「人間国宝も軽く見られたもんだ」国宝 トルティーアさんの映画レビュー(感想・評価)
人間国宝も軽く見られたもんだ
歌舞伎は1か月に1回位は観ている。ファンには悪いがいくらエンタメとはいえ、これは書かねばならないと思った。原作を読んでいないので映画だけの感想。
冒頭に、半次郎が喜久雄の踊りを素晴らしいと誉めるのが物語の始まりだが、この踊りがちっとも良くない。声もひどい。喜久雄がもっと小さくて踊れてスゴイと見込むならまだ理解できるが、15歳でこの程度なら踊れる役者は大勢いる。その1番大切な部分がおざなりだから、シラけてしまった。
そしてスポ根場面。今より体罰も許された時代だから、そういう指導者もいたかもしれない。しかし、よく年配の役者さんが「稽古が厳しかった」というのは、こういう意味では無いと思う。そして事あるごとに御曹司は血が守っていると言うが、それこそ歩き始めた頃から稽古をする精進の賜物なのにその様な説明が無い。まるでDNAにアドバンテージがあるかのように誤解させる。
半次郎が事故に遭いその代役でチャンスを得るが、「曾根崎心中」で渡辺謙が「お初」を演じる筈だったという設定はかなり厳しい。渡辺謙はどう見ても立役。一体全体、どういう個性の役者に描きたかったか不明。
喜久雄は途中舞台を離れヤサグレても結局人間国宝になるのだが、これまた説得力が薄い。彼の努力は取り立てる程ではなく、お客様を大切にするシーンは皆無で、芸の為に生活を律して何かを我慢した訳でもない。努力したのは高校生の時と、不遇の時代に芸ではなく卑劣な方法で上に取り入ろうとした時、悲しみを芸の肥やしにしてあとは才能で国宝になりましたとさ。それは現在の多くの役者、何より人間国宝に対して随分と失礼じゃないだろうか。
吉沢亮と横浜流星の女形はとても綺麗で頑張ったとは思う。しかし歌舞伎を観慣れた者にとって舞台シーンは至極普通。初めて早替わりを観た人は感激したのかもしれないが全然珍しくない。それなのに道成寺や曾根崎心中のワンシーンを演じただけで、すごいでしょの押し売りされても、唯一無二の特別感は伝わらない。画面が綺麗というだけで、どうして「人間国宝」の舞踊として観ていなければいけないのだろうかと、その違和感で変な気持ちになった。これは国宝じゃ無い。偽物だ。
任侠出の俳優の出世物語なら、それに相応しいタイトルを付ければ良い。その方が腑に落ちたし、エンタメとしてずっと楽しめた。
どうしても「国宝」というタイトルを付けたいのなら、役者が日夜どんなに地味に努力しているのかを、もっと丁寧に描くべきだった。歌舞伎役者と他の役者と、何がどう違うのかという事にも、監督は全く興味が無かったようだ。国宝というタイトルには程遠い、随分と薄っぺらい内容。これ観て喜んでいる日本人は、富士山、芸者と言って喜んでいる外国人の感覚なのだろう。
同感の嵐です。私も渡辺謙がお初⁉️❓️どう見ても立役で有り得ない有り得ない、でも知らなかったことにしようと心に収めました。あんな子どもの踊りに歌舞伎の大御所が感動するのも有り得なかったです。完全に同感できるレビューに出会えてほっとしました。ありがとうございます
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