比べたら真似事にしか見えないかもしれない。
しかし、その足りない部分をカメラの動き・画面の構図/構成・編集という映画のマジックで見事に「映画という虚構の世界の中で存在する"歌舞伎"」になっていると思うがどうだろうか。
③大河小説と言っても良いくらいの原作の質量とものボリューム。
特に後半の中年以降の芸の道を極めていく辺りを若い俳優が演じきれるのか、との不安も有った。
そこを映画は「花道編」の部分をかなり刈り込んで「青春編」に比重を置いている。原作で印象的だったキャラクターも外されていたり、外されていなくても一場面のみの登場になっていたりする。
でも其れは仕方ないと思うし、其れで良いと思う。
勿論、芸の道を極めていく中年以降の喜久雄を映像で観たかったという気持ちもあるが、原作の芯のようなものは十分残っていたように感じる。
小説の世界では、読者自身の想像力の及ぶ限りの範囲で好きな様にイメージを脹らませ想像しながら読んでいける。
一方映画は写実に具体的に映像として観客に提示しなければならない。
然しながら今回は実写版として観ても殆んど違和感は無かった。
既に観たことのある演目はともかく、観たことのない演目については「実際はこんな舞台なんだ」とわかって有り難かった。
逆に、俊介の出奔と「曽根崎心中」の舞台とを平行して描いたところなど、上手い、と思ったし映画でなければ出来ない表現・手法だと思う。
④主役の二人も良かったが何よりも圧倒的な存在感・オーラを放つ万菊に扮する田中泯が素晴らしい。
歌舞伎役者ではないけれども、こちらもダンスという“芸”に一生精進・努力を続けてきた人。その佇まいは年輪は演技で出せるものではなく、何より指先の動きから所作、佇まいまでまんま歌舞伎の立女形としか見えない(少なくともこの映画の中では)。
『鷺娘』の舞も、カメラワークもあるのだろうが、本作に数々出てくる躍りの中ではピカ一である。
『それで良いの。それでもやるの。』という印象的な台詞も田中泯だから説得力を持ったと思うし、この映画を芸道映画として成り立たせているのも田中泯がいてこそと思う。
賞などどうでももよいのだが、助演男優賞(それとも女優賞か)ものである。。
⑤渡辺謙も白虎が亡くなる前の老いを露にした演技に凄みを見せる。
瀧内公美もワンシーンの出演ながら脚色でバッサリ切られた原作後半の部分を集約したような台詞を放ち鮮やかな印象を残す。何より正体を告げる前に撮影のために上着をそれとなく整えるところに、置き去りにした父への恨みと愛情をさ無言でさりげなく表現する。
寺島しのぶに関しては、今の日本映画界でこれ程この役に他に似合う人は居ないだろう。却って当たり前すぎるキャスティングなのが痛し痒し。
冒頭シーンのみの登場だが、永瀬正敏もそこに居るだけで役に成りきっている安定感・存在感が半端ない。
⑥原作の、至福感溢れる、然し浮世離れした幻想的な幕切れは小説だから可能であって、映画の場合、最初からファンタジー映画と謳っているなら兎も角、本作のように基本リアリスティックな描写をしている映画では難しい。
どういう幕切れにするか期待と不安と相半ばで観ていたが正直「こうするしかないよなぁ」という感想であった。
⑦惜しむらくは、血筋や才能という前半で強調された要素を超越した、「何はともあれ結局歌舞伎が好きで好きでたまらない」「名声を得ることや注目されることは結局どうでもよいことで、シンプルに舞台に上がること、役者でいることが楽しい」という喜久雄の到達した境地は表現しきれていない。
⑧とは言え、監督:李相日×原作:吉田修一のコンビ作(『悪人』『怒り』『国宝』)では今のところベストだと思う。
血と汗
国宝級の演技を歌舞伎役者ではない者が演じる意味に興味を感じました。パンフレットにあった李相日監督の「歌舞伎を見せる以上に”歌舞伎役者の生き様”を撮りたかった」という言葉に表われているように、自分が観たかったもの、心を動かされたのもそういった部分だったと思います。とはいえ、歌舞伎の演技自体も大きな見所であり、吉沢亮、横浜流星の血の滲むような特訓の成果に目が釘付けになりました。今作のことを最初に知ったとき、御曹司・俊介役はどことなく品のある顔立ちの吉沢亮、外の世界から才能を見出される喜久雄役は孤高の風格が似合う横浜流星かなと思いましたが、実際に観て、このキャスティングで納得でした。頂点を極めようとすればするほど絶望も底なしに深く、それはビルの屋上で放心したように喜久雄が踊るシーンが象徴的でしたが、魂を揺さぶられるような深い感銘を受けました。自分の役を奪われる俊介の激しい心情も見事に描かれていて、橋の上で喜久雄に掴みかかるシーンは、横浜流星ならではの激しくも美しいシーンだったと思います。国宝級の役者が舞台の上から観ている景色をほんの少しでも追体験できる、とても貴重な唯一無二の作品でした。
歌舞伎好きの隣りで妻が思わず口遊む…
常に話題を集める吉沢亮さん、横浜流星さんのお二人、歌舞伎の舞やセリフをたくさん練習したでのでしょうね。
それを演技を脇で固める渡辺謙さんや田中泯さん、お家柄歌舞伎の血筋を持つ寺島しのぶさんと来た。
芸の才能を買われ歌舞伎の世界に導かれたヤクザのせがれと名紋の歌舞伎家のあと取り息子の友情が何とも切ない。
どん底に落とされ這いあがるそれぞれの人生模様がつぶさに描かれ引きつけられる。
芸を極めていくふたりだがそのふたりに寄り添う女性たちの姿もうなずけるがやっぱり血筋には敵わなかったね。(笑)
わたしは新しく建て替えられた新歌舞伎座のこけら落しの際に妻に誘わられお供したことがあり寺島しのぶさんの母の富士純子さんのお出迎えを目にする事が出来た。
演目とか目にする役者さんの名前すら覚えて無いけど坂東玉三郎が目の前の花道の下から登場した事は驚いた。
独特な言葉遣いがあって意味も分からずガイド機器を借りて観たがそれでも余り理解できなかったが観て良かった。
本映画の題名に値する迫真の演技を披露した全ての役者さんたちの演技力に魅了、長尺にも関わらず時間を感じさせない映画でした。
国宝
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