ぼくのお日さまのレビュー・感想・評価
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痛みも含めての人生
ひと冬のあたたかさと痛みでツーンとなる物語。
光と雪の白さ、スケートリンクを滑る音、まだ純真無垢な中学生のふたり、全てが美しくて、全てが眩しくて、そして痛い。
中学生ふたりの恋と言うにはまだ早い、淡くて朧げな感情は、綺麗だけど綺麗すぎる故に潔癖で、でも思春期ってそうだったかもなと思う。
吃音で言葉がうまく出てこないタクヤが、必死に想いを伝えようとする姿は、吃音気味の甥っ子が浮かび応援せずにはいられなかった。
徐々にフィギュアスケートを楽しむ姿は見ているこっちがニコニコしてしまったし、やっぱり楽しいや好きな感情が上達の近道だよなと思い知る。
見た後、痛いけどこの痛みも含めて人生だって思える映画だった。
それにしても、荒川役の池松さんは、本当に撮影前までスケート出来なかったんですか?
コーチ役だから相当努力されたんだろうなと思うけど、全然違和感なかった。本当にすごい役者さんだよ。
若葉竜也と池松壮亮が共演してる幸せを噛み締められる作品でもあった。
言葉を超えた忘れがたい瞬間の数々が胸いっぱいに広がる
ひと目見た瞬間に引き込まれる作品というものがある。まさに本作も同じ。決して強烈なインパクトを放つ類ではないが、この全てを照らすお日様のような大らかさ、透き通った柔らかな光、交わされる心と心、未来へと続く道筋に、こちら側から胸を開き溶け合いたくなってしまう逸品だ。思いがけずフィギュアスケートに魅せられる少年の物語という意味では『リトル・ダンサー』を彷彿とさせる部分もあるが、一方で私が惹かれたのは本作が「眼差しの映画」でもあるという点だ。日々、フィギュアの虜になっていく少年の様子をきちんと見ている人がいる。また少年と少女、コーチが一体となって練習に打ち込む時、窓からは穏やかな陽光が微笑むように射し込んでいる。踊ることへの喜びを体現する若き二人もさることながら、池松壮亮のナチュラルな存在感には息を呑んだ。慈愛に満ちた表情で指導する一挙手一投足は、今年観た中で最も忘れがたい名演の一つと言えそうだ。
予備知識無しで観よう🌟
ラストシーンのその後は・・・
1スケートを通して知り合った少年と少女、そしてコーチ。3人の一冬の出来事を描く。
2 運動ベタな少年がスケートで舞っている少女に惹かれ、自分も始める。氷上でバタつく彼の姿に気付き、コーチが靴を貸し基本を教授。そして二人にペアを組むことを促し指導する。そんなある日、少女が街中で見かけたコーチの振る舞いに嫌悪感を覚え、そして・・・。
3 三人の練習風景がとても良い。そして温かい。少年のスケートが次第に様になっていく姿、完成された少女の優雅な演技、まとを得たコーチの指導、それに応じてペアの課題に取り組む二人、三人の屋外での戯れ。それらが愛おしい。
4 少女の嫌悪感はコーチに同性愛の疑いを感じたためであった。確かにコーチは友人以上の関係性で同性と同居しており、ゲイかもしれない。少女の拒絶感は、地域性やカセットテープが主流であった恐らく20~30年前であろう時代背景、そしてコーチをとられたという妬みの感情から三倍増しに強くなった。彼女に対しては、「それほどたいしたことではないよ」と言ってあげたい。
5コーチは(映画では描かれていないし、それで良かったが、噂が燎原の火のように広がり)、スケートシーズン終了後に失意の中で町を出ていく。その時、少年と偶然再会し、三人で訪れた場所でキャッチボールをする。コーチの沈んでいた気持ちが落ち着き、少年のスケートに対する思いが再度持ち上がっていく。余韻の残る別れのシーンとなった。
6ラストシーンは春爛漫の一本の道。スケート靴を抱えた少年と少女が次第に近づき、相対する。何か言いたげな少女、何かを言いかけた少年のカットで暗転。想像を掻き立てられる終わり方で、ハッピーなストーリーを想像したい。
7 少年と少女の素材の良さ。それを活かし全編においてさらりとした柔かなタッチで見ていて優しい気持ちになる奥山の演出、なんでもできてしまう池松壮亮、劇中の洋楽が良かった。
無料の客と有料の客の待遇の違い
瑞々しい
“ある視点部門”でなく“ある界隈部門”
最後のエンディングロールに流れる曲を真剣に見た(聴いた?)のはもしかして初めてかも、、、。この映画のために書かれた曲だと思ったらずっと前の曲なのね、お恐れ入りました、映画の終わりがまだ続いているかの名エンディングロール👏
