「歌舞伎役者の業、親子の業」国宝 かばこさんの映画レビュー(感想・評価)
歌舞伎役者の業、親子の業
ドロドロした内幕物になっていないのは、喜久雄と俊介の二人の関係が心地よいものだからだと思う。足の引っ張り合いがない。
ライバルだが無二の親友の二人は、互いの芸を認め、相手を蹴落とすことで自分が浮上しようとは考えない。自分の芸を極めようと精進して高みを目指す。親友でありライバル、そして真摯に同じところを目指す同志でもある。紆余曲折あっても、基本的にふたりの関係は最後まで変わらない。お坊ちゃんの俊介がやくざの家に生まれたみなしご喜久雄を見下していないのは、親がしつけているからだろう。こういうところ、さすが格式ある「お家」であると思う。(実際の歌舞伎の家は甘やかしてやりたい放題のようだが)
二代目半二郎が自分の代役に、半弥ではなく東一郎をたてたのは、もちろん東一郎の方が優れていたからだが、本当にそれだけか。
実力はあるのに気持ちが今ひとつな実の息子を奮起させるために敢えてそうした意図はなかったか。
歌舞伎界詳しくないし原作読んでいないが、外から来たものを歌舞伎界で表舞台に立たたせるには、養子という方法があるのは知っている。
本気で東一郎を後継ぎと考えていたなら、まず彼を養子にして、「血」を繋いでやると思う。二代目亡き後の喜久雄の極端な不遇は、やくざの家に生まれたこと、オンナ癖が悪かったこと以上に、それをしなかったところが大きいだろう。二代目は、自分は白虎を襲名、東一郎を三代目半二郎に指名したときでさえ、喜久雄を養子にしなかった。俊介が戻った時、すぐに事実上家を継げるようにだろう。
喜久雄に「歌舞伎界は血がすべてなので、これからつらい目にあうだろうが芸で生き抜け」のようなことを言うのは、彼を養子にしない言い訳のように聞こえる。二代目が白虎襲名披露の舞台で倒れた時に口にするのは「俊坊」なのだ。
東一郎が歌舞伎界に復帰できたのは、万菊が彼を養子にしたのか。
万菊が喜久雄を嫌い、認めなかったのは何故か。
歌舞伎の神の申し子であることを完全には自覚しきれていない喜久雄を、敢えてどん底に堕ちるように仕向け、全て失ったとき最後に残るのが歌舞伎であると、細胞の隅まで自覚させるためだったのでは、と思う。
きれいな顔に食われないように、という喜久雄への忠告は、なまじ顔が良いと芸を正当に評価されないと言いたかったんだろうが、女性を引き付ける美しさがゆえに女性問題を起こし勝ち、それがせっかく持っている無二の才能を生かす道を閉ざすことになるという意味もあったかも。そして、時期が来た時、満を持して、喜久雄を歌舞伎界に戻したのだろうと思った。
「血」がすべての歌舞伎界で、プリンス・半弥が役者生命だけでなく生命そのものも断たれたのは、父から遺伝した糖尿病の体質、その「血」のせいだったのが皮肉だ。
喜久雄の、「悪魔との取引」は成立していたかのように、どんな境遇に落とされようとも、すべてを失っても歌舞伎の世界に戻ってくる運命を感じる。そして、喜久雄の目の前に立ちふさがる障害は、最終的には消えていく。喜久雄は幾多の障害を越えたなら、生涯歌舞伎役者として前に進み続ける人生を与えられたようだ。
喜久雄が契約した悪魔の正体は、実はあの小さい神社にいた神様だったと思う。悪魔なら、多分、楽させて、精進のための試練は与えないから。
ひらひらと、目の前をはなびらか雪のようなものが舞う「景色」を見るために、喜久雄はずっと芸を追い続けるのだろう。
取材に来た、捨てた実の娘、綾乃の意外な言葉に、喜久雄は人間の領域を超えて神の域に近づきつつある存在になっていると思いました。
吉沢亮と横浜流星が素晴らしい
