国宝のレビュー・感想・評価
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【”積恋雪関扉、二人道成寺。そして曽根崎心中、鷺娘。”任侠一家に生まれながら歌舞伎に魅了された男と名門の家に生まれた男の歌舞伎と心中した如き人生を描いた作品。吉沢亮さんの女形の舞は壮絶な美しさです。】
■任侠一家に生まれた喜久雄(長じてからは、吉沢亮)は組長の父(永瀬正敏)を、正月の宴で自分が”関の扉(積恋雪扉)”を舞った後に、討ち入りで射殺される。
その後、上方歌舞伎の名門の当主、花井半二郎(渡辺謙)の部屋弟子になり、歌舞伎役者の道を歩み出す。半二郎の鬼の様な指導の元、喜久雄と半二郎の息子、俊介(長じてからは、横浜流星)と芸を磨く日々。
喜久雄は東一郎を襲名し、俊介は半弥を襲名し、女形コンビで”二人道成寺”で人気を博す。だが、半二郎は糖尿病の悪化で襲名披露の際に吐血し、入院。半二郎が代役に息子半弥ではなく、東一郎を指名した事から、半二郎の妻(寺島しのぶ)の怒りは炸裂し、喜久雄と俊介の関係もこじれて行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、2時間55分のマアマア長尺な作品だが、二人の男と複数の女達の30年の関係性を描いているために、脳内フル回転で観たためか、体感2時間であったし、結構疲れた。
疲れた理由は、喜久雄と俊介に絡む女性が複数居て、描き方が少し粗い気がしたからである。
■だが、俊介を演じた横浜流星と、特に喜久雄を演じた吉沢亮の白粉を首筋から上に刷毛で塗した女形の所作と舞は見応え充分であり、且つ二人の毀誉褒貶の人生の描き方が凄く、魅入られたのである。
更に言えば、二人の毀誉褒貶の人生の節目節目に、”積恋雪関扉”、”二人道成寺”、”曽根崎心中”、”鷺娘”といった歌舞伎の有名な演目が、彼らの人生を表したかの如く嵌められている、作品構成の秀逸さも、凄いのである。
俊介は名門の跡継ぎながら喜久雄の芸には劣るが故に(と言っても、今作でも頻繁に舞台になる京都の南座で数度歌舞伎を見ただけの素人には、違い分からず・・。)喜久雄の晴れ姿を観た俊介は長きに亘り姿を消し、喜久雄も又、舞妓(三上愛)との関係や、他の一門の統領の娘(森七菜)と良い仲になった事と、背中に彫った刺青が暴露されたスキャンダルにより、歌舞伎の表舞台から姿を消し、ドサ回りの日々を送るのである。
■花井半二郎の死により歌舞伎界に戻った俊介は、再び花形になり、喜久雄はヒラの役者として、歌舞伎界に戻るのである。
俊介は父と同じく、糖尿病のために片足を失い、残った一本の足と義足で”曽根崎心中”で再び共演するシーンは凄い。俊介の残った片足の足先も壊疽しつつある中、”お初”を演じる、その足先を全身で支える喜久雄の姿・・。
・劇中、二度出演する人間国宝の女形を演じた田中泯さんの演技は凄かった。一度目は人間国宝として堂々たる女形の声音と所作が、二度目は零落れてボロイアパートで煎餅布団に横たわりながらも”ここは、綺麗なモノが無いでしょう。だから、ホッとするのよ・・。”と呟く姿は、今作の陰のMVPだと思ったな。人間国宝の称号の光と影を表した人物だと思ったな。
・そして、喜久雄と俊介が出会って30年が経ち、俊介はもういない。
喜久雄は人間国宝に史上最短で成り、その記念の舞を披露をする前に彼の写真を撮る女性カメラマン(瀧内公美)。彼女は、喜久雄が若い頃に慕って来た舞妓の娘であり”貴方は、悪魔だわ。周囲の数々の人達を足場にしてのし上がって・・。けれども、貴方の舞には引き込まれるのよ・・。”と呟き、涙を流すのである。
<人間国宝になった喜久雄こと、東一郎は再び舞台下の”奈落”から華やかな舞台にせりあがり、紙吹雪の舞う中、一人”鷺娘”を舞い、亡き父と同じように雪の中で静に横になり、息絶えるのである。
今作は、任侠一家に生まれながら歌舞伎に魅了された男と名門の家に生まれた息子の、歌舞伎と心中した如き人生を描いた作品なのである。>
■付記
多くの作品で、歌舞伎をテーマにした秀でた耽美的世界を描き、私に届けてくれた故赤江獏さんに感謝いたします。
■付記<2025年7月6日 追記>
今作鑑賞後、複数の映画を鑑賞して矢張り作品のレベルが、突出しているなと思ったので、得点を4.0から4.5に修正させて頂きます。悪しからず。
吉沢亮・・・天性の歌舞伎の女形
藤娘の扮装をした吉沢亮のあまりの美しさと日本舞踊の上手さ。
16歳時には仮面ライダーだったのに、その変身(ヘンシーン)が、
歌舞伎の役者で、しかも大成功の変身でした。
吉沢亮の、
女形の声音の美しさ、張りは10年鍛錬した本物の歌舞伎の女形を
軽々と超えて見えます。
(恥ずかしながら、銀座の歌舞伎座にはたつたの一回行きました。
(滞在は6時間ですから、全くの素人ですが、
(たまにテレビの中継を見るる程度です)
でもですが、吉沢亮さんの、なりきり振り、その上手さは素人目に
完璧に見えます。
3時間の上映時間もまったく緩みがなくて、あれよあれよの瞬く間。
喜久雄(15歳は黒川想矢)が、藤娘を新年会の余興で踊るのを
見ていたのが、歌舞伎の大御所・花井半二郎(渡辺謙)。
半二郎は一目で喜久雄の日舞に圧倒されるのですが、
ヤクザが押し入ってきて、父親(任侠の親分=永瀬正敏)は、
その場で殺されてしまうのです。
そして一年後。
半二郎に引き取られて実子の御曹司の俊介(横浜流星)と、相弟子のように
半二郎の厳しい稽古を受ける事に。
めきめき力をつける喜久雄。
運悪く半二郎が交通事故で大怪我をします。
その代役に半二郎が指名したのは、なんと喜久雄だったのです。
そして30歳の時、3代目花井半二郎の襲名をしたのは、
実子の俊介ではなくて、喜久雄だったのです。
(ここに因縁の喜久雄と俊介の確執が生まれるのです)
★★一説には喜久雄のモデルは坂東玉三郎、ではないか?
