国宝のレビュー・感想・評価
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人間国宝も軽く見られたもんだ
歌舞伎は1か月に1回位は観ている。ファンには悪いがいくらエンタメとはいえ、これは書かねばならないと思った。原作を読んでいないので映画だけの感想。
冒頭に、半次郎が喜久雄の踊りを素晴らしいと誉めるのが物語の始まりだが、この踊りがちっとも良くない。声もひどい。喜久雄がもっと小さくて踊れてスゴイと見込むならまだ理解できるが、15歳でこの程度なら踊れる役者は大勢いる。その1番大切な部分がおざなりだから、シラけてしまった。
そしてスポ根場面。今より体罰も許された時代だから、そういう指導者もいたかもしれない。しかし、よく年配の役者さんが「稽古が厳しかった」というのは、こういう意味では無いと思う。そして事あるごとに御曹司は血が守っていると言うが、それこそ歩き始めた頃から稽古をする精進の賜物なのにその様な説明が無い。まるでDNAにアドバンテージがあるかのように誤解させる。
半次郎が事故に遭いその代役でチャンスを得るが、「曾根崎心中」で渡辺謙が「お初」を演じる筈だったという設定はかなり厳しい。渡辺謙はどう見ても立役。一体全体、どういう個性の役者に描きたかったか不明。
喜久雄は途中舞台を離れヤサグレても結局人間国宝になるのだが、これまた説得力が薄い。彼の努力は取り立てる程ではなく、お客様を大切にするシーンは皆無で、芸の為に生活を律して何かを我慢した訳でもない。努力したのは高校生の時と、不遇の時代に芸ではなく卑劣な方法で上に取り入ろうとした時、悲しみを芸の肥やしにしてあとは才能で国宝になりましたとさ。それは現在の多くの役者、何より人間国宝に対して随分と失礼じゃないだろうか。
吉沢亮と横浜流星の女形はとても綺麗で頑張ったとは思う。しかし歌舞伎を観慣れた者にとって舞台シーンは至極普通。初めて早替わりを観た人は感激したのかもしれないが全然珍しくない。それなのに道成寺や曾根崎心中のワンシーンを演じただけで、すごいでしょの押し売りされても、唯一無二の特別感は伝わらない。画面が綺麗というだけで、どうして「人間国宝」の舞踊として観ていなければいけないのだろうかと、その違和感で変な気持ちになった。これは国宝じゃ無い。偽物だ。
任侠出の俳優の出世物語なら、それに相応しいタイトルを付ければ良い。その方が腑に落ちたし、エンタメとしてずっと楽しめた。
どうしても「国宝」というタイトルを付けたいのなら、役者が日夜どんなに地味に努力しているのかを、もっと丁寧に描くべきだった。歌舞伎役者と他の役者と、何がどう違うのかという事にも、監督は全く興味が無かったようだ。国宝というタイトルには程遠い、随分と薄っぺらい内容。これ観て喜んでいる日本人は、富士山、芸者と言って喜んでいる外国人の感覚なのだろう。
撮影、俳優、脚本、及び監督が凄い、久しく見ていない芸術至上主義の映画に拍手
李相日 監督による2025年製作(175分/PG12) の日本映画。配給:東宝、劇場公開日:2025年6月6日。
歌舞伎はこれまで全く見たことは無かったし、李相日監督作も、ソフィアン・エル・ファニ(チュニジア系フランス人)撮影監督の作品も初体験。
とても印象に残ったのは「にじり寄る」様なカメラワークだった。冒頭、少年時代の主人公・喜久雄の背肌に白粉が塗られる映像から物語は始まる。以降何度も登場する首筋、目尻、手先、指先等、身体の一つ一つを捉えるクローズアップは、美しくどこか官能的でもあり、人物の迸る感情さえ感じさせ、とても気に入った。
主人公喜久夫の少年時代を演じたのが15歳の黒川想矢(高校生)。歌舞伎界の名門当主の花井半次郎が、彼の演技の才能に魅せられるという展開で、それを説得力を持って見せるという難易度の高い役を見事にこなし、この子の演技は凄いと驚かされた。「怪物(2023)」の演技も驚くほど優れていたので、本物の天才子役や!と思わされた。
勿論、ヤクザの家に生まれながら歌舞伎界の人間国宝と変貌していく喜久雄(花井東一郎)を演じた吉沢亮の奥が見えない様な表現者としての能力には脱帽。年輪を重ねた末の人間国宝の老けメイクの出来は今ひとつと感じたが、カメラを通した吉沢の神がかった歌舞伎演舞の美しさが大きな感動につながった。
脚本は「コーヒーが冷めないうちに」の会話が素敵だった奥寺佐渡子。この映画のヒロイン春江(高畑充希)は、プロポーズされたあの夜「一番のご贔屓になって、特等席でその芸を見る」みたいなことを言っていた。そして紆余曲折はあったが、国宝となった喜久雄(吉沢亮)の舞台を観ている春江の満足げな姿に、あの夜に話した言葉を叶えていることに気づかされる。喜久雄と同じく背中に刺青を入れた彼女も、歌舞伎の世界で一目を置かれる存在となったのだと感慨を覚えた。
ただ、御曹司花井半弥(横浜流星)に走ったのが、芸一筋で凄みを出しつつあった喜久雄に傷ついたもの同士としての同志愛からであったのか、それとも将来までを考慮した喜久雄への深い愛による計算なのかは、それらが混在していたのかは分かりにくい部分があった。脚本も高畑の演技も、最後の様には感じさせたが、もう少し示唆的なものが欲しかったかも。
対照的に、喜久雄と一緒にドサ周りまでした著名歌舞伎役者の娘・彰子(森七菜)は、「どこ見てんの」と問い詰め、彼が踊り狂った屋上から降りた後は、映画には登場せず。原作とは異なり、彼の元を去ったということか。見返りを求めてしまう、お嬢様育ちの限界という設定なのだろうか?
一方最初から愛人として生きぬいた芸妓・藤駒(三上愛)は、彼の娘綾乃をもうけ、あの娘は写真家 (瀧内公美)として本物の芸術が分かる優れた女性に成長した様。
子どものときに父親である喜久雄が神社で願掛けをしているのを見かけ、「悪魔と取引した、日本一の歌舞伎役者になれるように」と言われた綾乃。人間国宝になった喜久雄と再会したとき、「悪魔さんに感謝やな」「あんたのことお父ちゃんだと思ったことなんかいっぺんもあらへん」と恨み節を伝えながらも「しかしそれでも、客席から見てると正月を迎えるような何か良いことが起こりそうな気分に満たされて、気がついたら思いっきり拍手をしていた」「本当に日本一の歌舞伎役者になったんだね」と話す。
原作には無い台詞らしい。恨んでいた人間さえ喜久雄がたどり着いた至高の芸術を讃えており、感動もさせられた。脚本の奥寺佐渡子、凄い!