歌舞伎に詳しい人から見たら粗があるかもだが、ふたりの、特に吉沢亮の踊りや所作は、少なくとも自分が息を詰めて見入ったくらい見事に見え、役にリアリティを感じました。優しい顔立ちでどこか中性的なので、とても美しい女形で、見とれてしまった。横浜流星はもともと身体能力が優れているので、彼より半年早くけいこを始めた吉沢亮が、追いつかれそうで気が気ではなかったとインタビューで言っていたが、劇中だけでなく実際にもふたりで切磋琢磨しながら芸を磨いたようで、そこからすでに「魅せる映画」が始まっている。
その昔、日曜日の朝の、息子たちも私も大好きな某仮面ライダーで、この二人が親友同士の役で出演していたのをつい、思い出しました。
そして、田中泯さんの存在が圧倒的。
この映画の楔のようなもので、他の誰にも代われない、彼にしかできない役だったと思う。
人間国宝の万菊が、最晩年をたった一人、あんなところで過ごしているのが衝撃
こんなこと、現実にはあるんでしょうか。
いわゆる役者ばかで、他のことにこだわらなかったのか。
彼も芸の神に選ばれた人だったと思う。
二代目といい俊介と言い、芸とお客さんファーストであるとしながら、舞台上で血を吐いて、あるいは激痛で、倒れて公演を中止する、片足で倒れながら舞台を勤める、役者としての「やりたい」気持ちは分かるし感動的ではあるが、「役者」としてお客さんに完全な芸を見せることからは程遠いがそれは良しとするのか、と少し思いました。「お客様に無様な舞台を見せた」と恥じ入ったりはしないんですね。
追記:喜久雄が半二郎の代役を演じる際、俊介に「お前の血をごくごく飲みたい」と言うのに、銭湯で働くバンパイヤの姿が浮かんできて笑ってしまって困った、笑う場面じゃないのに。
>万菊が喜久雄を嫌い、認めなかったのは何故か。
歌舞伎の神の申し子であることを完全には自覚しきれていない喜久雄を、敢えてどん底に堕ちるように仕向け、全て失ったとき最後に残るのが歌舞伎であると、細胞の隅まで自覚させるためだったのでは、と思う。
ああ、これだ。「細胞の隅まで自覚させるため」納得だ。
いつもの深い洞察力と言語化力。感嘆とします。
そうか、この二人、フォーゼとメテオだったですね。
名コンビじゃないですか。
こんばんは。
かばこさん。。
恐ろしい程にすっごいレビュー!!
うんうん頷き、そっかそ〜ゆう事かと膝ポン!
そうだそうだ凄いな!って震えていたのに。。
最後のバンパイアで笑っちゃったw
こんばんは、共感&コメントありがとうございました。良い作品でしたね。松竹さんも実際の歌舞伎役者さをたちとの関係がありますので、小説に添った作品の製作配給となると難しかったかもしれませんね
かばこさん、コメントありがとうございます。・_・
切れ味鋭いレビューに感服しました。
人の心理の奥の奥まで踏み込んだ作品なのだなぁと
嘆息するしかありません。・△・
※ババンババンバンも観たい気持ちが大きくなりました。・∀・
コメント、フォローバックありがとうございます!
道成寺の鐘の裏側の二人も緊迫感があり、映画でしか見られない場面でしたよね。
かばこさんのレビューを読ませていただき、喜久雄が養子に入れない理由に、なるほど!と思い、より深く内容を理解できました。
また、晩年の万菊が喜久雄を呼び寄せた理由もかばこさんの説明に納得です。
今後も洞察力の深いかばこさんのレビューを参考にさせていただきますので、よろしくお願いします!
今、東劇で「シネマ歌舞伎 二人道成寺」を上映しているので観に行こうかと思っているのですが、いつもはガラガラなのに「国宝」の影響で日曜日はほぼ満席だったそうです。
李監督は
ちょっと見聞きしたり、かじったんじゃなくて、あの世界に飛び込んで黒子の修行をしたのですよね。
客席やモニター越しに観察するのではない、黒子としての楽屋や舞台の経験!
