国宝のレビュー・感想・評価
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流行りに乗っかった結果…
結果的に大した映画ではなかった。
なぜ流行っているか全く理由がわからない
俳優陣の演技は確かに魅了される場面もあったかもしれないがただ俳優としての仕事をしてるだけ
別にストーリーも面白くない。
ただの歌舞伎のお家騒動。
森七菜の存在絶対いらんかった。
最後の高畑充希と三浦貴大のすごく雑な特殊メイクには爆笑笑笑
市川海老蔵の歌舞伎人生を映画にした方が100倍面白い。
頂点に立つ者だけが見られる景色とは
極道の家に生まれた男が歌舞伎町で頂点にのし上がっていく物語、ではなくて歌舞伎の世界に魅入られた者が、ライバルとなる兄弟と切磋琢磨し、遂に人間国宝になるまでの壮大な物語。
主人公の喜久雄のモデルは五代目坂東玉三郎だろう。喜久雄は本作の最後に「鷺娘」を演じるが、これは喜久雄が十代の頃に見た万菊の「鷺娘」を見て魅了され、万菊のような歌舞伎役者を目指した点も玉三郎が女帝と呼ばれた六代目中村歌右衛門の「鷺娘」にあこがれて彼自身も演じたというエピソードとまんま同じ。
組長の父を失った喜久雄は歌舞伎の名門花井に引き取られ、息子の俊介と共に時にはライバルとして時には兄弟としてともに歌舞伎の稽古にはげみ成長してゆく。
いずれ屋号を継ぐのは息子である俊介。世襲が習わしである歌舞伎の世界ではそれが道理であった。しかし運命の歯車が狂いだす。
花井は怪我をした自分の代役に喜久雄を選んだ。それはただの代役に過ぎなかったが、喜久雄の曾根崎心中での芝居を見た俊介はその力の差を見せつけられて家を出る。
俊介の血に嫉妬していた喜久雄、喜久雄の芸に嫉妬していた俊介。彼らは跡目を継ぐ時が来るまでは良きライバルであり良き兄弟だった。しかし歌舞伎界の習わしにより彼らはたもとを分けることとなった。
二人歌舞伎を演じた時の彼らはともに輝いていた。二人の信頼関係そして拮抗する芝居の才能、それらが合わさり相乗効果を生んで二人歌舞伎は観客を魅了した。一人の人物を二人で演ずる二人役をこなした二人はまさに二人で一つだった。しかしそんな二人は皮肉にも歌舞伎界の掟により引き裂かれてしまう。
俊介は去り、残された喜久雄は跡目を継ぐ。しかし、いくら芸を磨いても喜久雄の不安はぬぐえない。自分にはどうしても欠けている花井の血。彼はその不安をぬぐうために悪魔と取引をする。
そして彼の不安は的中する。襲名披露で吐血した花井は帰らぬ人となる。後ろ盾を失った喜久雄は主役の座から遠のき役者としてくすぶっていた。そして先代が残した借金だけが重くのしかかった。
そんな時、行方をくらましていた俊介が歌舞伎界に復帰する。それと入れ替わるかのようにスキャンダルに見舞われた喜久雄は歌舞伎界を追われる。
まるで二人は陰と陽の関係。片方が眩いライトに照らされたら片方は影に追いやられる。かつて二人歌舞伎を演じていた時の均衡の取れていた二人をつないでいた糸は断ち切られ、片方は糸の切れた凧のようにさまよい始める。
しかしそんな二人を再び運命の糸が繋ぎ合わせる。人間国宝の万菊の手回しにより喜久雄は再び歌舞伎界に返り咲くのだ。
あの頃のように二人藤娘を演じる二人は再び輝きを取り戻したかに見えた。しかし、運命は喜久雄に微笑む。悪魔と取引した喜久雄に。
皮肉にも喜久雄があれだけ欲した花井の血は息子俊介に病をも受け継がせた。再び二人の均衡を取り戻そうと自分の自信を奪うきっかけとなった喜久雄が演じた曾根崎心中のお初を演じた俊介、二人の迫真の芝居で均衡は取り戻されたかに見えた。しかし死が俊介に舞い降りる。
一人残された喜久雄はやがて頂点に上り詰め人間国宝となった。悪魔と取引してでも、兄弟から屋号と名跡を奪い取ってでも、周りの人間を不幸にしてでも上り詰めたかったその地位で見られる景色とはいったいどんなものか。
