「血筋とは因果の道理」国宝 103さんの映画レビュー(感想・評価)
血筋とは因果の道理
これは間違いなく傑作である。近年、ここまで完成度の高い作品が他にあっただろうか。原作、脚本、映像、構成、そして俳優たちの演技。どれを取っても一級品だ。中でも注目すべきは、全体の構成が極めて巧みに練られている点である。
この映画の根幹を成すテーマは「血」。血筋に寄り添い、あるいは抗いながら、生き抜こうとする人々の姿を描いている。そしてその奥底には、「日本人とは何か」「我が国のアイデンティティとは何か」という問いが静かに流れている。それを李相日監督は驚くほど丹念に、深く掘り下げて描き切った。まさに圧巻だ。
物語の中心には二人の青年がいる。
ひとりは、喜久雄(吉沢亮)。彼は血筋の外から梨園に飛び込み、背中には恩義を忘れずに生きる“ミミズク”の刺青を背負っている。類まれなる才能を持ちながら、結局は「血」という逃れがたい運命に打ちのめされる。
それでも彼は、恩に報い、芸に生き抜こうとする。その姿は痛々しくも美しい。
もうひとりは、俊介(横浜流星)。歌舞伎の名門に生まれながら、血筋に支えられることもなく、むしろその重みに苦しむ青年である。恵まれない才能を、それでも芸の道で磨こうと、愚直に、必死にもがく。
この対照的な二人の生き方が交錯し、共鳴しながら展開していく。どん底に落ちてもなお、泥水をすすってでも這い上がろうとする志の姿が、胸を熱くさせる。
作品全体は歌舞伎の演目によって構成されている。前半と後半で同じ演目をあえて繰り返し見せることで、その中に二人の変化と人生が丁寧に織り込まれていく。こうした演出は、緻密な構成の妙と言えるだろう。
特に印象的なのが、田中泯が演じる名優・万菊による「鷺娘」の舞いである。
鷺の精が人間に恋し、その苦しみと喜び、そして恋が破れた後に堕ちていく地獄を描いたこの演目。その妖しく、美しい舞いに魅了される少年の喜久雄と俊介。この一幕が、やがて彼ら自身の人生を象徴するかのように重なっていく。
鷺の精は人間にはなれない。それと同じように、喜久雄には血筋がない。俊介には才能がない。彼らはどちらも、梨園という世界において「欠けたもの」を抱えた存在だった。しかし、だからこそ光るものがある。
この物語は、歌舞伎という芸の世界を通じて、彼らの人としてのあり方、そのものを描いている。
物語のラスト。恩を忘れぬミミズクを背中に背負った喜久雄が、「鷺娘」の舞台に立つ。そのとき彼の目に映ったもの。それは、血筋や因果、業といった逃れがたいものを超えた、そのさらに先に広がる、言葉では捉えきれない風景だったのかもしれない。ただ静かに、ただ深く、その舞台の上に、すべてが昇華されていた。人生そのものを使い、梨園への恩を捧げた姿が美しい。
この作品に収まりきらない魅力がある。語っても語り尽くせない奥行き。見終わった直後、思わず呟いた一言がすべてを表していた。
「これは傑作だ。」
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