国宝となった喜久雄による最後の「鷺娘」は、本当に美しかった。そして、多くを犠牲にして芸術家たる彼がやっと手に入れた至高の景色、李相日監督も映画作りにそういった境地を目指しているということか。今後も大きな期待ができる監督の様だ。久しく見た覚えが無い芸術至上主義の映画を、今作り上げたことに大きな拍手をしたい。
また、画期的な映画を企画・プロデュースしてくれた村田千恵子(鬼滅の刃で有名なANXの子会社ミリアゴンスタジオ)にも感謝 。マーケティング主導ではなくクリエイターのビジョンに寄り添うものづくりを目指しているとかで、今後も期待。
あと、とりあえず人間国宝となった歌舞伎役者の演舞映像や、この映画に登場の歌舞伎演目(関の扉、藤娘、連獅子、道成寺、曽根崎心中、鷺娘)のストーリー確認や映像視聴に今は夢中となっている。演目内容が映画のストーリー展開に沿って綿密に選択されていたことを、あらためて知った。
監督李相日、原作吉田修一、脚本奥寺佐渡子、製作岩上敦宏 、伊藤伸彦 、荒木宏幸 、市川南 、渡辺章仁 、松橋真三、企画村田千恵子、プロデュース村田千恵子、プロデューサー松橋真三、撮影ソフィアン・エル・ファニ、照明中村裕樹、音響白取貢、音響効果北田雅也、美術監督種田陽平、特機上野隆治、美術下山奈緒、装飾酒井拓磨、衣装デザイン小川久美子、衣装松田和夫、ヘアメイク豊川京子、特殊メイクJIRO床山、荒井孝治 、宮本のどか、肌絵師
田中光司、VFXスーパーバイザー白石哲也、編集今井剛、音楽原摩利彦、音楽プロデューサー杉田寿宏、主題歌原摩利彦、 井口理、助監督岸塚祐季、スクリプター田口良子、キャスティングディレクター元川益暢、振付谷口裕和 、吾妻徳陽、歌舞伎指導中村鴈治郎、アソシエイトプロデューサー里吉優也 、久保田傑、 榊田茂樹、制作担当関浩紀 、多賀典彬。
出演
立花喜久雄(花井東一郎)吉沢亮、大垣俊介(花井半弥)横浜流星、福田春江高畑充希、大垣幸子寺島しのぶ、彰子森七菜、竹野三浦貴大、藤駒見上愛、少年・喜久雄黒川想矢、少年・俊介越山敬達、立花権五郎永瀬正敏、梅木嶋田久作、立花マツ宮澤エマ、吾妻千五郎中村鴈治郎、小野川万菊田中泯、花井半二郎渡辺謙、芹澤興人、瀧内公美。
男の世界。ウ〜ン、マンダム。
5〜6月は、別の趣味でカメラを持って出かけているので映画館へ行くのが少ないのだが、今月はやっと劇場鑑賞2本目。
カミさんが珍しくこの映画観たいと言うので一緒に「国宝」をTOHOシネマズ上野で。原作未読。
6月17日(火)
平日昼間でもキャパ392の劇場が七分以上の入りで年齢層高め。横並びの列に年配の夫婦が予告が終わる開映ギリで係員に案内されて来た。映画館慣れ?していないのか、しばらくおしゃべりがうるさい。映画館に普段来ない客層が足を運んでくれるのは嬉しいがこういうのはちょっと困る。
齢70を過ぎたが、恥ずかしながら歌舞伎座には行った事がない。3階席でも良いから一度行った方が良いと昔言われた事があったのだが。そういう点では、ある意味歌舞伎の世界は新鮮であった。
上方歌舞伎役者の花井半二郎(渡辺謙)は、招かれた長崎・立花組組長立花権五郎(永瀬正敏)正月の宴の余興で「関の扉」を舞う権五郎の息子喜久雄を観る。その才能に眼を見張るが、二人の眼の前で殴り込んで来た他の組の者に権五郎は射殺されてしまう。
喜久雄を引き取った半二郎は、喜久雄を同い年の自分の息子俊介と一緒に芸を磨かせ、歌舞伎役者の女形として仕込んで行く。
半二郎と俊介(越山敬達)が舞う「連獅子」を舞台袖から観る喜久雄(黒川想矢)。
二人が成人した後、交通事故で舞台に立てなくなった半二郎は、自分の代役を息子の俊介(横浜流星)ではなく喜久雄(吉沢亮)を指名する。緊張で震えが止まらず化粧が出来ない喜久雄に化粧を施す俊介。
父の代役で「曽根崎心中」の舞台を見事に務め上げる喜久雄の才能にショックを受けた俊介は姿を消す。それに気づき俊介と行動を共にする春江(高畑充希)。
「曽根崎心中」のお初徳兵衛の道行きとリンクして描かれる春江と俊介。
とうとう喜久雄は半二郎を襲名する事になるが、襲名披露の舞台で先代半二郎は糖尿病のために倒れ、亡くなってしまう。(倒れた時に呼ぶのは隣にいる喜久雄ではなく「俊坊!」)
いくら才能があっても血筋がない喜久雄は大旦那が亡くなれば歌舞伎の世界ではセリフもないような役しか貰えない。
そこへ俊介が花井半弥として歌舞伎界に戻って来て脚光を浴びる。喜久雄は背中の刺青や隠し子のスキャンダルで奈落に落ちるように姿を消すのだが…。
「関の扉」「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」といった演目が複数回演じられる。演者を替え、或いは替えずに。(親子で舞う「連獅子」は一度のみ)
この構成は良かったと思う。吉沢亮は「曽根崎心中」でお初も徳兵衛も演じる。
「鷺娘」では田中泯と吉沢亮の比較もある。ソフイア・エル・ファニのカメラも素晴らしかった。
「ぼくのお日さま」のタクヤ越山敬達が、若き日の俊介を、「怪物」の黒川想矢が若き日の喜久雄を演じている。彼らも吉沢亮みたいにどんどん吸収して育って行くのだろうな。
結局、歌舞伎界と言うのは男の血筋の世界と言う事か。吉沢亮、横浜流星、田中泯、渡辺謙の演技が素晴らしいのは言うまでもない。女優陣の演技も素晴らしいのだが、女性の側の描き方が足りない。
母(宮澤エマ)のその後は。見上愛はどうなったのか。何故、春江は喜久雄と一緒に刺青を入れたのか(若き日の高畑充希(春江)役の娘も良かった)、恋人喜久雄を捨て俊介を選んだのか。彰子(森七菜)はあの後どうなったのか。唯一、その後が描かれたのはカメラマンとして登場した瀧内公美くらいだ。(これがまた良いのだな)
男性側も充分ではない部分もある。人間国宝の万菊は何故あんな安宿に住んでいるのか。それでいて喜久雄の事を何で知ったのか。俊介が亡くなった後、喜久雄はどうして人間国宝になるまでになったのか。
人間国宝となる男の50年以上の人生を描くのには2時間55分でも短かったのかも知れないが、もう少し編集に加減と工夫があっても良かったのではないか。
映画は、省略の芸術でもあるのだ。
おまけ
母は原爆症で死んだと言及があったらしい(長崎だから?)。聞き逃した。
実の母親は亡くなり行くところがない、と言うのは聞き取れましたが原爆症で、というのは聞き逃しました。
どこ見てたんやろな
あっという間とは言わないが、175分が長くない。田中泯を筆頭に、描かれる人物の佇まいだけで十分に画面が持つし、主人公喜久雄(黒川想矢、吉沢亮)の、内なる狂気が溢れ出て隠せない感じとか、ほんの少しだけ届かない俊介(越山敬達、横浜流星)の演じ方とか、巧者たちの演技合戦が贅沢で見事。
それでも、「人間のまつ毛って、上からライトが当たるだけで、こんなに影が伸びるのか」とか、「あの白粉どうやって落とすのかな」とか、観ていて、ちょいちょい思考が脱線気味になったのは、歌舞伎に詳しくないこちら側の責任。
ポスターのコピーがいう「血筋と才能」の問題や、そもそも「芸とは何か」とか、そこに「国宝」という言葉が当てられる意味とか、明確な輪郭を持たないものが個人を超えて伝承されていくのはどうしてなんだろうかとか、諸々についての問いかけを受け取った。
この映画、逆予告編詐欺というか、ネタバレのように切り取られて、軽く描かれているセリフや場面の数々は、本編で観ると全く違った重みで届いてくるので、やっぱり映画館で腰を据えて観るのがよいと思う。
特に「震えが止まらんのや」のシーンはものすごくよかった。
あと、個人的には、ホテルの屋上での「どこ見てたんやろな」の吉沢亮と、ラスト近くの瀧内公美がものすごく好み。
持つ者と持たざる者の苦悩
歌舞伎は全く門外漢で、もちろん原作も未読だし、映画館のポスターを見るまで、全くノーマークだった。
吉沢亮が歌舞伎役者を演じるだけで気にはなったが、予告を観て才能に纏わる話は好きだけど、持つ者と持たざる者の対比は、ちょっともう良いかなと二の足を踏んでいた。
ただ公開後の評判の良さにミーハー心で鑑賞。
