国宝のレビュー・感想・評価
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伝統と挑戦のドラマ
日本の伝統である歌舞伎の世界に、圧倒的な熱量と美意識を注ぎ込んだ渾身の人間ドラマでした。まず印象的だったのは、女形を演じる吉沢亮さんの姿。「まるで役そのものが宿っている」と感じるほど魂が乗った演技に、こちらも心を揺さぶられました。
そして、横浜流星さんとの競い、支え合う関係にも胸が熱くなりました。家の力と才能の間で揺れる2人の切ない対比は、互いの存在が道を照らす鏡のようで、美しかったです。
また、本作は上演時間が約3時間に及ぶ大作ながら、まるで1時間半のように感じるほど引き込まれ、観終わった後には魂が震える余韻が残りました。
加えて、本作に込められた「芸を追うことの過酷さ」と「美しさ」は、まさに“芸道もの”の真髄。この映画を通して、日本の伝統がいかに深く、そして時代を超えて普遍的な感情を揺さぶるものであるかを再認識しました。
最後に、本作が公開から73日で興行収入100億円超という〝大ヒット〟を達成した事実にも納得。これは、ただの娯楽ではなく、未来に受け継がれる価値を描いた作品だからこそだと感じました。
『半』が『全』になる
『説明不足、時間の流れが早い』等と散見しましたが、自分は想像の余地が有るあの位が好きです。
芸と血……二人の『半二郎』が、「目指していた景色」「上のほうの光」に共に到達する事で『全』になり、それこそが国宝なのかなと思いました。
※以下、自分なりの解釈と感想です。
①曽根崎心中に被せた逃亡の心理
喜久雄を通して結び付き、辛い現実から共犯(共感)者として逃げたように思いました。
俊介の「逃げたんちゃう」も芸自体からは逃げておらず、春江も「喜久ちゃんの一番のヒイキ」のままの気がします。
②いつ「全部捨てて良い」程になったのか
万菊の鷺娘が雪中の父の死を見せて、無意識に面影を追い始めた気がします。
安宿で野垂れ死ぬ万菊は、喜久雄の将来(全て捨てた姿)の暗喩なのかな。
③女性陣の存在
俊介母、春江、愛人、ドサ回り女、喜久雄の娘……女性を通して、役者の業と厳しさが見られました。
女性が可哀想だけど、男性陣もそれぞれが報われず、男女共に孤独だと思いました。
男自らが女達を捨てると言うより、失っていく感じがします。
④血統
喜久雄は芸で血統(俊介)に打ち勝ちますが、自身の血統(ヤクザの血と父の面影)からは中々逃れられず
鷺娘を舞う姿は『芸で仇討ちしたらええんや』を果たし、血としがらみから遂に解放された姿に思えました。
全て捨てて(失って)到達した舞はこの映画の一番の見所で、その余韻のままエンディングを迎えたのが良かったです。
一方で俊介は、血統で生かされ、その血統(糖尿病)で死んでいきますが、芸を全うする最期は、重すぎる血統に遂に打ち勝った瞬間なのかなと思いました。
残った脚も壊死してた時は泣けた。
⑤まとめ
対局のライバルの苦悩と決別がよく描けていて、最終的に到達した極致は、エンディング曲の歌詞『痛みも恐れも無い 光の果て』で再び出逢うようで素晴らしかった。
日本でしか作れない映像美と演技で、映画館でみるべき映画でした。
劇中・劇後の音楽も俳優さんを引き立てていたし、俳優さんの目の演技や所作は、本物の歌舞伎役者に見えました。
あ、あと着物もとても良かった。
吉沢亮、役者として純粋にかっこよかった
見るべき一本です
歌舞伎部分はすごいがストーリーにしわ寄せが
出演者の演技や、歌舞伎の映像など、どれだけの情熱や労力を費やしたらこれだけの作品が出来上がるのか想像も着かないほどでした。
原作未読のため、原作では描かれていたらなら申し訳ないですが、映像が素晴らしい分、かえってストーリーの不自然な部分や飛躍している部分が目についてしまいました。
例えばですが。なぜ俊介があのタイミングで戻って来るのか、違和感を覚えました。いちばん喜久雄に不都合なタイミングを狙って引きずり下ろすため、ということであればむしろわかるのですが。ある程度の衝突は描かれていたとはいえ、その程度でまた2人で舞台に立つくらいの関係にまで戻れるのだろうかと、今一つリアルに感じられませんでした。
