国宝のレビュー・感想・評価
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血と芸、半々を継承し遺す、歌舞伎ブラックスワン兄弟
血か芸か。歌舞伎に必要なのはその両方。
それに加え前提となる、
稽古の鍛錬を積んだ踊りと台詞の実力と、
ご贔屓がつく愛嬌や人柄、精神性、
言うまでもなく立ち振舞いの所作・容姿。
多くを求められる世界で、世襲名門一人息子として産まれた、横浜流星演じる俊坊。
反社組長を父に持ち長崎の大きな家で育ったが、ある日他組襲撃に遭い、父を殺された吉沢亮演じる喜久雄。家族を亡くすが、居合わせた歌舞伎役者、俊坊の父の花井半二郎のはからいで、俊坊の部屋子弟子として同い年の兄弟同然に稽古され育てられる。
2人は比べられる気持ちと同等かそれ以上に仲良く稽古に励み、二人とも女方が似合い、喧嘩でき鼓舞し合える親友。
でありながら、
俊坊は血筋に恥じぬ芸の腕前で喜久雄と遜色つけ難いものの、喜久雄の熱心にどこか及ばず芸も親の視線も喜久雄に持って行かれたような寂しさに傷付いていた。
かたや喜久雄は、身寄りもなく、しかも居候の身で本当の息子でないがため、血筋の世界で血筋に守られる安心感が全くない緊張感に常に怯え、だからこそ芸に打ち込み芸で身を守ろうとしていた。出自に恵まれた若き俊坊にはわからない複雑な心情を先に経験しているから、表現に活かせる。
横浜流星の俊坊と吉沢亮の喜久ちゃん、
それぞれの青年期の感情の揺れとそれでも支え合える兄弟のような関係性がしっかり画面から伝わってくる演技力はそれだけで他の作品ならそこが見せ所なはずだが、この作品ではまさかの基礎的能力。
圧巻の舞い、発声台詞回し、顔立ち、
人気、精神性、容姿。
歌舞伎の血筋以外の全てを兼ね備えた、
日本人俳優が堂々と歌舞伎を魅せてくる。
2人もそんな若い逸材がいる日本、すごすぎる。
世襲の歌舞伎役者に見える歌舞伎を振る舞った上で、
吉沢亮も横浜流星も青年期から老年期まで演じ分け、
喜久雄の吉沢亮は、
居候の身分を弁えた全うに稽古に励む立ち振る舞い、
出自が顔を出すヤクザな一面、
血の強さに悩む中、好意を寄せた女の子に、そうだこの子の家系を狙えと閃くじわりとした目。
俊坊の横浜流星は、
育ちの良さから素直だが、打たれ弱く、兄弟同然な喜久雄を慕う花江の包容力を借り、奪う形で結婚した上に跡取り息子までいることで、血筋を頼り歌舞伎役者に復帰するぼんぼん街道が喜久雄を傷付ける。
父半二郎の代役をし襲名までしたのは、
血の繋がらない喜久雄。
喜久雄は夢にまで見た出自をこれで手に入れたかに思われたが、跡取り息子と花江を携えて、戻った俊坊半弥。
母親は息子が戻れば孫が可愛く、喜久雄こと東一郎は一度は花井の屋根を後にするが、
他の歌舞伎名門の娘、彰子を手玉に取ることで他所の名門の家に転がり込もうと思うが失敗、
踊りの才だけを持って彰子とどさ回り営業活動をしていた。しかし重鎮万菊が死を前に喜久雄を呼び出し、
歌舞伎の表舞台に17年前と同じ、
俊坊と喜久雄、
半弥と半二郎の女方共演として戻る。
これで確執は終わるかに思え、これからと言う時に、
半弥の足は父と同じ糖尿病により壊死が進み、
片脚切断、義足の役者となる。
今や半弥の息子に稽古も行う半二郎だったが、
半弥の最期はすぐそこに見えていた。
半弥と半二郎でもう一度、曽根崎心中でお初と徳兵衛のタッグを組み、足がギリギリ動く最期の公演を行う。
半弥亡き18年後、半二郎は人間国宝に選出されていた。
長崎の産みの両親との別れ、
恩を忘れずお礼に蛇ネズミを取ってくる習性のミミヅクを自身の将来に重ねて彫った背中の大ミミヅク、
親の仇をヤクザの道で取らず、芸で取れと家に入れてくれた半二郎、
その息子俊介との稽古と友情、
長崎から追って来て陰で役者として支えると言いながら、血筋のある俊介を選んだ花江とその息子、
歌舞伎役者人生のために側に置かなかった、
京都から慕う芸妓藤駒とその隠し子となる娘彩乃、
俊坊に遠慮もありながら血筋への安心求めて襲名した半二郎とそれに対する世間の誤解と推測、
出戻った半弥に伴い排他され、
彰子を使おうとし失敗した卑怯にしっぺ返しをくらった惨めなどさ回り、
万菊と半弥に呼ばれ、戻って飾った半二郎の半生。
全てを芸の肥やしにし、
京都の明神様で悪魔と取引した
「誰よりも芸が上手くなる代わりに他に何もいりません」
を貫いて得た人間国宝。
そこに人々は様々な見方をするが、
芸妓の娘、彩乃はカメラマンに成長。
父半二郎の活躍を、舞台でも、ファインダー越しにも、しっかりと見つめていた。
国宝に至るまでの、運命と半生と犠牲と精神の徹底性全てが詰まった半二郎の人生。
反社の組のトップの父の仇を、
果たして芸で獲れたのか?