吉沢亮、横浜流星のみならず、どの役者さんも素晴らしかったです。
芸事に抜きん出てるが、歌舞伎の世界では重要な血統を持たない吉沢と、梨園の息子で名跡の血統を持ち自身も継ぐ意思を持って育ったが、突然現れた内弟子の芸事の才能に、打ちのめされた流星。
お互いが持つ者であり持たざる者なのが面白い構図で、原作からの展開だと思いますが2人とも一度挫折し、歌舞伎から離れ復帰する筋があり(ちょっとくどい気もしたが、分かりやすいとは思う)、復帰後真っ直ぐ芸道を歩み芸と心中する流星、悪魔と取引するが如く芸以外を捨てて自己研鑽を重ね、国宝まで登り詰める吉沢。
1番感心したのは、キャスティングの妙でもありますが、吉沢亮の血統を持たない外部から歌舞伎の世界に入った人の佇まいでした。
芸が磨かれ美しさも増すけれども、どこか雑種感と言うか、歌舞伎自体との距離感を感じさせてる様に思えました。
あくまで自分が先にあり、才能で歌舞伎と同化して、生き様を歌舞伎で証明しようとしてる感じ。
逆に横浜流星は血統を感じさせる容姿で、特に首筋とかなんとなく感じさせるモノがありました。初めから歌舞伎の中に含まれた者として、正に名に恥じない芸を求める感じ。
皆さんの絶賛の通り、特に吉沢亮が凄いですね。
役同様の自己研鑽で魅せてくれます。
雪の舞う中の鷺娘は、亡き父の生き様と重ねて自分の生き様を見せてました。
ケン・ワタナベをはじめ共演も豪華ですが、中でも田中泯の第一声には震えたし、歌舞伎を舞う事自体凄いと思いました。
高畑充希のキャラはどうも評判が宜しく無い様ですが私は好きです。
身の引き方も吉沢亮の為ではなく、ずっといても決して自分を見てくれないと察した事だろうし、流星に付いていくのは彼の相対的な弱さが、きっと自分を見てくれる事に繋がるし、どこか常人として共感したんだろうと。
対比として森七菜の存在も、真っ直ぐ吉沢に付いていく結果を示してて儚い(コレまたある意味繰り返しで、くどいが分かりやすい)
他、キリがないので書きませんが役者さんはそれぞれ、とても良かったです。
ただ映画としては、ちょっと不満です。
田中泯の舞になぜあんなエフェクトを入れたのかとか、
演目自体ではなく演者の苦悩を写し出す為、カメラが近いのは理解してますが、ちょっと多すぎかなぁずっと近いカメラで外連味が無いと思います。
特に吉沢亮の森七菜との屋上でのシーンは、もっと引いた絵を見せないとって思いました。
顔だけではなく、全身で熱演してる吉沢亮に失礼じゃ無いかとさえ思いました。
まあだから最後の鷺娘が生きるんでしょうけど
(あのシーンももっと固定で観客目線、たまに寄るのが良かった気がするなあ)
とは言え、3時間楽しませてもらいました。
特に吉沢亮が国宝になった時の写真撮影時のシーンは泣きました。分かってたベタ展開ですがカメラマンの正体と、最後のセリフの一番の褒め言葉にはグッと来ました。
印象的だったのは完成披露時かのインタビューで、
寺島しのぶが鋭い視線で、原作を含めファンタジーですからと言った事ですけど。
国宝級の評価を受けるべき映画
全てに圧巻の日本映画です。李相日監督はもはや巨匠の域に達したと言える程である。
日本はこのような作品で米アカデミー賞やカンヌのパルムドールを獲るようにすべきだと思う。
歌舞伎については全く無知識なので、歌舞伎on the webで調べると重要無形文化財各個指定(人間国宝)の歌舞伎俳優は物故者含め過去28人(重複も含め)いた。女方では5人しか到達していない。生きている間が指定されてるので現在、女方では坂東玉三郎のみ1人である。人間国宝はとにかく凄いのだと思う、。又多くの歌舞伎俳優が現代劇の映画やテレビで素晴らしい演技をされている。なので、歌舞伎は伝統文化を継承しながら日本のエンターテイメントをも下支えしていると言える。
映画は吉沢亮と横浜流星の歌舞伎俳優になりきった舞台での演技がとにかく素晴らしい。映画館の大画面でさまざまな演目を観れたが歌舞伎をちゃんと観たことがない私からすれば本物としか思えなかった。特に2人がそれぞれお初を演じた「曽根崎心中」ラストに吉沢亮が演じた「鷺娘」には目を奪われた。稽古は1年程度だったそうだが、役者としての魂を感じます。昨年は吉沢亮は「ぼくが生きてる、ふたつの世界」横浜流星は「正体」で高い評価を得たが、この「国宝」はその評価を超えるものと思います。
又少年時代を演じた黒川想矢と越山敬達はそれぞれ近年の重要作品である「怪物」「ぼくのお日さま」で主演し評価を受けたがこの大作で更に注目を集めたので5-10年先には今をときめく映画俳優になってるであろう。更に田中泯、渡辺謙、永瀬正敏、寺島しのぶら重鎮の演技が映画を重厚なものにしたし、高畑充希、森七菜、見上愛の存在も欠かせなかった。
そして、瀧内公美がカメラマン役で数分だけ国宝となった吉沢亮と言葉を交わしたが、悪魔との取引を知る唯一の存在の言葉は、この壮大な物語の本質を示していたのかもしれない。
もう一回、いや何度も観たい。と思える素晴らしい作品でした。
要るべき場所。
1964年の長崎、…劇終わりに乗り込んできた組織との抗争で組長でもある父を亡くし、その敵対組織に復讐から1年後、歌舞伎の名門当主・花井半二郎に以前に見てた劇で才能を買われ世話になることになる16歳立花喜久雄の話。
半二郎から花井東一郎と名付けられた喜久雄、半二郎の息子・俊介(半弥)と日々稽古をするなか半二郎と半二郎の妻・幸子はこの2人を女方へと考え、…後に女方で開花する東一郎と半弥だったが。
歌舞伎=市川海老蔵イケメン、尾上右近=レトルトカレー好き、尾上菊之介=グランメゾン東京に出てた黒服シェフ位の知識しかなく歌舞伎知識は全くない私でしたが楽しめた!
ザックリ書けば日々の稽古で身に付けた技術で前に進む東一郎、歌舞伎一家の家に生まれ敷かれたレールで生きる半弥って感じですかね、半二郎の事故で巡ってきた半弥を差し置きの半二郎の代役となった東一郎、…その事で崩れた関係性、代役で時の人となるが雑誌スキャンダルで転落と見せていくけど。
天と地を繰り返しながらも、自分の居場所、“歌舞伎”の道で生きる東一郎と半弥の生き様と歌舞伎俳優の裏側(稽古)を見たようで面白かった。
歌舞伎ならではの発声と所作、この難しい役をこなした吉沢亮さん横浜流星さんが凄いの一言!「流浪の月」から知り好きになった李相日監督の見せ方の技術は流石だね!
血か才能か…相克の大河ドラマ
通常スクリーンで鑑賞。
原作は未読。
私の主義としてだが、原作有りの映画で、原作を読むならばきちんと読了してから映画を観に行くことにしている。
先に映画を観て、結末を知ってしまったら、原作を読む気が失せてしまうと、自身の性格的に分かっているからだ。
本を読むスピードは遅い方だし、映像化されていれば当然そちらの方が早い。わざわざ文字で読むのが億劫になる。
だが今回は例外。原作を読んでいる途中だが、話題になっているので居ても立っても居られず映画館へ足を運んだ。
すっかり前置きが長くなってしまった。
芸を極めることの美しさ、醜さ、そして儚さを、血か才能かの50年に及ぶ相克を軸に描き出す、圧巻の大河ドラマ。
只管に夢を追い、人生を駆け抜けた喜久雄と俊介を演じた吉沢亮と横浜流星の名演に魅せられ続ける174分だった。
鑑賞後の興奮がなかなか冷めない。役者たちの渾身の演技に心を鷲掴みにされた。まるで名演の博覧会状態である。
吉沢亮と横浜流星の、女形の所作の素晴らしさと言ったらない。肉体の動きの靭やかさ、艶めいた仕草に魅せられた。
上下巻800ページ近くの原作を約3時間に落とし込もうとすれば、かなりの換骨奪胎を要しただろうと想像する。
観に行った時点で上巻を100ページほど読んでいたが、そこまででも様々な要素が削られていることに気づいた。
早速、原作を読むことを再開しようと思う。映画の内容を補完しながらの読書体験になりそうでワクワクしている。
なんか、すごいものを見た
奇々怪々な部分が多い映画でコンペティション部門に出品ならず
ネタばれ含むので、映画鑑賞が未だの方は絶対にお読みにならないように...