心象描写もへったくれもない喋り過ぎな映画しかないんか!トホホと日本映画を観るのを止めてたけど、ちゃんとした普通の脚本の映画を観れて嬉しい^^。あのおバカ監督の題名だけはイカしてた「−1.0」はぜひこの作品に使ってもらいたいほどだ。
主演の男の子って「天狗の台所」のあの少年なのねぇ。スカしたふてくされガキがこの子とは、演技力バリバリやんwww
日本人受けする男の子と女の子をキャスティングした監督の眼力は、きっとふたつの“ある界隈”では万雷の拍手で迎えられたに違いないwただあまりそこの世界の人を刺激し過ぎる脚本となるとちょいとヤバ系なので、まあ綺麗に作っとこ、ということなのか。
小さな恋のメロディ、からのベニスに死す、からの第三の男、で終わるのかと思ったら最後は僕のようなチンケな想像より美的感覚に優れた方のナイスなカットでした。
今回の評価は、30人余りの小さな映画館で観たんで、いい意味でのバイアスは掛かってるっぽい気がしますw、あしからず。
監督の次回作を見逃さんようにせんと^^/
美しい雪の世界にうっとり。
向けられる「視線」、はずされる「視線」
美しさと、残酷と、
ドビュッシーの「月の光」に纏われて、
美しいフィギュア・スケーターが舞う。
ヒソヒソ声の多い静かな映画中で、そのシーンは
三上さくらの決意を告げるように激しい。
“微塵も許さない“
私のスケーティングに荒川先生の
“訳ありな人生“の介入を、
私のスケーティングは、
“アイスダンスなんかではない“
半分お遊びの、吃音リハビリのような、
タケシのスケート
に、“組み込まれたくない“
繊細な映像表現の情景詩のような映画です。
時にソフトフォーカスして焦点が広がりぼやける。
美しい少女スケーター。
吃音の少年は、何をやっても下手っぴ。
唯一、荒川先生の教えてくれたアイスダンスの基礎。
「滑れるようになったタケシ」
さくらとの幸せな時間、
荒川先生の掬い上げてくれる優しさ、
さくらは心構えも既にプロで、
彼女はある意味で完成しているし、
心に“遊び“がない、
だから潔癖で汚れや妥協を許さない、
タケシは流されただけ?
でもタケシの自信になったと思う。
小さな小屋の芝犬、
雪中の真っ赤なポスト、
高い橋を走る電車、
置いてかれる荒川先生の恋人、
車に積まれた思い出品の段ボール、
(なんで捨てないんだよ!!)
この町を出て、また次の町へ流れていくフェリーボート、
捨てたもの、捨てられたもの、
残したもの、
タケシの心に荒川先生が灯した明かりが、
タケシのこれからをを支えることを、
私は心の中で、
願っている。
よかった
昨年、ドラマ「天狗の台所」で知った越山敬達君。
今放送中のシーズン2では、随分大きくなったし演技も上達。
今作は、撮影時期が遡って、更に初々しかった。
9月公開時は見られなかったが、本日見たのは寒い今の時期にピッタリだった。
雪の街の小さなお話。
表現する事や、伝える事は難しい。
(吃音や障害、性的嗜好などのありなしにかかわらず)
思春期のそれぞれの恋心がとても淡く、感情が静かに揺れ動くような作品だった。
2人がスケートしてるシーンは美しかった。
池松君の声が、いつにもまして心地良かった。スケートやった事ないというのがスゴい。
ハンバートハンバートは、おかあさんといっしょかなんかの子ども番組だったかな、「ポンヌフのたまご」だけしか聞いた事ないけど、良いデュオですよね。
*****
ちょっと、昔見た いしだあゆみの「時計」を思い出した。
淡く輝く「ぼくのお日さま」
言葉で多くは語られないものの、目線の揺れ動きや画面のトーン、映像の前後関係などによって登場人物の心情がしっかりと伝わってくる作品。
タクヤが初めてサクラに目を奪われるシーンや、荒川が初めてタクヤを見つけるシーンは、彼らの「お日さま」がここにあるのだと如実に表されている。そしてそれは、サクラがじっと荒川を見つめる時も同様の意味を持っている。
加えて、サクラにとっての「お日さま」である荒川が、しかし彼女の理想通りの存在ではないと気づき、失望を顕にした時、作品のトーンがぐんと下がる展開も面白い。
そして彼らの美しいバランスは崩壊し、スケートを通じた繋がりも失われる。
だが、だからこそ何度失敗し転んでも立ち上がるタクヤというキャラクターが重要になるのである。
太陽と月
スケートリングで滑るサクラに合わせて流れた音楽がドビュッシーの月の光。「僕のおひさま」は「月の光」、たけるにとってそういうことなのかな、と。序盤から心掴まれた。
