盤上の向日葵のレビュー・感想・評価
全86件中、61~80件目を表示
賛否分かれるとは思うけどオレ的には良作
諸事情により夕方以降での上映作品から何となく選んで観に行った。
原作は知る人はともかく、オレ含めて知らなかった人は予告から察する通り、ハッピーエンドではない。
ただ、捜査線から見えてくる事実と、本人しか知り得ない真実が、観客が望まない形で交わるストーリーはなるほどと思った。また、主人公のするべきではない選択も、自分がそうであったら絶対に避けらたとは言い切れない描写も納得できるかも、、、と思った。
何よりキャスト選択がオレ的にはとても良かった。坂口さん、渡辺さんはともかく、その他の方も様々な作品で自分の良さを磨き上げてきているだけに、それぞれの役回りから作品を仕上げていたし、日本の自然や生活費を織り交ぜてくる感じも好きだった。
映画の時間枠という制約、監督含む制作サイドの視点がある以上、原作者の理想通りにはならない部分あるとしても良くまとまっていたと思うし、感情入る部分もあったから良作だと思う。
でも、でもー!主人公最後に思い止まったのが変化だったとしても!これ、光あるはずの世界の破滅に繋がらないように済ませられたらと多くの人は思っただろうし、オレもそう思ったよ!( ; ; )
天才棋士の呪われた血
将棋を軸に山林で発見された謎めく
白骨遺体事件と天才棋士の壮絶で
哀しい人生が描かれたヒューマンドラマ。
赤い服を着た母親と黄色い向日葵。
母の幻影が感じ取れて見れるのだろう。
唯一の思い出と安らぐ空間。
でも明るい場所だがとてもせつない。
故郷の父、育ての父、将棋を託した父。
桂介の周りには良縁や悪縁が入り乱れ
愛情と愛憎がずっと続く。
三者三様の父だがこの重いミステリー
に重厚さを与えている3人だ。
死んでる目、輝きの目を演じる坂口健太郎さんは
は良かった。あの音尾さんと格闘シーンの涙。
あの演技は凄い。
東明役の渡辺謙さん。かなりのクズの真剣士。
でも桂介の人生に将棋を必ず引き込ませる
姿は男だ。
あのベランダから飛び降りの時、将棋の駒の
音で正気に戻させるのが渋い。
勝負の世界に足を突っ込んだ二人しか
感じない特殊な異空間だ。背中と顔に刻まれる
宿命と傷と絆。駒の響きと共に。
この二人、どんだけ将棋を愛してるのだろう
と笑った。謙さんに引っぱられ坂口さんの演技が
ワンランク上がった気がした。謙さんの背中を
ずっと追って欲しいと願う。
柄本明さんの勝負は短いシーンではあるが
見応えがあり、あのキーンと張りつめた
緊張感。さすがだ。
盤上に響き渡る1手1手の駒に自分の
運命を注ぐ姿は生き様そのもの。
対局相手に対してのリスペクトと尊厳
感謝を持っている。そういう世界。
呪われた血を受け止め、逃げずに盤上に
向かう姿は断ち切った感じ。
盤上に気持ちを練り込み、また違う向日葵を
咲かして欲しい。そこには赤い光が違った
体温と心で感じるだろう。
勝ち負けだけではない人間の何かを
感じる骨太な映画でした。
悲惨な人生
俳優陣の演技は見事。
アウトローな渡辺謙はずっと格好良いし、すごく惹き込まれるパワーが強い。
しかし物語はただただクズに振り回され幸せになる機会を棒に振るかわいそうな青年の末路を見せつけられて終わり。
「サイコな天才棋士の殺人を暴くサスペンス」とか「真相としては完全に無罪」だったらどれほど良かったか…
面白かったです!個人的にはサスペンス調なので国宝よりも
導入部からずっと面白かった。国宝は個人的には世間で言われてるほど入ってこなかった(たぶん歌舞伎に全く興味ないから、なんでしょうけど)。 んですが、将棋は(刺さないけど)勝負の世界、なのでわかりやすかった。
【良かった点/特に良かった点/イマイチに感じた点/コスパ/その他など】
○良かった点
純粋にキャストが豪華で見応えありました。幼少に将棋に出会って、そこからのハートフルな話がすごくよかったです。そこからまた起承転なわけですが・・・。
◎特に良かった点
渡辺謙さんと塚本明さんが一騎打ちするシーン、かっこよすぎでしょ、、、坂口健太郎さんそっちのけですが。
✕イマイチに感じた点
これはどうしても触れずにおれないですが、坂口健太郎さん、どうしても童顔なので髭似合わん(汗) もう少しメイクでどうにかならんかったのかね、、、。
佐々木蔵之介さんが井之頭五郎ちゃんにしか思えてしまったの自分だけ?