奇々怪々と感じた部分は、歌舞伎役者でない役者が歌舞伎役者を苦労して演じてはみたもののやはり本物の歌舞伎役者の技量にはかなわない不自然さが目に付くとかそういう部分ではない。自分は歌舞伎や能はよく見に行くが、歌舞伎役者であろうとなかろうと、やはり美形が演じる女形のほうが圧倒的に美を感じるものなのだと、つくづく納得した。渡辺謙の毛ぶりはなかなかであったし、たとえ多くの不自然さが目立たないように撮影・編集されていてもそれは当然だろう。
原作を読んでいないので、原作にはきちんと描かれているのかもしれないが、
喜久雄とともに生きるために自らも背中に彫り物をしたほど喜久雄を愛した春江が、俊介のあとを追い、そのまま二人で姿を消してしまう春江の心情がきちんと観客に伝わるように描かれておらず、なぜ二人で消えた??? その???でしばらく頭がいっぱいになった。
あと、この映画を初日に観た理由は、自分が崇拝して止まない世界的ダンサー田中泯が出演しているからなのだが、その『鷺娘』の踊りに全く感動できなかった。玉三郎の『鷺娘』の足元にも及ばない。残念である。国宝を演じているわけだから、これではまずいだろうと思う。
あと、みすぼらしい狭い部屋で万菊が横たわり、喜久雄と再会するシーンで、「ここには美しいものがない。」と語り、美から解放されたという境地が、国宝であることからのストレス開放なのか、芸を極めたもののみが達することができる境地なのか、どちらなのか???理解できずにまた???であった。それに加えて、どうして歌舞伎の舞台に立てずにドサ回り中の喜久雄をその芸の上達も直接見ることなく万菊が「ようやく認める気になったのか」まったく理解できずに??だった。
それから、最後のシーンで喜久雄が国宝として観た景色がわけのわからない雪吹雪のような桜吹雪のようなものが散って、日本的美で誤魔化されてしまったような気分になって映画は気まずく終わった。
ここまで説明不可能な奇々怪々なシーンが次から次へとあると、
日本のメディアのプロパガンダにだまされてしまうことなく、
この作品がコンペティション部門で出品されなかった理由がはっきりする。
邦画の監督たちの映画の論理的思考や論理的構築の欠如があらわになった作品だと思う。
正直な感想です。ごめんね。
酷法と果報
世襲より、実力主義より、世襲が当たり前の世界での実力主義が最も酷だった。
俊介には血が、喜久雄には跡目を奪ってしまったことが、それぞれ呪いとなり役者に取り憑かれたか。
途中まではそうだっただろうが、最期はそうでなかったと思いたい。
演者のこの上ない表情芝居を、じっくりたっぷり見せてくれるため、心情の描写はとても丁寧。
しかし些か丁寧過ぎた気もする。
反面、描ききれてない部分はかなり多い。
春江が俊介を選んだ理由や竹野が助勢に回るきっかけ、藤駒とは籍を入れてたかすらも不明。
彰子に至っては想像する材料すらなくフェードアウト。
喜久雄と俊介の関係修復の流れも一切が省かれ、終盤の娘の愛憎は瀧内公美の芝居でギリギリ成り立ってた。
仇討ち失敗とかその時の相棒とかはその後にまったく関わらないので、あの辺は省いてよかったのでは。
とは言え、画面の切り取り方や抑えた演出、無音の使い方なんかは非常に巧みで見応えは抜群。
歌舞伎のことはまったく分からないが、素人目には所作も発声も違和感ゼロ。
役者の演技は文句のつけようもなく、吉沢亮と横浜流星は鬼気迫る熱演。
今年は何故か“予告に出ない女”化してる森七菜は、色気も醸す新境地。
田中泯は今まで好みでなかったが、声も高く口調も荒げないのに迫力と説得力を感じて素晴らしい。
黒川想矢と越山敬達も末恐ろしいほどの奥行きを見せた。
吉沢亮なら表情だけで伝えられるハズなので、最後の一言は完全に余計だった。
監督が役者や脚本や観客をもっと信用できていたら…そのぶん脇の補足が行き届いてたら…
名作だけど、傑作には半歩届きませんでした。
梨園の女性はしたたか
公開から一月半ほど経過しましたが、いまだに満席状態が続く超人気作品。
高齢の女性グループが目に付くのは珍しいですね。
ワタシ的には吉田修一さんの作品(原作)は苦手で映画は敬遠しがちなのですが、余りの人気ぶりにその理由を探るべく鑑賞しました。
結果、映像が美しかったですね!最前列で観たからこその白塗りの毛羽立ちや首の皺、そして目頭から湧いてきて今にも零れ落ちそうな涙など、圧巻でした。
主人公たちの中学生時代を演じた二人も良かったですね、大人になってからの吉沢亮&横浜流星はもちろん美形で、その姿を観るだけでも十分な価値を感じました。
ただ、描かれる世界はやはり吉田修一ワールドでドロリとしたもの、そして男どもは大概どこかクズなのに、女性たちはしたたか(途中で姿を消した森七菜さん以外)、特に高畑充希さんの常に微笑を浮かべる姿や、家にしがみ付きながら、きちんと成果を残す寺島しのぶさんの生きざまはあっぱれでした。
さて、歌舞伎絡みでひとつ。歌舞伎役者とは本作のように「家」や「血」が重要とのイメージは多くの方が抱いていると思いますが、歌舞伎にとって欠くことのできない存在である「清元」や「竹本」、知り合いの方の親戚がこの竹本であり、しかも人間国宝!
ただ、竹本に関しては代々その血筋ということではないらしく、この人間国宝の方も若い頃に【ビビビッ!】と来て入門、芸を極めたとのことですから、同じ舞台に立つものではありながらこちらは実力次第の世界なのだなぁと、この作品を観て、教わった話を再度思い出した次第でした。
上映時間は長いですが、ダレることなく一気に観られた佳作でした。
鋭い眼光が射る才能、しなやかに手招かれたただならぬ運命
血筋と実力が交差する世界で
魂を削り挑み続けること、
その孤高の陰で揺れ惑う思いの数々
舞台の真正面で眩い光を浴びた選ばれし者は、その時はじめてそこに映り込む心模様と変容を受け止めるのかも知れない
儚さや切なさを携えるからこそ美しい雪の舞の尊さのように脚光のなかで昇華される変遷
そこで去来する敬意と感謝が喜久雄の人としての心に湧きあがったのを目撃したとき、それまでの出来事が心を駆け巡る
なかでも喜久雄の迷いに多大なる影響与えることになった万菊との関係だ
それは感動と言う言葉では何か違う、もっと重苦しいもので掴み今もなお余韻をもたらす
俊介に稽古をつけるのをそっと見ていた喜久雄に気付きあえて放った言葉
質素な部屋の寝床に伏す消え入りそうな肉体を晒して伝えようとした姿
でもそれでいいの
それでもやるの
あの言葉に、孤独な道を生きる喜久雄の心情を察した万菊の人生の深さが重なる
そこには先をいく者の厳しさ、ありがたいほどの優しさがこもっているのだ
渡された扇子を受けて舞う喜久雄は悟り、それを感じ確かに継ながれゆく伝統を見届けようやくひとりの人間に戻らんとする万菊
安堵が包むその時、万菊の心の奥に煌びやかな緞帳が下ろされていったのだろう
二人だけに通ずるこの時間の貴重さ
これがなかったなら喜久雄は先の見えない暗闇に潰されていただろう
そして冒頭の長崎の夜の衝撃
そのシーンを除いては考えられない喜久雄の人生のそばで春江の愛情の在り方はとても印象的だった
芸に没頭し秀でた才能が認められていくほどに引き割かれてれていく無情
喜久雄の夢が素質の上に特異な生い立ちによって固く結ばれたものだと知り尽くす彼女ならではの思いの境地が、募る葛藤や孤独を徐々に慈しみにと変えていく
それが、喜久雄への愛を貫く唯一の術でもあったように思うのは喜久雄の舞台を観にきた俊介が、その輝きにいたたまれず席を離れていくのを追いかけるシーンだ
春江は、俊介の気持ちを和らげることがすなわち喜久雄の夢を守ることになる、今それができるのは自分しかないと本能で感じ動く
〝わかっとるよ〟
こらえてきた自分自身をもなだめながら心の奥からこぼれ落ちてきた言葉が繰り返される
あのとき姿をかえていく永く静かな愛をみた気がしたのだ
また、目を奪われるような美しいシーンが点在している今作において、青白い屋上でのいまにも散り果てそうな喜久雄の精神の危うさは怖いほどだった
