ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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彼にとってのお日さまは、知らないところで泣いていた
2024.9.13 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(90分、G)
小学6年生のひと冬の初恋を描いた青春映画
監督&脚本は奥山大史
物語の舞台は、北海道にある村
小学6年生の多田拓也(越山敬達)は吃音が原因でクラスに馴染めず、運動神経もさほど良くないことから、野球でもアイスホッケーでもまったく活躍できずにいた
彼には理解者である唯一の親友・コウセイ(潤浩)がいて、相応の学校生活を送っていた
ある日、アイスリンクにてフィギュアの練習をしている三上さくら(中西希亜良)を見かけた拓也は、彼女の演技に魅了されてしまう
それから、放課後に独学でフィギュアの真似事を始め、そんな様子をさくらのコーチである荒川永士(池松壮亮)が見ていた
荒川は少年時代に使っていたフィギュア用のスケート靴を拓也に貸し、基礎的なことを教え始める
そんな様子を見ていたさくらは苛立ちを隠せなかったが、荒川は彼女の気持ちに気づくこともなく、拓也とペアを組ませてアイスダンスの練習をさせてしまう
レベル差は徐々に埋まっていき、拓也とさくらの息も合ってくる
そして、アイスダンスの大会に出ることになったのだが、その直前にさくらは「荒川の秘密」を知ってしまうのである
映画は、とても静かな映画で、ドビュッシーの「月の光」と、窓から差し込む陽光のコントラストで魅せる映画となっていた
LGBTQ+問題が描かれていて、さらに少年少女の素朴な感情が描かれていく
さくらは恋した相手が同性愛者であることを知って傷つくのだが、これは普通の感覚で、それらを社会的に許容するかどうかとは別問題であると言える
ラストで拓也はさくらと再会し、そこで何かを言おうとして映画は終わるのだが、二人がどうなっていくのかはご想像にお任せします、というエンディングになっていた
映画は、語らない映画だが、キャラクターの心情は痛いほどによくわかる内容になっている
さくらの母(山田真歩)も「秘密」を娘から打ち明けられ、その理由を遠回しに荒川に伝えるのだが、相手に配慮しつつも、これ以上さくらが教わりたくないという気持ちを伝えることになっていた
荒川はさくらから「気持ち悪い」とだけ言われてしまうのだが、それはさくらの気持ちが荒川に向いていたことと、生理的な部分が大きいのかな、と感じた
いずれにせよ、とても静かな映画で、展開もそこまで激しくないのだが、キャラクターの内面は恐ろしいほどに動いている作品になっていた
主人公である拓也が問題の蚊帳の外に居続けるというのも斬新で、何もしていないし、何も知らないところで自分の初恋が消えていくのは切なくも感じる
英題は「My Sunshine」というもので、これは解釈によっては「三人それぞれのお日さま」という意味にもなるので、それがうまく噛み合わないもどかしさというものもあるのだと思う
エンディングはこの映画の原案にあたる楽曲でもあるので、あの歌詞が拓也の言いたかったことと捉えるのか、彼の日常を補完しているだけなのかは見方によって変わるのではないだろうか
脆さと危うさ
この映画では脆さと危うさが常に見え隠れする。
冬の雪が溶けていくこと。
どこにでも行ける思春期の心。
男性同土が恋の道を進み続けること。
心から動かされることをやること。
言葉数が少ないことがこの映画に緊張感をもたらす。
誰もが孤独から逃れたいのに、その孤独を捨てることに恐怖を抱え、捨てたとしてもまた戻ってしまう。
それは夏が来て、冬が現れ、また夏に帰る季節と同じだ。
そんな冬の脆さに、危うさにすがりたくなる。
しらふの夢を見ているような今をまっすぐな太陽が貫く。
ぼくにとってのお日さまは何なのだろうか。
タクヤにとって、憧れであるさくら
さくらにとって、私を見てくれる荒川
五十嵐にとって、好きなことを追い続ける荒川
荒川にとって、昔の夢を見させてくれるタクヤとさくら
そのお日さまは、ふとした言葉や少しの行動で、かげりをみせてもう元には戻れない。
誰かを傷つけるくらいなら、夏のままでいい。
こうして僕たちは大人になっていく。
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