それはけして物理的にその位置に立ったところで見えはしない。人生をかけて芸の道を貫いた者にしか見えない景色。
万菊もその景色を見続けていたに違いない。彼はここにはもうきれいなものはない、やっと楽になれる、そう言い残して喜久雄を歌舞伎の世界に呼び戻した。彼は喜久雄を自分の身代わりにしたのかもしれない。彼がいるところから見えた景色。その景色に魅了されたものはもはや芸から逃れることはできない。彼はそこから逃れるために喜久雄を差し出したのかもしれない。
万菊が喜久雄を差し出したのは歌舞伎の神なのか、それとも悪魔なんだろうか。どちらにせよその景色に魅了された者は命尽きるまで歌舞伎から離れることはできない。
憎むべき歌舞伎、しかし芸をやめることはできない。歌舞伎役者とはそういうものだ。復帰した俊介にかけられた師匠からの言葉が印象的。我々凡人はとてもそんな生き方はできない。
歌舞伎役者として頂点に上り詰めた者、それは歌舞伎の神に見初められた者なのか、それとも悪魔に見初められた者なのだろうか。
喜久雄と俊介、二人のその時々の人生を反映させるかのように演じられる歌舞伎の舞台は物語とリンクしていてとても見ごたえのある作品に仕上がっていた。三時間の上演時間が短く感じられるほど満喫できた。
見ることの出来ない異世界の話
公開1か月にも関わらずいまだに満席でした。
好評の映画という以外、事前情報無しで観賞。
一般の人が入り込めない世襲で囲われた歌舞伎の世界。
そこに入り込んでしまった喜久雄が人間国宝にまで上り詰めるストーリー。
世襲という壊せない壁の前に、人生の全てを掛けて乗り越えようとする主人公を吉沢亮さんが演じ、血に守られた立場にいながら、逃げ出してしまうライバル俊介を横浜流星さんが演じている。
この二人さすが大河の主演を演じた俳優さんで、素晴らしい演技を見せる。
二人共に多くの歌舞伎演目を披露、とても見ごたえのあるシーンの連続でした。
寺島しのぶさん、高畑充希さん、森七菜さん、見上愛さんの女優陣も良かった。
特に寺島しのぶさんは、ご自身がリアルにその世界の方なのでとてもリアルに感じる。
私は李監督の「怒り」に出演していた高畑充希さんの演技がとても好きです。それ以上の演技を見せていただきありがとうございます。
最後に、渡辺謙さんがこの作品に深さを表現する演技で出演されていて良かったと思います。
今年度最高の映画となるのだと思います。見ごたえのある映画で満足でした。
一見さんお断りの映画なのか....?
評判がいいと聞いたので見に行きました。
見終わった後の率直な感想書き連ねます。
・なんかすごいのはわかるけどなんだったんだ?
・なにを見るのが目的であり、ゴールなのか???みたいな類のモヤつきが付きまとう(邦画特有の苦手意識かも?)
・小説あったのを映画のクレジットで知って、小説読んでから来るべきだったな....と後悔
・結局「俳優」が「歌舞伎役者」やってすごいね、で感想が止まる
・演技は本当にみなさん、凄すぎる。凄すぎるんだけど、行間がわからない
・行間とその時の行動の動機がわからない
・深読みできるほど、映画がゆっくりじゃなく、無視できるほど小さい事象ではない
・割と先の出来事に影響するため、その行動に対しての理解を深めるためには行間を読む能力を求められてて、読めなかった部分は表面的にしか受け取ることしかできず薄っぺらい3時間になってしまった。
・受け取り手の技量に左右される作品なのか...とちょっとがっかりした(高評価を多く聞いていたから、万人受けする作品だと期待して見てしまった部分もある)
【追記】※私にとって、の感想です。悪しからず。
・ストーリーから感じるものが少なかったので、結果この映画から得たものが、悲しいかな「俳優陣がいい仕事をしたな」という薄っぺらい感想のみ...