でも、追い続けた景色、
闇にキラキラとした雪か紙片か輝きか。
その景色に喜久雄は辿り着くことができた。
舞台の幕が降りた後、
何度も何度も感じた、血筋者でない孤独を、
その景色に辿り着いた今は感じず、
孤高の輝きを放つ人間国宝になっていた。
花井家の血を引く息子は花江の血も引く半弥が遺し、
十八番を継ぐ芸は半二郎が遺し跡取りに指導する。
一代かけて、
血と芸半々ずつ遺した2人は結局半々コンビの表裏一体2人で一代を世襲したことになる。
次の代は女方ではない勝負。
果たしてどうなるのか。
この作品を作り上げた、
全てに妥協しない俳優陣に圧倒された。
見事に儚くしなやかな切ない女役を生きる横浜流星。
狂気と熱情を秘めた女役と、そこまで惚れられる男役両方に芸と容姿両方で生きる吉沢亮。
圧巻としか思えない。
横浜流星がよく言う、役を生きる、が歌舞伎を通してまで伝わるほどの、結果の伴う血が滲む徹底的努力を、若い俳優2人ともが同水準に行い、2人から射抜くように放たれる気迫。
画面越しにくらい、何日経っても余韻が残る。
しかも、2人ともが同じ場所で育ちながら異なる人生と人物像を対比させ、演技のみならず頂点の歌舞伎としても仕上げて見せる。
同じ3時間半使うなら愛に生きたタイタニックより、
孤高の喜久雄と花井家に捧げて人生叩き直された気分に浸りたい。
ものすごい邦画なのに、これを撮り残してくれたのはルーツが韓国の監督さんなのか。
日本人が日本文化をここまで撮れなかったもどかしさも感じつつ、本作も出演俳優もそれを指導した歌舞伎文化の継承者達も全て国宝と感じる。
実際より軽いとは思うが、世襲の必然性もしがらみも、わかりやすく映像で見せてくる。
嫁いだ女の歌舞伎理解や稽古の下支えに挨拶参り。鷺娘程に惚れ込んでいなければ、まず無理務まらない。
長崎の頃から喜久雄に寄り添い大阪に追って出てきて、ホステスをしながらも支えてきた筋の通った花江だからこそ務まる役目。半弥と結婚し半二郎を同じ家の者として支え、跡取りまで遺すとことんな女性である。入れ墨入れるだけある。それでも半弥の脚が危ない時に正気を失う花江から、心も半弥にあるとわかり、既に折り合いのついた年齢とはいえ半二郎は寂しかっただろうな。同じ寂しさを京都の藤駒も感じながら彩乃を育てていたわけだが。
彰子もまた、自分は好きだが半二郎からの愛はないと悟りながらも惚れた弱み、半二郎の地方回りを文字通り荷物を抱え行脚してでも支えてくれた。
歌舞伎世襲の、極めないと演目が成り立たず、日本の文化産業としての興行にヒビを入れ後世に借金を残しご贔屓様に顔向できない、正気で生きていられないような重圧を見て育つ女達。男より強いのではないか?
