国宝のレビュー・感想・評価
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吉沢亮くんは勿論…
私は横浜流星くんの可愛い女形に撃ち抜かれました!吉沢亮くんの神々しい姿に相対してにっこり微笑む横浜流星くんが可愛く見えて仕方なくて。あの肉体派の流星くんがまさかこうきたか!っていう意外性。そして甘いところがある坊ちゃん故の優しさとか。
それぞれの役者さん達が素晴らしかったです。田中泯さんがあの激渋ボイスを封印してはんなり喋ってるとことか吃驚。
話しは、いやあ、芸事に生きる人の厳しさ非道さがありありなんですけど、ほんと舞台の美しさが圧巻で、この為なら何もかも許される訳ではないけれど、でも美しいのだなと。
何とも言えない感動でした。
でも歌舞伎の家に生まれなくて良かったーと
庶民としては変な安堵をしてしまいましたがね。
あと30分は欲しい、心に残る何かが欲しい。
好きな歌舞伎を題材にした物語
映画開始早々から力が入った。
3時間という長尺の映画
だけど、後30分伸ばして
バタバタと過ぎた数十年の
終盤を埋めて欲しい。
執念の映画
現実でも、非現実でも
芸事には終わりはない。
良い世界を観た。
※
【赤と白の映像美】
雪、紙吹雪、血、襦袢、マニュキュア、口紅、紅隅、白塗りなど様々な赤と白色が出てくる。それぞれが印象的で意味を持つ。雪とクロスする紙吹雪も良いが、個人的には入れ墨をなぞる赤いマニュキュアの妖艶さには強い印象を持った。
【舞台】
舞台から見える風景は恐ろしくも美しい。
田中民 演じる人間国宝役の踊りはハッとするが、個人的にはもっと、もっと強く繊細に美しく映し出す事は出来たはず、特にその後の少年の感想に繋げるのには、あっという間で少々弱い印象を受けてしまった。だからこそ少年の目に映った、手の届かないほど異次元の踊りを見たかった。それでも若手二人の舞台は、ある意味見事としか言えない。よくぞここまで…そして稽古したと、感心する。最後の「鷺娘」は必見。
【演技】
演技なのか、その者になっていたか、見ていた。
冒頭の永瀬正敏の強烈な演技はトラウマの様に最後まで残り。場を踏まえた渡辺謙の師匠として親としての苦渋感溢れる演技。田中民の次元の違う世界に住む者の存在感。吉沢亮・横浜流星の敵視しあうも互いに強い絆を感じる関係。家・血筋、特に息子への愛を大切にする寺島しのぶの存在に徹する演技、主にこの辺が気になった。特に寺島・田中の目の演技は怖いほどで、台詞は無くても一瞬で心の中を表すほど他を圧倒していた。
監督がその演技で良しとしたのか、
役者が、その者になる事を選んだのか、
観る人が薄っぺらさを感じなければ
どちらも正解だと思う。
3時間30分、有ってもいいかも。
※
極めることの凄まじさ、孤高さ、尊さ
遅ればせながら鑑賞。
6月初旬公開にも関わらず、どでかいシアターを今なお満席にする異常な事態が続いています‼︎
それもそのはず、余韻を感じられる素晴らしい作品でした。
任侠の一門に生まれ、芸の道に人生を捧げる喜久雄の50年の物語。
あらすじを見ただけでは想像できない人生を歩み、"国宝"まで辿り着きます。
国宝までたどり着くまでの人生の中で、幸福に見えたのは少年時代、ライバルであり親友の俊介と芸に勤しんでいるとき、共に舞台に上がっている時、春江と過ごす時間。
長い人生の中では束の間の時間だったと思う。
私は、自分の人生に置き換えた時に、「ここまでやれない」と思ってしまった。
誰かといる幸せや、心休まることを全て犠牲にして、芸に向き合う。
芸術としては素晴らしいものを産み出しているけれど、これは幸せな生き方なのか。
だけど、ラストシーンでそれは払拭されます。人生の全てを芸にかけたからこそ見れる景色がある。
