ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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なんと、まさかの。
少年&少女のフィギュアを通した成長物語かと思ったら、まさかの展開。中々こーいうシナリオは思いつかないよね。
ダブルベッドを観た時になんか怪しいとは思ったがやっぱり。。。
少女は中学生だったんだね。
気難しいねー。なんか腹立った。
そして最後まで謝らなかったね。
ま、いつか20歳過ぎた頃に悟るんだろうけど。
少年は無邪気で可愛いかったね。
いい意味で単細胞な男の子はいいなって思った。
最後の2人
どんな会話をしたんだろ?
ここで終わるなって思ったらやはり終わった(笑)
凄く気になる。
ドビュッシーの月の光
最高。切ない。
最近は映画で度々使われるけど飽きないなー。
切なさと哀しみ
ラストシーン、ダブダブの中学の制服を着たタクヤが遠くの方から、こちらに向かってやって来る さくら を認める。少し躊躇気味に歩を緩めるが、すぐに何か決心したかのように速足になる。
そして立ち止まりお互い見詰め合う。
タクヤは何事かを言いたくて、言葉を発しようとするも吃音のためなかなか出来ない。かすかに何かくぐもった音が聞こえるか聞こえないか、その瞬間画面は唐突に暗くなる。
タクヤは何を言いたかったのだろう?
「ア、ありがとう」か 「アイスダンス楽しかった」か 「フィギュア頑張ってる?」か
でも結局、どんな言葉もその時のタクヤの気持ちを適確に表現する言葉はないのでは。
映画はすでに私たちにタクヤの経験した、愛おしくも哀しい日々、さくらも同様に切なくも哀しい過去、そして一瞬だったけど楽しく幸せな日々を共有出来たことを表現していた。
スケート場の周りの窓ガラスから射し込む溢れかえる光芒の中、さくらは生き生きと滑り舞い、タクヤの視線はその光の中からさくらを発見し、まるでフラッシュを浴びたかのような経験をする。
でもやはりタクヤはさくらとの再会で、何を伝えたかったのだろう
子役たちの快演
役者は素晴らしい。たぶん、カチッとした台本がない作品なんだろうが、特に小6男子役の演技が自然で、ほんとに可愛らしい。
コーチ役の若葉竜也は「市子」の人ですね。ベテランだけあっての安定感。一番、演技は初心者っぽかったJC女子は、クールな超絶美少女なので、これで良い。全くの新人らしいですが、透明感半端ない。
展開としては、残念なのはコーチのゲイカップ設定、必要でした?JC女子を嫉妬させるショタコン設定のために必要なのかな〜。どうも、最近は変なLGBTっぽさが流行っているのですが、結局ネガティブな扱いするなら、無理に出さなくても、、、
ただ、ゲイ設定のおかげで、JC女子からの「男に女のかっこさせて、気持ち悪い」って、最高のセリフを引き出すため、なら結果オーライかもね。
あれで、JC女子が三人の美しい努力の結晶を台無しのして、あれだけの美少女を残念ヒロインにしてしまうってのが、本作最大の推しポイントでしょ〜。
あのJC女子のおかげで、コーチは街に入れなくなり、小6男子の淡い初恋も霧散。なので、最後の小6男子(ラストは中1かな)が道で出会ったJC女子に向けたセリフ(本編では聞こえない)は、絶対に「くたばっちまえ」だと思います。
優しい光と切ない光
北海道、冬の綺麗な斜光を上手に組み合わせた
映像美。スケートリンクの光の撮り方は神がかってた。
タクヤ君やさくらちゃん、知人のコウセイ君
は優しいし可愛いらしい。
あの深々と降り積もる雪の時期には
沢山の想いと心情が詰まっていて、切なさと
儚さもあった。
そして春になり雪解けして、3人の気持ちも其々
飛びだった感じ。春は別れと再会の時でもある。
『月の光』も優しくもあり、切ない所が絶妙な
コントラストになってし、ハンバートハンバート
のEDの『ぼくのお日さま』も良かった。
エンドロールも優しさがたっぷりと滲んでたなぁ。
自然音の繊細な音も丁寧に組み込んで、劇中の
曲も心地好い。
あの一瞬、そこに居そうな空気感だけど
居なくて聞いてたり、観てたりする演出も
素晴らしかったと思う。