そこに向き合う彰子の眼差しが悪魔に魂を売った男の限界を物語る
立場を捨てて喜久雄に尽くしてきた彼女が翻る時、そこにのこしたあの強さ、それこそ彼女にしかできない喜久雄への最後のメッセージだったのだろう
「国宝」その神がかった領域のすばらしさ、潜む苦しみの特殊さを、生きながらじりじりと焼かれるようみせた演者の皆さんの精神力、表現を最大限にいかす技術の力に脱帽しながら、やはりどんなときも深く爪痕をつけていくのは、ひとの思いの行き来がそこにみえるからなのだと改めて思った
その道と芸を極めた者を“国宝”と呼び、それを魅せてくれた映画を“至宝”と呼ぶ
李相日監督の作品は必ずその年のマイベストの一つになる。それくらい現在の日本映画界で絶対的信頼の名監督。
原作が吉田修一となれば尚更だ。
そんな二人の『悪人』『怒り』に続く3度目のコラボレーション。
なので映画化発表の時から超期待していたとは言え、その期待を越えてきた。
すでに見た方々がタイトルに絡めて絶賛しておられる通り。
まだ2025年上半期も終わってないが、今年一番は決まったかもしれない。
歌舞伎。
古くから伝わる日本の伝統芸能。
今尚多くのファンを魅力し、受け継がれ、その人気は国内のみならず海外にも。
多くの名門、人気役者。その芸と道を極めた者は“人間国宝”にもなる。
日本文化にとっては“至宝”の一つ。
しかし、なかなかに特殊な世界。敷居も高く、好きな人は好きだが、興味無い人は全くの無関心。
専門的な言葉や演目を始め、知らない事の方が多い。
自分もだが、歌舞伎を見た事がない人は伝統芸能でありながら日本国民の大半を占めるだろう。
そんな歌舞伎初めましての人でも見れ、引き込まれ魅了される作品になっているのが見事。
私の勝手なイメージ。歌舞伎は世襲制。歌舞伎の家に生まれた者が代々受け継ぐ。
勿論そうではない役者もいるだろう。本作は“異例”の世界から。
人気歌舞伎役者の半二郎はある宴の席に招かれる。
任侠の組長が主催の宴。その組長は歌舞伎好き。
宴の余興で、組長の息子が女形を演じる。
歌舞伎の世界の生まれでもないのに、組長の息子・喜久雄の美しさと才に半二郎は驚く。
その宴の席で、敵対組との抗争が。喜久雄は目の前で父を亡くし…。
仇討ちを決意するが失敗に終わり、行く当てもない天涯孤独の喜久雄を引き取ったのは、半二郎。
あの悲劇の一夜が新たな人生の始まり。かくして喜久雄は歌舞伎の世界へ…。
無論招かれざる存在。
半二郎の妻・幸子は“極道もん”とあからさまに邪険にする。
が、半二郎は喜久雄の才に確かなものを見ていた。
半二郎には息子・俊介がいた。いずれは跡取りとして次の三代目半二郎を襲名し、御家の名門・丹波屋や歌舞伎界を背負って立つ。
俊介も何処ぞの馬の骨か分からない奴を白い目で見る。
歌舞伎のプリンスと部屋子。天と地の全く違う立場ながら、半二郎は平等に厳しい稽古を付ける。
日々の厳しい稽古を共にし、いつしか二人に友情が育まれる。
稽古に、若者二人の友情と青春に。切磋琢磨。
やがて二人は才能を開花させ、若き女形コンビとして注目と人気の的に。
二人の歌舞伎役者人生を決定付ける初の大舞台。
これを見事成功させ、歌舞伎界のニュースターへ。
任侠の世界から歌舞伎の世界に鳴り物入りで入った喜久雄は見る。見た事ない景色を。
順風満帆だった。
ある時、半二郎が交通事故に遭い、舞台に立てなくる。しかも、大事な舞台の直前。
代役は…? 遂にこの時が来た。跡取りとして。
誰もがそう思っていた。
が…、半二郎が指名したのは、まさかの喜久雄だった。
思わぬ事に動揺する喜久雄。俊介も。
これをきっかけに、二人の運命と歌舞伎人生は大きく変動していく…。
吉沢亮と横浜流星。人気のWイケメン。それだけに留まらない。
演じた役が歌舞伎界を背負って立つのなら、二人はこれからの日本映画界を背負って立つ若手実力派。いや、若手と言うのも失礼なくらいの頼もしさ。
この二人の共演も見たかった理由の一つ。
にしても、同性から見てもお美しい二人。女形は大正解。
勿論ビジュアルだけじゃない。二人共、超売れっ子。過密スケジュールの中、一年半にも及ぶ歌舞伎の訓練。
たかだか一年半の訓練だけで舞台に立てるような世界ではない。人間国宝となった歌舞伎役者であっても修行に勤しむ。芸の道に終わりは無い。
本来歌舞伎役者でもない、訓練の期間も限られている。それでも歌舞伎役者になりきり、魅せた役者魂!
あの流し目一つ、表情一つ、振り一つ、発声や歌舞伎演技全てに、引き込まれる…。
プロから見れば至らぬ点多々かもしれないが、素人から見ればベタな言い方だが本場の歌舞伎役者にしか見えない。本当に役者の才や力量に驚かされる。
序盤の演目でさえ魅了されるが、共にさらに芸を身に付け、紆余曲折あって熟練。クライマックスで披露する演目は真に迫るほど圧巻…。
歌舞伎役者になりきっただけじゃなく、本来の役者としての複雑な内面演技も見て欲しい。
喜久雄と俊介。性格は真逆。
喜久雄は物静かで真面目。真摯に芸や修行に打ち込む。
一方の俊介はパーリーピーポーな性格。芸と修行の合間、遊び歩く。
私たちが抱く歌舞伎役者のイメージは喜久雄だが、ゴシップやスキャンダルを提供した人気歌舞伎役者もいたね。奥さんと出会って改心し、奥さんを亡くし、二児の父親として今は落ち着いたけど。
当初はそんな性格と印象だが、あの衝撃の代役を受けてから、二人の性格と印象も二転三転し、それを巧みに演じ切る。
尚、少年時代の二人を演じた『怪物』黒川想矢と『ぼくのお日さま』越山敬達の順調なキャリアも嬉しい。
世襲は当たり前。そんな中、赤の他人。
俊介のショックは計り知れない。突然家に上がり込んで、何もかも盗んでいって、泥棒と同じ。喜久雄の胸ぐらを掴んで、怒りをぶつける…フリをするが、内心は本心だろう。
喜久雄とて胸中は穏やかではない。寧ろ、俊介以上に動揺。何故、自分が…?
歌舞伎の家に生まれた訳じゃない。任侠の家に生まれた。自分の中には任侠の血が流れている。
生まれは関係ない。才なのだ。
喜久雄はただただ、女形の才があった。それだけなのだ。
酷でもあるし、妥当でもある。しかし、そういう世界なのだ。
歌舞伎の世界だけじゃない。あらゆる各業界全て。才と実力が生きる。
半二郎の判断は間違っていなかった。さらに厳しい稽古を経て、喜久雄は大役を成功させる。
本番直前。手の震えが止まらない喜久雄。自身の生まれや弱音を吐く。
俊ちゃんの血が飲みたい。自分には歌舞伎の血が流れていないから。
勇気付けたのは俊介。芸があるやないか。
俊介に代わり、名実と共に半二郎の後継者となった喜久雄。
俊介は喜久雄の演技を見届け、歌舞伎の世界から去る。その傍らには、俊介に同情した喜久雄の恋人・春江が…。
喜久雄にさらに名誉。俊介が襲名する筈だった三代目半二郎の襲名。
半二郎は白虎を襲名するが、その身体は病魔に蝕まれていた。
それでももう一度舞台に立ちたい…。
が、口上の途中で吐血して倒れてしまう。
その時、半二郎が求めたのは…
俊坊…俊坊…
師から才を認められたのに、師が最期に求めたのは“血”だった…。
半二郎の死。悪い事は続く。
喜久雄にスキャンダル。任侠の生まれ。部屋子時代に出会った芸妓との間に隠し子。
名門丹波屋が傾き、喜久雄は端役しか与えられない。スポットライトを浴びた舞台から一転して、奈落の底へ…。
そんな時、思わぬ人物が帰って来る。
俊介。春江との間に一児を設け、どさ回りなど苦労を経験し、一回り人間的にも成長。
後ろ楯には、かつて喜久雄も俊介も圧倒された日本一の女形で人間国宝の万菊。
一方の喜久雄は大御所歌舞伎役者の娘・彰子と付き合っていたが、父親に取り入る為だった事が発覚し、さらに立場を悪くする。
喜久雄は丹波屋を去る。傍らには、父親から縁を切られ、騙されたと分かった上でもついていくしかない彰子が…。
かつての俊介と立場逆転となったが、これから行く道の険しさはまるで違う。
真面目そうに見えて、女癖の悪さ。本人の性分か、本来の血か…?