とも言われていますが、もちろんフィクションで、原作者の
吉田修一さんが、
「歌舞伎役者で人間国宝」に上り詰める
血筋のない人物・・・というコンセプトのもとに
描かれた小説と推測します。
近年、片岡愛之助さんは実家が工場だと聞きますし、香川照之も
離婚して女優の母に育てられ40歳過ぎから実の父親の
超有名歌舞伎役者に弟子入り歌舞伎界に入られています。
中村獅童なども実の父親が歌舞伎役者を嫌い廃業したので、
正統的な世襲とは言えないかもしれません。
歌舞伎役者が、ミュージカルに出る、
アニメの声優をする、映画では異彩を放ち、
演劇(芝居)に出る・・・などなどクロスオーバーの活躍が目立ちます。
音羽屋(尾上菊五郎など)の娘である寺島しのぶは、
渡辺謙の女房役を演じていますが、
近年、女性ですが、歌舞伎座に出演しています。
新しい波は確実に押し寄せていますね。
父親・半二郎の代役を立派に務め上げる喜久雄の凄さに、
ショックを受けた俊介は、そのまま舞台の座席から去り、
姿を隠してしまいます。後を追う喜久雄の恋人の春江の姿が。
しかし父・半二郎の死後、俊介も歌舞伎の世界に戻ってくるのです。
横浜流星も良いです。
ちょっと驚くようなショッキングな見せ場があり、歌舞伎役者に
適正の薄いようでやる気のない俊介も、晩年で
凄い執着心を見せてくれます。
横浜流星もさすがの花形役者!!
「曽根崎心中」のお初は鬼気迫る圧巻の演技でした。
ファンを楽しませてくれます。
芸を極める、
(私生活を犠牲にしても、
(悪魔に魂を売っても、
などの台詞が出てきますが、
凡人には見ることのできない景色を見る喜久雄は
人間国宝という頂きに上り詰めた
稀有の天才、
努力の人でした。
一芸を極めた人は、やはり感動的で
ラストは込み上げるものがありました。
雪吹雪のなか「鷺娘」を舞う喜久雄の姿は
芸に生きる喜びとつよさに溢れていました。
なんかすごいもん観た!
予告から重厚な人間ドラマを期待して、公開2日目に鑑賞してきました。内容的に若者受けはしないかと思っていましたが、出演俳優の人気もあってか、年齢層は広めで客入りも悪くなかったです。
ストーリーは、極道の家系に生まれ、抗争で父を亡くし、15歳にして天涯孤独となってしまった喜久雄が、その才を見抜いて引き取った上方歌舞伎の名門・花井半二郎のもとで、半二郎の跡取り息子・俊介と兄弟のように共に修行に励み、実力をつける中、半二郎が事故で舞台に立てなくなり、その代役に俊介ではなく喜久雄を指名したことから、二人の運命が大きく動き出すというもの。
鑑賞後、「なんかすごいもん観た!」という言葉にならない感動に襲われました。一人の男の人生に伴走したような、何かをやり遂げたような達成感を得られる稀有な映画体験です。
これまで歌舞伎には全く興味がなく、もちろん観たこともなく、その魅力も、演技の良し悪しもまるでわかりません。それなのに、何度も描かれる舞台シーンではことごとく熱いものが込み上げてきて、わけもわからず涙が流れます。歌舞伎に魅せられ、その道を極めることに取り憑かれ、魂を捧げた男たちの壮絶な人生がそこにあったからでしょうか。
当初は明確な立場の差があり、それを自覚していた喜久雄と俊介の二人が、父の事故により代役が必要になったことから、運命の歯車が大きく、しかも予想外の方向に回り出します。それを複雑な思いを抱きながらも受け入れる二人の姿に、厳しいプロの世界でしのぎを削る生きざまを見る思いがします。
しかし、芸の技量と同等かそれ以上に血筋を重んじるこの世界では、後ろ盾のない喜久雄の未来は必ずしも明るくはありません。一方で、花井家跡取りの座を追われながらも芸から離れられなかった俊介。彼が再度脚光を浴び、かつての二人の立場が完全に逆転する構図に背筋がゾクゾクします。
そして、これが単なる跡目相続という小さな枠に収まらず、芸を極める役者の真髄へと昇華していくような展開が、とてつもない力で観客を引き込みます。紆余曲折を経て再び演じられる、二人藤娘、二人道成寺には、以前とは別の熱量を感じて再び涙腺を刺激されます。そして、圧巻の曽根崎心中。おそらく右脚までも病に冒され、死を覚悟した俊介の最期の舞台だったのでしょう。それを承知した上で演じ切る二人の姿に涙が止まりません。役者であることとの心中を本望とした俊介の思いが、演目と重なり、観るものの心を激しく揺さぶります。
終盤は、大人になった娘と喜久雄の突然の邂逅。わずかなシーンではありますが、芸の道を極めた表の顔と、そのために全てを犠牲にした裏の顔を知る、実の娘ならではの思いが滲み、実に印象的です。瀧内公美さんの渾身の演技が光る素敵なシーンです。
そして、ラストの鷺娘。誰も見たことのない景色を追い求め続けた喜久雄の生きざまを彷彿とさせる、万感の終幕。その景色は頂点を極めた者にしか観ることのできないものだったのでしょう。そして、それを目にすることは、この先二度と逃れることのできない地獄の始まりを意味しているのかもしれません。「国宝」の認定が取り消されることは生涯ないのですから。
主演は吉沢亮さん、共演は横浜流星さんで、お二人とも熱演という言葉ではとても言い表せないほどの演技を魅せています。歌舞伎の所作そのものが極めて重要な作品なだけに、お二人のプレッシャーや稽古は相当なものだったと推察されますが、見事にその大役を果たしていると感じます。脇を固めるのは、渡辺謙さん、寺島しのぶさん、田中泯さん、永瀬正敏さん、高畑充希さん、森七菜さん、見上愛さん、黒川想矢くんら。
歌舞伎への深い愛を感じる力作。一方で描くべき内容が多すぎるのか予備知識が少ないと感情移入しにくい面が課題か。
本作は歌舞伎の演技シーンを中心に強いこだわりを持って描かれている力作なのは間違いないでしょう。
役者たちの演技も文句なしに素晴らしく、その熱演は見る者を惹きつけます。
ただ、歌舞伎や原作小説の予備知識があるかないかにより、かなり見え方が変わるでしょう。
歌舞伎の知識が乏しかったり、原作未読の状態で見ると、「時」の経過に伴う場面などが断片的に見えてしまったり、状況をつかみきれず感情移入しにくい面があるのです。
結果的に175分を使いながらも、一見さんかそうでないかによって印象に差が出やすい構造になっていて、前者の視点からは課題を感じる作品でした。
歌舞伎界に生きた男達の波乱万丈・栄枯盛衰…アカデミー賞・最有力候補作品
日本の伝統芸能である、歌舞伎の世界を半世紀にも渡って駆け抜けた男達を題材にした、吉田修一原作の映画実写化。これまでに2度ほど、自分も歌舞伎鑑賞をしたことがあるが、その時は、それほど感慨にふける程ではなかった。しかし、本作を通して、歌舞伎の現代に通じる芸術演劇として迫力や美しさ、そして醍醐味…、一方でその裏にある、稽古の厳しさや世襲への蟠り等、自分の知らなかった、歌舞伎の世界観に魅了された。
3時間にも及ぶ長時間上映だったが、全くその時間を感じさせなかった。それは、主人公・喜久雄(花井東一郎)とライバル・俊介(花井半弥)の運命が、二転三転する中で、それぞれが、歌舞伎役者としての誇りと名誉、命を賭けて立ち居振舞う姿にある。特に、クライマックスの『娘道成寺』と『鷺娘』の舞う姿は、映画を観ている事を忘れるほどの臨場感と共に、感激と感動によって胸を熱くなり、何筋もの熱いモノが頬を伝ってきた。
