国宝のレビュー・感想・評価
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なかなか凄かった。
傑作!舞台袖からでも良いから覗いてみたい!
任侠(ヤクザ)の家に生まれたが、抗争で家族を失って歌舞伎一座に拾われた主人公喜久雄と、その歌舞伎一座で跡取りとして育てられた俊介が運命的に出会い、そして織りなす波瀾万丈の人生の物語。
主人公喜久雄の青年期以降を吉沢亮さん、俊坊(俊介)を横浜流星さんが演じるんですが、その手前の未成年期の配役と役者さんが本当に頑張っていてこの時点で既に目を奪われました。少年喜久雄を黒川想矢さん、俊坊は越山敬達さんが演じられたとのことですが、彼らの基本友情を土台にしながらも複雑な愛憎を含んだ雰囲気、師弟との関係性など見事に表現されていて作品がキリッと引き締まった感じになりました。
歌舞伎の演目については当方無学ゆえ、近松門左衛門作の「曽根崎心中」の名前くらいしか知りませんでしたが、舞台裏、舞台袖、観客席からは見えないアングルからのショット、密かに同時進行している裏方さんの仕事などなど・・・分からないながらも圧倒的な臨場感と緊張感で押し切られてしまいました。
芸を磨いてひたすら舞台に立つことに全人生をかけ、時に周囲の人々を無作為に傷つけても決して後ろ振り替えらないない喜久雄には共感できるか、といったらそうでないかもしれません。
しかし彼が行き着く果て、渇望するもの(伏せます)がいったいどんなもんなのか、舞台袖からで良いので覗いてみたいという気持ちが湧く素晴らしい作品と思います。
傑作です。ぜひ映画館でご鑑賞を!
至極の超最高傑作! これ以上の作品にはもう出逢えないかも知れない!
(Vol.2)
感じた事が全く書かれていないvol.1を上げて終わったままでスミマセン。
私、病?にて ちょっと横になる羽目に・・・でして。
体調がちょっと戻ったので 続きを。(誰も読んじゃイネェ~ ってか。(;^ω^))
(感じた事)
・圧倒的な歌舞伎の舞台美。緞帳を境に表と裏世界に魅了されます。
そして演目の限りなく華やかで美しい事。見事でたまりません。
・次に予告トレ-ラですね。 ”結局血やん・・・”、ビルの上で悩み踊る喜久雄の姿と、BGMの壮大さ。ここの5秒程みて コレだと思いましたわ。
タイトル ”国宝”って 肩透かしじゃ世間は決して許さない二文字。
非常に作りのセンスが絶妙で良く、掴みは絶大だったと思います。
・チラシは2カット持っており、吉沢さんのカットと、二人道成寺で横浜さんと吉沢さんが向き合ってるカットですね。こちらの向き合ってるカットがとってもイイですね。吉沢さんの右目に朱を入れてるのも 意味アリ気で興味そそります。
・そしてなんと言っても音入れが素晴らしい。
通常歌舞伎の囃子には 大鼓、小鼓、笛〈能管〉、太鼓 など和楽器が全て。その音だけにしてしまうと舞台上の演目は良いのですが、芸人役者の心理心情はこれでは兼ねられない。原摩利彦氏が生み出す音の全てが非常に画にマッチして心地よく観ている側に深く入ってきます。
トレ-ラ見た時に感じた心地よさが本編見てもシッカリとメインで入っており、この点が本作の持つ素晴らしい力点だと感じました。
・主題歌:「Luminance」が上手く心に浸透し エンディングの余韻を創っています。最後に舞台に舞うあの雪。あの景色を喜久雄と一緒に観て そして共に感じる心の流れが 観ている側とシンクロしたと思うのです。その長い長い駆けて来た半生の時間と、たとえ国宝となっても どうする事も出来ない自身から湧き出る淋しさが そこには有ったと感じます。
見事なエンディングを飾る 井口理さんの歌でした。