・歌舞伎のシーンについては、やはりさすがの俳優陣だな、とは思いつつも、そもそも歌舞伎に対しては「血筋(もしくはお家)こそが最大の魅力であり、武器である、だからこその伝統芸能」だと個人的に思っているので、作中どんなに役者陣が素晴らしい演技をしても「俳優」の時点で本当の意味で「歌舞伎を味わっている」気持ちになりきれなかった。
・ストーリーに入り込めなかった分、余計に、見てるものが(本物ではないな)という思いが最後まで拭えなかった。(あ、老けメイクだとか思って見てた)
正直この映画を見るくらいなら、安い席でもいいから、本物の歌舞伎を見に行く方が価値があると感じました。
二度にわたる「曽根崎心中」
あれこれ賛辞したいことは、多々ありますが、二度にわたる「曽根崎心中」について感想を綴りたいと思います。
映画の中盤、半二郎が怪我をして、代役に息子の俊介では無く、喜久雄(東一郎)を指名し、喜久雄が「曽根崎心中」のお初を演じることになります。半次郎から厳しい稽古をつけられ、舞台への不安から、俊介の血を渇望する喜久雄。「喜久ちゃんには芸があるやないか」と励ます俊介。
そして、いざ舞台が始まるや圧巻の演技を見せる喜久雄。とりわけ、縁の下に匿った徳兵衛に、お初が足を踏み鳴らしつつ、「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は鬼気迫るものがあり、足を踏み鳴らす音がだん、だんと腹に響きました。
圧巻の演技を見せつけられた俊介は、いたたまれなくなり席を立ち、それに気づいた晴江も俊介を追いかけます。はじめは、何で俊介に、と解せなかったですが、喜久雄のためにうんと稼いで劇場を建ててやる、と夢を語らいでいた晴江にとって、目の前で完璧にお初を演じる喜久雄を見て、喜久雄は遥か遠くに行ってしまい、もはや自分がしてあげることは何も無いのだと悟ってしまったのかと、思い直しました。
その後、喜久雄、俊介は、それぞれ絶望に近い経験の後、また、二人揃って舞台に立つことが叶います。が、それも束の間、視力を失い吐血して亡くなった実父半次郎と同じ糖尿病を俊介も患い片足切断を余儀なくされます。これまで自分を守ってくれ、喜久雄から飲みたいと渇望された、歌舞伎の名門の血によって皮肉にも苦境に立たされることになります。
義足となった俊介は、「曽根崎心中」のお初を演りたいと喜久雄に(心中相手の)徳兵衛を演じてほしいと頼みます。
私が、劇中、最も心に刻まれたのは、この喜久雄、俊介による「曽根崎心中」でした。
俊介演じるお初が、義足をだん、だんと踏み鳴らし、縁の下に匿った徳兵衛に「死ぬる覚悟が聞きたい」と問い詰める姿は、あたかも俊介が自分自身に問うているかのように聞こえました。歌舞伎の解説では、徳兵衛はお初の足を刃物のように喉に当て(死ぬる覚悟に)同意を示すとのことですが、義足でない方の既に壊死して真黒になった俊介の生足を目の当たりにし、その腐臭漂う(であろう)足先に頬を寄せる徳兵衛(吉沢)の姿は、もう二度と舞台に立てないであろう俊介の片足を慈しんでいるとしか見えず、この一幕は映画史に残る名シ―ンだと思いました。
映画を鑑賞したこの日の午後は、時折、このシ―ンが蘇り、その度に涙が溢れてきて参りました。
他の方のレビューによると、原作ではこの二度目の「曽根崎心中」は、別の演目とのことで、脚本家奥寺さんなのか李監督の発想なのか、この2度にわたる「曽根崎心中」の舞台を取り入れたことは、彼らの実人生と相まって映画の中で見事に結実していたと思いました。
その後、映画は一気に、喜久雄が人間国宝になった後の話しになりますが、俊介の死後、看板役者として花井一門を担い、俊介と晴江の息子を跡継ぎとして仕立て上げていく喜久雄の人生は、語らずとも理解でき、ラストの人間国宝喜久雄による「鷺娘」に結実していました。その客席に俊介の母幸子は居らず、舞台を見つめる晴江の顔は、いまは熱心なファンのひとりとして喜久雄の芸を見守る穏やかな顔に見えました。
なお、ラストの「鷺娘」の音楽ついて、長唄と鳴物による伴奏だけでよく、踊り終盤の劇伴に否定的なコメントも目に止まりましたが、私はあの急峻にして圧倒的なボリュームの劇伴に痺れましたし、映画でしか成し得ない感動の高みに連れていってもらいました。グッジョブ!
吉沢亮 横浜流星の友情故のぶつかり合い
怒涛の前半なかだるみの中盤そして後半へ。
長い時間をひとつの作品の中で描く訳で一気飛びはやむを得ないんだけどね…
高校生の2人が厳しい稽古の中で友情を紡ぎ合い成長していくシーンから青年期へ。
黒川くんはさすがだね。
吉沢亮への見事な繋ぎだと思った。
越山くんも成長したら流星になるよなと(笑)
奇しくも2人とも東映ヒーロー育ち。
2人の変身姿も見られるかも?
中盤はもう少し切れたよね?
歌舞伎界からやむを得なく去るにしても。
原作的に切れなかったのか?