また、家を飛び出した俊介は、もっと早く帰ってくるのであればまだしも、もはや喜久雄と共演できる可能性がゼロといえるほどの長期ブランクをあけてしまってからひょっこり現れても、勝算あるのかと。
喜久雄との技能差を埋めるべく尋常でないほど稽古をしたということなのかもしれませんが、その間喜久雄も立ち止まっているわけではなく自分の稽古をしているわけですし。もし俊介がそれだけの努力ができたのであれば、そもそも歌舞伎界から離れず済んでいたのではないかと思えてしまうので、不自然というか矛盾を感じてしまいます。共演ではなく、喜久雄をつぶして俊介ひとりが跡取りとなるため戻ってきた、ということだったらまだ納得しやすいのですが。
俊介が亡くなった後、喜久雄が人間国宝となるまでの経緯についても、映像ではほぼ何も描かれず不自然に感じました。喜久雄を支えようとした人物が、もともと俊介とその父しかいなく、その2人ともいなくなった不利な環境下で、どうやって喜久雄が人間国宝にまでなったのか、何もわかりませんでした。喜久雄を快く思っていない、その他全ての人々から引きずり下ろされても良さそうなのに、そうならなかったのは喜久雄が相当な苦労を経ての一大ストーリーがあったはずなのに、何も描かれていなかったのはなんとも奇妙です。せっかくタイトルが(人間)「国宝」なのに、映画ではそこがわからずじまいでした。あまり幸せそうにも見えず、支えとなっている人たちもどうも見当たらなく、謎のままでした。
歌舞伎の部分を20~30分削っても、その部分を描くべきではないかと思いましたが、映画興行的にはそういった地味と思われるシーンに時間を割くのは難しかったのでしょう。
脇役だのみ
主人公・子役の黒川想矢、人間国宝役の田中泯、この二人がいなかったら……
とにかく、脇役が輝いてる映画。主役がダメなのではない、無理すぎる。歌舞伎をよく知らない私でも、やはり素人にここまでの大役させちゃダメでしょ、と感じた。監督は「決め手は吉沢亮の存在」と言ってて、彼の才能もカリスマも分かるけど、それを超える役。させるなら中村七之助など、本物を使ったほうが…… 分からないな。
その中で黒川、田中の二人は画面を飛び出す演技をしてた。これは見る価値あり!
最も残念なのは女性陣の使い方。原作ではどう書いてあるか分からないが、本作では納得出来なさすぎ。消化不良感、満々。それに高畑と森、顔系統似すぎ。
もいっかい見ることはないかな
老若女方四人の熱演が胸を打つ!
前評判が高過ぎて。。
前評判がかなり高かったので期待に胸を膨らませ観ました。
経験上これだけ評判の良い映画は確実に面白い作品だと高をくくっていましたが、前半から「ん?」と思う部分が所々見受けられました。
簡単に言うと3時間でも時間が足りなかったのか、話しの切り替わりが早過ぎてイマイチ感情移入できず。。
それでも3時間、、何とか前後編にできなかったものかと悔やまれる印象です。
それでも歌舞伎のシーンは素人目ながら素晴らしいです。
良くも悪くも話題に事欠かない作品ではあります。
一度は観て欲しい名作です!
純粋に映画ってすごい!と楽しめた作品でした。
当初は観に行く予定じゃありませんでしたが、知り合いからお勧めされたのもあって急遽観に行きました。
後悔全くなくすごく楽しめました!
吉沢亮と横浜流星だから観客の年齢層若いかと思ったら、ご年配の方のほうが圧倒的多くてびっくり!
歌舞伎は1回観に行った事あるけど、全然知らないレベル。
知らなくても役者演技、演出、物語の展開、衣装などで飽きずにずっと観ていられました。
時間は確かに長いけど、ダレるようなところは特になかったです。
キャスティング最高です。
歌舞伎役者役の人達はこの作品のためにどれだけ稽古してきたのか…。
発声や表情、踊り、すごいです。
横浜流星のにこやかな女形もいいし、吉沢亮の凛とした女形もいい。
どの演目もいいけど、最後の道成寺と鷺娘が特に圧倒的に感じました。
もう1回観たいです!