・喜久雄少年期の 黒川想矢さんですね。何処かで見かけたと?思ったら
映画”怪物”の湊くん。こんなに大きくなっちゃって。しかもイイ男。
彼は頬のホクロと上唇が少し上に反ってる感じが特徴。
確かに 若い時の役は難しかったと思うのですが それに動じる事無く見事に演じ切ってる所がす凄いです。今後の活躍に大いに期待です。
・俊介少年期の 越山敬達さん。彼は映画”夏目アラタの結婚”の刑務所の犯人と文通を遣ってた少年卓斗くんなのですね。
彼も俊介の大事な若い時代の役柄で、父の後を追いかけている姿を立派に演じていたと思いますね。
二人共女形を演技では無くて そのものを遣ってのけていたと思いました。
その意気込みがシッカリ観ている側を十分に魅了していたと思います。
二人共重要な部分だけに配役は良かったと感じます。
・横浜さん演じる息子の花井半弥。映画”正体”で最優秀主演を獲りましたが 私は本当の所あまり良くなかったと感じてました。周りが獲らせてあげたの声があってやっぱりそうなのかと。実は”流浪の月”の彼(中瀬亮役)が好きなんです。あれならあげられるかと。
今作、あの時と同じ監督:李相日さんとでタッグ。
この半弥の難しい心の流れを絶妙に醸し出していたと感じますね。
吉沢さん相手に殴り喧嘩とか。本気で殴ったら吉沢さん顔が吹っ飛んじゃう・・・だからそこはメッチャ手加減でしたね。
決して相手を憎まず裏切らない同志的存在。そして半二郎の息子として その価値観をしっかりと表現出来ていたと思います。
・見事な花井東一郎を演じきった 吉沢亮さんに心から拍手。
凄い凄い~、素晴らしいです。いや それ以上に歌舞伎と言う女形を真正面から激しくぶつかって行ったのが分かります。
今までの出られた作品でもそうでしたが、今作程、非常に魅了された役は無かったと思うのですよ。また一際美しい女形。たまらんですよ。
父を亡くした苦しい少年期から、弟子入りして、初舞台を演じ成功して。
そして運命の代役。三代目に成って行く姿と それらに期待する周囲と同時に囁かれる嫉妬。そして絶望と焦り。
なぜ自分が襲名してしまったのか。血とは何か。あれ程 欲しいと言ったのに。
それを物凄く心の底に感じ取って 激しく傷ついたと思うのですね。
お見事でした。彼に最優秀主演賞を上げたい思いです。
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(Vol.1)
こんな日が来るとは思わなかった思いです。
総てに於いて本当に素晴らしい~ の一言。
圧巻のアッと言う間の175分でした。凄すぎましたわ。
今日は期待の一作「国宝」の鑑賞です。
感動の波動域がかなり高くずっと続いており、観ているこっちもアドレナリンが出っぱなし。見終わった後も感動域が深すぎて元に戻ってこないです。
観た後に車の運転したんだが、こんな運転ヤバく成るの初めてかも。
映画鑑賞直後は お茶でもして心情が落ち着くまで待った方が良いですネ。
興奮冷めやらずです。
また映画の評価指標は★5までなのに ★6枠いる事態になって
本日以降、評価基準を変えないとイケない事態に突入ですね。
という事で、ハシゴでまだ観る予定作全部キャンセルして
レビュ-書いてます。 (こんなの初めて (。・ω・。) )
原作:吉田修一氏 「国宝」
監督:李相日氏
脚本:奥寺佐渡子氏
---------素晴らしい役者陣------------
・立花喜久雄/(花井東一郎)役:吉沢亮さん
・喜久雄(少年期)役:黒川想矢さん
・立花権五郎役(喜久雄の父、任侠組長で殺される):永瀬正敏さん
・立花マツ役(喜久雄の継母):宮澤エマさん
・彰子役(吾妻千五郎の娘、喜久雄の妻):森七菜さん
・吾妻千五郎役(彰子の父、大物上方歌舞伎役者):中村鴈治郎さん