・コスパ
映画レビューに本来コスパっていれてないんですが、今回敢えて入れました。というのはファーストデーで1300で観たのですが、高いよなぁと。
商業施設での時間単価で考えれば、高くないんですけど、一方で動画サービスの普及を考えると、普段の2000が高すぎて、ファーストデーでも1300かぁ〜と。
・その他など
東野圭吾さんの百夜行や幻夜みたいな印象をうけました。家庭事情で生き方を選べない子供がやっと社会に出ていけたかと思えば、今度は親がたかってくるという、まぁわかりやすい展開ではありましたが。
なんだけど、あの胸糞悪い父親設定も背景知ると、憎みきれないんだよね、、、腐りすぎとは思うが。元凶は近親相姦したあげく、罪をなすりつけて駆け落ちにひきずりこんだ母親じゃん、、、という。
ネグレクトされた子供が、僅かな父親の優しさの思い出「忘年会の景品で将棋セットをもらってそれをくれたこと」を美化してしまうのはありそうだけど、あれも気まぐれというか。それでも子供にとってはすごく心が動いた出来事だったわけで、そういうのが色々と絡み合って、見応えありました。
▲(先手)2六歩、△(後手)3四歩、と言われてすぐに譜面が頭に浮かぶ人が羨ましい
原作を読んでからの鑑賞。
尺の問題もあるので当然、改編や割愛はあるが、監督が「この原作をどのように解釈し、どの部分を映像として表現したかったのか」を想像するのもまた楽しみのひとつです。
【向日葵について】
原作では、偶然立ち寄った大型書店(たぶん新宿の紀伊国屋書店)で出逢ったゴッホの画集の中の『ひまわり』のなかに亡き母を見出します。
「ゴッホが描いた向日葵は、亡き母そのものだった。
背景の白に近い浅緑は母の淡さで、カンヴァスの中央に咲く花は、母の美しさと重なった。そしてなによりも似ていたのは、薄暗さだった。」(中公文庫下巻P11)
ゴッホが描いた向日葵は仄暗く、絵を明るくするはずの要素が逆に陰影を濃くし、その逆転の変異が、いつも顔に笑みを浮かべていたのに、ひどく寂しげに感じた母の姿にそっくりだと感じていたのです。
桂介は対局中に重要な一手を打つ直前、偏頭痛に襲われ、盤面に向日葵が咲くことがある。
9×9=81マスすべてに咲き誇った後に一か所だけ向日葵の残像が消えないマス目が残る。
それが決め手となり、桂介が勝利を積み重ねていくのですが、壬生に挑む竜昇戦の最終第7局においては、いくら待っても向日葵が咲かないのです。そして、勝負の行方は…
映画においては、ゴッホの絵画については触れられず、原作には出てこない「ひまわり農園と土屋太鳳さん」を登場させ、向日葵のイメージを映像として表現。おそらくその明るさが、東明重慶という影しか纏っていない男に「生き切ろ!」と言われることとの対比で向日葵の持つ前向きなイメージと結びつけたのだと思います。
東明重慶という影の濃い男が向日葵の明るさとそこから生まれる陰影を際立たせ、桂介という人間の内面を浮かび上がらせる効果を生み出しています。
【唐沢夫妻について】
桂介の今日があるのは、唐沢夫妻のおかげといっても過言ではなく、映画を見ながら、原作での唐沢夫妻の桂介に対する思いとサポートを追想するだけで泣けてしまうのです。
唐沢は、幼い桂介との対局でも決して手を抜くことはなく、実力が上だからといって、手を抜くのは対戦相手へのリスペクトを欠く行為であることを対戦を通じて教えていきます。