喜久雄のような部屋子達も、出自が異なるという意味では嫁いでくる女達と同じである。
稽古を惜しまない俳優達に務まるのなら、世襲でなくとも芸は務まる気がするが、それを一生の生業とせざるを得ないとなるとまた話は異なる。
大抵の人間は一生はちょっとと思う中で、せざるを得ない世襲の息子、半弥や海老蔵のような存在にはまた、共感や理解が深まるのではないか?反動で激しく飲み遊び女遊びの愚行に走っても、仕方ないとも思える重圧。
珍しく生い立ちに恵まれている側を横浜流星が演じているが、べらぼうとは全く異なるちょっと気弱な女方。
でも、鷺娘の絵を遺した春信先生とべらぼうでは話している。大河でまさかの、お初の徳兵衛なんて台詞も飛び出していた。横浜流星の江戸時代日本への理解は深く厚いものになっていそうだ。
吉沢亮の彰子に目を付けた瞬間の眼差しが忘れられない。こんなすごい作品を見て吉沢亮への印象はすっかり変わりつつあるが、当初吉沢亮に感じていた印象はまさしく闇落ち側面でじわりと彰子を見つめたこの目の印象そのものだった。
横浜流星の方が一見繊細そうで、吉沢亮の方が精神的に追い詰められやすそうな一面を感じる。
残った脚にも壊死が進むが演じ続ける半弥と中の人横浜流星も、
血に勝る芸を求め続ける半次郎の中の人吉沢亮も、
歌舞伎ブラックスワン。
半弥が出て行った8年間と、
半弥が死に国宝選出までの18年間を、
寂しそうだなぁこの間修行に励み続ける孤独はいかばかりかと、国宝選出インタビューの場面を見ながら感じていた。身寄りがない中、同級生で仲良くできる稽古仲間に出会えた奇跡を、血筋のある俊坊を羨ましい時もありつつ、ずっと心強く喜久雄は感じていただろう。半二郎もまた、息子を想う気持ちも勿論あるが、分け隔てなく育ててくれた。
半二郎が遺した功績は、歌舞伎界に2人の継承者を仲良く遺した事に尽きる。
だからこそ半弥も半ニ郎も支え合って、捻じ曲がり切らずに育つことができた。
彰子は気の毒に尽きる。
下手な言葉で語れない作品
うまい言葉が見つからない
下手な言葉を並べられない
それだけ役者たちが全てを注いだ作品だったことはすごく伝わった作品だった
歌舞伎の世界は全く知らない
だけど世襲が継いでいくだろうというなんとなくの知識はある
息子でよかったねと言われる世界であることも
喜久雄が歌舞伎の世界に引き取られた時からずっと心臓が痛かった
代役に選ばれた時もサスペンスでもないのにどこかで崩れる瞬間を想像して苦しくなった
終わるまでずっと
俊介の子どもが息子だったこともまた心が抉られた
立場が逆転するとそう思った
だけど想像と違ったこととしたら俊介は喜久雄の才能を認めていた
悔しいくらいに
喜久雄は努力ももちろんだけれど最期に二人でまた舞台に立てたのは俊介が喜久雄を認めていること、これは大きかったのだろうと思う
結局最後のところは才能で上がれといえど
後ろ盾はなくてはならないものだったのだろう
1人、また1人、
関わってきた人たちの最期を見届ける喜久雄
その姿をみて失礼ながら私の気持ちも1つまた1つ解放させられるかのようだった
それだけ歌舞伎の世界は重い重圧の中守りきらねばならぬ屋号と才能が渦巻いているのだろう
俳優陣1人ひとり光っている人たちばかりだった
今をときめくとかそんなキャスティングじゃない本気のキャスティングをみた
特にこの映画に出演すると決めた吉沢亮さん、横浜流星さんは並々ならぬ覚悟だっただろう
正直なことを言うと彼のストイックさも理解した上で横浜流星さんにこの役は重いのではとも思った
だけどそんなことはなかった、私が彼の限界を見誤っていた
吉沢亮さんは、吉沢亮さんの光で
横浜流星さんは、横浜流星さんの光で
この舞台に立っていた
ご本人のお姿がかっこいいだけではここに立てていない二人の人生をかけた姿だった
カタチ違えど彼らもまた憑依していたように思う
本当に美しかった
そして田中泯さん
彼の何かを見透かすような目に鳥肌がたった
(本当に無知で最初歌舞伎の方だと思っていた)
言葉に凄みがあり説得力があった