・藤駒役(京都花街芸妓、喜久雄の愛人):見上愛さん
・綾乃(カメラマン、藤駒と喜久雄の娘)役:
・大垣俊介/(花井半弥)役:横浜流星さん
・俊介(少年期)役:越山敬達さん
・花井半二郎役(俊介の父):渡辺謙さん
・大垣幸子役(俊介の母):寺島しのぶさん
・福田春江役(喜久雄の幼馴染み、俊介の内縁の妻):高畑充希さん
・梅木役(歌舞伎の興行会社三友社長)嶋田久作さん
・竹野役(三友社員):三浦貴大さん
・小野川万菊役(人間国宝の歌舞伎役者):田中泯さん
主題歌:原摩利彦 feat. 井口理 「Luminance」
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(流れ展開) (注意)※ハッキリネタバレ書いてます
歌舞伎と言えば女形。
この女形を巡って行く 歌舞伎役者の舞台の表裏世界の話。
長崎の新年会の席で、立花喜久雄は出し物の女形を披露し 来ていた花井半二郎の目を惹いた。所がその席で任侠の父が抗争で目の前で殺される。復讐に行くが失敗する喜久雄。一年程は世間とご無沙汰だったが、父の死後行くところは無し。
世話役の人に連れられて来たのは大阪 歌舞伎役者・花井半次郎の家へ。
喜久雄が女形の才能を持っていた事が半次郎の記憶にあったからだった。
そこで半次郎の息子 俊介と共に必死に稽古に明け暮れて、やがて初舞台を踏む時が来る。人間国宝の小野川万菊にも出逢う事があり その事が後に彼を助ける事になるとは この時の喜久雄は思いもしない。
兄弟のように育つ二人だが、自分には俊介の様な名門歌舞伎役者としてのお家の血筋が無かった。この事がどんなに半次郎の亡き跡目を継ぎ三代目を世襲しようとも
周囲が許さなかった。そして週刊誌が彼の生い立ちを書き立てる。
歌舞伎役者として窮地に陥る彼は 役が欲しくて吾妻千五郎の娘に近づいて結婚するが激怒され梨園を去ってゆく羽目に。
二人は放浪しながら各地の宴会場で女形をして日銭を稼ぐ生活に。
片や俊介は 自分の幼馴染の春江と一緒になり息子がいる。
8年の放浪から家に戻り周囲からも認められていく俊介。
一方 自分には花街芸妓との間に娘の隠し子。
妻との間に子は無し。
梨園から遠ざかってゆく彼であったが、彼を救う手が やがてやって来る。
それが 死にゆく前の万菊である。
彼の一言で、喜久雄は梨園に戻って来た。俊介との再会し、
もう一度 あの歌舞伎の輝かしい舞台(二人道成寺)を 二人で演じる。
世間が二人の復活を待ちわびた日でもあった。
しかし、やがて俊介は糖尿病悪化で足を切断しないといけない羽目に。
苦悩する二人。 しかしその運命から逃げる事無く二人は舞台(曽根崎心中)をやってのけます。そして俊介の死。
あれから16年。白髪になった彼。俊介の息子も歌舞伎界で立派になり。
喜久雄は若くにして ”人間国宝 歌舞伎役者” に成る。
記者会見の日、そっと近づく一人の女性のカメラマン。
彼女は喜久雄の隠された娘であった。しかし出逢って直ぐに名前を当てる彼。
父としては憎む相手ではあったが、舞台を観る彼女は歌舞伎役者として彼を認める存在でもあった。
”悪魔と取引したけど 立派な歌舞伎役者に成れた”
それは一言では言い表せられない程の 犠牲と、後悔との引き換えの道であったであろうと思う。そこに 一筋に役者として生きて来た証があった。
人間国宝としての彼の舞台 (鷺娘)が最後に上演される。
そこに舞う沢山の紙吹雪。その中に 彼が観たかった景色があった。
それは 父の最後を見た時の景色と重なる。
きっと家族への忘れられない深い想いが
そこに在ったのだと感じます。
只今、絶賛公開中!
これは映画館で観るのお薦め。
是非 今の内に
劇場でご鑑賞下さいませ!!