森七菜のからみとか無くてもよかった。
新鮮ではあったけどさ。(ちょっと嬉しかった)
前半後半の舞台での歌舞伎シーンは圧巻としか言いようがない。
魅せるために特化した撮影だとは思うけど吉沢亮と横浜流星がどれほど稽古に励んだのかと…
2人の歌舞伎シーンを観るだけでも作品の価値が有る。
『藤娘』見て『野球狂の詩』思い出しちゃった人はナカーマ
歴史美術館と思ったら滝沢歌舞伎だった件
タイトルとポスターのビジュに見事に騙された。
下調べしなかった自分の完敗。簡単に言うと、演技がそこそこ上手いトレンディドラマ俳優による何千回とコスられてきた世襲テーマの物語歌舞伎ビジュバージョン。
歌舞伎や国宝について何の説明もなく、会社の御曹司とできる社員の後継騒動の話。よくスパムのように出現する中国スマホ向けドラマでよくこういうの出てくる。
前情報無しで行ってしまったので冒頭の永瀬正敏と子役の下りはこれぞ邦画という迫力満点さで期待させられたが、後半になればなるほどキラキラ俳優2人の歌舞伎演技チャレンジを見せられている感じで、推しが居ない滝沢歌舞伎を観させられている感覚がかなりキツかった。やたら歌舞伎シーンが続くが本人たちの頑張りは認めるけど、本物でない限りこれ何タイム..?感。
映像美や2人の俳優推し時間とか原作無理やり拾ったであろう意味不明シーンなど、全方面無理やりカバーしようとしたのが違和感に繋がる。2人の歌舞伎のステージシーンが素晴らしいと言うのなら、何年も練習している本家を否定することになる。歌舞伎がどんなものなのかの説明がないのでそもそも凄みも伝わらない。コンテンポラリーダンサーおじの凄みのある演技ではあるが、あれが国宝の演技だ!と言われてもピンとこないし本物でもないものを長回しで見せられても、またもやこれは何タイム?となる。
競技人口が鬼少ない世界でトップを勝ち取った人間が国宝?だったら、国宝=絶滅危惧種なのか?と思う。競技人口が修羅レベルの分野でトップになっている選手の方が国宝に値すると思う。そう言う意味であの爺さんが国宝と言われても説得力ゼロ。絶滅危惧種=国宝=爺さんならわかる。国宝じゃなくて歌舞伎界のレジェンドなんでしょと思う。
大衆向けビジネス映画なので、監督もその辺全部わかってて1番違和感を感じていると思うけど、ギャラも良かったしOKという感じじゃないかな。
国宝という反則タイトルx中身は滝沢歌舞伎。イケメン推しタレントの頑張りとそれを超えてくるクオリティを楽しむ3時間、以上。観る側のスタンスをどこに置いて良いか非常に混乱する映画。
そんな自分に2000円払わせて最後まで観させた国宝のプロモーション勝ち。
海老蔵の感想動画が、これまた内容空っぽでクソ。それを観ると歌舞伎業界の人間性レベルを誤解してしまう(本当は奥ゆかしい人が多いと思うが)
善と悪だとかジョーカーがどうのとか、小学生でも書ける感想文レベル。海老蔵を歌舞伎のフロントとして出さない方が良いと思う。見てて恥ずかしい。
「好かん。だが良い作品だ」で良いではないか。
一時の絶賛モードから様々な意見も出るようになった。良いことだと思う。
しかし短慮な感想も目立つようになったと思う。
例えば、原作に対し映画は短か過ぎるという意見を良く聞く。作りが丁寧でないとも。
確かに時間は足りないだろう。しかし4時間5時間の映画は娯楽作品として本当に正しいのか? 前後編に分けることは集中力や構成力の点から正しいのか?
季監督はスピード感を大事にしたという。密度力と言って良いかも知れない。私はそれを支持したい。
例えば、ある者は「国宝は女性の描き方が足りない」という。
ある女性評論家は春江は強かな女性であり全てを天秤に架けて、主人公より御曹司を選択したのではないか、と推察した。
ある女性記者は春江は主人公の才能が怖くなってしまったのではないか。彼女は御曹司に逃げたのだと推察した。
観る人によって解釈が違う。
それで良いのだと思う。想像で補う。それを許す遊び。最近の作品にも最近の鑑賞者にも、それが無くなってしまっていることは憂えるべきことではないかと私は思う。
最期は人の感性だ。だからこそ個人の感性を超えたところに普遍的評価はある。
個人の感性を超えたとは何か。神の視点が無いのなら、それは多数の鑑賞者の評価と時間を経た評価がそれになろう。
つまり現時点で『国宝』は名作と言って良いのだ。後は時間が評価するだろう。
「おれはこの作品は好かん。だが良い作品だ」
これで良いと思う。
渡辺謙さん…違う
観てから半月経ち、ようやく消化出来てきたような気がする。それほどインパクトのすごい映画だった。感想を言語化するのに半月かかってしまった。
観た直後から、いろんな人のレビューをずっと見続けて、自分の頭を整理してきた。
ホントに素晴らしい映画だったと思う。
田中泯さんは、生前の歌右衛門さんにお会いになったことがある?と思うほど、本当の女方さんだった。
吉沢亮さんも横浜流星さんも踊りのお稽古、歌舞伎のお稽古よく頑張られたと思う。
ここまで頑張れる役者さんはそうそういないんじゃないかな。
欲を言えば、舞台から降りた日常が女方さんになりきれてなかったのがちょっと残念。
で、渡辺謙さん、絶賛する方がほとんどですが、俳優としては素晴らしい方だと思うし、この度も素晴らしい演技でしたが…
だからこそもったいなかった。
どう考えても女方さんには見えなかった。
渡辺謙さんのお初?まるで今は亡き左團次さんがお初を演るかのような…いやいや無いでしょ!となってしまった。
渡辺謙さん
え?お初?