どの登場場面も振り返れるほどにあの短時間で記憶に残った人だった
黒川想矢さん
怪物は観ていないけれど前半は確実に彼しか見えなかった
呼吸を忘れるくらい見入ってしまった
幼さと色気が混じる不思議な方だと感じました
(調べたら実写推しの子の少年カミキヒカルも演じていたのですね)
これからの作品も楽しみ
とにかく濃い3時間だった
ミミズクの意味
喜久雄が「他に何も要らないから日本一の歌舞伎役者になりたい。」と悪魔と取り引きした事を娘にまで言ってしまったのは、歌舞伎の世界での確固たる地位と居場所が欲しかったからなのではないだろうか。それ位、歌舞伎界のしきたりが厳しい事を亡くなった師匠である半二郎からも聞かされていたから。
何一つ約束されたものは無かったけれど、生まれ持った才能と実の父の見事な死に様、そして半二郎への恩、切磋琢磨して互いに成長して来た俊介への思い、自ら望んだかの様に背負い、全ての苦難を乗り越えた喜久雄が手にしたものは、皮肉にも自らを犠牲にしても喜久雄を支え続けてくれると言う、無償の愛を貫いた女達を演じた様な「女方」によるものだった。
人間国宝となった際にカメラマンになった娘からの質問に「忘れた事はないよ・・・」と自分の名前を言ってくれた。日本一の役者になった父にそう言われ、綾乃にはまるでお正月でも来たかの様な嬉しい瞬間だったのでは。
最後にアナウンサーの順風満帆と言う言葉にも感謝の気持ちを表せる位、心は満ち足りたものだったけれど、父が最後に残した雪が静かに降るあの美しい景色は未だ見れてない事を言った様に思えた。
デコピン✕2回は無かった
ストーリーは、ほぼ想定内ではあった
しかし劇中劇である歌舞伎の「二人藤娘」、「二人道成寺」「曽根崎心中」は各2回、「鷺娘」等の演目を演じる二人の血の滲むような努力の跡と、歌舞伎の古くからの伝統に呑み込まれていく名家の跡取り息子(横浜流星)と、部屋子(吉沢亮)の運命の変遷に、3時間がちっとも長く感じなかった
歌舞伎を演じる方に言わせると、二人の演技はまだまだ本物には遠く及ばないようですが、ここを切っ掛けに歌舞伎の世界に興味をもってくだされば…とのことでした
【ちょっとネタバレ】
艶やかで艶のある女形の喜久雄の演技姿に惚れて、楽屋までやってきた男が、楽屋での素の喜久雄を見てキレるシーン。喜久雄が穏やかでゆったりとした女形の舞姿をかなぐり捨てて、一気に沸騰した怒りをぶちまけるのですが、「東京リベンジャーズ」等で演じた吉沢亮の本領発揮とも言えるドスの効いた素早い立ち回りとのギャップが好対照で、これはこれで良かった(笑)
②一番好きなシーンは、このレビュータイトルでもある本番前の二人のデコピン。撮影順番は異なるかもしれませんが、互いに緊張MAXでガチガチになってるところを、励まし合うシーン
二人の関係がよくある互いを蹴落とすライバルではなく、共に乗り越えていこうとする関係性を築いていて、それが本作を貫く柱になっている
【蛇足】
高畑充希の役回りと、森七菜ちゃんのキャラクターの扱いは酷かったなぁ…
邦画版ゴットファーザーと言える、重厚で豊かな大河ドラマ
最近の似たり寄ったりの、ラノベっぽい、タイムなんちゃらがらみの、安いアイドル主演の映画とははっきりと一線を画した力作です。ツッコミどころは多少あるし、少し長いけど、文句より、近年にない、本気の映画作りに心打たれます。そして、低予算とか、ワンカメとか、ワンカット、とか、無名の役者とか、本来、映画のクオリティと関係ない宣伝文句が踊る中、ゴットファーザーばりの、セット、カメラワーク、心情描写、を邦画でもやれるんだと嬉しくなりました。いちいちセリフで説明なんかしない。いちいち各章の結末をアホみたいに描いたりしない。とにかく、グダグダ言わず映画館でみてから話しましょう。薄っぺらいSNS的愚痴ではなく、豊かな映画談義ができる傑作です。
何かに抜きん出た人はきっと孤独なんだろうな
『さらば、わが愛 覇王別姫』を思い出した。
まちがいなく世界の記憶に残る作品のひとつに成った!