雪解けした気持ちが沁みる作品でした。
ふわり、ひと冬の思ひ出。雪の結晶のように儚く繋がる心は、溶けてなお何を残す。
その先の明るさを予期させる終幕に好感。
繊細で美しい撮影アートがそれと同質な物語を包み込む、ほんのりビターなコーティングショコラ。口にしたそれはクラシカルなレシピ通りの仕上がりに思えたのだが、どこか新しい感覚があって不思議。邦画らしからぬ作風、ミニマルに割り切ったストーリーのためかもしれない。
心のベクトルは三者三様で、それぞれの「→ 矢印」が向いている先が「ぼくのお日さま」ということらしい。三角矢印がスケーティングの演目のようにクルクルと輪になって気持ちを通わせる湖のシーンが、なんともホッコリとしていて微笑ましかった。
表題に書いたように、季節の変わり目と、チームが解散してしまう理由そのものは無関係だが示唆的であり、映画的だ。とても上手な描き方だとおもう。
***
本作では、言葉というコミュニケーションにスポットがあたる。
私にとって最も印象的だったシーンがある。土地を去る荒川とタクヤが交わすキャッチボールの場面、気持ちのぶれた荒川がタクヤの身長を飛び越えたボールを投げてしまったところ。荒川が言葉をかける「タクヤ、ごめん」。
物語では終始、あえて言葉足らず・主張足らずなコミュニケーションに抑えられていて、嬉しいシーンでもそうでない場面でも、その気持ちを表すセリフがあえて避けられていたように感じた。気持ちがとても通い合っていても、説明はだれもしていない感じ。
日常では当たり前のような「ごめん」だが、劇中がずっと感情をフワッと表現していたせいで、相手に自分の気持ちを表すセリフにコントラストが生まれた名シーンとおもった。
最大級の賛辞を送ることすらもどかしく優しい物語。
ミニマルで美しい本作は世界中どこにいっても評価されるに違いない。
ハンバートハンバートの同タイトル主題歌が、実は原作ということに驚き。
ポカポカと温かく、ヒリヒリとほろ苦い
最初は、スケートを通じた少年と少女の小さな恋の物語なのかと思ったのだが、男性コーチが少年にフィギュアスケートを教える話になって、少し予想をはぐらかされる。
ここで、コーチを演じる池松壮亮が、本当にスケートの経験があるのではないかと思えるほど的確(少なくとも、そう見える。)に指導を行っていて、思わず引き込まれるし、それに応えるように少年がメキメキと上達していくのも嬉しくなる。
その一方で、男性と同棲しているコーチが、手取り足取り少年を指導する姿に、何やら良からぬことが起きるのではないかと心配にもなってくる。
やがて、少年と、彼が思いを寄せる少女がペアを組んで、アイスダンスのバッジ取得を目指す展開になると、コーチと少年・少女の二人三脚ぶりが更に楽しくなってくるし、ほのかに恋の雰囲気が漂い始めるところも微笑ましい。
中でも、凍結した湖に練習に出かけた3人が、雪上や氷上でふざけ合う姿は、この上もない多幸感に満ちていて、このままハッピーエンドになることを願わずにはいられなくなる。
しかし、この幸せなひと時は、やはり、バッドエンドのフラグになっていて、ずっと感じていた嫌な予感が的中することになる。しかも、その予感も、少年・少女の親が騒ぎ出すのではないかと思っていたのだが、少女自身がコーチに反発する展開になって、何だかやるせない気持ちになってしまった。おそらく、少女は、コーチに好意を寄せていて、裏切られたと感じたのだろうし、多感な年頃なので、「気持ち悪い」と思うのも仕方がないのかもしれない。
それでも、3人でアイスダンスの練習に打ち込むシーンがあまりにも魅力的だったので、最後は、皆に和解してもらいたかったと思わざるを得なかった。
その点、春の日差しの中で、少年とコーチがキャッチボールをしたり、少年と少女が見つめ合うエンディングは、せめてもの救いになったし、それに続くテーマソングも、画面に映し出される歌詞が少年の心情にピタリとハマっていて癒された。
期待度◎鑑賞後の満足度◎ 雪の白さと日の光が目に眩しい。行間を読む淡い詩の様な映画。スケートシーンに比べ極端に少ない台詞ながらも三者三様の気持ちがくっきりとわかる。しみじみと切ない。
