「真犯人の正体を暴いてよ警察!」正体 movie mammaさんの映画レビュー(感想・評価)
真犯人の正体を暴いてよ警察!
公開前から観たくて観たくて、でも忙しくて、
やっと時間を捻出し鑑賞。
横浜流星はストイックに役に現実でなりきる人だから、殺人犯に現実でなりきることが出来ないのに役作りどうするんだろう?と心配していた。
そして、そうだ!だから横浜流星はやってないんだ!つまり冤罪逃亡者なんだ!と結論に至り鑑賞。
先に予想してしまっていたので、横浜流星の正体に怯えることなく、ひたすらに吉岡里帆の視点で見ていく。
養護施設で育っているから、守ってくれる人も、代わりに戦ってくれる家族もいない。
それでも、学生から死刑囚、死刑囚から逃亡犯となって、逃亡犯として初めて社会生活を味わった時、
どんな仕事でも周りの人に優しく、与えられた仕事以上を出す、逃亡犯として認知されてしまった「鏑木慶一」という名前の人物の、本当の姿が見えてくる。
関わったどの人も彼を悪く言わない。
殺人犯や逃亡犯が「正体」ではなく、
関わった人が感じ取った鏑木が、彼の「正体」。
下校中叫び声を聞いて、何事かと「失礼します」と家を覗いて、うめく人から左利きの手で鎌を抜いてあげた、その優しさが若い未来ある18歳の全てを変えてしまった。
友達ができ、お酒を飲み、外食して、恋をする、多くの若者にとって普通に味わえる成人の生き方全てを奪ってしまった、警察上位職の一存。
人の痛みに鈍い役に、松重豊。
1人でご飯を食べる孤独のグルメで映画が成り立つ俳優さん、私も好きだが、本作の役柄ばかりは許せない。
現場責任を取る刑事役に山田孝之。
どちらかと言うと逃げる側やとち狂う側が多かったような気がするが、キャリアを重ねて、幹部候補に載ってくるような責任ある刑事役がよく似合う。
横浜流星と対峙したら、世の多くは、もし彼が本当に殺人犯でも、騙されてしまうような気がするが、山田孝之は眼光鋭く疑惑の目をやめない。
司法の裁判が先に進み、先に死刑判決が出ているのが本当におかしな話だが、被告としての鏑木に動機は見つかっていないまま。
犯人を逃した事よりも、事件の衝撃で錯乱した被害者から無理やり言質を取り刑事として組織上位の意見の方を優先した事よりも、役割は捜査なんだから捜査をしておくれよ!
次の連続殺人が起きてから、「凶器が鎌だな、あ、あの時と似てる、模倣犯かな?」じゃないんだわ!
特に前田公輝。本質を見抜いてるぶって見えてない役がハマりすぎ。
それでも、真犯人と対峙し、進みゆく現実の事態から、山田孝之の目に映る鏑木の印象は少しずつ変わっていく。
若干の目の動き、眉の動きから、刑事の心情変化が伝わってきて、しっかりと、逃亡犯と向き合う刑事、の構図が成り立っていく。捜査に本気になるスピード、遅っ!ネット記事会社に情報を聞きに来るって、どれだけ怠慢なんだ!
真犯人の経歴から簡単に造園職と凶器は結び付いたはずなのに、そうすれば真犯人の存在アピールとも言うべき第二の犯行は起こらなかったかもしれないのに、眼力だけのとんだ間抜け刑事。こんなのが捜査担当になったせいで横浜流星が苦しんでいるじゃないか!と憤る。
でも、なぜ逃げたのかの質問に
「この世界をもう一度信じたかった。正しいことを正しいと言い信じて貰える世界。もっと生きたいと思った。」
と言われたら、刑事になった頃の正義感、再燃するはずだし、それは上司命令より勝るよね。
18歳が突然殺人死刑囚にされ、逃亡犯として自力で法律を学び、証拠集めしないといけない警察機能なんてどう考えてもおかしいし、お前何のためにいるんだよって存在になるもの。
勾留の面会室で、左に横浜流星、右に山田孝之の画は、弥生人と縄文人の対話に見えて面白かったが、若い鏑木が、稲作ではなく正義を人生をもって、刑事に教えた。その前から、撃ち殺して身柄確保できる場面で2度も仕留めなかったところから、鏑木が犯人と断定できる確信はなかったことがよくわかるのだが。信じる気持ちが少しでもあるのなら、検察じゃないんだから、仕事をちゃんとしてくれ!