半次郎って女方さんだったの???
ただただもったいなかった。
じゃあ誰に出来る?あの役。
年の頃も同じ。凄味もたおやかさも出せる俳優は?
篠井 英介さん。どうでしょうか。
海外向けには渡辺謙さんを使いたかったんだろうなというところにおとしどころを見つけた。
国立劇場の楽屋口、小劇場の楽屋や廊下、最盛期の舞台裏の様子が見事に描かれていた。知る人ぞ知る場面は、見る人が見たら懐かしさでいっぱいになったと思う。
なんだかんだ言っても、よくぞこの映画を作ってくれた!大感謝!という気持ちでいっぱいである。
若い俳優さん、これからは、日本舞踊のお稽古をしておくといいかもですね。
役者の凄さに圧倒されまくり
どうしても初日に観たいため、
時間をこじ開け、映画館に足を
運ぶ。
役者の凄さに圧倒されまくり。
歌舞伎役者の喜久雄と俊介に。
役を演じる吉沢亮と横浜流星に。
芸に生きる厳しさ、喜び、怒り、
哀しみ、苦しみ、妬み、嫉み、
そして別れを渾身の力で魅せて
くれる。
初めての大舞台での二人道成寺
には緊張感がこちらまで伝わり、
拳を握りしめて見入ってしまい
じわじわと胸が熱くなる。
喜久雄の曽根崎心中、切々と語
るお初の心情が沁みてくる名場
面、さらに拳に力が入る。
極めつけは、左脚の切断をもの
ともせずに曽根崎心中のお初を
演じた俊介と、徳兵衛を買って
出て演じた喜久雄。
鬼気迫る迫真の演技は、スクリ
ーン越しでなく、舞台を間近に
観ているかのような錯覚に陥り、
観客と一緒に拍手しそうになる。
くどいようだが、役者の凄さに
圧倒されまくり。
3時間があっという間。
この臨場感をぜひ劇場で味わう
ことをおすすめする。
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役者の業
芸能の世界は
歌舞伎界の華やかさと悲壮のドラマに果敢に挑戦した日本映画の復活
日本の伝統文化である歌舞伎の世界を舞台にして、任侠出身の主人公花井東一郎と上方歌舞伎の名門の血を引く花井半弥の激動の人生を描いた人間ドラマ。「横道世之介」の吉田修一さんが黒衣(くろご)となり楽屋や舞台裏を身をもって3年間も取材した力作の小説を、「フラガール」の李相日監督が約3時間の大作に仕上げて、見応えのある作品になっています。吉田さんの執筆の動機が、溝口健二の戦前の名作「残菊物語」の作中演目『積恋雪関扉』(つもるこいゆきのせきのと・関の扉)に惹かれたというのが意外でした。多くは世襲によって芸が引き継がれる伝統芸能の閉ざされた歌舞伎界を、部外者の眼を通して鋭く且つ大胆にストーリー展開させているのが、時間を感じさせません。それも男性が女装して演じる女形同士の切磋琢磨と確執の愛憎劇でした。これは勿論『関の扉』『連獅子』『二人藤娘』『二人道成寺』『曽根崎心中』『鷺娘』の舞台を再現した演目シーンの充実度と役者の熱演があって、舞台裏の私生活が紆余曲折を経る、華やかさと悲壮を併せ持った醍醐味によるものと印象を持ちました。若い頃にNHK教育テレビの古典芸能番組を僅かに観たくらいの、素養の無い私でも充分楽しめました。その反面、1964年から始まり50年もの長い時間経過の展開の過激性と唐突感がドラマとしての重量感を薄めているのが、贅沢な不満として残ります。脚本と演出に映画としての魅力、それは緩急の差であり、映像の間の扱い、ショットの集中度などがもっと欲しかった。
印象に残ったシーンは、交通事故に遭った父半次郎が代役に御曹司の半弥を選ばず、部屋子(芸養子)の東一郎が大役を務めるエピソードで、初日の楽屋で身体の震えが止まらない東一郎に化粧を施す半弥。才能を見極める半次郎の冷静な判断と実子半弥に掛ける思い、その期待に応えようとする東一郎の責任感から来る精神的重圧に身体が反応するところがいい。半弥の挫折感も丁寧に描かれています。そしてクライマックスの『鷺娘』の舞台シーンは圧巻でした。不自然な演出のシーンでは、襲名披露のお練りの列に芸妓藤駒との子綾乃が駆け寄るところです。藤駒が後を追ってたしなめますが、無反応な新半次郎の割り切った父親像を印象付ける意図が強く、登場人物の情感が弱い。また、主人公喜久雄の落ちぶれた地方巡業もリアリティ薄く、地元の不良青年からリンチされる暴力シーンが定型的すぎます。それと春江と半弥が劇場を後にして駆け落ちする場面の前にある、半弥が春江のアパートを訪ね待ちわびるシーンが曖昧でした。映画的な表現なのに活かされていません。