①三人が同じ目標を目指して仲良く練習していた中盤から三人の関係が軋み出す後半への流れ。しかし予兆はほぼ冒頭から示されている。光の中で滑り舞うサクラを光の精を見るように憧れの目で見つめるタクヤの姿をふと目に停め、サクラを見たあと再びタクヤに視線を戻してそのまま見つめ続ける荒川。「真っ直ぐな(タクヤのサクラへ)想いが羨ましたった」と後程荒川はくちにするが、本当にそれだけだったのだろうか。タクヤに佇まいに心惹かれた気持ちはなかたったのだろうか(勿論、少年愛とか異常なものではなく)。
その辺りを何とも取れるように微妙に目の演技だけで表現する池松壮亮はやはり上手い。
②荒川は元フィギュアスケート選手でスケート雑誌やスケーター達のカレンダーに載るくらいのスケーターだった過去がある。それが何故雪深い北海道の田舎町でスケートのコーチをしているのか。
それが分かるシーン。男と同居しているようだ。そしてパートナーは親のガソリンスタンドを継いだリターン組だと分かるシーンで仲良く枕を二つ並べたベッドが移る。
荒川はゲイだと分かるシーン。最近はLGBTQ という言葉が巷に溢れ多様性がある意味押し付けの様に取り上げられる世の中になっているが、こういうことには揺り戻しは必ずあるし、日本社会にはまだまだ偏見や無理解、誤認識が蔓延っている。都会ならともかく地方都市では尚更だろう。
パートナーが地元民であればおそらく直に噂は広まるに違いない。
荒川の未来が気になるシーンだ。
③面白いことに三人の中で最も素直というか真っ直ぐと言うか屈折していないのはタクヤだ。普通なら吃音であることに悩むようなものだが本人は気にしていないよう。
サクラのことが好きなのはミエミエだし、荒川のことも親切で優しいお兄さん→コーチとしか思っていない。
※因みに荒川が引っ越し荷物の中から自分の使っていたスケート靴を嬉々として探すシーン。深読みかもしれないが無償の贈り物には暗喩がある。
コンテストにサクラが来なかった事も、タクヤは結局サクラは自分の事がキライ、或いはアイスダンスをやっぱりやりたくなかったとしか思わない。
街を離れることにした荒川に「また戻ってくるの?」と屈託無く訊くタクヤ。
まあ、男の子って鈍感なものだから。
最後に二人でキャッチボールをするというところも微妙な塩梅だ。ごく普通に男二人でボールを投げ合い受ける。それだけ。でも、だからこそ色々な意味合いを持たせられるし、ただ微妙な距離感を保てる。(『フィールド・オブ・ドリーム』のラストの若き父親と主人公のキャッチボールみたいに)
荒川が暴投したボールを追って走って行くタクヤの後ろ姿を見つめる荒川の視線に浮かぶ感情…
④タクヤに較べるとサクラは遥かに敏感でそして残酷だ。でもそれも仕方がないのかもしれない。
ハッキリと思った事を口にする同級生と違って気持ちをなかなか言葉にできないサクラ(その代わりスケーティングは饒舌だ)。
密かに荒川に淡い気持ちを抱いている。
街で荒川の車を見かけて思わず走りよろうとするが、
いろんな感情がこみ上げてくる!!暖かくて、切なくて、温かい
「悪は存在しない」に匹敵する最高傑作だと感じました。
景色も音楽も心が洗われる程素晴らしいです。木漏れ日が優しく、主演2人もこれ以上ない程自然体で、びったりはまっていました。吃音症を感じるタクヤ(越山敬達)が、スケートの上手いさくら(中西希亜良)に憧れて、という初恋のような展開に胸がおどります。
しかし、あることがきっかけで、せつない物語に急変します。
いろんな感情がこみ上げ、涙目になりながらも登場人物たちに共感していました。
ラストの終わり方が素晴らしく、想像力を生み出し心が豊かになります。
本当は
「ベイビーわるきゅーれ」と連チャンで観たかったんですが。池松くんって声がイイよね、ちょっと竹野内豊化が進んでるような気がしますけど。
同じ位の年でも女の子の方が大人びてるよね、フィギュアだとスタイルも良いしね。
カメラの距離感はお日さま目線って事なんでしょうね、三人それぞれにお日さまが有った。
またGネタか・・最後の言葉は? とちょっとイラっとしましたが、ハンバートハンバートのエンディング曲で吹っ飛んだ! これってフーの“マイジェネレーション”だよね? そうでしょ?!
雪解けのように誤解も解ける?