警察の怠慢をよく知っている、弁護士の父親が痴漢冤罪で敗訴した記者役の吉岡里帆も、大々的に懸賞金をかけ連日報じられる鏑木と、会社に出入りするフリーライター那須くんに、確信はないがモヤモヤっと、あれ??と疑念を抱く演技が上手だった。見えない目撃者でも、真実に気付くまっすぐな女性を演じていて、本作もとても良かった。
森本慎太郎も、横浜流星と仲が良い平野紫耀の仲良しで、逃亡犯として鏑木が最初に働いた工事現場職の仲間にぴったりである。
鏑木を通して、ゴミだらけだった自室を片付け将来に向き合い、コミック本をくくって片付け、法律本や冤罪証明活動に向き合い始める。
もし鏑木がそのまま死刑になっていたら、養護施設を出て貧困から抜け出そうとするこの子の足掻く人生すらも、鏑木には与えられなかったと思うと恐ろしい。
精神を病んでしまった被害者から証言を得るために、被害者のいる介護施設に入り込み働いている鏑木も、同僚の若い子から好かれる程の人間的魅力があって。
逃げているから痩せ細っている横浜流星だが、だからか余計に関わる者の母性をくすぐる。
最後は結局、人間的な魅力が自分を救ってくれるのかな、という、当然で意外な、ご都合主義に見えてそういうものだよねと納得がいくような、人生の縮図を見たような作品。
「なんで俺だったんだろう」この世は赤の他人のテキトーな意見で、人の人生が簡単に書き換えられてしまう。こわい。
面会室の中で、冤罪を晴らそうとしてくれているメンバー1人1人と話す場面で、涙が止まらなかった。
死刑囚とは知らず、でも人間性に惹かれて好きになったら逃亡され、「もっと違う形で出会いたかったし、話したいことたくさんあるから早く出てきて」
という関係者の溢れ出す心の叫びが、それぞれの涙に溢れていて。
鏑木側は、そこまで信じて親身になって貰えた有り難みと、せっかく出会えて塀を隔てず話せた期間に、打ち明けたくても別人になりすますしかなかった、罪悪感と、正体を知られてから再会する気恥ずかしさが伝わってくる。
冤罪でどれだけのものを奪われるのか、世間の目に負けずに信じてくれる周りの人がどれだけ助けたくても、司法という障壁はどれだけ厚いことか。
その絶望と、痩せた横浜流星は、イエスキリストが十字架に架けられた時の姿となんだか重なった。
事件とは無関係の火傷。施設の生い立ち。他にも沢山傷付いて生きてきたのだろう。
出てから思いっきり陽の光を浴びて、人の温かさを沢山感じられる人生を謳歌してほしい。
もう左利きを隠す事なく。
テーマとして冤罪を扱うだけでなく、
冤罪関係者の心の機微まできちんと伝わるのは、
藤井監督と横浜流星の掛け合わせと、
良い俳優さんが結集しているから。
素晴らしい作品。
山田杏奈演じる介護施設の同僚の女の子の「自分からも周りからも逃げずに向き合うことにした」のあと、複雑で神妙な顔をして「僕は逃げてばかりだったけど」と言う鏑木くん、というか横浜流星と会話してみたい。
「おかえりなさい」「おつかれさまです」のような挨拶を、目を見てゆっくりと、優しく落ち着いて言う鏑木は、横浜流星が演じているから成り立っている。
鏑木の人物像は、横浜流星だからこそ築かれ、横浜流星だから作品の重みも人間味も喜怒哀楽を通り越した複雑で事細かな感情も、しっかりと可視化される素晴らしさ。
これからもずっとファンだし、私もゆっくり挨拶してみようかなと思った。
全てを握る真犯人の狂気の正体はわからずじまいだった。左利き、鎌、殺人、鼻水、ケーキ。。