しかし、1年以上かけて女形の演技を磨いた主演吉沢亮の熱演は称賛に値しますし、敵役半弥の横浜流星の、この個性と容貌が対比されるキャスティングもいい。あまりに整った容姿の男性の演技は実力以下に観られ易いですが、吉沢亮の求道的な姿勢には心打たれるものがあります。横浜流星の演技はまだ完成形ではないものの、誠実な俳優の資質に好感を持ちました。これで吉沢演じる東一郎の女形の柔らかさとしなやかさの色気がもっと溢れ出ていたら文句なしの境地にあったと思います。このふたりの踊りを観ていて、歌舞伎の舞いの厳しさを改めて強く感じました。それは西洋のバレエに通じる肉体の絶え間ない鍛錬と、古典的女性美追求の芸の深さです。現代の人間国宝坂東玉三郎の映像を観て圧倒された経験を持つ素人の感想でした。半弥の父花井半次郎を演じた渡辺謙の不動の存在感は、この作品に安定感を持たせて、尚且つ俳優としての色気を保持しているのには、別の意味で感心しました。ただ襲名披露の舞台で吐血するシーンの是非は拭えません。役者にとっての神聖な場所を汚すような印象を与えます。小説では表現可能でも、映像イメージとしては過剰表現になってしまいます。また糖尿病で片足を失い、それでも舞台に立つ半弥の運命も映画としてはリアリティに欠け、その悲壮感の演出が見せ場となっていても説得力がありません。俳優の中で最も作品の内容に合っていたのは、世界的ダンサーの田中泯80歳の演技でした。手招き一つだけでも圧巻ですし、初めて女形の踊りを観れる贅沢さです。冒頭の抗争シーンだけの永瀬正敏は、「息子」「カツベン!」しか観ていませんが、演技に貫禄が付いていい俳優になっていると確認できました。四代目中村鴈治郎を映画で観られるのは素直に嬉しく、原作者吉田修一と歌舞伎の橋渡しを務めた縁からの特別出演のようです。最近「炎上」でも感服した日本映画の黄金期に活躍した二代目中村鴈治郎のお孫さん。歌舞伎界からは、女優陣で寺島しのぶが大垣幸子役を好演するも役柄がステレオタイプで一寸勿体ないと思いました。高畑充希始め若手女優の和服姿も美しく目の保養になり、喜久雄と俊介の少年期を演じた子役もいい。近年の映画や舞台を観て感じるのは、若い世代の演技のレベルが安定して高いことです。
溝口健二の古典「残菊物語」から生まれた、古典伝統の美を再現した日本映画として貴重な新作でした。映画としてもっと極めて欲しかった心残りがありながら、この映画化には素直に敬服します。田舎の映画館は、平日でありながら多くの人たちで埋められて久し振りに活気を感じ嬉しい劇場鑑賞になりました。
日本映画のその美しさと厳しさの本質に果敢に挑戦した作品。
歌舞伎への積もる思ひは、果敢なき
日本人であるので、この題材は観ておかなければいけないと思い、本作を観ました。
原作未読 歌舞伎・梨園の緒事情を ほぼ知りませんが、
本作を鑑賞後に、坂東玉三郎さん演じる「鷺娘」と人形浄瑠璃「曾根崎心中」を配信で、観させていただきました。
本作では、喜久雄と市駒との関係が、少し薄い気がしたのが残念でしたが、
これ以上作品を膨らませると、4時間超え映画になってしまうので、致し方あるまい
義兄弟を扱った映画は多々ありますが、義兄弟故(ゆえ)に、"ひとつ"しかないものを、2人で奪い合う宿命に成るが、
本作での、他に類を見ない"唯一無二な展開"は圧巻な脚本でした。 <原作賞><脚本賞><監督賞><作品賞>
この大作を演じた 吉沢 亮さん、横浜流星さん、のおふたりの演技は、
歌舞伎役者そのものの域にまで達しており、実に見事でした。 <主演賞><助演賞>
映画の撮影も、無理なライティングをせずに、やさしい光の中に、的確なカメラ配置を行った撮影は素晴らしかったです。<撮影賞>