※ネタバレ考察※
まず軽く感想。
これは今年1番の映画になりそう。
演技、映像、ストーリー、どれをとっても素晴らしくあっという間の3時間でした。
ということで考察です。原作は読んでいません。
①刺青
きくおの刺青はミミズクで、恩を返すという意味が劇中でも語られましたが実は春江も一緒に刺青をしており、おそらく睡蓮の刺青でした。
花言葉は、「清純な心」、「信仰」、「信頼」、「優しさ」、「甘美」です。
どれも当てはまる言葉だと思いますがきくおに対する愛するが故の「信仰」は春江にぴったりな花言葉だと思います。
②春江の行動
春江はなんでしゅんすけに行ったのか?が議論されています。
そもそもしゅんすけに行ったと思う人が多いですが違います。
結果から見るとあそこでしゅんすけが春江と消えたことによって、きくおは半次郎の名を襲名できています。
その後戻ってきてしまいますが戻ってきたことによって名前を奪ったことから解放されて結果しゅんすけと17年ぶりの共演をして復帰。
しゅんすけの足の壊死も「ただのアザだと思った」事により膝下の切断につながっています。
そして最後のしゅんすけとの共演を後に国宝へと進んでいきます。
春江がしゅんすけと戻ってきた時ごめんも言わなければ何も言い訳のセリフもなく、ただきくおを見守る描写しかありません。
映画最後の演目でも春江は舞台を見に行っています。
春江が自分で言った通り外から支えている、と思うと繋がりが見えてきます。
春江は最初から最後まできくおを想って、芸を極めさせるため、成功させるために行動しているのです。
③社長と継いだ人
社長がきくおとしゅんすけの2人に初めて挨拶した際に一緒にいた人(名前忘れた)が歌舞伎はエンタメだ、血が繋がっていないから苦労しますよと言ってきくおに殴られました。
ですがきくおが半次郎のおっちゃんの代役として出た際、明らかに感動してました。たぶん。
そこから歌舞伎を下に見るような発言をしていないことと、社長を継いでいること、きくおに歌舞伎に戻ってこないかと会いに行ったことからも、きくおの演技から歌舞伎の魅力に気付いたということがわかります。
つまりきくおのファンなんです。
最後のカメラマンの言った、「気づいたら拍手をしていた」1人なのです。
④きくおの襲名式
半次郎は白虎に、きくおは半次郎に襲名する式で、半次郎(渡辺謙)が血を吐き倒れてしまいます。
意識がもうろうとする中、しゅんすけの名前を呼び続けていました。
それを聞いたきくおは「ごめんなさい」と呟いていたのです。
ここのシーンの前にお墓参りで襲名の話をする場面があります。
半次郎の奥さんは「半次郎」の名はしゅんすけに残すべきだと言いますが、半次郎は「戻って来ないんだからしょうがない」ときくおにする事を変えません。
奥さんは「これだから芸能の人間は!」と非難しますが、最後に息子の名前を呼ぶ事からしゅんすけに名前を譲りたかった「父親」の部分が垣間見えます。
襲名式で血を吐き倒れる事になるくらい、半次郎はしゅんすけに名前を譲るために長年息子を待ち続けていたのです。
きくおも「半次郎」の名前を奪ったという罪の意識から謝罪の言葉が漏れ出てしまったのです。
④きくおの見た景色
きくおが最初に国宝を見た時と代役で出た時、最後の演目が終わった時に黒バックの桜吹雪が散っている描写が挟まります。
これはなんなのか。
しゅんすけと一緒に大舞台に立った後のインタビューで「景色が違った」とコメントしています。
これは大舞台に立ち、芸が極まって来て出た言葉だと思います。
最後のインタビューで「探し物をしている」とコメントしています。
これはもちろん最後のシーン。演目が終わった後に見た景色のことです。
つまり、きくおが国宝を見た時に見た、目の裏に浮かんだ景色。
これを追い求め、探し求める事が実は映画のメインストーリーだったのです。
国宝のおじちゃんが「どこにいたんだ?私には分かる、踊ってみなさい」と言ったのは「あの景色を見たいんだろ?踊りなさい。芸を極めなさい。」という意味なのです。
そして最後、芸を極めたきくおは「綺麗だ。」と言います。少年時代に夢見た景色を見ることができたのです。
⑤最後のカメラマンとのシーン
印象に残るシーンでした。
「拍手を浴びるためにどれだけの人を片付けたのかわかってる?」
これに共感している人が多いようですが、この映画で言いたいのは、芸ごとを「極める」事は何かを捨てること、悪魔と契約するような事を表現しています。
どの女性もきくおを応援していました。その恩返しはきくおにとっては「芸を極める」ことだったのです。
最後きくおは自分の娘の事を忘れていませんでした。きくおは誰の恩も忘れていません。きくおなりに全力で恩返しをしているのです。