おそらく少し時代も前の北海道の小さな街(函館?)の染まってないその街感の演出の仕方、
そこで生きる人たちの生活の表現が凄いな〜と。
物語的にも、活音を抱えるたけるの頑張りや、そこに光を見てる池松君、それを見て?のサクラのそれぞれの心情が刺さってくるものがあった。
たしかのサクラから観たらなんでアイスダンス?なんでこいつ?先生どうした?ってなるよなそりゃと思うけど
エンドロールで流れるハンバードハンバードからも伝わるたけるのやるせなさや、当時の小さい街では理解されない恋愛感情をもつ池松君の苦悩とか、見ていて苦しいものが込み上げてくる反面、
地域の美しさ、羽を広げたように滑るタケルや、大自然の氷の湖で3人で滑って踊る姿がとても眩しくて印象的だった。
じーんと心に響く良い映画。
ムーミン谷に春が来た
この物語は冬の物語であるが
人生の春のようでした
すべてが愛おしい時間のように感じ
そしてとても残酷でした
早く雪が溶けないかなと思っていた少年が春が来ることを名残惜しくなる頃
スナフキンは旅立ちます
また帰ってくるよねというムーミンに
わからないと言う
そこはムーミン谷に冬が来たらねと
本来なら逆だけどそう言ってよスナフキン
と涙ながらに思いながらもその対話は素晴らしかった
二人で滑るシーンはとてもとても幻想的すぎてこの世のものとは思えないぐらい美しいシーンだったからこそ、その後のあのシーンは
滑りきったあと何を思ったのか
さらに青年はなんと言ったのか考えさせるなと噛み締めているとハンバートハンバートが歌い出すんですよ
そんなの涙しかない
素晴らしかった
かわいいと美しいの融合
優しくて温かくてちょっと痛い
お日さまのような光に溢れた映画
スタンダードサイズの画面に映し出される一コマ一コマが、導入場面から一枚の絵として成立しているようだった。気を衒わず、ズドンと主題を真ん中に配置する中央構図が多いのだが、その分、描かれる人や物に、観ているこちらもグッと気持ちが寄る。
最初、その後いじめやトラブルが描かれることを予感し、「主人公タクヤの吃音という要素はいらないのでは?」と思っていたのだが、友人たちがそこを全く問題にしない展開が心地よかったし、マイノリティとはいえど吃音の人は一定数いる訳で、単に身構えてしまうこちら側の問題だった。それに、マイノリティということで言えば、サクラがコーチである荒川の性的指向に嫌悪感を表明することによって、サクラの恋愛感情や思春期ならではの心の動きと、同性カップルにまだ不寛容だった描かれている時代性が、対比的にごく自然に立ち上がっていたと思う。
それに、鑑賞後公式ページを見てみたら、なんとこの映画、ラストの主題歌がきっかけで作られたことがわかり、なるほどと思った次第。
(ちょっと脱線するが、エンドロールの主題歌の歌詞を見ながら、歌だと吃音が出ないというのは、「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」でも出てきたエピソードだったなということを思い出した)
フィギュアスケートの場面で流れるドビュッシーの「月の光」。「ぼくのお日さま」というタイトルなのに、月の光なんだ…と漠然と思いながら観ていたが、月はお日さまによって光輝くのだから、これ以上の曲はないのかとこれも途中で思い直した。
帰路で、妻に「タクヤにとって、サクラがお日さまってことだったのかな?」と話しかけると、妻は「私は、荒川コーチやフィギュアスケートそのものがお日さまだったんじゃないかな?」と言っていて、確かにと思うと共に、荒川自身もタクヤとサクラ2人の関係をお日さまのように、まぶしく暖かく感じていたんだろうなと思いが広がった。
とにかく、全編、お日さまのような光に溢れた映画。
この奥山監督はまだ28歳とのこと。ベイビーワルキューレの阪元監督も28歳。ナミビアの砂漠の山中監督は27歳。日本映画の若手の活躍がこれからも楽しみ。
何とも言えない余韻あり
劇場では見逃すかと思いましたが、タイミング合い、ラッキーでした。映像がとてもよく、ペアの二人はほとんどセリフないのに自然でわかりやすい。カセット時代ならではの風潮や意識も前提なのですね。ほろ苦いながら、希望も感じる結末かと思いました。男の子はどこまで事情を知っているのだろうかと思いました。若い俳優のお二人はとても楽しみ。池松さんは素晴らしいですが、若葉さんも出ていると知らずに観て、程よい存在感がさすがですね。
雪と光の美しさ
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