同じ、国宝であった万菊さんの言葉。
「でもそれでいいの。それでもやるの。」
どんなに苦しくても辛くても憎くても。
歌舞伎に向き合った。
だからこそ、誰もが見られない景色が見れた。
本当に何かを成し得ようとするならば、全てを投げうる覚悟が必要。
吉沢亮さん、横浜流星さん、渡辺謙さん、田中たみさん、みなさん素晴らしい演技です。
吉沢亮さんと横浜流星さんは、複雑な関係性を見事に表現されました。
本音と建前と思いやり。
ぐちゃぐちゃになって、葛藤する思いがすごす伝わりました。
半二郎さんの代役で「曽根崎心中」を演じる前の2人の極限のシーン。
色んな感情の中で、喜久雄を鼓舞するあのシーンはグッときました。
俊介も素晴らしい歌舞伎役者だった。
では、何が結果を変えたのか。
それは、"なりたい"ではなく、
"なにを失っても必ず成し得る"という、
あくまと取引きできる覚悟だったんじゃないかと思う。
観た人が、思い思いの感情を持てる素晴らしい映画だと思います。
頂点に立って見えたのは、静かな理解と受容の世界だった。
「血に翻弄され、血に抗い、血に回帰するしかなかった物語」。それが、映画『国宝』を貫く深層であり、本質ではないか。
喜久雄は、ヤクザの家に生まれ、暴力と孤独の中で育ち、自身の中に流れる「血」——出自、性質、宿命——に抗うようにして芸の世界へ身を投じていく。血縁のない歌舞伎界で「血筋」の代わりに彼が頼ったのは、ただひたすらに芸を極めることだった。しかし、そこに待っていたのは救済でも赦しでもなく、ただ静かな“理解”だった。
対になる半弥(俊介)は、血筋を持つ者として家の重圧と伝統を背負い続ける。
「血」に守られ、「血」に縛られる者と、「血」から弾かれ、それでも「血」へ向かう者。二人は、芸を通じて理解し合いながらも、決して交わることのない道を歩んでゆく。
血に抗いそれに打ち勝つという構図は幻想でしかない。それがわかっているこの映画は、「血を超える」という美しい物語に仕立てることをしない。
むしろラストに現れる娘の存在が血から逃れられなかった者の皮肉な帰結であると同時に、芸と人生のすべてを受け入れたひとつの肯定にも見える。
喜久雄は刺青を消さなかった。ヤクザの生まれで、刺青のある人間が人間国宝になれるのか――そんなツッコミは、“野暮”でしかない。この映画では、刺青が「血の象徴」であり、そして「抗ってきた証」であるという強烈なアイコンだ。彼は制度に取り込まれながら、刺青という反制度の刻印を背負ったまま“頂”に立たされた。そこにこの作品の最大の皮肉と美しさがある。
血の物語でありながら、“血を超える”という幻想を描かない。
それが物語としての限界ではなく、逆に誠実な到達点なのだと思う。
歌舞伎に取り憑かれた男
非常に評価の難しい作品だった。各方面で称賛の声を聞くように、役者陣の演技については3時間通して圧巻で文句のつけようがなかった。しかし、脚本や題材選定では、やはり万人受けしづらい部分多く、ここまで世間で評価を得ているのも少し驚いてしまう。
まず役者陣の演技だが、誰一人としてこの世界観を壊している人がおらず、端から端まで本当に文句がなかった。その中でもやはり語らなければいけないのは主演の吉沢亮と横浜流星の演技力だろう。私は歌舞伎については疎いが、それでも彼らの芸には息を呑むような迫力と凄みがあった。昨年その演技力を持ってして「正体」をヒットさせた横浜流星を横目に、巷で話題の吉沢亮が演技力で捩じ伏せに来る。これほどまでにレベルの高い演技の殴り合いはなかなか見れないと思う、近年稀に見る良作だった。