唐沢から受け取った名匠・初代菊水月作の将棋駒は、最後まで将棋の世界で生き抜いた東明に捧げられたが、それは桂介にとっての父親が唐沢から東明に引き継がれたことの象徴だったようにも思えるのです。
【ラスト】
原作小説と映画、どちらも桂介がこれからどうなっていくのかを示唆することで終わりますが、たぶん正反対の方を向いています。どちらが好みかは見る人、読む人次第ですが、個人的には映画のほうがいいかな、と思っています。
盤上の沈黙が呼び戻す“生のリズム”人間の「業」と「赦し」
柚月裕子の原作を熊澤尚人監督が映画化した本作は、単なる将棋ミステリーではない。むしろこれは「人間の尊厳をどう保つか」という社会派ヒューマンドラマであり、その質感は明らかに松本清張的だ。構成の重層性、陰影の深い照明、そして「才能」「出自」「罪」の三層構造を通じて描かれる人生の皮膜。これを“清張以後の『砂の器』”と呼ぶのは、決して大げさではない。
主人公・上条桂介は、天才と称されながらも、生い立ちの闇に蝕まれた棋士。対する東明重慶は、裏社会の賭け将棋で生きてきた勝負師。彼らは単なる対立軸ではない。光と影、盤上と盤外、正道と邪道――そのすべてが互いを映す鏡であり、どちらか一方が消えると、もう一方も存在できない。映画はこの二人を通して、「勝負とは生きることそのものだ」という命題を突きつけてくる。
特筆すべきは、終盤に上条が飛び降りを試みる瞬間、東明は何も語らず、ただ盤上に駒を並べ始める。カチ、カチ、カチ──その音だけが風の中に響く。東明は何も発しない。だがその駒音こそ、上条の心に刻まれた唯一の“言語”だ。
この演出が卓越しているのは、音が記憶と命を繋ぎ直すという点。駒音は、上条にとって“父の声”であり、“生のリズム”でもある。理屈も説得もいらない。人は、誰かに「生きろ」と命じられるのではなく、「生きてほしい」という行為によって救われる。この瞬間、映画は“盤上の向日葵”というタイトルを超えて、「沈黙の中にある愛情」という普遍的な主題に到達する。
熊澤監督は、構図と音のリズムで感情を語る。画面の多くは灰色と木の色で構成され、温度のある色彩はわずかに差し込む向日葵の黄色だけ。盤上の木肌の光沢は、まるで人間の皮膚のようであり、駒音が打たれるたびに“生命の鼓動”のように響く。『砂の器』における和賀英良のピアノが“贖罪の旋律”であったように、ここでは駒音が祈りの旋律となる。
東明が上条に放つ「お前ならプロになれる」という台詞もまた、勝負師の矛盾を凝縮した言葉だ。プロを「遊び」と切り捨てていた彼が、最後にそれを肯定する。そこには、敗北でも誇りでもなく、“赦し”がある。自分のようには生きるな。お前は盤上で光を掴め。その静かな願いが、言葉よりも深く観客に響く。
近年、邦画の中でこれほど「沈黙」を力に変えた作品は稀であると思う。SNSのノイズが支配する時代にあって、駒の音だけで人の生死を語る映画。清張の筆が現代に蘇ったとすれば、それはこの沈黙の中にこそある。
『盤上の向日葵』は、勝敗を超えた「人間の最終局面」を描く。勝つとは、生きること。
そして生きるとは、誰かの駒音を心で聞くこと。観終わったあと、静寂が胸に残る。それは敗者の音ではなく、まだ終わっていない“人生の一手”の余韻ではないだろうか。
某傑作映画のオマージュ…
刑事視点で事件を追いながら、犯人を追い詰めていく感じが、丹波哲郎さんや加藤剛さんが出演されていた『砂の器』に結構似ていたよなぁーと他にも感じた方いますか?