喜久雄と俊介のライバル2人が、幼い時から厳しい稽古の中を、切磋琢磨して芽生えてきた友情と信頼。一方で、真っ当な血筋の上に成り立つ歌舞伎界の世襲に置かれた者と、外道の血筋だが、芸の実力を兼ね備えた者。その両者が世間からの板挟みの中で、ライバルとして苦悩し、底辺に堕ちた所から這い上ってくる、ヒューマンタッチのドラマとしての面白さもある。その2人の役者人生が、『曽根崎信重』『鷺娘』『娘道成寺』の歌舞伎演目の内容とリンクして、より物語を感動深いものにしていた。
そして何より、本作の素晴らしさは、今や日本を代表する若きムービースターである、喜久雄(花井東一郎)を演じた吉沢亮と俊介(花井半弥)を演じた横浜流星の2人の演技にある。主役の吉沢亮は、「これまでの役者人生の集大成の演技であった」と語ってるように、難しいとされる歌舞伎に挑戦し、女形の発声から所作、そして演舞と、素人目には、長年、歌舞伎の世界で生きてきた役者の様に、観る者の胸を熱くする素晴らしい演技を見せてくれた。吉沢と横浜は、この作品完成まで、かなりハードな稽古を乗り越えて、役者としての魂と情熱を注ぎ込んできたことが覗えた。
脇を固める出演者も、半弥の父であり芸の師匠である花井半二郎には渡辺謙、その妻には、正に公私ともにも適役の寺島しのぶ、東一郎の幼馴染で、半弥の妻となった女には、高畑充希、そして、老齢の先輩・万菊には田中冺が演じ、この田中が漏らす女形の一言一言が、とても重みのある意味ある言葉となって、心に染み渡っていく。
少し早くはあるが、作品内容や役者達の演技からも、そして、伝統芸能である歌舞伎をもちーにした点においても、来年の『日本アカデミー賞』の作品賞、男優賞、助演男優賞の最有力候補作品だと思う。歌舞伎を知らなくても、感動を味わいたい方は、是非、ご覧ください。
血筋と才能に翻弄される歌舞伎役者の生き様
鑑賞中、思わず腕組みをしてしまった。高評価とは異なる印象に違和感を覚え、“どんな作品にも良いところがある”という視点に戻って鑑賞を続けた。
本作は、歌舞伎役者の波乱万丈の半生を描いた話題作である。淡々として静かな大人味の作風を貫いている。歌舞伎のシーンが絢爛豪華であり監督の歌舞伎に対する畏敬の念が伝わってくる。
本作の主人公は裏社会に関わる父を持つ立花喜久雄(吉沢亮)。父が亡くなって、喜久雄の歌舞伎役者としての才能を見抜いた上方歌舞伎役者・花井半次郎(渡辺謙)に引き取られ、息子の俊介(横浜流星)と親友、ライバルとして厳しい歌舞伎修行に励んでいく。ある日、けがをした半次郎が代役に喜久雄を抜擢したことで、彼の人生は大きく動き出す。
喜久雄と俊介は半次郎の後継者争いで険悪な関係になりそうだがそうはならない。俊介は血筋重視、喜久雄は才能重視。二人の価値観の違いが対立ではなく相互補完関係を生み、互いの修行の糧になったと推察できる。喜久雄の抜擢に俊介の母親も反対するが、迫力不足だったのは彼女も舞台で喜久雄の才能を見抜いていたからだろう。喜久雄の抜擢で、既に後継者は決まった。半次郎は血筋ではなく才能の継承を取った。半次郎という名跡、更には歌舞伎界の今後の発展のために。
歌舞伎シーンのカメラアングルが出色。舞台裏、役者の背後から撮ることで、観客がその場にいるかのような臨場感に圧倒される。喜久雄と俊介の出番は、最初は踊りだけだが、次第に台詞が多いシーンが増え二人の表情が美しくなっていく。歌舞伎役者の世界には演技美という言葉が相応しい。型のなかに情熱を宿し観客の心を揺さぶる美しさがある。
映画俳優の世界も同様。吉沢亮、横浜流星は完璧に歌舞伎役者に成り切っていた。二人には映画俳優の天賦の才があると感じた。二人が更に精進し唯一無二の存在になった時、映画界は新たな“国宝”を創り出すだろう。
一回観てスッキリ分かる作品も良いが本作の様に何回か観て新しい発見がある作品には観客との対話がある。
まわりの異性達とともに
上映時間が約3時間なのですが、あっという間でした。
貸し切り的な環境で鑑賞するのが好きなのですが、いまだに映画館が満員で、かなり前の席だったのに両脇に知らない異性が座って、ひじ掛けも使いにくい窮屈なシチュエーションは久しぶりで、それだけでもドキドキしていました。
席に座ったからには、大ヒット映画の醍醐味だと思って覚悟を決め、楽しむことにしました。
~序盤~
BGMに癒されます。音楽のテイストは最後(エンディング)まで一貫していました。
背中の刺青も美しく、喜久雄の父親の最期のシーンも印象的でした。
ティーンズたち、喜久雄(黒川想矢)と俊介(越山敬)の二人が結構可愛いくて、もっと彼らの青春時代を観ていたかったのですが、わりとすぐ大人編になってしまいました。
~大人編~
そうそう、吉沢亮さんと横浜流星さんを観に来たんでした。「ここからが本番だ」と、氣持ちを引き締めなおします。喜久雄(吉沢亮)の名前が東一郎になったり、さらに変わったりします。
喜久雄と春江(高畑充希)のロマンティックなkissの場面は、氣まずさを感じたのもつかの間、長すぎなくて安心しました。
神社で悪魔にお願いしたと言う場面、好きです。
森七菜さん可愛い役で登場した時から、喜久雄と恋仲になりそうな予感した通りになりました。今度の濡れ場が、長いというか激しいというかエロかったです。
喜久雄が妻子いることを隠してるのか、そもそも結婚してなかったのか、避妊しているかどうかなど、頭の中は氣になることが山積みでした。
ちょくちょく数年後になるため飽きません。
短いエピソードを休みなしで続けて連続で観ている感覚です。
~終盤~
伏線回収はありますが、語られていないことがあって、最後まで目が離せませんでした。しかし、結局、いろいろ想像するしかありません。それが2回目の鑑賞をしたくなる理由ですね。
演出も工夫していて良かったです。
エモーショナルな場面がありますが、驚きのほうが勝っていて涙が出ませんでした。私はまだ1回しか観ていません。今作は“2回目が泣ける”と聞きました。次の鑑賞時、泣けたらいいなと思っています。
4時間30分の長尺バージョン(詳細不明ですが、ディレクターズ・カット版?)が氣になります。
悪魔との取引‼️