去る間際、俊介と相対する。あの時の俊介と同じく怒りをぶつける…フリをして、本当にお互いの感情が爆発。取っ組み合い、殴り合いに…。
一度去った血筋の者が戻り、才を認められた筈の血筋じゃない者が去る。
喜久雄は吐き捨てる。結局、血やないか。
その後の喜久雄の姿は見てられない。
落ちぶれ、荒み、どさ回り中チンピラに絡まれる。TVには再び歌舞伎界のスターとなった俊介の姿。
彰子との関係もぎくしゃく。
あるシーンの虚ろな目と表情は今の喜久雄を物語る。
自分に未熟な所はあった。
それでも血だけじゃない事を信じ、芸に打ち込んできた。
自分はここまでなのか…?
あの時の代償か…?
いつぞや神社にて手を合わせた。神様に願ったのではなく、悪魔と取引…。
悪魔が栄光を見せた後、地獄へ叩き落としたのか…?
が、芸の神様は見捨ててはいなかった。
万菊から声が掛かり、喜久雄は再び歌舞伎の世界へ…。
二人の若き天才歌舞伎役者の人生がドラマチックに展開。
難点もある。時代ものだから時々展開が早い。俊介も喜久雄も歌舞伎の世界に戻ってからあっという間。多少のベタな設定やご都合主義もある。そこら辺、800ページ以上に及ぶ大長編の原作小説には細かく書かれているのであろう。
本作に限った事じゃないが、原作小説の全てを映像化する事は到底無理。省略や纏め上げ、壮大な大河ドラマに仕上げた奧寺佐渡子の脚本も見事。
時に観客視線、時にクローズアップで役者の一挙一動を逃さない。フランスのカメラマン、ソファアン・エル・ファニによる映像美。
歌舞伎を完全再現した種田陽平による美術、衣装や化粧・床山も本格的。
言うまでもない李相日の名演出。
厳しい師/父親であり、初の大舞台に挑む二人に優しい言葉をかけ、自身も当代きっての歌舞伎役者として舞台に立つ事を望む。渡辺謙の存在感。
圧巻は万菊役の田中泯。出番は少ないが、前衛舞踏家としての本来の面が女形に活かされ、バケモン級の凄みと、狂気すら感じる演技と、完成された美しさと佇まい。
この万菊が人間国宝でありながら、晩年はボロアパートで孤独に病に伏せっている姿は衝撃でもあった。
歌舞伎は男の世界。なので、高畑充希、森七菜、見上愛、瀧内公美(ラスト近くのシーンは特筆)、寺島しのぶら実力派/注目株の女優陣が揃えられながら、脇に留まってしまっているのは致し方ないとは言え、残念。
が、皆が名アンサンブル。熱演。
映画だが、歌舞伎もたっぷり見せ、あたかも本場の歌舞伎を見ているような錯覚さえも。
全てが超一級。堂々たる3時間。
歌舞伎の世界に戻った喜久雄。
俊介との女形コンビの復活に、世間は沸く。
が、またしても…。
俊介が糖尿病となり、片足を切断。舞台に立つ事も後進に稽古を付ける事も出来なくなり、俊介の息子の稽古は喜久雄が付けていた。鳴り物入りで歌舞伎の世界に入った若者は指導する立場に。
舞台に立つ事を絶たれたかに思えた俊介だが、それでももう一度舞台に立つ事を望む。
二人で挑む『曽根崎心中』。歌舞伎の演目はほとんど知らないが、『曽根崎心中』はほんの少しだけ。劇中披露される演目がその時の心情とリンクしているのが巧み。
演技中、俊介は体力の限界で倒れる。喜久雄は聞く。やれるよな? 俊介は答える。当たり前や!
当初歌舞伎の世界を冷ややかに見ていたがいつしか魅了されていく興行主の二代目の台詞が見る者全てを代弁する。こうは生きられない…。
あなたにも、私にも、こんなにも打ち込めるものはあるか…?
文字通り、その道に生き、その道に死ぬ。
実の父を亡くしても、
血筋じゃなくても、
犠牲や傷を負わせた者が居ても、
悪魔に魂を売っても、
師を亡くしても、
どん底に落ちても、
ライバルであり親友を亡くしても。
天からの授かり物。この世界で生き続ける。
いや、自分で選んだ。もう一度見たかった。見た事ない景色を。
その生きざま。
芸。才。ただひたすらに一つのものに打ち込み、極め続け、頂きに達した存在を“国宝”と呼ぶ。
そしてそれを打ちひしがされるほど魅せてくれた映画の事を我々は“至宝”と呼ぶ。
…血筋
…女形歌舞伎
喜久雄(吉沢亮)は
花井半次郎(渡辺謙)の息子
俊介(横浜流星)の血を飲みたいと
言っていたほど憧れる血筋
世襲として受け継がれる世界である
喜久雄は役者として踊りは一級品
半二郎に見出だされ三代目に
襲名もできたが…
吉沢亮の端麗な顔だちが女形が似合う
襲名されても血筋が一番の歌舞伎の世界で
生きていくのは並み大抵なことではなく
何をもってここで踊り続けるのか
"国宝"となってからもわからない
静まった
舞台の上から"まばゆい"光を浴びながら
光の奥を見つめる半二郎
舞台に立って"極"めようとする
人だけが見ることができる"光"
人生をかけて芸に生きた証し
三時間近い作品にも関わらず
吉沢亮、横浜流星のそれぞれの苦悩
と女形の見事な演技
他、渡辺謙さん
俳優さんたちの見応えある
重厚な時間でした
早着替えはテンションが上がります
吉沢亮の顔の表情と踊りに…感服です
心持ってかれた・・・
今年の邦画No.1は確定かと。
もうめちゃくちゃ圧倒されました!!