終始重苦しい雰囲気に包まれているので、評価は分かれると思いますが、自分は高評価にしました
エンドロールのサザンの曲が作品に合っていて良かったのでカラオケでレパートリーに加えたいと思います
タイトルなし(ネタバレ)
思ったより心が苦しい作品でした
ストーリーは、最初謎が多いけど段々と明かされていく展開で、やっぱりこういう展開には引き込まれます
しかも謎はどんどんと増えていきそれが、テンポ良く明かされていくので、最後まで目が離せない作品でした
正直本当に最初の方はちょっとリアルっぽくない見せ方もあって、若干戸惑いましたが
すぐに慣れてきました
キャストの演技もそれぞれのキャラクターにカチッとハマっていました
特に小日向文世さんはめちゃくちゃ合ってました‼︎
あの滲み出る包み込むような優しさはあのキャラクターに深みを増していました
将棋のシーンでは今どういう状況かはあんまり分からないのですが、それぞれのキャストの演技の迫力で画面から目が離せない‼︎
渡辺謙さんと柄本明さんの対決は顔アップになった時の、迫力と貫禄とかっこよさと本気さなどなど、色んなのが画面から伝わってきてめちゃくちゃ引き込まれました
恩師の将棋がかかっているという状況もより緊張感を際立てていて良い展開でした
坂口健太郎さんの目の奥が笑っていない演技は圧巻でした
ラストの決意の表情は一度観たら忘れられません
そう、この作品ラストが一度観たら忘れられない
警察達はピントが合ってなくて、将棋の相手にしか目がいってない演出には震えるし、
演技も相まってこの作品で凄まじいインパクトを残し、観客に今までの映画のことを思い出させてきます
そしてこの作品で1番心に訴えかけてくるシーンになっていました
最近観たっていうのもあるかもしれないけど、国宝や愚か者の身分と通ずる所もあるなと感じました
ハードボイルド
な将棋士物語?
雰囲気は良かったんだけど、冷静に振り返るとクズだらけの支離滅裂なツッコミどころ満載な話。
東名が上条に「俺を殺して埋めてくれ」と頼んだシーン、
上条は人殺しに巻き込まれるだけでメリットは何もないのになぜ了承するのか?
自分だったら「死にたきゃ独りで勝手に死になさいよ」と返す(笑)
また、その後東名は上条を人殺しに巻き込んでおきながら「生き抜け」とも言って、この人は一体何を言ってるんだ?バカですか?と思ってしまった苦笑
坂口健太郎は全編かっこよかったが、音尾琢真と渡辺謙はずっとクズだった(笑)
力作
将棋、というか真剣師をストーリーのキモに置いた、ヒューマン・ミステリーといったところでしょうか。原作小説は未読。
真剣師(賭け将棋)の世界をここまで明確に表現した作品も珍しく、チャレンジングではある。
映画は、刑事二人が全国を回り、犯人?は前途有望な天才とくれば、「砂の器」をどうしたって思い浮かべる。原作もそうなんでしょうか?
で、それはいいのだが、刑事役の佐々木蔵之介氏の演技はなに?
「砂の器」の丹波哲郎オマージュ?それとも監督の指導によるもの?
どちらにしても、この映画の世界観の中では、「変」でしかない。
佐々木氏は、「ゴジラ−1」でも、変なテンションの演技をしていたけれど、こういうのを求めている人って、いるのか?
俳優では、さすがの渡辺謙である。鬼気迫る感じがとても良かった。
ただ、最後、なぜに上条に自分を殺させようとしたのか謎。これは原作読まないとダメかな。
東北一の真剣師を演じていた柄本明さん。好き放題に演技してたでしょ。
主役?の坂口健太郎、彼らと比べると、若干影が薄い。意図してなのか、結果そうなっちゃったのか。
あと、タイトルにある「盤上」と「向日葵」の描き方が、なんというか通り一遍な感じがした。
もちょっと、盤上の戦いをじっくり見せてくれても良かっただろうし、向日葵畑を印象的に魅せることもできたはず。
力作なのは間違いないが、何か一つ二つ足りない感じ。
それが何かは、私にはわかりませんが。
たかられてばかりの主人公が不憫
予想以上に良かったです。
将棋に興味ない私でも十分楽しめました。
けれども、主人公が不憫過ぎて辛かったです。
幸せな家庭を築く寸前、父や師匠に居場所を突き止められなければ、彼も人並みの幸せを得られたろうに。
映画としてのインパクトはなくなりますが、主人公には将棋を捨てて、あの場所で家庭を築いて生きて欲しかったと思います。
最後は師匠の渡辺謙が全ての罪を背負ってくれて、主人公が無実となるのかと思いきや、とうとう最後まで主人公に迷惑かけて死んでいきました。あの結末では、「生きろ」みたいなセリフも私にはあまり響きませんでした。
序盤、子供時代の主人公を優しく導く元校長先生、小日向文世の存在が救いでした。
これまでアウトレイジのずる賢い刑事の印象が強かったのですが、この映画でだいぶイメージが変わりました。
「砂の器」のような「宿命」が感じられなかったのが残念でならない
ベテランと若手の刑事のコンビが殺人事件の捜査のために全国を行脚し、世間で脚光を浴びる有名人が被疑者として浮かび上がるという、「砂の器」を彷彿とさせるようなクラシカルは作りは、1970年代から1990年前後という時代背景に合わせたものなのだろうか?