しかし冒頭にも書いたような脚本や題材選定の取っつきにくさはどうしても残る。そもそも今時馴染みの少ない歌舞伎という題材に加え、二転三転以上にしつこくひっくり返りまくる展開、さらには作中通してほとんど希望を持てるような描写の無さ。これが現代の、特に映画をたまにしか見ない層には非常に刺さりづらそうだなと思った。やはり演技力で殴られ続けた結果、その辺が気にならなくなるのだろうか。
とはいえ、自分の存在意義を歌舞伎にしか見出せない人間が、悪魔と取引をし、歌舞伎以外を全て捨て、歌舞伎に取り憑かれていくという筋書き自体は、どこか切なくとも胸を打つ構成だと思う。
原作未読のため、原作で内容をチェックしたいと思える一作だった。
芸に殉じた者の美と孤独
『国宝』は、芸と血、才能と継承の間に引かれた、見えない線の存在を痛切に描いた作品だと感じた。
喜久雄は、歌舞伎という世界に誇りを持ち、いつも真摯に芸と向き合ってきた。時に手段を選ばず、時に自らを犠牲にしてでも、ただひたすらに高みを目指す。その姿は擦り切れそうなほど切なく、彼の人生すべてが、やがて演技の妖艶さとして舞台に滲み出ていくのを感じさせる。
だが、彼がいくらあがいても、最終的に手にしたのは「国宝」という称号だけだった。家を継いだのは俊介であり、死に際に呼ばれたのも俊介だった。
血が選ばれ、芸は孤独の中に置き去りにされた――そう思わせるほどに、喜久雄の歩みは報われなかった。
芸が血を超えるか、という問いに対して、本作は残酷なまでに沈黙している。
芸は確かに美しく、そして妖しいほどに高貴なものである。だが、最期に家や名を残すのはやはり“血”なのだと、この作品は静かに語る。
万菊がすべてを見通していたとすれば、彼は芸の頂を知る者として、喜久雄の末路を予感していたのかもしれない。
それでも、芸に殉じた者だけが到達できる高みを、彼は確かに見た。
そして私たちは、その儚さと美しさに、胸を締め付けられるしかない。
舞台から発せられて、届くもの
自分はひどく実利に特化した人間で常識の中でしか生き得ないから、演じる、創造するという世界に従事する人に憧れるし、その姿から発せられるものに心動かされる。万菊さんの「ここには奇麗なものが全くないから救われる」には煌びやかな場に立つ人達の極限を示されたようではっとした。そういう人達であるから、綾乃が口にしたように「お正月のような何ともいいことがありそうな幸せな気分になっていつの間にか一生懸命に拍手をしている」と目にする人に感じさせるのだろうなと。
吉沢亮君は「この世ならざる美しい顔」との役どころに相応しい顔面に底知れない「無」な目が配されているのをいつも興味深く思って見ている*。決して努力を表に見せるわけではないのにあの所作を身に着けるのにどれだけの鍛錬があったろう。題材からも内容からも恐らく今年から来年の賞は国内外問わず総ざらいするのだろうな。
そして、想像していたより黒川想矢君が素晴らしかった。
自分は医療従事者なので、最後の「曽根崎心中」の縁側のシーンでお初が徳兵衛に差し出す右足の、母趾の爪が白癬で肥厚し、趾や踵が血行不良で紫変している糖尿病足であることがわかる。だからこその、映像ならではの素足を見せる演目であり(原作未読だけれど、演目が変わったことを書いておられる方がいらした)その時の喜久雄の絶望が窺い知れる。糖尿病の足病変の外見については左下肢切断前の病室のシーンで”予習”(切断に至る足にしては地味目だけれど)してからの流れではあるが、医療は素人の夫には「右足」のくだりがいまひとつわかりにくかったようで、話の流れや演目の意味がわかりづらいという方はその辺りなのだろうか。
*再放送でスイッチインタビュー見ていたら、吉沢亮君ご自身で「虚無の表情」が好き、静寂が気持ち良い、とおっしゃっていて、自分の感じ取ったのも間違ってないのだと思った。李監督も似たようなことおっしゃっているのを読み、吉沢亮君の虚無の目(三白眼も良き)は普遍的に感じ取られるものなのだなと。