長さを感じさせない力作
長崎のヤクザの家に生まれた喜久雄は15歳の時に新年会を襲われた抗争で組長の父を亡くし、組も解散し、天涯孤独となってしまった。その宴会で喜久雄の踊りを観て才能を見抜いた上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎は抗争の1年後、彼を引き取り、喜久雄は歌舞伎の世界へ身を置くことになった。喜久雄は半二郎の息子・俊介と同級生で、兄弟のように育てられ、親友として、ライバルとして互いに高めあい、芸に青春を捧げていった。そんなある日、交通事故で入院した半二郎が自分の代役に息子の俊介ではなく喜久雄を指名した。その舞台を見事に演じてた喜久雄を客席で観ていた俊介はその場を逃げ出してしまった。その後の2人はどうなる、という話。
まず、新年会にあんなに簡単に親分の所まで押し入られちゃいかんだろ、とは思ったが、刺青の歌舞伎役者というストーリーは面白かった。
舞台や衣装など美術は素晴らしかった。予算使ってるなぁ、と感じた。
歌舞伎って大阪にもあったんだと知れたし、曾根崎心中の中でお初の右足への頬擦りシーンは印象に残った。
喜久雄役の吉沢亮、俊介役の横浜流星とも歌舞伎の演技が素晴らしく、見入ってしまった。半二郎役の渡辺謙、半二郎の妻・幸子役の寺島しのぶもさすがだったし、喜久雄の元恋人で俊介の妻になる春江役の高畑充希は演技は良かったけど、歌も踊りも披露できず、なんかもったいない感じ。
見上愛も出てたし、森七菜は変わらず可愛かった。
「二度見」の畳み掛けでのめり込ませてくれる仕掛け。 三時間の幕の凄み。 そして李相日。
曽根崎心中「天満屋の段」。
縁の下の徳兵衛とお初、
恥ずかしいけれど泣いてしまった。
糖尿病での下肢の壊死だ。
苦楽を共にしてきた俊坊の「こんなになってしまった右足」。
もうじき切断しなくてはならない俊坊のその足を掻き抱き、喜久雄が宿敵の足に、万感を込めて頰ずりするあの場面・・
もうダメだった。もう鼻水で、
前の席の背もたれにしがみついて泣いた。
・・・・・・・・・・・・・
【“生体間移植”の引き起こすもの】
◆チェニジア系フランス人が伝統芸能の舞台に鮮やかなカメラを繰り、
◆男が女を演じる異光景だ。
◆さらに歌舞伎役者ではない門外漢の彼らがその役を請けて立つのだが、
◆その二人は同年でありながら「孤児の部屋子」と「梨園の御曹司」という関係。
― それら、十重二十重に、「異る性別」と「異民族・異文化」と「異業種」が入り乱れての、この檜舞台への挑戦だ。
才能ゆえの喜久雄の抜擢が、名門の血の名跡に打ち負かされてしまう残酷さが、紛れもない吉田修一。
この沢山の歪みとイレギュラーさがあってこそ、
明らかにされて成し得る世界が有るのだ。
◆加えてもう一つ特筆すべき一大事があると僕は見る、
女形が=つまり「男が女を演じてはるかに女を際立たせる」ように
朝鮮人の監督がこれを撮ってはるかに日本を際立たせる事件がここには起こった事だ。
つまり
日本の「国宝」を撮ったのが在日朝鮮人であるがゆえの、光の当たり方が本当に大きい。
李相日が監督である事。
4世5世の時代を異国=日本で生きる彼らである現在。
自らの「名前」と「言葉」と「家」をつなぐ たゆまぬ努力は
物心ついてからの、ずっと彼らの一日たりとも忘れられない闘いだ。
日々、文化の継承と、文化が廃れていく土壇場の双方を自分で意識して見ざるを得ない寄留の民。そこをこそ立て直して生きなくてはならない在日であるがゆえに
「滅び廃れゆく危機にある日本の歌舞伎の世界」をば、「がっつりとサポートし得る特殊な立場に」彼は在る。
「血」によって差別され、
「血」が分断(ワ)かつ喜久雄と俊介の無惨を李相日は体験している。
しかし日本人吉田修一がつけたこの難儀な原題を、監督は改題せずにそのまま使った。何故だろう。
「君らの国宝をたいせつにしなよ」と監督から突きつけられた挑戦状であり
また、中垣を越えての圧倒的恋文でもあったと思うのだ。
・・・・・・・・・・・・・
近松の「曽根崎心中」が2回、
「娘道成寺」が2回、
そして
「鷺娘」が2回だ。
同じ演目を2回ずつ繰り返して見せてくれるこの映画の構造は、歌舞伎初心者への絶弾の配慮。
「もはや知っている演目」で、鑑賞者たちは1度目が伏線の契機であり、後半の2度目が伏線回収の、涙の大山場になる姿を目撃出来るからだ。
実は原作では「曽根崎心中」は1回のみ。二人の最期の共演は別演目になっている。
そこを監督は敢えてもう一度「曽根崎心中」を持ってくる改変によって原作を超えた。
ヒットにはちゃんと理由がある。
・・・・・・・・・・・・・
吉沢亮は剣道を、
横浜流星は空手をやっていたそうだ。
素地あっての本作。
