劇場公開日 2025年6月6日

「近年にない邦画の最高峰と言っても過言ではない」国宝 クニオさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0近年にない邦画の最高峰と言っても過言ではない

2025年6月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

興奮

知的

斬新

 これ全編、圧巻の超一流の芸を見せつける、本年ベストワン級の作品の登場です。ここで言う芸は、話の核である歌舞伎の芸の伝承のみならず、映画としての監督・役者・撮影・衣装・メイク・音楽・美術などなど、息をのむ程に凄まじい完成度の技量と言う芸をさす。どのシーンをとってもクライマックスの高揚感に満ち、冒頭からずっと、体が痺れる程の感銘を受けました。

 原作の吉田修一とは相性がいいのか、李相日監督にとって「悪人」2010年「怒り」2016年に続いての本作。真っ向から歌舞伎の深淵を相手に、とんでもないエネルギーを使ったものと想像に難くない。歌舞伎の松竹の制作ではなく、東宝なのが気になるけれど、監督としてこれまで彼を支えてきたのが東宝なのだから結構なことで。それに応えるべく、東宝としても相当の制作予算をかけた大作なのは画面の隅々から伝わってくる。そもそも東宝歌舞伎の歴史もあったのですし、本作も松竹のみならず東映までも関わっているわけで、邦画の最上級と言って過言ではないでしょう。

 「俊介(横浜流星)の血をコップで飲みたい」と述懐する喜久雄(吉沢亮)が本作の要で、誰しもが思う歌舞伎の世襲に対する違和感が映画としての力強いベクトルとなっている。興行サイドの竹野(三浦貴大)のセリフ「今は同じ様に扱ってくれるが、いずれ損をみるのはお前だよ」が私達の感覚なのは確かでしょう。およそ日本の古典芸能に世襲が当然の世界は多い、その世襲に対する世間の懐疑を払拭すべく一層の精進に励む。もちろん外様からの移植も現実にあり、芸に対する能力は天性のもので、本作のように血を凌駕することもある。

 その「血」と「天性」とのシーソーを二人の青年に託し、その生々流転を描く。そこに入る前の少年期が結構長く、また演ずる少年がとてつもなく魅力的で、いつになったら吉沢と横浜になるのか?なんて忘れそうに。ことにもイントロである正月の長崎の描写だけで、心を鷲掴みにされました。1964年と言えば東京オリンピックの年、なのにこの時代がかった任侠宴会が、料亭の大広間で一気呵成に描き切る。興行主への挨拶に訪れた半二郎との出会いにより少年の命運が決まる。

 大阪での部屋子生活からは、同い年の跡取り息子である俊介とともに切磋琢磨の日々。厳しくとも練習が出来る喜びを炸裂する喜久雄が微笑ましい。やがて、本来の主役の二人に代わるが、まるで違和感ない。よくぞ、当代きってのイケメンかつ演技派の吉沢と横浜が押さえられたもので。美形揃いでなければ決して成り立たないお話で。鏡に向かう姿勢からして完璧に物語を表現し、白塗り娘に仕上げた美しさは格別で、しつこいくらいにアップで捉える。

 ただ、彼等を取り巻く女たちの描写に手が回らず、ことにもラストシーンでの父親との再会も、なんの情緒も湧かないのが惜しまれる。寺島しのぶ扮する半二郎の妻も、「この泥棒が・・」と喜久雄を責め、五月蠅く冷酷にしか描かれないのも残念で。舞台化粧後も一瞬どっちかな?と迷うシーンも多々あり、悩ましい。国宝たる万菊(田中眠)が引退後とはいえ何故に安アパートなのか? などなど仔細に、程ほどの欠陥も内包してますが、舞台への執念描写の力強さの勢いで十分となってしまいます。

 そして歌舞伎の名場面集を客席からだけでなく、舞台にもグルリと回るカメラで、実際以上に美しく感動的に描写されるのが圧巻です。主演の二人も相当どころか、それこそ血のにじむ鍛錬の成果が、映像に血となり肉となり定着しているのが、観客に伝わるのです。女郎の「はつ」の気持ちに入り込まなければまるでダメとセリフにあるとおり、吉沢と横浜は入魂の演技を成し遂げた。二度にわたる曽根崎心中の舞台は、それぞれの内面と重なり見ごたえ充分です。

クニオ
PR U-NEXTなら
映画チケットがいつでも1,500円!

詳細は遷移先をご確認ください。