「ずっと見たい景色」とは、男が女方を演じる歌舞伎において、更にその先にある域は人間でもない 孤高の白鷺(国宝)であり、下手(しもて)の非人間世界なのではないでしょうか。
この無双な映画を観たら、並ぶ映画は在りません。
よって、歌舞伎を扱ったドラマ「タイガー&ドラゴン」を観ると、本作と同じに、うまい"枕の扱い方"に注視する事が出来るでしょう。
そんなに絶賛しなくても…
世間であまりにも絶賛されていることに驚きました。
初心者が舞踊をがんばっているな、とは思いましたが、とにかく歌舞伎に見えない。
「国宝」と名前をつけテーマとして描くからには、ちゃんとしてほしかったです。
未経験であれだけやればすごい、という評価を見かけますが、プロの仕事として、努力賞でいいとは思えません。
よかったと思えるのは、横浜流星さんの演技(義足のとき)に凄みがあったことくらいでしょうか。
あと単純に疑問なのですが、一度人間国宝になった人があんな末路をたどるものでしょうか??(不勉強で申し訳ないです…)
いろいろと納得のいかない作品でした。
2人の絆
ハンパなファンタジー
高評価レビューばかりで驚いた。
こないだ印象操作されたかのような高評価KADOKAWAの
ホラー映画を観て落胆した記憶があるので自分の目で確かめたかった。
☆☆☆☆☆:俳優
(吉沢亮さん・横浜流星さん・田中泯さん)
☆☆☆☆☆:撮影(ソフィアン・エル・ファニさん)
☆☆☆☆☆:美術(種田陽平さん)
☆☆:原作・脚本
☆☆☆:監督(李相日さん)
といったところでした。
吉沢亮さんへは☆をもっと。
この演技は多くの観客が素直に評価するでしょう。
横浜流星さんの『曽根崎心中』は美しく、その演技の為に、それまでを抑えていたのだろう。
田中泯さんは、やはり常に凄い存在感である。
撮影は万華鏡を視ているような色彩。
美術頑張っているなぁと思ったら、さすが種田陽平さん。
ところが、いつも役者に頼る尻切れトンボの監督。
原作は読んでいないが、
(僕は吉田さんのデビュー作は最後までガマンして読めたが、その後の本は拷問のようにつまらなく止めた。
どの作品も、何かのニュースで見たような事件やエピソードなどの類似性が多く、もっとオリジナリティを読ませてほしい作者である。)
話が、そんなに面白くならないし、生き様が中途半端なのだ。
そう、ハンパ。
監督と原作者の作品は以前から、なんかハンパなのである。
本作の(下げマン)森七菜さんと寺島しのぶさんの描き方も。
ラストは(国宝)玉三郎さんの有名な看板舞台をオマージュしたのか。
玉三郎さんの凄さ(透明で儚げで、それなのに凄みのある化身)を知る人には、申し訳ないが付け焼き刃の俳優では敵いはしない。 もちろん、ソコをいかに魅せるかが監督の手腕だが、力不足をみる。 舞台から映画へのカタルシスにしなければならないラスト10分の不甲斐なさよ。
(玉三郎さんと原作者はゲイだけど、本作の主人公は女泣かせを芸にした異性愛者の男性。
ムリを感じた。)
国宝の歌舞伎役者が素泊まりの宿で死を待つ。
(この描写は歌舞伎に対してある種の侮辱にも受けとられるので、どういう意図なのか考えないようにした。)
彫物が背中にある女形が国宝になる。
なんて、余りにもありえない、ファンタジー。
フツーのキレーな映画
全体に平坦で舞台シーンがキレーな映画という印象。以下ほぼ褒めていないのでこの映画をお好きな方は読まれない方がいいかも。
まず、映画の売りになっている歌舞伎の舞台シーン。メインキャラお二人が1年半かけて血の滲むような稽古をして挑んだとか。その努力を否定する訳ではないが、子どもの時から歌舞伎一筋で芸を磨く歌舞伎役者なる本業役者がいる以上、1年半で極められるものではないだろう。言葉がきつくなるかもしれないが所謂素人芸の域。譬えて言うなら部活の高校生が猛練習しました。その発表会するので見て下さいという感じ。猛練習した高校の吹奏楽部演奏は凄いし。それは否定しない。
だから若手の頃の舞台はそこまで気にならない。若い演技だから。しかし、中堅になった舞台シーンもさほど若手の頃と変わらない