この撮影のために「一年半」の血反吐を吐くような稽古を経てきたのだと。
ああ、そうだったか、
そうだろう。
僕は「その時」「その同じ一年半」を、どんなふうに過ごしていたのだったか・・
自省と激しい悔悟まで起こる
迫真の「国宝」だった。
この位
いろいろな意味で力作
とにかく撮影が美しい。役者も子供時代役も含めて相当な訓練を積んだと思われる。歌舞伎界についてはゴシップレベルしか知識もなくその芸の凄さもわからないが、そうした素人にもスジをわからせられるだけの演出と演技だった。ストーリーも長尺だがダレることなく大河ドラマを堪能した。満足感。実際の歌舞伎界がどのようなものかはわからないが、関係者が多数協力していることから、大きく外れていることはないのだろう。森七菜も大人になったなあ。田中泯、顔が美しいのは役者にとってマイナスなんてセリフもあっなあ。
国宝級の映画
しばらく余韻に浸っていたい!
だけどエンドクレジットが意外と短くて、もう2分くらい長くても良かったのに…なんて思うくらい良質な作品でした。
よくよく考えたら、歌舞伎の世界という世間一般の中では限定的で狭い世界の話なのに、受け取った世界観はとても深くて広くて奥行きのあるものでした。
たぶんそれは人間の生み出す〝虚構〟フィクション(※)の力をまざまざと見せつけられるから。
※ユヴァル・ノア・ハラリさんの『サピエンス全史』などの著作で目から鱗の考察を知ることができます。ホモ・サピエンスがネアンデルタールやその他同時代の異種人類との決定的な違いとして、虚構や共同主観を作り出す力があることにより、いかに地球の支配者になったのか。極めて説得力ある説明でしかもめちゃくちゃ面白く学ぶことができます。
何百人という観客が、役者が演じる人物の心情を同じ空間で同時に体験させられる。
そこには芸術として磨き上げられてきた洗練、それを守り抜いてきた血統への信頼、役者たちの稽古の積み重ねによる圧倒的な臨場感が存在する。それらが舞台の上での虚構の物語であるにも関わらず、見るもの・聴くものに対して現実的な情動の揺らぎを体感させる。
トップアスリートや有名なアーチストのパフォーマンスを見ることで、勇気や希望をもらえることがあるのも、きっと虚構を生み出す想像力の賜物なのだと思う。イチローや大谷選手ほどの才能は無くても、同じような努力が出来れば今よりは高いレベルの舞台で活躍できるかもしれない。だから頑張ろうと思うことができるし、結果的に望んだような活躍が出来なかったとしても、虚構を現実に変えていく道筋みたいなものをそれぞれの感性が掴み取っていく。未来へのレールはそこで掴んだ自分の感覚でしか描けない。
夢(虚構)を夢のままで終わらせてしまう人のほうが多いけれど、悪魔に魂を売ってしまうほどの狂気で手に入れた現実は、時には至高のもの=国宝となって、次の虚構に魅せられる者たちを育てていく。
虚構を現実にしようともがく人の繋がりが伝統を作っていくということなのかも知れない。
客席のエキストラのみなさんが作品価値をさらに上げている
もちろん主演の2人の作り込みや熱演は素晴らしく、映画全体としても力があると思うのだが、なによりも喜久雄の少年時代を演じた黒川想矢に目を奪われた。画面映りが突出しているというのもあるし、序盤の踊りのシーンも引きのカメラでじっくり映していて、そのパフォーマンス能力の高さに釘付けになる。『怪物』とかでは観ていたものの、よくもまあこんな逸材がいたものだと感心しきり。一緒に踊っていた相手役も、声の低さも含めてとてもいいコンビネーション。あと、実際に観客として入ってもらったという舞台のシーンのエキストラのみなさんのビジュアル、表情ともに実在感が凄く、こういうディテールに映画の神様って宿りますよねと吊られてテンションが上がりました。ただ映画の中の喜久雄の物語は、わりと早目にピークが来てしまう印象で、その後の芸に打ち込むしかない人生を描くのであれば、緩慢に感じるくらいもっと尺があっても良かったのかもしれない。
映画として、成り立っていない
最近になく、評価が高く、今もまだ混んでいる映画は、万障繰り合わせてでも観に行かなくては!と思い、やっと観に行けた。
この配役で女形?と思ったけど、短期間にこれだけの事をを成し遂げた、主役の二人の演技力と半端ない努力は本当に素晴らしい👏
また、歌舞伎の舞台や衣装の美しさやそこに乗せてきた音楽も良かったと思う。
でも、ストーリーがおざなり過ぎて。全然、感情移入できなかった。
最初のヤクザの抗争とか、刺青しちゃう所とか。結構長かったから、いつか複線回収するのかと思ったけど、ほとんど無い。
原作読んだら、分かるのかもしれないけど、それじゃ3時間の映画として成り立ってないでしょ?