役者の息づかいとか、体温とか、顔面そのものに、直に触れて触って至近距離でアップで目撃して。
だからあそこまでの本物の映画になったのですね。
かばこさん
コメントありがとうございました。いい映画を一緒に観られて嬉しいです。
かばこさん
コメント&フォローバックありがとうございます!
私が言葉にできなかった気持ちを表現されていて、レビューにたっぷり共感しました❣️
また拝見させていただきます✨
コメントありがとうございます。
養子にしなかった意図、なるほどと思いました。全般的にキャスティングが素晴らしかったですね。
次回作(バンパイヤ)の匂わせ、と聞くと妙にそれっぽく思えてきました(笑)
共感ありがとうございます。
私は小野川万菊の様な人間国宝は本当に存在していたのか。現在、歌舞伎、梨園の世界で最も興味を持って調べてみたいと思っている部分です。
こちらこそお返事ありがとうございます。
「スイッチ」の対談、
さすがNHK、というか、映画のシーンを
あんなに見せてくれて、ホントに美しいんだと
改めて思いました。
》苦労をさせてるのは芸の神様、
その通りですね。
(明日、午前中に留守するので、真夜中にすみません。)
かばこさん
コメントを頂き有難うございます。
そうなんですよ。年老いて尚威厳を失わない猛禽類。
田中泯さん、怪演でしたね!
かばこさんがレビューに書いていらっしゃる『 彼を養子にしない言い訳のように聞こえる。』、そうですね。
喜久雄の胸中を思うと切ないですよね。
Mr.C.B.2さん、おかげさまで私も琥珀糖さんからの貴重な情報ゲットできました。
レビューの仕上げは電車の中でスマホで打っているので、時々変なところを押しちゃって、下書きをアップしていたりその逆だったり、せっかく書いたレビューを、保存のつもりが削除!(泣)とか、よくあるんですよ、スマホのメーカー様に何とかならないもんかお願いしたいです。
今、NHK+でスイッチインタビューを観ました。後編も見ます。
余計なお世話と思ったけど、かばこさんへコメントが不可になっていると指摘して良かったです。琥珀糖サンの情報が得られました。
コメントありがとうございます。
私も芸の良し悪しまで、全く分かりませんが、
吉沢亮は、ホントの歌舞伎役者より、綺麗と思うほどの
美しい舞踊と声音、所作でしたね。
私も、不安になってたとき、時代物を書く女性作家の
蜂谷涼さんの、国宝の感想を聞きました。
仕事柄、東京の歌舞伎座の側に住み、よく通ってる方です。
絶賛してました。まだ何回も観に行くと話していました。
》養子縁組、
玉三郎さんが、芸養子になったと書いてありました。
確かにそうすれば、渡辺謙が亡くなった後に、どさ回りみたいのを
する必要はないですものね。
ただ作家は主人公を苦労するよう仕向けますよね。
3時間でも足りなくて、三上愛や森七菜がどうなったのか?
とかも描いてませんでしたね。
金曜日にEテレで、吉沢亮と指導をした中村鴈治郎の対談を、
観ました。
吉沢亮さんの言語能力に驚かされました。
2週連続なので、今週も観ようとおもっています。長くなって申し訳ないです。
お話ししたかったので、長々とすみません。
万菊さんがドサ回りに墜ちている喜久雄に施設?で会った時のセリフ、「この部屋には美しいもんが何もないやろ。ほっとすんねん」に痺れました。美を追求しつづけて、ここに至るのかと。「おまえもここに来る気ぃあるか」という悪魔の囁きみたいな感じで何かすごいなと思ってしまいました。
共感&コメントありがとうございます。
田中泯さんの役へのアプローチは他と違った印象がありました。役としては家族も何も切り捨てた喜久雄以上の芸狂い、こういう人って自虐的に破滅に向かう印象です。最初貰ったお菓子がシュークリームとは最初気付きませんでした。
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。