身も心もボロボロになった喜久雄が屋上で踊る姿が
一番美しいと感じた人はわたしだけではないはず。
手元や足捌きなどの所作をはじめ、目の表情を抜いてるカメラワークが素晴らしい◎海外のカメラマンだからこそなのかな?そして抗争シーン、キルビルっぽいと思ったら同じ美術監督!しかも種田陽平さんやったとは!!
役者もスタッフも揃うべき人たちが揃っての作品👏そして日本の伝統芸能を扱った作品を在日の方が監督したというところにとても意味を感じます。
感情がダイレクトに伝わってきて、言葉にするより心が震えた。是が非でも大画面で観て、感じてほしい作品です。
敷居が高いと遠慮していた歌舞伎。
京都南座へ行ってみたいな!
孤高の美
美しい映画
演出、音楽、センスがいい
やっぱり韓国ですね
日本ではここまで美しさと余韻を引きだせなかったと思います
演技が上手いとはいえ一般人の吉沢亮さんと横浜流星さんがここまでできるならもう○○屋に生まれたかどうかなんて無関係
久しぶりにお金も政治も陰謀も法律もない、純粋に美しいものを見ました。
言葉というものが陳腐に思えるほどの。
言葉で説明しきらない代わりに、休符に物を言わせてる映画で、それがまたいい
採光が薄暗い昭和のお部屋、吉沢さんの肌に刺青が悔しいくらい美しい…彼の背負ってきたもの。ただ静かにそこにある刺青の表情はとても雄弁だった。
カメラワークも最高で、見るものを吸い込むような凄みのある、それこそ悪魔のような美しさがあった。
この世にはこんなにも圧倒的な美があるのに
同時に浮世はなんで金勘定がついて回るんでしょうね。家に帰ったら税金の計算があってため息が出た。あー、日常生活に戻りたくないよう(´;ω;`)
確定申告も料理もわずらわしい。
生活のことなんかなるべく考えたくない。
レスリー・チャンの「さらば我が愛」を彷彿とさせる
大河ドラマのような超大作。歌舞伎の演目パートに時間を割かれており賛否両論あるようだ。詳しくない人にも歌舞伎の魅力が伝わって良かったと思う。演出、キャスト、ストーリーどれも秀逸。妖艶な女形を演じられたのは吉沢悠と横浜流星のビジュアルがあってこそ。田中泯演じる人間国宝も貫禄がヤバい。愛人の見上愛、梨園の妻になる高畑充希、幸薄そうでよい。渡辺謙と寺島しのぶはもう役そのもの。3時間なのに集中力途切れず、気がついたらなぜか泣いてた。李相日監督×吉田修一は裏切らない。絶対に映画館で見るべき作品で間違いなし!
凄み。
俳優陣の頑張りに刺激を受ける
映画館で観るべき映画「国宝」
歌舞伎の新たな見方を教えられました
あまりの出来事に何が起こったのか……
歌舞伎という知らない世界
横浜流星さんが好きで見た。
歌舞伎かあ...全然知らない世界なんだよな、しかも3時間ぐらいあるの?途中眠くならないかな?と心配したけどそれは杞憂だった。
生い立ち境遇も違う2人の人生と運命に
目が離せず引き込まれた。
歌舞伎のシーンは圧巻。吉沢亮と横浜流星すごい!
....語彙力のなさが悔しい。
この映画は映画館で観るべし!
それほどすごい映画だった。
無理を乗り越える芸の道
歌舞伎という、時代も価値観も現代と異なる江戸時代の話で現代の観客を感動させて美に酔わせるとか・・・
男が女を演じる、また老いた者も年若い女性の役を演じるとか・・・
そんな虚構で人を酔わせるという「無理」なことを現実のものとして叶えるために、歌舞伎役者は芸を磨く。年少の頃から芸の道に生きることを余儀なくされ、日夜休みなく厳しい稽古にあけくれる
そんな苛酷な芸の道、全てを捨てて芸に生きる・・・、それもあって吉沢亮演じる喜久雄は順調に興行もかかり、襲名もしたが、風向きが変わり、役もつかなくなりさらには歌舞伎界を離れ、うらぶれた旅館の舞台のどさ回りまで落魄れる。努力したから、芸に打ち込んだからといって芸の神様いや悪魔?から愛されるとは限らない
いま流行りの仕事とプライベートのバランスを取る、いわゆるワークライフバランスと対極の世界。ワーク(芸術作品)のために自分の人生も周りの者たちの幸せも全て捨てて打ち込む、それが芸の世界なのだ。芸の偉大さの前に人間の人生や幸せなど小さすぎるものなのだ
この映画の上映された2時間50分、その苛烈さを味わい続けた時間だった。
歌舞伎界の出身でもない吉沢亮と横浜流星、その2人に歌舞伎役者としての踊りや所作が違和感なく感動させる、それがこの映画の最大の「無理」で、それを役作りした2人こそ苛烈な芸の世界の犠牲者であり成功者だったのかもしれない
邦画産業の到達点として
どこがどこまで!