私はもっと喜久雄の人生と苦悩を観たかった。
私には吉沢君と横浜君が女形をやってるとしか見えなかったんだよね。
原作を読んで分かる物語。役者の演技力や努力が想像できてしまう映画って。私は映画として認められない。
この歌舞伎映像こそ、国の宝として欲しい
そういえば、メイクのシーンから入る映画って、いくつか有ったと思う。思い出せる範囲では「ジョーカー」と、「カストラート」つまりヘンデルの時代とオペラ箇所の映画。「アマデウス」と同様、当時の舞台の再現が見物だった映画。
今回、歌舞伎の舞台を映画のために行われた映像化は、実に素晴らしかったと思う。どう考えてもカメラマンも一緒に舞台に上がっている筈なのに、観客からの視点では歌舞伎俳優しかいない。当たり前だけど、つまりは同じ舞台を何度も取り直す必要があり、それこそ国宝級の歌舞伎俳優さん達が協力してくださったこと。もちろんお客さんもコミで。
なんと有り難いことだろう。興味本位で歌舞伎の舞台の動画なんかを見ることはあっても、正直意味は判らないし、動きも優雅というか、ゆったりというか、荒事シーンなんかでも派手なアクションなどありえない。それでも、練習の風景から紐解いて、歌舞伎とは何なのかを鑑賞できたのは、とても素晴らしい体験でした。
女型の舞い踊りも、その美しさを理解出来たかどうかは、そこのところは正直ちょっと自信が無いです。特に、ご老輩の現役国宝さん、そして主役にして新生国宝さんのエンディング舞台「鷺娘」は確かに美しい。美しいとは思う。そう思えるかどうかは感性的なもので、その度合いを自分が感じ取れたかどうかは正直自信が無い。優雅さ・柔らかさに関して、やっぱり女性が上のような気がするし。
ただその舞台において、多くの補助役(よくあるイメージが黒子みたいな人)が早着替えを手伝ったり、主役だけじゃ無く、多くのいわばスタッフ達が段取りよく動き回り駆け回り縁者を助けて舞台を完成させる、その厳格さ、凄まじさ、緊迫感。むろん手違いは許されず、今回、劇中にあったような救急搬送するようなトラブルがあれば、そりゃあもう誰もが魂が抜けるほどに総毛立って慌てたことでしょう。そんな厳しさこそ、我々が軽々しくクチにして良いものでは無い、いわゆるジャパンクオリティなのだなと痛感します。
その他、歌舞伎の演技に関して、やっぱり「曾根崎心中」が凄まじい。無論、であるからこそ、絞り出すような台詞回しに腹を刺される思いがしましたが、それはやはり、渡辺謙さんの超弩級の厳しさで演技指導されてたお陰も有ったと思う。その厳しさ、大声で怒鳴りつけてお膳をひっくり返す激しさではあるものの、決して、自分が演じて見せようとはしないのは、そういう意図的な指導の仕方なのか、と思うのは想像のしすぎでしょうか。
そんな歌舞伎体験に加えて、劇中の役者の座を争うストーリーについてですが、これは実際の出来事に基づいているのかどうか。それは原作を参照するなどすれば判ることかもしれないけど、やはりこういう世界だからこそ、ありがちなことでしょうか。
そのストーリーについて、ひとつ着目したいのは「何故、自分の息子に後を継がせようとしなかったのか」。それは無論、持病の糖尿が自分の息子にも発症するだろう。それでは、芸の継承が絶えてしまう。だからこそ、血縁関係の無い主役を選んだのではないかと推察します。芸を後世に伝えるためなら、息子の面目をも犠牲にする。それも芸に生きる俳優の崇高なプライド、誇りなのでしょうか。
あくまで余談ですが、漫画「ガラスの仮面」を引き合いに出したくなりますね。前・国宝さんの「鷺娘」を新生・国宝が再び「鷺娘」を演じるあたり、まるで「紅天女」を受け継いでいるかのようで。