父親を殺された極道の一人息子・喜久雄、そんな喜久雄を引き取った歌舞伎界の花形俳優・花井半二郎の一人息子・俊介の50年に及ぶ友情と葛藤の物語‼️半二郎が怪我した自分の代役に息子の俊介ではなく喜久雄を推したことから、二人の関係に変化が起こる‼️そんな二人の物語が歌舞伎界の内幕も含めてかなりソフトにまろやかに描かれます‼️喜久雄に自分の代役をさせねばならない半二郎の苦悩、代役が息子でないことに憤りを見せる半二郎の妻、代役が自分ではない事に哀しみを滲ませる俊介、そんな俊介を愛してしまう喜久雄の恋人・春江、喜久雄の娘を産みながらもほったらかしにされる芸妓、歌舞伎界を追放された喜久雄と苦労を共にする歌舞伎界重鎮の娘、父を恨む喜久雄の娘など、様々な物語が結構なアッサリ味で深みもなく描かれているので、もう少し一人一人のキャラを丁寧に描いて欲しかった‼️本当はもっとドロドロした歌舞伎界の裏側を観たかったんです、私は‼️演劇界の「イヴの総て」や映画界の「サンセット大通り」みたいな‼️半二郎の代役に喜久雄が舞台に上がり、涙を流す俊介と春江が手を繋いで出て行くのを交錯させて魅せるシーン‼️和解した二人が久しぶりに舞台で共演するシーン‼️この二つのシーンは素晴らしかった‼️キャストの皆さんも吉沢亮、横浜流星、高畑充希、森七菜、そしてワンシーンのみの瀧内久美さんも含め頑張ってたと思うのですが、半二郎役のラスト・サムライがミスキャスト‼️今作の製作のニュースを聞いた時から、歌舞伎界の女形の名優役と聞いて、そのビジュアルからして大丈夫かな?と思ったら、予想通り本編で歌舞伎の舞台で演じるシーンは無い‼️無理だと自覚してたのかな⁉️
圧倒的熱量〜「歌舞伎の映画」であり「映画が歌舞伎」だった
2025年公開、配給・東宝。
【監督】:李相日
【脚本】:奥寺佐渡子
【原作】:吉田修一〜『国宝』
主な配役
【立花喜久雄(花井東一郎)】:吉沢亮
【大垣俊介(花井半弥)】:横浜流星
【花井半二郎】:渡辺謙
【大垣幸子】:寺島しのぶ
【福田春江】:高畑充希
【彰子】:森七菜
【藤駒】:見上愛
【小野川万菊】:田中泯
【立花権五郎】:永瀬正敏
【綾乃】:瀧内公美
1.圧倒的な熱量と緻密な脚本
『フラガール』、『悪人(原作:吉田修一)』などで高い評価を受けた李相日監督。
歌舞伎へのリスペクト。
人間という生き物への愛、侮蔑、赦し。
それらを圧倒的な熱量で描ききった。
また、構成、セリフなどに冗長さや贅肉がなく、
175分という3時間に及ぶ上映時間中、
たえず緊迫感と緊張感を維持させられる。
ラスト近く、
人間国宝となった喜久雄(吉沢亮)のインタビューシーン。
ようやく「緩和の時間」かと思ったら、綾乃(瀧内公美)が登場する。そんな具合に、ひとときも観客を休ませないのだ。
歌舞伎という伝統芸能を舞台に、
◆若い役者たちの能力を限界まで引き出し、
◆分かりにくい歌舞伎の舞台を簡明かつ荘厳に描出し、
◆人間とは何か、を観る側に問い掛ける、
そんな作品を製作してみせた。
2.素晴らしいキャスティングと裏切らない演技
吉沢亮と横浜流星は、
以前から良い俳優だと思っていたが、
本作で、その潜在能力の一部がさらに解き放なたれた。
また、脇を固めた俳優たち、特に
寺島しのぶ、田中泯、さすがの存在感だった。
冒頭、
任侠ものと見紛う立ち回りがあるが、
この場面すら、「舞台」のような仕立てになっており、
永瀬正敏が大見得を切る。
歌舞伎の映画であり、
映画が歌舞伎だった。
3.まとめ
荘厳、重厚、熱量、、、
暑苦しい単語が並んでしまうが、
実際にそんな映画だった。
ソファに寝転がって観る作品ではない。
歌舞伎という芸能を舞台にしながらも、
「娯楽」の対極にある映画。
もう一度、通しで観られるか、自信はない。
☆4.0
芸か血か
1964年15歳の時に出入りで組長だった父親を亡くした喜久雄が、父親と親交のあった上方歌舞伎の当主の元で彼の息子共に役者になる話。
目の前で父親を殺されて、ミミズクの紋々背負って復讐!?からの1年後、長崎から大阪は丹波屋の二代目花井半二郎の世話になり巻き起こっていく。
花井東一郎という名前を貰い、半二郎の息子の半弥と共に切磋琢磨し名を上げて行く様子を、演目の一部をみせながら展開していくけれど、随分と丁寧に作り上げられていて、一つ一つのシーンが長い、長い、長い。それぞれのシーンはめちゃくちゃ長いわけではないけれどね。
そして代役から東一郎と半弥の関係の変化が加速して行くけれど、そこからの展開がいくらなんでもイマイチ釈然とせず…その程度の知名度?
決してつまらなくはないし、歌舞伎の演技は素晴らしかったけれど、色々とクドくてテンポが悪いし、通してもやはり長いし、終盤の流れも周辺人物みんな尻切れで退場という感じだし、なんなら主人公まで…ということで、これだけの尺を使われて尚、もうちょいみせてくれよという感じだった。
画面に凄みがほとばしっている
傑作映画はとにかく理屈じゃなく、画面に凄みがある。そして、この映画にはその凄みがあった。日本映画でこの凄みを感じたのは久しぶりだった。
これは確かにすごい作品だった。3時間途切れることのない集中力ある物語が展開するが、決して疲れることがない。緩急ある構成力が素晴らしい。歌舞伎役者の業を描く作品に役者たちが全力で挑んだ結果、映画の高みへと達している。
喜久雄役の吉沢亮にレスリー・チャンの面影を見た。彼がいなくては絶対に成り立たない作品だったことは間違いない。本物の歌舞伎役者を起用しなかったことがかえって良かったのかもしれない。公式パンフレットのインタビューで吉沢亮は、「どこまでも稽古を積んでも足りないと感じてしまう」と語っていたが、その気持はスクリーンの喜久雄からも感じ取れるのだった。彼には歌舞伎役者の「血」を持たないから。
もちろん、横浜流星もすごいし田中泯は手招きだけで観る者を震わせるし、すごいシーンがいっぱいあった。最後に喜久雄が見た景色がどんなものだったのか、恐ろしくも覗いてみたいという気持ちにさせられてしまった。表現者にしか見えない景色がある。
芸を極めた者だけが見る景色
吉沢亮と横浜流星の圧巻の演技だけでも観る価値あり。
歌舞伎役者を演じる二人だが、相当な稽古を積んだに
違いないレベルのパフォーマンスを発揮している。
その歌舞伎を実際に演じるシーンにもスポットがあたる
ため175分の長尺となったことがよくわかった。
歌舞伎役者の半生で、二人の栄枯盛衰が描かれているが、
あくまでも吉沢亮演じる喜久雄の視点である。
したがい、干されている期間の苦労が描かれているのは
喜久雄のみであるが、芸だけで生きる覚悟を感じる
大事なパートだと思った。
人間国宝になった喜久雄は自分の人生に満足だったのか、
それはラストシーンでの「きれいやなあ」のセリフに
全てが込められていると感じた。
きっと悔いはないのだろう。
吉沢・横浜以外の俳優も素晴らしいのだ。
渡辺謙の目、寺島しのぶの安心感ある盤石の演技、
田中泯は本当に人間国宝かと思ってしまうほどの緊張感
が迸る演技、そして森七菜の今までのイメージから脱却
するほど挑戦した演技に惜しみない拍手を贈りたい。
まさかの瀧内公美登場は素直にうれしかったし、
大事な役どころでビシッとキメていた。
長尺ながら終始緊張感があり、実に豊潤な作品で、
あっという間の175分。
とにかく吉沢亮と横浜流星の演技は刮目して
ご覧いただきたい。
※横浜流星は大河の主演をつとめつつ本作に取り組んだのか?もし、そうだとしたら凄まじい役者魂だ。
業界の洗礼を受け 親子の絆に絡みつかれ 世間の荒波に揉まれながら 人生を泳ぎきった男の物語。3時間があっと言う間の濃密な人間ドラマです。見応え十分。
鑑賞前の脳内会議 -△-;;
吉沢亮と横浜流星が出演。 観たい。
渡辺兼も出てる。 うん、観たい。
上映時間175分。…3時間弱か うーん。 ・△・;;。
RRRよりは短い。きっと大丈夫。(…何が?)