!大傑作!俳優の努力に感謝です。
劇場で見て欲しい
最低の父だけど、日本一の歌舞伎役者
喜久雄の豊かな人生
小説を読み終えたばかりであの世界観が自分の中に色濃く残るなか鑑賞。開始5分、少年時代の喜久雄と徳次が出てきただけでもう泣いてた。小説では喜久雄をずっと支える徳ちゃんが映画では端折られていて残念だけど、映画は映画ですごい完成度で、3時間があっという間、あちこちのシーンで泣きながら観た。映画はそれだけで素晴らしく完成しているのだけど、私は映画だけではここまで感情移入しなかったかも。例えば喜久雄が大阪に行くことになったいきさつをより詳細に小説で知っていたからこそ、大垣家に着いた時の喜久雄の心情を俳優さんの表情から感じ取り「きくちゃん頑張れ!」と感情移入した。喜久雄が「不束者ですが」と挨拶するシーンも、映画では端折られているが、これは育ての母であるマツが喜久雄を長崎から大阪へと送り出す前に仕込んだ挨拶だと小説で知っていたので、このシーンから、息子を送り出すマツの強く切ない思いを感じとったり。一方、映画じゃなきゃ観られない大好きなシーンもあった。少年時代の喜久雄と俊介が正式な稽古以外の場所でも橋の上で自主的に稽古していて、二人とも本当に踊りが好きなんだなあというのが伝わってきて幸せな気持ちになった。俊介の最後の演目のシーンは小説でも泣いたけど、映画でも同じくらい泣いた。小説の方がリハーサルのところから、描かれているので、よりハラハラしながらそして泣いてしまう。映画の最後の方で「あなたがここに辿り着くためにどれだけの人を犠牲したと…」という台詞があったけれど、犠牲という言葉はちがうんじゃないかなあと思う。喜久雄が芸の道に邁進した孤独な人というふうにとる人もいるかもしれないけれど、小説を読むと、本当はもっと豊かな人間関係があり、彼は決して孤独ではなく、人に恵まれ、本人も人に対して仁義を通したひとだったのだと思う。喜久雄の面倒をずっとみていた徳次の存在(これはほんとに大きい。なんならこの軸でもう一本、映画が撮れるくらい。印象的なシーンがたくさんある)、あと映画には全く出てこないけど、弁天との出会いとその後のつながり、力士との温かな交流、綾乃との葛藤がありながら孫を抱っこする幸せに浴することもできたこと、などなど色濃い人間関係が小説には描かれているので、映画を観て感動した人は、小説を読んだらさらに感動すると思うし、喜久雄への見方がまたちょっと変わるのではないかと思う。オーディブルにもなっていて、歌舞伎役者の尾上菊之助さんが朗読しているので歌舞伎のシーンはホンモノが聴けて贅沢です。(奇しくも尾上菊之助さんのお姉さんが映画では幸子役として重要な役割を演じましたね。)
魂感じた映画です。
日本の伝統文化として、一度は見ておきたいと思っていた歌舞伎の世界を扱った映画 「国宝」
吉沢亮さん、横浜流星さん、田中泯さんの演技が特に素晴らしく眼を奪われました。
”役作り“という概念を越えていたのではないかなと…国際映画祭でスタンディングオベーションが起きるというのが納得出来た作品でした。
魂の演技というのでしょうか?ものすごく怖いほどでした。
2人のいろんな感情が見え隠れして、美しさと切なさ、それぞれが思い悩む心情も丁寧に描かれていて歌舞伎という未知の世界にも感銘を受けました。
吉沢亮さんは間違いなく、ありとあらゆる映画賞で主演男優賞を受賞されることでしょうね。
とても美しい映画、この美しさのためにどれだけの時間が費やされたのか、それを考えるだけでも尊いです。演目中の涙さえも尊い。
アクション映画ではないですがドキドキハラハラしました。映画館をお勧めします。観終わった後の脱力感、高揚感、私はしばらく放心状態でした。
本物の歌舞伎は観た事ないが…
吉沢亮、横浜流星の演技はお見事!