そのエンディングへと繋がるシーン、娘がカメラマンとして潜入して恨み節から入るのは、人生の総ざらえとして、とても素晴らしかった。そして最後にはその舞台を、芸を讃える。男として、父親としては最低だけど。そういえば、息子に後を継がせない先代の奥さんも散々怒ってましたねw まったく、芸事に生きる男はしょうがないなあ、って訳でしょうか。
(追記)
どうでもいいことですが、渡辺謙さんが劇中に食べていたのは、京都名物・客が薦められても食べてはいけないぶぶ漬けというヤツでしょうか。ホント、どうでもいいことですが。
ともかく規格外れの作品であることは間違いない
原作は朝日新聞掲載時に毎日楽しみにして読んでいた。吉田修一に他に芸道を素材とした小説はないのでは?上方歌舞伎の御曹司と部屋子が主要登場人物であることも珍しく、話の方向がどこに向かっていくのか全く予想できずワクワクさせてくれた。毎日、新しい世界に接することができる、珍奇で、でも美しい箱庭を覗き込んでいるような印象を受けたのを覚えている。
さて、本作でこの吉田修一の大長編はほぼ完璧に映画化された。いくつかの点で規格外れと思われる作品なので挙げておく。まず、なんといっても、歌舞伎役者を取り上げた作品であり、それも踊り中心の女形が主役でありながら、歌舞伎役者でない一般の俳優が演じているところ。そして歌舞伎の暗部である、やくざ者との付き合いであるとか花柳界の女性の扱いであるとかにやや踏み込んでいること、そして興行サイド、松竹がモデルである会社との持ちつ持たれつの関係も描かれている。(制作、配給が東宝であることは興味深い)
ただ後者の方は、時間の制約もあるし、自主規制などの兼ね合いもあるのだろうがやや中途半端に終わっている。喜久雄の原点となる長崎時代のエピソードはもう少し尺を使って掘り下げて欲しかったし、喜久雄が興行師として生涯つきあうことになる竹野(映画では三浦貴大が演じる)についても二人の出会いが原作通りであるだけにもう少し踏み込んで描いて欲しかったとは感じた。
恐らく、映画だけ観た人は、お坊ちゃんでわかりやすい俊介に比べれば、喜久雄の人となりは最後、国宝になるところまで観てもよく分からなかったのでないか。でもこれは原作でも同じであって巨大な人物というのは外からは掴みづらいといった価値観で原作も描かれているようだ。
映画ではなんといっても規格外れなのは喜久雄と俊介の「半々コンビ」の共演であろう。特に最後の共演となる「曽根崎心中」の場面は凄まじい。これ一つ見届けるだけでも3時間を費やす価値はある。
素晴らしかった
原作は吉田修一の同名小説。
昨年の映画化発表直後に読み、公開が楽しみだった。自分の周囲でも評判が良く、公開から10日以上経過した本日は、予想通りパンフ完売😵…てな状況。
長崎の極道の家に生まれ育った喜久雄が、歌舞伎役者として生き、人間国宝になるまでの物語。
二人の役者がとても素晴らしかった。女形だから映える話かもしれない。
友達であり、ライバルでもある二人。華やかな舞台の裏の苦悩。相手を認めながら己の力に苦しむ俊介と、三代目半二郎を襲名しながらも血筋に適わぬ喜久雄。沈んではまた浮上する二人の対比が見事だった。
そして、花井半二郎が喜久雄を見込んだのと同じように、多くの観客が吉沢亮という俳優に魅せられたと思う。
3時間苦痛でした
ちょっと震えた
日本だからこそ出来た表現
予告や前評判から興味が沸いたので、7月の3連休に観てきました。