(RRRは179分 … ほぼ変わらんです)
脳内会議の結果、観たい が勝利。v
そんな訳で鑑賞することに。・_・ …水分は控えめで
鑑賞開始。
…
鑑賞終了。 なんかこう、とても濃密な3時間弱でした。
血を受け継いだ者と、技を受け継いだ者。
命を削りながら舞台にあがることを厭わない、そんな者たちが
血と涙で描いた人間ドラマでした。
優れた技量の者を後継者にと思いながら、ギリギリ命の消える
瀬戸際で選ばれたのは親子の絆。
後継の道からは外れながらも、ひたすら技を磨き続けたの男に
与えられたのは、人間国宝の称号。
禍福は糾える縄の如し。
まさにそれを描ききった人間ドラマです。
濃密で、中だるみのほとんどない展開は見応えが十分。
劇中劇の歌舞伎の映像シーンは、ただもう綺麗の一言。☆
十分に満足の作品でした。
観て良かった。
言葉では良さが伝えきれないような気がします。
未だ観ていない人は是非劇場で。 ・_・♪
◇あれこれ
■顔
吉沢亮さんは歌舞伎顔…というより能面顔かも。
天賦の才を持つ者の存在感が出ていました。 ・_・
寡黙に見えながら熱い心を秘めた男の役、上手いです。
横浜流星さんは、良いとこの坊ちゃん 顔から苦労人の
表情へと変化していく過程が見て取れました。 ・_・
大河ドラマ ”べらぼう” でも時代劇主役を好演中。
この二人の共演する作品、また観てみたいです。
■人間国宝
人間国宝 というのは正式な称号では無いようです。・△・アラ
" 極めて優れた技量を持つ重要無形文化財 "
あちこち調べてみて、そのような人を指す呼称なのだろうと
そんな風に認識しました。
やや下世話ながら、国から年間200万程度の報奨金(?)が出ている
みたいです。後進の育成を目的にした支給のようでした。
200万が多いのか少ないのか。微妙ではありますが、人間国宝の対象
分野って、国が技術保全を奨励していかないと遠からず廃れてしまい
そうな、そんな分野が対象になっている気がします。
能 歌舞伎 浄瑠璃 などなど。
■遺伝
父(渡辺謙)は糖尿病で目を患い、血を吐いて死にました。
息子(横浜流星)も糖尿で左足が壊死し、舞台で倒れます。
吉沢亮が駆けつけた病室で、バナナを食べている流星クン。
こんな夜更けに ではないですが
こんなときにもバナナかよ です。☆_☆
あきらめの心境からの糖分摂取なのか それとも
好きなものは止められない、役者の性なのでしょうか。うーん
◇最後に
怪我をした父の口から、喜久雄を後継指名する声を聞いた俊介。
意識混沌とする師匠の口から、俊介の名を呼ぶ声を聞いた喜久雄。
悲しみ・絶望が深かったのはどちらの方だろうか と
しばし考え込んでしまいました。
ただ、その一声を聞いてしまった喜久雄だからこそ、その後ひたすら
技を磨き続ける人生を送れたのだろうかとも思います。
喜久雄にも後継がいれば良いのですが。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで。
名作だけが持つ風格は十分過ぎるほど感じる でも全体的に建て付けが悪く寸詰まり感があるのが少し残念
二週間ほど前に出された梅雨入り宣言もどこへやら、この数日はお天気続きだったのですが、今朝は一雨来そうな雲行きでございました。そんななか、平日の正午少し前に開始、午後三時に終了という中途半端な時間帯にもかかわらず、『国宝』を観に集まった善男善女で劇場はざっと七分の入り、なかなかの盛況です。思えば、三週間ほど前、梅雨入りに先立って始まったこの興行は週を追うごとに好調さを増してまいりました。この『国宝』、この勢いですと今年を代表する一本になりそうでございます(以上、吉田修一が『国宝』で使った文体の文体模写でございます)。
ということで、観てきました『国宝』。任侠の家に生まれた 主人公の喜久雄(演: 吉沢亮)が歌舞伎の世界に入って女形として芸道に励み、ついには人間国宝になるまでの50年に渡る一代記です。中身はと言いますと、さすが評判に違わぬ出来栄え、歌舞伎に疎い私のような者でさえ、スクリーン上で展開される歌舞伎の演目「二人道成寺」や「曽根崎心中」等の様式美や歌舞伎役者でない者たちによる歌舞伎の熱演に酔いしれていったのでございます(なぜかまた国宝調)。まあでも鑑賞直後に思い出したのは数年前にヒットした『ボヘミアン•ラプソディ』でした。あの映画は最後のコンサート•シーンがすごくてそれがすべてを持っていってしまった感じで、ところでストーリーはどうだったと問われるとあまり憶えてませんと答えるしかありませんでした。この映画も少し似ているところがあって絢爛豪華な歌舞伎シーンに目を奪われていると、特に後半の駆け足で寸詰まりになっているあたりはスジを追うのに苦労しそうです。私は原作小説を読んでいましたので大丈夫だったのですが、逆に原作からの改変部分が気になってしまいました。
小説のほうでは「徳次」というキャラクターがいて、ほぼ全篇に渡って重要な役割を果たします。映画のほうではその徳次は冒頭の新年会のシーンで「関扉」を喜久雄といっしょに演じただけであっさりといなくなります。徳次は喜久雄より二つほど年上の 原爆症で親を亡くした孤児で喜久雄の父親に拾ってもらって立花組の部屋住みとなっていました。彼は喜久雄のことを「坊ちゃん」と呼び、喜久雄が義経だとしたら、武蔵坊弁慶みたいな存在で、喜久雄が歌舞伎役者として頭角を表してきたあとは喜久雄の回りの汚れ仕事を引き受けてゆきます。彼がいなくなったので、彼が喜久雄の娘の綾乃を救い出す場面も、「国性爺合戦」を元ネタにした「長江を白く染めてみせる」と言った彼の名文句も映画では出て来ず、非常に寂しい思いをしました。彼の他にも、喜久雄の父親亡き後、長崎でその跡目を継ぐ「辻村の叔父貴」とか、大阪で知り合った友人でTVで冠番組を持つ売れっ子お笑い芸人の「弁天」とかが小説にいて映画にはいません。まあ尺の都合上、致し方のないことかもしれませんが、これらの人々がいないおかげで映画では後半部分の話の進め方に苦労しているフシが見受けられ、残念な説明ゼリフが多くなったと思います。ということで、もっと尺を長くして『国宝-青春篇-』と『国宝-花道篇-』の二部構成にして別々に公開したらどうだったろうか、という考えがちらりとよぎりましたが、言い出したらキリがないこと、ここは175分の一本にまとめた李相日監督の力量に敬意を表したいと思います(これ、実は李監督が意識していたであろう『さらば、わが愛 覇王別姫』とほぼ同じ長さなんですね)。
