「国宝は逃したけど」盤上の向日葵 hotakiさんの映画レビュー(感想・評価)
国宝は逃したけど
山中で発見された白骨体。
真相を追う刑事は 若手とベテランのコンビ。足を使って、東奔西走。
と、くれば あの名作サスペンス映画を想起しませんか? 国宝は逃したけど 松竹にはサスペンスがある。
期待に胸ふくらませ、いざ鑑賞。
小生未読だが 原作は柚木裕子。いいペースでその作品が映像化されている。おもうにこの作家が扱う題材に魅かれるのはもちろん、映画制作者のつけいる隙も多々あるのだろう。映像が原作を凌駕できる。映画制作者にとって 非常に相性がいい作家なのだとおもう。
しかし残念なことに 本作品はそうならなかった。
早々に容疑者は割れ、主人公の回想で真相はかたられる。観客は刑事たちが真相追求でなく、確認作業に終始する様に付き合わされる展開になる。
薄い非常にうすい。昔 喫茶店で普通のホットコーヒーにお湯を注ぎたし アメリカンと称して提供されていたものと同じくらい薄い、『砂の器』だ。作り手は砂の器を意識していただろうから、薄さが際立つ。
冬の早朝 新聞配達をしていた少年時代の主人公。小さな手にできたあかぎれが痛々しい。キービジュアルとなる広がるヒマワリ畑
季節を感じながら、物語が展開していく。
これが記号でしかない。はい、ここは冬。はい、ここは夏。って感じで。
本家の冒頭シーンみたいに、観客は空気を感じられない。スクリーンから沸きたつあの暑さを。
映像が平たく見えた。小生はどこにも寄り添えないただの傍観者でしかなくなった。
出てくる大人がどいつもねじくれて、痛い。痛いだけならまだしも、歪んだ愛情を押しつけてくるから、たまったもんじゃない。
唯一 善となる立ち位置のはずの小日向文世演ずる元教師すら、ねじくれて見える。
父親の非道はいうまでもないが、渡辺謙演ずる闇世界の凄腕棋士なんてほんとクズ野郎だ。予告やテレビスポットで流れる感動あおるシーン。その裏で闇棋士は何であんなことを主人公に望んだのか。まったく理解できない。主人公があまりに無垢であるばかりに ドツボを踏まされる状況は、悲劇でなく、もはや喜劇だ。渡辺謙と柄本明演ずる老棋士の対局シーン。鬼気せまるにらみ合いではじまる。老棋士が体調を崩したとたん、場を志村けんとのコントに変えてしまう柄本明は、まさに喜劇を実践しちゃってる。閑話休題。
没入できずに終映をむかえたが 主人公を演じた坂口健太郎はいい。ねじくれた愛情から逃れられない気弱さ。一転 強さを得てからの変化をみごとに体現してみせる。若手演者がこういう広い振り幅を持っているのはうれしい。少年時代を演じた子役もよかった。
日本映画の役者層に心配なし。あとは制作人が方向性をキチンと示しさえすれば 邦画の快進撃はまだまだ続きますぞ。
最後に本作品が薄かったので小生見えなかったのですが、盤上のどこに向日葵があったのですか?
映画チケットがいつでも1,500円!
詳細は遷移先をご確認ください。