歌舞伎役者を続ける大変さが濃厚に描かれている物語に驚きました。上映時間が3時間近くあるにも関わらず、全く眠くならずに最後まで夢中になれました。
主人公の喜久雄は歌舞伎に人生を捧げますが、厳しい修行が毎日続いて自由が制限されるストレスフルな環境から「やっぱり役者の現実は厳しいな……」と痛感しました。
一緒に行った母の話によると、歌舞伎とご縁のある家系に生まれると、幼少期からずっと稽古を続けなくてはならないとのことで、俊介の描写ではそれが強く表れていました。
舞台のシーンも圧巻の一言で、役者の繊細な演技と古典的な演奏は、歌舞伎の歴史が深い日本だからこそ出来た表現のように感じました。
最近観た邦画では間違いなく上位に入るレベルで素晴らしかったです。大ヒットに納得がいく出来栄えで、映画館で観れて本当によかったです。
それと、いつかは実際の歌舞伎も見に行きたいと思うようになりました。
芸の極み…
極めるというのはこういうことか。他人を結果的に追いやっても、利用しても、どんなに非難されても、蔑まされても、あるいは賞賛されても、ただひたすら鍛錬を積み、研鑽を重ね、上を目指していく。何かに取り憑かれたように、そう、悪魔に魂を売ったように、そうでないと国宝と呼ばれるまでにはいかないと言いたかったのだろうか。またそこに行き着いた者しか見れない景色があるのだろう。吉沢亮、横浜流星の迫真の演技、相当歌舞伎の稽古をしたと伝わってきた。1人の男の波乱の人生と、それに翻弄された周囲の人々を描き、長時間を感じさせなかったが、単に極めるとは、歌舞伎とは…そういうものかと感じただけで、ストーリーに面白さや、人物に共感を感じなかった。
濃密な歌舞伎界が観れました。
心揺さぶられる大傑作!
原作未読。
ここまで完璧だと何書けばいいのか困りますね。脚本、演技、演出、テンポ、音楽、衣装、舞台セット、照明に至るまで全てが最高でした。まさに至福の175分。……え、そんなに長かった?体感2時間くらいでした。
なんと言っても吉沢、横浜両氏の演技に尽きるのではないでしょうか。歌舞伎役者の挫折、葛藤、苦悩を見事に体現しており、スクリーンに釘付けにされました。個人的には横浜流星がちょっと凄すぎてなんかヤバかった(語彙力…)。歌舞伎は全く観たことないのですが、横浜が舞台上で演じるシーンはどれも美しく、感情豊かで、時に可愛らしく、時に鬼気迫るほどの迫力で、どれも心に深く刻まれました。もちろん!吉沢も凄かったです!
序盤からの意外な展開に驚きましたが、歌舞伎の華やかな表舞台と、芸と世襲が入り混じる複雑な裏の顔をテンポよく見せていくので、全く飽きることなく観れました。吉沢、横浜以外の俳優陣も素晴らしかったですしね。寺島しのぶ演じる母の複雑な心境は見てて苦しくなります。あ、「横浜、吉沢」の順の方がいいのかな?俊介くん?😁
音楽は原摩利彦。この方の音楽は初めて聴きましたが、主題歌含め本当に素晴らしかったです。歌舞伎の舞台では実際には流れないであろう音楽が流れるわけですが、そこは非常に映画的というか、エンターテイメント作品における音楽の役割を最大限に活かせていたのではないでしょうか。
歌舞伎に精通する方が本作を観てどう感じたかも気になるところですが、映画というエンターテイメント作品としてはこれ以上無いほどの完璧な作品。エンドロールが流れ、溢れる涙と共に深い余韻に浸る…。本当に素晴らしい作品でした!
全2138件中、61~80件目を表示
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。