確かに、現代を舞台にして「賭け将棋」の世界を描くのは難しいだろうし、主人公の不幸な生い立ちに現実味を持たせるためには、虐待を受けている児童を保護する制度が整っていなかった時代を舞台にする必要があったのだろう。
ただ、せっかく昭和の末期を描くのであれば、バブル景気に浮かれていた当時の世相を、(主人公が東大を卒業して外資系企業で稼ぐというエピソードは紹介されるものの)もっと物語に反映させてもよかったのではないかと思ってしまった。
主人公の人生に父親のような影響を及ぼす3人の男達にしても、渡辺謙が演じる真剣師は、悪人でありながら人間的な魅力を放っていて、深みのあるキャラクターになっているのだが、小日向文世が演じる元校長と、音尾琢真が演じる育ての親は、それぞれ「善い人」と「クズ男」過ぎて、人物造形が平板に感じられた。特に、育ての親については、自分とは血の繋がっていない子供を育てていた訳だし、息子に飴をやったり、景品の将棋盤を渡したりする時に垣間見せる優しさが印象的だっただけに、そうした面がもっと強調されても良かったのではないかと思えてならない。
殺人事件の全容については、終盤までに、大方の予想がついてしまうし、わざわざ、捜査本部で、ベテラン刑事が説明してくれるのだが、だったら、最後にあっと驚くような「どんでん返し」があるのかもしれないと期待していると、ほとんど刑事の説明の通りで、何だか拍子抜けしてしまった。刑事の説明と違うところは、殺人教唆の証人を抹殺したのではなく、嘱託殺人だったということくらいで、主人公が殺人を犯して、今後、プロ棋士として生きていけなくなるという事実に変わりはない。
そもそも、余命が短く、間もなく死を迎えようとしていた真剣師が、どうして、主人公に「自分を殺してくれ」と頼んだのかがよく分からない。そんなことをしたら、主人公が犯罪者になってしまうのは明らかで、主人公にプロ棋士になることを勧めたり、「生き抜け」と訴えたりすることと、まるで辻褄が合っていないのである。
その一方で、主人公は、真剣師が育ての親を殺すのを黙認したことで、自分が殺人犯になったことを自覚していたし、すぐにアシがつくような将棋の駒を真剣師の遺体と共に埋めた時点で、警察から逃げおおせるつもりもなかったのだろう。
そうであるならば、「育ての親を殺したのは、自らの出生の秘密を隠蔽しようとした主人公だった」という筋立てにして、それでも、真剣師が、主人公に「生き抜け」と訴えた方が、よほどシンプルで筋の通ったストーリーになったのではないだろうか?
高速ビルの手すりの向こうに、母親の思い出と重なる向日葵を見て、一瞬、投身自殺の誘惑に駆られた主人公が、それでも思いとどまり、生きることを決意するラストシーンが印象的だっただけに、そこに至る経緯に、「砂の器」のような人間の「宿命」を感じることができなかったのが、残念に思えてならなかった。
主人公は誰?
あんなに希少で高価なものを一緒に埋葬しちゃだめ(笑)
すぐに足がついちゃうし、もっとも彼はバレてもいいと思ったのかもしれないけど。
渡辺謙、佐々木蔵之介、柄本明、音尾琢真の重く大げさで暑苦しい演技ばかり目立って、真の主演は誰?って感じです。坂口健太郎も頑張ってはいるんだけど。何と言っても一番の見せ場が柄本明VS渡辺謙じゃなぁ。。。。
女優陣も薄幸な感じの木村多江、片岡礼子、土屋太鳳に、これもまた幸薄そうな台湾女優ジエン・マンシューがめちゃ良かったけど。彼女もこれから日本の仕事が増えるんじゃないかな?
謎の伏線、回収されず。
主人公が少年時代に手を差し伸べてくれた元校長先生、将棋の手を考えるとき、右手で右耳の耳たぶを触るのが癖でした。その描写が何度もあり、
大人になった主人公も将棋をする時に右手で右の耳たぶを触る癖が描写されたので、
もしや元校長先生の隠し子?あるいは親戚?親族?だから単なる新聞配達の少年にここまでしてあげるのか?と思ってました。
*****
だって不遇な少年をそんなに助けてたらいくら財産があっても足りません。全く無関係な少年に、いくら虐待されて可哀想といっても温泉旅行やら洋服やら、棋士になるためのテストを受ける料金やその他生活面の資金を全て援助してあげる?