すごい映画です。
吉沢亮、横浜流星、渡辺謙、そして田中民の迫力ったら。
歌舞伎を通して人の生き様を見事に表現してると思う。
李監督はすごいわ。
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後日談
【国宝】2度目の鑑賞。
公開から2ヶ月過ぎてもすごい人気。
平日なのに茨木イオンシネマほぼ満席。
あらためて観てみると、実に怖い映画だと思う。
人の運命の無常、栄華盛衰、天国と地獄…
鬼ほど稽古しても、本番前に震える手。
自分を奮い立たせながら何度も何度も舞台に立つ。
そして容赦なくやってくる試練。
誹謗中傷や妬み、やっかみ…
おかみさんはいつまでもキツい態度だし…(火垂るの墓の実写版は、あの親戚のおばさん役は寺島しのぶしか考えられないと思う)
でも、考えてみた。この映画ほどドラマチックでないにしても、みんな、誰しも、多かれ少なかれいろんな山谷がやってくる人生です。
私も日々仕事でナレーションのために故人さんの人生を取材するたびに、本当にいろんな人生があるものだと思ってます。
この映画の2人が2人とも、スポットライトを浴びて全身に喝采を受けた煌びやかな日々もあれば、地に落ちて一時は文字通り這いつくばって苦渋の日々を過ごしながらもまた表舞台に上がれたのは、きっと人生をあきらめなかったから。自分のことを見放さなかったから。
しみじみ今日はそう思った。
ほんとに素晴らしい作品ですよね。
アカデミー外国語映画賞獲ってほしいな。
吉沢亮くんと横浜流星くんと田中泯さんに、ぜひ賞を🏆
それにしても今日は隣の席の人のお腹がグーグー鳴ってて気になった…
これは仕方ないにしても、前の席の初老爺が上映中に携帯LINE見始めたから速攻言ってやめてもらった…
こういうメジャーヒットの映画では普段あんまり映画観ない人がわんさとやってくるから、あるあるです💦
我慢の3時間でした
とにかく脚本と演出が良くない。
映画らしい映画だとは思えませんでした。
最初の子役から、踊りの良さが出ていないのに、「美しい、大したものだ」とセリフで全部説明して、どんどんシーンを繋げていく。
歌舞伎や文楽、演劇をよく見るので、必要以上に厳しい見方になってるのかな?と思いましたが、未経験者が上手く踊れないのは当たり前だと思うのです。
でも、映画なら演出とか編集で魅せるものじゃないでしょうか?エピソードが詰め込まれすぎて、余白のようなものがないのです。
これは俳優ではなく監督、演出部の問題だと思いました。
ファーストカットから違和感があって、主人公が白粉を塗られて、感触にビクッとするのが、どうも一瞬遅く、無理に誇張されているような気がする。
その後の物語が、病気や死、子供ができるなどと、ずっと即物的で残酷で、人の心理が細かく描かれてなくて、脈絡がない。
美術も映像も粗い。道成寺というのは僧が大勢後ろにいる演目のはずなのですが、素舞台のようなところで、役者が走り回っていて、小劇場のように見えてしまった。曽根崎心中の台詞回しも義太夫の発声になっていないし、芝居の内容が踏まえてあるようには見えなかった。
歌舞伎を知らない人に、親しんでもらえるチャンスかもしれないのですが、残念なのは、江戸や上方の粋人のユーモアの結晶、みたいな部分はまったく取り上げられず、ドロドロした生々しいお家騒動、スポ根的な価値観とばかり結びつけられている。
役者を精神的に追い詰めてるのをアップで撮って、真に迫った演技と見せかけているような感じ。役柄に個性や深みがないから、俳優も演じる内容がなくて、素を出すしかない。
苦しそうで、正直、見てるのが辛かった。
フィクションではなく、歌舞伎に挑戦する俳優のドキュメンタリーとして楽しめばいいのかもしれませんが…歌舞伎も映画も、もっといいものだけどな…と思いました。
ファンタジーだから、人間国宝をどさ回りやドヤ街のイメージと結びつけ、悪魔に魂を売った、などと設定してもいいと思うのです。しかし実際の人間国宝の方々がされるような地道な努力や、伝統を継承しようという思いに目が向けられないのも残念でした。
人間国宝に限らず、人としての品や知性がないと、いい役者にはなれないですよね…個々の俳優たちではなく、あのフィクション世界のキャラクターたちに、それがあるとは思えなかった…。
ヤクザ映画としても、七十年代の東映映画なんかとつい比べてしまうと、演出や様式美の面でもう少しなんとかできないのかと…。
イケメンが出てればなんでも良いって訳じゃなくて、自分は映画を見たかったです。そりゃ見方はそれぞれですし、これだけ人気のある作品ですが、宣伝を過信してはなりません!と注意喚起。
……
最初に書いた記事がわかりにくかったかと思ったので、加筆しました。個人の感想です。
日本の伝統芸能のお稽古事を続けていますが、感動を強要するようなものではなく、見る人を自分自身に出会わせてくれるような、懐の深さやおおらかさを感じます。その上で矜持や美学もあります。
それぞれの見方、考え方があって良いと思っています。
話題のこの作品(傑作!!!)。いつ?どこで?誰と?どのような関心を持って臨むか?
やっとこさ観れました。
シアターにとってよいのか?悪いのか?
梅雨時は従来の1か月前に訪れ、本作の幕開け6月はすでに灼熱地獄の日々。
ウィークデーはなかなか都合がつかず、ウィークエンドにどこで?どの時間帯に?と悩みます。暑い最中の外出は憚られる。我知らずドライブインシアターをググっていました(笑)
結局、日中は日差しで溶けてしまいそうなので💦、多少なり日影ができる夕刻を選択しました。
我が家は、皆それぞれ単独行だったのですが、一緒に観てすぐにでも感想を楽しむべきだったと悔みました。
いやぁ、驚きました。なんたる映像美。そして、吉沢亮、横浜流星はこの時代を代表する最高峰のアクターと思いますよ。
スゴイわ。この若さでてっぺん取れるわ。やはり、シアターで観ないとダメな作品でした。とくに後半ですね。前半はちょっと・・・。
しのぶさん、鴈治郎さん、謙さん、泯さんもスゴイな(とくに田中泯さんですね!!!)。
最近はネトフリやアマゾンの機会もありますが、初見がテレビ画像ではもったいないですね。
歌舞伎の世界に飛び込んだ男を描くために、歌舞伎のような舞台を見せはしますが、実際の歌舞伎舞台とは違います。俳優陣はそれなりの努力で「らしさ」を表現し、カット割りで伝統芸能の魅力をコンパクトに表現している作品です。
そこに魅せる男の生きざま。素敵ですね。血筋の話は玉三郎さんか・・・。
タニマチも芸能界(+スポーツ界)あるあるの話ですね
原作は未読ですが、ホン(脚本)が素晴らしいです。
トレーラー(予告編や宣伝用の動画)がいくつもあるので見ておいた方がよいと思います。ロンドンのグローブ座と比べても遜色のない、我が国の無形文化遺産である歌舞伎の世界を垣間見れるのではないでしょうか。
シアターでは若いカップルがたくさん鑑賞していました。これも素晴らしい!!
閑話休題、ほぼ週7日デイタイムは忙しいと、いつシアターに行けばよいのでしょうか?終電から逆算するのかもしれませんが、20時台の開演まで待つのはちょっと厳しいなぁ。シネコンってこんな商売だったっけ?当初の川崎チネチッタとはちょっと違うような・・・
それと、スタッフロールでとても驚いたのは配給が東宝???なんでーーー???
修羅の道を突き進んだ先に見えた景色
ヤクザの息子喜久雄(黒川想矢のちに吉沢亮)は歌舞伎の才能を見い出されて半二郎(渡辺謙)の下で修業をする事になる。半次郎の息子で同い年の俊介(越山敬達のちに横浜流星)とは良きライバルとして兄弟のように育つ。事故に遭った半二郎の代役を喜久雄が任された事で、2人の関係性が変わってくる……
歌舞伎を観た事が無い人間からしたら、出演者の演技は最高でしかないです。素人が言うのもおこがましいですが、吉沢さんと横浜さん(あと少年期の2人も)があそこまで仕上げているとは期待していなかったので、気迫のこもった演技に驚き、ずっと観ていたいと思いました。
集客力の面でも、国宝級イケメン2人の共艶!なので必見です。2人とも男らしい顔立ちなのに化粧して衣装をつけた姿、所作が美しいんです。少年期の2人も魅力的でした。
キャスティングは大成功です。
喜久雄のキャラクターを梨園育ちの方が演じたら、逆に違和感を感じてしまいそうですし。
そして、田中泯さんの存在感が圧倒的でした。
一流の歌舞伎役者になれるなら他には何も要らないと言う喜久雄も、俊介の血筋が自分にあればと嘆き、俊介も喜久雄の才能に嫉妬します。でも2人の絆は失われませんでした。
挫折から立ち直った喜久雄は道を極め、ついに人間国宝の名誉を手に入れて、インタビューで、「皆様のおかげで」と答えます。