あと、原作では喜久雄も俊介(映画では横浜流星が演じている)もなんとなくカタギではない感があって、特に喜久雄のほうは芸のためなら何でもやってしまいそうな怖さがあったのですが(それこそ「悪魔と取引している」感あり)、映画では吉沢亮や横浜流星のパブリック•イメージに引っ張られて原作にあった毒気のようなものが少し弱まっている感じがします。これも映像化すれば必ず出て来る問題で、ここは吉沢亮、横浜流星を始めとする俳優陣それぞれの熱演に敬意を表したいと思います。
もうひとつ、この作品は半世紀に渡る 歌舞伎役者の一代記なのですが、時代背景の描き込みが少し弱いように感じました。半世紀のほぼ半分が昭和、残りが平成だったはずですが、登場人物やそれにまつわるエピソードに当時の世相との関連があまり見い出せませんし(喜久雄の実母が原爆症で亡くなっているあたりは出てきますが)、背景に時代を象徴する何かが出てくることも少なかったように思います。このあたりは1920年代から始まってほぼ半世紀を描いた『さらば、わが愛 覇王別姫』と大きく差がついたところだと思います(もっとも覇王別姫のほうの半世紀は、国民党の中華民国の時代から始まって日本軍の統治があったり、共産党政権の誕生があったり、文化大革命があったりの激動の時代だったので、時代を描くことが物語と不可分だったわけですが)。私は喜久雄、俊介の六つほど下の年齢で彼らの成長とともに昭和、平成の時代へのノスタルジアめいたものを映画内でも感じたかったのですが、歌舞伎の美しさを見せたい、主人公の生き様を感じてもらいたい、あたりを主眼においた李監督の演出意図に敬意を表して、この話はここで止めたいと思います。
今回、私は原作小説→映画の順だったのですが、原作小説が面白すぎました。小説の地の文が語り物のような調子で(私は講談や落語の地噺を想起しました)読み始めたときにはこりゃやり過ぎだろと思いましたが、だんだん慣れてきて語り物口調で叙事的に展開されるエピソードが面白くてページを繰る手が止まらなくなりました。本当かどうかわからないにしろ、村上春樹は自分の小説が外国語に翻訳されることを意識して小説を書いているという言説がありますが、同じレベルで吉田修一は自分の小説が映画化されること意識して小説を書いていると感じました。また、先ほど、小説のほうが毒気が強いようなことを書きましたが、小説には映画にない「救い」もあります。喜久雄の娘である綾乃に関しては小説では納得できる着地点が用意してありました。原作小説未読の方にはぜひ一読をお薦めします。
あ、ここは映画のレビューでしたね。映画『国宝』は2025年の日本映画を代表する一本になるのは間違いないところだと思います。でも映画としてはバランスが悪い感じもするし、何よりも『さらば、わが愛 覇王別姫』との差も感じましたので、李相日監督の次回作への期待も込めて星は厳しめにつけました。
芸に魅せられ、芸を極め、芸に飲みこまれる
息を飲んだ。気がついたら息をしていない場面が何度か。
原作小説は、抑揚を抑えた講談調の語り口で、歌舞伎に魅せられた男を描く一代記。まさに波瀾万丈の物語だったが、文字で表現される場面場面が、頭の中で映像となって次々と展開していく感覚があり、一気に読んだ。ただ、歌舞伎に疎い私は、舞台の情景が脳内でうまく像を結べなかった。
その作品が映像化された。
うまく像を結べなかった世界が、スクリーン上で鮮やかな映像となって展開していく。
喜久雄が、俊介が、舞台の上で踊り、舞う。
3時間近いその時間を全く感じさせない、最初から最後までテンポ良く、キリッと締まった展開。どこにも無駄がない。極限まで磨きに磨き、削りに削ったような鋭敏さを感じた。
役者の動きにピタリと寄り添い、寸分の隙を見せることも許さないような緊張感のあるカメラワークと、それに応える俳優たちの演技が光っていた。
主演の吉沢亮は、素の喜久雄の演技と歌舞伎役者としての演技どちらも素晴らしいのだが、歌舞伎役者としての演技に凄味を感じた。
「二人道成寺」は、横浜流星との息の合った軽やかな演技が華やか。
「曽根崎心中」は、二代目代役として出たお初、盟友俊介の最後の舞台での徳兵衛のどちらも、役柄と喜久雄本人の想いが滲み出す。
圧巻は、最後の「鷺娘」。本当の舞台を通しで観てみたいと思う演技。歌舞伎の世界に入り込み、美の世界に迷い込んで忘我の境地に達する。
喜久雄は、芸の極みに達して常人が見えないものを見ている。その瞬間、彼は芸を自分のものとし、自己と一体化したのではなく、むしろ逆に歌舞伎という芸に飲まれているようにしか思えなかった。
原作のラストシーンをどのように描くのかが一番気になっていたのだが、原作とは違う味わいがあった。
脇を固める俳優の演技も良かった。横浜流星、渡辺謙らの演技は、「熱演」という熱量を感じるものだったが、目を引いたのは希代の女形、万菊を演じた田中泯。この存在感は何だろう。身体表現を追求するダンサーなのに、大きな動きがなくとも、その佇まいに人を惹きつける力がある。「メゾン・ド・ヒミコ」で演じたゲイの老人役に強烈な印象が残っているが、今回の女形役も異様な存在感を放っていた。
喜久雄という男は寡黙な男だ。彼が話さない代わりに、彼の心情を表現するような言葉を師匠たちが発していたように思う。
「ほんまもんの芸は刀や鉄砲よりも強い」という二代目半二郎。
「歌舞伎が憎くても私たち役者はやるの」という万菊。
この2人の台詞が強く印象に残った。
吉田修一の執念の賜物と言えるような原作は勿論のこと、映画の脚本も、映像も、音響も、美術も、俳優陣の演技も、そしてそれをまとめ上げた監督の手腕も素晴らしい。色々な要素が、それぞれ非常に高いレベルで結晶して生まれた映画のように思った。間違いなく、後世に残る傑作。
美しい舞が、残像のように脳裏に残る。
<追記>(2025年6月14日)