そんな足長おじさんになった理由が分かりません。
親族、隠し子とかなら納得しますが。
結局母親とその実の兄との近親相姦で生まれた子ども??
その兄である主人公の本当の父親はすでに自殺してしまってこの世にいない??
じゃあ元校長先生は本当に全くの赤の他人????
じゃあ何で耳たぶを触る癖が同じなの??!!!!
しばらく面倒を見てもらったからって、他人のおじさんと仕草が似るようになるなんてこと、ある???そして赤の他人ならそもそも耳たぶを触る同じ癖があるなんて描写自体、全く無駄なエピソードです。この映画の中に全く必要ない。
元校長先生が「心の中では本当のお父さんのように慕っていた人」であったことは、あの託された貴重な将棋駒を大事にしまっていたことや、「あの人のように誰かを助ける人になりたい」という発言で充分伝わるし。
*****
。。。。ただこうなると渡辺謙さん演じる棋士を埋葬する時にその大事な駒を一緒に埋葬したのが全く理解出来ない。
育ての親と言ってもいいほど慕っていて「必ず返してくれ!!」と拘っていた大切な駒、いくら将棋のテクニックとかはまぁ教えてくれたにせよ、日本に数セットしかない貴重品なら購入履歴からすぐ足がつくし、何より元校長先生との大切な思い出の駒。
(いつ買い戻したのか不明だったのもモヤモヤしましたけど)
ずっと大事にこの駒を持ち続けるんじゃなかったの?
何故この棋士とともに埋めてしまったのか?
あんなに元校長先生を慕っていたのに
逮捕される寸前に上着のポケットに入れていたのは
埋葬した棋士との思い出の(そして少なくとも死体遺棄での罪の証拠になってしまう)、死亡時の返り血を浴びた歩の駒???
いややっぱり簡単に足がつく珍しい駒を一緒に埋葬したのが本当に不可解。
「生き抜け!」みたいに言われたことを全うするなら簡単に逮捕されるような証拠を残していかないでしょう。。
逮捕されたら将棋うてなくなるのに、主人公の心情が理解出来なくてなんだかな。。という感じでした。
とりあえず耳たぶ触る癖、この伏線が何も回収されずスルーされた脚本だったため残念な作品でした。
耳を触るくせ。
光と闇を持つ天才棋士・上条圭介の話。
山中で見つかる白骨死体とその白骨死体の胸に置かれる、この世に7組しかない希少な将棋駒、…の出どころと犯人を捜す刑事と、捜査で分かっていく上条圭介の生い立ち…。
将棋ルール知らない興味ないで正直刺さなかった序盤、ストーリーは進み子供時代の圭介と元校長のエピソードから感情移入、その辺りから面白くなってきた印象。
圭介の金をたかる父との関係性…、子供の時見た将棋誌で知った棋士・東明、ストーリーは進み実の父はこの人!?と思ったけれど見当違い…(笑)
血の繋がらない父の死は何か鬱陶しからいいよね!と思うものの、東明の死は…そんな死に方なら圭介の手を汚さないで独りで逝けよ!って率直に思った。
『将棋』=「任侠」??