「悪魔に感謝せんとな?」
このセリフの後きくおが衣装の準備をするシーンに切り替わり、「はい」と言いながら準備します。
ここではシーンが切り替わるので娘に返事をしていませんがここの「はい」というのはきくおの気持ちだと思います。
なので娘には返事をしませんが悪魔に感謝している、後悔をしていないということなのです。
「拍手をしていた」
憎んでいるのに極まったその芸に拍手をしてしまった。というシーンです。
きくおは決して傷つけた人たちを忘れてはいません。
拍手を受けるための代償を十分理解しています。
まんぎく国宝のように、きくおは今後も国宝として、死ぬまで舞台に立ち続けるでしょう。
もしかしたらそれは恩返しもありますが、責任や償いの意味もあるのかも知れません。
以上です。
うろ覚えな部分があるので間違っていたらすいません。
壮絶な映画
歌舞伎の世界に生きる二人の若者が才能と血筋、そして数奇な運命に翻弄される映画。
タイトルにもあるが面白いつまらないより「壮絶な映画」だという感想を持った。
それだけ人の苦難と努力と感情を描ききった作品なのだと思う。
感情を描いたと言ってもただ「私はこう思っています」と言うのではなく、
表現方法として大人向け作品によくある
役者の表情だけジッと映して何考えてるかは台詞にしない、
視聴者に読み取らせる演出が多いので見る人の年齢によっては退屈に感じるかも知れない。
その辺り(この人は今なにを考えているのかな)を推察しながら見ると
とにかくテンポがいい映画でキャラの感情なりがギュッと詰められた
「何も起きてないけど情報量の多い数分のカット」が
矢継ぎ早に出てくるから3時間でも退屈せずに見られてしまう。
練りに練られている作品なのだと思う。
何か一つのことに取り憑かれてそれに邁進して悲喜こもごもが人生で起きる……
これは「ボヘミアン・ラプソディー」や「風立ちぬ」にも通じるものがあり、
これらが好きな人はこれにもハマるんじゃないかな。
ただ個人的に自分はこういうテーマの作品が少々ピンと来ないので好みではなかったり…
同監督の「怒り」の方が悲惨な状況に翻弄される人達に感動出来て好きだった。
ただテーマ的にあんまり好きじゃない自分でも「これはすごい」とうんうん頷ける作品なので
誰しも一度は見てみるのをお勧めしたい名作映画だと言いたい。
あ、もちろん歌舞伎に興味がある人にもお勧め。自分もこれでちょっと興味を持った。
それと役者に興味のない自分でも主演二人の演技力には感嘆の息を漏らした。
今後この二人が主演の作品と聞いたらそれだけで注目したくなるくらい。
舞台を観ているような臨場感
非常に豪華な作品でした。任侠の家系に生まれ、歌舞伎役者の芸養子となった男の挫折と栄光の物語。赤い衣装から白い衣装への早変わりのシーンは息を呑むほど。ただあまりにかけ離れた歌舞伎役者の世界は一般人には入り込むことができず、物語を追うだけになってしまったのは残念でした。これは自分の問題ですが。親の趣味で踊っていた少年が養子として受け入れられるのが少し疑問でした。喜久雄は元々芸道に興味があったと言うことでしょうか。
横浜流星や寺島しのぶの葛藤は手に取るように伝わって来ました。特筆すべきは田中泯さんでしょうか。ご本人もこの年齢で女形を演じるとはと仰ってましたが、さすがの所作でしたね。
捨て駒にされた森七菜が気の毒でしたが、とにもかくにもこれだけの役を若い役者2人がよくこなしたと思います。やはり俳優とはすごい仕事だと思いました。薄い感想で申し訳ないです。
一度は見ておく映画です
劇中劇に泣かされた。大変な稽古と撮影をよくぞ乗り越えてくれた。
国宝級の面白さ。
完成された芸は観るものを圧倒し感動を生むが、軽率な笑いは生まない。だからTVでは沢山笑いを作るために素人芸が溢れている。今こそ舞台で歌舞伎を観て完成された本物の芸を知りたいと思った。
この「国宝」という映画はもちろん日本の誇れる映画だが、それで終わらず、もっと深く芸能に触れる良いきっかけにもなる映画であると思う。
「日本一の歌舞伎役者になりたい」と喜久雄は願うが、その承認欲求さえなければ狂気の苦しみから逃れ、観客の側になれるのに、観客になれれば楽になれるのに。僕なんかそう思ってしまう。
人間国宝になるような人はこんな辛い景色やクライマックスの美しい景色、僕が見たことのない景色を見ているのだと感慨深かった。
約3時間という長編映画であったが時間を気にすることは1度もなかった。引き込まれ続けて、気がつくと映画は終わっていた。
とにかく素晴らしい作品だった。絶対DVD買います。10回観ます。11回は観ません。
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