世界的舞踏家の田中泯の役柄配置がよりリアルに感じた
歌舞伎を知らない私でも3時間しっかりと最後まで観れたが、中盤は中だるみを感じたのでもう少しコンパクトにできたのがも
家のビデオでは絶対に一気見できないと思うので映画館で観てよかった
今年NO1の超大作 吉沢亮、横浜流星の代表作になる作品
映画館全体が吉沢亮君と横浜流星君の演技に飲まれてたと思う.....漫画の主人公も血統がよよければみたいに歌舞伎の世界も世襲制
血が血こそ全てと言ってたけどそこだけではない友が居て競えるライバルが居てこそ成り立つ事もある友情それぞれの想いそして優しさがある
吉沢亮君は屋上のシーン悪魔にとりつかれたのかと思う程の壊れ具合
横浜流星君は最後のは演技の悪魔と言うか役者として最後の最後まで居たいという欲望を感じた
濡れ場が過激でそりゃあPG12なるなぁと思えた(●´ω`●)
幸せな映画体験
吉沢亮は「国宝」黒川想矢は「怪物」?
原作は既読。吉田修一作品はどれも好き。
しかし今作は上下巻で長すぎるし、あんまりかな?と思った。
結論から言うと原作よりも映画の方が良かった。
歌舞伎役者の一代記を3時間にまとめるのは、端折った部分もあるので、原作未読の方はわかりにくかったのだろうか?それでも核となる部分はしっかり描かれていた。
評価したいのは、少年時代を丁寧に描いてくれた所。黒川想矢は、怪物?後の吉沢亮になるべく才能を遺憾無く発揮している。あの年代でああいう芝居ができるのは、感性がよっぽど鋭いのだろうな。
しかし何と言っても吉沢亮。大絶賛されているので、天邪鬼な私は何とか粗を探そうとしたが、なかった。歌舞伎は数回しか観たことのない素人には完璧な女形に見えた。芸にまっすぐで粗野な喜久雄と才能溢れる女形を見事に演じ分けていた。
人間が作る物に完璧なんてない。しかし4.5の評価は低いように感じた。
本作がなぜ年末公開でないのだろう?これからまだまだ映画は公開されるのに、こんな超大作を観てしまった後では、全て霞んでしまうのではないか?
吉沢亮の代表作となるのは間違いない本作。
早くもアカデミー賞主演男優賞は決まってしまった感はある。
長いようであっという間
上映時間が3時間もあるということで観るのを躊躇ってましたが、とても評判が良いので観てみました。
結果、観て良かったです。
美しい映画でした。
私には歌舞伎は分かりませんが、ずっと魅せられていた気がします。
最後の方のインタビューシーン、インタビュアーから役者人生を「順風満帆」と評されて、「皆様のおかげで」と返したのが印象に残っていて。
ドロドロした世界で、決して順風満帆ではないのに、そのすべてを飲み込んで芸で魅せる姿が、役者の業を見せられているように感じました。
吉沢亮さんは福田組の印象が強くて、イケメン俳優の一人というイメージしかありませんでしたが…この作品を観て認識を改めました。
ちょっと格が違ったなと。
あっという間の3時間でした。
劇場で観て良かった。
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