主人公 上条の 知られざる 出生~ 生い立ち。。とても 数奇で 不幸に 満ち溢れていた人生。。両親や 周りの 関わる人物からの 影響力が。出生に 関しての 信じがたい話、行く 先々での 出会い。。いずれの 全てに 上手く 歯車が 噛み合わない 流れ。上手く 行きかけても 待ったを かける者。可哀想でしたね。。『向日葵』最近 観た 「ストロベリームーン」も 劇中に 描かれて いました。彼の心が 和む 唯一 母の 想い出の中で 甦り 出会える(妄想)向日葵畑。。一面 キレイでした。幼少期からの 虐待や そして 殺人とかに 至るまで。。 それが 『将棋』と 出会ってしまったから。。とは 言いたくは ありませんが。この作品を 観て 将棋=任侠なの?って いうほどの 暴力や お金の汚い部分が 数多く 描かれてました。 何が あろうとも「生ききるんだ。」 最後の 囁きのシーンが 彼の これからの 人生の 『強さ』かな。って思いました。生まれた子供は 親を 選べない。。って 複雑で且つ 胸が 強く 締め付けられましたね。
よくできた脚本、素晴らしい役者たち、それでも、、、
それでも、映画としてはどうなのだろうか。
物語は冴えている、役者のネームバリューに不足なし(むしろ豪華な部類)なので、問題は映像ということになる。
この作品で映画らしい絵を撮るとすれば、題名にもある向日葵しかない。が、その向日葵に感動はない。近所の菜の花畑然としていて、なんというか、芸術というか、非日常というか、ありえないくらいの向日葵の(『純銀モザイク』の菜の花のような)圧倒する絵は、ない。
そもそも、この物語には、映画館のスクリーンだからこそ、という見ごたえのあるspectacular(< spectacle = 見世物)な設定がないのだから、映像美の欠如はカメラマンのせいでも監督のせいでもない。
渡辺謙と坂口健太郎の演技は(後者には批判的な意見もあるようだが)しっくりきた。むしろ、キテレツな役どころだからそういうことになっているのかもしれないのだが、柄本、渡辺、佐々木はあまりにもキテレツだった。佐々木の「お父さん、わたしにもそういう経験があるから」云々のくだりは、世慣れた刑事の上手な嘘なのか、刑事も背負っている物があることを言いたかったのか、わからなかった。
公開2日目にしてガラガラなのは、何かしらのTIP/情報があって、多くの人にとってこの作品は<観なくてはいけない>範疇にはないと判断されている。テレビ放送で、3時間枠のスペシャルドラマだったら、間違いなく話題をかっさらっていたと思う。が、映画には向いていない。
理解しがたいことが多い
原作未読です。
出演者の方々は皆さん素晴らしかったです。
でも、ストーリーはもやもやが残ります。
なぜ東大にも行き、一流会社にも勤務できる主人公が、簡単に騙されて大切な恩人の駒を奪われ、いつまでも付きまとう父親に振り回され、なぜか農園で働き、最後に駒を死体と埋めてしまうのか。
納得ができず、感情移入ができなかったです。
きっと原作では丁寧に描かれているのかもしれませんが、もやもやします。
遺体と一緒に駒を埋め、そしてなぜプロ棋士の道に進んだのか,ばれてしまうのに。そこをもう少し丁寧に描いて欲しかったです。
あと将棋シーンが多いのですが、パチパチという駒の効果音ばかりで盤上の様子がわからず、盛り上がりませんでした。
謙さんもまくってくるか?!
今年も残り僅かとなりましたが(早い?)
見応えのある邦画がここに来て
どどん!と2本公開です。
皆さん待ちに待っていましたよね。
「爆弾」と本作。
皆さんはどっちが好みでしたか?
笑顔封印の坂口君にも魅せられましたが、
やはり圧巻!謙さんの存在感!
何だかどれも「助演」が凄い事に!
こちらの謙さんもまくってくるかぁ〜?!
どこもかしこも熱いです!
ワタクシ的には会話劇が好きなので「爆弾」にやや軍配が上がるか?
心揺さぶられたのは絶対にコッチなんですが、こちらは「将棋」を賭け事にしたり、
ヤクザ映画風味が濃過ぎてそこがちょっと残念だったのと、外資の証券マンから講師にとらばーゆも?、行き着いたのが太鳳ちゃんと婚約って、ほえ?って感じだったので、星に差を付けたんですけども。。
まぁ原作には忠実だったからコレはコレで
アリよりのアリ??
じゃーアリじゃん(°▽°)
あ。
でも映画オリジナル太鳳ちゃんパート、要らなくね??
あと蔵之介はんの芝居がデカ過ぎてちょい
うるさかったカナ〜(°▽°)
とはいえ、もう本当にね。
残酷な境遇の中、必死で生きようと頑張る
子供の姿はね。
見ていられないのですよ( ;∀;)
(少年時代の桂介(子役)がガリガリでリアルなのよ( ;∀;)
母親とは死に別れ(自死?)父親には虐待され、四年生なのに毎朝新聞配達(コレだってあの父親に強制的にやらされているんだろう)
それなのに桂介はあんな父親からでさえ褒められたいし愛されたい。
本当に見ているのが辛い。
そんな夢や希望もない毎日を送る桂介に将棋の楽しさを教えてくれた唐沢夫妻が希望だったけど、結局桂介の不幸は終わらない。
(ガマさんになるかとヒヤヒヤ)
どこまでも追いかけてくる父親。
多額の手切金を用意するも裏切られ、挙句
思いもよらない真実を聞かされる。
親父が実父じゃなかった!なんて、じゃぁ今までの我慢は何だったのか!