公開当日のレイトショーで観て直ぐに上のレビューを書いた。それから1週間、このサイトのレビューやWEBニュースで流れてくる評判の高さに驚きつつ、時の経過とともに冷静になって考えると、5.0という自分が付けた評価が気になり始めた。
過去に5.0の評価をした作品は、何かしら「心を大きく動かされる」「また観たい、また観るだろう」と思える作品だった。しかし、本作はそれに当てはまらないことに気づいた。
結局私は、この映画のスケール感と、原作で埋められなかった脳内映像を補完できたことには満足したが、感動とか、そういう感情は沸かなかったことに気づいた。
上のレビューでは触れていないが、多くの方が指摘されているように、女性の描き方が非常に薄くて雑だった。原作も薄めだったが映画は原作より相当薄い。それは喜久雄と俊介に焦点を当てて他を削らなければ、800ページにわたる大作を映画化することなど到底不可能だったからやむを得ない選択だったと思いたいが、一方で何故、女性陣の中で幸子(寺島しのぶ)だけクローズアップしたのか疑問が残った(原作では他の女性と比べて幸子の扱いが突出している訳ではない)。
それから、鑑賞後に知ったが、原作者が「100年に一本の壮大な芸道映画」と絶賛しているという。これには少しガッカリした。自分が心血注いだ作品が映画化された喜びの表れだろうが、それはメディアの入らないところで制作陣たちにかけてあげればよかった言葉ではないだろうか。
近年稀にみる邦画の大作であり、圧倒される傑作であることは間違いないと思いますが、上記のようなことを考えた結果、点数は4.5に変えさせて頂きます。
素晴らしい
その才能が、血筋を凌駕する
予告からして凄まじい作品である事はすぐ
分かりましたよね。
期待値の高さを伺える。
初日初回は大きな箱、大入りでした!
⚫︎ はい、お亮さん。
以前「国宝級イケメンランキング」とやらで
1位になっておりました。
まぁ〜美しいお顔立ちです。
その端正なルックスに注目されがちですが、お芝居もとっても巧い役者さんですよね。
本作では任侠の一門の生まれだが、歌舞伎の世界に飛び込んだ主人公喜久雄(東一郎)を、迫真の演技で魅せてくれました。
実際の歌舞伎役者同様「役」に魂を吹き込む!
恐ろしいほど生々しくて痛々しくて、そして圧倒的に美しい!!
鬼気迫るものがありました。
彼の人生から目が離せなくなりました。
⚫︎ 我らが流星君!
はい素敵。
現在放送中の「べらぼう」では重三郎というコミカルな面を持つ主人公を演じ、新たな魅力を振りまいておりますね。
はきゅん。
はい素敵。
こちらは歌舞伎の名門一家に生まれた御曹司俊介(半弥)という人物を熱演!
難しい役どころを見事に演じきっておりました。
流星君は本当に何でも出来る子だね〜♪
⚫︎ 喜久雄の少年時代を演じたのは「怪物」で
記憶に残る芝居を見せてくれた黒川想矢君。
まだ少年。
愛らし笑顔に不釣り合いな、背中の立派な彫り物が彼の人生を支える。
そのアンバランスさも美しく見える不思議。
歌舞伎に魅せられていく喜久雄を熱演!
⚫︎ 俊介の少年時代は「ぼくのお日さま」で難しい芝居を求められていましたが、見事に演じきった!
静かな作品でしたが大きな感動をくれた越山敬達君。
歌舞伎の名門の御曹司として生まれ育ち、
その険し過ぎる人生を理解する前に「役者」として生きる事が「普通」になっている少年時代の俊介の心境を見事に表現していました。
半二郎と舞う「連獅子」は迫力がありましたね。
⚫︎ 当代一の女形、小野川万菊を演じた田中泯さん。
「鷺娘」を舞う万菊さんの圧倒的な存在感は恐ろしい程でした。
芸を突き詰めた役者だけがたどり着く境地。
悟りの域。
もはや人間では無いモノになっていたかの様でした。
素晴らしい役者さん達が作品に重みと深みを与えていました。
皆さん達者!
歌舞伎は詳しくないけれど、私レベルでも知っている「藤娘」や「曽根崎心中」の演目も披露される。
特に「曽根崎心中」は物語の核となる演目で
2回演じられる。
1回目は、半二郎の代役として喜久雄が1人、初めての大舞台に立つ。
実の息子である俊介が務めるのが筋だと反対もあったが、半二郎は譲らなかった。
芸を極めている者だから見えてしまう
"上手い下手"
半二郎は誠実に"芸"だけを見て、自分の代役を喜久雄に託したんだと思った。
プレッシャーに押しつぶされて震えが止まらない喜久雄を励ます俊介の姿、2人のやり取りには泣いたわ。
本当よね。
血筋なんて変えられない泣
結果的に、俊介のおかげで無事大役を務めあげた喜久雄。
しかし、
舞台で舞う東一郎(喜久雄)の圧倒的な姿を見せつけられて、自分の負けを認めざるを得なかった俊介は姿を消してしまう事になる皮肉よ。。泣
2回目は片足を失った俊介の願いを聞く形で、東一郎・半弥、2人で舞台に立つ。
この2人が演じるからこそ、より魂までも震える「曽根崎心中」になったのだと思う。
俊介の残った足先も壊死しかけているのを見た喜久雄の涙が忘れられない。
その後何度も転び、汗と涙で崩れた化粧も構わずに、最後まで演じきると覚悟を決めた2人。
これが最後だと分かっていたと思いました。
少年時代から毎日苦しい稽古に汗を流し、
切磋琢磨しながら高みを目指した喜久雄と俊介。
葛藤や絶望、プライド。
もがき苦しみながらも2人が培ってきた友情が支えるその舞いは、正に全身全霊。
歌舞伎に人生を捧げた彼らの姿そのものでした。
それは幸か不幸か。
私にはわからない。
「歌舞伎」に取り憑かれてしまった2人の運命はある意味では残酷でした。
血筋とは。
才能とは。
今更ながら「サンクチュアリ」を一気見したばかりだったので、伝統と格式を重んじるお相撲の世界に身を置く各界のプリンス"龍貴"が抱える苦悩と2人の姿が重なった。
女将さんでもある母から
「この家に産んでごめんなさい」と言われる
シーンを思い出した。
家柄とか、血筋とか、伝統とか継承とか。。
人ごとでよかった。
私ならどの立場でもプレッシャーに押しつぶされて痩せてまう。。
又、2人共驚くほど白塗り姿が美しかったから、レスリーチャンの「さらば、わが愛 覇王別姫」とも重なった。
↑↑凄まじい作品です。
オススメ!!
本作も、後々まで語られる作品になると思うし、お亮さん、流星君の代表作になったのでは??