これは映画なのでお芝居です、が!
どこまでがお芝居でどこまでが本気なのか最後まで困惑させられました。
お芝居、演技なんだけど演舞のシーンはまるで本物のドキュメンタリーみたいで3時間という長時間があっという間の作品でした
私は歌舞伎の世界は全く知りません
世襲だとか厳しい稽古とか全然わかりませんがこの作品を見た後で僅かながらに垣間見れたのかなと感じました
世襲のため、血の結束というか幼い頃から稽古に明け暮れてその世界に染められていく
部外者が入ればまたそれはそれで大変な世界…
どんな世界も色々ありますが歌舞伎の世界は想像以上の厳しさなのですね
私だけかもしれませんが離れた娘に忘れたことはないと名前を告げるシーンは涙が止まらなくなりました
人間国宝になろうともこれまで生きてきた証は変わらない
私も恥ずかしくない人生を全うしたいと思います
映画の醍醐味
…長い…
原作は未読なので、原作を読まれた方の感想を聞くと「よく3時間でまとめた」というのですが、たしかに、歌舞伎の演目をダイジェスト風とは言え盛り込んできているので、さらには「曽根崎心中」でも「二人道明寺」でも物語のキーとして使われているので、それらの演目を外すわけにもいかずなのはわかりますが、3時間は長い。
言ってしまえば、濡れ場シーンはいりますか?(あわせても10分にも満たないシーンですが)
テンポが悪いわけでもないし、観ていて時間が気になるかと言われるとそうでもありませんが、個人的にも濡れ場シーンがいらないかも~って思えるくらいで、でもそこも、人間関係だったり心情だったりを見せる箇所でもあったので不要は言い切れないと思います。
内容は、すごいと思います。芸事への凄まじい想い、対比しておかれている二人の若手歌舞伎役者の、それこそ人生は浮き沈みとはよく言ったものだ、思わせるモノでした。
それを描くために3時間は必要です、と言われてしまうと、そうですかぁ、と詫びるしかありません。
この「国宝」を観に行こうと思ったのも、亡き伯母や亡き母たちが芸事が好きで、少なからずその影響があったとは思います。歌舞伎の演目も、その意図も、「なるほど、だから『曽根崎心中』なのか」「だから『二人道明寺』なのね」と薄く感じ取れることもできました。
DVD、Blu-ray化の際は、特典として、吉沢亮と 横浜流星の演じた歌舞伎「二人道明寺」を見せてほしいなぁって思います。
戦前にあった芸道映画を思い起こさせる。
邦画「残菊物語」を観たことをある人はどれくらいいるのだろうか。現在、放送されている放送大学の「映画芸術への招待」で、芸道映画というジャンルがあることを初めて知った。その流れの作品である。
歌舞伎役者の家に生まれた人間と、そうでない家ながら歌舞伎役者の才能に恵まれた人間との対比の物語だ。この対比からストーリーはだいたい予想できるだろう。主人公2人は短期間で歌舞伎の踊り、所作、せりふ廻し等を練習したと思う。が、人気俳優(共にNHK大河ドラマの主役)だけあって充分な時間を取れなかったのでないか。しかし、一応は様になっていた。
原作を読んでいないので、迂闊なことは言えないが、映画は原作に忠実なのだろう。だから、上映時間が3時間に近い大作となった。推測だけど、原作者は物語を面白くする為に、話を捏ねってしまっているのでないか(ヤクザ・入れ墨・口上挨拶での吐血・娘との再会等)と感じた。あと30分位は切れるはずだ。
私が感心したのは、映画音楽を担当した人。弦楽を主体にした付随音楽で、上手いなと感心した。
但し、エンドロールに流れる主題歌は今ひとつの出来。
全2138件中、561~580件目を表示
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