そして
近親○○って衝撃度MAXです( ;∀;)
立ち直れねーーデス( ;∀;)
桂介が少年時代に見ていた将棋雑誌に載っていた憧れの存在だった東明。
大人になった桂介は彼と出会い行動を共にするが、東明も又、将棋指しとしては超一流だが人間としては最悪で、結局唐沢から譲られた将棋の駒も奴のせいで奪われてしまう。
頑張っては足を引っ張られ、幸せに手が届きそうになると断ち切られる。
挙句死期の迫った東明の願いを聞き入れてしまい、彼の死に関与してしまう。
唯一幸せだった時間。
女と暮らした町が見えるこの高台に埋めてくれ。。って何やねん!!
東明なんて勝手に死んで勝手に土に還ればいーじゃんか!って思って観てた。
のに。。
何年もかけて貯めたお金で取り戻した唐沢の将棋の駒を東明の胸に抱かせて埋めた桂介。
正直何故桂介がこの2つの選択をしたのかが理解出来ない。
あの親父をヤッテくれたから?
外道だと理解していても彼の指す将棋が強かったから東明の将棋に魅せられてしまったの?
ワカラナイだって東明と桂介は師弟関係にあった訳でもないし、2人の間に絆は見えなかった。。
ラストは見せないでくれて良かった。
見たくなかった。
桑田さんの歌声が全部引き受けてくれて良かった。
○印象的なシーン涙出ないけど泣いた○
⚫︎もらったマフラーを握りしめて初めて唐沢の家にやって来た桂介。
その後も唐沢の家に通う様になった桂介の姿を同じカットで何度も繰り返す。
最初は無言で扉を開け、恐る恐る入って行くが、徐々に変化していき挨拶出来るようになる。
返事が出来る様になる。
⚫︎アザだらけの桂介の体をタオルで隠し、優しく洗ってあげながら涙する唐沢。
ここは流石の私でも鼻の奥がツーンとした
( ;∀;)
⚫︎温泉の休憩所で初めて唐沢以外の人と将棋を指す。
皆んなに褒められる。
初めて勝った時に見せた控えめな笑顔。
⚫︎次の一手を考える時は耳を触る。
これは唐沢の真似だったのね( ;∀;)
⚫︎自分の出自に絶望して窓に足をかける桂介。
それを見た東明は、声を掛けるわけでもなく、盤上に駒を並べ始める。
パチン。パチン。
その音を聞いてよろよろと部屋に戻る桂介。
⚫︎そしてやっぱり柄本明さんの貫禄!
まぢ○んじゃうんじゃないかと思った。
それにしても右近のアゴが忘れられない夜です。
将棋が軸のお話しなのに将棋の勝負が描かれていない
けっこう期待外れでした。
ミステリーなのに、話の奥深さに少し欠けているような気がします。
脚本と演出の問題なのか、各々の役者さんの演技もあまり深みが感じられません。
鍵になる子役の演技が、少し物足りないです。小日向文世さんは、ストレート過ぎる役でちょっとミスマッチ。
その妻役の木村佳乃さんも、年代的にミスマッチ。
佐々木蔵之介さんは、役のキャラクターが不鮮明(これは脚本の問題)。
渡辺謙さんは、一本調子の演技で物語全体をダレさせている気がします。最近の渡辺謙さん、ちょっと物足りないですね。
柄本明さんは、ステレオタイプの演技。これも脚本や演出の問題かな。
ヒロインの土屋太鳳さんは、全く魅力が感じられませんでした。ちょっとお疲れ気味?
主役の坂口健太郎さんは、役にはハマっていましたが、お話しがとっ散らかっているので、ちょっと空回りに思いました。
将棋が軸のお話しなのに、全く将棋の勝負が描かれていないです。ガワだけ使っている感じがして良くないですね。
要するに、全部があまり良くなかった。
偶々だとは思いますが、初日の夕方なのに劇場はガラガラで、一割くらいしかお客さんが入っていませんでした。
全86件中、61~80件目を表示