曲に合わせフィギュアスケートを練習する中学生サクラと、そのサクラに見惚れフィギュアに心奪われた吃音でホッケーをやってる小学生タクヤと、サクラのフィギュアスケートの先生荒川の話。
フィギュアスケートを見様見真似でホッケーシューズで練習するタクヤにフィギュアシューズを貸す荒川、…後にサクラとタクヤをペアにしアイスダンスをやろうかと言い出した荒川だったが…。
最近使われてる昭和感のある色合いのフィルムと、そのなかで楽しむフィギュア練習の時間が雰囲気良く、優しい時間って感じで観てて心地いいし温かい、観てるこっちもいつの間にか微笑んでる。
荒川の穏やかさと優しさの雰囲気のなか練習を楽しんでるタクヤとサクラには何故か涙で。…荒川が同性愛者と知ってしまったサクラだったけれど中学生という年齢で処理出来なかったんでしょうね…。
個人的にはアイスダンスの方でちょっと感動的に終わるのかな?何て思ってたんだけど違った展開になってしまって。作品的には雰囲気良く観てて幸せな時間、幸せな気持ちなれるって感じで良かったね。
彼にとってのお日さまは、知らないところで泣いていた
2024.9.13 イオンシネマ京都桂川
2024年の日本映画(90分、G)
小学6年生のひと冬の初恋を描いた青春映画
監督&脚本は奥山大史
物語の舞台は、北海道にある村
小学6年生の多田拓也(越山敬達)は吃音が原因でクラスに馴染めず、運動神経もさほど良くないことから、野球でもアイスホッケーでもまったく活躍できずにいた
彼には理解者である唯一の親友・コウセイ(潤浩)がいて、相応の学校生活を送っていた
ある日、アイスリンクにてフィギュアの練習をしている三上さくら(中西希亜良)を見かけた拓也は、彼女の演技に魅了されてしまう
それから、放課後に独学でフィギュアの真似事を始め、そんな様子をさくらのコーチである荒川永士(池松壮亮)が見ていた
荒川は少年時代に使っていたフィギュア用のスケート靴を拓也に貸し、基礎的なことを教え始める
そんな様子を見ていたさくらは苛立ちを隠せなかったが、荒川は彼女の気持ちに気づくこともなく、拓也とペアを組ませてアイスダンスの練習をさせてしまう
レベル差は徐々に埋まっていき、拓也とさくらの息も合ってくる
そして、アイスダンスの大会に出ることになったのだが、その直前にさくらは「荒川の秘密」を知ってしまうのである
映画は、とても静かな映画で、ドビュッシーの「月の光」と、窓から差し込む陽光のコントラストで魅せる映画となっていた
LGBTQ+問題が描かれていて、さらに少年少女の素朴な感情が描かれていく
さくらは恋した相手が同性愛者であることを知って傷つくのだが、これは普通の感覚で、それらを社会的に許容するかどうかとは別問題であると言える
ラストで拓也はさくらと再会し、そこで何かを言おうとして映画は終わるのだが、二人がどうなっていくのかはご想像にお任せします、というエンディングになっていた
映画は、語らない映画だが、キャラクターの心情は痛いほどによくわかる内容になっている
さくらの母(山田真歩)も「秘密」を娘から打ち明けられ、その理由を遠回しに荒川に伝えるのだが、相手に配慮しつつも、これ以上さくらが教わりたくないという気持ちを伝えることになっていた
荒川はさくらから「気持ち悪い」とだけ言われてしまうのだが、それはさくらの気持ちが荒川に向いていたことと、生理的な部分が大きいのかな、と感じた
いずれにせよ、とても静かな映画で、展開もそこまで激しくないのだが、キャラクターの内面は恐ろしいほどに動いている作品になっていた
主人公である拓也が問題の蚊帳の外に居続けるというのも斬新で、何もしていないし、何も知らないところで自分の初恋が消えていくのは切なくも感じる
英題は「My Sunshine」というもので、これは解釈によっては「三人それぞれのお日さま」という意味にもなるので、それがうまく噛み合わないもどかしさというものもあるのだと思う
エンディングはこの映画の原案にあたる楽曲でもあるので、あの歌詞が拓也の言いたかったことと捉えるのか、彼の日常を補完しているだけなのかは見方によって変わるのではないだろうか
脆さと危うさ
この映画では脆さと危うさが常に見え隠れする。
冬の雪が溶けていくこと。
どこにでも行ける思春期の心。
男性同土が恋の道を進み続けること。
心から動かされることをやること。
言葉数が少ないことがこの映画に緊張感をもたらす。
誰もが孤独から逃れたいのに、その孤独を捨てることに恐怖を抱え、捨てたとしてもまた戻ってしまう。
それは夏が来て、冬が現れ、また夏に帰る季節と同じだ。
そんな冬の脆さに、危うさにすがりたくなる。
しらふの夢を見ているような今をまっすぐな太陽が貫く。
ぼくにとってのお日さまは何なのだろうか。
タクヤにとって、憧れであるさくら
さくらにとって、私を見てくれる荒川
五十嵐にとって、好きなことを追い続ける荒川
荒川にとって、昔の夢を見させてくれるタクヤとさくら
そのお日さまは、ふとした言葉や少しの行動で、かげりをみせてもう元には戻れない。
誰かを傷つけるくらいなら、夏のままでいい。
こうして僕たちは大人になっていく。
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