レベルに見える。年月を経た深みはなくずっとメインキャラお二人が頑張って到達されたレベルの舞台。最後の鷺娘などはだからそれで国宝感はとても感じられない。申し訳ないが、それをプロの歌舞伎役者の舞台として見せられ感動せよと言われても鼻白む。演出で国宝感を出せたかもしれないが、ニュートラルな演出の色は変えられなかったのだろう。
ニュートラルな演出と言えば原作未読なので原作はもっと深いのかもしれないが、映画を見た限り、全てがあっさり通り過ぎ情念とか業は感じなかった。それをある程度は描こうとしていたようだが。
1つは女性達のメンタルがきれい過ぎる。義理の母や主人公の彼女達との関係は結構複雑なはずだが、義母は嫌味は言うがさほど意地悪な仕掛けもせず主人公の彼女達は立場を弁えている人ばかりで主人公を悩ませる事はほとんどない。それがメインの話ではないと言われればそうだが、主人公に都合が良過ぎる。
主人公と芸を競うという事で言えば師匠の実子が親友という関係で小さな争いがそこしか無く他の役者の妬みなどは全く無いので芸を極めることは壮絶とはいかずとても甘々な感じになっている。主人公の不遇時代も描かれてはいるが、女と間違われて暴力も振るわれているのに何故か危機感がさほどないあっさり演出。基本的にこのあっさり演出がさらりとした作品にしている気もする。
とは言ってもあまりドロドロになって歌舞伎の闇の世界を暴くような形になっては芸道の素晴らしさ凄さを描けないという思いかもしれないが。
それから試写会段階から絶賛コメが多過ぎて、この作品は褒めなくてはいけない圧を感じるのだが、本当に先入観無しにこの作品に感動した人が多いのか非常に気になる。個人的にとても期待していたし感動したかったから尚更。メインキャラ2人は今が旬の美形としても誉れ高く演技派で大河ドラマ主役経験者というこれ以上ない経歴の奇跡のような配役が作品の内容以上に人の感性に影響している気がする。
歌舞伎の凄さを感じることが出来る
公開初日に鑑賞。任侠の家に生まれながら歌舞伎役者として芸の道に人生を捧げた男のヒューマンドラマ。歌舞伎の舞台をまるで生で観ているような錯覚に陥り、歌舞伎の圧倒的な迫力に引き込まれました。主演を演じた吉沢亮と横浜流の歌舞伎の演技に拍手を送りたい。
2025-87
血に翻弄された二人の絆
国宝と言うラストに向かって演じられると言うのは、
役者さんにとって地獄なんじゃないだろうか?
と想像出来るのだけど、
そこに向かって行く演技になんら疑問符が付かない、
畏怖すら覚える圧巻の仕上がりでした。
外国の人が観たら日本の役者は歌舞伎がベースにあって
誰でも演じられると思われるんじゃないかと思うくらい
歌舞伎を観たことないけど、素人目には遜色ない
歌舞伎シーンでたまげました。
小説だと昭和の時代背景なんかも説明しつつ群像劇の風味もあったけど、映画版では血に翻弄された喜久雄と俊介に焦点が当てられてて、観やすく小説版より俊介の気持ちが汲み取れてとても良かったです。
最後の2人の舞台は泣けました。
小説版の見せ場であった白虎襲名のシーンも渡辺謙さん
流石だな!と思いました。
自分には守ってくれる血が流れてないと言うのを
背負って生きていく喜久雄も見事だったし、
映画版の隠し子との再会シーン
もめちゃくちゃ良い演出でした。
小説を読んでたので、間は思い出しつつ補いながら観れたのだけど、初見の方は分かりにくいところもあるのかな?
と思いました。
小説のラストがとても壮大で映画ではどうなるのかな?
と思っていたら静かなエンディングで物足りなく感じてたのですが、よくよく考えると
喜久雄は最初に観た一世一代の
文字通り命を賭けた父親の大立ち回り、
あれを最高の芝居だと思っていて、あそこに辿り着き、
芝居をもって復讐を果たしたと言う事なんじゃないか?
と考えるとスゴいラストだったなと、
思い出して感動しております。
吉沢亮さんも横浜流星さんも
恐ろしいけど美しい化け物でした。
なんとなく、このお二人が邦画を引っ張って行くのだな
と感じる映画でした。
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