こんなに大変な役どころを見事に演じきったお亮さんと流星君の姿を見せられたら、少々の事は気にならない。
星は5つ以外、私には付けられません。
美雨ちゃんx理の主題歌もサイコー!
あ。
でもよ。。
春江(充希ちゃん)ちゃっかりしてるなおもちゃった。
あの身の引き方、切なくて泣きそうだったのに。
一緒に姿くらますんかいっ!!
あ。
ま〜ちんの奥さんだからいぢわる言ってるんじゃありませんけどー(棒)
そして、偉そうであまり好きではなかった
🦐🦣さんを見る目が少し優しくなれそうデス。
ポップコーンを食べるのに、とんでもない緊張を強いられる映画
ところどころで登場する歌舞伎のシーンでは、館内が緊張と静寂に包まれる。
演者の心の機微や微細な表現の差異が、ビシビシと伝わってくる。
発せられる一音、指先の動き一つに至るまで、なんと精神的で繊細な芸能なのか。加えて、迫力と華やかさも。
「歌舞伎=古くて退屈」という先入観が、完全に覆された。面白い。
「血」と「芸」。
伝統芸能では世襲が前提。部外からの成り上がりは並大抵のことではない。。
・三代目襲名は既定路線と思っていたものをはく奪される俊介の辛さ。
・才能と実力で三代目になっても、家の力に押し返される喜久雄の辛さ。
双方の慟哭がスクリーンにありありと表れていて、胸が痛かった。
吉沢亮、横浜流星。一体どれだけ稽古したのだろう。本当に見事であった。役者って凄い。
『さらば、わが愛 覇王別姫』と似ているという噂もあったが①こちらはどちらも女形②双方に恋慕はない(たぶん)、という点で大きく異なる。ただ、伝統芸能において素人の俳優が本当に見事に女形を演じ切ったという点でレスリー・チャンと吉沢亮、横浜流星は共通していた。
「歌舞伎」「世襲・家」など日本の根源的な面を表現するのに、いままでにないダイナミックな表現だった。この感覚はどこか「PERFECT DAYS」と似ている。
一方、少年時代から人間国宝になるまでの長い時間軸を順に描いているせいか、伝えたいことがやや散漫になった印象もある。
原作ではどうなのか?その辺りをうまく言語化しているのでは?私には珍しく原作を読みたくなった映画であった。
※「国宝」という題名には違和感がある。まだ私が咀嚼できていないだけかもしれないが。
※少年時代を演じた彼の演技(特に女形の演技)も心を奪われるものがあった。渡辺謙が目が釘付けになるのも納得の演技であった。
※横浜流星の女形はちょっと怖いよ!顔のパーツがでかいからだな。
※永瀬正敏が演じたヤクザの親分が、しずるのLOVE PHANTOMネタの兄貴役にみえて仕方がなかった。ほんまごめん!
極上の映像体験!歌舞伎のシーンは圧巻!
「守ってくれる血が俺にはないねん」
▼感想
東宝の試写会に招待頂きました!ありがとうございました!
かなり面白かった!3時間と邦画にしては長尺だったけど、これだけの時間が必要な濃密なストーリーだった。吉沢亮演じる喜久雄が日本一の歌舞伎俳優を目指す。様々な出会いや別れ、栄光や挫折など歌舞伎を極める美しさや残酷さがこの3時間に詰まっていた。
主演は吉沢亮、共演は横浜流星。イケメン…という言葉では表せないくらい美しい顔立ちだった。二人の関係も絶妙で単純な憎み合うライバルではなく、相手の存在が自分のコンプレックスになっていた。俊介にとって喜久雄は「父に選ばれなかったこと」、喜久雄にとって俊介は「歌舞伎の血が流れていないこと」…それを思うとお互いの衝突や再会も感じ方が変わってきた。
歌舞伎のシーンは圧巻!「自分は歌舞伎が特別好きではないから退屈に感じたらどうしよう」そんな不安は吉沢亮と横浜流星の演技に呑み込まれ消えた。歌舞伎のシーンは瞬きできないくらいの迫力があり、子供の喜久雄が感じたように怖さも感じるくらいだった。退屈なシーンは全くなく、二人のとてつもない努力がこの迫力を生んだのだと思った。
これは特にスクリーンで観て良かったと思える映画だった。この映画をきっかけに歌舞伎も久しぶりに見に行きたいと思った!
▼お気に入りのシーン
震える喜久雄の顔に俊介が化粧をするシーン!
ゲイがあるやないか。
監督「若手の人気俳優使って撮りたいんだが良い企画ないかな」
プロデューサー「ゲイがあるやないか」
のようなやり取りはここではなかったようでゲイの映画ではありませんでした。
監督とキャストで、すごく期待していた作品だけれど、「100年に1本の壮大な芸道映画」という、まさかの原作者による100年に1度くらいの仰天な賛辞にちょっと引いてしまったので観るのが遅くなった。(10年に1本というならわかりますよ。100年に1本て。映画自体の歴史がまだ130年なのに。さらばわが愛覇王別姫からでも30年。ホントに作家さんの言葉なのか疑ってしまう。)
元々、歌舞伎役者嫌いだし。
壮大な映画には違いなかった。
出だしと、お初徳兵衛の道行きに重ねた俊介と春江の道行きあたりは面白かったけれども、後半はいつ終わるのかいつ終わるのかと思いながら観ていた。
美形には違いないが吉沢亮と横浜流星の女形・着物姿での踊りよりも、マーガレット・クアリーがレオタード着けてエクソサイズしてる方がきれいだな、ワクワクするなぁて思っちゃう私にはこの映画を語る資格がないのかもしれませんが。
あんなに厳しい歌舞伎の世界なのに歌舞伎役者さんじゃない俳優さんたちが演じて大丈夫か、というより演じ切った吉沢亮と横浜流星がすごい。
そのすごさと尺の長さは、ファイナルレコニングのトム・クルーズのノースタントのアクションみたいで、称賛と感謝に値する。ただ作品としてはどうか。
クライマックスは音楽にごまかされた感はありましたが、映画を観た〜という満足感は充分味わえました。
吉沢亮と横浜流星と近松門左衛門はすごい。
(追記)
すごい映画だとは思いますが、絶賛のレビューがこれほど多いとは。
歌舞伎俳優ってそんなに偉いのか?
お能や狂言、文楽は伝統芸能だから文化伝承の意義から人間国宝って解るけど、歌舞伎ってもう好き勝手やってるじゃないか。横浜流星と吉沢亮はすごい俳優だけど、それでも歌舞伎の血筋でもない二人が映画とドラマの撮影の合間に稽古すれば素人にはわからないほど見事に演じられる歌舞伎って所詮は政治家と一緒で能力がなくても跡を継ぐことができるような世界じゃないか。(ホントは一番能力が必要な世界なのにね) と常々思っている私は、ヤクザに生まれて歌舞伎の世界に入って苦労して云々というお話よりも、歌舞伎の家に生まれた男(女でもよいね)がヤクザになって任侠の世界に生きるって話の方が感動したかもしれません。
横浜流星と吉沢亮はすごい俳優だな。
全2138件中、21~40件目を表示
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