ひたすら自分の夢を追い求めた喜久雄は、他者を顧みなかったように見えます。
でも、ずっと支え続けると誓った春江も彰子も去り、春江は喜久雄との距離を感じて去ったと思うのに、俊介の妻となって戻ってきました。
妻でなく愛人でいいから支えさせてと言った藤駒は、たぶん娘に父親の不義理の恨み言を言っていたでしょう。(そうなるだろうなとは思いました)
結局は自分の息子が大事だった半二郎。
人間国宝となった喜久雄に、「順風満帆の人生ですね」と言ったインタビュアー。世間はあれだけ叩いた喜久雄の過去を忘れ、もはや興味は無いようです。
それらを呑み込んで、静かに佇む喜久雄……
本作を観て歌舞伎には大いに惹かれましたが、本作で描かれた歌舞伎界には興味は湧かないです。
血筋ってそんなに大事かなあ。我々はどこを見ていたんだろう。
凄い映画を観たと感じます。欲を言えば、もっと観たいところがあって、逆に要らないなと思ったところがありました。真面目に稽古をする喜久雄に対して俊介が遊び惚けていたのは、コンプレックスからなのかチャラい奴だからなのかが分からなかったし、客とのケンカの場面は長すぎでした。万菊さんのあの表情は何だったのか。後の人生ももっとドロドロしていたのではないかと思います。
本来なら先に公開されていたはずの「ババンババンバンバンパイア」は観るつもりをしていました。吉沢さんのギャグセンスは捨てがたいです。
国宝
感想
一日本人として恥ずかしい話なのかも知れない。歌舞伎という伝統芸能に今までそれ程深く関知した事がなく、また深く知ろうとする事が無かった。しかし今回李相日監督の本作を鑑賞して感じたのは歌舞伎は17世紀頃から始まり歌舞伎の名跡ごとに得意とする演目がありそれぞれの時代にそれぞれの演目を得意とする役者の個性が重層的な文化として積み重なり現代にまで継承されてきている事。各演目の話の素晴らしさ、舞台上でのひきぬきの華やかさ、照明演出などの色彩の素晴らしさ、そして全て血筋が最優先する梨園の常識は現代社会の常識とは掛け離れる事もあるのたという事だった。
稀代の歌舞伎役者である花井半二郎に天賦の才能を見込まれ女形役者になるという道を選んだ長崎の任侠の遺児、立花喜久雄。彼が最終的に芸そのものが重要文化財に相当する以上の人間国宝となるまでの間には芸一筋を優先した余りに関わりあった多くの人間に迷惑を掛け、立場が失墜し地べたを這いつくばる様な巡業と修行の日々など人生の栄枯盛衰を繰り返す事もあったがそのような自身の生き様をも芸の肥やしとして全てを昇華させ創出された女形の数々の芸術的所作、指先の払いひとつまでに拘りを持つという深淵な心理と醸し出される優雅な品格、正当な継承権が無い中で芸そのものを己の力で更に磨き上げ、血統をも凌駕する事を体現し到達していく孤高とも言える精神と心理を描いており人間国宝推挙後、物語の最後に描かれた演目「鷺娘」での見事な舞は自分の内では鳥肌が立ち震えが止まらない程の感動を引き起こした。
方や血統を有している事だけを拠り所として芸の習得に励むも目に見えない「芸は名を助く」の本意を理解出来ずライバルである喜久雄が放つ渾身の一芸を目の当たりにしてその芸域に達する事は不可能では無いのかという不安が心理的な抑圧に繋がりその重圧に耐えられなくなり一度は現実逃避してしまう。しかしその連綿と続く歴史的大名跡と代々役者であるその血統が自己を再び奮い立たせ大成していく大垣俊介(花井半弥)。彼の人生の中で一命を賭しても関わりたいとした代々の名跡が受け継いできた演目である「曽根崎心中」を半半コンビとしてのお初を俊介、徳兵衛を喜久雄が17年振りに演じた最後の共演はまさに命懸けで全うしようとする姿が感動し涙を誘う。大垣俊介(花井半弥)はかねてより療養中であった糖尿病という不慮の病に倒れ片足を切断。活躍の余地を残しながらも早逝する。
その後16年の歳月が流れ三代目花井半二郎(喜久雄)は我が国最年少の人間国宝に推挙される。人間国宝となりイメージする風景を記者に尋ねられた瞬間、漠然と眼前に広がる漆黒の空間に粉雪が舞い降りる映像が広がる。喜久雄は眼前に浮かび上がるそのイメージが何なのか暫くは解らなかった。
時が経ち演目「鷺娘」をかつて小野川万菊が披露した時と同様に今度は人間国宝三代目花井半二郎として自らが今迄生きてきた自分の人生を振り返りながら全力で舞い踊り舞台に伏し倒れこんだ時にそれは起った。次に目を開いた時にそれまで舞台に降り注いでいた紙吹雪は本物の雪となり喜久雄の眼前に降り注いでいる。そこでスポットライトに照らされる喜久雄。その周りは漆黒の空間が広がる。優しく舞い降りてくる粉雪。
優しく舞い降りる粉雪ー。それは喜久雄の過去の消し難い記憶に始まり、歌舞伎という一芸道に孤高の存在を晒し身を削りながら捧げてきた苦労。その結果日々の精進が報われ、栄誉を得る事が出来て現在スポット浴びているという、一連の想いの全てが集約されている世界であった。その世界を感動し見つめている喜久雄。「この世界を見たかった!」笑顔になる喜久雄のアップ映像でエンドロールを迎える。
生涯に渡り歌舞伎道に邁進しその芸をそれぞれの立場で運命が変わりつつもその道を極める事となった立花喜久雄(花井東一郎)と大垣俊介(花井半弥)。このライバルとも言える両者の流転の人生を歌舞伎を通じて各自の芸の習得とその実践を克明に描き出す一大人生譚の作品となっている。
... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ... ...
配役
立花喜久雄/三代目花井半二郎:吉沢亮
とにかく役作りが気合いが入っており素晴らしい。歌舞伎役者として追求する芸の奥深さに悩む姿や人間として過ちもあるが全てを受け入れる姿勢や芸の高みを目指すひたむきな姿に感動。◎
大垣俊介/花井半弥:横浜流星
大名跡の御曹司役だか芸の奥深さに恐怖を感じ逃避してしまう俊介の役を好演している。死に際の「曽根崎心中」のお初の役作りは素晴らしく、こちらにも◎をあげたい。
二代目花井半二郎:渡辺謙
上方歌舞伎の大名跡を継ぐ歌舞伎役者を演じていた。流石!ハリウッド俳優。喜久雄の女形の才能に役者としての勘が働き立花組崩壊後貴久雄を大阪に引き取り息子の俊介と同様に厳しい稽古を付けて二人を大成させる礎を創り上げる。
小野川万菊:田中泯
女形人間国宝小野川万菊。歌舞伎に全てを人生の全てを賭けている大歌舞伎役者。門弟から大出世した孤高の役者であり二代目花井半二郎亡きあと、歌舞伎界に隠然たる影響力を持ち続け、三代目(喜久雄)に自分と同類の香りがあると本能的に感じ取り、更なる試練を与えるように距離を取り、花井半弥(俊介)の梨園復帰の後楯となる。その後三年、万菊は齢九十歳を超え自身の死を意識した時、歌舞伎界の将来を予期する様にそれまで路頭に迷う程に困窮していた喜久雄を突然呼び出す。歌舞伎からも引退し全てを投げ打ち、何もない伽藍堂の様な部屋に死を待ちながら起居する万菊。「この何も無い部屋で目醒めると全てから赦され解放された気持ちになる。」と喜久雄に素直な自分の気持を吐露する。徐に扇子を差し出し「踊りなさい。踊って見せて欲しい。」と喜久雄に語りかけ、万菊の前で「藤娘」を舞う喜久雄。
万菊は喜久雄を初めて本物の歌舞伎役者であるとお墨付きを与え、梨園への復帰も認められる。万菊は全てを投げ打ち失っても継続し自己の芸そのもの質をあげる精進をする事が芸事の真髄で有る事を喜久雄に身をもって自覚させる。この復帰のお墨付きがきっかけとなり喜久雄は人間国宝を目指すことになる。
少年立花喜久雄/黒川想也
任侠の一門に生まれるも上方歌舞伎界の大名跡二代目花井半二郎に女形の天賦の素養を見出される。「積恋雪関扉」の遊女墨染の姿にビジュアル的に感動するだけではなく所作がとても素晴らしく感動。◎
他オールスター豪華俳優陣でその演技は全員素晴らしかった。
監督:李相日
脚本:奥寺佐渡子
歌舞伎の舞台シーンは勿論の事、人間関係の緻密な演出手法にアングルを含め感嘆するシーンの連続であった。特に印象的なのは手、足の払いや振りを丁寧に画に取り込んでいて監督らしい素晴らしい描写と感じる。◎
脚本としても原作を良くこなしていて貴久雄と俊介の青春ストーリー展開が素晴らしかった。◎
美術:種田陽平
長崎の料亭シーンはタランティーノばりでワクワクする。舞台シーンがとにかく素晴らしい。俯瞰したアングルも全体を見渡せて上手下手が意識出来る映像となっていて素晴らしい。
撮影:ソフィアン・エル・ファニ
視点的に肩肘の張っていない自然な画が撮れていた。
音楽:原摩利彦
幻想的で印象に残る音楽であった。
想像以上の素晴らしい出来映え。
⭐️4.5
2025.8.30再観賞追記
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